1、ノウハウライブラリーの基礎となる具体的体験
ノウハウライブラリーではハード、ソフト、サービスというそれぞれ観点の異なる対象のノウハウやスキルをひとまとめにしてしまおうというのですからかなり乱暴なはなしだと思われるかもしれません。そこで、私がそのようなノウハウライブラリーを開設しようとするにいたったのはどうしてかということを少し具体的に述べてみようと思います。
まず、最初に務めた会社(理研軽金属)で聞かされたのがアルマイト(アルミニウムの表面処理被膜)の発明について何とも言えない奇妙な感覚を得たことに端を発したからかとも思われます。理化学研究所で研究者がアルミニウムの陽極酸化皮膜の性能テストをしていたとき、どうしたことか、ある特定の試験材料だけが、高度な耐腐食性を得たことに気がついたことから話は始まります。当時、表面処理したアルミニウムは表面が硬い皮膜に覆われているので日用品家庭器物に使われるようになっていましたが、一つ難点がありました。耐腐食性に劣るということでした。ですから例えばアルミニウム製の弁当箱で日の丸弁当(ごはんと梅干し)を作って持っていくと、穴があいてしまうことが問題となっていました。梅干の酸に犯されてしまうからでした。アルミニウム陽極酸化皮膜には電気分解による陽極酸化処理時にÅ(オングストローム:1mmの 1000 万分の1)単位の微細な穴があき多孔性となっていたのでそこから侵食されてしまっていたのです。ところがその問題があった陽極酸化処理済みの材料がひょっとしたことで熱湯にしばらく浸かっていたようで、それだけが抜群の耐腐食性を示したのです。多孔性の被膜が熱湯に浸かることで多孔性被膜の微細な開口部を高熱蒸気圧力で塞ぐ、いわゆる封口処理がなされていたのです。その後、工業化の段階では、熱湯に漬けるのではなく、高温高圧蒸気缶に入れて行う蒸缶処理でその封口処理行うようになりました。このように思いもつかなかった偶然から、大発明というより実際の生活環境を変えていくようなノウハウが育っていくことがあるのを理化学研究所の実験工場を企業化した理研軽金属工業の工場実験室の現場で目の当たりに見るように聞かされました。そしてこのようなアルミ材が多くの基幹分野で使用されるようになるとさらに電気泳動塗装法等による塗装も施された高級品が出回るようになりました。電解皮膜の上に電気泳動で塗装するというものです。非常に手間とコストのかかる方式でしたので、前記アルマイト発明工場であった私の所属企業ではもっと合理的な方法はないかと考えました。当時はアルミサッシ等の建材が主力商品となっていたので材料は長尺のものが多く特にアルミサッシでは押し出し型材といってインゴットを特定形状の金型スリットを通して高圧力で押しだし、金太郎飴のようにどこで切っても同じ形状の断面となる長尺の物を、表面処理後切断して加工する方式が主流でした。7メートル以上の長尺材を処理槽のなかで加工するので、材料はすだれのように横吊り方式によって処理されていました。そこで一つには、何も電気泳動など使わなくとも水溶性塗料にどぶ漬けする方式でも後で炉中で熱硬化させれば陽極酸化も電気泳動も必要ないのではないか。複雑断面形状の長尺材を横吊りにすると塗料の垂れや溜まりがでるのを防げない。そこでなんとアルミ長尺材の縦吊浸漬塗装法を考え出してしまったのです。すなわち、アルミ長尺材を熱硬化型水溶性塗料に縦吊りどぶ漬けして加熱する工程でアルミ表面にベーマイトという酸化皮膜が形成され、樹脂被膜の架橋により強固な被膜が一発で仕上がり、しかも垂れも溜まりも無い断面複雑形状の美麗な長尺建材ができあがるという画期的なものになりました。アルマイト(陽極酸化処理)を施したうえにさらに塗装をするということをしなくても水溶性塗料の熱処理段階ではすでに薄いけれども非常に安定したアルミ酸化皮膜(ベーマイト)ができており架橋反応で塗料と密着するのです。この方式は、ある塗料会社と共同して開発したもので、アルミニウム建材屋と塗料屋がそれぞれのノウハウを出し合って通常の業務の中で作り上げたものでこのノウハウによる方法は国内外の同業を含む多くの会社にライセンス供与されました。その結果、自社及び業界の生産性向上に寄与するだけでなく、塗料会社は塗料が売れる、我が社にはライセンス料が入るということになりました。このように理化学研究所での決してアカデミックではないが日常のちょっとした変化を見逃さない発見や金属屋、機械屋、化学屋とともに各現場の人びとのスキルとノウハウの結合が生んだ賜物でした。
