「お金が全てではない生活を求めて」知恵

いくらお金にこだわらないとしても、何の条件もつけずに成り立つ
ちえを活かすそのような社会はあり得ないので、生活をしていくためには既成観念6から離れて考えを進めなければならない。お金は一般に取引等での交換媒体となるものだが、お金自体が取引対象として商品化している場合がある。金利を生んでそれ自体が取り引き対象となることがあるからである。

そこで、すこし知恵を働かせてお金を使わないでもゆたかな生活ができる方法がないか考えてみる。普段、生活に必要なものを手に入れるには購入するか何らかの手段をもって交換するかしている。

お金を介さないでも取引等ができる場合があるからである。貸借対照表に資産として計上されないオフバランスの場合である。すなわち、バランスシートに載らないケース、特徴的には、「ノウハウ」活用の場合がそれである。

「ノウハウ」すなわち「知恵」、「知」を蓄積し、活用して知的資本を構築する場合 にはお金を考えるまでもなくごく自然に流通することから会計上資産として計上されることなく知的資本の構成要因となる。具体的には、貸借対照表の資産の部記載されることがなくいわゆるオフバランスとなるからである。すなわち、貨幣を介することなく直接投資、間接投資が可能となるのである。したがって、お金を使わないでも交換や取引ができるのである。

この場合、お金を介さないで投資、交換等の取引等ができるのは会計上資産勘定としての計上されないオフバランスとなる「ノウハウ」を流通、蓄積活用するときに顕著な効果を発する。

これは信頼関係を保てる家族、親族、友人等のコミュニティー間で信用が担保されるからである。

お金を介さないで取引等ができ、資金面での負担が軽減されることによるナッジ(肩押し)効果で流通、投資交換等の取引が推進される効果が大きいのである。

お金を使わないでもできる取引等によって「ノウハウ」はコミュニティー内に知的資本として蓄えられ、いわゆる資本金の機能を持つようになってその投下で「ノウハウ」の拡大再生産がなされる。

人間の知恵である「ノウハウ」がますます大きく、優れたものになっていくのである。

精神活動としての「知」すなわち「知恵」が拡大するのである。

 

ところで「知」について、ヘーゲルの「精神現象学」に従えばで次のようになる。

精神は蘇生して純粋知へと高まる

「絶対自由」 の意識は、普遍意志のうちで、自己を見出し、肯定されるばずであったものが「空しい無」となって「絶対自由」の意識は奈落の底に転がり落ちここのような小用な関係nいあるる。しかし、この否定は、一転して肯定に転じる。「普遍意志は、純粋に否定的であるがゆえに、純粋に肯定的である。意識は具体的現実をくまなく経験したあとで、対象的現実を超えて純粋な知あるいは純粋意志となる限りで、自己を普遍意志として知るのである。」

「知」すなわちノウハウ活用は具体的現実を超越したところで精神的現象としての価値を創出することとなる。

価値を創出する「ノウハウ活用」で何らかの価値媒体を要することなく交換、取引、投資により知的資本の構築をすることができるのである。すなわち、対称的現実という地位を超えて純粋な知的資本の価値を創出するのである。あえてお金を持ち出すまでもないのである。知的資本をお金 に換算して表現すれば資本金となるだけなのである。すなわち商品化したお金を蓄積して次なる生産活動やサービス活動の源資とすることができるのである。

 

ところが、そのような商品化したお金が生産やサービスの原始財となるためことごとくモノやコト自体の価値判断にはお金が使われるようになってしまった。

その結果、今の世の中、とにかく「お金」が全てになってしまっていて、「お金」さえあればどうにかなりますが、無ければどうにもななりません。お金がなくてもどうにかならなければ本当の「ゆたかな社会」とは言えません。お金があればどうにかなるけれど 、お金がなくてもどうにかなるのでなければなりません。

生活をともにしている仲間うちでそれぞれ必要とするものを融通し合える場合は別として、調達するには交換媒体としてお金を用いるのが当たり前になっています。物々交換の方法もありますが、今やその方法だけですべての人々の生活の豊かさを担保することはできません。お金がなくてもやっていける場合をそうでない場合とを峻別して生活し、事業を行うことを考えるのです。

そこで、「お金」がなくてもやっていける社会 のなかで「ゆたかな生活」ができないものかいろいろ考えてみました。

一人で考えていても埒があきませんので、身内や親戚、友人などの仲間と一緒に知恵を絞ってみることとしました。

考えてみるに「お金」を使わないでも「ゆたかな生活」ができないでしょうか?普段の生活のなかで必要な モノやコトをお互いに持ちあっている仲間の間ではあえて「お金」を必要としないでも特に困ることはないのではないでしょううか。そのなかでも、特に「知恵」のやりとりにおいては普通、あえて「お金」を意識しません。意識していないのにそれに「お金」を払っていても当然のことと思っているのが当たり前のようになってしまってはいないだろうかと考えてもう少し突っ込んでみることとしました。物々交換やシェアリングシステムによる場合以外でも何かあるはずです。

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こういったことを考える場合、今まではたとえ仲間同士でもおこがましくて専門家筋でのプロやベテランには聞けなかったことが多い のではなかったかと反省しました。そこで、日々扱っている手立てでも恥を忍んでそれらの仲間に話して違う観点での解法を求めることとしました。「ノウハウ」すなわち「知恵」についてはその使い方によっては素敵な解決法があることは提案しました。そこで、単なる「知恵」ではなく、今いちばん問題となることの多い「お金」への「知恵」についても強い仲間へのコンタクトを開始しました。ノウハウを交換媒体とすることを眼目として「ノウハウ銀行」への挑戦の道筋をこれからの人生ではノウハウ活用を中心に知的資本の構築に基づいて提案することとしました。そして、パンディミック等からの回復についても言及することにしました。その場合に「貨幣を介さない」オフバランス取引での改善についても提案することとしました。同じオフバランスでもデリバティブ、先物やオプション、スワップ等の金融商品への警告もすることとしました。サブプライムローンに端を発したリーマンショックへの恐怖を思い起こさせるためです。あえてかえりみれば、そのことの根源は米国で高騰することを前提とした低所得者層向け住宅ローンの証券化に端を発したことでした。予想外の価格変動で証券化したローンが返済不可能となったことで金融全体に不況が蔓延したのでした。資産・債務を証券化してオフバランスとした場合、確かにその期ではバランスシートには載りません。しかし、資産・債務隠しの場合には決済時には貸借対照表に掲載されるのでオフバランスではなくなります。つまりそのレベルのオフバランスは決済時にはオンバランスとなるからです。一般家庭における生活にも「知恵」を働かさなければならないことは多くあります。家庭の経済生活を脅かすことがないように仲間の「知恵」を働かせなけばなりません。先物等の取引が決済時にもオンバランスとならないように庶民の家計に役立つことを考える。この分野ではベテランの証券会社を退職した仲間の「知恵」も拝借しました。仲間同士の取引に際して元本相当の資金の受け渡しが行われない場合にはオフバランスとなることがわかりました。そこで、私が先に提案した「知恵」の仲介が家庭や仲間レベルで実現可能になるようありあまる余生で挑戦することとしました。第二の人生での「知恵」の活用法だけにこだわらず、さらなるプラスの人生を変えてさらに育てていくのです。仲間と共有する趣味も見直すのです。

 

以下に私の親しんだ趣味について述べる。

昆虫採集、特に蝶々の収集。高校の夏休みに蓼科高原の白樺林を縦横にを飛び回ったあげく、宿題については仲間のノートの丸写しでした。これは東銀座でボトルを共有したあの解剖学の大家の先生のようには続きませんでした。

鉄道模型、特にHOゲージ。中学の時からはまって、学校に行くのも忘れて夢中になりました。

しかし、第二の人生では全て忘れ去られました。

ギターについても。高校のマンドリンアンサンブルで演奏活動し、学園祭でハワイアンをやって廃部処分となりました。本格的進学校でもあるにもかかわらず怖い進学指導の先生がいならぶいならぶ前で腰をふりふりウクレレをかき鳴らせば当然です。それでもその後は隠れ蓑としてマンドリンを表に出し、実際は第二部として軽音楽を演奏。一応、マンドリンではクラシックもやるが、ラテンやロックを中心としました。エレキブームのハシリでした。ハワイアンギターではもの足らず、自分でコイルを巻いてスチールギターを当時流行りのギブソンまがいのエレキギターに仕立てました。そして、バンドに必要なあらゆる楽器にトライしました。受験勉強もそっちのけで、授業中も編曲とパート譜作成に熱中しました。部活動で一応の成果を得た後は次第にクラシックギターに魅せられるようになりました。卒業後も個人として楽しむようになり、今に至ります。名匠の故アンドレス・セゴビアにあこがれましたが、足元にも及ばびません。ここで自分を変える覚悟をするのです。フラメンコギターで一世を風靡した故パコ・デ・ルシアを追っかけてみるのです。フラメンコにクラシックを加味した特異な天才的奏法に魅力を感じました。これを徹底的に習得するのです。孫の結婚式に間に合わせるのを第一の目標とします。息子の仕事成就の祝賀会を第二の目標とします。「知恵」の活用ではまず、自分で実行することです。第二の人生で仲介とコンサルティングの準備はできました。しかし、まずは自分で実行しなければなりません。知人の元中小企業経営者、元金融業者、元町工場主を仲間に入れます。一対一の仲間、対多、多対多の「知恵」の交換会。仲間のコミュニティーでは「知恵」を活かして持続可能な開発の仕組みを作りまます。これをもとに第四冊目以降の著作にまとめます。自分たちで始め、コミュニティーに広げなければ誰もやってくれないことを示します。コミュニティーでのオープンセレモニーでは私のギターで祝福するのを目標とします。第一の人生で私を生み育ててくれた方々。第二の人生で私と共に戦ってくれた方々。もうすでにこの世に存在していない方々。別の世界で自由に生きようとしている方々。私はこの方々を自分の都合の良いように変えることはできません。できるのは自分が変わることです。すべては自分の変わり方によって、良くも悪くもなります。私のプラスの人生は、それが楽しい結果になるようにします。そして、「ゆたかな生活」に結び付くよう努力します。第二の人生では「ノウハウ」を中心に次世代への遺産としての知的資本の構築については提案しました。このプラスの人生では個人、家庭、家庭、仲間の間では制約されることのない自由な生き方を追求することとしました。そのためにも第二の人生で提案をした内容をプラスの人生での生き方の基盤とします。私自身の生き方を家族・家庭と仲間の中でどのように反映するかを考えます。もともと母親から生まれたときはひとりでした。そしてまず父・母との間に家族を構成したのだからそこが社会への原点です。したがって、そこでの生き方を考えるのが基本となります。しかし、その関係継続を十分に全うしたならば、その後は自分自身の問題に戻ります。つまり生まれたままのひとりに戻るのです。そして新たな人間関係を作るのでります。前からの家族・家庭・仲間に加えて、新しい家族。新しい家庭。新しい友達。新しい仲間。楽しい限りであります。これからのプラスの人生では第二の人生で培った「ノウハウライブラリー」シリーズでの「知恵」も活かします。それは「変えられないことはうけいれ、変えられることは勇気をもって変えていく」ことの自己での実践であります。他人は変えられないが、自分は変えられるからです。ここで自己の「知恵」情報を自分で望むようにコントロールできるかどうかであります。プライバシーの権利は自己情報のコントロール権としてとらえることもできます。「知恵」を共有しようとしているその友人とは早くそうすべき理由があります。何年か前に軽い脳卒中の症状が出てしばらく入院治療をしたことがある。その後遺症か、認知症まがいの症状が出没するようになった。会って話をする限りではさして異常を感じないが、緊張すると時々忘れるはずのないことを失念したりするという。認知症だとすると、古い記憶は残るが、最近のことについての記憶が飛ぶのが特徴らしい。かつはてすばらしい判断力と臨機応変の対処法で経営者の能力を存分に発揮した男です。まだ小康を保っていますがあまり時を経ると過去の記憶をも失ってしまうおそれがあります。そこで、できるだけ早く訊きだしておく必要があります。なお、私の社長経歴は雇われの身でのことなので迫力に欠けますました。しかし、多くの大先輩からの「知恵」を授かっていたので内容は充実しています。それによって彼の迫力ある「知恵」をさらに魅力あるものにすることができます。彼に以上のことを呼びかけ続けましましました。最近、私には家族を継続する上での危機が生じたが、彼にも家庭上由々しき事態が発生していた。でも彼は「家がなくなってしまうことも大変だが、まず、それよりも生業を再起させなければ」そして、「勘を取り戻すべく旧知との付き合いをはじめた。」「若いときから無鉄砲だったが、それで普通ではできない事業ができた。」「最近脳血管の障害の後遺症のためか記憶が定かでないことがときどき生ずる。」「循環器系、食道壁系、泌尿器系等複数の疾患治療に病院通いが避けられないが、それでも基礎体力維持のための運動は欠かさない。」と自ら語った。体が不自由になりつつあることを自覚しながらも、さらなる生き方について意欲を持っているのがわかりました。日本武術で心身ともに鍛えあげているし、天才的な博才の持ち主だし、バイリンガルでもあるので余力はある。さらに「やってきた仕事の内容を仲間として共創に役立てることに依存はない。」「特に、せっかくまとめた仕事をかすめ取られたり、不当な差別によって不利益を得たことを思い出すと今でもくやしい。」新型コロナウィルスによるパンディミックによって思い知らされたことがある。コロナ対策に乗じた政府および国際政治権力による監視追跡、監視強化だ。国情によって干渉の仕方はさまざまに異なるので適否の評価もさまざま。また、SNS濫用の大衆による相互監視警察もある。上下左右からのさまざまな誹謗中傷にさらされて不安感増大。ジョージ・オウエルの「1984年」さながらの恐怖社会だ。そこに書かれた以上の超監視社会だ。問題は誰が監視しているのかが見えなくなっていることだ。コロナに限らず、法人も個人もこの恐怖から逃れることはできない。家族・親族でさえ同様だ。アダム・スミスの「見えざる手」は「市場」が個人の行動を制約していることも言っている。なぜなら、「分業」による合理性は監視体制によって全うされるといってよいからだ。この監視体制によって全うされる「分業」の最も顕著なことは「性差」といえる。男女の差だ。これは一方だけにとっては「分業」だが、協同の行為によってはじめて新たな生命を宿すことができる。これは生きとし生けるものに共通する。しかし、ジェンダー問題について誤解と差別を生じさせているのは人間だけだ。同時にその問題解決に向かって真剣に取り組んでいるのも人間だけだ。人は他の生物に勝って「知恵」を活かせる能力があるからだ。そうするとその能力を阻む要因としてのジェンダー問題を正しく理解することだ。ダイバーシティやフェミニズムと取り組むことも一法だが、単に男と女の問題にしないことだ。心と体の性が一致しないトランスジェンダーも精神病ではないとされた。最も忌まわしく感ずべき父子相姦による殺人事件への法曹の取り組みもみられる。“お一人さま”に関する著作が話題になったころのこと。その著作者の講演会の招待を受けたので出かけてみた。会場でのエレベーターでリュックを背負ったごく普通の女性と乗り合わせた。会場階につくと数人の係員がていねいにも出迎えてくれた。と思ったら、そのリュックの女性に向かって「お待ちしていました」。会が始まったらその女性が講師として出てきて、「普段は女性にしかお話ししないのですが、今回は仕方がないので」とのこと。旧帝大系トップの大学の先生が“お一人さま”の趣旨を話し始めた。その時には単なるフェミニストの恨み節ではないかと思った。しかし、数年前、”タワマンに住んでBMWに乗ってる”ことで炎上した。弱き者への素敵な「知恵」を勇気をもって提供し続けてくれたのに。最近は男の“お一人さま”にまで気を配ってくださっている。さらに、一部の週刊誌である特定の男性との入籍経緯がすっぱぬかれたりした。本来の仕事の一部でしかない成果のあらわれへのやっかみとしか考えられない。「知恵」の提供を通じて「ゆたかな生活」の可能性を自ら実証しているのだから。

人は必ず死ぬが、男と女は次なる命を生み、次世代による永遠の「知恵」を継承させる。
役割が異なるのだから存在意義も異なってしかるべきだ。

かつてから、性差別は、女性を非生産的労働の領域に追いやってきた。しかし、それも子孫を作る役割が終わった後”お一人様”になってからは異なるところがない。

両性は共に次世代に向けて伴走して「知恵}を提供するのみだ。

承継し創成した「知恵」を遺せるのは次世代以降に対してだからだ。

だから仲良く共同創成してそれぞれの仲間とともに伝承する楽しみを享受すべきだ。人が何を意図し、何を目的にしてどういう気持ちでいるかがわかるというのが共感力である。

それはおもに家族生活等複数人のなかで育まれる。

大勢の中で育まれる共感力は直観力にもつながる。

この直観力は人との関係で自分を見つめ直すことができるので、自我を収縮させ「気づき」を生む。

 

娘とは彼女が二十数年前に結婚してから孫にかかわること以外はほとんど交流はなかった。

孫が生まれてからは人気機関車トイの“トーマスエンジン”をでるたびに全てプレゼントしたくらい。

また、交通博物館が大宮に新設移転したときに娘と一緒に連れて行ったことがあっただけだ。娘にはこの二十年、年賀状用に私と孫とのツーショットを年に一回撮影してもらう程度だった。

このたび妻と長男とが実家だった田舎に移り住むことになった件についても娘には具体的内容についてはどちらからもいっさい知らせてなかった。

しかし、今までのいきさつを数時間聞いただけでとりあえずエアコンをプレゼントしてくれた。

生まれてからこの方の私の生活態度、妻の性格を知りつくしていたからこその状況判断だと思える。

息子にしても、自動車を含むあらゆる生活用具を処分した後、自分の自転車の鍵だけを私のために残してくれた。

私が車の免許証を返還していることをも考えたようだ。この免許証返納にも関連して妻不在につき息子が使っていた自転車を借用していた。n

ある時、交通事故に巻き込まれて、自転車ともども路面に叩きつけられた。自転車は全壊で私は救急病院行きだった。息子は仕方なく自分用に新しいのを購入したのだった。

この二人とは特に家庭の関係がどうすれば良いかについて、話し合っていない。でも、何も言わなくとも、共感する直観が働いて具体的行動に現れる。

数年に一度しか会わない「いとこ会」のメンバーについても同じことが言える。

年齢が離れていても、直系でなくとも共感する直観は働く。

これが血縁関係が無い場合でも婚姻によりネットワークは繋がる。これらの関係によって引き継がれる生き様は変えられない歴代の記憶としてそれぞれの意識に残って伝承される。

妻と息子が実家に引き上げた後、娘が来たのでこれまでの状況を説明した。

娘「突然私の家にやって来て私の私物を置いていったので何のことやらと思っていたところでした。」

私「家族が離れて生活することは今までと変わりはないので、生活費は毎月振り込んでいるよ。」「今までどおり東京で仕事を探し続ければ家族の生活費も稼ぐことができるからな。」数時間あれこれ話し合った後

 

娘:「それにしてもこの部屋は暑いね。」

俺:「クーラーは十年以上前から動かないんだ。」

娘:「死んじゃうよ。」

その後娘からメールが届いた。「しばらくしたら電気屋が取り替え工事に行くから準備しといて。」

十年以上たまりにたまって天井に届くまで積もっていて工事賀できそうにないほどだったた本の山を数日かかって取り除いた。

ようやく工事に間に合った。

新品のエアコンからの冷風に震えながら熱中症にもならずどうやら生きながらえた。

ところでその後の千葉沖地震で私の居住地では震度5強の激しい揺れに襲われた。

3.・11の東北地震のときは、天井まで積み上げていた書籍とその収納箱の雪崩に埋もれて、生きた心地がしなかったが今回は娘がセットしてくれたエアコン工事のため片付けてあったのでその被害は避けられた。

後日様子を見に来てくれた。娘の自宅では家財が倒壊してテレビが壊れたとのこと。その時娘はショートメールで安否を尋ねてくれていた。そのとき私はあたふたしていて気がつかなかったので返事もしてなかった。

ちょうど、新型コロナウィルスによるパンディミックがあった。「知恵」はそのようなパニックからも回復可能なレジリエンスに結び付けられることに気がついた。生きていてこそだ。死んでしまっては元も子もなくなる。 “命あっての物種”だね。 ところでその命だがいまのところ人間とウィルスとの生存競争だ。ウイルスに脳があるとは思えないので頭で考えてはいないはずだ。しかし、ものごとを巧みに処理する能力、すなわち知恵はあると考えられる。寄生する生物と共存関係がうまくいっていれば現状維持で安泰のはず。ところが均衡を乱す何らかの攻撃が加わると、それを排除する知恵が働き、逆襲されることとなる。均衡が保たれることを感じると攻撃をやめる知恵が働きまた仲良く共存を始める。「知恵」は根源的にはこんなところから生じている。ワクチンで抑え込もうとすれば、次々と新型種が現れる。まさに知恵の攻防だ。無機質から発生した蛋白による有機生物には脳はない。しかしながら、種として生きるための処理能力、すなわち「知恵」をもって対抗できる。このような世界でも人類との「知恵」の取引がなされ得るのだ。ましてや、人間と植物や動物との間での知恵の交換、取引は日常茶飯事だ。自然との闘いにそれが如実にあらわれる。そもそも生物の発生当初には脳など存在していなかったはずだ。生き残りの手段として脳が発生した。だとすれば、家庭内の家族同士、家族とペット、ペット同士、ペットと植物との「知恵」の交換もありえる。

 

私の人生は、昭和十七年六月五日に始まる。日本の敗戦を決定的にしたあのミッドウエー海戦のその当日が誕生日だ。終戦のときには三歳だった。“戦争に勝つ”すなわち”戦捷(せんしょう)かちいくさ)”の意を込めて捷三(しょうぞう)と命名された。三男だったからだ。父と母との長男だったが腹違いの兄が二人いた。敗戦後のどさくさにまぎれて成人した。六十年安保を経て社会人になるまでがが第一の人生といえる。オリンピック東京大会を経て、バブル期前後のモーレツ社員として生きてきたのが第二の人生だ。いくつかの会社の技術情報管理と知的財産管理を担当し、ソフト情報流通会社の社長も拝命した。精錬からのアルミニウム総合メーカーの第三次加工商品担当会社でのスタート。日本初の東証一部上場独立系コンピュータソフト開発企業が二番目。同じく日本ではじめてパチンコ機製造で東証一部上場企業となった遊技機メーカーが三番目。その三番目の会社の子会社としての新設株式会社の代表取締役となって蓄積コンテンツ流通を促進した。以上の業務を通じて蓄積した「知恵」の総まとめがようやくできた。「次世代への遺産としての知的資本の構築」がテーマであった。キャッチフレーズはノウハウ(知恵)とスキル(技能)のシェアリングによるレジリエンス(回復力)で豊かな生活を!経営者の皆様、お金でなくてもよいのに、お金を使っていませんか?貨幣を介さない「ノウハウ活用」で資金難を解消し、持続可能な開発を!とした。これが第二の人生での総括だ。六歳年下の妻は、この十数年、静岡市の実家で自分の両親を介護していた。このたび、両親から土地・屋敷の遺贈を受けたので、彼女は自分の家財道具一切を東京の現住所から実家に移送した。ところで三番目の著所『ノウハウ活かしたレジリエンス』の趣旨は以下のとおりである。

