新型コロナウイルスによるパンデミックもさることながら、ロシアのウクライナ侵攻問題も併発しており、世界は今までにも例がないパニックに陥っています。 ウクライナは地政学的にみても極めて難しい問題を抱えており、歴史的にも近隣諸国との民族問題にかかる血なまぐさい争いが絶えません。 ウクライナ侵攻ではロシア自体も深刻な影響を受けることになります。 1979年から1989年まで続いたソ連のアフガニスタン侵攻は、ソ連が崩壊する一因となりました。 ウクライナ侵攻はロシアにとって第二のアフガニスタンになるとの見方もあります。 もともと問題が多かったアフガニスタンにとってもソ連にとっても双方ともにマイナス面が多かったのです。 しかし、アフガニスタンでの中村医師の快挙を皆で「知恵」の継承として讃え合ったのはつい先だってではなかったでしょうか。 悲惨な健康状態を救うにはまず「水」だとして日本古来の「知恵」を活かして「灌漑」問題を解決して地域住民の生命を救ったにもかかわらず、近年、現地でのテロ銃弾に斃れたのです。 地域住民の健康問題を、それだけでなく環境問題、治水対策、政策対応等も合わせて考え、まずやらねばならない施策と考えて、それを自ら実行したのがほかでもない中村医師だったのです。 各国それぞれに固有の事情と歴史的民族感情をもとにする正義を大義名分としています。 したがって、生き残りのための「知恵」と殺し合いの「暴力」をもってお互いの「正義」を通そうとします。 ロシアとの関係についても、日本人はとなりの火事だとして他人ごとのようには言っていられません。 そもそも日露戦争のいきさつについても、ロシアが朝鮮半島を攻略して日本列島を領域内に抑え込もうとするのを国力を賭けても防ごうとしたものであることと、第二次世界大戦においてロシアは不可侵条約も何のその、ポツダム受諾という日本の劣勢をみるや、一挙に侵攻を始めたことを忘れてはなりません。 日露間には北方領土問題が今に残るし、沖縄には復帰後にもかかわらず米軍基地が蹲踞しています。 パンデミックはウイルス等による感染力のみならず国際的政治経済問題、国境を越えてたゆとう民族問題・移民問題等も絡んでパニック障害を拡大させています。 「自分と相手」、「自分と家族」、「自分と仲間」、「自分とコミュニティ」、「自分と地域」、「自分と国家」、「自分と世界」との関係の中であるべき「自己の知恵」に気付き、それぞれがそれをそれぞれのミッションとして活かしていかなければなりません。 個人、家族、国境、民族、時代を越えてお互いがそれぞれ気付き合い、「知恵」と「ノウハウ」を活かしあってそれぞれのミッションを分かち合う謙虚さこそが必要なときです。 私は岸田國士の名作「暖流」がそのテーマとして風雪の海上に一脈の暖流を探ろうとすることにゆかりを求める舞台となった志摩病院の別荘のある鎌倉山から大島、富士山、伊豆半島、箱根連山が遠望できる温暖の地、駿河湾沿いの静岡に生まれました。 徳川家康が隠居所に選んだ駿府城址の外堀石垣上に重なり合う見越しの松上に屹立する富士を生家前から毎日眺めて育ちました。 家康が人質として過ごした臨済寺が郊外にあり、日光に移される前の墓地である久能山東照宮も今ではケーブルカーで往き来できる景勝日本平からすぐ近くです。 その山腹には季節とともにお茶畑の緑やみかんの木にしなうオレンジ色とともに真っ赤に輝く石垣イチゴの色合いが充ち満ちています。 山頂の展望テラスからは富士山の大パノラマを展開する駿河湾の手前の眼下に天女伝説で有名な三保の松原を傍観することができます。 清水次郎長の任侠話も今では政令指定都市としての静岡市清水区でお茶の香りとともに語り継がれています。 あべかわ餅をいただいて安倍川を越え、丸子のとろろ汁を味わって、吐月峰芝屋寺から名月を愛でることもできます。 そんな静岡もBー29の空襲に脅かされました。 市の中心住宅地にある生家の庭には防空壕が作ってありましたが、そこにいては危ないので郊外に避難しました。 臨済寺の近く、旧制静岡高校(現静岡大学)の運動場に掘られた蛸壺のような防空壕の穴底から見上げる夜空に息をのむような光の豪雨が輝き、降り注いでいたのを覚えています。 この夜間焼夷弾攻撃は米国陸軍航空軍のカーティス・ルメイ将軍が日本軍の残虐行為9に対抗して結果的に無差別攻撃を正当化するものになってしまったものでした。 街中を破壊し焼き払う焼夷弾とも知らず、「きれいだな!」と驚嘆したのが遠く幼心の記憶から蘇ります。 母に負われて焼死体や瓦礫の山を越えて逃げ惑うなか、真っ赤に燃えた大講堂、伽藍が次々と焼け落ちるのが脅威の景観として脳裏焼きついています。 「風と共に去りぬ」の弾薬庫炎上シーンでの猛火中のスカーレット・オハラの映像を観るたびに思い起こされる恐怖の悪夢でした。 約80年も昔のことながら、私の脳裡には鮮明に沈着していて消えることがありません。 終戦は三歳のときでした。 小学校に入るやいなや、中学生の悪ガキ仲間に入り、終戦後に焼け残った危険な建物の探検遊びをして死にそこないました。 家康公お手植えのみかんの木がだだっ広い駿府城址内にぽつねんと残り、そのそばに形骸だけになっていた旧陸軍歩兵34連隊の橘連隊長が率いた静岡聯隊の旧兵舎がその遊び場でした。 その中階が抜けた屋根によじ登って残骸とともに落下したのです。 地面に打ち付けられ、一緒に落ちた屋根の瓦礫の下敷きとなったことによる外傷もさることながら、医師の見立てでは、脳内出血で命は助からないといわれました。 奇跡的に二日後に「百万円よこせ」と叫んで息を吹き返しました。 美空ひばりが演ずる貧乏な少女に宝くじの1等賞(今で言えば前後賞なしで1億円)が当たって大騒ぎが起こる映画が上映されていた頃でした。 幼少期から自我が目覚めるまでの心身に染み付いた記憶は、繰り返し蘇ります。 入学した小学校の校庭内にはまだ厳かに御真影を祀った社が残っていました。 その小学二年生の時から家の金をくすねて子分を連れ、学校を抜け出して遊園地、デパート等で遊びまわりました。 小学校も中学校も駿府城址内にあり、それぞれ「城内小学校」、「城内中学校」と称されました。 中でも中学校は焼け残った兵舎をそのまま転用したもので、殺風景極まりないものでした。 そのガタピシの校舎のちゃんと閉まらない窓から教師が交代しながら生徒をげんこつで殴るのを「百発、二百発・・」と数えながら眺めていました。 社会科の授業ではもうマルクス主義以外の社会はないと説いている教師達でした。 サッカー部は当時中学ではまだ珍しかったのですが、静岡だからこそ入れたものの、そのしごきはそれにも増してひどいものでした。 中学生の時からHOゲージの鉄道模型作りに学校へ行くのも忘れて夢中になりました。80分の1の縮小図面からの手作りに寝るのを忘れておじさん達と競いあいました。 そして、中学から高校にかけては、昆虫採集、特に蝶の収集には高校の夏休みに受験勉強もそっちのけで蓼科高原を飛び回ったほどでした。 高校で入ったマンドリンアンサンブルは学園祭でハワイアンをやって一時廃部とされました。 腰をふりふりウクレレかき鳴らせば当然です。 その後、隠れ蓑としてのマンドリン演奏を看板にして、実際には第二部として軽音楽を演奏しました。 一応、マンドリンの第一部ではクラシックもやりますが、始めてしまえばこっちのもんだとばかりに第二部ではラテンやロックを中心としました。 ロックンロールのハシリ、ポール・アンカ、プレスリー、トリオ・ロス・パンチョスやエレキブームの契機ともなったベンチャーズなど。 当時のエレキギターはギブソンの輸入物がヤマハでサラリーマンの年収の何倍もしたのでとても高校生には手が出せませんでした。 それでも自分でコイルを巻いて安物の国産スチール弦のサイドギターをエレキギターに仕立て、手作りの真空管アンプで演奏するほどだった。 部に備え付けのコントラバス、サイドギター、ビブラフォンはもとよりボンゴ、コンガ、ハワイアンギター、マラカス等手に入るものは集めて編曲・演奏するので受験勉強で疲れている仲間からは大受けだった。 特に、部員の一人の父親がトリオ・ロス・パンチョスから譲り受けたコンガを提供してくれたのでそれ使って演奏できたのは感激だった。 でも、ロックンロールからロカビリーの時代以後は、何でもロックにしてしまう多様化の流れに押されて軽音楽から遠ざかり、次第にクラシックギターに魅せられるようになった。 大学ではウエスタンバンドの先輩がすでに顔を利かせていたせいもありました。 その後はクラシックギターの演奏を楽しんでいます。 経済学部では当時流行りの経営学を選んでマーケティングを専攻し、サッカー部にも軽音楽クラブにも属さず、会計学研究部に籍を置きました。 これからは今までの経営戦略には無いものを極めたいと思ったからです。 卒業後は理化学研究所の発明実施工場を企業化した軽金属メーカーに就職しました。 日本軽金属とヤマハが出資していますが、大臣経験者の代議士がオーナーの会社だったので、選挙活動、研究開発、知的財産管理、経営企画が混在する仕事でした。 特許管理、技術情報管理の強化を強力に進めたところ、日本軽金属の二次加工会社7社を統合した新会社の知財管理を任されました。 銀座七丁目、日本軽金属本社特許室に所属し、新会社は人形町であった。 その後、知財管理、情報管理を経営の重点課題とするコンピュータソフト会社、遊技機会社で知的財産管理部門を統括した。 60年の安保闘争等を経て社会に出るまでが私の第一の人生。その後の第二の人生では、徹夜勤務、接待、海外出張、単身赴任等が続いた。 五十年以上にわたる私のビジネス経験のほとんどは、企業での技術情報管理、なかでも特化して従事してきたのが知的財産の管理に携わることだった。 軽金属、コンピュータソフト、遊技機と、まったく業種の異なる企業が私の主たる職場だった。 分野は違ってもそれらの業務で創り出される特許などの知的財産の地位を確立し、会社の知的財産権を守り、戦略的にマネジメントすることが私の仕事だった。 当初はまだ〝知的財産権〟という言葉すら認知されていない時代だったが、私は技術ノウハウや専門知識など、無形の情報を有益な資産として蓄積することに加え、それに伴う人材育成を手掛けた。 三分野の異業種で一貫して、知的財産権部門のスペシャリストとして働くということは、具体的には次のようなこと意味するものだった。 軽金属の企業では、アルミニウムというハードウェアそのものを扱う技術。 コンピュータソフトの企業では、コンピュータシステムというソフトウェアそのものを扱う技術。 遊技機の企業では、ハードとソフトの融合による新たなサービスを扱う技術。 私の仕事は、それらの技術にノウハウ(知恵)やスキル(技能)までを総括して、かたちと価値のある知的財産を形成し、コンテンツという新たな枠組みで、経営の中枢を担う役割をもたらすことだった。 そういう意味では、技術情報管理にとどまらない、画期的で革新的な取り組みだった。 