この会社はアルミサッシのメーカーでもありましたのでいろいろなバリュエーションの商品を考えてはいました。特に防寒対策用に性能のよい二重サッシが要望されているところでした。しかし、ビル用ならいざしらず、住宅用では窓開口の前後方向にそれだけの収納巾がとりにくく各社苦慮していました。あるとき、北陸のお客さんがおもしろいものを考えたとのニュースが入りました。伺ってみると大雪により二階から出入りしなければならなくなるような雪国には“雪囲い”といって雪が窓の上までいっても困らないように窓枠の外に雪をその部分だけ避けるように囲いの枠を組むのだそうで、その役割をするサッシを考えたとのこと。内容はサッシの下枠、上枠を窓の敷居、鴨居の外側に出して取り付け、ちょうど“雪囲い”を出窓のようなサッシで構成する形のものでした。当初は“雪囲いサッシ”などと呼んでいましたが、普通のサッシの外側に付けられるので“外付けサッシ”と呼ばれるようになり、雪国でなくても便利な二重サッシの構成部分として重宝がられました。しかしながらわれわれはさらに新しい発想を得ました。普通のサッシは窓壁の内側に付けられるのですがこの外付けサッシは窓壁の外側に出ていて開口部の左右に広げて取り付けられるのでサッシ枠の内側に収められる引き違い式窓障子部分が左右の縦柱でストップさせられず、窓開口部分を全開にすることができるのです。すなわち左右の引き違い障子が左右の壁の外側のサッシ枠内に収まってしまって窓開口部には残らないことになるのです。これがいわゆる“リケンの『全開サッシ』”として柳家小さん師匠によるテレビコマーシャルで全国的に有名になったものです。普通のサッシは引き違い障子の一方が開口部を塞ぐのに、全開サッシは障子は全部壁の外に収まってしまって開口部全部が外気とツーカーとなってすがすがしい外気を窓開口部全体から取り入れられるものとなったのです。このように北陸の普通の方が防寒対策用に雪国特有の慣習的ノウハウに基づいて思いついたアイデアがむしろ温暖地方でも便利なサッシとして全国的に著名となった商品への展開を見せたことはこのノウハウライブラリー構想への原点となったといえましょう。しかし、それよりもこの全開サッシのもととなった外付けサッシは業界各社が競って商品化することとなり、当社が差し止め仮処分申請をすることなったことも忘れられない思い出です。
2、技術ノウハウ及び経営ノウハウの結合とそれを敷衍する考え方
アルミ建材の前から伝統的に作っていたのは、“なべ、やかん”のたぐいの日用品家庭器物でした。なべややかんは誰が作ってもほとんど同じ格好になるものです。それでもメーカーとしてはデザイン室に東京芸大の先生を迎えて全体の形状の新規性を追究しましたが、売れるのはごく普通の形のものでしたので、一般需要者用としては、そのなべややかんの蓋のデザインで特長を出すので精一杯でした。そんなとき我が社の製品の蓋につけた柄のデザインにそっくりな商品が市場に出ていることに気がつきました。警告を発したらすぐ責任者が飛んできて、「実は韓国から輸入している。わが社はその輸入販売をやめるから貴社が引き継いでくれないか」、とのことでした。意匠権の効力にも限界があり特に本件のようにアルミニウム製蓋の表面に転写方式で模様を付して製造するデザインのケースでどこまで権利主張できるか問題のあるところです。模様が本体を形成するときに一体的につけられるものなら権利範囲に含まれるとするのに問題はありませんが、そうでない場合は必ずしも権利範囲に属するといえない場合があるからです。権利主張に問題は無いとしても係争となったら膨大な費用と時間を浪費することになるので、双方に得はないことは明らかです。マーケティング調査をしたところ品質に問題はあるもののコストは非常に安いことがわかりました。