【『ノウハウライブラリー』、『ノウハウサロン』、『ノウハウベース』のはたらき】
① あなたのすばらしい「ノウハウ(知恵)やスキル(技能)」(「ノウハウ等」)を土台とした次世代への遺産となる知的資本を構築する。② 「ノウハウ等」を有効に活用して資金難や後継者難による撤退を回避し、豊かな生活への生き残りを図る。③ 中小零細企業等の「ノウハウ等」が消滅してしまう前に再現・活用するとともにその成果を提供者に還元する。④ 多段階での「見える化」で、本来活用されるべき「ノウハウ等」を徹底的に洗い出す。⑤ 見えない「ノウハウ等」をより良く活かすためにさらにもれなく「見える化」する。⑥ それらのいきさつを全てデータベース化して活用する。なお、『ノウハウエイジェンシー』のはたらき】は次のとおり。① 貨幣を使わない仲介取引が資金難を解決することを魅力とするナッジ(肩押し)効果で、レジリエンス(回復力)による「持続可能な開発」が可能となる。② 総合的能力と機能を「ケイパビリティー(潜在的可能性)システム」によって「エイジェンシー(行為主体および仲介)」で広く流通させ、「シェアリングシステム」を全体に広げて格差のない豊かな生活を得る。*なお、『ノウハウライブラリー』、『ノウハウサロン』、『ノウハウベース』、『ノウハウエイジェンシー』は著者の登録商標だ。『ノウハウ活かしたレジリエンス』における「改善」と作用・効果は① 全てを変える「改革」ではなく、「ノウハウ等」の扱いだけを変えるシンプルな『改善』とする。② 「貨幣を使う場合」のAと「貨幣を使わない場合」のBとを区別し、「変えられること」がはっきり判るようにする。 A「ノウハウ等」以外の一般的取引は通常通り“貨幣”でおこなうことで変わりない。 B「貨幣を使わない」場合には「ノウハウ等」を“自己設備での直接投資”、“他人設備での直接投資”、“複数当事者間での交換”等、さまざまなケースがあるのでそれぞれの実態に合わせて運用する。③ 変えられないAは受け入れ、変えられるBを無理なく変える『改善』で実行可能とする。そして、その作用・効果は(① 既存設備等へ自己の「ノウハウ等」を直接投資する場合は、生じた価値増加分を判定の標準とする。② 「ノウハウ等」の交換は実績を集約し、付加価値分を判定の標準とする。(標準化による効果)  コミュニティー内標準化で価値が有効に創造されることによりレジリエンスの効果的発揮が可能となる。(セキュリティ共通「ノウハウ等」の活用)① コミュニティー内ではそれぞれが当然に使うものとし、機密にするまでもない共通事項も多いので、その部分の共有活用ができる。② 機密部分からはさらなる創作をしてそれを新たな機密とし、旧来機密だった事項は開示するサイクルにより、盤石な土台作りができる。 「ノウハウ等/」の取引等の基準設定および標準化の考え方については前述のとおり。その具体化のひとつとして任意レンタル型サブスクリプションの応用が考えられる。従来のサブクリクションは一定額内までの使用を許可するもの。ここで提案する任意レンタル型サブスクリプションは『一定価値』までの使用を許可するもの。一般のサブクリクションは定額制のサービスで、商品やサービスを所有するから、必要な時一定額まで利用するという形式によるものだが、これを任意レンタルの自動更新型サブクリクションとすると期限を意識することなく満足すべき条件を『一定価値』の総計分まで取引等を可能とし、お互いが納得する範囲内で利用しあうことができる。一般のサブクリクションでは顧客は商品やサービスを利用すればするほどコストもリスクも減るのが原則。そこで、価格競争に陥るのを避けて、顧客に満足してもらえる仕組みとして「定額制」を『定価値制』とすれば企業も顧客も満足する結果が得られるはず。企業が顧客に価格を押しつけるのではなく、企業と顧客が一緒に価値を作る。ここでこれを自動シェアリングシステムに応用すれば、企業と顧客の関係を顧客同士あるいは当事者とユーザー同士としたとしても同じことがいえるはず。双方がシェアリングを継続してサブクリクションを『定価値』で同意できれば満足すべき条件を『定価値』のトータル分までの取引等を可能とすることができる。任意レンタル型とすれば、差額分の精算で済ませるかさらに異なる条件で継続する場合にはコミュニティー内でのアクセスログ体制の明確性が要件となる。アクセスログは顧客、ユーザーの足跡行動記録なのでその記録を分析することで相手方のニーズや自分たちのサービスの内容を知ることができる。そこで、このログを正確に得るためには「ノウハウライブラリー」、「ノウハウベース」での「見える化」が確実に行われていることが必要。
「見える化」で「ノウハウ等」をもれなく抽出して、①「ノウハウ等」は「無形資産」で形がないので顕在化して認識できるように表現し、②オフバランスでバランスシートに載らない「ノウハウ等」は別途記載して見える化し、③自分自身ではそれを「ノウハウ等」だと意識していないものをカード等で探索して顕在化し、④他人から「ノウハウ等」だと認識されている場合を見つけ出すために情報発信すること等によって拾いだすことを常に行っていることがログ体制の信憑性向上に繋がる。このようにして顧客・ユーザーの行動記録を集約して分析することで規定のベースとなるものを構築する。評価・判定の標準化については原則として以下の基準および考え方によるものとする。① 自己所有設備等へ自己の「ノウハウ等」を直接投資する場合は、当該設備等への「ノウハウ等」投資単位あたりに生じた増加価値分が付加価値判定基準となる。これはその「ノウハウ等」を実施できる設備等を自社内の空き設備等として持っているときで、その設備等は本来の生産等に使用しないものであり、特に売却・譲渡・償却等しないものであればそれを自己の「ノウハウ等」実現に貨幣を介することなく使っても生ずる価値を増加価値として判断基準としても何ら問題を生じない。② 他人所有の設備等を使用して自己の「ノウハウ等」を直接投資して生産等する場合は、投資単位あたりに生じた差額分が付加価値判定基準となる。この場合の取引の要件については他人が当方の「ノウハウ等」の使用を条件に当該設備等の使用を許可する場合はその結果生じた成果物は両者共有とすることができる。すなわち、上記自己設備等使用のときと同様の扱いとなる。③ 「ノウハウ等」を交換する場合は実績記録を集約し、価値の差を分離してそれぞれ基準・標準化する。その場合、それぞれの「ノウハウ等」の価値が明らかに同一のときは問題ないが、それぞれの価値が異なり、しかも一方または双方が複数の場合は容易には価値に交換についての場合基準が設定できない。そのときはいままで取引等関係者間の「ノウハウエイジェンシー」、「ノウハウベース」、「ノウハウライブラリー」へのアクセスログを利用することになる。すべての行動データが一つのIDにひも付けられるということでオンラインとオフラインが融合した体験がが提供され、その時々に最適な「ノウハウ等」を融通無碍に選べるようになる。そしてそれらのデータを自己の利益にのみつなげるのではなく、相互の信頼関係を作っていくことで提供価値の増幅が可能となる。そして、その取引等に関連するデータのうち「ノウハウ等」の価値判定に重要な意味を有するものを集約して該当項目ごとに分析し、最大公約数を抽出して基準の核とする。評価・判定の標準化については原則として以下の基準および考え方によるものとする。① 自己所有設備等へ自己の「ノウハウ等」を直接投資する場合は、当該設備等への「ノウハウ等」投資単位あたりに生じた増加価値分が付加価値判定基準となる。これはその「ノウハウ等」を実施できる設備等を自社内の空き設備等として持っているときで、その設備等は本来の生産等に使用しないものであり、特に売却・譲渡・償却等しないものであればそれを自己の「ノウハウ等」実現に貨幣を介することなく使っても生ずる価値を増加価値として判断基準としても何ら問題を生じない。② 他人所有の設備等を使用して自己の「ノウハウ等」を直接投資して生産等する場合は、投資単位あたりに生じた差額分が付加価値判定基準となります。この場合の取引の要件については他人が当方の「ノウハウ等」の使用を条件に当該設備等の使用を許可する場合はその結果生じた成果物は両者共有とすることができます。すなわち、上記自己設備等使用のときと同様の扱いとなる。③ 「ノウハウ等」を交換する場合は実績記録を集約し、価値の差を分離してそれぞれ基準・標準化する。その場合、それぞれの「ノウハウ等」の価値が明らかに同一のときは問題ないが、それぞれのの価値が異なり、しかも一方または双方が複数の場合は容易には価値に交換についての場合基準が設定できない。そのときはいままで取引等関係者間の「ノウハウエイジェンシー」、「ノウハウベース」、「ノウハウライブラリー」へのアクセスログを利用することになる。すべての行動データが1つのIDに紐付けられるということでオンラインとオフラインが融合した体験が提供され、その時々に最適な「ノウハウ等」を融通無碍に選べるようになる。そしてそれらのデータを自己の利益にのみつなげるのではなく、相互の信頼関係を作っていくことで提供価値の増幅が可能となる。そして、その取引等に関連するデータのうち「ノウハウ等」の価値判定に重要な意味を有するものを集約して該当項目ごとに分析し、最大公約数を抽出して基準の核とする。一般に金銭によらない資産の投資の場合、投資からの利益が得られる事前の期待に照らした事後の成果を把握するという「投資のリスクからの解放」に依拠し、交換によって移転する資産に対するリスクから解放された時には損益を認識し、必ずしもそのリスクから免れていないのであれば損益の認識を繰り延べる処理が行われることになるが、これは金銭によらない資産の場合について一般的に述べているにすぎない。そこでオフバランスたる「ノウハウ等」が「貨幣を介さない」で取引等が行われた場合にはどのような処理が行われるべきかについて検討する。オフバランスたる「ノウハウ等」は資産ではないのでそのままでは処理の対象にならない。したがって、オフバランスの「ノウハウ等」についてはアクセスログから「ノウハウベース」等に登録したデータ等を参照して独自の評価をすることになる。これは必ずしも利益が期待できるわけではないので損益の認識を繰り延べる評価をすることができることになる。すなわちオフバランスたる「ノウハウ等」は損益の評価をすることなく処理ができることとなる。資産ではないので資本を構成しないから。したがって取引等の結果で業績増大すれば自己資本利益率向上に資することもできる。しかし、「貨幣を介する」か否かで全体を2分したそれ以外のオンバランス資産は従来どおり資本を構成しますから損益を認識できることとなります。すなわちオフバランスの「ノウハウ等」の取引等は損益の評価をすることなく処理できるが、それ以外のオンバランス資産の取引等は従来どおり損益を評価して処理されることとなる。すなわち取引等の結果は「貨幣を介する」場合の損益だけで処理されることになる。でも、取引等の結果の業績評価では「ノウハウ等」で価値増加した分が付加されることとなる。したがって、「貨幣を介さない」取引等は会計上資産によるものとしては現れない業績をあげることができることになり、それは一般の処理とは別になされることとなります。すなわち、会計上の資産ではないとはいうものの、業績上の評価に貢献するものなので、内部的には資産と同等に項目をあげて管理し、取引等の評価対象項目とする。例えば、取引上対象となる一般資産とともに「ノウハウ等」の項目をあげて相手方とM&A契約交渉をする場合に譲渡側は「のれん」の価値を主張することができる効果がある。この例えのように「ノウハウ等」のみの取引交渉のみならず、「ノウハウ等」とともに一般資産を含む取引等における契約交渉でも一方または双方が一般資産とともに「ノウハウ等」の項目をあげて条件交渉をすることができる。般に取引等の内容には秘密保持義務が課されているのが通常だが、「ノウハウ等」およびそれを含む資産の取引等の結果を活用するためにその情報をコミュニティー内で共有することが重要な意味を持つ。そのために個人を中心とするオープンなプラットフォームが有効。すなわち「ノウハウ等」をコミュニティー内で共有して人々を中心にあらゆる情報をオープンに活用してともに価値を創造するプラットフォームだ。価値の創造を重視した考え方をとって、誰がどの「ノウハウ等」を活用したかを後から検証できるように条件を定めておけばいちいち同意を必要としないこともできる。アクセスログを残しながら、その目的にかなった使い方が出来るので、パンデミックや経済的パニックが起きれば、同意なしでも特定のミッションを背負った人々にデータの使用を許可するようにできる。同意が必要な案件でも非常事態の場合には必要な範囲でお互いに情報開示できる旨の取り決めをしておけば問題は解決する。それよりも、このプラットフォームの利用者相互の紹介により新規利用者を獲得することもでき、既存利用者にはインセンティブを与えることにすればその効果は抜群に向上すると思われる。「ノウハウ等」の取引等における処理結果の業績評価上の取り扱いについては以上のとおりだが、当事者間の一定の行為をする権利の意思表示の合致である契約関係についてはその遵守が求められる。従って不法行為等があった場合の損害賠償義務が発生することによる取引負担も考慮に入れておかなければならない。ここでたとえば共同事業を行うにあたり「ノウハウ等」を提供しあった場合に両者は各々相応の受益が得られる。さらに相手側の「ノウハウ等」を学習する受益とともにその「ノウハウ等」を開示するコスト負担するとしたとき、両社のコーポレートガバナンスやレピュテーション(社会的評判)をも考慮して評価することになる。SDGsとともにESGにより気候変動への対応、自然資源の維持、エネルギー使用量削減等環境問題、人権、安全、健康、人材等の社会問題、コーポレイトガバナンス、コンプライアンス等も考慮していかなければならない。しかし、ESGでは主として環境問題に目を奪われがちですが「ノウハウ等」取引等の処理結果の応用においては社会問題やコンプライアンスに主眼を置いて「豊かな生活」への追求を図るべきだと考える。これからは、実務に沿ってその具体化を図るとともに、人的資源のおおもとである自分自身のレジリエンスに主眼を移して足元を固めたいと思う。一緒になってから五十数年を経てようやく自由の身になったのだ。東京と田舎を行き来しながら妻と私の間をつないでいた無職の息子も、そちらで仕事に就くこととなった娘のひとり息子の孫は今年大学を卒業して社会人となった。彼らからはどんな財産にも勝る心の宝をもらうことができた。今までのすべての心残りが取り払われた。しかしながら、これらについて取引・交換基準を定めるのは極めて難しい。息子と孫の新社会人への出発という何にも変えられない大きな喜びをもらって、私のプラス人生はスタートする。今までは、経営者のノウハウを活用して「ゆたかな生活」を求める検討を続けてきた。

 

 

しかし、ノウハウは人的資源に基づくものであるので、自分自身とその家族に視点を移すこととした。

もう生家に家族はいなく、結婚して新しくつくった家族しかいない。だから、わたしの家族は妻と未婚の息子だけだった。

 

しかしその息子も職に就くので、妻だけが家族だということになる。妻は自由の身になったのだから、私も自由の身になったといえる。そして、それぞれが新たな人生に向かって歩み始めることになる。

 

今までは「家族」を通じて数々の「知恵」を得ることができた。そこで、これからのプラス人生にかかわる人たちは私の新しい「家族」と言いたい。

その新しい「家族」での新しい「知恵」を今後の「プラス人生」でどのように活かしていけるかが楽しみである。

 

あらためて第一の人生について振り返って見よう。

「捷三」と命名の由来は父方のおおおじ(大伯父)が軍人であったことによる。

日露戦争における旅順および二百三高地で乃木希典の苦戦を助けて日本陸軍に勝利をもたらした児玉源太郎の片腕の参謀として、のちに陸軍大将となったおおおじの養家を継いだ祖父によるものだった。

 

おおおじは朝鮮半島の前で露軍の侵攻を防ぐしかないとする戦略をとった参謀だった。

朝鮮半島と日本列島の安全を確保するための選択だった。

 

また、児玉源太郎は渋沢栄一から日本には日露戦争を戦い抜く財力はないことを諭されてその戦略をとったといわれる。

吉田松陰が西欧からの侵略を憂いたのも、伊藤博文が日本人の精神的強化のために天皇を重んじる政策をとったのも日本人の生命財産を守るためだった。

 

これら貴重な先達の知恵の蓄積にもかかわらず、国民の手段と目的の錯誤による侵略の過ちを冒した。

最終的にはミッドウェー海戦での失敗の後に日本は敗戦を迎えた。

同胞が陵辱、忙殺されないことを願ってこの世に生を受けたのだから自分に負けないことが大切だ。

 

この心意気を受け継いだ養継両家では「いとこ会」で「知恵」の学びあいをしている。

この「いとこ会」へは私が中学生になってはじめて「参加してもよいのでは」との呼びかけがあった。

私と異母兄とは十何歳か離れていた。参加者はその同年代がほとんどだった。私はその中で十数年のタイムスリップを経験することができた。

小学一年では同い年レベルの仲間ではものたらず、中学生の冒険グループに入って大怪我をした。骨組みだけが残る旧兵舎探検でよじ登った屋根から残骸とともに地上に転落したのだ。

異母兄たちが担架で病院に運びこんだが、頭を打った内出血で助からないと思われた。

二日後、突如「百万円よこせ」と叫んで意識が戻った。

 

貧乏な少女役の美空ひばりが宝くじで一等の百万円が当たって大騒ぎする映画があったころのことだ。

 

遅れてきた子には三途の川をわたりかけても転んでもただでは起きない精神が培われていたのかも。

 

十数年遅れて出てきて先に行ってる世代にあわせようとする姿だった。でも、今までいなかったので知らなくてもしかたがないと考えることにした。

 

そして、これからの生き方だけを考える。

遅れて来たからといってその分まわりより劣っているわけではない。

今までこうだったからこうでなければならないとは考えない。

過去は歴史に問うこととして、自分で築いていけるこれからに注力すべきだ。

変えられないことは別にして、変えたほうが良いと思われることは勇気をもって変えていく。

これが遅れて来た子の取るべき道だ。

 

大学ではまだ日本ではマイナーだったマーケティングを専攻した。

マーケティングは当時はアメリカからきた流行りの学科だった。

しかし・日本での研究書は翻訳マーケティングと揶揄されるレベルで何の新味もなかった。

 

卒業後の仕事でも一貫してエリートコースにはほど遠い特許管理を担当した。

特許管理は技術系一流大学出身者が勤務を命じられるのを泣いていやがったという噂がある。

 

文科系の仕事ではなかったが、誰もやりたがらないのなら逆にチャンスかと思った。世の中を変えていく勇気を持つ者の発明を保護できると考えたからだその後、知財ばやりの時代がやってきた。しかし、それも大事だがもっと他にやるべきことがあると考えた

身の回りにあることで、生活を豊かにしている「知恵」が生かされていないのではないか。イオングループ創業者の実姉が弟を日本一の事業者にしようと家訓の一つを「見えざる資産の蓄積をせよ」としていた。小さな家業から始めた事業での優れた逸話である。

 

そこで、ノウハウ(知恵)やスキル(技能)の活用で知的資本の構築を目指した。

これが第二の人生における私の目標だった。犬が尻尾を振って飼い主に挨拶をする。植物が花を咲かせて蜜蜂に合図をする。色々あるが、何らかの会話ができる範囲でしか相互に納得できる判断基準は定められないと考えられる。

仲間同士では目配せやボディーランゲッッジでも通ずる。プラス人生の原点はここにある。

気持が通じれば「知恵」は伝わるのだ。プラス人生は家庭内から始めるのが妥当だと考える。生活をともにしている者同士間で「知恵」の交換が頻繁になされるからである。それよりも、人間はずっと生きていることはできない。必ず死ぬ。肉体的には死によって連続性は断たれる。

しかし、生物は肉体的死によって自己は消滅しても遺伝的に更新して繁栄できる。そうでないと次世代への肉体と精神の特徴が受け継がれない。特に家族は自分が死んでも遺伝子をもって先代からの肉体的、精神的固有の特徴を次世代へ引き継ぐことができる。さらに、

人間が生きていく本当の意味は全体のためにいかにあるべきか、次世代のために何をなすべきかにある。たとえ家族が途絶えても、生活を共にする家庭内では相互の「知恵」は共有されそれが継承される。むしろ結婚等で他人の血が入ることによって新しい「知恵」が加わることも多い。そして、

世代が絶えない限り継続する。無から有は生じないが、無限に続くことは無限の彼方の過去に発する。結果として存続し続けたものがそのために必要な認識を得たときに全体として他と共生する能力を得ることができる。したがって、存在し続けようとする意識を持って存在し続けたものが残り、他は消滅する。

コロナウィルスも他の生物と共生し、共生される生物も自らが生き残る体力と知力を維持する。今まで生きた者は後に続く者を生み出せる。

だから、プラス人生は遺伝子が繋がる家族から始めて家庭内に継続することができる。そして家庭を構成しうる仲間に広げていくのだ。そこで、娘は私の非常事態には自宅の状態や仕事の都合にもかかわらずわざわざ飛んで来てくれたのだ。改めて人のつながりのありがたさをつくづく感じた。

息子や娘と孫が命をつないでくれるから私は生きながらえる。

肉体的には代替わりするとしても、魂は継続し続ける。

娘の家族である孫が社会人になった。無職だった私の息子が職を持った。したがって扶養家族ではなくなる。妻だけが家族のはずだが、もともは他人だ。生活を共にしていない以上家庭の一員ともいえない。しかし、息子と娘の母親であるので肉親であることは間違いない。それぞれ、血族あるいは親族関係にあるといえる。この関係で生きるための「知恵」が継続しているのだから私の命はとても私一人のものだとはいえない。

 

また、孤独な生活環境であったとしても、魂は一体として命をつないでいる。

私の父母・兄弟はすでにこの世にはいない。

しかし、いとこ会のメンバーとその親族は健在のものも多い。したがって、限りなく後継者に恵まれているといえる。

親子ほど年上のいとこの場合はその子さらには孫までも含めると相当数のメンバー規模になる。直系だけでなく傍系をも含め、父方、母方に展開すると、端から端は見えなくなる。いずれにしても、血縁、地縁その他何らかの縁をもって連携しているといえる。この繋がりを考えると私個人としてのプラス人生はとてつもない広がりの原型を持っていることになる。それに新しい仲間を加えるとその広がりは倍増する。

 

共感によるコミュニケーションネットワークだ。「いとこ会」は父方の家系によるものだった。父には9人の兄弟姉妹がいて、おおおじ(大伯父)とのいとことの兄弟姉妹関係を合わせるとかなりの人数になった。しかし、母には姉が一人いるだけだった。その姉である伯母には子供がいなかった。

女子大をでた後、魚河岸の親方の後妻になった。

そして、漢文・古文の教師をしつつ、観世流能楽師範となった。不思議なことに私のいとこが観世の家老格能楽師家の嫁となったのでその夫婦は「いとこ会」の一員だったが伯母はメンバーではなかった。幼少の頃からその伯母に連れられて、「うたい」の稽古で「牛若」なんぞをやらされた記憶がある。その後の「いとこ会」ではその能楽師家世襲している「はとこ」等と謡曲の話にも花が咲いた。どういうわけか、大学生活費用の仕送りは伯母から受けた。その後、戸籍には籍には私がその伯母の養子になり、その後原籍に戻ったことが記録されていたことに気がついた。その先祖を祀れるのは私しかいないので、伯母と母が亡くなった後、母方の実家の菩提寺を数ヶ月間捜し回った。ようやく母方のふるさとのとある寺で巡りあった。

ご住職からの「お待ちしておりました。」との声。ご住職の先祖のお墓に共に祀ってもらっていたが、ちょうど分けたいと思っていたところだという。

伯母には子供がいないので、とりあえず事情を説明して、同寺内に移してもらった。母方の親戚は私の後継にきることになる。

その伯母は専門の古文・漢文の教師を永らく務めた後、能の世界に飛び込んだので、教え子や弟子にかなり多くの信奉者がいた。その伯母が亡くなった後、それら信奉者からの要望で、それまでの講義録を調べてみたところ、能の弟子だった大学教授等そうそうたる面々が息をのむ重厚さだった。

「源氏」や「枕」を解説する会を催していたことは知っていたが、「源氏」の「葵」や「「鞍馬」の「牛若」が謡曲の能だけの解釈より本来の古典の心を心を求めるところに至っていたことに伯母の生き方から新たな「気付き」を得ることができた。

私の母は私の父と共に井口家の墓に眠っているが、母の姉である伯母は、夫だった魚河岸の親方の墓に眠っている。

一方、兄の母方の親戚は高名な芸大教授に繋がるが私との血縁はない。でも、父や兄を通じて親戚付き合いはされ、親しい仲は依然累々と繋げられている。姻戚を除くと後は友人・知人になる。家族、親族、親戚以上に親密な関係にある友人・知人は大勢いる。遺伝的・法的に関係はなくても生活環境の緊密度が高い場合も多い。ここで、プラスの人生での友人・知人との共感を考える。血縁がない友人・知人との共感は同時に生きている間柄でのみ可能となる。家族・親族のように血縁のある血族および姻族は遺伝子の承継による共感ができる。友人・知人の血縁者との遺伝子の承継による共感は血縁がつながる過去に遡らなくてはできない。これら共感の仕方は、血縁によって遡れるかどうかによって異なる。プラスの人生における共感は、この違いをわきまえてする。血縁とは縦に、それ以外とは横に繋がる「知恵」を共感する。過去と未来が無限に続く限りものごとに始めと終わりはない。何かが存在し始めて、生命を生み、脳が発生して、意識・知能が生まれそれらが遺伝する。我々にとってそこに意識・知能が生じたときがはじめで、それがなくなれば終わりだ。意識・知能の縦と横の繋がりが共感を呼び、そこに「知恵」の共有と人生の共存が生まれる。人が生きていく意味は個として全体のためにどのようにあるべきかにある。そして、他人のため、次世代のために役立つ何かを遺せることに意義がある。
私の八十年は、家族・親族、友人・知人とともに受け継いだ「知恵」を生かすための準備期間だった。これからはそれを活かすという方向性は決まったとしてもどう飛ぶかはまだ調整が可能な段階。また、着地点をどこにするかはこれからの飛び方によって決まる。さらに、その着地点から次の飛躍にはさらに大きな可能性が秘められている。八十歳から飛躍して、第一の着地は二十年後か。第二の着地はそれからさらに二十年後か。一年毎、一日毎、今の一分一秒、自己の心身を健全に維持していればそれがどこで終わるかは問題にならない。ひとつひとつを心の遺産として残し、これから広がる次世代の世界に残っていくことで人生の意味を創っていく。そこに新しいプラス人生が生まれる。人生80年で家族・親族、友人・知人とともに培った知恵を新しい仲間とともにいかに活かしていくかである。第二の人生では経営者に向けて「知恵」を活かした「ゆたかな生活」のための知的資本の構築について提案した。これを第三のプラス人生では家族・親族、友人・知人とともに培っていく。家族・親族については今までだけでなく、これから構成していくものをも含める。友人・知人についてはこれからのものが重要になる。「知恵」のやりとりの結果を活用するためにその情報を共有する。そのために個人を中心とするオープンなプラットフォームが有効となる。すなわち「知恵」を仲間うちで共有して人々を中心にあらゆる情報をオープンに活用してともに価値を創造する。価値の創造を重視し、誰がどの「知恵」を活用したかを後から検証できるようにしておけばいちいち同意を必要としない。アクセスログを残しながら、その目的にかなった使い方をすれば、パンデミックや経済的パニックが起きたときは、同意なしでも特定のミッションを背負った人々にデータの使用を許可できるようにする。同意が必要な案件でも、非常事態の場合には必要な範囲で使える旨の取り決めをしておけば問題は解決する。それよりも、このプラットフォームの利用者相互の紹介により新規利用者を獲得することができる。既存の利用者にはインセンティブを与えることにすればその効果は抜群に向上する。仲間の内でもジェンダー特に男と女については微妙な感触がついて回る。知人・友人の間では恋愛・結婚等は主として男女間での問題とされる。家族・親族の間では役割分担についての差別化が問題とされる。しかし、家庭での“主婦か主夫か”などの論争は家事の分担の問題に過ぎない。さらにはLGBTQ問題についても視野に入れておかなければならない。しかしながら、それらの問題についても人間の「知恵」をもってすれば解決できないものはない。みんな仲間だからだどこまでが仲間なのか?「知恵」が共有できるまでだ。正直言ってレズビアンやゲイ、バイセクシャルについては誰もが詳しいわけではない。
今では性自認等についても考えなければならない。性自認等についてトランスジェンダー(Transgender)は性自認が出生時に割り当てられた性別とは異なる人、クイアやクエスチョニング(QueerやQuestioning)は性的指向や性自認が定まっていない人のことをいう。男、女、それ以外を同時には経験できる人はいない。しかし、それだからこそ、お互いに今まで知らなかった「知恵」を仕入れることができるのだ。ただそれぞれが人間として相手を正しく理解し、偏見による誤解を避けることができれば、幸せな気持ちで「ゆたかな生活」を享受できる。それがプラス人生で求める目標の一つだ。仲間の間で共有の基礎とされた「知恵」をベースとして活用について妥当な取り決めをする。ではその取り決めはどのように設定すべきか。たとえば、以下のようにする。仲間の一方が「知恵」を持っていて他方がその「知恵」を使って活用する場合、両者間で合意が出来た範囲で当該「ノウハウ等」を使い合えるとする。次に、一方の「知恵」と他方の「知恵」を交互に活用する場合。すでにそれぞれが蓄積している「知恵」を比較しあって大した差がない場合には合意の上でその実績を記録して活用する。その累積において必要が生じたときには過去の実績に応じて差し引き評価する。共有等が複数にわたるときや「知恵」を含まないものが混在する場合にも応用できる。当事者および「知恵」が錯綜する場合にも累積において該当する組み合わせを選択して検索および抽出すれば同様に処理できる。仲間同士の取り決めだから相手や状況に合わせて随時変更すれば良い。人間は発達した情報処理と記憶の能力を持っている。個々人にとって情報の意味は相互に連関し、複数の人間によって共有される。そして、複数の人間によって相互に共有された認識基盤を構成する。この基盤上の共通認識が個々人の行動を規定し、仲間としてのコミュニティの安定性を保つ。そして、個人の潜在能力の基盤となる健康で文化的な生活が保障される。これはアマルティア・センのケイパビリティー(潜在能力)アプローチに適合する。社会的、文化的環境の中で作られていくジェンダーへの認識も時代とともに変化する。
「性同一性障害」ならぬトランスジェンダーもジェンダーとして考えなくてはならない。だから性別に違和感をもつ人々を指すトランスジェンダーもジェンダーに含まれることとなる。今は男女平等の時代だといっても“男は仕事、女は家事”の考え方は残っている。高度成長の推進のためにそのほうが都合がよかったからである。家族、特に女性が担ってきた介護や保育の苦労が新型コロナウィルスによるパンディミックでさらに顕在化している。国民が自ら選んだ施政者により崩壊させられた民主主義のもとでは期待できるものはない。責任は選挙民にある。誰もやってくれない。自分たちで回復のために「知恵」を出し合ってできることから改善していかねばならない。他人を変えることはできない。まず自らを変えることだ。
自らを変えることができる仲間が力を合わせればできることだ。ジェンダーについての偏見を捨て、そこに潜んでいる問題に気づくときである。“お一人さま”ではじめるからその仲間がことをなせるのだ。“お一人さま”は強いのだ。その強い者が力を合わせれば怖いものなしだ。家庭を築いた後もモーレツ社員の典型として社内外での仕事、国内外への出張で家を空けることが多かった。単身赴任で家庭を離れてのひとりでの社宅生活も十数年続いた。その後、妻が親の介護のために実家に常住したのでまた十数年は単身生活だった。ここでさらに単身生活が続いても今までと生活環境に変わるところはない。妻と成人した子はそれぞれが独立した人格と個性を持った人間だからである。法的・経済的・社会的にそれぞれが果たすべきことがらを認識していればよいことである。そうすると、このような状態での家庭はどうあるべきだろうか。それぞれが自分の役割を果たしていればそれ以上について負担を感じることはない。それよりも、「知恵」を共有する仲間としてお互いの「ゆたかな生活」を追求しあえばよいことだ。そして、私は「家族」の生活に干渉することなく、仲間と共にプラス人生を送らなければならない。「家族」は過去に継続するこれからの「家庭」で生きるし、仲間はともにこれからを作っていくからである。したがって、「家族」は過去を引きずって生きるが、「家庭」は仲間と共にこれからを生きていくものである。その中に創造されるプラス人生は仲間と共生するものなので、その中で意識に「知恵」が共有され続ける限り存続し続ける。一般に家族が共同で生活する場所を家庭と呼ぶ。「知恵」は人の「気付き」によるものだからそれは気づいた人のものである。共同創作された「知恵」は気づいた人々の共有となる。「家族」は普段、生活を共にしているから共に気づくことが多い。そして、その「気付き」はその「家族」のものだと認識することに抵抗はない。友人・知人の場合には必ずしもそうはいかない。しかし友人・知人の間で共通の価値を持っているものはお互いに尊重する義務を感じるはずである。それぞれは相手にその義務を果たさせる権利を有する。したがって、友人・知人の場合には必ずしもそう安易に権利・義務の遂行とはいかないようにも思える。しかしその場合でもその「気付き」はその友人・知人とのものだと認識することに抵抗はないはずである。だから、友人・知人の場合には道義上から無過失責任を負っていると考える。家族関係と違って扶養、配偶等の問題が絡まないからである。「家庭」を仲間に含ませて考えれば、「家族」と日常生活で共同して創作した「知恵」は仲間との共有となる。しかし、血が繋がっていなくても仲間を受け入れて共に生活すれば、そこに新規な家庭が生まれる。どうすれば良い家庭になれるかは家族が幸せになれるかどうかにかかる。家庭が快適であれば家族も幸せのはずだからである。プラス人生では仲間と快適な家庭造りを心がければ家族ともども「ゆたかな生活」を得られる。第二の人生で培った「知恵」の活用法を活かして、家庭に遺産を遺せばそれは家族の財産ともなる。「知恵」だから資産に計上されず、財産とはいえないかもしれない。しかし、投資して知的資本を構成することができる。その投下で新たな「知恵」を再生産する。核家族から”お一人様”になってくると団欒はなく共感もなくなってくる。家族への依存関係も少なくなる。そして仲間と連携する責務を感ずるようになる。そうすると反射的に、仲間との連帯する相互依存関係が生じてくる。それぞれ手分けして、新たな「知恵」を共同で創成しそれを仲間に伝承していく。仲間には家族・親族以外の他人を含むからプライバシーには注意しなければならない。また、男女間においてお互いの差を助長しあうことはやめることが大切。最も恐ろしいのは差別排除を建前とする仕事を自らだけの生活の糧とすること。あたかも、慈善事業やボランティアをよそおうことがあってはならない。巧まないとしても、それをもって自分に利益を誘導することのないようにしたい。だから「知恵」を共創した仲間のアイデンティティーは特定する。共創する「知恵」についてはお互いの責任を明確にするためだ。仲間との共同による「知恵」の創造こそが「ゆたかな生活」への持続を可能とする。仲間との共同による「知恵」の創造が共生を実現する。「知恵」は人的交流によって信用を醸成しながら相手の範囲を広げていくことで創成されてきた。しかし、広域ネットワークの発達した現在、真贋の検証がされないまま伝達され、判断に悪影響を与えつつある。例えば、SNSによる信頼性の無い情報の広がりがある。「いいね」の「口コミ点数」によって実態を反映しない世論が形成される。この点に留意しつつ仲間と情報の範囲を適切に判断しなければならない。そのためには仲間との信頼関係の維持が重要。仲間との「ゆたかな生活」を持続可能にするために互いに信用を醸成する。共同による「知恵」の共創が仲間との「ゆたかな生活」開発を持続可能とする。すなわち共同創作によって共に生きることこそ持続可能な開発の実現に寄与する。一般には企業について言うが、ここでは仲間同士における共同開発の持続可能性をいう。この仲間同士における持続可能性についてもジェネレーション間で意識の違いが見られる。私ども終戦前後に生まれた世代の放送はまだラジオだけだった。テレビ、それも白黒、が出てきてみんなで見に行ったことを覚えている。カラーになったのはずっと後で三種の神器として崇める時代になってからだった。ネット通信もまだインターネットではなく、パソコン通信による電子メールがせいぜいだった。いまや仮想現実端末や3Dプリンターを自由に使い回す世代だ。次代が代がかわっても「ゆたかな生活」を求める「知恵」に変わりはない。自動運転車の時代も目の前だ。
完全自動運転になれば今の運転免許証はいらなくなる。AI万能になれば、「体」を動かしたりしなくてすむ。そんなことはないだろうが。「ゆたかな生活」のための目的と手段をはき違えてはならない。サスティナビリティはテクノロジーのみでは得られないのだ。仲間同士による「知恵」の継続的共創プロセスには監視・中傷はない。共創する仲間の「知恵」に基づくもので持続可能性を有するものとなる。そうすると、「知恵」を共創する仲間は監視社会から逃れることができるといえる。社会、病理、法を超越した真摯な生きざまを有することに勝るものはない。仲間の「知恵」のこのような活用は正に「ゆたかな生活」への王道と言えよう。共創する共創する仲間とはどのような範囲のものをいうのだろうか?お互いの「知恵」の価値を認め合い、信頼関係にある者同士をいう。家族も含むが、家族の一員と他人との関係で仲間となるようにすれば、その仲間は法的拘束力を受けない。すなわち、互助会、ボランティア団体等権利能力なき社団で代表者を定めればよいのである。
任意団体、いわゆる親睦会なので構成員はいっさい個人の責任を負わない。一定の要件を満たさない限り訴訟の当事者になり得ないからである。財産は構成員全員に総有的に、帰属することになる。「知恵」は会計上資産を構成しない。よって、総有財産となって構成員個人に帰属しなくても不都合を生じない。構成員である仲間の全員で活用し、「ゆたかな生活」の糧とすることができる。仲間によるサスティナビリティ、すなわち次世代への「ゆたかな生活」の持続的共創だ。