と同時に、困難を極めつつも、非常にやりがいのある仕事だった。 そういった時代を経て、今では知的財産は企業価値や経営戦略を見定めるうえで、必要不可欠な資質として脚光を浴びている。 私は、これまで構築してきたビジネスキャリアを活かし、経営者や技術者の方々、そして社会のため、なんらかの貢献ができればという願いから、「ノウハウライブラリー」という知的資産の蓄積と流通を目的とした、新しい情報交換の場を作ろう、という考えに至った。 私が働いた最初の企業の理研軽金属工業株式会社は理化学研究所で発明されたアルマイト(陽極酸化処理)技術を応用開発し、アルミニウム建材の表面処理など、数々の高度な技術を国内企業や競合各社と連携して事業を拡大した。 当時、アルマイト処理を施したアルミニウム製品は、多くの日用品や器物に用いられ、1929年に理研が特許を取得して世を席巻した大ヒット技術だった。 その後、理研軽金属工業は圧倒的な技術ノウハウをもって、提供事業を国際的に拡大した。 海外の企業に特許技術を輸出するとともに、当該事業を立ち上げるための技術指導、合弁事業、委託加工貿易などを積極的に展開した。 理研軽金属工業のアルミ表面処理ノウハウを核としながら、日本軽金属の技術力も兼ね備える強みを活かし、海外における三次加工事業に参加した。 そこで私は、当該事業の開設と運営を担った。 理化学研究所が保有するアルマイト以降の理研軽金属工業の特許体制には際立った存在感がなかった。 私は積極的にあらゆる分野での特許獲得戦略を展開するために新たに専任の特許部門を担当した。 その頃、アルミカーテンウォールやアルミサッシといったアルミニウム建材の需要が爆発的に高まっていた。 さらなるニーズに応えるため、成形加工方法や表面処理方法の生産力と品質向上が求められたのは当然の流れだった。 企業として積極的に攻勢を図るために私はここぞとばかりに独自の特許戦略を展開した。 既存の手法ではとても工業化に乗り出せないアイデアやノウハウ、スキルの特許を取得し、さらなる競争力を備えるべく、技術を保全する必要があったからであり、同様に、実用化研究開発の改良特許も獲得しつづけた。 完成した特殊なアルミ二次加工方法と、表面処理方法については、前述のように、国の重要技術に指定されたとともに、大手新聞が主催する十大発明に選定され、国から重要技術研究開発補助金を得た。 その技術については、財務省所轄の日本政策投資銀行の前身である、日本開発銀行の特別融資を受け、いっそうの開発と特許戦略を推進させることに成功した。 また、アルミニウム家庭器物についてもそのデザインの斬新さを誇っていたが、海外から意匠権を侵害するものが輸入され、国内市場で販売されたので、直ちに差し止めることをせずに、その会社を海外拠点として製造させ、理研ブランドを守ることとする等の戦略も展開した。 一方で、秀逸なアルミサッシの特許に基づいて、全国的な市場拡大戦略を展開した。 そして、マーケットを完全制覇するため、特許訴訟戦術による拡販に打って出た。 なぜなら当時の法制では、出願が特許庁の審査を通過して公告されれば、仮保護権が発生したので競合他社の製造販売を差し止め請求できことになっていたからだ。 初動で権利行使の訴訟を前提とする警告をし、応じない会社には差し止め仮処分申請をした。 こうした強化策が、事業を成功に導いた。 当該サッシの特許に関しては、業界内でのライセンス交渉による問題解決の基盤を構築することができた。 アルミニウムといういわばハードウェアの世界で、技術力やノウハウやスキルを知的財産権の仮保護権という武器に置き換えて、経営戦略のフレームワークに取り入れたのは業界では初めてのことだった。 前述のように、アルミニウムの表面処理加工およびアルミサッシの製造方法では今までに無い技術を開発したがさらに、特殊機能を有する住宅用アルミサッシについて競争各社には模倣できない形で全国展開を行い、それらの技術についての国内外ライセンス事業を展開した。 高度成長期へと時代が進展するに伴い、ハードにくわえてソフトが重視されるようになった。 ビジネスシーンにおける時勢の変化を、私は鋭利に感じ取った。 そこで着目したのがコンピュータの世界だった。 それもハードウェア主体ではなく、当時ではまだ珍しいソフトウェアという概念も含めて、ハードとソフトの融合による、コンピュータシステムとソフトウェアの知的財産管理に強い興味を抱いた。 一般家庭にパソコンが普及する以前だった。 大型コンピュータのオペレーティングシステムや、アプリケーションソフトを開発する当時のシステムエンジニア(SE)は、知的財産権、とりわけ特許権については無関心だった。 コンピュータのソフトウェアはSE同士で共有しながら自在に利用することが、暗黙の了解でまかり通っていた。 一部のメーカーでは、著作権による保護を厳格に主張する向きもあったが、あくまでプログラム表現に限定されていた。 ソフトウェア自体の技術思想は、法的見地では保護対象外だった。 その一方で、請負あるいは受託開発されるソフトウェアの成果物の権利は、委託企業側に属するのが当然とされた。 私が目をつけたのは、まさにそのピンポイントだった。 三十年前になるが、五十歳のとき、糖尿病と診断され、厳しく減量を申し付けられた。 医師曰く、 「重症のメタボリックで生きているのが不思議。」 「このままでいると、命がなくなる前に、合併症で失明する。」 「そして、足を失い、手も失う。」 「まるでダルマのようになって、自分では死ぬこともできない生き地獄が待っている。」 「とにかく食事制限をしなさい。」 その他肝臓、腎臓、血圧等八つの死にいたる病の症状が告知されていた。 ご飯を仏前に供える量程度に減らし、ストレッチ、筋トレ、体幹・体側強化、ウオーキング等を毎日の続け、約1年で体重を20キロ以上減らした。この運動は今でも続けている。 また、浴びるようだったアルコールと一日百本のタバコを一切やめた。 それから30年、めでたく第二の人生を全うし、今、プラスの人生を迎えることができた。 第二の人生の前半は仕事中毒、後半は健康そのものだからできた仕事人生だ。 若くて頑丈な体に仕事を詰め込み、詰め込んだ体の健康維持を図り、健康な体で人生を運ぶ。 ここまで来ると心身は一体となって自らを作りながら先達の精神を受け継ぎつつ次世代に伝承される魂を宿す。 そして、仲間とともに「文殊の知恵」による次世代への遺産、知的資本構築への道を模索し、提案する。 先達からの伝承と仲間との共創による新たな人生を創成する。 新たなプラスの人生では自分を変えることによって、生きがいを見つけていかなければならない。 でも生きがいを見つけるのは自分自身だ。 許されるのは自分を変えることだ。 第一の人生で、「知恵」の基礎習得をした。 第二の人生では「知恵」の活用で次世代への遺産としての「知的資本」の構築をするための提案をし ここで「知的資本」とは知的財産を生み出すことにつながる個々人の持つ「知恵」のことを言う。 知的資本の構築は中小企業等の「知恵」を活かして行うこととした。 その本質は列強や大企業にもない優れた零細・中小企業の「知恵」の活用で次世代への遺産としての知的資本の構築とその投下による「知恵」の再生産をすることだった。 そして、その累積で資金難と後継者難を解決して「ゆたかな生活」のための持続可能な開発を行うことだった。 そして今、第二の人生で得られた以下のような成果をもとに自分を変える仲間と共に自分を変える「プラスの人生」をスタートした。 ところで、貸借対照表の資産の部には載らないオフバランスである「知恵」の活用については「貨幣を介さない」ことによる資金難救済という目先の利益も期待できる。 しかし、それよりも「豊かな生活」のための「貨幣を介さない」直接取引が可能になることによるナッジ(肩押し)効果をベースにして「持続可能な開発」へのレジリエンス(回復力)を有するというさらにすぐれた特質がある。 また、「知恵」については多くの場合、お互いに機密だと思っていることが仲間内ではすでにほとんど周知であることが多い。 仲間みんなが知っているにもかかわらず自分だけの機密を維持することよりも、お互いに活用しあうことによってさらにすぐれた「知恵」を再生産することができる。 そして新たに価値増大した「知恵」については本当の意味での機密管理に移行していくことを勧める。 そうすれば、次のステップでは「オープンサイエンス」としてさらなる「知恵」の土台(ベース)となる。 すなわち、「オープンソリューション」として優れた問題解決のためのレジリエンス(回復力)を強化していくことができる。 ここでシェアリングエコノミー(共有型経済)の観点で、デジタル化されていてもいなくても、仲間同士の一定範囲内、さらにはそれら相互間で土台の基礎とされた「知恵」の集合をベースとして取引基準の標準化をしていくことができる。 そうすれば、仲間同士の「知恵」の共創においては「モノ」としての実物資産だけではなく人やその経験等の「知恵」にも同時にシェアリングできることになる。 したがって、個人としては何も貯めておく必要がなく、要員を抱えておく必要もなく、運用人材の心配もしないで済む。 仲間がお互いにシェアすることができるためである。 そして、それぞれの仲間は個人の生活と生き方を変えることができる。 さらに、「知恵」の取引等についての仲介役として「ノウハウエイジェンシー」を機能させる。 その対象が「知恵」の場合には貸借対照表に記載されないオフバランスとなる。 そして、預け入れ又は引き出された当事者・ユーザー間での「貨幣を介さない」取引等の仲介をすることとなる。 この取引等の実績記録の累積を基準として「貨幣を介さない」取引等の標準化がされる。 そしてそれ以外は「貨幣を介する」取引等になるので、ごく一般の通常通りの貨幣取引となるだけである。 すなわち、最も基本的には、純粋に「知恵」だけの場合は実績の累積を状況に応じたパターン区分ごとに分離・分別し、必要に応じて圧縮・結束して基準となし、それらを集約して標準化することができる。 それ以外は原則として一般の貨幣取引によるが、そのうち純粋な「知恵」を分離できる形で含む場合には、分離してそれぞれの範疇での扱いにすることができる。 いずれにしても「貨幣を介さない」取引等についてはオフバランスたる「知恵」の部分だけなので、その部分を含む取引等について基準を作り、その他の部分との組み合わせについて標準化することが賢明だと思われる。 「知恵」はその活用による共有の知的資本を構築して「持続可能な開発」により共に豊かな生活を享有する社会を目指すものだから「知恵」を貨幣に代わる価値媒体としてできるだけ資金を要しないこととするためである。 ただし、シェアリングにしてもエイジェンシーにしても、この「知恵」に関しては、創作者間の取引等の場合を言っている。 そして、その取引等の対象を自ら創作したノウハウ等無形知的財産であってバランスシートの資産の部に載らないオフバランスであることを前提としている。 