品質さえ維持できれば意地を張って差し止めて自社生産だけをするよりも生産販売ルートを確立しているその製品を自社商品としてさらなる拡販に利用した方が有利だと判断されました。そして、その韓国企業に技術指導をし、その企業にインスペクターを常駐派遣して当社が輸入販売することにより自分の工場で作るものにプラスすることにしました。これは、知的財産権侵害に対する権利行使の問題やライセンス問題を越えて知的資産をいかに効果的に活用するかの経営ノウハウにかかる知恵の問題とも言えましょう。しかしながら、こういう場合にも注意しておかなければならない問題があります。工場に増産の余力があるのに外注生産するとはなにごとぞ、という組合問題が発生したことです。このような経営戦略をとる場合にも労使間の事前協議が重要なことを学ぶことができます。
経営ノウハウについては独立系コンピュータソフトウェア開発会社での素敵な知恵がノウハウライブラリーの原点にあります。業務用コンピュータ導入期には、大企業や官庁でエリートコースに乗っている者ほどコンピュータ室に配属されることを恐れました。一見カッコ良さそうでも実は今までのキャリアがなんの役にも立たない肉体労働を含む単純作業が多く、エリートコースから外れることとなることを意味していたからです。アメリカで時代の潮流を読んだ創業当時のCSK(当初はコンピューターサービス)の大川社長は、むしろそこに目を付けて学卒ではないコンピュータソフトウェア要員を送り込んだのでした。その後の経営哲学によるカリスマ経営は多くの方の知るところですが、社員にいつも言っていたことを今さらのように思い出します。それは「ピンチをチャンスに」というものです。それに含まれるノウハウは数多くありますが中でもマネジメントに対する「クレームには飛んでいけ」というのがあります。「お客様は怒っているときこそ本音を語る。それを聞き逃さずすぐさま実行しろ。」というわけです。また、それらを実行するために「三つのWith」というのがあります。「共に語り、ともに考え、共に行動しよう。」というのです。「お互いの知恵とノウハウを共有してそれを実現しよう。」ということです。
ソフトウェアとハードウェアでのサービスに関しては、パチンコに関する経験があります。まだ小学校に上がる前でしたが、自宅の近所のお店の遊戯機に10円いれて玉をはじいていたら鉄の玉がグルグル回った後でたくさんの玉がジャラジャラ出てきました。そのたくさんの玉と交換に係の人が10箱以上の森永ミルクキャラメルくれたので、母親のところに持って行ったら「すぐ返してきなさい」と言われた記憶があります。そして、全く形態の違うハードを扱う軽金属メーカーとソフトを扱うコンピュータの情報処理会社での経験を積んだ後、まさかそのパチンコメーカーで知的資産管理の仕事を続け、その子会社としてコンテンツの流通会社を設立してその代表取締役としてノウハウライブラリー創設の原点となろうことを誰が想像できたといえましょう。幼少のころ遊戯機に投入した10円玉が森永ミルクキャラメル10箱以上に化けたことで驚いたでもおわかりのように、最初にパチンコ機と言えるものに接したころには、コリントゲームという木製の遊戯版を平らに置いて木製の棒でこれまた木製の玉かガラス玉かを突いて盤上の穴に入れるものしかありませんでした。パチンコ機はこれを縦置きの鉄製の箱に入れて遊技できるようにし、穴に入ったら5個、10個、15個等の懸賞玉が出る仕組にしたもので、その球の打ち出しは1個ずつ自分で玉を入れ、ばね式発射ハンドルで一個づつ打ち出すものでした。その後ブームになりいろいろな機械が出ましたが、機械の裏には係の人がいて、球の補給・機械の操作等を行っているものでした。それが電気式になり、連発式になり、電子式になり、カード式になり、さらにコンピュータゲーム式になり、機械はコンピューターそのものだし、店のコントロール機械はコンピュータネットで制御され、AI化されるという進化を辿ったのです。