仲間とはどのような範囲のものをいうのだろうか?お互いの「知恵」の価値を認め合い、信頼関係にある者同士をいう。家族も含むが、家族の一員と他人との関係で仲間となるようにすれば、その仲間は法的拘束力を受けない。すなわち、互助会、ボランティア団体等権利能力なき社団で代表者を定めればよいのである。任意団体、いわゆる親睦会なので構成員はいっさい個人の責任を負わない。一定の要件を満たさない限り訴訟の当事者になり得ないからである。財産は構成員全員に総有的に、帰属することになる。「知恵」は会計上資産を構成しない。よって、総有財産となって構成員個人に帰属しなくても不都合を生じない。構成員である仲間の全員で活用し、「ゆたかな生活」の糧とすることができる。仲間によるサスティナビリティ、すなわち次世代への「ゆたかな生活」の持続的共創だ。要な意味を持つ。そのためには「知恵」の情報価値をともに創造をする場所が必要となる。そこで、仲間同士でオープンなプラットフォームを使えるようにする。自由に使えるが、使用には仲間の同意を必要とする。ただし、非常事態の場合にはお互いに開示できることとする。そして、パンデミック等が起きたときは、同意なしでも使用を許可する。このようにすれば、共有し創作して蓄積した「知恵」を有効に活用できる。共同して「知恵」を提供しあった仲間は各々相応の受益が得られることにする。共同で創作した「知恵」はともに生活や仕事に活かせる。自分の身の回りや家族との共同生活、家族や仲間との催しや家内工業で有効活用できる。さらに自分たちの新規事業に活かせば独自の開発ができる。その結果、仲間以外の他人からも評価され、仲間の拡大や新たな事業ができる。仲間同士および新たな仲間との「知恵」の蓄積と結合が図れる。そして、さらに「知恵」の共有創作の高度化が図れる。その分野での特有な「知恵」の結合、蓄積が可能となる。それを仲間内で高度化し繰り返し蓄積できる。仲間以外とも共同創作してさらにグレードアップできる。仲間とともに、次世代遺産としての知的資本を構築できる。仲間と共同して創作した「知恵」を「ゆたかな生活」に活かす開発を行う。そして、仲間とともに、次世代遺産としての知的資本を構築する。仲間として最も近いのは結婚した娘である。すでに自分の家庭を築き上げるれっきとした職業人でもある。新型コロナウィルスによる感染症伝播が日本でも広がり始めた頃、私は労災上の負傷をした。仕事上の事故で足首の靭帯切断と脚内部骨折と内出血で全く動けなくなった。困ったことに数カ所の図書館から分厚い専門書を数十冊借りていて、返却及び再借り入れができない。娘は、通勤の間、悪天候のなかキャリーバッグを引いて2週間以上かけて完済してくれた。普段往

き来はほとんど無かったが、お互いの仕事ぶりを連絡しあっていたので、私の足になってくれた。そして一言、

「私、図書館大好き!」このやりとりで娘と私は本の仲間になった。跳んできてくれて、私が本の山に埋もれて蒸されているのを見るなり、エアコン設置替えの手配をした。生活環境改善第一との「知恵」が働き、私もそれに気づいたのだった。私の仕事の効率が向上したことは言うまでもない。学生時代からの友人で、卒業後も同窓会等を通じて親しい仲の男性がいる。彼は剣道等の日本武術にたけているようだった。同じ宿舎の隣り合わせだった。毎晩木剣の素振りを長時間欠かさない。お互いに気にしながら1年近く睨みあいが続いていたそのうち麻雀等で気があって、その後今までの付き合いだ。彼は自分で会社を立ち上げて、それなりに拡大していった。私はサラリーマンを続け、企画が通って会社出資の子会社の社長になった。彼は資金繰りに窮して営業譲渡した。私の会社は出資株主の株譲渡で閉鎖した。友達同士の付き合いなので会社運営の話はしたことがなかった。今、ふたりでお互いの「知恵」を開示しあって個人ベースの仕事をやらないか、打ち合わせをおこなっている。「知恵」の共創はできる。「秘密」の内容は、仲間同士では知らせあわないと共創ができないのでお互いに開示する。しかし、仲間の数が増えた段階で、それぞれの了解のもとで開示範囲を広げる。仲間の同意が得られたものは一般に開示する。仲間以外との情報交流を図り仲間と「知恵」の範囲を広げるためだ。「でもそれを乗り越えての成果もあったので、成否併せてこれから上手く皆と分かち合いたい。」秘密にするも、公開するも本人の自由である。しかし、「知恵」の情報は秘密にしていたらそれ以上に発展しない。力を合わせて「知恵」をさらに魅力あるものにするのには、仲間同士では開示を原則としなければならない。原則開示で例外秘密である。全員が知らないことが秘密であり、仲間の誰かが知っているのは秘密ではない。それは共有して共創の基にしなければならない。誰も知らないから価値がある。それはみんなで尊重してこそ誰もが新たな「知恵」を秘密裏に創造しようと思うのだ。「知恵」情報はこのようにしてこそ“監視をせず、かつ、されずに”のコントロールができるのだ。世の中で秘密な「知恵」を持っているのが自分一人だけならば、それを勝手に公衆に公開されたら話は別だ。その場合、権利としてはプライバシー侵害の問題は残る。しかし、監視体制のなかでも制約されないで「知恵」を共創しようとするものである。仲間内でのコントロールはその合意の範囲内ではあってしかるべきである。ネット社会では意に反して拡散されてしまうことが多いので、人対人で共創すべきである。そして、仲間内のルールに従って「知恵」情報のコントロールはされるのである。日露戦争時代からのおおおじの精神。享年106まで健康寿命を維持した父の心身。叔母が私だけに母方の家系を守ることを願った真意。これらを思ってプラス人生で自分を変えていく。こうした方々の「知恵」を引き継ぐ。仲間と共に新しい「知恵」を活かす。そして、末永く「いのち」をつないでいく。今回のパンディミック対応として、たとえば行政がクラスターの発生を避けるために営業自粛を指示したことがあった。 そして、その指示に従わないパチンコ店名を公表したところ、むしろその公表が強力な宣伝となって、指示に従わない店のみに客が殺到し、問題となったことがあった。 もともとが高い射幸性はあるものの公安維持のため当局の庇護のもとに発展した事業であるので当然に予想される事態ではあった。 その趣旨から、あまり強度の行政措置は、たとえばアメリカにおける禁酒法のもとでアル・カポネによるギャング団が跋扈したようなことになる。 こうした「知恵」の応報は、ここでいう仲間等が後継者への遺産として「ゆたかな生活」のための知的資本を構築に活用する「知恵」とはあきらかに異なる。 また、営業自粛に対する政府の補償や、生活困難に対する給付は確かに緊急時においては仕方がないこととはいうものの、結果として次世代への税金負担の先送りとなる。 それがたとえMMT論に従ったとしても、過剰な公債発行でインフレによる経済破綻も避けられないことになり得る。 また、生活保護にしても、たとえば支援団体と病院等の弱者保護の大義名分によって、すでに支給が必要でなくなっているにもかかわらず、延々と継続されている事実もある。 本人、団体、施設がそれぞれの「知恵」を駆使して、自組織経営優先処理を繰り返し、行政も形式上の手続き処理にしたがって処理する。 この繰り返しで人々の働く意欲をますます喪失させ、また彼ら自身の懈怠によって本来無くすべき“格差”を自ら広げてしまっている。 パンディミック等の危機にもかかわらず回復を遂げるために必要な「知恵」は自らが日々創成して蓄積しておかなければならないものである。 自己の「知恵」をまず仲間に提供し、そして仲間と共創してこそさらに価値ある新しい「知恵」が創成され、共創されて長期にわたって蓄積されることにならなければならない。 蓄積され価値増大されて「ゆたかな生活」に活かされるものは少なからずとも「知恵」の要素を持つ。 これら「ゆたかな生活」に活かされるあらゆるものを常に築いていくことこそすなわち知的資本構築とその投下による新たな価値の再生産につながる。 仲間との「知恵」の働かせ方は以上のようにして活きたレジリエンスとして「ゆたかな生活」を築いていくために効果をもたらす。 この生活基盤に基づいてコミュニティが構成され、町、村、地域、都市が機能し、地方・中央の行政が成り立っていくのだ。 主権在民は民が国家に対して求める権利を有することをいうが、その前提として自らやるべきことやってからこそ主張できるものである。大企業等では、大発明を特許等の知的財産権等で保護して海外列強に対抗している。 しかし、零細・小規模・中小企業では大企業や列強にも勝るノウハウ等知的無形資産としての「知恵」を有しながら十分な活用がなされていない。 そこで、彼らの有する「知恵」の活用で次世代への遺産としての知的資本構築とその投下による新たな価値ある「知恵」の再生産で「ゆたかな生活」を築くことを提案してきた。 そしてさらに、個人や仲間の「知恵」を活かしたエイジェンシー(仲介)によるシェアリング(共有)と「定価値制」を基準とするサブスクリプション(期間利用)によるレジリエンス(回復力)で百年に一度のパンデミックにもサスティナビリティ(持続可能性)を有する定常的「知恵」の共創について検討してきた。 また、「貨幣を介さない」取引もできることが資金難に悩む事業者への直接効果、さらにはナッジ(肩押し)効果となってサスティナビリティを向上させる。 しかし、事業者へのナッジ効果といっても、実際には孤立状態で資金難を乗り越えるのはなかなか難しいと思われる。 そこで、仲間同士なら、先物取引に際しても、元本相当の「知恵」の受け渡ししか行われない場合には何らの資産も形成されないので決済時にもオフバランスとなることから、個人や仲間の「知恵」を活かした一般の取引において、シェアリングやサブスクリプションでのサスティナビリティあるレジリエンスを発揮できることになる。 この場合、“元本相当の「知恵」の受け渡しか行われない”ということはすなわち、「知恵」自体を交換媒体とすることだったのだ。 すなわち仲間等との間で「信用」が担保されるので「貨幣を介さない」で取引ができることになる。 これはあくまでも「知恵」を媒体とする場合について端的に言っているのであって、その射程距離は「貨幣を介する」場合にまで及ぶものではない。 それでは「知恵」以外を含む場合ではどうであろうか。 一般にオフバランスではないものを含む場合は、原則として、「貨幣を介する」こととするとする。 しかし、「知恵」以外でもオフバランス部分を分離できる場合には、その部分だけを仲間等との間では「貨幣を介さない」で取引ができることになる。 したがって、その部分を含めて、仲間うちで「貨幣を介さない」での先物等の取引が可能となる。貸借対照表に資産として載らないノウハウ等知的無形資産のうち「知恵」、特に「貨幣を介さない」取引等について述べてきた。 そこで、一般家庭や仲間同士での少ない手元資金で取引ができる先物等デリバティブ(金融派生商品)についての可能性について考えてみる。 資産・債務を証券化してオフバランスとした場合、確かにその期ではバランスシートには載らない。 しかし、資産・債務隠しの場合には決済時には貸借対照表に掲載されるのでオフバランスではなくなる。 そしてそのレベルのオフバランスは決済時にはオンバランスとなる。 したがって、同じオフバランスでもデリバティブ、先物やオプション、スワップ等の金融商品にかかる場合での取り扱いについては注意を要する旨の警告もした。 米国での低所得者向け住宅ローンの証券化を契機とするリーマンショックによる経済的パニックの例もあるからである。 資産・債務を証券化してオフバランスとした場合、確かにその期に決済時に当たらない場合にはバランスシートに載らない。 一時的に資産・債務隠しの為にオフバランスとする場合には決済時にはオンバランスとなる。 しかしながら、一般家庭における生活資金難対応にも「知恵」を働かさなければならない。 家庭の経済生活を脅かすことがないように仲間の「知恵」も総動員して新しい「知恵」を共創する。 そこで、先物等の取引が資産・債務隠しではない場合には決済時にもオンバランスとならないように庶民の家計に役立つことを考える。 先物等でも仲間同士の取引に際して元本相当の「知恵」の受け渡ししか行われない場合にはもともと何らの資産も形成されないので決済時にもオフバランスとなる。 本来交換の媒体である貨幣をお金によってお金を増やそうとする蓄財の対象にしてしまっていることに気が付かず、当然の商売や金融取引だと思い込んでいることの弊害をできることから改善するために「知恵」の「貨幣を介さない」取引について提案してきた。 このままでは次世代への遺産としての100年先に向けての知的資本の蓄積はままならない。
そのためには他人を変えるという改革より、自分および仲間同士の当事者による「知恵」の先物取引でも家庭や仲間レベルで改善可能になるように仲介(エイジェンシー)としての「知恵」を働かせる。 百年に一度のパンデミックにも耐えられるように家庭や仲間レベルでも将来にわたっての「知恵」の蓄積を可能とすることだ。 常にその心がけが実現できれば持続可能な開発のための新しいレジリエンスの展開となる。 通常の「貨幣を介する」取引での先物等デリバティブにおいても「貨幣を介さない」取引が可能となる。 仲間同士の取引に際して元本相当の「知恵」の受け渡ししか行われない場合にはオフバランスで「貨幣を介さない」取引となる。 したがって、家庭や仲間同士では「貨幣を介さない」で「知恵」の先物取引ができることになる。 これを敷衍すれば、通常の仲間同士の取引に際して「貨幣を介する」取引のうちでも元本相当の受け渡ししか行われない場合がある。 その場合には、その取引のうちのオフバランス部分は、決済時にもオフバランスとすることができることになる。 この場合、「知恵」を含んだオンバランス資産でも先物取引等で将来にわたって「貨幣を介さない」で「知恵」の蓄積を可能とすることも可能となる。 ただし、オンバランス資産の先物取引等では決済時には「貨幣を介する」取引とされるので、事前にオフバランス部分の分離が必要となる。 分離が可能となったオフバランス部分の「知恵」は先物取引等で将来にわたっての「知恵」の蓄積を可能とすることができる。 これによってもさらに新しいレジリエンスの展開とすることができる。
人間の「知恵」から発するオフバランスの「見えない資産」が次世代への遺産として蓄積される。 それが知的資本として構築され、投下されて更なる「知恵」の再生産がされる。 仲間同士の「知恵」の先物取引で将来にわたって「貨幣を介さない」でも「知恵」の蓄積を可能にする。 そして、百年に一度のパンデミック等へのレジリエンスとして常時蓄積され得る。 それがサブスクリプションによるシェアリングにより持続可能な開発による新しいレジリエンスとなる。
「貨幣を介さない」ことによるナッジ効果に後押しされて持続可能性はさらに拡大する。
また、「仲間のオープンサイエンス」、「仲間のオープンソリューション」の土台上での発展的セキュリティー感覚により共創による「知恵」が拡大する。 そして、広く環境・社会・経済の観点からこの世の中を持続可能にしていくサスティナビリティーに貢献する。 さらに、ESGの非財産情報では仲間間での「知恵」取引等の処理結果の応用において社会問題やコンプライアンスにおいて「豊かな生活」への貢献をすることができる。 社会問題については、高齢者、認知症、介護、団塊世代等について「知恵」の活用について前著等でも述べた。 自分を変える タバコ、アルコールをやめて30年間、70歳で運転免許証を返納して10年間は単に健康、安全の問題だけでなく自らするレジリエンス貢献についてもさらに重要な意味を有する。 環境問題を政府や行政の役目にするのではなく、自らを変えることから始めるのである。
街を走る乗用車、公道を走るトラック等は必ずしも社会的に不可欠なものだけとは限られない。
幹線道路、高速道路を数珠繋ぎになって轟音を放ちながら連綿と走るとともに大渋滞でその機能を果たせなくなっている大型トラック群を見ているとどれだけが本当に必要なものなのか疑問となる。
不要にドライブの趣味を満足させるためだけの一人乗り乗用車が殆どだし、無駄にガソリンをばらまく高排気量スポーツカーは安全ばかりでなく環境上不適切である。 公道を倉庫にして連綿と渋滞する大型トラック群はマーケティングの間違った拡大による無計画なサプライチェーン依存の弊害である。 本来弊害を生じていた大量生産主義を合理化して「ゆたかな社会」のために顧客が必要とするものを提供することから発展したマーケティングとその高収益化の手段としてのサプライチェーンの誤用による弱点がこの新コロナパンデミックで暴露されたに過ぎないことに気が付いている向きは今になってもほとんど見られない。
今回のパンデミックによって思い知らされた物流の基本の基本についての間違いを改善していかなければならない。 脱炭素化も個人個人が自ら本当の問題点に気づかない限り永遠に解決しない。 生物が生き続けるためにどの要件をどの順序で優先させなければならないかを、個人個人が真剣に追及して実践することの集大成が必要最低限の結論を導く。 EV車のバッテリー充電等諸関係のための電力は環境破壊のない風力、地熱、太陽熱、水素発電システムだけですむのか?
脱炭素化取引については政府や大企業社会だけの問題なのではなく、個人個人の覚悟によらなければ正解は得られないのではないか。  「知恵」およびそれを含む資産の取引等の結果を活用するためにその情報を仲間内で共有することが重要な意味を持つ。 そのためには前述したように、個人を中心として「知恵」を仲間内で共有してあらゆる情報をオープンに活用してともに価値を創造するプラットフォームが有効となる。 要するに仲間内で「オープンサイエンス」と「オープンソリューション」の機能を併せ持つので「知恵」の土台とそれに基づく共創の基盤となるものである。
価値の創造を重視した考え方をとって、誰がどの「知恵」を活用したかを後から検証できるように条件を定めておけばいちいち同意を必要としないとすることもできる。 アクセスログを残しながら、その目的にかなった使い方ができるので、パンデミックや経済的パニックが起きれば、同意なしでも特定のミッションを背負った人々にデータの使用を許可するようにできる。 同意が必要な案件でも非常事態の場合には必要な範囲でお互いに情報開示できる旨の取り決めをしておけば問題は解決する。 それよりも、このプラットフォームの利用者相互の紹介により新規利用者を獲得することもでき、既存利用者にはインセンティブを与えることにすればその効果を抜群に向上させられる。 「知恵」の取引等における処理結果の業績評価上の取り扱いについては以上のとおりだが、当事者間の一定の行為をする権利の意思表示の合致である契約関係についてはその遵守が求められる。 不法行為等があった場合の損害賠償義務が発生することによる取引負担も考慮に入れておかなければならない。 以上は仲間同士といえども相互にわきまえておかなければならないことである。 一方、たとえば共同事業を行うにあたり「知恵」を提供しあった場合に両者は各々相応の受益が得られる。
さらに相手側の「知恵」を学習する受益とともにその「知恵」を開示するコストを負担するとしたとき、双方のレピュテーション(社会的評判)をも考慮して評価することになる。
SDGsとともにESGにより気候変動への対応、自然資源の維持、エネルギー使用量削減等環境問題、人権、安全、健康、人材等の社会問題、コンプライアンス等も考慮していかなければならない。 しかし、ESGでは主として環境問題に目を奪われがちだが「知恵」取引等の処理結果の応用においては社会問題やコンプライアンスに主眼を置いて 「知恵」の取引等の基準設定および標準化の考え方の具体化のひとつとしてサブスクリプションが考えられる。 サブスクリプションは料金を支払うことで、製品やサービスを一定期間利用することができる形式のビジネスモデルをいうが、ここでは、製品やサービスではなく「知恵」を利用する場合として任意レンタル型サブスクリプションの応用が考えられる。 一般のサブスクリプションは定額制のサービスで、商品やサービスを必要な時一定額まで利用するという形式による。 従来のサブスクリプションは一定額内までの使用を許可するものだが、ここで提案する任意レンタル型サブスクリプションは『一定価値』までの使用を許可するものである。 資産をレンタルしてサブクリプションにするとバランスシートに掲載されないオフバランスとすることができる。 すなわち、サブスクリプションでは単純なモノ売りをコト売りへと変換することができ、そのコトをさらにトランスフォーメーションにより新しい価値へ変質させることができる。 これを、クラウドサービスで利用可能とすれば資産の圧縮に繋がりROA(総資産利益率)を向上させられる。 特に、「知恵」の取引の場合では決算時だけでなく決済においても「貨幣を介さない」ですることができる。 これを任意レンタルの自動更新型サブクリクションとすると期限を意識することなく満足すべき条件を『一定価値』の総計分まで取引等を可能とすることができる。 したがって、お互いが納得する範囲内で利用しあうことができることとなる。 サブスクリプションでは顧客は商品やサービスを利用すればするほどコストもリスクも減るのが原則である。 そこで、価格競争に陥るのを避けて、顧客に満足してもらえる仕組みとして「定額制」を『定価値制』とすれば満足する結果が得られるはずである。 相手に価格を押しつけるのではなく、提供者と利用者が一緒に価値を作るのだ。 重要なポイントは、単なる定額制ではなく、データを集積し、分析し、新しいサービスにつなげていくことである。 単に販売会社やメーカーの視点で一方的にサービスを提供するのではなく、サービス提供を通じて利用者のデータを蓄積し、利用者視点でデータを分析することで、より利用者が満足できるサービスに近づけていく。 このデータの集積・分析・改善・新サービスの提供をしてこそ真の意味のサブスクリプションといえる。 ここでこれを自動シェアリングシステムに応用すれば、企業と顧客の関係を顧客同士あるいは当事者・ユーザー同士としたとしても同じことがいえるはず。 双方がシェアリングを継続してサブスクリプションを『定価値』で同意できれば満足すべき条件を『定価値』のトータル分までの取引等を可能とすることができる。 任意レンタル型とすれば、差額分の精算で済ませるかさらに異なる条件で継続することもできる。 この場合には仲間内でのアクセスログ体制の明確性が要件となる。 アクセスログは提供者と利用者の行動記録なのでその記録を分析することで相手方のニーズや自分たちのサービスの内容を知ることができる。 このためには「見える化」で「知恵」をもれなく抽出して、  ①「知恵」は「無形資産」で形がないので顕在化して認識できるように表現し、  ②オフバランスでバランスシートに載らない「知恵」は別途記載して見える化し、  ③自分自身ではそれを「知恵」だと意識していないものをカード等で探索して顕在化し、  ④他人から「知恵」だと認識されている場合を見つけ出すために情報発信すること等によって拾いだすことを常に行っていることがログ体制の信憑性向上に繋がる。 このようにして提供者と利用者の行動記録を集約して分析することで規定のベースとなるものを構築する。評価・判定の基準および標準化 評価・判定の標準化について今まで検討したことを整理すれば、以下の基準および考え方のようになる。① 自己所有設備等へ自己の「知恵」を直接投資する場合は、当該設備等への「知恵」投資単位あたりに生じた増加価値分が付加価値判定基準となる。これはその「知恵」を実施できる設備等を自己の空き設備等として持っているときで、その設備等は本来の生産等に使用しないものであり、特に売却・譲渡・償却等しないものであればそれを自己の「知恵」実現に貨幣を介することなく使って生ずる価値を増加価値として判断基準とすることができる。② 他人所有の設備等を使用して自己の「知恵」を直接投資して生産等する場合は、投資単位あたりに生じた差額分が付加価値判定基準となる。 この場合の取引の要件については他人が当方の「知恵」の使用を条件に当該設備等の使用を許可する場合はその結果生じた成果物は両者共有とすることができる。 すなわち、上記自己設備等使用のときと同様の扱いとなる。③ 「知恵」を交換する場合は実績記録を集約し、価値の差を分離してそれぞれ基準・標準化する。 その場合、それぞれの「知恵」の価値が明らかに同一のときは問題ないが、それぞれの価値が異なり、しかも一方または双方が複数の場合は容易には価値に交換についての基準が設定できない。 そのときはいままで取引等関係者間のアクセスログを利用することになる。 すべての行動データが1つのIDに紐付けられるということでオンラインとオフラインが融合した体験が提供され、その時々に最適な「知恵」を融通無碍に選べるようになる。 そしてそれらのデータを自己の利益にのみつなげるのではなく、相互の信頼関係を作っていくことで提供価値の増幅が可能となる。 そして、その取引等に関連するデータのうち「知恵」の価値判定に重要な意味を有するものを集約して該当項目ごとに分析し、最も好ましい項目を抽出して基準の核とする。「貨幣を介さない」取引等の処理 ‘ 一般に金銭によらない資産の投資の場合、投資からの利益が得られるという事前の期待に照らして事後の成果を把握することができるという「投資のリスクからの解放」に依拠する。 すなわち、金銭以外による投資のときは、事前に投資の利益が期待できるかによって投資後の成果を把握する。 交換によって移転する資産に対するリスクから解放された時には損益を認識し、必ずしもそのリスクから免れていないのであれば損益の認識を繰り延べる処理が行われることになる。 すなわち、金銭での交換による場合には損益を認識し、金銭によらない資産投資は損益の認識を要しない。 しかし、これは金銭によらない資産の場合について一般的に述べているにすぎない。 そこで、オフバランスたる「知恵」が「貨幣を介さない」で取引等が行われた場合にはどのような処理が行われるべきかについて検討する。 オフバランスたる「知恵」は資産ではないのでそのままでは処理の対象にならない。 したがって、オフバランスの「知恵」についてアクセスログから登録さされたデータ等を参照して独自の評価をすることになる。 これは必ずしも利益が期待できるわけではないので損益の認識を繰り延べる評価をすることができることになる。「知恵」の活用による持続可能な開発のためには仲間内における情報基盤の整備が必要になる。 そのために個人を中心とするオープンなプラットフォームが有効となる。 ここでオープンなプラットフォームとは一般に広く用いられているソフトウェアやデータの相互利用を行うことを想定したプラットフォームのことを言う。 すなわち「知恵」をコミュニティー内で共有してともに価値を創造するプラットフォームである。 さらに誰がどの「知恵」を活用したかを後から検証できるように条件を定めておけばいちいち同意を必要としないこともできる。 ここでは、仲間が分散して管理し、必要に応じて適宜つなげるようにするものとする。 誰でも、アクセスログを残しながら、その目的にかなった使い方が出来るものとする。 パンデミックや経済的パニックが起きれば、同意なしでも特定のミッションを背負った人々にデータの使用を許可できる。 なお、データの個人的コントロールと効用的活用をいかにバランスをとって連動させるかが課題となる。 いま、所有だけでなく共有の中からも価値を創造することが求められる時代に移行しているので、同意なしでのデータ使用ができるよう相互間で協議を行えるようにする。 ケイパビリティアプローチ、(capability approach:潜在能力アプローチ)とは、厚生経済学の領域においてアマルティア・センにより1980年代に提案されたアプローチである。 潜在能力アプローチの中心となる要素は、その“個人ら”がどの“何”を可能ならしめるかという点である。 ケイパビリティについてはつぎのような説がある。 “「ケイパビリティー」は、個人の力(パワー)と吸引能力(アビリティー)のみを暗示させてしまう単なる「能力(アビリティー)」よりも、容量が大きいのである。ケイパビリティーは行為者性(エージェンシー)を成立させるためのより一般的な人間の潜在的可能性を指し示すが、適切な条件、つまり社会的・経済的な結びつきと、基本的・発展的な人間的機能を可能にする手段とが、広くいきわたっているか否かに依存している。”(「アマルティア・センの思想」ローレンス・ハミルトン著 神島裕子訳 みすず書房 p76~77) オフバランスとされる「知恵」の取引等で対象を《レンタル型》として処理することにより定価知制サブスクリプションを可能とする根拠となる考え方である。前述の取引基準で想定される「貨幣を介さない」取引等の実際の業務に沿うようにさらに具体的に標準化の検討を進めると以下のようになる。