したがって、当事者間の「資産」取引等を「業として」仲介等することが無い限り法令違反となることはない。 なお、シェアリングエコノミーには既存の法令が予定していないビジネススキームが出現することもある。 「知恵」(ノウハウ)のシェアリングだからといって他から有償で購入した場合には会計上資産として処理されるので、その点を間違わないようにしなければならない。 インタンジブルズ(有用な無形資産)の中でも「見えない資産」のうち貸借対照表上の資産ではないオフバランスの「知恵」は「貨幣を介さない」で取引等が可能となる。 その「知恵」の活用による「持続可能な開発」は次世代への遺産としての「人的資本」、すなわち「知的資本」を構築することができる。 ここで「知恵」とは知的資本を構成する人的資本としての「ノウハウ」のことを言う。 そして、「知恵」は知識と経験を活用して「気付き」を得て環境にうまく適応する能力でもある。 この「気付き」による「見えない資産」の可視化レベルに応じた「見える化」により「知恵」の管理と活用の有効性を極めることができる。 「見えない」は一般に「無形」なので視覚にも入らず認識できないことを言う。 しかし、それ以外でも視覚に入っているけれども認識できない場合や内容は認識できるけれども視覚に入ってこない場合等も「見えない」こととなる。 「知恵」の活用のために理解し適用する上で必要となるからである。 「知恵」はそのままでは見えないがバランスシートに記載されれば見えるようになる。 しかし、それがオフバランスの場合は貸借対照表の資産の部に掲載されないのでやはり見えない。 また、自分のものだとわかっていても、それが「知恵」だと気づかない場合、あるいは、視覚には入っているのだろうが認識されていない場合にも自分には見えていないことになる。 これらのことを正確に分析し理解していないと、正しい「見える化」をすることができない。 取引等の対象がオフバランスの「知恵」であれば「貨幣を介さない」で済ませることができる。 しかし、現状の一般取引はオフバランスであってもお金を払って処理することが当たり前となっている。 だから、「知恵」を含むすべての取引等が何の疑念もなく「貨幣を介する」ことになってしまっていることも事実だ。 そこで、この「知恵」はオフバランスで資産ではないので、「お金を使わないで取引できる」対象を仲間の「知恵」の機能全体およびそれを活用する者の能力までを承継・蓄積の範囲とすることを考えた。 そしてそれらを仲間の相互利用により幅広く流通させることを提案した。 それによって「知恵」のみではなくそれを含む「モノ」にまで活用範囲を広げて当事者間の利用・取引等をおこなえるようにするエイジェンシーシステムも可能となると考えた。 また、さらにそうすることにより「貨幣を介さない」取引等がおこなえるとする肩押しのナッジ(誘導)効果で「持続可能な開発」を続けられることによる事態の『改善』を提案した。 なぜ「改革」でなくて『改善』かというと、できないことは一応受け入れて、できることから勇気をもって変えていくことをすすめるからだ。 パニックだのパンデミックだのは歴史上繰り返し起こっていてその都度異なった事情によるものだから、「改革」のようにできるかできないかはさておいて、対症療法的に対応をすることはこの場合きわめて不合理だ。 そうではなく「知恵」を活用する『改善』によって「貨幣を介さない」で無駄な投資をすることなく、できることから実行する道を提案した。 そうすれば、『「貨幣を介さない」で無駄な投資をすることなく』の『ナッジ(誘導)効果で「持続可能な開発」を可能とする』ことができる。 すなわち、「知恵」の特徴に基づく活用によって次世代への遺産としての知的資本を構築できる。 しかし、現在の高度に成長しきった産業資本主義およびその後の世を支配する金融資本主義の下では全面的な「貨幣を介さない」取引が容易にうけいれられると考えることには無理がある。 そこで、容易には「変えられない」“普通の取引”は今までどおり“貨幣をもって”することとし、バランスシート上の資産ではないオフバランスとしての「知恵」にかかるもののみ「変えられる」こととして「貨幣を介さない」取引に勇気をもって挑戦することとする。 今はだれもが預金通貨、帳簿通貨としてのキャッシュレスを含む通貨制度は出来上がってしまっていて「変えることができない」とする先入観にとらわれているのが実情である。 だから無理して変えないで今までどおり「貨幣を介して」普通の取引をすればよいこととし、オフバランスの「知恵」についての取引等は「貨幣を介さない」取引等に変えることができるとすればよいことになるとする。 このように普段からの生活をできる範囲で改善し続けることによって持続可能な知的経済に向けての「豊かな生活」が築ける。 次に、取引等について相互間で土台の基礎とされた「知恵」の集合をベースとして取引基準の標準化をしていくことにより妥当な交換基準を設定する。 ではその交換媒体とする「知恵」はどのように設定すべきか。 最もわかりやすいのは直接投資の場合。 一方が「知恵」をもっていて他方がその「知恵」を使用して生産できる設備を有している場合、両者間で合意が出来た範囲で当該「知恵」を使って当該設備によって生産するための事業については双方とも「貨幣を介さない」で直接投資とすることができる。 次に、一方の「知恵」と他方の「知恵」を交換する場合、すでにそれぞれが蓄積している「知恵」を比較しあって大きな差がない場合には合意の上でその交換実績を記録して取引等を実施する。 原則としてその取引等の清算はしないこととする。 その累積において必要が生じたときには過去の実績に応じて差し引き評価する。 取引等が複数にわたるときや「知恵」を含まないものが混雑する場合にも応用できると考える。 「貨幣による」オンバランスと「貨幣を介さない」オフバランスの場合を明確に区分けして処理することによって可能になる。 当事者および「知恵」が錯綜する場合にも累積において該当する組み合わせを選択して検索および抽出すれば同様に処理できることとなる。 今までのところで検討した取引基準で想定される「貨幣を介さない」取引等を実際の業務に沿うようにさらに具体的に検討を進めると以下のようになる。 まず《直接投資》による場合には 自分の「知恵」を自己の業務拡張または変更のためにすでに《所有している設備等を使用》して生産等するための「知恵」や「カン・コツ」等の人的資源として《直接投資》することにより知的資本を構築する。 たとえば、自家製品“アルミ家庭器物”の製作上の「知恵」を有している家内工業が熟練工員の深絞りプレス、へらしぼり、特殊アルミ熔接の「知恵」を“新規商品”の開発に投与して、すでに有している設備等を用いて、いままでになかった新商品工場としての稼動を可能にすることが考えられる。 このケースではすでにある設備等には格段の資金を要しないし、自分の「知恵」を投資するわけだから設備等にも「知恵」にも「貨幣を介する」必要がない。 したがって、このような場合には規模の大小にかかわらず資金を要しない。 この場合、その投資等で新たに開発した商品が旧商品と比べて売り上げ、利益を向上させたときは《単位あたりの差額分が付加価値判定の基準》となり、純利益相当を《配付した結果をもって事業上の標準》とする。 次に、一方の「知恵」を使って《他方の設備で生産》する事業については《一方が他方に直接投資》することになる。 上述と同様に双方とも《「貨幣を介さない」で直接投資》とすることができる場合である。 たとえば、新商品の「知恵」で勝負したいが設備等の資金がない一方が設備等はあるが「知恵」がない他方を使って生産する場合に双方とも相対する投資を相手方の「知恵」と設備によって充足させ、双方とも直接投資の基準が使える。 いわゆる業務提携の形をとるので当該事業で構築した知的資本投下により得られた成果は双方で分配するのが標準となる。 さらに、一方の「知恵」と他方の《「知恵」を交換》する場合には、比較しあって大きな差がない場合で合意の上でその交換実績を記録して取引等をする場合、それらの取引等の清算はしないこととする(直接取引)。 ただし、その累積において必要が生じたときには過去の実績に応じて差し引き評価する基準に基づく総合的判定方法を標準化する。 そして《間接投資》による場合にはお互いにシェアするケースでは、仲間内での《交換実績記録を集約》して一定の「知恵」の交換基準を策定して標準化する。 この場合は効果判定対象範囲が広いので機能・効果を総合的に考えたうえで処理する。 たとえば、ある工芸品作成上の「知恵」とすでに作成された工芸品とを交換するケースである。 一方は純粋に「知恵」といえるが、他方、工芸品は「モノ」とするか知的固定資産とするか、「知恵」が「モノ」に化体したものか判然としない。 この場合、「モノ」に化体した「知恵」を純粋な「知恵」と「モノ」に《分離》して一方の「知恵」との《価値の差を基準標準化》する。 そして、サブスクリプションは一般的に「定額制の継続課金」による取引をいう。 オフバランスとされる「知恵」の取引等では対象を《レンタル型》として処理する。 たとえばITソフトウェアをクラウド上で期間を決めて交換する方式のサブスクリプションに切り替えてオフバランスとすることができる。 この場合、「定額制」とあるのは《「定価値制」》と置き換える。 すなわち、一定の価値判定で特定した《価値総計分》にいたるまで《継続取引等》ができることとなる。 「知恵」の活用による持続可能な開発のためには仲間内における情報基盤の整備が必要になる。 そのために個人を中心とするオープンなプラットフォームが有効となる。 ここでオープンなプラットフォームとは一般に広く用いられているソフトウェアやデータの相互利用を行うことを想定したプラットフォームのことを言う。 すなわち「知恵」をコミュニティー内で共有してともに価値を創造するプラットフォームである。 さらに誰がどの「知恵」を活用したかを後から検証できるように条件を定めておけばいちいち同意を必要としないこともできる。 ここでは、仲間が分散して管理し、必要に応じて適宜つなげるようにする。 誰でも、アクセスログを残しながら、その目的にかなった使い方が出来るものとする。 パンデミックや経済的パニックが起きれば、同意なしでも特定のミッションを背負った人々にデータの使用を許可できる。 なお、データの個人的コントロールと効用的活用をいかにバランスさせながら連動させるかが課題となる。 いま、所有だけでなく共有の中からも価値を創造することが求められる時代に移行しているので、同意なしでのデータ使用ができるよう相互間で協議を行えるようにする。 ケイパビリティアプローチ、(capability approach:潜在能力アプローチ)とは、厚生経済学の領域においてアマルティア・センにより一九八〇年代に提案されたアプローチである。 