やかんやなべ等のアルミ家庭日用品器物の表面処理がアルミサッシ等のアルミニウム建材の表面処理加工技術の元となり、その加工技術で横型処理が縦型に発展したこと、その水平横方向に製作されたアルミニウム長尺押出型剤を縦吊自動制御するコンピュータシステム、それらのシステム開発をしている個人としてのシステムエンジニアの開発ノウハウの統合利用、そこから、自然言語処理応用の人工知能による機械翻訳システムの開発と木から鉄、鉄からアルミニウム、機械加工からコンピュータ生業、ネットワーク通信利用、人工知能による制御に至る発展過程のすべてを、今のパチンコ機をはじめとした遊技機は内に秘めて、遊技場で人々の娯楽サービスの提供の具となっております。外から見ると単なるギャンブル性の高いハードとしか認識できませんが、人々の生活をより豊かにするためのサービス産業で提供される、ごく一般の人々のノウハウの集積なのです。しかしその遊びのサービスを実現するためのパチンコ機はコンピューター技術と画像技術とゲームソフトのアプリケーション技術の塊りで、まさに遊びのための遊びを実現するためには手段を選ばないというレベルに高度化されていました。コリントゲームに端を発するように、パチンコを含む遊技機の世界では子供向け遊びのための道具は、機械の内部構造がコンピュータそのものになってしまい、それらを用いたサービス産業においては人工知能を含む高度なソフトウェア技術が駆使されているのです。そこにはアルミ材もふんだんに用いられていますし、成型加工の技術も高度に用いられていましたが、それらは理化学研究所のアルマイトの発明以外はこれといって著名な学者や研究機関によるものではありません。また、理化学研究所での陽極酸化皮膜の耐腐食性向上についても偶然の発見ともいえるものでした。こういった分野を越えてノウハウが結合し、時代を超えて伝承された結果として今のまさにコンピュータシステムそのものとして遊技場でのサービスを提供しているのです。そのユーザーは遊技機のプレーヤーです。今、日本でもカジノを合法化する動きが着々と進んでいます。依存症の問題もありますが、パチンコ産業が一時は40兆円という経済効果を生んだことを考えれば日本経済の今後を考えるという観点からも等閑視することはできません。しかし、いたずらに技術開発競争につっぱしり過ぎて方向を見失わないようにしなければなりません。‘諸外国での事例に基づくサービスノウハウの共有こそが単なるモノやソフトを越えて‘無形知的資産たるインタンジブルズの次代への承継が期待されるものだと考えます。
いわば、コリントゲーム(木製の平板上に玉を転がして入賞数を競う遊戯機)にヒントを得て作られた遊戯器械が射幸性の強いことによりギャンブル機となり、ネットワークでコントロールされ人工知能による仮想現実を含むいわばメディア機能を得るに至って人心を支配することとなりました。そして、その遊戯サービスを提供するホールは依存症を含むギャンブル好きな人たちでむせかえるばかりです。手段を目的と違えると疎外されます。しかし、“遊び”は手段が目的と一致します。ですからサービス産業、特に遊戯産業でのノウハウの融合・発展には注意を要します。基幹産業の余力として発達した遊戯産業では、ですから、さらなる人的資源に基づく遊びを手段と目的としたサービスである海外カジノ産業の先達の失敗を含む知恵とノウハウが役に立つと考えます。すなわち、ノウハウは分野を越え国境を越えて融合することができるのであります。なんとならば、遊技機の世界では、生活に密着したハードウェアがソフトによって新たな生命を吹き込まれさらに新たなハードウェアとして、際限なく、次なる展開を見せることを如実に示してくれたのであります。このように、ごく一般的事項の連鎖が次々と新しいソフトを生みそれがハードウェアに新しい命を与えて全く姿を変えたハードウェアの化け物に成長するのです。コリントゲームがAI制御のパチンコ機になり、ネットワークで出玉制御されたホールはギャンブル好き及び依存症の人たちでの驚異の世界が展開するのです。一方、なべ・やかんの表面処理からアルマイトの改善を経てアルミサッシ等の建材の用に供された技術は人の衣食住にかかる目的を持っているのでその技術開発のみを目的とすると疎外されます。従って、その技術開発は衣食住、特に住の目的のための手段であり、その目的に沿った開発のみが正当な結果を得ることにより成果を得られるのです。