一、《直接投資》による場合

1.自分の「知恵」を自己の業務拡張または変更のためにすでに《所有している設備等を使用》して生産等するための「知恵」や「カン・コツ」等の人的資源として《直接投資》することにより知的資本を構築するケース。
たとえば、自家製品“アルミ家庭器物”の製作上の「知恵」を有している家内工業が熟練工員の深絞りプレス、へらしぼり、特殊アルミ熔接の「知恵」を“新規商品”の開発に投与して、すでに有している設備等を用いて、いままでになかった新商品工場としての稼動を可能にしたケース。 このケースではすでにある設備等には格段の資金を要しないし、自分の「知恵」を投資するわけだから設備等にも「知恵」にも「貨幣を介する」必要がない。 したがって、このような場合には規模の大小にかかわらず資金を要しない。 この場合、その投等で新たに開発した商品が旧商品と比べて売り上げ、利益を向上させたときは《単位あたりの差額分が付加価値判定の基準》となり、純利益相当を《配付した結果をもって事業上の標準》とする。2.一方の「知恵」を使って《他方の設備で生産》する事業については《一方が他方に直接投資》することになる。 前記1と同様に双方とも《「貨幣を介さない」で直接投資》とすることができるケースである。 たとえば、新商品の「知恵」で勝負したいが設備等の資金がない一方が設備等はあるが「知恵」がない他方を使って生産する場合に双方とも相対する投資を相手方の「知恵」と設備によって充足させ、双方とも直接投資の基準が使えるケースといえる。 いわゆる業務提携の形をとるので当該事業で構築した知的資本投下により得られた成果は双方で分配するのが標準となる。3一方の「知恵」と他方の《「知恵」を交換》するケースでは、比較しあって大きな差がない場合で合意の上でその交換実績を記録して取引等をする場合、それらの取引等の清算はしないこととする(直接取引)。
ただし、その累積において必要が生じたときには過去の実績に応じて差し引き評価する基準に基づく総合的判定方法を標準化する。二、《間接投資》による場合インタンジブルズ(有用な無形資産)の中でも「見えない資産」のうち貸借対照表上の資産ではないオフバランスの「知恵」は「貨幣を介さない」で取引等が可能となる。 その「知恵」の活用による「持続可能な開発」は次世代への遺産としての「人的資本」、すなわち「知的資本」を構築することができる。 ここで「知恵」とは知的資本を構成する人的資本としての「ノウハウ」のことを言う。 そして、「知恵」は知識と経験を活用して「気付き」を得て環境にうまく適応する能力でもある。 この「気付き」による「見えない資産」の可視化レベルに応じた「見える化」により「知恵」の管理と活用の有効性を極めることができる。 「見えない」は一般に「無形」なので視覚にも入らず認識できないことを言う。 しかし、それ以外でも視覚に入っているけれども認識できない場合や内容は認識できるけれども視覚に入ってこない場合等も「見えない」こととなる。 「知恵」の活用のために理解し適用する上で必要となるからである。
「知恵」はそのままでは見えないがバランスシートに記載されれば見えるようになる。 しかし、それがオフバランスの場合は貸借対照表の資産の部に掲載されないのでやはり見えない。 また、自分のものだとわかっていても、それが「知恵」だと気づかない場合、あるいは、視覚には入っているのだろうが認識されていない場合にも自分には見えていないことになる。 これらのことを正確に分析し理解していないと、正しい「見える化」をすることができない。 取引等の対象がオフバランスの「知恵」であれば「貨幣を介さない」で済ませることができる。 しかし、現状の一般取引はオフバランスであってもお金を払って処理することが当たり前となっている。 だから、「知恵」を含むすべての取引等が何の疑念もなく「貨幣を介する」ことになってしまっていることも事実だ。 何度も述べるように、この「知恵」は貸借対照表上の資産勘定にも載らないオフバランスでありうるという特質を持っている。
そこで、資産ではないので「お金を使わないで取引できる」対象を仲間の「知恵」の機能全体およびそれを活用する者の能力までを承継・蓄積の範囲とすることを考えた。 そしてそれらを仲間の相互利用により幅広く流通させることを提案した。 それによって「知恵」のみではなくそれを含む「モノ」にまで活用範囲を広げて利用・取引等をおこなえるようにするエイジェンシーシステムも可能となると考えた。 また、さらにそうすることにより「貨幣を介さない」取引等でおこなえるとする肩押しのナッジ(誘導)効果で「持続可能な開発」を続けられることによる事態の『改善』を提案した。 なぜ「改革」でなくて『改善』かというと、できないことは一応受け入れて、できることから勇気をもって変えていくことをすすめるからだ。
パニックだのパンデミックだのは歴史上繰り返し起こっていてその都度異なった事情によるものだから、「改革」のようにできるかできないかはさておいて、対症療法的に対応をすることはこの場合きわめて不合理だ。 そうではなく「知恵」を活用する『改善』によって「貨幣を介さない」ので無駄な投資をすることなく、できることから実行する道を提案した。 そうすれば、『「貨幣を介さない」ので無駄な投資をすることなく』の『ナッジ(誘導)効果で「持続可能な開発」を可能とする』ことができる。 すなわち、「知恵」の特徴に基づく活用によって次世代への遺産としての知的資本を構築できる。 しかし、現在の高度に成長しきった産業資本主義およびその後の世を支配する金融資本主義の下では全面的な「貨幣を介さない」取引が容易にうけいれられると考えることには無理がある。 そこで、容易には「変えられない」“普通の取引”は今までどおり“貨幣をもって”することとし、バランスシート上の資産ではないオフバランスとしての「知恵」にかかるもののみ「変えられる」こととして「貨幣を介さない」取引に勇気をもって挑戦することを提案した。 今はだれもが預金通貨、帳簿通貨としてのキャッシュレスを含む通貨制度は出来上がってしまっていて「変えることができない」とする先入観にとらわれているのが実情である。 だから無理して変えないで今までどおり「貨幣を介して」普通の取引をすればよいこととし、オフバランスの「知恵」についての取引等は「貨幣を介さない」取引等に変えることができるとすればよいことになるとした。 このように普段からの生活をできる範囲で改善し続けることによって持続可能な知的経済に向けての「豊かな生活」が築ける。「知恵」の取引基準の設定 取引等について相互間で土台の基礎とされた「知恵」の集合をベースとして取引基準の標準化をしていくことにより妥当な交換基準を設定する。 ではその交換媒体とする「知恵」はどのように設定すべきか。

防空壕の中から見上げる夜空に息をのむような光の豪雨が輝き、降り注いでいた。 街中を焼き払う焼夷弾とも知らず、「きれいだな!」と驚嘆したのが遠く幼心の記憶から蘇る。 母に負われて焼死体の山を越えて逃げ惑うなか、真っ赤に燃えた大講堂、伽藍が次々と焼け落ちるのが脅威の景観として眼底に焼きついている。 「風と共に去りぬ」の弾薬庫炎上シーンでの猛火中のスカーレット・オハラの映像を観るたびに思い起こされる恐怖の悪夢だった。 約80年も昔のことながら、私の脳裡には鮮明に沈着していて消えることがない。

終戦は三歳のときだった。 小学校に入るやいなや、中学生の悪ガキ仲間に入り、終戦後に焼け残った危険な建物の探検遊びをして死にそこなった。 形骸だけが残っていた旧聯隊兵舎の中階が抜けた屋根によじ登って残骸とともに落下したのだ。 地面に打ち付けられ、落ちてきた屋根の瓦礫の下敷きとなったことによる外傷もさることながら、医師の見立てでは、脳内出血で命は助からないといわれた。 奇跡的に二日後に息を吹き返した。 小学二年生の時から家の金をくすねて子分を連れ、学校を抜け出して遊園地、デパート等で遊びまわった。 中学に入ると教師が交代しながら生徒をげんこつで殴るのを「百発、二百発・・」と数えながら見ていた。

当時中学ではまだ珍しかったサッカー部に入ったがそのしごきはそれにも増してひどいものだった。 中学生の時からHOゲージの鉄道模型作りに学校へ行くのも忘れて夢中になった。 そして昆虫採集、特に蝶の収集には高校の夏休みに受験勉強もそっちのけで蓼科高原を飛び回ったほど。   高校で入ったマンドリンアンサンブルは学園祭でハワイアンをやって一時廃部とされた。 その後、隠れ蓑としてのマンドリンを看板にして、実際には第二部として軽音楽を演奏した。 一応、マンドリンの第一部ではクラシックもやるが、第二部ではラテンやロックを中心とした。 ポール・アンカ、トリオ・ロス・パンチョスやエレキブームのハシリでもあったベンチャーズなど。 当時のエレキギターはギブソンの輸入物がヤマハでサラリーマンの年収の何倍もしたのでとても高校生には手に負えなかった。 それでも自分でコイルを巻いて安物の国産スチールギターをエレキギターに仕立て、手作りの真空管アンプで演奏するほどだった。 しかし、次第にクラシックギターに魅せられるようになり、現在にいたる。 幼少期から自我が目覚めるまでの心身に染み付いた記憶は、繰り返し蘇る。 大学ではマーケティングを専攻し、会計学研究部に籍を置いた。 60年安保闘争等を経て社会に出るまでが私の第一の人生。 その後の第二の人生では、徹夜勤務、接待、海外出張、単身赴任等が続いた。 三十年前になるが、五十歳のとき、糖尿病と診断され、厳しく減量を申し付けられた。 「重症のメタボリックで生きているのが不思議。」 「このままでいると、命がなくなる前に、合併症で失明する。」 「そして、足を失い、手も失う。」 「まるでダルマのようになって、自分では死ぬこともできない生き地獄が待っている。」 「とにかく食事制限をしなさい。」 約一年で体重を二十キロ以上減らした。 その他肝臓、腎臓、血圧等8つの死にいたる病の症状が告知されていた。 また、浴びるようだったアルコールと一日百本のタバコを一切やめた。 それから三十0年、めでたく第二の人生を全うし、今、プラスの人生を迎えることができた。 第二の人生の前半は仕事中毒、後半は健康そのものだからできた仕事人生だ。 若くて頑丈な体に仕事を詰め込み、詰め込んだ体の健康維持を図り、健康な体で人生を運ぶ。 ここまで来ると心身は一体となって自らを作りながら先達の精神を受け継ぎつつ次世代に伝承される魂を宿す。 そして、仲間とともに「文殊の知恵」による次世代への遺産構築への道を模索し、提案する。 先達からの伝承と仲間との共創による新たな人生を創成する。 新たなプラスの人生では自分を変えることによって、生きがいを見つけていかなければならない。 でも生きがいを見つけるのは自分自身だ。 許されるのは自分を変えることだ。 第一の人生で、「知恵」の基礎習得をした。 第二の人生では「知恵」の活用で次世代への遺産としての「知的資本」の構築をするための提案をした。 ここで「知的資本」とは知的財産を生み出すことにつながる個々人の持つ「知恵」のことを言う。 知的資本の構築は中小企業等の「知恵」を活かして行うこととした。 その本質は列強や大企業にもない優れた零細・中小企業の「知恵」の活用で次世代への遺産としての知的資本の構築とその投下による「知恵」の再生産をすることだった。 そして、その累積で資金難と後継者難を解決して「ゆたかな生活」のための持続可能な開発を行うことだった。  仲間と共に自分を変える「プラスの人生」のスタート そして今、第二の人生で得られた以下のような成果をもとに自分を変える「プラスの人生」をスタートした。 貸借対照表の資産の部には載らないオフバランスである「知恵」の活用については「貨幣を介さない」ことによる資金難救済という目先の利益も期待できる。 しかし、それよりも「豊かな生活」のための「貨幣を介さない」直接取引が可能になることによるナッジ(肩押し)効果をベースにして「持続可能な開発」へのレジリエンス(回復力)を有するというさらにすぐれた特質がある。 また、「知恵」については多くの場合、お互いに機密だと思っていることが仲間内ではすでにほとんど周知であることが多い。 仲間みんなが知っているにもかかわらず自分だけの機密を維持することよりも、お互いに活用しあうことによってさらにすぐれた「知恵」を再生産することができる。 そして新たに価値増大した「知恵」については本当の意味での機密管理に移行していくことを勧める。 そうすれば、次のステップでは仲間と共有する「オープンサイエンス」としてさらなる「知恵」の土台(ベース)となる。 三十年前五十歳のとき、糖尿病と診断され、減量を申し付けられた。
「重症のメタボリックシンドロームで生きているのが不思議。」「このままでいると、命がなくなる前に、合併症で失明する。」「そして、足を失い、手も失う。」「まるでダルマのようになって、自分では死ぬこともできない生き地獄が待っている。」「とにかく食事制限をしなさい。」といわれて、栄養士のところに回された。厳しいカロリー制限がされた。約1年で体重を二十キロ以上減らした。
その他肝臓、腎臓、血圧等8つの症状が告知されていた。併せて血圧を毎日測定し、筋トレ、ストレッチ、体幹等の体操および一日三万歩のウオーキング等の運動を欠かさないようにした。また、浴びるようだったアルコールと1日百本のタバコを一切やめた。それから三十年、めでたく第二の人生を全うし、プラスの人生を迎えることができた。第二の人生の前半は仕事中毒、後半は健康そのものだからできた仕事人生だ。気がつけば八十歳。ようやく次の人生への準備ができた。若くて頑丈な体に仕事を詰め込み、詰め込んだ体の健康維持を図り、健康な体で人生を運ぶ。ここまで来ると心身は一体となって自らを作りながら先達の精神を受け継ぎながら次世代への魂の伝承をしていることが分かる。そうすると、家族により生を受け、家庭で育ちながら先達の魂を引継ぎ、自らの人生を築く。そして、次世代への遺産を、残す。そうなると、もう先達や次世代への口出しは無用だ。新たなプラスの人生では自分を変えることによって、生きがいを見つけていかなければならない。この場合でも先達や新たな仲間の「知恵」はフルに活用すべきだ。でも生きがいを見つけるのは自分自身だ。そのためには他人を変えることはできない。許されるのは自分を変えることだ。これからは、せっかくいただいた私のプラス人生を自らを変えることで満喫していきたいと思う。さらに、「オープンソリューション」として仲間との優れた問題解決のためのレジリエンス(回復力)を強化していくことができる。 ここでシェアリングエコノミー(共有型経済)の観点で、デジタル化されていてもいなくても、仲間同士の一定範囲内、さらにはそれら相互間で土台の基礎とされた「知恵」の集合をベースとして取引基準の標準化をしていくことができる。 そうすれば、仲間同士の「知恵」の共創においては「モノ」としての実物資産だけではなく人やその経験等の「知恵」にも同時にシェアリングできることになる。 したがって、個人としては何も貯めておく必要がなく、要員を抱えておく必要もなく、運用人材の心配もしないで済む。 仲間がお互いにシェアすることができるためである。 そして、それぞれの仲間は個人の生活と生き方を変えることができる。 さらに、「知恵」の取引等についての仲介役として「ノウハウエイジェンシー」を機能させる。 その対象が「知恵」の場合には貸借対照表に記載されないオフバランスとなる。 そして、預け入れ又は引き出された当事者・ユーザー間での「貨幣を介さない」取引等の仲介をすることとなる。 この取引等の実績記録の累積を基準として「貨幣を介さない」取引等の標準化がされる。 そしてそれ以外は「貨幣を介する」取引等になるので、ごく一般の通常通りの貨幣取引となるだけである。 すなわち、最も基本的には、純粋に「知恵」だけの場合は実績の累積を状況に応じたパターン区分ごとに分離・分別し、必要に応じて圧縮・結束して基準となし、それらを集約して標準化することができる。 それ以外は原則として一般の貨幣取引によるが、そのうち純粋な「知恵」を分離できる形で含む場合には、分離してそれぞれの範疇での扱いにすることができる。 いずれにしても「貨幣を介さない」取引等についてはオフバランスたる「知恵」の部分だけなので、その部分を含む取引等について基準を作り、その他の部分との組み合わせについて標準化することが賢明だと思われる。 「知恵」はその活用による共有の知的資本を構築して「持続可能な開発」により共に豊かな生活を享有する社会を目指すものだから「知恵」を貨幣に代わる価値媒体としてできるだけ資金を要しないこととするためである。 最もわかりやすいのは直接投資の場合。 一方が「知恵」を有していて他方がその「知恵」を使用して生産できる設備を有している場合、両者間で合意が出来た範囲で当該「知恵」を使って当該設備によって生産するための事業については双方とも「貨幣を介さない」で直接投資とすることができるケース。 次に、一方の「知恵」と他方の「知恵」を交換する場合。 すでにそれぞれが蓄積している「知恵」を比較しあって大きな差がない場合には合意の上でその交換実績を記録して取引等を実施する。 原則としてその取引等の清算はしないこととする。 その累積において必要が生じたときには過去の実績に応じて差し引き評価する。 取引等が複数にわたるときや「知恵」を含まないものが混雑する場合にも応用できると考える。 「貨幣による」オンバランスと「貨幣を介さない」オフバランスの場合を明確に区分けして処理することによって可能になる。 当事者および「知恵」が錯綜する場合にも累積において該当する組み合わせを選択して検索および抽出すれば同様に処理できることとなる。1.お互いにシェアするケースでは、仲間内での《交換実績記録を集約》して一定の「知恵」の交換基準を策定して標準化する。 この場合は効果判定対象範囲が広いので機能・効果を総合的に考えたうえで処理する。 たとえば、ある工芸品作成上の「知恵」とすでに作成された工芸品とを交換するケースである。 一方は純粋に「知恵」といえるが、他方、工芸品は「モノ」とするか知的固定資産とするか、「知恵」が「モノ」に化体したものか判然としない。 この場合、「モノ」に化体した「知恵」を純粋な「知恵」と「モノ」に《分離》して一方の「知恵」との《価値の差を基準標準化》する。2.サブスクリプションは一般的に「定額制の継続課金」による取引をいう。 オフバランスとされる「知恵」の取引等では対象を《レンタル型》として処理する。 たとえばITソフトウェアをクラウド上で期間を決めて交換する方式のサブスクリプションに切り替えてオフバランスとすることができる。
この場合、「定額制」とあるのは《「定価値制」》と置き換える。 すなわち、一定の価値判定で特定した《価値総計分》にいたるまで《継続取引等》ができることとなる。 すなわちオフバランスたる「知恵」の取引等は損益の評価をすることなく処理ができることとなる。 そして、取引等の結果で業績増大すれば自己資本利益率向上に資することができる。 しかし、「貨幣を介する」か否かで全体を2分したオフバランス以外のオンバランス資産は従来どおり資本を構成するので損益を認識できることとなる。 すなわちオフバランスの「知恵」の取引等は損益の評価をすることなく処理できるが、それ以外のオンバランス資産の取引等は従来どおり損益を評価して処理されることとなる。 さらに、取引等の結果は「貨幣を介する」場合の損益だけで処理されることになる。 でも、取引等の結果の業績評価では「知恵」で価値増加した分が付加されることとなる。 したがって、「貨幣を介さない」取引等は会計上資産によるものとしては現れない業績をあげることができることになり、それは一般の処理とは別になされることとなる。 すなわち、会計上の資産ではないとはいうものの、業績上の評価に貢献するものなので、内部的には資産と同等に項目をあげて管理し、取引等の評価対象項目とする。 例えば、取引上対象となる一般資産とともに「知恵」の項目をあげて相手方とM&A契約交渉をする場合に譲渡側は「のれん」の価値を主張することができる効果がある。 この例えのように「知恵」のみの取引交渉のみならず、「知恵」とともに一般資産を含む取引等における契約交渉でも一方または双方が一般資産とともに「知恵」の項目をあげて条件交渉をすることができる「豊かな生活」への追求を図るべきだと考える。 これからは、実務に沿ってその具体化を図るとともに、人的資源のおおもとである自分自身のレジリエンスに主眼を移して足元を固める。レジリエンスについてさらに演繹すれば対外的衝撃にも折れることなく立ち直ることのできるしなやかな強さをいうことになる。 パンディミック、異常気象等の生命危機のみならず、リーマンショック等の金銭危機にかかわる経済的パニック事件はいつでも再発する。 そして、高齢化、人口減少、格差拡大など不安材料は尽きることがない。 今回のコロナ禍にあたって以前からデジタル化を進めてきていれば今回のパンディミックによる経済的ショックを吸収し、付加価値を継続的に生み出していくことが期待できたはずだという声もある。 たしかに、デジタル化が進んでいれば当然その取引等においてもより効率的、直接的、同時並行的に情報処理できることになるのかもしれない。
しかし、「知恵」の活用についてはそのような技術的手段による単なる生産性の問題だけに頼ってはいけない。このような事態に対処するには常に自己や家庭と仲間の自給力を高め「貨幣依存度」を下げていくための新しい「知恵」とその活用も必要となる。 「ゆたかな生活」のための「貨幣を介さない」直接取引が可能になることによるナッジ(肩押し)効果をベースにして「持続可能な開発」へのレジリエンス(回復力)を)を有するというさらにすぐれた仲間の「知恵」がある。 また、「知恵」については多くの場合、お互いに機密だと思っていることがその仲間内ではすでにほとんど周知であることが多く、みんなが知っているにもかかわらず自分だけの機密を維持することよりも、お互いに活用しあうことによってさらにすぐれた「知恵」を再生産することのほうが好ましい。 このためにこのような関係にある「知恵」は「下町のオープンサイエンス」としての価値ある「知恵」による上積みの土台作りに基づいた「下町のオープンソリューション」による新たな共創の展開に結びつけることとができる。 そして新たに価値増大した「知恵」については本当の意味での機密管理に移行していき、これもつぎのステップでは「さらなるオープンサイエンス」としての土台とし、「優れたオープンソリューション」として問題解決のためのレジリエンスを展開していくことができる。他人に解決責任を押し付けることはやめなければならない。 個々人自らが仲間とともにできることから変えるとともにそれを広げていかなければならない。 仲間による「知恵」仲介のシェアリングシステムと「価値」基準のサブスクリプションによる新しい「知恵」のレ そして、仲間内での「知恵」をシェアしての「定価値制」を基準とするサブスクリプション(期間利用)により長期にわたりサスティナビリティが可能となり、パンデミックスにもレジリエンス(回復力)を維持することができる。 自ら動かずして誰も動いてくれない。 他人は変えられない。 変えられるのは自分自身だけだ。 自分でかえられるものを変えてはじめてそれを知ったその他人が自らを変えることにトライしてくれることを期待することができるのだ。 これこそが「知恵」を活かすレジリエンスであり、仲間を通じてシェアされ、サスティナビリティ(持続可能性)が発揮できるのである。 国や地方はその単位で効率的な配分を考えればよいのであってその行政に公平さが要求されるだけである。 お上は何もしてくれないと言っても、お上は何もできないのであって、主権者たる我々の“しもべ”なのだから、正当な主張には耳をかたむけなければならない。 したがって、我々は100年かけても次のパンデミックまでにはレジリエンスの体力を整えておかなければならないのだ。仲間にもいろいろある。 例えばコミックから映画化されて人気を呼んでいる作品に『土竜の唄(もぐらのうた)』というのがある。 新米警察官が麻薬密輸出入の疑いがある大物やくざのもとに潜入捜査官として侵入させられて、その大幹部と「義兄弟の契り」をかわす場面がある。 これで本当の兄弟以上の関係となるものである。 さらに、「親子盃(おやこさかずき)」は親分子分の血縁関係を特定するための儀式で、この「親子盃」交杯で一家名乗りが許され、親分との絶対服従の関係が出来上がり、組織からの離脱もできなくなる。 これに挑戦し、組トップの麻薬密売を挙げようと警察官でありながら暴力団幹部に成り上がっていく苦悩を描いたフィクションだ。
血の繋がりはないものの実の親子・兄弟以上の擬制した血縁関係を迫られる辛さがある。 違法行為を取り締まるために潜入した先で擬制だとはいうものの実の親子・兄弟以上の制約を受ける組織で一体となって違法行為をするのは合法を旨とする警察の仲間としてなのか違法で凌ぐヤクザの仲間としてなのか、その行為の妥当性に迷うところだと思われる。 この場合、法令の「知識」はベースに置くとしても、目的達成のための「知恵」が優先されなければならないと考えられる。 これ以外にも法的には何の根拠もないものの、厳しい制約を強いられる義理や人情にかかる人間関係は数多くある。 法に守られた関係にある仲間と違法、脱法的関係にある仲間との「知恵」の活用の仕方に違いはあるのだろうか? 果たしてその活用結果に効果の差異はあるのだろうか? 法令遵守については「知識」が多く必要となる。 しかし、違法、脱法への対処にはむしろ「知恵」がより多く使われることとなる。 義理や人情にかかる問題についてはそれぞれの人間関係が複雑に絡むので、一概には決せられない。 そうすると、本当の仲間とは、以上の諸関係にはこだわらず、「ゆたかな生活」を築くために必要とする「知恵」を共創することができる人達をいうと考えられる。 たとえば、潜入捜査官として侵入させられた警察官にとっては、その職務目的である麻薬密輸入組織のボスの逮捕への「知恵」を共創することができるのが本当の仲間だと言うことが出来る。 さらに、潜入捜査官の命を体を張って守った大物やくざの「義兄弟」が両足を吹っ飛ばされて死んだはずだったが、大手術を受け、鉄腕アトムのようなジェット脚をつけて現れる場面がある。 いわゆるサイボーグである。 この両者が助け合い、くだんの組長を逮捕するに至って、乗っているタイタニックのような巨大船が大爆発を起こして沈没寸前となるが、現れた大波によって航行可能になる場面がある。 サイボーグも人工知能(いわゆるAI)も単なるオモチャのレベルからシンギュラリティを云々されるレベルまで色々あるが、単体で知能から「知恵」を活用できるものと人間と共同して「知恵」の共創ができるものとがある。 前者はそれを仲間として考えればよいし、後者はすでに仲間を構成していると考えられる。

真の仲間との「知恵」の共創は人間の運命を支配する自然現象をももたらすとの主張もなされ得る。
人間のサスティナブル(持続可能)な「知恵」の共創は自然界でのレジリエンス(回復力)発動をも彷彿させる。

本当の仲間とは、人生を豊かに幸せに生きるために、自分が窮地に立たされても、他人が窮地に陥ってもお互いに助け合えることができる関係を築けるものである。 これに対し、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』では三人の兄弟が登場し「父殺し」のドラマが展開される。 幼い頃に父親に見放され、成人してからも財産の分け前をうやむやにされていると思い込んでいる長男ドミートリーは、グルーシェニという女性をめぐって父とライバル関係にある。 彼には、父殺しの明確な動機があった。 そして、無神論者の次男イワンと、修道僧の三男アリョーシャの兄弟が、神をめぐって対照的な世界観を持つ者へ分化していく。 さらにカラマーゾフ家の料理人スメルジャコフの出自をめぐっての重要な展開がある。 そして、イワンを通して、父殺しのドラマが展開される。 ちなみに、父殺しは、必然的に神殺し、さらには革命の問題へと展開していくことになる。 この名作では父親殺しと革命にかかるダブルテーマで作者の思想を表象している。
ときの拝金主義等の風潮に対するドストエフスキーの危惧をあらわしたものでもある。 これは現代にも通ずるものである。
そして仲間についてもこのように広大な発想による展開が考えられる場面でもある。

また、キリスト教ではその教義の要素として「兄弟愛」を説く。 人類はすべて神の子として互いに兄弟姉妹であるという発想に基づくものである。 この発想は愛の対象を拡大し、家族や血縁という狭い関係を超えたものとする。
果たして「知恵」の活用で知的資本構築とその投下で再生産する高価値な「知恵」での「ゆたかな生活」のための「本当の仲間」はいるのだろうか。 家族・親族ではどうであろうか? 私の家族には父と後妻の母と腹違いの兄が二人いた。 すでに全員他界した。 そしてわたしは妻と長女と長男の三人で家庭を作った。 今は長女は結婚して家を出、妻の両親が死亡したので妻と長男は妻の実家に居住している。 もうそれぞれの独立して自分の生活を取り戻している。 したがって、彼らとは家族を越えて仲間の域にある。 私のおおおじ(大伯父)井口省吾は児玉源太郎の片腕の参謀であった。 児玉源太郎は司馬遼太郎の「坂の上の雲」にも登場する日露戦争での参謀長として、ロシア軍部がシベリア鉄道の建設で満州支配権を握ってしまうのを防ぐための戦略をとった。 これは児玉が渋沢栄一より日本軍はロシア軍に対して戦争を続ける資力を有しないとのアドバイスを受けて早期に争いを終結するためにとった戦略である。
祖父が後に陸軍大将となった大伯父(井口省吾)の養家となったので我々はその家系を継ぐことになった。
その児玉源太郎が本国に送った文章では以下のように述べている。   「(露国)はわが国力と兵力との真価を味わい、その兵力の足らざるを自覚し、にわかに満州の兵力を増加するの必要を感ぜしも、奈何(いかん)せんシベリア鉄道現在のままにては増加をとげたる後の兵力を養うに足らず。  ここにおいて露国逓信大臣ヒルコフは鋭意改築に着手し非常の努力不撓(ふとう)の堅忍をもって目下そ の輸送力を開戦当時に比し少くも二倍に至らしめたり。」 (週刊東洋経済2021.11.20 日露戦争 知られざる陸戦の勝因 「鉄道利用」で地の利 横手慎二著) なお、児玉源太郎について井口省吾がかかわった一場面について、少し長いが以下に引く。 ロシア相手の国運を賭けた戦争となれば、その指導者は作戦計画における知謀だけでなく、国家内外の対局にも通じ、全軍にゆるぎない信頼を受ける人物でなければならない。それには児玉源太郎しかいない、というのが、政府・陸軍を通じて、衆目の一致した所であった。 しかし問題は、すでに内相・台湾総督である児玉を参謀次長に据えれば、今日で言えば副首相を2階級下の防衛次官に降格するようなものである。首相の桂ですら、児玉に直接、言い出せないでいた。業を煮やした若手参謀の田中儀一少佐が、児玉の家にやってきて「軍人のくせに、フロック・コートを着て、重大な軍事機密を忘れちょる閣下がおります」と当てつけたのである。 児玉自身も、この亡国の危機には自分が出るしかないと思っていたのであろう。ついに首相官邸に出向いて、自ら参謀次長になると申し出た。児玉がフロックコートを軍服に着替えて、参謀本部に現れたのは、その2日後のことであった。 総務部長の井口省吾少将は感激して、この日の日記に「もって天のいまだ我が国を捨てざるを知る」と書いた。乃木希典は児玉の志に感動して漢詩を作り、「報国尽忠ノ人」と呼んだ。 「どんな無理をしても、戦費調達をやりましょう」 翌13日、児玉は財界大御所ともいうべき渋沢栄一を訪ねた。ロシアと戦うのに必要な膨大な戦費を何とか調達せねばならない。渋沢は「ロシアと戦う金など、日本中の銀行の金庫からかき集めても足りない」とつっぱねていた。
児玉は渋沢に次ぐ財界の有力者である日本郵船社長の近藤廉平に会い、満州の様子を見てきてほしい、としつこく頼んだ。近藤が行ってみて、「満州の大平原はロシア軍の大部隊に覆われている」と報告すると、渋沢は顔色を変えた。 参謀次長として現れた児玉に渋沢は勝つ見込みがあるか、と尋ねた。