潜在能力アプローチの中心となる要素は、その“個人ら”がどの“何”を可能ならしめるかという点である。 ケイパビリティについてはつぎのような説がある。 “「ケイパビリティー」は、個人の力(パワー)と吸引能力(アビリティー)のみを暗示させてしまう単なる「能力(アビリティー)」よりも範囲が広く、行為者性(エージェンシー)を成立させるためのより一般的な人間の潜在的可能性を表す。そして適切な条件、つまり社会的・経済的な結びつきと、基本的・発展的な人間的機能を可能にする手段とが、広くいきわたっていればその可能性ありといえる。 オフバランスとされる「知恵」の取引等で対象を《レンタル型》として処理することにより定価知制サブスクリプションを可能とする根拠となる考え方である。 「知恵」の取引等の基準設定および標準化の考え方の具体化のひとつとしてサブスクリプションが考えられる。 サブスクリプションは料金を支払うことで、製品やサービスを一定期間利用することができる形式のビジネスモデルをいうが、ここでは、製品やサービスではなく「知恵」を利用する場合として任意レンタル型サブスクリプションの応用が考えられる。 一般のサブスクリプションは定額制のサービスで、商品やサービスを必要な時一定額まで利用するという形式による。 従来のサブスクリプションは一定額内までの使用を許可するものだが、ここで提案する任意レンタル型サブスクリプションは『一定価値』までの使用を許可するものである。 資産をレンタルしてサブクリプションにするとバランスシートに掲載されないオフバランスとすることができる。 すなわち、サブスクリプションでは単純なモノ売りをコト売りへと変換することができ、そのコトをさらにトランスフォーメーションにより新しい価値へ変質させることができる。 これを、クラウドサービスで利用可能とすれば資産の圧縮に繋がりROA(総資産利益率)を向上させられる。 特に、「知恵」の取引の場合では決算時だけでなく決済においても「貨幣を介さない」ですることができる。 これを任意レンタルの自動更新型サブクリクションとすると期限を意識することなく満足すべき条件を『一定価値』の総計分まで取引等を可能とすることができる。 したがって、お互いが納得する範囲内で利用しあうことができることとなる。 サブスクリプションでは顧客は商品やサービスを利用すればするほどコストもリスクも減るのが原則である。 そこで、価格競争に陥るのを避けて、顧客に満足してもらえる仕組みとして「定額制」を『定価値制』とすれば満足する結果が得られるはずである。 相手に価格を押しつけるのではなく、提供者と利用者が一緒に価値を作るのだ。 重要なポイントは、単なる定額制ではなく、データを集積し、分析し、新しいサービスにつなげていくことである。 単に販売会社やメーカーの視点で一方的にサービスを提供するのではなく、サービス提供を通じて利用者のデータを蓄積し、利用者視点でデータを分析することで、より利用者が満足できるサービスに近づけていく。 このデータの集積・分析・改善・新サービスの提供をしてこそ真の意味のサブスクリプションといえる。 ここでこれを自動シェアリングシステムに応用すれば、企業と顧客の関係を顧客同士あるいは当事者・ユーザー同士としたとしても同じことがいえるはず。 双方がシェアリングを継続してサブスクリプションを『定価値』で同意できれば満足すべき条件を『定価値』のトータル分までの取引等を可能とすることができる。 任意レンタル型とすれば、差額分の精算で済ませるかさらに異なる条件で継続することもできる。 この場合には仲間内でのアクセスログ体制の明確性が要件となる。 アクセスログは提供者と利用者の行動記録なのでその記録を分析することで相手方のニーズや自分たちのサービスの内容を知ることができる。 このためには「見える化」で「知恵」をもれなく抽出して、 「知恵」は「無形資産」で形がないので顕在化して認識できるように表現し、 オフバランスでバランスシートに載らない「知恵」は別途記載して見える化し、 自分自身ではそれを「知恵」だと意識していないものをカード等で探索して顕在化し、 他人から「知恵」だと認識されている場合を見つけ出すために情報発信すること 等によって拾いだすことを常に行っていることがログ体制の信憑性向上に繋がる。 このようにして提供者と利用者の行動記録を集約して分析することで規定のベースとなるものを構築する。 ここで、家族によって若干の意見交換をした。 私:「今の世界は、どちらかというと、情報化時代、デジタル化時代のネットワーク社会とはいうもののインターネットを基盤とするIoT、クラウド、スーパーコンピューター、量子コンピューター、スマートフォン、人工知能等ハードウエアに依存している。 また、ブロックチェーンのネットシステムに依存する暗号資産もある。 これからは、「物的資本」だけではなく「知的資本」構築を重点とする「社会的資本」、「文化的資本」をも含む人間主体での資本運用・管理への展開が必要だ。」 娘:「より人間の行動や考えを大切にしていかなければならないということか?」 息子:「「社会的資本」、「文化的資本」は大切だが、あまりにも範囲が広すぎるかもしれない。」 私:「だから特に「知的資本」重視のアソシエーションにおける個人、組織、行政、政府がそれぞれのミッションを自覚して全うできる世界を目指す。」 娘:「そうはいっても人間の「知恵」による「ノウハウ」も“モノ”にかかる“コト”から生じている場合が殆どだ。」 私:「“モノ”の“コト”に合うような使い方への「気づき」の「知恵」がいわゆる「ノウハウ」となり、「知的資本」を構成していくのだから、その周辺の「社会的資本」、「文化的資本」さらには「物的資本」合わせて考えていかなければならない。」 息子:「その場合、民事と刑事の双方にわたって考えていくことになるのか?」 孫:「当然両方にかかってくることになるが、今の経済社会では契約問題が多いのでほとんど民事事件については論じられてきたので、ここは刑事事件についても考えてみたい。」 私:「例えば、企業内で知的資本を構成することになるノウハウ等知的無形資産にかかる特別背任事件や営業秘密漏洩事件が生じた場合や企業間で知的財産権侵害事件が発生した場合には刑事事件が発生することになる。」 息子:「その場合は、刑事訴訟の対象になると思うが、普通の事件と違うところが出てくることはあるのか。」 私:「人間同士の関係において動機と証拠を確定しなければならないので、「おとり捜査」が認められる場合がある。」 娘:「「おとり捜査」とは?」 私:「捜査機関又はその依頼を受けた捜査協力者がその身分や意図を相手に隠して犯罪を実行するように働きかけ、相手がこれに応じて犯罪の実行に出たところで検挙するものをいう。 さらにコントロールデリバリーといって捜査機関が犯罪を認知した場合、その場で直ちに押収等をせず、捜査機関の厳重な監視下に置いて、流通等を許容し、追跡することによって、取引に関与した者を発見し、一網打尽に検挙する方法もある。 しかし、コントロールデリバリーはおとり捜査とは異なり、犯意を誘発するなど、捜査機関側から何らかの積極的働きかけがなされるわけではない。」 孫:「経営者がみずからの任務に違背する場合は会社法による特別背任罪に該当し、会社の所有者を裏切る行為として犯人の意図や目的が重視され、刑法にある通常の背任罪より重く処罰される。」 そこで、評価・判定の標準化について今まで検討したことを整理すれば、以下の基準および考え方のようになる。 自己所有設備等へ自己の「知恵」を直接投資する場合は、当該設備等への「知恵」投資単位あたりに生じた増加価値分が付加価値判定基準となる。 これはその「知恵」を実施できる設備等を自己の空き設備等として持っているときで、その設備等は本来の生産等に使用しないものであり、特に売却・譲渡・償却等しないものであればそれを自己の「知恵」実現に貨幣を介することなく使って生ずる価値を増加価値として判断基準とすることができる。 他人所有の設備等を使用して自己の「知恵」を直接投資して生産等する場合は、投資単位あたりに生じた差額分が付加価値判定基準となる。 この場合の取引の要件については他人が当方の「知恵」の使用を条件に当該設備等の使用を許可する場合はその結果生じた成果物は両者共有とすることができる。 すなわち、上記自己設備等使用のときと同様の扱いとなる。 「知恵」を交換する場合は実績記録を集約し、価値の差を分離してそれぞれ基準・標準化する。 その場合、それぞれの「知恵」の価値が明らかに同一のときは問題ないが、それぞれの価値が異なり、しかも一方または双方が複数の場合は容易には価値に交換についての基準が設定できない。 そのときはいままで取引等関係者間のアクセスログを利用することになる。 すべての行動データが1つのIDに紐付けられるということでオンラインとオフラインが融合した体験が提供され、その時々に最適な「知恵」を融通無碍に選べるようになる。 そしてそれらのデータを自己の利益にのみつなげるのではなく、相互の信頼関係を作っていくことで提供価値の増幅が可能となる。 そして、その取引等に関連するデータのうち「知恵」の価値判定に重要な意味を有するものを集約して該当項目ごとに分析し、最も好ましい項目を抽出して基準の核とする。
「家庭」ならぬ「家族」との検討
知的資本への家族の見解
私:「今の世界は、どちらかというと、情報化時代、デジタル化時代のネットワーク社会とはいうもののインターネットを基盤とするIoT、クラウド、スーパーコンピューター、量子コンピュータ、スマートフォン、人工知能等ハードウエアに依存している。 また、ブロックチェーンのネットシステムに依存する暗号資産もある。 これからは、「物的資本」だけではなく「知的資本」構築を重点とする「社会的資本」、「文化的資本」をも含む人間主体での資本運用・管理への展開が必要だ。」
娘:「より人間の行動や考えを大切にしていかなければならないということか?」
息子:「社会的資本」、「文化的資本」は大切だが、あまりにも範囲が広すぎるかもしれない。」
私:「だから特に「知的資本」重視のアソシエーションにおける個人、組織、行政、政府がそれぞれのミッションを自覚して全うできる世界を目指すべきだ。」
娘:「そうはいっても人間の「知恵」による「ノウハウ」も“モノ”にかかる“コト”から生じている場合が殆どだ。」
私:「“モノ”の“コト”に合うような使い方への「気づき」の「知恵」がいわゆる「ノウハウ」となり、「知的資本」を構成していくのだから、その周辺の「社会的資本」、「文化的資本」さらには「物的資本」合わせて考えていかなければならない。」
息子:「その場合、民事と刑事の双方にわたって考えていくことになるのか」
孫:「当然両方にかかってくることになる。しかし、今の経済社会では契約問題が多いのでほとんど民事事件については論じられてきたので、ここは刑事事件についても考えてみたい。」