遊びは手段としてのノウハウでも足りますがそうでないものは目的に合致する手段としてのノウハウでなければならないのです。従って、一見、横のものを縦にする発想でアイデアの展開がなされたことで同じように好結果が得られるようにおもわれますが、一方では本来の目的以上の展開を見せて驚異の世界を生み出し、一方ではかなりの発展はしているものの一般人の生活及び経済の域を出ない一見ありきたりにみえる世界しか生み出さないのです。どちらが良いというわけではありません。サービスの内容によってその発展の仕方が大きく違ってくることも経験から学べます。したがって、シンギュラリティにより人を超えることができるように思えるAIといえども、固有の人を介する秘伝といえども、今度は、それぞれの良さを取り入れるとともに、取り入れてはいけない点を学ぶ姿勢が重要になってくると思います。ノウハウライブラリーでは、自分の属する分野では知りえない成功と失敗の歴史を学ぶ場でもありたいと思います。
3、ノウハウライブラリーの役割‘
以上私の経験のうちのいくつかをあえて披露させていただきましのは、貴重な経験をお持ちの皆様が単なる日常の思いつきだとお思いの工夫が数々の経験の中でどのように役に立ったかをお互いに披露しあうことで、「私だったらこうする」と言いたくなることがあるのではないかと思うからです。「私はこうした」、「私はこうしたい」を含めて、企業内、組織内の閉じられた環境内では展開えしないノウハウを相互利用、統合利用する機会と場の提供ができればと存じます。
1、ノウハウライブラリーの基礎となる具体的体験
ノウハウライブラリーではハード、ソフト、サービスというそれぞれ観点の異なる対象のノウハウやスキルをひとまとめにしてしまおうというのですからかなり乱暴なはなしだと思われるかもしれません。そこで、私がそのようなノウハウライブラリーを開設しようとするにいたったのはどうしてかということを少し具体的に述べてみようと思います。
まず、最初に務めた会社(理研軽金属)で聞かされたのがアルマイト(アルミニウムの表面処理被膜)の発明について何とも言えない奇妙な感覚を得たことに端を発したからかとも思われます。理化学研究所で研究者がアルミニウムの陽極酸化皮膜の性能テストをしていたとき、どうしたことか、ある特定の試験材料だけが、高度な耐腐食性を得たことに気がついたことから話は始まります。当時、表面処理したアルミニウムは表面が硬い皮膜に覆われているので日用品家庭器物に使われるようになっていましたが、一つ難点がありました。耐腐食性に劣るということでした。ですから例えばアルミニウム製の弁当箱で日の丸弁当(ごはんと梅干し)を作って持っていくと、穴があいてしまうことが問題となっていました。梅干の酸に犯されてしまうからでした。アルミニウム陽極酸化皮膜には電気分解による陽極酸化処理時にÅ(オングストローム:1mmの 1000 万分の1)単位の微細な穴があき多孔性となっていたのでそこから侵食されてしまっていたのです。ところがその問題があった陽極酸化処理済みの材料がひょっとしたことで熱湯にしばらく浸かっていたようで、それだけが抜群の耐腐食性を示したのです。多孔性の被膜が熱湯に浸かることで多孔性被膜の微細な開口部を高熱蒸気圧力で塞ぐ、いわゆる封口処理がなされていたのです。その後、工業化の段階では、熱湯に漬けるのではなく、高温高圧蒸気缶に入れて行う蒸缶処理でその封口処理行うようになりました。このように思いもつかなかった偶然から、大発明というより実際の生活環境を変えていくようなノウハウが育っていくことがあるのを理化学研究所の実験工場を企業化した理研軽金属工業の工場実験室の現場で目の当たりに見るように聞かされました。そしてこのようなアルミ材が多くの基幹分野で使用されるようになるとさらに電気泳動塗装法等による塗装も施された高級品が出回るようになりました。電解皮膜の上に電気泳動で塗装するというものです。非常に手間とコストのかかる方式でしたので、前記アルマイト発明工場であった私の所属企業ではもっと合理的な方法はないかと考えました。