勝つまではゆきません。総力をあげ、なんとか優勢に持ち込み、外交によって戦を終わらせてもらう、というところです。作戦の妙を得、将士が死力を尽くせば、いまなら、なんとかやれる。日本はここで、国運を賭して戦う以外に道はない。 こう答えながら、児玉の両眼に涙がどっとあふれ出た。渋沢も涙を流した。 児玉さん、私も一兵卒として働きます。どんな無理をしても、戦費調達をやりましょう。 ((Japan On the Globe(385) 国際派日本人養成講座 人物探訪:救国の軍師・児玉源太郎(上)児玉源太郎は自ら2階級下の参謀次長となってこの国難に向かっていった。) 父の伯父で陸軍大将で陸軍大学の校長だった大叔父井口省吾は後継者を得るため私の祖父と養子縁組をした。 縁組した両家の孫達は「いとこ会」としてその「知恵」を継承しあっている。 朝鮮半島と日本列島を露軍の侵略から守るための戦略策定上の「智恵」を児玉源太郎の片腕の参謀だったおおおじから受け継いで「いとこ会」の仲間は共創を続けている。 これも「本当の仲間」といえる。「知恵」は仲間との間では自由に流通させることができる。 そして、家族・親族、目的を同じくする人々、友人、先祖・先達等は距離と時間を隔てていても「知恵」を交換、伝達、取引、交流、共創、共有することができる。 すなわち、「ゆたかな生活」を目的とするために「知恵」を活かして知的資本を構築し投下して新たな価値ある「知恵」を創成し共創する「本当の仲間」は、それを共有することができる; また、仲間との離別があった場合、自立の基礎をつかむことが必要になる。 そうして以前の経験に立ち戻って、自分の「知恵」を想起し直すことにチャレンジすべきである。 これは立派に「仲間」との共創と同等に評価されるべきものである。 そうすれば、一人で生きることへのセカンドチャンスを生かすことができる。 他人には他人の人生があり、それはそれで自立しており他人の介在する余地はない。 したがって自分は自らそれまでの「知恵」を基盤として新たに自らの道を開いていくべきだ。 1964年、東京オリンピックのマラソ競技で史上初の2連勝を成し遂げた孤高のランナーアベベ・ビキラは「裸足の哲人」と呼ばれた。 しかしながら、彼の後半の人生は決して栄光に富んだものではなかった。 それでも各国の陸上競技者からは、いまも伝説のように語り継がれ、その功績に変わらぬ敬意をいだかれている。 時間的にも距離的にも離れた間柄でも、他人に対して人間的態度をとること、そして他人もまた同じような態度をとっていると意識することによって、自分と他人を共感的に同一視することができる。 そして、共感することにより、その「知恵」を自らのもののようにして共有し、共創することができるのである。 アフガニスタンで医療や人道支援に尽力していた中村哲医師は「医療よりまず水だ」として用水路の建設に挑み、その結果砂漠を緑化して灌漑を実させ、65万人の健康と生活の維持に貢献した。 故郷の筑後川の「山田堰」で江戸時代の先達の「知恵」に倣ったものだ。 中村医師は惜しくも凶弾によりその尊い命を断たれたが、時と時間を経てもその精神と「知恵」は永遠に引き継がれるものである。 これらは、本当の仲間による新たな「知恵」の創成であり、共創にあたるといえよう。 仲間とは一般に心を合わせて何かをいっしょにするという間柄をかなりの期間にわたって保っている人またはそういう間柄をいう。 すなわち同じ目的を共有している場合には仲間と言える。 そうすると、先ほどの潜入警察官は組が麻薬を蜜輸入することを防ぐことが目的である場合にはそれにかかわる人々が「仲間」となる。 その密輸入をする組のボスを逮捕することだけを目的とするならば、それにかかわる警察官が仲間となる。 しかし、「知恵」の共創が「ゆたかな生活」のためだとすれば、かかわる警察官と心を合わせて事をなそうする者が「本当の仲間」だということになる。 「カラマーゾフの兄弟」の三人の兄弟や神の子として「兄弟愛」を説く兄弟姉妹は「本当の仲間」といえるだろうか? 対象とする目的によっては仲間の内容が異なってくる。 そうすると、この場合、金銭が絡んだり倫理・宗教的見地が重要な背景をなしたりしているので、対象とする目的によっては仲間の内容が異なってくる。 家族・親族において、現在生活を共にしている場合でも地理的にも時間的にも離れている場合でも共通の遺伝子に基づく「知恵」創成によって「ゆたかな生活」を求めようとする間柄の仲間は「本当の仲間」と言えよう。 共に生活していた仲間の「知恵」でも先祖・先達の「知恵」でも「本当の仲間」との共創によってもたらされた「知恵」だと言える。 この場合の「本当の仲間」とは住民の「ゆたかな生活」を築くために必要とする「知恵」を共創することができる人達をいうこととなる。 いずれにしても、本当の仲間との「知恵」の創成はその法的保護、社会的な必要性、倫理性にかかわらず住民の「ゆたかな生活」に資すれば知的資本構築ができるのである。 そのような関係をもって仲間としての「知恵」の共創は「ゆたかな生活」のための知的資本構築投下による新たな価値の「知恵」再生産という目的を達成するのである。仲間による「知恵」の共創はお互いに心が通じ合っていなければなし得ない。 そのためには、相互に相手の気持や態度を取り入れることが重要となる。 すなわち「共感」することである。 「共感」するとは、他人の気持や感じ方に自分を同調させることを意味する。 他人の感情や経験を自分自身のこととして考え、感じ、理解し、それと同調したり共有することである。 すなわち、自分の気持によって相手の中に呼び起こされた気持と同じ気持を自分の中にも呼び起こすことである。 他人の気持を理解することは、個人の感情を他人が推測し、主観が別の主観を解釈することとなる。 ここでは曖昧性を避けるために、他人の位置に自分を置くことができるかどうかが重要なポイントとなる。 すなわち、自分にとって不要なものをも他人が必要としているかどうかを理解できるかどうかにかかっている。 「知恵」の共創のためには自我を収縮させ、自分ではなく相手が何を欲しているのかを知らなくてはならないのである。 「本当の仲間」において「共感」無くして「知恵」の共創は無いのである。 そこで共創された「知恵」は仲間の間では共通のコミュニケーション媒体となり、交換媒体となる。 すなわち「知恵」それ自体が「知恵」の交換・取引の媒体となるのである。 したがって、一切「貨幣」を介さない」で投資・交換・取引ができるのである。 「知恵」の共創でなされてた「知恵」においては、その「知恵」の取引等は「貨幣を介さない」ですることができ所有の対象とならない「知恵」自体を媒体として交換等の取引によって剰余価値を産みながら蓄積による「知恵」またはその成果および成果物により知的資本を形成する「知恵」は自己を超えて仲間に展開する。 特に、その中でも「本当の仲間」とはそれぞれお互いに自己の「知恵」として認識しあえる。 「ゆたかな生活」のためへの「知恵」は誰でもが気づくことでなければならない。 誰でもが気づくことは得てして当然のこととして意外と誰も気づかないことである場合が多い。 このことを避けるためにはお互いに、あるいはみんなで気付き合いを心掛けることである。
すなわち、「知恵の輪」をまわすことである。 これは、「知恵」の「見える化」の第一歩である。 そもそも、「知恵」はものごとを認識し、統合する心の働きであり、無形なので視覚等五感で認識できない。 そして、自分の心の中で感じていることなので、あまりにも当たり前すぎて、それが誰かのために有用性のある「知恵」だとは気づかないことが多い。 そこで、自分の思っていることを声に出して録音したり、動きを動画に撮影したり、カードに記録したりして誰かが認識できるように「見える化」してみる。 それを仲間で交互に交替しながら行ったり、同時にブレーンストーミング風に行ったりする。 本来、自分たちには見えているはずなのにあまりにも当たり前すぎて実際には見えていなくなっていることを「見える化」するのである。 そして、いわゆる「見える化」、すなわち、誰も視覚等で認識できない対象を一定の条件下で文字化、音声化、映像化等して人間が認識できるようにする。 その場合、結果としての「知恵」だけでなく、その「知恵」が発生した状況、条件、他との関連、干渉、資産等とのかかわり合い等についても合わせて「見える化」する。 さらに、それらが個別に、あるいは相互にかかわり合った時期、付帯条件等についてもそれぞれの背景とともに明らかにしていく。 これらの組み合わせによって生ずる結果を類別・体系化して整理・分析する。 その結果に基づいて生じた「知恵」の活かし方を検討し、次なる新たな創成に結びつける。 新たに創成された「知恵」はさらに他の「知恵」と結びつけられる。自分の「知恵」は自分だけのものによるのではないことについて縷々述べてきたが、その実態はどのようなものであるかについてさらに検討する。
簡単に言うと、相手の「知恵」を知ればそれを認識したと同時に自分の「知恵」の一部になっているということである。 逆にその自分の「知恵」を相手が知ればそれを認識したと同時にそれは相手の「知恵」の一部になっているということにもなる。 しかし、自分に何の知恵も無いのに相手の「知恵」を自分のものとしてしまうことは単なる剽窃であって自分の知恵は何もないことになる。 これを複数者間で考えても同じことがいえる。 即ち、独自の「知恵」がある者の間でのみ通用する話である。 しかしながら、自分に何の知恵も無い場合に他人の「知恵」を拝借してしまうことは本当に単なる剽窃だけだといって良いものであろうか。 ある他人の「知恵」が誰にも援用されていない場合に自分がそれから気づいて新たな「知恵」を発想した場合はどうだろうか。 その場合はその他人の「知恵」を援用したことを明らかにした上で自己の「知恵」としていくことも可能だと考える。 これらの「知恵」を認識する方法として会話による言語や通信等による文章等、直接その意味を伝達するものだけのものであろうか。 場合によってはいま流行りの“忖度”による場合もあろう。 字義どおりには真実ではないけれども、より単純な 別の概念を当てはめることで難しい概念を理解できるようにする修辞法、すなわち“メタファー”による場合も考えられる。 たとえば、複雑な人間関係を単純化して“出る杭は打たれる”で済ましてしまうようなケースである。 また、“目くばせ”、“ウインク”、“しなだれ”等の身体的表現による場合もあろう。 これらがネット上の映像等、たとえば“ユーチューブ(YouTube)”での仕方や多次元映像等により五感を通じて認識される場合もある。 ただし、ネット上の通信がSNS等の不特定多数者間による場合には注意を要する。 仲間の間でセキュリティを信頼関係の保てる状態にしておくことが必要となる。
すなわち、この状態で個人の「知恵」を本当のものとする場合の仲間は「本当の仲間」であることが必須の要件となる。 そして、世の中に自分ひとりしかいない状況下での「知恵」を考えてみると、“剽窃”はないものの、“忖度”も“メタファー”も“身体的表現”もなく、何の新たな「気付き」も得られない状態が継続することもありえ、そのときには価値の増大は得られない。 現状維持である。「知恵の輪」を解くには、ふつう「さわるってみて」「ひねってみて」さらに「ずらしてみる」。 そしてさらに「まわしてみて」どうするか「なやみ」、「ひらめく」ことでどうにか絡んでいる輪を「はずす」ことはできる。 しかし、ただ「はずす」だけでは不十分であって、さらに「もとにもどす」ことができなければ解いたことにならない。 「知恵」の「輪」なんだから、最終的にはもとのとおりにつながっていなければならないのである。 すなわち、“分散”と“統一”の仕組みなのである。 知恵ある者はそれぞれなにがしらの対立をもっている。 すなわち無限の変化を生ずる能力を持った者達のはずである。 精神を活かそうとする者はいつまでも対立をし、停止することがない。 もしこれが一状態に固定して更に他の対立に移ることがないのならば時は止まってしまう。 すなわち「知恵の輪」はまわることはない。 ものごとは対立する者があることによって成立するが、この対立は無関係者から生ずるのではなく、自分たちの中より生ずる。 人が手をつないだり組んだりしながらお互いの輪を変化させていく「人間知恵の輪」がある。 相手はこちらの思うようには動いてくれないが、お互いに仲間の意向や実際の動きを察して途切れることのないように行動する。 それができてはじめて相手との関係で自己を認識できるからである。 そして「知恵」と「仲間」の関係については次のように考える。 「知恵」は常に対立するものを含んでいる。 一の「知恵」があれば必ずこれに対する他の「知恵」がある。この二つが互に相対立するには、それぞれが独立しているとともに統一された関係である必要もある。   この両者が統一されて一つの知恵として現われた時には、更に別の対立が生ずることとなる。 そしてさらなる統一に進み、分化発展すると考えることができる。 仲間としては知恵の輪が展開するに従いそれぞれ自由な仲間となることができる。 仲間は他より制圧されてもそれぞれの知恵によりその抑圧より脱することができる。 その抑圧をやむを得ないこととして受け入れれば、それがかえって自己を自由なものとすることとなる。「知恵」は仲間との間では自由に流通させることができる。 そして、家族・親族、目的を同じくする人々、友人、先祖・先達等は距離と時間を隔てていても「知恵」を交換、伝達、取引、交流、共創、共有することができる。 すなわち、「ゆたかな生活」を目的とするために「知恵」を活かして知的資本を構築し投下して新たな価値ある「知恵」を創成し共創する「本当の仲間」は、それを共有することができる。 また、仲間との離別があった場合、自立の基礎をつかむことが必要になる。 そうして以前の経験に立ち戻って、自分の「知恵」を想起し直すことにチャレンジすべきである。 これは立派に「仲間」との共創と同等に評価されるべきものである。 そうすれば、一人で生きることへのセカンドチャンスを生かすことができる。 他人には他人の人生があり、それはそれで自立しており他人の介在する余地はない。 したがって自分は自らそれまでの「知恵」を基盤として新たに自らの道を開いていくべきだ。 前述のように、「裸足のの哲人」と呼ばれた孤高のランナーアベベ・ビキラにしてもアフガニスタンで砂漠を緑化して灌漑を実させた中村医師してもいまもその功績に変わらぬ敬意をいだかれている。
自分と他人を共感的に同一視することにより、その「知恵」を自らのもののようにして共有し、共創することができるのである。 これらは、本当の仲間による新たな「知恵」の創成であり、共創にあたるといえよう。 仲間の知恵の輪といえる。  仲間による「知恵」の共創はお互いに心が通じ合っていなければなし得ない。 そのためには、相互に相手の気持や態度を取り入れることが重要となる。 すなわち「共感」することである。 「共感」するとは、他人の気持や感じ方に自分を同調させることを意味する。 他人の感情や経験を自分自身のこととして考え、感じ、理解し、それと同調したり共有することである。 すなわち、自分の気持によって相手の中に呼び起こされた気持と同じ気持を自分の中にも呼び起こすことである。 他人の気持を理解することは、個人の感情を他人が推測し、主観が別の主観を解釈することとなる。 ここでは曖昧性を避けるために、他人の位置に自分を置くことができるかどうかが重要なポイントとなる。 すなわち、自分にとって不要なものをも他人が必要としているかどうかを理解できるかどうかにかかっている。 「知恵」の共創のためには自我を収縮させ、自分ではなく相手が何を欲しているのかを知らなくてはならないのである。 「本当の仲間」において「共感」無くして「知恵」の共創は無いのである。 そこで共創された「知恵」は仲間の間では共通のコミュニケーション媒体となり、交換媒体となる。 すなわち「知恵」それ自体が「知恵」の交換・取引の媒体となるのである。  「知恵」の共創でなされた「知恵」においては、その「知恵」の取引等は「知恵」を交換媒体とすることができることになる。 ここで自己の「知恵」情報を自分で望むようにコントロールできるかどうかである。プライバシーの権利は自己情報のコントロール権としてとらえることもできる。秘密にするも、公開するも本人の自由である。しかし、「知恵」の情報は秘密にしていたらそれ以上に発展しない。力を合わせて「知恵」をさらに魅力あるものにするのには、仲間同士では開示を原則としなければならない。原則開示で例外秘密である。全員が知らないことが秘密であり、仲間の誰かが知っているのは秘密ではない。それは共有して共創の基にしなければならない。誰も知らないから価値がある。それはみんなで尊重してこそ誰もが新たな「知恵」を秘密裏に創造しようと思うのだ。「知恵」情報はこのようにしてこそ“監視をせず、かつ、されずに”のコントロールができるのだ。/世の中で秘密な「知恵」を持っているのが自分一人だけならば、それを勝手に公衆に公開されたら話は別だ。その場合、権利としてはプライバシー侵害の問題は残る。しかし、監視体制のなかでも制約されないで「知恵」を共創しようとするものである。仲間内でのコントロールはその合意の範囲内ではあってしかるべきである。 日に百本吸っていたタバコと浴びるように飲んでいたアルコールをやめて三十年経った。 また七十歳で運転免許証を返納して十年間が経つ。 持続可能性を維持し、コロナウィルスによるパンディミック等に対する回復力を保つためである。  環境や経済の問題等を政府や行政の役目にするのではなく、自らを変えることから始めたのである。 単に世人の健康、安全の問題だけでなく、自らにかかる「ゆたかな生活」を確保するためである。 公道、市街路を走る乗用車、トラック等は必ずしも社会的に不可欠なものだけとは限られない。幹線道路、高速道路を数珠繋ぎになって轟音を放ちながら連綿と走るとともに大渋滞でその機能を果たせなくなっている大型トラック群を見ているとどれだけが本当に必要なものなのか疑問となる。 一人乗り乗用車は趣味を満足させるためだけと思われるものが殆どだし、無駄にガソリンをばらまく高排気量スポーツカーは安全ばかりでなく環境上も不適切である。 公道を倉庫代わりにして連綿と渋滞する大型トラック群はマーケティングの間違った拡大による無計画なサプライチェーン依存の弊害である。 本来弊害を生じていた大量生産主義を合理化して「ゆたかな生活」のために顧客が必要とするものを提供することから発展したはずだったマーケティングとその高収益化の手段としてのサプライチェーンの誤用による弱点がこの新コロナパンデミックで暴露されたに過ぎないことに気が付いている向きはほとんど見られない。 今回のパンデミックによって思い知らされた物流の基本の基本についての間違いを改善していかなければならない。 脱炭素化も個人個人が自ら本当の問題点に気づかない限り永遠に解決しない。 自分自身と仲間で知恵を出し合っていかなければならない。 仲間にもいろいろある。 例えばコミックから映画化されて人気を呼んでいる作品に『土竜の唄(もぐらのうた)』というのがある。 新米警察官が麻薬密輸出入の疑いがある大物やくざのもとに潜入捜査官として侵入させられて、その大幹部と「義兄弟の契り」をかわす場面がある。 そして本当の兄弟以上の関係となる。 さらに、親分子分の血縁関係を特定するための儀式の「親子盃(おやこさかずき)」を交わす。 この「親子盃」交杯で一家名乗りが許され、親分との絶対服従の関係が出来上がり、組織からの離脱もできなくなる。 これらに挑戦し、組トップの麻薬密売を挙げようと警察官でありながら暴力団幹部に成り上がっていく苦悩を描いたフィクションだ。 血の繋がりはないものの実の親子・兄弟以上の擬制した血縁関係を迫られる辛さがある。 違法行為を取り締まるために潜入した先で擬制だとはいうものの実の親子・兄弟以上の制約を受ける組織で一体となって違法行為をするのは合法を旨とする警察の仲間としてなのか違法で凌ぐヤクザの仲間としてなのか、その行為の妥当性に迷うところだと思われる。 この場合、法令の「知識」はベースに置くとしても、目的達成のための「知恵」が優先されなければならないと考えられる。 これ以外にも法的には何の根拠もないものの、厳しい制約を強いられる義理や人情にかかる人間関係は数多くある。 法に守られた関係にある仲間と違法、脱法的関係にある仲間との「知恵」の活用の仕方に違いはあるのだろうか? 果たしてその活用結果に効果の差異はあるのだろうか? 法令遵守については「知識」が多く必要となる。 しかし、違法、脱法への対処にはむしろ「知恵」がより多く使われることとなる。 義理や人情にかかる問題についてはそれぞれの人間関係が複雑に絡むので、一概には決せられない。 そうすると、本当の仲間とは、以上の諸関係にはこだわらず、「ゆたかな生活」を築くために必要とする「知恵」を共創することができる人達をいうと考えられる。 たとえば、潜入捜査官として侵入させられた警察官にとっては、その職務目的である麻薬密輸入組織のボスの逮捕への「知恵」を共創することができるのが本当の仲間だと言うことが出来る。 さらに、潜入捜査官の命を体を張って守った大物やくざの「義兄弟」が両足を吹っ飛ばされて死んだはずだったが、大手術を受け、鉄腕アトムのようなジェット脚をつけて現れる場面がある。 いわゆるサイボーグである。
この両者が助け合い、くだんの組長を逮捕するに至って、乗っているタイタニックのような巨大船が大爆発を起こして沈没寸前となるが、現れた大波によって航行可能になる場面がある。 サイボーグも人工知能(いわゆるAI)も単なるオモチャのレベルからシンギュラリティを云々されるレベルまで色々あるが、単体で知能から「知恵」を活用できるものと人間と共同して「知恵」の共創ができるものとがある。 前者はそれを仲間として考えればよいし、後者はすでに仲間を構成していると考えられる 真の仲間との「知恵」の共創は人間の運命を支配する自然現象をももたらすとの主張もなされ得る。 人間のサスティナブル(持続可能)な「知恵」の共創は自然界でのレジリエンス(回復力)発動をも彷彿させる。 本当の仲間とは、人生を豊かに幸せに生きるために、自分が窮地に立たされても、他人が窮地に陥ってもお互いに助け合えることができる関係を築けるものである。 これに対し、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』では三人の兄弟が登場し「父殺し」のドラマが展開される。 幼い頃に父親に見放され、成人してからも財産の分け前をうやむやにされていると思い込んでいる長男ドミートリーは、グルーシェニという女性をめぐって父とライバル関係にある。 彼には、父殺しの明確な動機があった。 そして、無神論者の次男イワンと、修道僧の三男アリョーシャの兄弟が、神をめぐって対照的な世界観を持つ者へ分化していく。 さらにカラマーゾフ家の料理人スメルジャコフの出自をめぐっての重要な展開がある。 そして、イワンを通して、父殺しのドラマが展開される。 ちなみに、父殺しは、必然的に神殺し、さらには革命の問題へと展開していくことになる。この名作では父親殺しと革命にかかるダブルテーマで作者の思想を表象している。 ときの拝金主義等の風潮に対するドストエフスキーの危惧をあらわしたものでもある。 これは現代にも通ずるものである。 そして仲間についてもこのように広大な発想による展開が考えられる場面でもある。  また、キリスト教ではその教義の要素として「兄弟愛」を説く。
人類はすべて神の子として互いに兄弟姉妹であるという発想に基づくものである。 この発想は愛の対象を拡大し、家族や血縁という狭い関係を超えたものとする。  果たして「知恵」の活用で知的資本構築とその投下で再生産する高価値な「知恵」での「ゆたかな生活」のための「本当の仲間」はいるのだろうか。 家族・親族ではどうであろうか? 私の家族には父と後妻の母と腹違いの兄が二人いた。 すでに全員他界した。 そしてわたしは妻と長女と長男の三人で家庭を作った。 今は長女は結婚して家を出、妻の両親が死亡したので妻と長男は妻の実家に居住している。 もうそれぞれの独立して自分の生活を取り戻している。 したがって、彼らとは家族を越えて仲間の域にある。 私のおおおじ(大伯父)井口省吾は児玉源太郎の片腕の参謀であった。 児玉源太郎は司馬遼太郎の「坂の上の雲」にも登場する日露戦争での参謀長として、ロシア軍部がシベリア鉄道の建設で満州支配権を握ってしまうのを防ぐための戦略をとった。 これは児玉が渋沢栄一より日本軍はロシア軍に対して戦争を続ける資力を有しないとのアドバイスを受けて早期に争いを終結するためにとった戦略である。 が後に陸軍大将となった大伯父(井口省吾)の養家となったので我々はその家系を継ぐことになった。 その児玉源太郎が本国に送った文章では以下のように述べている。   「(露国)はわが国力と兵力との真価を味わい、その兵力の足らざるを自覚し、にわかに満州の兵力を増加する必要を感ぜしも、奈何(いかん)せんシベリア鉄道現在のままにては増加をとげたる後の兵力を養うに足らず。  ここにおいて露国逓信大臣ヒルコフは鋭意改築に着手し非常の努力不撓(ふとう)の堅忍をもって目下その輸送力を開戦当時に比し少くも二倍に至らしめたり。」 (週刊東洋経済2021.11.20 日露戦争 知られざる陸戦の勝因 「鉄道利用」で地の利 横手慎二著) なお、児玉源太郎について井口省吾がかかわった一場面について、少し長いが以下に引く。 ロシア相手の国運を賭けた戦争となれば、その指導者は作戦計画における知謀だけでなく、国家内外の対局にも通じ、全軍にゆるぎない信頼を受ける人物でなければならない。それには児玉源太郎しかいない、というのが、政府・陸軍を通じて、衆目の一致した所であった。 しかし問題は、すでに内相・台湾総督である児玉を参謀次長に据えれば、今日で言えば副首相を2階級下の防衛次官に降格するようなものである。首相の桂ですら、児玉に直接、言い出せないでいた。業を煮やした若手参謀の田中儀一少佐が、児玉の家にやってきて「軍人のくせに、フロック・コートを着て、重大な軍事機密を忘れちょる閣下がおります」と当てつけたのである。 児玉自身も、この亡国の危機には自分が出るしかないと思っていたのであろう。ついに首相官邸に出向いて、自ら参謀次長になると申し出た。児玉がフロックコートを軍服に着替えて、参謀本部に現れたのは、その2日後のことであった。 総務部長の井口省吾少将は感激して、この日の日記に「もって天のいまだ我が国を捨てざるを知る」と書いた。乃木希典は児玉の志に感動して漢詩を作り、「報国尽忠ノ人」と読んだ。 「どんな無理をしても、戦費調達をやりましょう」 翌13日、児玉は財界大御所ともいうべき渋沢栄一を訪ねた。ロシアと戦うのに必要な膨大な戦費を何とか調達せねばならない。渋沢は「ロシアと戦う金など、日本中の銀行の金庫からかき集めても足りない」とつっぱねていた。
児玉は渋沢に次ぐ財界の有力者である日本郵船社長の近藤廉平に会い、満州の様子を見てきてほしい、としつこく頼んだ。近藤が行ってみて、「満州の大平原はロシア軍の大部隊に覆われている」と報告すると、渋沢は顔色を変えた。 参謀次長として現れた児玉に渋沢は勝つ見込みがあるか、と尋ねた。 勝つまではゆきません。総力をあげ、なんとか優勢に持ち込み、外交によって戦を終わらせてもらう、というところです。作戦の妙を得、将士が死力を尽くせば、いまなら、なんとかやれる。日本はここで、国運を賭して戦う以外に道はない。 こう答えながら、児玉の両眼に涙がどっとあふれ出た。渋沢も涙を流した。 児玉さん、私も一兵卒として働きます。どんな無理をしても、戦費調達をやりましょう。 ((Japan On the Globe(385) 国際派日本人養成講座 人物探訪:救国の軍師・児玉源太郎(上)児玉源太郎は自ら2階級下の参謀次長となってこの国難に向かっていった。) 父の伯父で陸軍大将で陸軍大学の校長だった大叔父井口省吾は後継者を得るため私の祖父と養子縁組をした。 縁組した両家の孫達は「いとこ会」としてその「知恵」を継承しあっている。 朝鮮半島と日本列島を露軍の侵略から守るための戦略策定上の「智恵」を児玉源太郎の片腕の参謀だったおおおじから受け継いで「いとこ会」の仲間は共創を続けている。 これも「本当の仲間」といえる。 わたしの妻はこの十数年、両親の介護のために地方の実家に住み着いていた。 わたしはその前に10年ほど単身赴任していたのでお一人様の生活をはじめてからほぼ二十年が経つ。 とはいっても、結婚して四十五年の妻と未婚で無職の長男を扶養している。 妻と長男は両親が亡くなって空き家となった地方の実家に住むこととなった。 わたしは、仕事を継続する都合上、東京での生活を続けることとした。・ 長女は二十二年前に嫁に行き、その長男である孫の母として近くに住んでいる。 親子、夫婦といっても、もはや独立してそれぞれの人生を歩んでいる。 家族といってももはや共通の家庭をを維持しているとはいえない。 むしろよき仲間として考えなければならない。  「知恵」は仲間との間では自由に流通させることができる。 そして、家族・親族、目的を同じくする人々、友人、先祖・先達等は距離と時間を隔てていても「知恵」を交換、伝達、取引、交流、共創、共有することができる。 すなわち、「ゆたかな生活」を目的とするために「知恵」を活かして知的資本を構築し投下して新たな価値ある「知恵」を創成し共創する「本当の仲間」は、それを共有することができる; また、仲間との離別があった場合、自立の基礎をつかむことが必要になる。
そうして以前の経験に立ち戻って、自分の「知恵」を想起し直すことにチャレンジすべきである。 これは立派に「仲間」との共創と同等に評価されるべきものである。 そうすれば、一人で生きることへのセカンドチャンスを生かすことができる。 他人には他人の人生があり、それはそれで自立しており他人の介在する余地はない
したがって自分は自らそれまでの「知恵」を基盤として新たに自らの道を開いていくべきだ。 1964年、東京オリンピックのマラソ競技で史上初の二連勝を成し遂げた孤高のランナーアベベ・ビキラは「裸足のの哲人」と呼ばれた。 しかしながら、彼の後半の人生は決して栄光に富んだものではなかった。 それでも各国の陸上競技者からは、いまも伝説のように語り継がれ、その功績に変わらぬ敬意をいだかれている。 時間的にも距離的にも離れた間柄でも、他人に対して人間的態度をとること、そして他人もまた同じような態度をとっていると意識することによって、自分と他人を共感的に同一視することができる。 そして、共感することにより、その「知恵」を自らのもののようにして共有し、共創することができるのである。 アフガニスタンで医療や人道支援に尽力していた中村哲医師は「医療よりまず水だ」として用水路の建設に挑み、その結果砂漠を緑化して灌漑を実させ、65万人の健康と生活の維持に貢献した。 故郷の筑後川の「山田堰」で江戸時代の先達の「知恵」に倣ったものだ。 中村医師は惜しくも凶弾によりその尊い命を断たれたが、時と時間を経てもその精神と「知恵」は永遠に引き継がれるものである。 これらは、本当の仲間による新たな「知恵」の創成であり、共創にあたるといえよう。  ところで、妻と息子が実家に引き上げた後、娘が来たので状況を説明した。「家族が離れて生活することは今までと変わりはないので、生活費は毎月振り込んでいるよ。」「今までどおり東京で仕事を探し続ければ家族の生活費も稼ぐことができるからな。」5時間もあれこれ話し合った後娘「それにしてもこの部屋は暑いね。」俺
「クーラーは十年以上前から動かないんだ。」娘「死んじゃうよ。」その後娘からメールが届いた。「しばらくしたら電気屋が取り替え工事に行くから準備しといて。」十年以上たまりにたまって天井に届くまで積もっていた本の山を数日かかって取り除いた。ようやく工事に間に合った。新品のエアコンからの冷風に震えながら熱中症にもならずどうやら生きながらえた。ところで十月七日の千葉沖地震で私の居住地では震度5強の激しい揺れに襲われた。3.11の東北地震のときは、天井まで積み上げていた書籍の雪崩に埋もれて、生きた心地がしなかった。今回は娘がセットしてくれたエアコン工事のため片付けてあったのでその被害は避けられた。後日様子を見に来てくれた。自宅ではテレビが壊れたとのこと。その時ショートメールで安否を尋ねてくれていた。そのときはあたふたしていて気がつかなかったので返事もしてなかった。そこで自宅の状態や仕事の都合にもかかわらずわざわざ来てくれたのだ。もう、自分の家庭を築き、社会的に責任ある職業人であるのにその心遣いに感謝だった。改めて人のつながりのありがたさをつくづく感じた。また、新コロナウィルスによるパンディミックが始まった頃、わたしが労災事故で足を怪我してしばらく動きが取れないときがあった。膨大な数の専門書を区内の数カ所の図書館から借りていてその返却等の処理に窮していた。天候の悪い時期でもあったが、娘が仕事や家庭の事情があるにもかかわらず、数十冊の分厚い図書を2週間にわたって運搬処理してくれた。
経営者として、そして仲間としての「知恵」の活用について述べてきたが、ここに個人としての自分自身はどうすべきかを考えるに至った。 自分自身であるから他人と共同ではない場合についての「知恵」の活用をどうすべきかである。 前にも述べたように、時間的にも距離的にも離れた間柄でも、相互に人間的態度を意識することによって、自他を共感的に同一視でき、その「知恵」を共有し、共創することができる。 「裸足の鉄人」アベベやアフガニスタンにおける「灌漑工事」の中村医師の例にもあるように、一見「知恵」の共創にはあたらないように見えるケースでも、時間や距離に関係なく、共感しあう間柄においてはいわゆる「仲間」以上に「本当の仲間」がありえると言うことができる。 当然こうして自らのものとして得られた「知恵」は無償であり、「貨幣を介さない」で取引し、交換することができる。 しかし、それを有償で入手した場合や著作権等知的財産権としてオンバランス資産となっている場合は別である。 したがって、オフバランスの場合はあえてお金を使って取引する必要はなく、オフバランスとはなりえない通常の資産のときはお金で決済すればよいことになる。 自分自身での「知恵」の取引等においてもオフバランスの「知恵」の場合のみお金を使わないで決済でき、通常の場合は普通にお金で決済すればよいことになる。 すなわち、取引等の改善ができることとなる。 そして、「本当の仲間」との「知恵」取引等はお金のことを気にしないですることができ、「ゆたかな生活」ができることになる。 「本当の仲間」がその気になる前提としては、自分自身の中の仲間との改善がなされていなければならない。 自分自身の知恵があってはじめて仲間や先達の知恵を活かすことができる。 すなわち「ゆたかな生活」へ向けての改善により持続可能な開発(サスティナベーション)がされる。 そして、日々の自分自身の強靭なレジリエンス(回復力)で100年に一度の経済的パニックやパンディミックにも、耐える力が蓄えられる。はじめに  ノウハウ等知的無形資産を活かした知的資本、およびその投下によって再生産される次世代への遺産としての「ゆたかな生活」のための「知恵」にについて考える。 そして、バランスシートの資産の部に載らないオフバランスの「知恵」を発する主体の範囲、時期、特質等について検討する。 主体としては海外列強、大企業、中小企業、仲間、親族、家族、個人等および地域、コミュニティの団体等に及ぶ。 時期、特質等については歴史上、先達、故人、自然界、フィクション等についても考慮する。 そして、本当の仲間とは何か、自分自身についてはどうなのかへの追究を進める。 「ノウハウライブラリー」、「ノウハウサロンであいましょう」、「ノウハウ活かしたレジリエンス」等の前著をさらに深掘りする。 おわりに