私:「例えば、企業内で知的資本を構成することになるノウハウ等知的無形資産にかかる特別背任事件や営業秘密漏洩事件が生じた場合や企業間で知的財産権侵害事件が発生した場合には刑事事件が発生することになる。」
息子:「その場合は、刑事訴訟の対象になると思うが、普通の事件と違うところが出てくることはあるのか。」
私:「人間同士の関係において動機と証拠を確定しなければならないので、「おとり捜査」が認められる場合がある。」
娘:「「おとり捜査」とは?」
私:「捜査機関又はその依頼を受けた捜査協力者がその身分や意図を相手に隠して犯罪を実行するように働きかけ、相手がこれに応じて犯罪の実行に出たところで検挙するものをいう。 さらにコントロールデリバリーといって捜査機関が犯罪を認知した場合、その場で直ちに押収等をせず、捜査機関の厳重な監視下に置いて、流通等を許容し、追跡することによって、取引に関与した者を発見し、一網打尽に検挙する方法もある。 しかし、コントロールデリバリーはおとり捜査とは異なり、犯意を誘発するなど、捜査機関側から何らかの積極的働きかけがなされるわけではない。」
息子:「経営者がみずからの任務に違背する場合は会社法による特別背任罪に該当し、会社の所有者を裏切る行為として犯人の意図や目的が重視され、刑法にある通常の背任罪より重く処罰されるはずだ。」
評価・判定の標準化
若干ややこしくなったのでここで私は以上についてまとめることにした。
評価・判定の標準化について今まで検討したことを整理すれば、以下の基準および考え方のようになる。
自己所有設備等へ自己の「知恵」を直接投資する場合は、当該設備等への「知恵」投資単位あたりに生じた増加価値分が付加価値判定基準となる。 これはその「知恵」を実施できる設備等を自己の空き設備等として持っているときで、その設備等は本来の生産等に使用しないものであり、特に売却・譲渡・償却等しないものであればそれを自己の「知恵」実現に貨幣を介することなく使って生ずる価値を増加価値として判断基準とすることができる。 他人所有の設備等を使用して自己の「知恵」を直接投資して生産等する場合は、投資単位あたりに生じた差額分が付加価値判定基準となる。 この場合の取引の要件については他人が当方の「知恵」の使用を条件に当該設備等の使用を許可する場合はその結果生じた成果物は両者共有とすることができる。 すなわち、自己設備等使用のときと同様の扱いとなる。 「知恵」を交換する場合は実績記録を集約し、価値の差を分離してそれぞれ基準・標準化する。 その場合、それぞれの「知恵」の価値が明らかに同一のときは問題ないが、それぞれの価値が異なり、しかも一方または双方が複数の場合は容易には価値に交換についての基準が設定できない。 そのときはいままで取引等関係者間のアクセスログを利用することになる。 すべての行動データが1つのIDに紐付けられるということでオンバランスとオフラバランスが融合した体験が提供され、その時々に最適な「知恵」を融通無碍に選べるようになる。 そしてそれらのデータを自己の利益にのみつなげるのではなく、相互の信頼関係を作っていくことで提供価値の増幅が可能となる。 そして、その取引等に関連するデータのうち「知恵」の価値判定に重要な意味を有するものを集約して該当項目ごとに分析し、最も好ましい項目を抽出して基準の核とする。 知的資本と金融の関係 日常の生活のなかで今最もたいせつな事柄とされているのは何かについて考えてみる。 当然、衣食住及びそれらにかかる生活必需品は重要なものとして欠くことはできないが、個人においても企業においてもそれらの「物」についての「情報」はそれ以上に必要不可欠とされるようになった。 工場での大量生産においていかに売れるものを作るかのマネジリアル・マーケティングから、いかに上手く流通させるかのサプライチェーン・マネージメントまで「物」を制するのは「情報」だ。 さらにその情報を使用しても、個人も企業も各自個別に対応していたのでは勝ち残れないとの自覚のもとに他企業との共働によるオープンソリューションで乗り切ろうとしている。 今まで企業は垂直に統合され、それぞれの企業間はほとんど物的結合で成り立っていたが、今日、各企業においては、その仕入れ先や顧客との結び付きが目に見えない精神的結合として実在し、そして、機能するようになってきた。 また、これからの産業界では、物的資産としての物やサービス自体の価値の提供とともに、それにも増して精神的価値としての知的無形資産を提供することの重要性が高まってきている。 そこでさらに、これら知的財産権としても保護されない無形の知的財産をも含む無形資産の法的、経済的位置づけを行い、産業財としての知的財産構成による知的資本を蓄積するために、創作的に知的資産を構成してコンテンツの流通を図り、新たな富としての経済的価値体系を創造することにより未来への遺産を構築することを考える。 知的財産権と言われる特許権・著作権等及びそれらの権利にいたらないノウハウ等の知的財産からなる資産を総称し一般的にて知的資産と言っている。 これらの資産により資本を構成した場合、知的資本という。 知的資本には人的資本をも含む。 すなわち、ノウハウ・スキル等の人的資産に基づく投資によって構成される人的資本は知的資本として資本金に組み入れることがでる。 金銭的余裕のない小規模経営者でも当該経営に必要な技術についてのノウハウ・スキル等を用いて投資を行い資本とすることができる。 今や、伝統的な無形資産のほかに、知的資産、人的資産・情報資産・組織資産といった企業価値の創造に大きな貢献を果たす無形資産の存在が無視できなくなった。 インタンジブルズとは、財の生産やサービスの提供に貢献する非物質的資産であり、それを利用する個人又は企業に対して将来の経済的便益を生み出すと期待される無形資産のことを言う。 「ノウハウ・スキル」はもとより、「のれん」や「ブランド」もインタンジブルズに含まれる。 近年では企業存続、事業継承の有効な手段としてのM&Aに伴うインタンジブルズの評価も重要な企業価値評価項目の一つとされている。 単に売上高や利益率を判断材料にするだけでなく、いかにクリエイティブな発想で仕事をしてきたか、そして未来に向けて発展する要素がどれくらいあるかに目が向けられる。 M&Aを通じて獲得されたインタンジブルズを企業価値に結びつけるにあたり、理念、ビジョンの浸透、ビジネスモデルや戦略、経営目標、経営計画達成に係る実行力が重要な役割を果たす。 企業の買収において、支払った金額と買収先の純資産の差額を“のれん代”としているのが見受けられる。 この場合の買収では、ブランド力や技術力など目に見えないものも考慮して、残存資産額の 合計を上回る値段で買うこととなる。 即ち、各企業が持つブランド、ノウハウ、顧客との関係、従業員の能力等の無形財産を評価するのである。 つまり、買収金額から買収される企業の純資産をマイナスしたものをのれん代とする。 無形固定資産は企業の長い期間の地道な活動の積み上げによって作られる。 従って、のれん代を支払う意義は、買取側の無形固定資産を作るための時間を買うことにもなる。 物的資産や知的資産への膨大な投資ができない小規模企業においても、インタンジブルズという無形資産を有効に活用することによる新たな戦略展開が可能となる。 そのために、人々の知恵としてのノウハウ等のインタンジブルズを含むコンテンツを蓄積・流通させるためのインタンジブルアセットアーカイブをベースとした「ノウハウライブラリー」を企画・展開した。 デジタルアーカイブ時代にいたってもなおハイブリッドに展開する知を保存し、利用に供することを使命とするためには、図書館の活動もテクノロジー環境の変容とともに再定義されなければならない。 尚、ライブラリーとして開かれた情報交換の場とするとともにパブリックドメインとなりえないものについてはクリエイティブコモンズの考え方も導入する余地がある。 こういったあらゆる手段を視野に入れて、ノウハウ・スキル等コンテンツの蓄積・流通を通してインタンジブルズを生かした知的資産を構成し、知的資本の構築をしていくことを目的とするためにはその媒体として「ノウハウライブラリー」を介在させることを提案している。 「ノウハウライブラリー」では、こういったあらゆる手段を視野に入れて、ノウハウ・スキル等コンテンツの蓄積・流通を通してインタンジブルズを生かした有用な知的財産を構成し、知的資本の構築をしていく。 今やAIブームといってもよいほどであり、囲碁や将棋の世界で名人が人工知能を搭載したコンピュータに負けたとのニュースが世界を走りまわっている。 しかしながらそれを作ったのは人であり、人間の知恵で作り上げたものに人間が負けるという矛盾だらけの議論を繰り返す前に、その問題を解決する方法を考えることを忘れてはならない。 人工知能の研究開発を進めている先端企業も本来の人間の「知恵」で作り上げられている現状を見失うと思わぬ落とし穴に落ち込むことになりかねない。 すなわち、我々は次のことに留意し、できれば一度原点に帰って足元を固めなければならない。 個人企業、小規模企業、小規模事務所について等閑視できないこととして情報のバンドル化の可能性がある。 相当な技術開発活動をしていながらそれに対応すべきほどの知的財産管理部門を有していない小規模企業及び個人レベルで開業している事業者とそれらの代理人の情報を集約し、それぞれの知的資産管理ニーズを満足させる情報を提供するための情報サービス事業を展開することを考える。 資源保有国ではない日本の産業は特許、ノウハウ等の知的財産の蓄積、活用で世界と勝負しなければならない。 しかしながら、現実は大企業と大事務所間で膨大な受発注が行われることを通じて包括的知的財産管理による国際的権利化処理が行われており、小規模企業や個人事務所の入る余地は少ない。 さらに、個人レベルでは対処方法の煩雑さのため大企業等の後塵を拝することにもなる。 また、権利化処理のパワーについては大企業と大事務所の優位性を否定することができないのが実状である。 しかも、小規模企業や個人は権利化手続きをすることにつき資金的にも要員的にも他の経営資源に優先すべきかどうかの判断に迷うところがあり、代理人としての個人事務所はそうした悩みを有する者の存在を把握していたとしても一業種一社の制約から対応が難しい状況にある。 しかし、人的資源を地道に的確に仕事に役立てている人や企業を忘れてはならない。 日本の小規模企業には特徴のある技術・技能で世界市場において高いシェアーを誇るものも多い。 ましてや昨今は、新規企業がベンチャーから発してグローバル企業となることも多い。 この風潮を先取りするために、地域に眠る優れた知的資産をバンドルして日本の知的資本を育成・構築できるチャンスを逃さないようにしなければならない。 そこで、小規模企業と個人レベルの知財専門家間の情報流通を促進することにより、開発した技術やノウハウの蓄積・流通の仲立ちをするとともに、それらのうちの権利化可能案件を「ノウハウライブラリー」で開示し、それら専門家が同業種からの受任制限を受けることを少なくするようにしなければならないと考える。 そうすることにより、事業者側には適切な特許等知的財産権または営業秘密を含むノウハウが蓄積され、知的財産専門家側では適切な顧客を適量確保できるようになる。 そして、市場制圧しようとするスタンダード、例えば優位企業によるデファクトスタンダードによる事実上の市場支配やパテントプールによる参入排除には対抗できない個人や小規模経営者にも知的資産の蓄積・流通の機会が得られることにより対応できるようにしなければならないと考える。