当時はアルミサッシ等の建材が主力商品となっていたので材料は長尺のものが多く特にアルミサッシでは押し出し型材といってインゴットを特定形状の金型スリットを通して高圧力で押しだし、金太郎飴のようにどこで切っても同じ形状の断面となる長尺の物を、表面処理後切断して加工する方式が主流でした。7メートル以上の長尺材を処理槽のなかで加工するので、材料はすだれのように横吊り方式によって処理されていました。そこで一つには、何も電気泳動など使わなくとも水溶性塗料にどぶ漬けする方式でも後で炉中で熱硬化させれば陽極酸化も電気泳動も必要ないのではないか。複雑断面形状の長尺材を横吊りにすると塗料の垂れや溜まりがでるのを防げない。そこでなんとアルミ長尺材の縦吊浸漬塗装法を考え出してしまったのです。すなわち、アルミ長尺材を熱硬化型水溶性塗料に縦吊りどぶ漬けして加熱する工程でアルミ表面にベーマイトという酸化皮膜が形成され、樹脂被膜の架橋により強固な被膜が一発で仕上がり、しかも垂れも溜まりも無い断面複雑形状の美麗な長尺建材ができあがるという画期的なものになりました。アルマイト(陽極酸化処理)を施したうえにさらに塗装をするということをしなくても水溶性塗料の熱処理段階ではすでに薄いけれども非常に安定したアルミ酸化皮膜(ベーマイト)ができており架橋反応で塗料と密着するのです。この方式は、ある塗料会社と共同して開発したもので、アルミニウム建材屋と塗料屋がそれぞれのノウハウを出し合って通常の業務の中で作り上げたものでこのノウハウによる方法は国内外の同業を含む多くの会社にライセンス供与されました。その結果、自社及び業界の生産性向上に寄与するだけでなく、塗料会社は塗料が売れる、我が社にはライセンス料が入るということになりました。このように理化学研究所での決してアカデミックではないが日常のちょっとした変化を見逃さない発見や金属屋、機械屋、化学屋とともに各現場の人びとのスキルとノウハウの結合が生んだ賜物でした。
この会社はアルミサッシのメーカーでもありましたのでいろいろなバリュエーションの商品を考えてはいました。特に防寒対策用に性能のよい二重サッシが要望されているところでした。しかし、ビル用ならいざしらず、住宅用では窓開口の前後方向にそれだけの収納巾がとりにくく各社苦慮していました。あるとき、北陸のお客さんがおもしろいものを考えたとのニュースが入りました。伺ってみると大雪により二階から出入りしなければならなくなるような雪国には“雪囲い”といって雪が窓の上までいっても困らないように窓枠の外に雪をその部分だけ避けるように囲いの枠を組むのだそうで、その役割をするサッシを考えたとのこと。内容はサッシの下枠、上枠を窓の敷居、鴨居の外側に出して取り付け、ちょうど“雪囲い”を出窓のようなサッシで構成する形のものでした。当初は“雪囲いサッシ”などと呼んでいましたが、普通のサッシの外側に付けられるので“外付けサッシ”と呼ばれるようになり、雪国でなくても便利な二重サッシの構成部分として重宝がられました。しかしながらわれわれはさらに新しい発想を得ました。普通のサッシは窓壁の内側に付けられるのですがこの外付けサッシは窓壁の外側に出ていて開口部の左右に広げて取り付けられるのでサッシ枠の内側に収められる引き違い式窓障子部分が左右の縦柱でストップさせられず、窓開口部分を全開にすることができるのです。すなわち左右の引き違い障子が左右の壁の外側のサッシ枠内に収まってしまって窓開口部には残らないことになるのです。これがいわゆる“リケンの『全開サッシ』”として柳家小さん師匠によるテレビコマーシャルで全国的に有名になったものです。普通のサッシは引き違い障子の一方が開口部を塞ぐのに、全開サッシは障子は全部壁の外に収まってしまって開口部全部が外気とツーカーとなってすがすがしい外気を窓開口部全体から取り入れられるものとなったのです。このように北陸の普通の方が防寒対策用に雪国特有の慣習的ノウハウに基づいて思いついたアイデアがむしろ温暖地方でも便利なサッシとして全国的に著名となった商品への展開を見せたことはこのノウハウライブラリー構想への原点となったといえましょう。しかし、それよりもこの全開サッシのもととなった外付けサッシは業界各社が競って商品化することとなり、当社が差し止め仮処分申請をすることなったことも忘れられない思い出です。