零細小規模企業の世界に冠たる「知恵」を活かすことからyはじめて「仲間」の「本当の知恵」とは何かについて検討を進めた。 そして、家族・親族から先達を含めて時期、地域にかかわらない仲間を考えた。 つまるところ、仲間とは自分あってのものであることに気付いた。 そして、自分自身の知恵があってこそはじめて仲間や先達の知恵を活かすことができることに思い至った。 知恵の輪は自分で解いてこそ「知恵」を活かしたといえる。 「知恵の仲間」は自分自身の中にこそいることへの「気付き」を得た。 これこそが本当の「知恵の仲間」への原点だと。そして一言、「図書館大好き」

それ以来、彼女とは本の仲間になった。ネット社会では意に反して拡散されてしまうことが多いので、人対人で共創すべきである。そして、仲間内のルールに従って「知恵」情報のコントロールはされるのである。「知恵の輪」のルールである。 変えられないことを受け入れる寛容と変えられることは変えていく勇気で改善がなされるからである。 そして、いわゆる世人としての知恵の輪につながっていくことができる。 世人であることは、ものごとを自ら根本的に理解しなくても、人が「そういうものだ」として共有している規制解釈に従って世界を切り取り、その見方で生きられることである。 しかし、世人であることは次のような難点をも暴露する。 たとえば、かつて「世人の知恵」は「天動説」だった。 しかし、コペルニクスの「地動説」によってそれは覆された。 仲間の新たな「知恵」を世人が共有したのである。このようにして時とともに世人の「知恵」は変動し、それとともに新たな「仲間との知恵」が享有されるようになるのである。ここで「新たな知恵」および「仲間との享有」の意味を明らかにしなければならない。 「知恵の輪」でもあったように、「知恵」は必ずしも個人だけのものではなく、他人との関係で成り立つものである。 たとえば、かつてモーレツサラリーマンだった頃の社会における自分の仕事とそれにともなう家庭生活を振り返ってみる。 自分は家族を養うために自分のことは一切犠牲にして朝から晩まで仕事をしていたつもりだった。 しかし、あらゆる知恵を総動員して収入に見合う成果をあげているつもりでも、それ以外のことは家族に担ってもらっていたのだ。 単身赴任の生活でも、実家の両親を介護する都合で家族が不在の状態が続いてもそれは同じことだった ましてや、お一人様になってみてはじめてつくづく今までの家族のありがたさに気付く。 会社における仕事についても、上司や部下および関係者の知恵がなければなにひとつ成就しない。 そして、出来上がった成果についても自分だけによるといえるものは何一つない。 執筆活動ならひとりでできるかといえばそうでもない。ひとりでは一冊の出版もできないのである。 膨大な図書資料や情報提供者、編集者等のお世話にならなければならない。 そして他人の「知恵」がはいったものは共有が原則となるのである。 ところが、仲間と共有するのは「知恵」による成果であって、必ずしも「知恵」そのものはその限りではない。 自分の「知恵」と他人の「知恵」は相互の関係で成立しているが、その関係を持ったそれぞれである。 したがって、共有の成果を離れればそれぞれ独自に他との関係を持ってまた新たな「知恵」を構成しうるのである。 新たな仲間とはさらに新たな「知恵」の享有をすることができるのである。
そしてその結果としての新たな成果を共有し、それぞれはさらに新たな「知恵」を享有し得るのである。
この関係において、それぞれの「知恵」による成果を共有しあったそれぞれの「知恵」を持った者同士が「知恵の仲間」である。  「仲間との享有」は「知恵の仲間」で共有する「知恵」の享有を意味する。知恵の仲間の輪」は「知恵の仲間」の作る「知恵の輪」である。 したがって、本来それぞれ固有のものであるはずの「知恵」を仲間で共有することになるので、その基盤としての「知恵」の土台を確立することができる。 「知恵の仲間の輪の土台」とは「仲間の輪」の「知恵」を次代の仲間に遺す「遺産の輪」の意味である。 本来、「知恵」を有する者の共働による成果はその当事者の共有となったはずだった。 しかし、そうすると、「知恵の仲間の輪の土台」には「みんなの知恵」による「みんなの遺産」を遺すことができる。 そして、この場合、必要な「知恵」を有する者が必要な「知恵」を出し合って必要な成果を出し合い、必要とする者に提供できることになる。 つまり、仲間の知恵の共有のデータベースに基づく仲間による「知恵」の共創が自由に可能となるということである。 世間で行われているオープンサイエンス(共有)ならびにオープンソリューション(共創)が仲間内で可能となるということになる。 仲間として利用すべきものはその情報を仲間に開示し、活用すべきものは活用しあって新たな共創をし、共同の成果を得ることができる。 当然「本当の仲間」の内においては、さらに融通無碍にお互いの「知恵」を活用しあうことができるようになる。 前述のように、本当の仲間とは、諸関係にはこだわらず、「ゆたかな生活」を築くために必要とする「知恵」を共創することができる人達をいう。 その人達は自己の知恵が仲間の中の誰かの知恵との関係を意識してその「知恵」を認識しているはずである。 逆に自己の「知恵」は相手の「知恵」との関係で認識されているはずである。 これらが複数者間で複数の「知恵」の交錯として認識されあって新たな「知恵」が共創されると、その仲間で共有されることになる。 このように、本当の仲間との関係で共創される「知恵の輪」で構成される「新たな知恵」を基盤とする土台を構築していくのである。 この土台の上にさらなる「知恵」が折り重なっていくことにより、自己または仲間同士で抱えている問題解決の「知恵」となる。 この「知恵」がやがて新たな発見に繋がるアイデアとなり、その「気付き」によるノウハウから技術的思想および新規性、進歩性のある発明等となる。 すなわち、世に言う特許等知的財産権は結果として知的無形資産たる無形固定資産を生じさせることも可能となる。 そして、それらは資産としての権利帰属が問題となる。 しかし、ここではその前の段階である「ノウハウ」たる「気付き」を生ずる「知恵」の活かしかたについて検討 現状維持が好ましくないとするならば、時間の経過はどうであろうか。 今にとどまらず、自分の経験に基づけば「知恵」はつくのだろうか。 しかし、多くの経験に基づいて形成された「歴史」ならば少なくとも今にとどまらずによりゆたかな「知恵」を得られるのではないだろうか。 ビスマルクの言葉に「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というのがある。 成功にしても失敗にしても、確固たる事実には争いがないということだと考えれば、信頼の意味が明確になると考える。 同じことをやっていても十年もたてばその人の歴史ができるといわれる。 個人の中で時代環境と共に「知恵」の要件が異なってくるということか。 ましてや、仲間との関係で、時間と共に事実が固定されていくことが本来の歴史だと言える。 これが一見、他人の「知恵」の構築過程のように見えるが、実は個人の「知恵」の構築そのものなのだ。 これまで、仲間との関係で個人の「知恵」が構成されることを述べてきた。 それでは、これからその実際について明らかにしてみよう。 私は約六十年にわたって企業における技術情報管理の仕事に携わってきた。 特に知的財産管理についてはいくつかの企業でそれらの実状に合わせて運用してきた。 そして、それらのおおもととなるノウハウ等知的無形財産の活用および知的資本の構築を推進してきた。 専門は米国直輸入のマーケティングであった。 「作ったものを売る」のではなく、「売れるものを作る」を基本とするマーケティングの考え方に魅力を感じたからであった。 しかし、企業で生産技術部門に配属されても、タイムスタディや監督者訓練のトレーナー等の現場監督作業が多かった。 さすがに直訳マーケティングと揶揄されていただけあってその実効を活かす仕事とはかけ離れていた。 その頃はZD(ゼロディフェクト)運動等がさかんに行われていて、現場での改善活動も定常的に行われていた。 現場を駆けずり回り、ベテランの作業員と仲良くなると、上からの開発指示よりも、実際に原材料に触れ、製品の製造方法の改善に日夜苦労している現場にこそ本当の「知恵」があることに気付いた。 一見、日常業務の改善にすぎないと思われるようなことでも日夜苦労をしつつ作業の遂行に携わっている方々からは不思議な「知恵」が沸いてくるのを感じる。 現場では「仲間」が作業をしているのである。 時の流れとともに仲間との関係で歴史的に培われる「知恵」によりそれぞれの個人が形成されるのである。 そして、自己の固有性を尊重するとともに他者と自己を比較することで世間の支配に手を貸しながら自己固有な自己に到達する。 すなわち、仲間との「知恵」により個人が形成されるのである。 「知恵」はものごとを認識し、統合する心の働きである。 それが誰の「知恵」であろうと、仲間がお互いの「知恵」を利用しあってその価値を増大させることであろうと「ゆたかな生活」のために必須の要件となるのである。 そうすると、そこに生じた「知恵」は特定の個人または仲間に帰属するものではないことになる。 「知恵」には特定の所属主体はないからである。 したがって、「知恵」は誰でも利用できるのであり、結果として「知恵」の成果または成果物の帰属が認識されるのである。 結果としてのその成果分配が認識されることはあっても「知恵」はその帰属が争われることはない 少なくとも所有による支配はないのである。 一般の資産を所有することによりその価値の支配をめぐって生ずるような価値交換媒体による所有の概念を捨象できるのである。 本来、商品として等価交換される労働力のうちでも資産とならない「知恵」は剰余価値を産んで通常の交換媒体を要せずして取引の対象となるのである。 また、「知恵」の成果または成果物であっても、それが資産として評価されない場合にはなんら交換等の媒体を要せずに取引が可能となる。 したがって、「知恵」の活用においてはなんらの交換媒体を介せずして取引等ができ、知的資本の蓄積により剰余価値を産むことができる。 さらに、「知恵」には特定の所属主体はないので「知恵」またはその成果および成果物はそれ自体を媒体として交換等の取引をすることができるのである。 そしてさらに更改されて新しい気付きによる「知恵」を生む。 このように仲間、特に「ほんとうの仲間」との間で「知恵」は好ましい展開を見せる。 さらに、「知恵」の展開による「ゆたかな生活」を生み出すための個人または仲間における方法を検討する。 自分の生活のなかで必ずしも自分への帰属がなくても価値を有することがらがあるのではないかと考える。 必ずしも「知恵」自体ではなくとも、それを含む、ないしはそれから派生したソフトウェアおよびハードウェアがその価値を有することがあるからである。 それはいわゆるシェアシステムの世界ですでに一部が実現していることである。 いうまでもなく、シェアウェアにはソフトウェアもハードウェアも含んでいることは周知のところである。 また、一定の条件下で自由な取引を可能とするサブスクリプション等でも展開が期待できる。 しかしながら、このような既存のシステムを考えるまでもなく、普段の生活での不都合を改善する方法ならば、難しいことに言及するまでもない。 生活の「知恵」は生活改善のためのコトやモノと一体となって交換の対象となることが多い。 したがって、その共通部分は実はわざわざ交換するまでもないのである。 たとえば次のような場合である。 すなわち、仲間と謎解きのユニークな方法を考えていたら、素敵な解決ポイントがあることに気付いた。 このポイントから謎解きゲームを考えた。 それから、いろいろなゲーム機で動くゲームソフトウェアの開発に発展した。 この場合、生じたハードとソフトはそれぞれのものだが、それのもととなっている「知恵」の所属はどちらともいえない。 したがって、それぞれのハードまたはソフト等の共通部分となっている「知恵」についてはあえて交換する必要がない。 当該ハードまたはソフト等の「知恵」部分についてはあえて価値交換媒体を用意する必要がないのである。 すなわち、「知恵」そのものは資産としては価値計算をしなくてもよいからである。 そして、貨幣等の交換媒体を介さなくても「知恵」自体を価値媒体として交換・取引等が可能となる。 さらに、当該「知恵」を含む資産についてもそれを価値媒体として交換・取引等をすることができることになる。 ということは、「知恵」をいっさい含まない資産については「知恵」自体を価値媒体として交換・取引等はできないこととなる。 以上から「知恵」をいっさい含まない資産を除いて一部に「知恵」を含む資産についてはそれを価値媒体として交換・取引等をすることができることとなる。 すなわち、交換・取引等の対象を区分して、「知恵」を含むものは直接、含まないものは交換媒体(例えば貨幣)を介して交換・取引等をすることができる。 したがって、「知恵」により「ゆたかな生活」は求めやすくなる。  自分の「知恵」でも他人の「知恵」でも仲間同士ではそれぞれ自己の内部に浸透するとともにそれぞれの相手方にも影響する。 それが新しい価値ある「知恵」の共創としてプラスに働くこともあれば方向違いに足を引っ張り合いになることもありえる。 「気付き」は一般に他人から教えられたりせず自分で気が付くことを言うが、他人との関係にも注意が必要である。 すなわち自己の「気付き」による「知恵」の内的浸透は自分の内にだけでなく、関係する他とも影響しあうのである。 仲間同士では、お互いに無意識の内に相手方の「知恵」にも干渉しあっていることになる。 結局、仲間は肉体的にも精神的にも何らかのかかわり合い等があるものなので、当事者双方ともに了解しながら目的を追求する。 したがって、その場合には、自分だけの「知恵」をもって勝手に自分だけの目的を達成することはできないのである。 一見、自分だけの「知恵」で自分の目的を達成しているようにみえても、自分に浸透してきた他人の「知恵」の力をももって達成できているのである。 したがって、その他人の「知恵」の力をももって達成できている目的に係る「知恵」は自分のものではあるが、その成果および成果物は自分だけ所有とすることはできない。 なんとならばその他人の「知恵」をももって達成しているのだからその他人のものでもあるからである。 「気付き」により得られた「知恵」は自己および仲間の内部に浸透する。 したがって、既存の「知恵」と何らかのかかわり合いを持つことになる。 相互に助け合ってつながり、価値を増大するものならば結合して新たな「価値」を産む。 ここで注意しなければならないのは、個人(仲間)は世間(地域共同体)の監視社会にその同調圧力により自粛警察、全体主義となっていくことである。 これはナチズムを生んだ歴史的経緯を考えればありえることである。 特に、日本においては、太平洋戦争に向けて突き進んだ国民性を考えても、今回の新型ウイルスによるパンディミック対応にも同調圧力による自粛警察現象が現れている。 接触でも飛沫でも感染のおそれがなく、他人との接触もない広い屋外でも“マスク警察”の目が怖い監視社会を構成していることからも明らかだろう。 不識布のメッシュと言えども、桁違いに微小なウィルスは通過するし、飛沫防御だけを考えても正しい使い方をしていない。 他人に唾液の飛沫がかからないためにしているはずなのに、マスク集団が大声でわめき散らしている。 他人への感染を防ぐためにはまず第一に自分が感染しないように体力・精神力を補強することが必要なのにそのことは考えていない。 思考過程が真逆で「知恵」どころのものではない。 こんなことで自己および仲間への価値が間違って浸透してしまうと全体主義に向かうことになり悲惨な結果を招く。 これが社会的・国家的現象だと防ぎようもなく拡散することとなる。 しかし、「ほんとうの仲間」においては相互に相手を慮って行動するのでそのようなことはない。 むしろ、仲間への増大した価値の浸透が正しく行われる。 そして仲間同士間での「知恵の輪」が回り始めると今までにない増加価値が新たにスパイラルアップして形成される。 これは、個人としても他人との意識上の干渉があれば、先述の同調圧力が働くこともあれば増加価値が得られるときもある。 したがって、「知恵」については「個人」だろうと「仲間」だろうと他人からの影響は避けられないのである。 そこで、自らの「知恵」を武器にして、他人や仲間とアライアンス(提携)し、自分をそれらの「知恵」の集まる場(プラットフォーム)にすることによって、いつでも問題解決できるようにすることができる。ここで、「知恵」と「知能」についてその違いと役割について検討する。 「知恵」(wisdom)が機転や知識の組み合わせで問題解決することをいうのに対して、「知能」(intelligence)は知識体系のことをいうに過ぎない。 したがって、少なくとも自己の「知恵」で問題解決するには自分の頭でその「知能」を使って考えを巡らせなければならない。 すなわち、自問自答することになる。 しかしながら、問題解決に至るためには自分だけではなく自他の頭脳間による「知恵」の交渉をすることが効果的でなる。 「下手の考え休むに似たり」に対して「三人寄れば文殊の知恵」ともいう。  「文殊の知恵」の場合は特に優秀でなくとも数人で考えれば思いもよらない解決策が出ることが多い。  これに対して、自分たちの間だけの「知能」で考えるのではなく、他人の気持ちを推し量る「忖度」というのがある。 この中の「知能」に人工知能は該当するのだろうか。 AIは交差検証を使って忖度が可能だろうか。 相手がその「知恵」はなんであるかを知っていることをこちらが知っていてさらに相手が知っているのが忖度だとしたら、交差検証(Cross Validation)はデータ分析手法の良さを評価する方法にすぎない。。 中国テンセントのAIを使ったチャットボット(Baby Q)が共産党批判をしてサービス停止させられたニュースがある。 一般のユーザーが「中国共産党万歳」という書き込みをしたところそれに対して「こんなにも腐敗し当て無能な政治に万歳するのか」と返答して中央政府にサービス停止させられたというから人工知能には交差選択による忖度はできない(苦手)といって良い。 したがって、人工知能(AI)を交えての「文殊の知恵」はちょっと無理な相談だと思われる。 なお、自己の「知恵」とAIでの交渉は“知恵と知能”となり、AI同士では“知能と知能”となるのでやはり難しい。
やはり、自他間においてされると同じように、自己の内においても「知恵」の交渉によって「文殊の知恵」が得られるものと考えられる。普段の生活のなかで問題解決のために気付いた「知恵」を活かして「ゆたかな生活」を獲得するためにどのようにすべきか検討する。 ところで「ゆたか」は「ゆとりが見えるほど満ちたりた状態であること」であり、「生活」とは「生存して活動すること、生きながらえること」なので、「ゆたかな生活」は「ゆとりが見えるほど満ちたりた状態で生きながらえること」となる。 金を稼ぐのも一つの手段だが、貧富の差を生ずる一因でもあるので、必ずしもそれのみに限られない。 むしろそれによって個人的にも不幸を呼ぶ場合も多いので、さらに多角的な検討が必要となる。 金では買えないもので「ゆたかな生活」が得られるものとは何であろう。 また、金は           なくても得られる「ゆたかな生活」はどんなものだろうか? 一般的には交換、贈与、使用貸借等による場合が考えられる。 しかし、これは有形資産について法上の規定を考慮したときのことを言っているだけであって、そのほかにも無体財産については多くのケースがある。 特に「知恵」から発するノウハウ等知的無形資産についてはあえて金を使わないでも取引等の交換が可能なのでその活用は極めて有効である。 例えば、“モノ”を取引等する場合には金を交換媒として売買によるか“物々交換”によることができるが、実際には欲しいものとあげられるものが双方で一致しなければならないので、実現が極めて難しい。 これにひきかえ、「知恵」によるノウハウ等知的無形財産については、時と場所にこだわらないで“物々交換”と同様に直接取引等ができる。 しかも、そのノウハウ等がバランスシート上の資産とならない(オフバランス)ときはわざわざ交換媒体たる金を使わないこともできる。 知的無形財産のうち特許権等のように知的固定資産とならないノウハウ等はそれを形成したとしても資産勘定とならないので資産として計上されない。 当然、そのノウハウ等を有償で購入すれば資産として評価されて資産勘定に計上されるけれども、そうでない場合には、金を交使わないでも取引等ができることとなる。 わかりやすい説明としてM&Aの吸収または購入される側が例にあげられるが、この場合でも吸収サイドでは当然“のれん”として資産計上される。 この吸収・購入価格から資産総額を差し引いたものが吸収サイド”ののれん勘定となるのは自明の理であるが、吸収・購入される側では事前にその価格は不明である。 これはあたかも“のれん”勘定特有のことであるかのように思われがちであるが、もともと資産ではない知的無形財産である「知恵」は資産に計上されないのであってそれを有償で入手すれば資産勘定として計上されるのは当然の理と言える。 したがって、「ゆたかな生活」への「知恵」としては購入したものではなく自ら発した「知恵」を活かすことが大切なのである。高校までは静岡市で過ごした。 駿河湾に流れ込む暖流によるその穏やかな気候は、徳川家康が隠居所としただけあって、駿府城址外濠の石垣上、幾重にもにもそびえ立つ大松の彼方に霊峰富士を眺めながらの生活は今想い出してもゆたかな生活にそぐうものだった。 しかし、大学生活を送ることになった上州高崎ではうって変わって、赤城おろしが吹きすさぶ厳しい生活が待っていた。 清水は政令指定都市となった静岡市に統合されたが、羽衣伝説で有名な三保の松原近くの清水次郎長が“赤城の山も今宵限り”の国定忠治の生き方を学ぶこととなった。 桐生はかつて絹織物で栄えた街だったが、当時は日本トップの遊技機(パチンコ)メーカー三社が名古屋勢十数社としのぎを削っていた。 しかし、高崎での学生生活終了後は静岡の理研軽金属株式会社に勤めた。 理化学研究所での成果実施工場を企業化したアルミニウムメーカーで日本楽器のヤマハと日本軽金属の出資によるものだった。 日本軽金属系列メーカー七社のアルミ建材部門を統合して設立された新日軽株式会社の知財部門の責任者に任じられた。 ほとんど東京でのビジネス生活が続いていたが、不思議なことで一時十年近く、同じ群馬県の桐生に単身赴任をした。 誉れ高い歴史を有し権威あるトップのパチンコメーカーの本社工場がある桐生での仕事に就いたからだ。保有している資産や設備を売却するなどして、レンタルやレンタル型サブスクリプションに切り替えることで、資産として貸借対照表に計上せず、経費として処理することができる(オフバランス化)。 たとえば、IT関連のソフトウェアをクラウド・SaaS型サブスクリプションに切り替えることでもオフバランス化が可能。これがノウハウ等知的無形資産のうちオフバランスであるときには一定価格ではなく一定価値までのサブスクリプションだ。自社でサーバーを保有したり、業務システムを独自に構築したりするオンプレミス型でなくても、クラウドサービスで代用できるのであれば、資産の圧縮につながる。ここで、私は共有する「知恵」の内容について熟考してみる。自己の「知恵」たとえば「ノウハウ」は、研究開発費として貸借対照表上の繰延資産とする場合を除いて、損益計算書上で経費計上される。したがって、バランスシート上での資産に対応する資本が小さくなるので自己資本利益率が高くなり経営効率化に貢献する。反面、その分が知的資本として、次世代への遺産となり、経営継続の為の資金繰りに貢献するとともに後継者問題の解決にも有益である。
「人間の知恵の輪」を「知恵の仲間」により作っていければ仲間の遺産として「知的資本の輪」を共創することができる。 これは個人的財産管理にも有益に対応することができるので、家族を含む「仲間の知恵」を共創する場合にも適用できる。 これまでの私の提案に関して、財産の共有一般に、 ましてや、これがノウハウ等知的無形資産、特に「気付き」による「ノウハウ」、すなわち「知恵」であるときはいわゆる「お金」を交換媒体としないで投資、交換、取引等ができる。 「失われた三十年」は歴史的事実である。 したがって、過剰に拡大した産業資本およびその後を席捲した金融資本の奴隷となって高度成長期のピークを経たものの、世界経済から見て本来の実力レベルに戻ってしまったとしても、それは当然のことで、その事実はむしろ謙虚に受け入れなければならない。 日本の「失われた三十年」については由々しき問題ではあるが、私はその対処を政府や行政の役目にするのではなく、わたし達が自らを変えることから始めなければならないと考える。 今回のパンデミックによって思い知らされた物流の基本の基本についての間違いを改善していかなければならない 脱炭素化も個人個人が自ら本当の問題点に気づかない限り永遠に解決しない。 再生エネルギー急拡大で発電した電気を使い切れなくなっているため、送配電会社が再生可能エネルギーの受け入れを一時停止する「出力制御」を行う動きが増えている。 再生エネルギーによる電気が売れなくなると当該事業者の経営が悪化し、再生エネルギーの普及に支障を生ずるという懸念もある。 我々が生き続けるためにどの要件をどの順序で優先させなければならないかを、それぞれが真剣に追及して実践し、その集大成で必要十分な結論を導かなければならない。 脱炭素化取引については政官や企業社会だけの問題なのではなく、民間人を含むそれぞれの覚悟によらなければ正解は得られない。 まず、個々人自らがコミュニティーとともにできることから変えるとともにそれを広げていかなければならない。
政策としての成長率、企業業績としての収益率をもって政権保持、経営評価獲得の目的としていては国民は「ゆたかな生活」など求め得べくもない。 それよりも、アズ・ナンバーワンとも言われた虚構の幻想再現を夢想して断末魔のあがきを繰り返す愚は避けなければならない。 今、ガレージハウスから始まって、既存の大企業をしのぐいわゆるGAFAMが破竹の勢い世界を席巻している。 しかし、日本ではその国状の閉鎖性から独自の発展形態をとることができず、それらへの追従以上のレベルの戦略をとることはできていない。 ところが、日本の地域経済においては、中小企業、零細企業、町工場、家内工業のなかにはむしろ独自のきわめて特異性のあるノウハウを有する産業が生き続けている。 アメリカの投資家が将来性のある優秀な起業家を求めて躍起となり、起業家は満を持してそれを待つ場合が多いのに比べて、日本の場合はベンチャービジネスを探す態様が多い。アメリカでは開拓精神に満ちた企業家に対してはパイオニアスピリッツに富む投資家が応ずることにより新規事業が起こってくる。これに対して日本では閉鎖社会のなかで育まれた固有の知恵と技が珍重される気風があり、結果として識者が気付いて拾い上げるという構造になっている。 従って、日本には大開発につながる優れた要素技術としてのノウハウがいっぱい詰まっている個人・零細企業が豊富に存在するにもかかわらず、それらが顕在化されることなく自身の内に眠ってしまい、使われることがないままに忘れ去られてしまうことが多い。その結果日本の出資家は折角の出資のチャンスを失うことになる。 日本人にはパイオニアスピリッツに類する精神構造は望むべくもない。それなら、下手なアメリカ追従はやめて、日本人が本来的に持っている極意伝承の精神を生かす方法で要素技術を顕在化するほうが理にかなう。 そして、いくつもの同業小規模経営企業が競い合うことよりも{知恵」を集めてノウハウを集約して一本化を図ることである。 ノウハウ、すなわち気付きによる「知恵」の活用である。 貸借対照表に資産として載らないノウハウ等知的無形資産のうち「知恵」、特にオフバランスで「貨幣を介さない」取引等については資金繰りの心配なく取引ができるメリットがある。  また、資産・債務を証券化してオフバランスとした場合、確かにその期ではバランスシートには載らない。 しかし、資産・債務隠しの場合には決済時には貸借対照表に掲載されるのでオフバランスではなくなる。 そしてそのレベルのオフバランスは決済時にはオンバランスとなる。 したがって、同じオフバランスでもデリバティブ、先物やオプション、スワップ等の金融商品にかかる場合での取り扱いについては注意を要する。 米国での低所得者向け住宅ローンの証券化を契機とするリーマンショックによる経済的パニックの例もあるからである。 そこで、一般家庭や仲間同士での少ない手元資金で取引ができる先物等デリバティブについての可能性について考えてみる。 先物等でも仲間同士の取引に際して元本相当の「知恵」の受け渡ししか行われない場合にはもともと何らの資産も形成されないので決済時にもオフバランスとなる。 したがって、オフバランスの「知恵」については現在の取引だけではなく将来の取引についても貨幣を介さないで行うことができることになる。 金融業界では内輪で資金を回し、民間企業では株式価値最大化のため自己株買いのために資金をまわしていることも多い。 個人や一般家庭ではゆたかな生活がもっぱらお金だけだとされていることが多い。 今や、そうではなく、政財界も官民も、自らのミッションを全うすることで「ゆたかな生活」を求めることができることに気づかなければならない。 本来交換の媒体である貨幣をお金によってお金を増やそうとする蓄財の対象にしてしまっていることに気が付かず、当然の商売や金融取引だと思い込んでいることの弊害を改善しなければならない。 このままでは次世代への遺産としての知的資本蓄積はままならない。そのために、「知恵」の「貨幣を介さない」取引について追求する。 そのためには他人を変えるという改革より、自分および仲間同士の当事者による「知恵」の先物取引でも家庭や仲間レベルで改善可能になるように「知恵」を働かせる。 仲間同士の取引に際して「知恵」の受け渡ししか行われない場合にはオフバランスで「貨幣を介さない」取引となる。 この場合、「知恵」を含んだオンバランス資産ならオフバランスの先物取引等で将来にわたって「貨幣を介さない」で「知恵」の蓄積を可能とすることも可能となる。  人間の「知恵」から発するオフバランスの「見えない資産」が次世代への遺産として蓄積される。 それが知的資本として構築され、投下されて更なる「知恵」の再生産がされる。 そして、パンデミック等へのレジリエンスとして常時蓄積され得る。
そして、広く環境・社会・経済の観点からこの世の中を持続可能にしていくサスティナビリティーに貢献する。 さらに、ESGの非財産情報では仲間間での「知恵」取引等の処理結果の応用において社会問題において「豊かな生活」への貢献をすることができる。 社会問題については、高齢者、認知症、介護、団塊世代等についても次世代への遺産としての「知恵」の活用が可能である。 以上、「知恵」を「貨幣を使わない」取引とする『改善』で有効に活用して資金難や後継者難による撤退を回避し、で、格差のない生活を得ることを政管財民共通のミッションとすることを提案する。私は、人間の「知」から生ずる ノウハウ等知的無形資財産を活かして構築される知的資本の投下によって再生産される次世代への遺産としての「ゆたかな生活」のための「知恵」にについて考える。  そして、その「知恵」としての「ノウハウ」がバランスシート上の資産とならないオフバランスとなりえることの効果およびそれらを創出する主体の範囲、時期、特質等について検討する。  そしてまず、我々が生き続けるためにどの要件をどの順序で優先させてどのように活かさなければならないかを、それぞれが真剣に追及して実践し、その集大成で必要十分な結論を導かなければならないと考える。  まず、個々人自らが属するコミュニティーとともにできることから変えるとともにそれを広げていかなければならない。  政策としての成長率、企業業績としての収益率をもって政権保持、経営評価獲得の目的としていては「ゆたかな生活」など求め得べくもない。  日本の地域経済においては、中小企業、零細企業、町工場、家内工業のなかにはむしろ独自のきわめて特異性のあるノウハウを有する産業が生き続けている。  日本には大開発につながる優れた要素技術としてのノウハウがいっぱい詰まっている個人・零細企業が豊富に存在するにもかかわらず、それらが顕在化されることなく自身の内に眠ってしまい、使われることがないままに忘れ去られてしまうことが多い。  日本には日本人が本来的に持っている極意伝承の精神を生かす方法で要素技術を顕在化するほうが理にかなう。  そして、いくつもの同業小規模経営企業が競い合うことよりもそれらの「知恵」を集めてノウハウを集約して一本化を図ることである。  ノウハウ、すなわち気付きによる「知恵」の活用である。  貸借対照表に資産として載らないノウハウ等知的無形資産のうち「知恵」、特にオフバランスで「貨幣を介さない」取引等については資金繰りの心配なく取引等ができるメリットがある。  金融業界では内輪で資金を回し、民間企業では株式価値最大化のため自己株買いのために資金をまわしていることも多い。  個人や一般家庭庭ではゆたかな生活がもっぱらお金だけだとされていることが多い。  今や、そうではなく、政財界も官民も、自らのミッションを全うすることで「ゆたかな生活」を求めることができることに気づかなければならない。  本来交換の媒体である貨幣をお金によってお金を増やそうとする蓄財の対象にしてしまっていることに気が付かず、当然の商売や金融取引だと思い込んでいることの弊害を改善しなければならない。  このままでは次世代への遺産としての知的資本蓄積はままならない。そのために、「知恵」の「貨幣を介さない」取引について追求する。  そのためには他人を変えるという改革より、自分および仲間同士の当事者による「知恵」の先物取引でも家庭や仲間レベルで改善可能になるように「知恵」を働かせる必要がある。  仲間同士の取引に際して「知恵」の受け渡ししか行われない場合にはオフバランスで「貨幣を介さない」取引となる。  この場合、「知恵」を含んだオンバランス資産ならそのうちのオフバランスを分離した取引等により、将来にわたって「貨幣を介さない」で「知恵」の蓄積を可能とする。   そして、人間の「知恵」から発するオフバランスの「見えない資産」が次世代への遺産として蓄積される。  それが知的資本として構築され、投下されて更なる「知恵」の再生産がされる。  以上、「知恵」を「貨幣を使わない」取引とする『改善』で有効に活用して資金難や後継者難による撤退を回避し、で、格差のない生活を得ることを政管財民共通のミッションとしていかなければならない。  主体としては海外列強、大企業、中小企業、地域、コミュニティの団体等をはじめとして仲間、親族、家族、個人等の全体を対象として考える必要がある。  時期、特質等については歴史上、先達、故人、自然界、フィクション等についても考慮すべきである。  そして、本当の仲間とは何か、自分自身についてはどうなのかへの追究を進める。  さらに、世界に冠たる日本固有の「知恵」が消滅してしまう前に有効に活用して資金難や後継者難による撤退を回避し、「貨幣を使わない」取引とする『改善』で、格差のない「豊かな生活」を得ることを政官民共通のミッションとすべきことを提案する。