次に、金融問題についても家族と話し合ってみた。
孫:「知的資本を考えるにあたって、金融との関係をどうするかも重要問題だと言えるのではないだろうか。」
娘:「実体のある財産や取引、金融的な価値や損益と連動した指標の全部もしくは一部に支払いが連動した経済的収益・損失をもたらす金融的な取引や金融商品にデリバティブ(金融派生商品)がある。典型的には先物、オプション、スワップがある。」
息子:「また、金融サービス仲介制度は、一つの登録で銀行・証券・保険のすべてのサービスの仲介ができる制度で、利用者保護を図るものだ。」
私:「さらに預託法、正確には「特定商品等の預託等取引契約に関する法律」が成立し、消費者に対し貴金属や宝石やゴルフ会員権などの施設利用権等販売し、その商品等をひきわたすことなく、代わりに預かり証等を交付し、その商品運用することで購入した際の金額以上の利益を得ることができるとして特定商品等を購入させることに関する預託取引が広く制約されることとなった。」
娘:「また、デリバティブについても注意しなければならない。」
私:「実態のある財産や取引、金融的な価値や損益と連動した指標の全部もしくは一部に支払いが連動した経済的な収益・損益をもたらす金融的な取引や金融商品をデリバティブという。」
娘:「取引と金融商品の違いは?」
私:「取引は当事者同士の相対の契約によるものをいい、金融商品は当事者の一方である金融機関等により高度に定型化されているものをいう。」
娘:「デリバティブのうち特筆できる点は?」
私:「当事者間の取引で銀行から実際にお金を借り入れる必要がなく、バランスシートに資産と負債が両建てになることもないオフバランス取引がある。」
無形資産の担保
孫: 「無形資産が担保となるという動きがあるが。」
娘:「土地や工場などの不動産だけでなく、無形資産を含めた事業全体を担保として、企業が銀行から借り入れできるように法制化される動きがあるようだ。」
息子: 「確かに二年ぐらい前から新聞等で、それまで銀行では原則として知的財産権等の無形資産は銀行借り受けの担保にならないとされていたのを変更して積極的に担保化可能にしていく動きについて報道があった。」
私: 「法務省が担保法の見直しに向けて金融庁も含めて2021年に議論を公開したものだ。 無形資産を含めた事業全体に対する事業成長担保権を検討するという内容だ。有形資産に乏 しくとも将来性があれば事業全体に対する担保権を設定できようにするとのことだった。」
息子: 「無形資産に含まれる無形財産のうちのオフバラン部分が資産勘定にならないことに よる貨幣を介さないで取引等が可能なことと関係はあるのか?」
私: 「2020年頃からうわさにはあったが、このたび政府が新法制定を目指す方針を固めたと 一部新聞による報道があったことは事実だ。 銀行が評価できるものであれば無形資産も担保の対象になるということで、国家経済、金融 政策の一環として、中小企業の資金難に対する融資の幅を広げようとするもので、銀行の融資戦略や国の税制と関係してくるものだから、基本的に観点は異なり直接的に影響はないものと考える。」、 貨幣を介さない取引 そこで、オフバランスたる「知恵」が「貨幣を介さない」で取引等が行われた場合にはどのような処理が行われるべきかについて検討する。 オフバランスたる「知恵」は資産ではないのでそのままでは処理の対象にならない。 したがって、オフバランスの「知恵」についてアクセスログから登録さされたデータ等を参照して独自の評価をすることになる。 これは必ずしも利益が期待できるわけではないので損益の認識を繰り延べる評価をすることができることになる。 すなわちオフバランスたる「知恵」の取引等は損益の評価をすることなく処理ができることとなる。 そして、取引等の結果で業績増大すれば自己資本利益率向上に資することができる。 しかし、「貨幣を介する」か否かで全体を2分したオフバランス以外のオンバランス資産は従来どおり資産を構成するので損益を認識できることとなる。 すなわちオフバランスの「知恵」の取引等は損益の評価をすることなく処理できるが、それ以外のオンバランス資産の取引等は従来どおり損益を評価して処理されることとなる。 さらに、取引等の結果は「貨幣を介する」場合の損益だけで処理されることになる。 でも、取引等の結果の業績評価では「知恵」で価値増加した分が付加されることとなる。 したがって、「貨幣を介さない」取引等は会計上資産によるものとしては現れない業績をあげることができることになり、それは一般の処理とは別になされることとなる。 すなわち、会計上の資産ではないとはいうものの、業績上の評価に貢献するものなので、内部的には資産と同等に項目をあげて管理し、取引等の評価対象項目とする。 例えば、取引上対象となる一般資産とともに「知恵」の項目をあげて相手方とM&A契約交渉をする場合に譲渡側は「のれん」の価値を主張することができる効果がある。 この例えのように「知恵」のみの取引交渉のみならず、「知恵」とともに一般資産を含む取引等における契約交渉でも一方または双方が一般資産とともに「知恵」の項目をあげて条件交渉をすることができる 金融商品等
次に金融商品(デリバティブ)等について皆で検討した。
息子:「金融商品のなかでデリバティブと言われる金融派生商品は資産を圧縮して貸借対照表上資産隠しができると言われているが?」 私:「その場合、確かにバランスシート上で資産とならず、オフバランスとなることがある。しかし、期間計算上そうなるだけで、決算時には資産勘定となってオンバランスとなる。 それよりも、知的資本を検討するにあたってノウハウ等知的無形財産で貸借対照表の資産に計上されない部分がある。 知的資本を構成する要因として人の「気付き」による「知恵」でいわゆる「ノウハウ」の中でバランスシート上オフバランスとされる部分である。」
息子:「その場合の効用は?」
私:「そのときには、自分の「知恵」や「ノウハウ」を交換・取引するには貨幣を介さないですることができる。」
孫:「無制限にか?」
私:「あくまでオフバランスとされるのは財務諸表上の資産勘定として計上されることがない場合に限られる。 「知恵」や「ノウハウ」を自分で創作した場合、会計上の貨幣価値を算定できないから資産として計上しないのであって、第三者からそれを有償で購入したときには当然、その価格で資産計上され、オンバランス勘定となる。」
孫:「どうしてそうなるのか?」
私:「自分で創作した場合、資産としての評価を確定できないし、勘定として不安定だからだ。」
娘:「先物取引等デリバティブの場合はオフバランスとなるので、貨幣を介さないで取引等ができるのではないか?」
私:「先ほども触れたように、期間計算上そうなるだけで、決算時には資産勘定となってオンバランスとなるので原則として資産として貨幣を介して取引等される対象となる。 ただし、仲間同士の取引に際して「ノウハウ」・「知恵」の受け渡ししか行われない場合には先物取引等デリバティブの場合でもオフバランスで「貨幣を介さない」取引が可能となる。この場合、「ノウハウ」・「知恵」を含んだオンバランス資産ならオフバランスの先物取引等で将来にわたって「貨幣を介さない」で「知恵」の蓄積を可能とする。」
孫:「「貨幣を介さない」とは「お金を使わない」ということか?」
私:「そうだ。すなわち「金銭を支払うことなく」交換や取引や投資ができるということだ。」
娘:「貨幣というと今では硬貨のことだと思っているが?」 私:「それは紙幣との区別をするためにそう言っているだけで、趣旨からいうとどちらも通貨ということだ。」
息子:「今、われわれはカードマネーを使うことも多くなっているが?」
私:「実際にはカード等を使って預金から支払っているだけで、ネット取引についても同じことが言える。 したがって、預金通貨や帳簿通貨を使って取引等をしても貨幣を介していることになる。」
息子:「ビットコイン等暗号資産(仮想通貨)での取引等についも「貨幣を介して」と言えるのか?」
私:「ビットコイン等暗号資産(仮想通貨)は電子データのみでやりとりされる通貨であり、法定通貨のように国家による強制通用力(金銭債務の弁済手段として用いられる法的効力)を持たたないので必ずしも貨幣と言い得ない点はあるが、高額な電気代を使ってマイニング(暗号資産の発掘)をしているので産業を構成する手段で生成されており、当事者間の取引等においては「貨幣を介して」と言える。 しかし、ビットコインは実物資産による価値の裏付けを欠く電子データにすぎないことも事実で、単なるバブルだと考えている人も少なくない。」
先物取引
次に先物取引について議論した。
私:「先物取引とはある商品を数カ月先のある時期に受け渡しすることを条件とする売買契約を締結し、その時期が来る前に転売や買戻しをすることにより、実際には商品の受け渡しをしないでその間の値動きの差金決済により損益を出して終わらせる取引をいう。」
孫:「その取引で一般に問題とされていることは何か?」
息子:「投機性・危険性を隠蔽して委託証拠金交付させる行為、実際には取引をせず自身が相手方となって売買を成立させるいわゆる呑み行為、預かった金を様々な手口で自分のものにする客殺し商法などがある。
娘:「でも、「貨幣を介しない取引」では問題にならないのではないか。」
私:「商品先物取引法では悪質な取引仲介業者等が先物取引の知識が不十分な主婦や高齢者等の消費者を勧誘し、委託証拠金を等の名目で金銭を巻き上げるのを防ぐことをも目的とする。したがって、個人間や仲間の間での貨幣を介さないで先物取引で仲介業者が入らない場合には問題にならない。」
さらにシェアリングについて
私: 「「ノウハウ」等の「知恵」のシェアについてはどうだろう。」
孫: 「「知恵」は貨幣を介さない取引の対象になるとのことだが。」
娘:「オフバランスならば資産とならないから、お金による取引でなくてもよいことになる。
息子: 「でも、その取引が当事者同士のものならよいが、「仲介」を業とすると問題があるのではないか?」