人間は発達した情報処理と記憶の能力を持っている。 個々人にとって情報の意味は相互に連関し、複数の人間によって共有される。 そして、複数の人間によって相互に共有された認識基盤を構成する。
この基盤上の共通認識が個々人の行動を規定し、仲間としてのコミュニティの安定性を保つ。 そして、個人の潜在能力の基盤となる健康で文化的な生活が保障される。 これはアマルティア・センのケイパビリティー(潜在能力)アプローチに適合する。 潜在能力アプローチは仲間としての個人が可能になる点を中心的要素とするものだからである。 社会的、文化的環境の中で作られていくジェンダーへの認識も時代とともに変化する。 「性同一性障害」ならぬトランスジェンダーもジェンダーとして考えなくてはならない。 だから性別に違和感をもつ人々を指すトランスジェンダーもジェンダーに含まれることとなる。 今は男女平等の時代だといっても一部に“男は仕事、女は家事”の考え方は残る。 家族、特に女性が担ってきた介護や保育の苦労が新型コロナウィルスによるパンディミックでさらに顕在化している。 国民が自ら選んだ為政者により崩壊させられた民主主義のもとではお上による改革は期待できるものではない。
責任は選挙民である自分自身にある。 誰もやってはくれない。 自分たちで回復のために「知恵」を出し合って出来ることから改善していかねばならない。 他人を変えることはできない。 まず自らを変えることだ。 自らを変えることができる仲間が力を合わせればできることだ。
ジェンダーについての偏見を捨て、そこに潜んでいる問題に気づくときである。
“お一人さま”ではじめるからその仲間がことをなせるのだ。妻と息子が実家に引き上げた後、娘が来たので状況を説明した。 私:「家族が離れて生活することは今までと変わりはないので、生活費は毎月振り込んでいるよ。今までどおり東京で仕事を探し続ければ家族の生活費も稼ぐことができるからな。」 数時間あれこれ話し合った後 娘:「それにしてもこの部屋は暑いね。」 私:「クーラーは十年以上前から動かないんだ。」 娘:「死んじゃうよ。」 その後娘からメールが届いた。 「四~五日したら電気屋が取り替え工事に行くから準備しといて。」 十年以上たまりにたまってエアコンを超えて天井に届くまで積もっていた本の壁を数日かかって取り除いた。 ようやく工事に間に合った。 新品のエアコンからの冷風に震えながら熱中症にもならずどうやら生きながらえた。    ところで二十一年十月七日の千葉沖地震でグッチの居住地では震度5強の激しい揺れに襲われた。 3.11の東北地震のときは、天井まで積み上げていた書籍の雪崩に埋もれて、生きた心地がしなかった。 今回は娘がセットしてくれたエアコン工事のため片付けてあったのでその被害は避けられた。 後日様子を見に来てくれた。 娘の自宅ではテレビが倒れて壊れたとのこと。 その時ショートメールで安否を尋ねてくれていたとのこと。 そのときはあたふたしていて気がつかなかったので返事もしてなかった。 そこで自宅の状態や仕事の都合にもかかわらずわざわざ来てくれたのだ。 改めて人のつながりのありがたさをつくづく感じた。ちょうど、新型コロナウィルスによるパンディミックがあった。 コロナ騒ぎにより「知恵」はそのようなパニックからも回復可能なレジリエンスに結び付けられることに気がついた。 生きていてこそだ。 死んでしまっては元も子もなくなる。 ところでその命だがいまのところ人間とウィルスとの生存競争だ。 ウイルスに脳があるとは思えないので頭で考えてはいないはずだ。 しかし、ものごとを巧みに処理する能力、すなわち「知恵」はあると考えられる。 寄生する生物と共存関係がうまくいっていれば両者とも現状維持で安泰のはず。 ところが均衡を乱す何らかの攻撃が加わると、それを排除する知恵が働き、逆襲されることとなる。 均衡が保たれることを感じると攻撃をやめる「知恵」が働きまた仲良く共存を始める。
「知恵」は根源的にはこんなところから生じている。 ワクチンで抑え込もうとすれば、次々と新型種が現れる。 まさに「知恵」の攻防だ。 発生したばかりの蛋白による有機物には脳はない。 しかしながら、種として生きるための処理能力、すなわち「知恵」をもって対抗できる。 このような世界でも人類との「知恵」の取引がなされ得るのだ。 ましてや、人間と植物や動物との間での知恵の交換、取引は日常茶飯事だ。 自然との闘いにそれが如実にあらわれる。 そもそも生物の発生当初には考える脳など存在していなかったはずだ。 生き残りの手段として脳が発生し、発達した。 だとすれば、家庭内の家族とペット、ペット同士、ペットと植物との「知恵」の交換もありえる。 しかしながら、これらについて交換基準を定めるのは極めて難しい。 犬が尻尾を振って飼い主に挨拶をする。私の人生は、1942年6月5日に始まる。 日本の敗戦を決定的にした、あのミッドウエー海戦のその当日が誕生日だ。
終戦のときには三歳だった。 “戦争に勝つ”すなわち”戦捷(かちいくさ)”の意を込めて捷三と命名された。 父の三番目の男の子だったからだ。大伯父が軍人だったので勝利を意味する漢字「捷」の字を使ったと言われる。 日本海軍はミッドウエー海戦で空母4隻を失う大敗北を喫していたにもかかわらず1944年、「捷一号」から「捷四号」までの作戦計画を立てた。 しかし実際は「捷一号」が広く分散した日本の水上部隊と航空部隊をマッカーサーの水陸両用部隊を迎撃できる位置に移動させるに過ぎないものになっていた。 「捷一号」作戦計画は、艦隊が死に場所を得る最後の機会だったのだ。 そんなことも知らされないまま敗戦後のどさくさにまぎれて成長した。 六十年安保を経て社会人になるまでが私の第一の人生といえる。 オリンピック東京大会を経て、バブル期前後のモーレツ社員として生きてきたのが第二の人生だ。 いくつかの会社の技術情報管理と知的財産管理を担当し、ソフト情報流通会社の代表取締役も拝命した。 精錬からのアルミニウム総合メーカーの第三次加工商品担当部門でのスタートだった。 日本初の東証一部上場独立系コンピュータソフト開発企業が二番目、
同じく日本ではじめてパチンコ機製造で東証一部上場企業となった遊技機メーカーが三番目だった。 その三番目の会社の子会社として株式会社の代表取締役となってコンテンツ流通を促進した。 以上の業務を通じて蓄積した「知恵」の総まとめがようやくできた。 「次世代への遺産としての知的資本の構築」がテーマであった。 そして、キャッチフレーズは、 『ノウハウ(知恵)とスキル(技能)のシェアリングによるレジリエンス(回復力)で豊かな生活を!』 息子:「貨幣を介さないで取引ができることのその他のメリットは?」   私:「資金繰りに窮している中小企業等への直接的効果があるとともに、そのような企業主が事業を継続しようとするために心理的後押しをして「ゆたかな生活」推進に貢献することだ。」   娘:「そこまでいくにはかなりの工夫が必要だと思うが?」  私:「そのとおり。日本の中小企業等こそが有する世界に冠たる優れた「ノウハウ等」を活用することによって、持続可能な開発ができ、今こそ大企業や海外列強にも対抗できる態勢を組むことができることを知らしめることだ。」        息子:「そして、次世代への遺産としての知的資本というさらに大きな財産を手中にすることができる。」  孫:「それこそ「ゆたかな生活」への王道だと言える。」   私:「日本には大開発につながる優れた要素技術としてのノウハウがいっぱい詰まっている個人・零細企業が豊富に存在するにもかかわらず、それらが顕在化されることなく自身の内に眠ってしまい、使われることがないままに忘れ去られてしまうことが多い。その結果日本の出資家は折角の出資のチャンスを失うことになる。  日本人にはパイオニアスピリッツに類する精神構造は望むべくもない。それなら、下手なアメリカ追従はやめて、日本人が本来的に持っている極意伝承の精神を生かす方法で要素技術を顕在化するほうが理にかなう。  そして、いくつもの同業小規模経営企業が競い合うことよりも{知恵」を集めてノウハウを集約して一本化を図ることである。  ノウハウ、すなわち気付きによる「知恵」の活用である。   息子:「貨幣を介さないで取引ができるということにはどのような根拠があるのだろう?」    私:「一般に金銭によらない投資の場合、その投資に対応したメリットについての事前の期待に照らして事後のメリットを把握することができるという期待を持てるかどうかを根拠とする。  すなわち、金銭以外による投資のときは、事前に投資の利益が期待できることがある場合には投資後の成果を把握できるということだ。  交換によって移転する資産に対するリスクから解放された時には損益を認識し、必ずしもそのリスクから免れていないのであれば損益の認識をしない処理を選べることになる。  すなわち、金銭での交換による場合には損益を認識し、金銭によらない資産投資は損益の認識を要しないでよいことになる。  しかし、金銭によらない資産の場合については一般的に述べているにすぎない。  そこで、オフバランスたる「知恵」が「貨幣を介さない」で取引等が行われた場合にはどのような処理が行われるべきかについて検討する。  オフバランスたる「知恵」は資産ではないのでそのままでは処理の対象にならない。  したがって、オフバランスの「知恵」についてアクセスログから登録さされたデータ等を参照して独自の評価をすることになる。  これは必ずしも利益が期待できるわけではないので損益の認識を繰り延べる評価をすることができることになる。  すなわちオフバランスたる「知恵」の取引等は損益の評価をすることなく処理ができることとなる。  そして、取引等の結果で業績増大すれば自己資本利益率向上に資することができる。」    息子:「オフバランスの場合はだいたいわかったが、それ以外についてはどういうことになるのだろうか?」

私:「「貨幣を介する」か否かで全体を2分したオフバランス以外のオンバランス資産は従来どおり資本を構成するので損益を認識できることとなる。  すなわちオフバランスの「知恵」の取引等は損益の評価をすることなく処理できるが、それ以外のオンバランス資産の取引等は従来どおり損益を評価して処理されることとなる。  さらに、取引等の結果は「貨幣を介する」場合の損益だけで処理されることになる。  でも、取引等の結果の業績評価では「知恵」で価値増加した分が付加されることとなる。  したがって、「貨幣を介さない」取引等は会計上資産によるものとしては現れない業績をあげることができることになり、それは一般の処理とは別になされることとなる。  すなわち、会計上の資産ではないとはいうものの、業績上の評価に貢献するものなので、内部的には資産と同等に項目をあげて管理し、取引等の評価対象項目とする。」   娘:「具体的には?」   私:「例えば、取引上対象となる一般資産とともに「知恵」の項目をあげて相手方M&A契約交渉をする場合に譲渡側は「のれん」の価値を主張することができる効果がある。  また、「知恵」の取引交渉のみならず、「知恵」とともに一般資産を含む取引等における契約交渉でも一方または双方が一般資産とともに「知恵」の項目をあげて条件交渉をすることができる。」

孫:「そのような効果をあげるためには相当な配慮がなされてなければならないと思うが。」 そこで、オフバランスたる「知恵」が「貨幣を介さない」で取引等が行われた場合にはどのような処理が行われるべきかについて検討する。 オフバランスたる「知恵」は資産ではないのでそのままでは処理の対象にならない。 したがって、オフバランスの「知恵」についてアクセスログから登録さされたデータ等を参照して独自の評価をすることになる。
これは必ずしも利益が期待できるわけではないので損益の認識を繰り延べる評価をすることができることになる。 すなわちオフバランスたる「知恵」の取引等は損益の評価をすることなく処理ができることとなる。 そして、取引等の結果で業績増大すれば自己資本利益率向上に資することができる。 しかし、「貨幣を介する」か否かで全体を2分したオフバランス以外のオンバランス資産は従来どおり資本を構成するので損益を認識できることとなる。 すなわちオフバランスの「知恵」の取引等は損益の評価をすることなく処理できるが、それ以外のオンバランス資産の取引等は従来どおり損益を評価して処理されることとなる。
さらに、取引等の結果は「貨幣を介する」場合の損益だけで処理されることになる。 でも、取引等の結果の業績評価では「知恵」で価値増加した分が付加されることとなる。 したがって、「貨幣を介さない」取引等は会計上資産によるものとしては現れない業績をあげることができることになり、それは一般の処理とは別になされることとなる。 すなわち、会計上の資産ではないとはいうものの、業績上の評価に貢献するものなので、内部的には資産と同等に項目をあげて管理し、取引等の評価対象項目とする。 例えば、取引上対象となる一般資産とともに「知恵」の項目をあげて相手方とM&A契約交渉をする場合に譲渡側は「のれん」の価値を主張することができる効果がある。 この例えのように「知恵」のみの取引交渉のみならず、「知恵」とともに一般資産を含む取引等における契約交渉でも一方または双方が一般資産とともに「知恵」の項目をあげて条件交渉をすることができる 次に金融商品(デリバティブ)等について皆で検討した。 息子:「金融商品のなかでデリバティブと言われる金融派生商品は資産を圧縮して貸借対照表上資産隠しができると言われているが?」 私:「その場合、確かにバランスシート上で資産とならず、オフバランスとなることがある。しかし、期間計算上そうなるだけで、決算時には資産勘定となってオンバランスとなる。 それよりも、知的資本を検討するにあたってノウハウ等知的無形財産で貸借対照表の資産に計上されない部分がある。 知的資本を構成する要因として人の「気付き」による「知恵」でいわゆる「ノウハウ」の中でバランスシート上オフバランスとされる部分である。」 息子:「その場合の効用は?」
私:「そのときには、自分の「知恵」や「ノウハウ」を交換・取引するには貨幣を介さないですることができる。」 孫:「無制限にか?」 私:「あくまでオフバランスとされるのは財務諸表上の資産勘定として計上されることがない場合に限られる。 「知恵」や「ノウハウ」を自分で創作した場合、会計上の貨幣価値を算定できないから資産として計上しないのであって、第三者からそれを有償で購入したときには当然、その価格で資産計上され、オンバランス勘定となる。」 孫:「どうしてそうなるのか?」 私:「自分で創作した場合、資産としての評価を確定できないし、勘定として不安定だからだ。」 娘:「先物取引等デリバティブの場合はオフバランスとなるので、貨幣を介さないで取引等ができるのではないか?」 私:「先ほども触れたように、期間計算上そうなるだけで、決算時には資産勘定となってオンバランスとなるので原則として資産として貨幣を介して取引等される対象となる。 ただし、仲間同士の取引に際して「ノウハウ」・「知恵」の受け渡ししか行われない場合には先物取引等デリバティブの場合でもオフバランスで「貨幣を介さない」取引が可能となる。この場合、「ノウハウ」・「知恵」を含んだオンバランス資産ならオフバランスの先物取引等で将来にわたって「貨幣を介さない」で「知恵」の蓄積を可能とする。」 孫:「「貨幣を介さない」とは「お金を使わない」ということか? 私:「そうだ。すなわち「金銭を支払うことなく」交換や取引や投資ができるということだ。」 娘:「貨幣というと今では硬貨のことだと思っているが?」 私:「それは紙幣との区別をするためにそう言っているだけで、趣旨からいうとどちらも通貨ということだ。」 息子:「今、われわれはカードマネーを使うことも多くなっているが?」 私:「実際にはカード等を使って預金から支払っているだけで、ネット取引についても同じことが言える。 したがって、預金通貨や帳簿通貨を使って取引等をしても貨幣を介していることになる。」 息子:「ビットコイン等暗号資産(仮想通貨)での取引等についても「貨幣を介して」と言えるのか?」 私:「ビットコイン等暗号資産(仮想通貨)は電子データのみでやりとりされる通貨であり、法定通貨のように国家による強制通用力(金銭債務の弁済手段として用いられる法的効力)を持たたないので必ずしも貨幣と言い得ない点はあるが、高額な電気代を使ってマイニング(暗号資産の発掘)をしているので産業を構成する手段で生成されており、当事者間の取引等においては「貨幣介して」と言える。 しかし、ビットコインは実物資産による価値の裏付けを欠く電子データにすぎないことも事実で、単なるバブルだと考えている人も少なくない。」次に先物取引について議論した。 私:「先物取引とはある商品を数カ月先のある時期に受け渡しすることを条件とする売買契約を締結し、その時期が来る前に転売や買戻しをすることにより、実際には商品の受け渡しをしないでその間の値動きの差金決済により損益を出して終わらせる取引をいう。」 孫:「その取引で一般に問題とされていることは何か?」 息子:「投機性・危険性を隠蔽して委託証拠金交付させる行為、実際には取引をせず自身が相手方となって売買を成立させるいわゆる呑み行為、預かった金を様々な手口で自分のものにする客殺し商法などがある。 娘:「でも、資金を介しない取引では問題にならないのではないか。」 私:「商品先物取引法では悪質な取引仲介業者等が先物取引の知識が不十分な主婦や高齢者等の消費者を勧誘し、委託証拠金を等の名目で金銭を巻き上げるのを防ぐことをも目的とする。したがって、個人間や仲間の間での貨幣を介さないで先物取引で仲介業者が入らない場合には問題にならない。」 さらにシェアリングについて話し合った。 私:「「ノウハウ」等の「知恵」のシェアについてはどうだろう。」 孫:「「知恵」は貨幣を介さない取引の対象になるとのことだが。」 娘:「オフバランスならば資産とならないから、お金による取引でなくてもよいことになる。日常の生活のなかで今最もたいせつな事柄とされているのは何かについて考えてみる。  当然、衣食住及びそれらにかかる生活必需品は重要なものとして欠くことはできないが、個人においても企業においてもそれらの「物」についての「情報」はそれ以上に必要不可欠とされるようになった。  工場での大量生産においていかに売れるものを作るかのマネジリアル・マーケティングから、いかに上手く流通させるかのサプライチェーン・マネージメントまで「物」を制するのは「情報」だ。  さらにその情報を使用しても、個人も企業も各自個別に対応していたのでは勝ち残れないとの自覚のもとに他企業との共働によるオープンソリューションで乗り切ろうとしている。  今まで企業は垂直に統合され、それぞれの企業間はほとんど物的結合で成り立っていたが、今日、各企業においては、その仕入れ先や顧客との結び付きが目に見えない精神的結合として実在し、そして、機能するようになってきた。  また、これからの産業界では、物的資産としての物やサービス自体の価値の提供とともに、それにも増して精神的価値としての知的無形資産を提供することの重要性が高まってきている。  そこでさらに、これら知的財産権としても保護されない無形の知的資産をも含む無形資産の法的、経済的位置づけを行い、産業財としての知的資産構成による知的資本を蓄積するために、創作的に知的資産を構成してコンテンツの流通を図り、新たな富としての経済的価値体系を創造することにより未来への遺産を構築することを考える。  知的財産権と言われる特許権・著作権等及びそれらの権利にいたらないノウハウ等の知的財産からなる資産を総称して知的資産とう。  これらの資産により資本を構成した場合、知的資本という。  知的資本には人的資本をも含む。  すなわち、ノウハウ・スキル等の人的資産に基づく投資によって構成される人的資本は知的資本として資本に組み入れることがでる。  金銭的余裕のない小規模経営者でも当該経営に必要な技術についてのノウハウ・スキル等を用いて投資を行い資本とすることができる。  今や、伝統的な無形資産のほかに、知的資産、人的資産・情報資産・組織資産といった企業価値の創造に大きな貢献を果たす無形資産の存在が無視できなくなった。  インタンジブルズとは、財の生産やサービスの提供に貢献する非物質的資産であり、それを利用する個人又は企業に対して将来の経済的便益を生み出すと期待される無形資産のことを言う。  「ノウハウ・スキル」はもとより、「のれん」や「ブランド」もインタンジブルズに含まれる。  近年では企業存続、事業継承の有効な手段としてのM&Aに伴うインタンジブルズの評価も重要な企業価値評価項目の一つとされている。  単に売上高や利益率を判断材料にするだけでなく、いかにクリエイティブな発想で仕事をしてきたか、そして未来に向けて発展する要素がどれくらいあるかに目が向けられる。    M&Aを通じて獲得されたインタンジブルズを企業価値に結びつけるにあたり、理念、ビジョンの浸透、ビジネスモデルや戦略、経営目標、経営計画達成に係る実行力が重要な役割を果たす。  企業の買収において、支払った金額と買収先の純資産の差額を“のれん代”としているのが見受けらる。  この場合の買収では、ブランド力や技術力など目に見えないものも考慮して、純資産を上回る値段で買うこととなる。  即ち、各企業が持つブランド、ノウハウ、顧客との関係、従業員の能力等の無形固定資産を評価するのである。  つまり、買収金額から買収される企業の純資産をマイナスしたものをのれん代とする。  無形固定資産は企業の長い期間の地道な活動の積み上げによって作られる。  従って、のれん代を支払う意義は、無形固定資産を作るための時間を買うことにもなる。  物的資産や知的資産への膨大な投資ができない小規模企業においても、インタンジブルズという無形資産を有効に活用することによる新たな戦略展開が可能となる。  そのために、人々の知恵としてのノウハウ等のインタンジブルズを含むコンテンツを蓄積・流通させるためのインタンジブルアセットアーカイブをベースとしたノウハウライブラリーを企画・展開した。  デジタルアーカイブ時代にいたってもなおハイブリッドに展開する知を保存し、利用に供することを使命とするためには、図書館の活動もテクノロジー環境の変容とともに再定義されなければならない。  尚、ライブラリーとして開かれた情報交換の場とするとともにパブリックドメインとなりえないものについてはクリエイティブコモンズの考え方も導入する余地がある。  こういったあらゆる手段を視野に入れて、ノウハウ・スキル等コンテンツの蓄積・流通を通してインタンジブルズを生かした知的資産を構成し、知的資本の構築をしていくことを目的とするためにはその媒体として会員制の“ノウハウサロン”を介在させることを提案している。  ノウハウライブラリーでは、こういったあらゆる手段を視野に入れて、ノウハウ・スキル等コンテンツの蓄積・流通を通してインタンジブルズを生かした有用な知的資産を構成し、知的資本の構築をしていく。  今やAIブームといってもよいほどであり、囲碁や将棋の世界で名人が人工知能を搭載したコンピューターに負けたとのニュースが世界を走りまわっている。  しかしながらそれを作ったのは人であり、人間の知恵で作り上げたものに人間が負けるという矛盾だらけの議論を繰り返す前に、その問題を解決する方法を考えることを忘れてはならない。  人工知能の研究開発を進めている先端企業も本来の人間の知恵で作り上げられている現状を見失うと思わぬ落とし穴に落ち込むことになりかねない。  すなわち、我々は次のことに留意し、できれば一度原点に帰って足元を固めなければならない。  個人企業、小規模企業、小規模事務所について等閑視できないこととして情報のバンドル化の可能性がある。  相当な技術開発活動をしていながらそれに対応すべきほどの知的財産管理部門を有していない小規模企業及び個人レベルで開業している事業者とそれらの代理人の情報を集約し、それぞれの知的資産管理ニーズを満足させる情報を提供するための情報サービス事業を展開することを考える。  資源保有国ではない日本の産業は特許、ノウハウ等の知的財産の蓄積、活用で世界と勝負しなければならない。  しかしながら、現実は大企業と大事務所間で膨大な受発注が行われることを通じて包括的知的財産管理による国際的権利化処理が行われており、小規模企業や個人事務所の入る余地は少ない。  さらに、個人レベルでは対処方法の煩雑さのため大企業等の後塵を拝することにもなる。  また、権利化処理のパワーについては大企業と大事務所の優位性を否定することができないのが実状である。  しかも、小規模企業や個人は権利化手続きをすることにつき資金的にも要員的にも他の経営資源に優先すべきかどうかの判断に迷うところがあり、代理人としての個人事務所はそうした悩みを有する者の存在を把握していたとしても一業種一社の制約から対応が難しい状況にある。  しかし、人的資源を地道に的確に仕事に役立てている人や企業を忘れてはならない。  日本の小規模企業には特徴のある技術・技能で世界市場において高いシェアーを誇るものも多い。  ましてや昨今は、新規企業がベンチャーから発してグローバル企業となることも多い。  この風潮を先取りするために、地域に眠る優れた知的資産をバンドルして日本の知的資本を育成・構築できるチャンスを逃さないようにしなければならない。  そこで、小規模企業と個人レベルの知財専門家間の情報流通を促進することにより、開発した技術やノウハウの蓄積・流通の仲立ちをするとともに、それらのうちの権利化可能案件情報を最適な専門家に紹介し、それら専門家が一業種一社の制約や秘密管理上の要請から来る同業種からの受任制限を受けることを少なくするようにしなければならないと考える。  そうすることにより、事業者側には適切な特許等知的財産権または営業秘密を含むノウハウが蓄積され、知的財産専門家側では適切な顧客を適量確保できるようになる。  そして、市場を制圧しようとするスタンダード、例えば優位企業によるデファクトスタンダードによる事実上の市場支配やパテントプールによる参入排除には対抗できない個人や小規模経営者にも知的資産の蓄積・流通の機会が得られることにより対応できるようにしなければならないと考える。 次に、金融問題についても家族と話し合ってみた。    孫:「知的資本を考えるにあたって、金融との関係をどうするかも重要問題だと言えるのではないだろうか。」  娘:「実体のある財産や取引、金融的な価値や損益と連動した指標の全部もしくは一部に支払いが連動した経済的収益・損失をもたらす金融的な取引や金融商品にデリバティブ(金融派生商品)がある。典型的には先物、オプション、スワップがある。」  息子:「また、金融サービス仲介制度は、一つの登録で銀行・証券・保険のすべてのサービスの仲介ができる制度で、利用者保護を図るものだ。」  私:「さらに預託法、正確には「特定商品等の預託等取引契約に関する法律」が成立し、消費者に対し貴金属や宝石やゴルフ会員権などの施設利用権等を販売し、その商品等をひき渡すことなく、代わりに預かり証等を交付し、その商品運用することで購入した際の金額以上の利益を得ることができるとして特定商品等を購入させることに関する預託取引が広く制約されることとなった。」  娘:「また、デリバティブについても注意しなければならない。」