私: 「銀行法や弁護士法等に抵触しないようにしなければならない。すなわち「行として」「仲介を「することのないようにしなければならない。すなわち、反復的にまたは反復の意思をもって仲介事務の取り扱い等をし、それが業務性帯びることのないようにしなければならないということだ。」
貨幣を介さないで取引ができるメリット
息子: 「貨幣を介さないで取引ができるということにはどのような根拠があるのだろう?」
私: 「一般に金銭によらない投資の場合、その投資に対応したメリットについての事前の期待に照らして事後のメリットを把握することができるという期待を持てるかどうかを根拠とする。 すなわち、金銭以外による投資のときは、事前に投資の利益が期待できることがある場合には投資後の成果を把握できるということだ。 交換によって移転する資産に対するリスクから解放された時には損益を認識し、必ずしもそのリスクから免れていないのであれば損益の認識をしない処理を選べることになる。 すなわち、金銭での交換による場合には損益を認識し、金銭によらない資産投資は損益の認識を要しないでよいことになる。 しかし、金銭によらない資産の場合については一般的に述べているにすぎない。 そこで、オフバランスたる「知恵」が「貨幣を介さない」で取引等が行われた場合にはどのような処理が行われるべきかについて検討することにしよう。 オフバランスたる「知恵」は資産ではないのでそのままでは処理の対象にならない。 したがって、オフバランスの「知恵」についてアクセスログから登録さされたデータ等を参照して独自の評価をすることになる。 これは必ずしも利益が期待できるわけではないので損益の認識を繰り延べる評価をすることができることになる。 すなわちオフバランスたる「知恵」の取引等は損益の評価をすることなく処理ができることとなる。 そして、取引等の結果で業績増大すれば自己資本利益率向上に資することができる。」
息子:「オフバランスの場合はだいたいわかったが、それ以外についてはどういうことになるのだろうか?」
私:「「貨幣を介する」か否かで全体を2分したオフバランス以外のオンバランス資産は従来どおり資産を構成するので損益を認識できることとなる。 すなわちオフバランスの「知恵」の取引等は損益の評価をすることなく処理できるが、それ以外のオンバランス資産の取引等は従来どおり損益を評価して処理されることとなる。 さらに、取引等の結果は「貨幣を介する」場合の損益だけで処理されることになる。 でも、取引等の結果の業績評価では「知恵」で価値増加した分が付加されることとなる。 したがって、「貨幣を介さない」取引等は会計上資産によるものとしては現れない業績をあげることができることになり、それは一般の処理とは別になされることとなる。 すなわち、会計上の資産ではないとはいうものの、業績上の評価に貢献するものなので、内部的には資産と同等に項目をあげて管理し、取引等の評価対象項目とする。」
娘:「具体的には?」
私:「例えば、前にも言ったが、取引上対象となる一般資産とともに「知恵」の項目をあげて相手方とM&A契約交渉をする場合に譲渡側は「のれん」となるべき「価値」を主張することができる効果がある。 また、「知恵」の取引交渉のみならず、「知恵」とともに一般資産を含む取引等における契約交渉でも一方または双方が一般資産とともに「知恵」の項目をあげて条件交渉をすることができる。」
孫:「そのような効果をあげるためには相当な配慮がなされてなければならないと思うが。」
私:「そのとおり、「知恵」や「ノウハウ」に気付いたら、常にその「見える化」を図り、資産勘定以外についてもその成り立ちや根拠を記録しておく必要がある。」
娘:「通常の会計処理では勘定科目にならない場合は記録として残さないのが普通だが?」
私:「会計計算での勘定科目ではないものだからこそ自己独自の記録として整理しておき、交渉にあたって先手をとってそれら「知恵」や「ノウハウ」が有する価値を相手に主張して、妥当な評価を得るために役立たせる。」
経済的メリット
息子: 「貨幣を介さないで取引ができることのその他のメリットは?」
私: 「資金繰りに窮している中小企業等への直接的効果があるとともに、そのような企業主が事業を継続するために「お金を使わないでもできる方法があるならここで諦めることはないな」と思わせる心理的後押しをして、本当は撤退しようとしている事業者に奮起一発「ゆたかな生活」推進に貢献させることだ。」
娘: 「そこまでいくにはそう簡単にではなく、かなりの工夫が必要だと思うが?」
私: 「そのとおり。日本の中小企業等が古来から有する世界のどの企業より優れた「ノウハウ等」を持っているので、それを活用することによって、持続可能な開発ができ、大企業や海外列の強にも対抗できる態勢を組むことができることを知らしめることだ。」
息子:「そして、次世代への遺産としての知的資本というさらに大きな財産を手中にすることができる。」
孫: 「それこそ「ゆたかな生活」への王道だと言える。」
私: 「日本には大開発につながる優れた要素技術としてのノウハウを持っている個人・零細企業が豊富に存在するにもかかわらず、それらが使われることなく自身の内にしまい込まれてしまい、使われることがないままに忘れ去られてしまう。 そして残念なことに、それらに気付いた列強に先を越されてしまうことが多い。 日本人によるiモードがiPodに活用され、その後iPad、スマートフォンとして世界的大ブームにつながったことを忘れてはならない。 日本にはアメリカ人のように開拓精神に富んだ起業家が少ない。 だから、下手にアメリカに追従するのをやめて、本来的に持っている極意伝承の精神を生かして日本特有なノウハウを活かしていくべきだ。 そして、いくつもの同業企業が競い合って潰しあうことをやめて使える「{知恵」を集めてノウハウの一本化を図ることが大切だ。 各企業がお互いに「気付き」あうことによる「知恵」の活用により、皆のノウハウを活かしあうことである。 バランスシート上資産とならない自己のノウハウ等知的無形資産のうち「知恵」、特にオフバランスで「貨幣を介さない」取引等についてはお金を使わないで取引ができるメリットがある。」
息子:「金融業界やそれによって支配される産業界にも問題があると言えるのでは?」
私:「金融業界では内輪で資金を回し、民間企業では株式価値最大化のため自己株買いのために資金をまわして為にする取引をしていることも多い。 個人や一般家庭でももっぱらお金だけが「ゆたかな生活」の全てだと考えられていることが多い。 今や、そうではなく、各界が自らのミッションを全うすることで「ゆたかな生活」を求めることができることに気づかなければならない。」
娘:「我々民間でも同じことが言える。」
私:「本来交換の媒体である貨幣を商品化し、お金によってお金を増やそうとして蓄財の対象にしてしまっていることは何ら「ゆたかな生活」役に立たないことに早く気付かなければならない。 このままでは次世代への遺産としての知的資本蓄積はままならない。そのために、「知恵」の「貨幣を介さない」取引について追求する。 そのためには他人を変えるという改革より、自分および仲間同士の当事者による「知恵」の先物取引でも家庭や仲間レベルで改善可能になるように「知恵」を働かせる。」
血族と親族
私は考えた。 息子や娘と孫が命をつないでくれるから私は生きながらえる。 肉体的には代替わりするとしても、魂は継続し続ける。 娘の家族である孫が社会人になった。 無職だった私の息子が職を持った。 したがって扶養家族ではなくなる。 妻だけが家族のはずだが、もとは他人だ。 生活を共にしていない以上家庭の一員ともいえない。 しかし、息子と娘の母親であるので彼らの肉親であることには間違いない。 私たちはそれぞれ、血族あるいは親族関係にあるといえる。 この関係で生きるための「知恵」が継続しているのだから私の命はとても私一人のものだとはいえない。 また、孤独な生活環境であったとしても、魂は一体として命をつないでいる。 私の父母・兄弟はすでにこの世にはいない。 しかし、「いとこ会」のメンバーとその親族は健在のものも多い。 したがって、限りなく後継者に恵まれているといえる。 親子ほど年の離れたいとこもいるのでその子、さらにはその孫までをも含めると相当数のメンバーになる。 直系だけでなく傍系をも含め、父方、母方に展開すると、端から端は見えなくなる。 いずれにしても、血縁、地縁その他何らかの縁をもって連携しているといえる。 この繋がりを考えると私個人としてのプラス人生はとてつもない広がりの原型を持っていることになる。 これに新しい仲間を加えるとその広がりは倍増する。 共感によるコミュニケーション さらに私は考えた。 人が何を意図し、何を目的にして、どういう気持ちでいるかがわかるというのが共感力である。 それはおもに家族生活等複数人のなかで育まれる。 大勢の中で育まれる共感力は直観力にもつながる。 この直観力によれば人との関係で自分を見つめ直すことができるので、自我を収縮させ「気付き」を生む。 新しい家庭を築いた娘とは二十数年前に彼女が結婚してから孫にかかわること以外、ほとんど交流はなかった。 しかし、孫が生まれてからは人気機関車トイの“トーマスエンジン”の新モデルがでるたびに全てプレゼントした。 また、交通博物館が大宮に移転・新設されたときに早速連れて行ったことがあったくらいだった。 でも、娘にはこの二十年以上、年賀状用に私と孫とのツーショットを年に一回撮影してもらっている。 このたびの妻の件については、娘は彼女から具体的内容についてはいっさい知らされてなかったという。 しかし、今までのいきさつを私から短時間聞いただけでとりあえずエアコンをプレゼントしてくれた。 生まれてからこの方の私の生活態度、妻の性格を知りつくしていたからこその状況判断だと思える。 息子にしても、あらゆる生活用具を処分した後、自分の自転車だけを私のために残してくれた。 私が車の免許証を返してしまっていることをも考えたようだ。 この免許証返納にも関連するが、妻が東京にいないので息子が使っていた妻の自転車を私も借用していた。 ある時、交通事故に巻き込まれて、自転車ともども路面に叩きつけられた。 自転車は全壊で私は救急病院行きだった。 息子は新たにに自分用に購入して使っていた自転車を提供してくれたのだった。 娘と息子とは特に家庭の関係がどうすれば良いかについて、話し合っていない。 でも、何も言わなくとも、共感する直観が働いて具体的行動に現れる。 数年に一度くらいしか会わない「いとこ会」のメンバーについても同じことが言える。 年齢が離れていても、直系でなくとも共感する直観は働く。 血縁関係が無い場合でも婚姻等によりネットワークは繋がる。 これらの関係によって引き継がれる生き様は変えられない歴代の記憶としてそれぞれの意識に残って伝承される。 共感によるコミュニケーションネットワークだ。 親戚 「いとこ会」は父方の家系によるものだった。 父には9人の兄弟姉妹がいて、大伯父のいとことの兄弟姉妹関係を合わせるとかなりの人数になった。 しかし、母には姉が一人いるだけだった。 その姉である伯母には子供がいなかった。 女子大をでた後、魚河岸の親方の後妻になった。 そして、漢文・古文の教師をしつつ、観世流能楽師範となった。 不思議なことに私のいとこが観世流の家老格家の能楽師の嫁となったのでその夫婦は「いとこ会」の一員だったが、その夫の弟子でもある伯母はメンバーではなかった。 幼少の頃からその伯母に連れられて、「うたい」の稽古で「牛若」なんぞをやらされた記憶がある。 その後の「いとこ会」では「はとこ」等と謡曲の話にも花が咲いた どういうわけか、大学生活費用の仕送りは伯母から受けた。 その後、戸籍には私がその伯母の養子になり、その後原籍に戻ったことが記録されていたことに気がついた。 その先祖を祀れるのは私しかいないので、伯母と母が亡くなった後、生地の菩提寺を数ヶ月間捜し回った。 ようやく母方のふるさとのある寺で目当ての墓に巡りあった。 ご住職からの 「お待ちしておりました。」との声。 ご住職の先祖のお墓に共に祀ってもらっていたが、ちょうど分けたいと思っていたところだという。 母方を継ぐのは私しかいないので、とりあえず事情を説明して、同寺内に移してもらった。 母方の親戚は私の後継に尽きることになる。 異母兄の母方の親戚は高名な学者で東京美術学校(芸大)教授だったが私との血縁はない。 でも、父や兄を通じて親戚付き合いはされた。 そして、異母兄の嫁達である義姉達の両親や兄弟等とは常時親しい親戚関係にあった。 プラス人生における共感 親戚・姻戚を除くと後は友人・知人になる。 家族、親族、親戚以上に親密な関係にある友人・知人はおおぜいる。 遺伝的・法的に関係はなくても生活環境の緊密度が高い場合も多い。 ここで、プラスの人生での友人・知人との共感を考える。 血縁がない友人・知人との共感は同時に生きている間柄でのみ可能となる。 家族・親族のように血縁のある血族および姻族は遺伝子の承継による共感ができる。 友人・知人のとの共感は血縁がつながる限りにおいて過去に遡ることができる。 これら共感の仕方は、血縁によって遡れるかどうかによって異なる。 プラスの人生における共感は、この違いをわきまえてする。 血縁とは縦に、それ以外とは横に繋がる「知恵」を共感する。 人間が生きる意味 さらに私は考える。 過去と未来が無限に続く限りものごとに始めと終わりはない。 何かが存在し始めて、生命を生み、脳が発生して、意識・知能が生まれそれらが遺伝する。 我々にとってそこに意識・知能が生じたときがはじめで、それがなくなれば終わりだ。 意識・知能の縦と横の繋がりが共感を呼び、そこに「知恵」の共有と人生の共存が生まれる。 人が生きていく意味は個人として全体のためにどのようにあるべきかにある。 そして、他人のため、次世代のために役立つ何かを遺せることに意義がある。 私の八十年は、家族・親族、友人・知人とともに受け継いだ「知恵」を活かすための準備期間だった。 これからはそれを活かすという方向性は決まったとしてもどう跳ぶかはまだ調整が可能な段階。 また、着地点をどこにするかはこれからの跳び方によって決まる。 さらに、その着地点から次の飛躍にはさらに大きな可能性が秘められている。 八十歳から飛躍して、第一の着地は二十年先か。 第二の着地はそれからさらに二十年先か。 一年毎、一日毎、今の一分一秒、自己の心身を健全に維持していればそれがどこで終わるかは問題にならない。 ひとつひとつを心の遺産とし、心身ともにこれから広がる次世代の世界に残っていくことで人生の意味を創っていく。 そこに新しいプラス人生が生まれる。 この八十年で家族・親族、友人・知人とともに培った知恵を新しい仲間とともにいかに活かしていくかである。 第二の人生では経営者に向けて「知恵」を活かした「ゆたかな生活」のための知的資本の構築について提案した。 これをこれからのプラス人生では家族・親族、友人・知人とともに培っていく。 家族・親族については今までだけでなく、これから構成していくものをも含める。 友人・知人についてはこれからのものが重要になる。 「知恵」のやりとりの結果を活用するためにその情報を共有する。 そのために個人を中心とするオープンなプラットフォームが有効となる。 すなわち「知恵」を仲間うちで共有して人々を中心にあらゆる情報をオープンに活用してともに価値を創造する。 価値の創造を重視し、誰がどの「知恵」を活用したかを後から検証できるようにしておけばいちいち同意を必要としない。 活用の記録を残しながら、その目的にかなった使い方をすれば、パンデミックや経済的パニックが起きたときは、同意なしでも特定のミッションを背負った人々にデータの使用を許可できるようにする。 同意が必要な案件でも、非常事態の場合には必要な範囲で使える旨の取り決めをしておけば問題は解決する。 さらに、このプラットフォームの利用者相互の紹介により新規利用者を獲得することができる。 既存の利用者にはインセンティブを与えることにすればその効果は抜群に向上する。 仲間と「知恵」の共有 ここで、集まった仲間の間で共有の基礎とされた「知恵」をベースとして活用について妥当な取り決めをする。
娘:「ではその取り決めはどのように設定すべきだろうか。」
息子:「たとえば、次のようにしたらどうだろう。仲間の一方が「知恵」を持っていて他方がその「知恵」を使って活用する場合、両者間で合意が出来た範囲でその「知恵」を使い合えるとする。 すなわち一方が製造方法の「知恵」があり、他方がそれを製造する設備があってそれぞれそれ以上の資金がない場合に双方無償で使いあうことで活用することができるとする。 次に、一方の「知恵」と他方の「知恵」を交互に活用する場合、すでにそれぞれが蓄積している「知恵」を比較しあって合意の上で使いあい、その実績を記録して活用度を確認する。例えば、双方が活用について別々の「知恵」があるがそれ以上の活用資金がない場合に、持ち寄った「知恵」により新たな活用をしてその成果を無償で利用する。その累積において必要が生じたときには過去の実績に応じて差し引き評価すこととする。
娘:「共有等が複数にわたるときなどはどうだろう。」
私:「知恵」を含まないものが混在する場合にも本来の「知恵」との引き算をすることで応用できる。
息子:「当事者および「知恵」が錯綜する場合にも累積において該当する組み合わせを選択して検索および抽出すれば同様に処理できる。仲間同士の取り決めだから相手や状況に合わせて随時変更すれば良い。」
私:「以上は、第二の人生で中小企業等の経営者に提案したのと異なり、「家庭」を含む仲間同士の信頼関係によって実現可能となる。」
共有する「知恵」の内容
ここで、私は共有する「知恵」の内容について熟考してみる。 人間は発達した情報処理と記憶の能力を持っている。 個々人にとって情報の意味は相互に連関し、複数の人間によって共有される。 そして、複数の人間によって相互に共有された認識基盤を構成する。 この基盤上の共通認識が個々人の行動を規定し、仲間としてのコミュニティの安定性を保つ。 そして、個人の潜在能力の基盤となる健康で文化的な生活が保障される。 これはアマルティア・センのケイパビリティー(潜在能力)アプローチに適合する。 潜在能力アプローチは仲間としての個人が可能になる点を中心的要素とするものだからである。 社会的、文化的環境の中で作られていくジェンダーへの認識も時代とともに変化する。 「性同一性障害」ならぬトランスジェンダーもジェンダーとして考えなくてはならない。 だから性別に違和感をもつ人々を指すトランスジェンダーもジェンダーに含まれることとなる。 今は男女平等の時代だといっても一部に“男は仕事、女は家事”の考え方は残る。 家族、特に女性が担ってきた介護や保育の苦労が新型コロナウィルスによるパンディミックでさらに顕在化している。 国民が自ら選んだ為政者により崩壊させられた民主主義のもとではお上による改革は期待できるものではない。 責任は選挙民である自分自身にある。 誰もやってはくれない。 自分たちで回復のために「知恵」を出し合って出来ることから改善していかねばならない。 他人を変えることはできない。 まず自らを変えることだ。 自らを変えることができる仲間が力を合わせればできることだ。 ジェンダーについての偏見を捨て、そこに潜んでいる問題に気づくときである。 “お一人さま”ではじめるからその仲間がことをなせるのだ。 “お一人さま”は強いのだ。 その強い者が力を合わせれば怖いものなしだ。 家庭の意味 私は家庭を築いた後もモーレツ社員の典型として社内外での仕事、国内外への出張で家を空けることが多かった。 単身赴任で家庭を離れてのひとりでの社宅生活も十数年続いた。 その後、妻が親の介護のために実家に常住したのでまた十数年は単身生活だった。 ここでさらに単身生活が続いても今までと生活環境に変わるところはない。 妻と成人した子はそれぞれが独立した人格と個性を持った人間だからである。 そうすると、このような状態での家庭はどうあるべきだろうか。 それぞれが愛をこめて自分の役割を果たしていればそれ以上について負担を感じることはない。 法的・経済的・社会的にそれぞれが果たすべきことがらを認識していなければならないことは言うまでもないが。 それよりも、「知恵」を共有する仲間としてお互いの「ゆたかな生活」を追求しあえばよいことだ。 そして、私は「家族」の生活に余分な干渉をすることなく、家族を含む仲間と共にプラス人生を送らなければならない。 「家族」は過去に継続するこれからの「家庭」で生きるし、仲間はともにこれからを作っていくからである。 大伯父から受け継ぐ仲間を思う心。 尊属からの「知恵」の引き継ぎ。 伯母から懇願されている母方先祖慰霊のことがら。 「家族」は過去を引きずって生きるが、「家庭」は仲間と共にこれからを生きていくものである。 その中に創造されるプラス人生は仲間と共生するものなので、その中で意識に「知恵」が共有される限り存続し続ける。今まで企業は垂直に統合され、それぞれの企業間はほとんど物的結合で成り立っていたが、今日、各企業においては、その仕入れ先や顧客との結び付きが目に見えない精神的結合として実在し、そして、機能するようになってきた。 また、これからの産業界では、物的資産としての物やサービス自体の価値の提供とともに、それにも増して精神的価値としての知的無形資産を提供することの重要性が高まってきている。 そこでさらに、これら知的財産権としても保護されない無形の知的財産をも含む無形資産の法的、経済的位置づけを行い、産業財としての知的財産構成による知的資本を蓄積するために、創作的に知的資産を構成してコンテンツの流通を図り、新たな富としての経済的価値体系を創造することにより未来への遺産を構築することを考える。