私:「実態のある財産や取引、金融的な価値や損益と連動した指標の全部もしくは一部に支払いが連動した経済的な収益・損益をもたらす金融的な取引や金融商品をデリバティブという。」 娘:「取引と金融商品の違いは?」  私:「取引は当事者同士の相対の契約によるものをいい、金融商品は当事者の一方である金融機関等により高度に定型化されているものをいう。」   娘:「デリバティブのうち特筆できる点は?」  新型コロナウイルスによるパンデミックもさることながら、ロシアのウクライナ侵攻問題も併発しており、世界は今までにも例がないパニックに陥っている。  ウクライナは地政学的にみても極めて難しい問題を抱えており、歴史的にも近隣諸国との民族問題にかかる血なまぐさい争いが絶えない。  ウクライナ侵攻ではロシア自体も深刻な影響を受けることになる。  1979年から1989年まで続いたソ連のアフガニスタン侵攻は、ソ連が崩壊する一因となった。  ウクライナ侵攻はロシアにとって第二のアフガニスタンになるとの見方もある。  もともと問題が多かったアフガニスタンにとってもソ連にとっても双方ともにマイナス面が多かった。  しかし、アフガニスタンでの中村医師の快挙を皆で「知恵」の継承として讃え合ったのはつい先だってではなかったか。  悲惨な健康状態を救うにはまず「水」だとして日本古来の「知恵」を活かして「灌漑」問題を解決して地域住民の生命を救ったにもかかわらず、近年、現地でのテロ銃弾に斃れたことは記憶に新しい。  地域住民の健康問題をそれだけでなく環境問題、治水対策、政策対応等も合わせて考え、まずやらねばならない施策と考えて、それを自ら実行したのがほかでもない中村医師だったのだ。  各国それぞれに固有の事情と歴史的民族感情をもとにする正義を大義名分としている。  したがって、生き残りのための「知恵」と殺し合いの「暴力」をもってお互いの「正義」を通そうとする。  ロシアとの関係についても、日本人はとなりの火事だとして他人ごとのようには言っていられない。  そもそも日露戦争のいきさつについても、ロシアが朝鮮半島を攻略して日本列島を領域内に抑え込もうとするのを国力を賭けても防ごうとしたものであることと、第二次世界大戦においてロシアは不可侵条約も何のその、ポツダム受諾という日本の劣勢をみるや、一挙に侵攻を始めたことを忘れてはならない。  日露間には北方領土問題が今に残るし、沖縄には復帰後にもかかわらず米軍基地が蹲踞している。  パンデミックはウイルス等による感染力のみならず国際的政治経済問題、国境を越えてたゆとう民族問題・移民問題等も絡んでパニック障害を拡大させている。  このような情況のなか、私は「自分と相手」、「自分と家族」、「自分と仲間」、「自分とコミュニティ」、「自分と地域」、「自分と国家」、「自分と世界」との関係の中であるべき「自己の知恵」に気付き、それぞれがそれをそれぞれのミッションとして活かしていかなければならないと考えた。  個人、家族、国境、民族、時代を越えてお互いがそれぞれ気付き合い、「知恵」と「ノウハウ」を活かしあってそれぞれのミッションを分かち合う謙虚さこそが必要なときだ。

私は岸田國士の「暖流」の舞台にもなった駿河湾沿いの温暖都市静岡に生まれた。  徳川家康が隠居所に選んだ駿府城址の外堀の石垣上に重なり合う見越しの松上に屹立する富士を生家前のお堀端から毎日眺めて育った。  家康が人質として過ごした臨済寺が郊外にあり、日光に移される前の墓地である久能山東照宮も今ではケーブルカーで往き来できる景勝日本平からすぐ近い。  その山腹には季節とともにお茶畑の緑やみかんの木にしなうオレンジ色の果実とともに真っ赤に輝く石垣イチゴの色合いが充ち満ちていた。  山頂の展望テラスからは伊豆半島の山々を従える富士山の大パノラマを展開する駿河湾の手前の眼下に天女伝説で有名な三保の松原を傍観することができる。  かの広沢虎三の演ずる清水次郎長の任侠話も今では政令指定都市としての静岡市清水区でお茶の香りとともに語り継がれる。  あべかわ餅をいただいて安倍川を越え、丸子のとろろ汁を味わって、吐月峰芝屋寺から名月を愛でることもできる。  そんな静岡もBー29の空襲に脅かされた。  市の中心住宅地にある生家の庭下には防空壕が作ってあったが、そこにいては危ないので郊外に避難した。  臨済寺の近く、旧制静岡高校(現静岡大学)の運動場に掘られた蛸壺のような防空壕の穴底から見上げる夜空に息をのむような光の豪雨が輝き、降り注いでいた。  この夜間焼夷弾攻撃は米国陸軍航空軍のカーティス・ルメイ将軍が日本軍の残虐行為隊に対抗して結果的に無差別攻撃を正当化するものになってしまったものだった。  街中を破壊し焼き払う焼夷弾とも知らず、「きれいだな!」と驚嘆したのが遠く幼心の記憶から蘇る。  母に負われて焼死体や瓦礫の山を越えて逃げ惑うなか、真っ赤に燃えた大講堂、伽藍が次々と焼け落ちるのが脅威の景観として脳裏に焼きついている。  「風と共に去りぬ」の弾薬庫炎上シーンでの猛火中のスカーレット・オハラの映像を観るたびに思い起こされる恐怖の悪夢だった。  約80年も昔のことながら、私の脳裡には鮮明に沈着していて消えることがない。  終戦は三歳のときだった。  小学校に入るやいなや、中学生の悪ガキ仲間に入り、終戦後に焼け残った危険な建物の探検遊びをして死にそこなった。  家康公お手植えのみかんの木がだだっ広い駿府城址内にぽつねんと残り、そのそばに形骸だけになっていた旧陸軍歩兵34連隊の橘連隊長が率いた静岡聯隊の旧兵舎がその遊び場だった。  その中階が抜けた屋根によじ登って残骸とともに落下したのだ。  地面に打ち付けられ、一緒に落ちた屋根の瓦礫の下敷きとなったことによる外傷もさることながら、医師の見立てでは、脳内出血で命は助からないといわれた。  奇跡的に二日後に「百万円よこせ」と叫んで息を吹き返した。  美空ひばりが演ずる貧乏な少女に宝くじの1等賞(今で言えば前後賞なしで1億円)が当たって大騒ぎが起こる映画が上映されていた頃だった。  幼少期から自我が目覚めるまでの心身に染み付いた記憶は、繰り返し蘇る。  入学した小学校の校庭内にはまだ厳かに御真影を祀った社が残っていた。  その小学二年生の時から家の金をくすねて子分を連れ、学校を抜け出して遊園地、デパート等で遊びまわった。  小学校も中学校も駿府城址内内にあり、それぞれ「城内小学校」、「城内中学校」と称された。  中でも中学校は焼け残った兵舎をそのまま転用したもので、殺風景極まりないものだった。  そのガタピシの校舎のちゃんと閉まらない窓から教師が交代しながら生徒をげんこつで殴るのを「百発、二百発・・」と数えながら眺めていた。  社会科の授業ではもうマルクス主義以外の社会はないと説いている教師達だった。  サッカー部は当時中学ではまだ珍しかったが、静岡だからこそ入れたものの、そのしごきはそれにも増してひどいものだった。  中学生の時からHOゲージの鉄道模型作りに学校へ行くのも忘れて夢中になった。80分の1の縮小図面からの手作りに寝るのを忘れておじさん達と競いあった。  そして、中学から高校にかけては、昆虫採集、特に蝶の収集には高校の夏休みに受験勉強もそっちのけで蓼科高原を飛び回ったほどだった。    高校で入ったマンドリンアンサンブルは学園祭でハワイアンをやって一時廃部とされた。  腰をふりふりウクレレかき鳴らせば当然だ。  その後、隠れ蓑としてのマンドリン演奏を看板にして、実際には第二部として軽音楽を演奏した。  一応、マンドリンの第一部ではクラシックもやるが、始めてしまえばこっちのもんだとばかりに第二部ではラテンやロックを中心とした。  ロックンロールのハシリ、ポール・アンカ、プレスリー、トリオ・ロス・パンチョスやエレキブームの契機ともなったベンチャーズなど。  当時のエレキギターはギブソンの輸入物がヤマハでサラリーマンの年収の何倍もしたのでとても高校生には手が出せなかった。  それでも自分でコイルを巻いて安物の国産スチール弦のサイドギターをエレキギターに仕立て、手作りの真空管アンプで演奏するほどだった。  部に備え付けのコントラバス、サイドギター、ビブラフォンはもとよりボンゴ、コンガ、ハワイアンギター、マラカス等手に入るものは集めて編曲・演奏するので受験勉強で疲れている仲間からは大受けだった。  特に、部員の一人の父親がトリオ・ロス・パンチョスから譲り受けたコンガを提供してくれたのでそれ使って演奏できたのは感激だった。  でも、ロックンロールからロカビリーの時代以後は、何でもロックにしてしまう多様化の流れに押されて軽音楽から遠ざかり、次第にクラシックギターに魅せられるようになった。  大学ではウエスタンバンドの先輩がすでに顔を利かせていたせいもあった。  その後はクラシックギターの演奏を楽しんでいる。    経済学部では当時流行りの経営学を選んでマーケティングを専攻し、サッカー部にも軽音楽クラブにも属さず、会計学研究部に籍を置いた。  これからは今までの経営戦略には無いものを極めたいと思ったからだ。  卒業後は理化学研究所の発明実施工場を企業化した軽金属メーカーに就職した。  日本軽金属とヤマハが出資しているが、大臣経験者の代議士がオーナーの会社だったので、選挙活動、研究開発、知的財産管理、経営企画が混在する仕事であった。  特許管理、技術情報管理の強化を強力に進めたところ、日本軽金属のアルミ二次加工会社7社を統合した新会社の知財管理を任された。  銀座七丁目、日本軽金属本社特許室に所属し、新会社は人形町であった。  その後、知財管理、情報管理を経営の重点課題とするコンピュータソフト会社、遊技機会社で知的財産管理部門を統括した。  60年の安保闘争等を経て社会に出るまでが私の第一の人生。その後の第二の人生では、徹夜勤務、接待、海外出張、単身赴任等が続いた。  五十年以上にわたる私のビジネス経験のほとんどは、企業での技術情報管理、なかでも特化して従事してきたのが知的財産の管理に携わることだった。  軽金属、コンピュータソフト、遊技機と、まったく業種の異なる企業が私の主たる職場だった。  分野は違ってもそれらの業務で創り出される特許などの知的財産の地位を確立し、会社の知的財産権を守り、戦略的にマネジメントすることが私の仕事だった。   当初は特許権等をまだ〝知的所有権〟と称していて〝知的財産権〟という言葉すら認知されていない時代だったが、私は技術ノウハウや専門知識など、無形の情報を有益な資産として蓄積することに加え、それに伴う人材育成を手掛けた。  三分野の異業種で一貫して、知的財産権部門のスペシャリストとして働くということは、具体的には次のようなこと意味するものだった。  軽金属の企業では、アルミニウムというハードウェアそのものを扱う技術。  コンピュータソフトの企業では、コンピュータシステムというソフトウェアそのものを扱う技術。  遊技機の企業では、ハードとソフトの融合による新たなサービスを扱う技術。  私の仕事は、それらの技術にノウハウ(知恵)やスキル(技能)までを総括して、かたちと価値のある知的財産を形成し、コンテンツという新たな枠組みで、経営の中枢を担う役割をもたらすことだった。  そういう意味では、技術情報管理にとどまらない、画期的で革新的な取り組みだった。  と同時に、困難を極めつつも、非常にやりがいのある仕事だった。  そういった時代を経て、今では知的財産は企業価値や経営戦略を見定めるうえで、必要不可欠な資質として脚光を浴びている。  私は、これまで構築してきたビジネスキャリアを活かし、経営者や技術者の方々、そして社会のため、なんらかの貢献ができればという願いから、「ノウハウライブラリー」という知的資産の蓄積と流通を目的とした、新しい情報交換の場を作ろう、という考えに至った。  私が働いた最初の企業の理研軽金属工業株式会社は理化学研究所で発明されたアルマイト(陽極酸化処理)技術を応用開発し、アルミニウム建材の表面処理など、数々の高度な技術を国内企業や競合各社と連携して事業を拡大した。  当時、アルマイト処理を施したアルミニウム製品は、多くの日用品や器物に用いられ、1929年に理研が特許を取得して世を席巻した大ヒット技術だった。  その後、理研軽金属工業は圧倒的な技術ノウハウをもって、提供事業を国際的に拡大した。  海外の企業に特許技術を輸出するとともに、当該事業を立ち上げるための技術指導、合弁事業、委託加工貿易などを積極的に展開した。  理研軽金属工業のアルミ表面処理ノウハウを核としながら、日本軽金属の技術力も兼ね備える強みを活かし、海外における三次加工事業に参加した。  そこで私は、当該事業の開設と運営を担った。  理化学研究所が保有するアルマイト以降の理研軽金属工業の特許体制には際立った存在感がなかった。  私は積極的にあらゆる分野での特許獲得戦略を展開するために新たに専任の特許部門を担当した。  その頃、アルミカーテンウォールやアルミサッシといったアルミニウム建材の需要が爆発的に高まっていた。  さらなるニーズに応えるため、成形加工方法や表面処理方法の生産力と品質向上が求められたのは当然の流れだった。  企業として積極的に攻勢を図るために私はここぞとばかりに独自の特許戦略を展開した。  既存の手法ではとても工業化に乗り出せないアイデアやノウハウ、スキルの特許を取得し、さらなる競争力を備えるべく、技術を保全する必要があったからであり、同様に、実用化研究開発の改良特許も獲得しつづけた。  完成した特殊なアルミ二次加工方法と、表面処理方法については、前述のように、国の重要技術に指定されたとともに、大手新聞が主催する十大発明に選定され、国から重要技術研究開発補助金を得た。  その技術については、財務省所轄の日本政策投資銀行の前身である、日本開発銀行の特別融資を受け、いっそうの開発と特許戦略を推進させることに成功した。  また、アルミニウム家庭器物についてもそのデザインの斬新さを誇っていたが、海外から意匠権を侵害するものが輸入され、国内市場で販売されたので、直ちに差し止めることをせずに、その会社を海外拠点として製造させ、理研ブランドを守ることとする等の戦略も展開した。    一方で、秀逸なアルミサッシの特許に基づいて、全国的な市場拡大戦略を展開した。  そして、マーケットを完全制覇するため、特許訴訟戦術による拡販に打って出た。  なぜなら当時の法制では、出願が特許庁の審査を通過して公告されれば、仮保護権が発生したので競合他社の製造販売を差し止め請求できことになっていたからだ。  初動で権利行使の訴訟を前提とする警告をし、応じない会社には差し止め仮処分申請をした。  こうした強化策が、事業を成功に導いた。  当該サッシの特許に関しては、業界内でのライセンス交渉による問題解決の基盤を構築することができた。  アルミニウムといういわばハードウェアの世界で、技術力やノウハウやスキルを知的財産権の仮保護権という武器に置き換えて、経営戦略のフレームワークに取り入れたのは業界では初めてのことだった。  前述のように、アルミニウムの表面処理加工およびアルミサッシの製造方法では今までに無い技術を開発したがさらに、特殊機能を有する住宅用アルミサッシについて競争各社には模倣できない形で全国展開を行い、それらの技術についての国内外ライセンス事業を展開した。  高度成長期へと時代が進展するに伴い、ハードにくわえてソフトが重視されるようになった。  ビジネスシーンにおける時勢の変化を、私は鋭利に感じ取った。  そこで着目したのがコンピュータの世界だった。  それもハードウェア主体ではなく、当時ではまだ珍しいソフトウェアという概念も含めて、ハードとソフトの融合による、コンピュータシステムとソフトウェアの知的財産管理に強い興味を抱いた。  一般家庭にパソコンが普及する以前だった。  大型コンピュータのオペレーティングシステムや、アプリケーションソフトを開発する当時のシステムエンジニア(SE)は、知的財産権、とりわけ特許権については無関心だった。  コンピュータのソフトウェアはSE同士で共有しながら自在に利用することが、暗黙の了解でまかり通っていた。  一部のメーカーでは、著作権による保護を厳格に主張する向きもあったが、あくまでプログラム表現に限定されていた。  ソフトウェア自体の技術思想は、法的見地では保護対象外だった。  その一方で、請負あるいは受託開発されるソフトウェアの成果物の権利は、委託企業側に属するのが当然とされた。   私が目をつけたのは、まさにそのピンポイントだった。  三十年前になるが、五十歳のとき、糖尿病と診断され、厳しく減量を申し付けられた。  医師曰く、  「重症のメタボリックで生きているのが不思議。」  「このままでいると、命がなくなる前に、合併症で失明する。」  「そして、足を失い、手も失う。」  「まるでダルマのようになって、自分では死ぬこともできない生き地獄が待っている。」  「とにかく食事制限をしなさい。」  その他肝臓、腎臓、血圧等八つの死にいたる病の症状が告知されていた。  ご飯を仏前に供える量程度に減らし、ストレッチ、筋トレ、体幹・体側強化、ウオーキング等を毎日の続け、約1年で体重を20キロ以上減らした。この運動は今でも続けている。   また、浴びるようだったアルコールと一日百本のタバコを一切やめた。  それから30年、めでたく第二の人生を全うし、今、プラスの人生を迎えることができた。  第二の人生の前半は仕事中毒、後半は健康そのものだからできた仕事人生だ。  若くて頑丈な体に仕事を詰め込み、詰め込んだ体の健康維持を図り、健康な体で人生を運ぶ。  ここまで来ると心身は一体となって自らを作りながら先達の精神を受け継ぎつつ次世代に伝承される魂を宿す。  そして、仲間とともに「文殊の知恵」による次世代への遺産、知的資本構築への道を模索し、提案する。  先達からの伝承と仲間との共創による新たな人生を創成する。  新たなプラスの人生では自分を変えることによって、生きがいを見つけていかなければならない。  でも生きがいを見つけるのは自分自身だ。  許されるのは自分を変えることだ。  第一の人生で、「知恵」の基礎習得をした。  第二の人生では「知恵」の活用で次世代への遺産としての「知的資本」の構築をするための提案をし  ここで「知的資本」とは知的財産を生み出すことにつながる個々人の持つ「知恵」のことを言う。  知的資本の構築は中小企業等の「知恵」を活かして行うこととした。  その本質は列強や大企業にもない優れた零細・中小企業の「知恵」の活用で次世代への遺産としての知的資本の構築とその投下による「知恵」の再生産をすることだった。  そして、その累積で資金難と後継者難を解決して「ゆたかな生活」のための持続可能な開発を行うことだった。  そして今、第二の人生で得られた以下のような成果をもとに自分を変える仲間と共に自分を変える「プラスの人生」をスタートした。    ところで、貸借対照表の資産の部には載らないオフバランスである「知恵」の活用については「貨幣を介さない」ことによる資金難救済という目先の利益も期待できる。  しかし、それよりも「豊かな生活」のための「貨幣を介さない」直接取引が可能になることによるナッジ(肩押し)効果をベースにして「持続可能な開発」へのレジリエンス(回復力)を有するというさらにすぐれた特質がある。  また、「知恵」については多くの場合、お互いに機密だと思っていることが仲間内ではすでにほとんど周知であることが多い。  仲間みんなが知っているにもかかわらず自分だけの機密を維持することよりも、お互いに活用しあうことによってさらにすぐれた「知恵」を再生産することができる。  そして新たに価値増大した「知恵」については本当の意味での機密管理に移行していくことを勧める。  そうすれば、次のステップでは「オープンサイエンス」としてさらなる「知恵」の土台(ベース)となる。  すなわち、「オープンソリューション」として優れた問題解決のためのレジリエンス(回復力)を強化していくことができる。  ここでシェアリングエコノミー(共有型経済)の観点で、デジタル化されていてもいなくても、仲間同士の一定範囲内、さらにはそれら相互間で土台の基礎とされた「知恵」の集合をベースとして取引基準の標準化をしていくことができる。  そうすれば、仲間同士の「知恵」の共創においては「モノ」としての実物資産だけではなく人やその経験等の「知恵」にも同時にシェアリングできることになる。  したがって、個人としては何も貯めておく必要がなく、要員を抱えておく必要もなく、運用人材の心配もしないで済む。  仲間がお互いにシェアすることができるためである。  そして、それぞれの仲間は個人の生活と生き方を変えることができる。   さらに、「知恵」の取引等についての仲介役として「ノウハウエイジェンシー」を機能させる。  その対象が「知恵」の場合には貸借対照表に記載されないオフバランスとなる。  そして、預け入れ又は引き出された当事者・ユーザー間での「貨幣を介さない」取引等の仲介をすることとなる。  この取引等の実績記録の累積を基準として「貨幣を介さない」取引等の標準化がされる。  そしてそれ以外は「貨幣を介する」取引等になるので、ごく一般の通常通りの貨幣取引となるだけである。  すなわち、最も基本的には、純粋に「知恵」だけの場合は実績の累積を状況に応じたパターン区分ごとに分離・分別し、必要に応じて圧縮・結束して基準となし、それらを集約して標準化することができる。  それ以外は原則として一般の貨幣取引によるが、そのうち純粋な「知恵」を分離できる形で含む場合には、分離してそれぞれの範疇での扱いにすることができる。  いずれにしても「貨幣を介さない」取引等についてはオフバランスたる「知恵」の部分だけなので、その部分を含む取引等について基準を作り、その他の部分との組み合わせについて標準化することが賢明だと思われる。  「知恵」はその活用による共有の知的資本を構築して「持続可能な開発」により共に豊かな生活を享有する社会を目指すものだから「知恵」を貨幣に代わる価値媒体としてできるだけ資金を要しないこととするためである。    ただし、シェアリングにしてもエイジェンシーにしても、この「知恵」に関しては、創作者間の取引等の場合を言っている。  そして、その取引等の対象を自ら創作したノウハウ等無形知的財産であってバランスシートの資産の部に載らないオフバランスであることを前提としている。  したがって、当事者間の「資産」取引等を「業として」仲介等することが無い限り法令違反となることはない。  なお、シェアリングエコノミーには既存の法令が予定していないビジネススキームが出現することもある。  「知恵」(ノウハウ)のシェアリングだからといって他から有償で購入した場合には会計上資産として処理されるので、その点を間違わないようにしなければならない。  インタンジブルズ(有用な無形資産)の中でも「見えない資産」のうち貸借対照表上の資産ではないオフバランスの「知恵」は「貨幣を介さない」で取引等が可能となる。  その「知恵」の活用による「持続可能な開発」は次世代への遺産としての「人的資本」、すなわち「知的資本」を構築することができる。  ここで「知恵」とは知的資本を構成する人的資本としての「ノウハウ」のことを言う。  そして、「知恵」は知識と経験を活用して「気付き」を得て環境にうまく適応する能力でもある。  この「気付き」による「見えない資産」の可視化レベルに応じた「見える化」により「知恵」の管理と活用の有効性を極めることができる。  「見えない」は一般に「無形」なので視覚にも入らず認識できないことを言う。  しかし、それ以外でも視覚に入っているけれども認識できない場合や内容は認識できるけれども視覚に入ってこない場合等も「見えない」こととなる。  「知恵」の活用のために理解し適用する上で必要となるからである。  「知恵」はそのままでは見えないがバランスシートに記載されれば見えるようになる。  しかし、それがオフバランスとされる場合には貸借対照表の資産の部に掲載されないのでやはり見えない。  また、自分のものだとわかっていても、それが「知恵」だと気づかない場合、あるいは、視覚には入っているのだろうが認識されていない場合にも自分には見えていないことになる。  これらのことを正確に分析し理解していないと、正しい「見える化」をすることができない。  取引等の対象がオフバランスの「知恵」であれば「貨幣を介さない」で済ませることができる。  しかし、現状の一般取引はオフバランスであってもお金を払って処理することが当たり前となっている。  だから、「知恵」を含むすべての取引等が何の疑念もなく「貨幣を介する」ことになってしまっていることも事実だ。  そこで、この「知恵」はオフバランスで資産ではないので、「お金を使わないで取引できる」対象を仲間の「知恵」の機能全体およびそれを活用する者の能力までを承継・蓄積の範囲とすることを考えた。  そしてそれらを仲間の相互利用により幅広く流通させることを提案した。  それによって「知恵」のみではなくそれを含む「モノ」にまで活用範囲を広げて当事者間の利用・取引等をおこなえるようにするエイジェンシーシステムも可能となると考えた。  また、さらにそうすることにより「貨幣を介さない」取引等がおこなえるとする肩押しのナッジ(誘導)効果で「持続可能な開発」を続けられることによる事態の『改善』を提案した。  なぜ「改革」でなくて『改善』かというと、できないことは一応受け入れて、できることから勇気をもって変えていくことをすすめるからだ。  パニックだのパンデミックだのは歴史上繰り返し起こっていてその都度異なった事情によるものだから、「改革」のようにできるかできないかはさておいて、対症療法的に対応をすることはこの場合きわめて不合理だ。  そうではなく「知恵」を活用する『改善』によって「貨幣を介さない」で無駄な投資をすることなく、できることから実行する道を提案した。  そうすれば、『「貨幣を介さない」で無駄な投資をすることなく』の『ナッジ(誘導)効果で「持続可能な開発」を可能とする』ことができる。  すなわち、「知恵」の特徴に基づく活用によって次世代への遺産としての知的資本を構築できる。  しかし、現在の高度に成長しきった産業資本主義およびその後の世を支配する金融資本主義の下では全面的な「貨幣を介さない」取引が容易にうけいれられると考えることには無理がある。  そこで、容易には「変えられない」“普通の取引”は今までどおり“貨幣をもって”することとし、バランスシート上の資産ではないオフバランスとしての「知恵」にかかるもののみ「変えられる」こととして「貨幣を介さない」取引に勇気をもって挑戦することとする。  今はだれもが預金通貨、帳簿通貨としてのキャッシュレスを含む通貨制度は出来上がってしまっていて「変えることができない」とする先入観にとらわれているのが実情である。  だから無理して変えないで今までどおり「貨幣を介して」普通の取引をすればよいこととし、オフバランスの「知恵」についての取引等は「貨幣を介さない」取引等に変えることができるとすればよいことになるとする。  このように普段からの生活をできる範囲で改善し続けることによって持続可能な知的経済に向けての「豊かな生活」が築ける。  次に、取引等について相互間で土台の基礎とされた「知恵」の集合をベースとして取引基準の標準化をしていくことにより妥当な交換基準を設定する。  ではその交換媒体とする「知恵」はどのように設定すべきか。  最もわかりやすいのは直接投資の場合。  一方が「知恵」をもっていて他方がその「知恵」を使用して生産できる設備を有している場合、両者間で合意が出来た範囲で当該「知恵」を使って当該設備によって生産するための事業については双方とも「貨幣を介さない」で直接投資とすることができる。  次に、一方の「知恵」と他方の「知恵」を交換する場合、すでにそれぞれが蓄積している「知恵」を比較しあって大きな差がない場合には合意の上でその交換実績を記録して取引等を実施する。  原則としてその取引等の清算はしないこととする。  その累積において必要が生じたときには過去の実績に応じて差し引き評価する。  取引等が複数にわたるときや「知恵」を含まないものが混雑する場合にも応用できると考える。  「貨幣による」オンバランスと「貨幣を介さない」オフバランスの場合を明確に区分けして処理することによって可能になる。  当事者および「知恵」が錯綜する場合にも累積において該当する組み合わせを選択して検索および抽出すれば同様に処理できることとなる。  今までのところで検討した取引基準で想定される「貨幣を介さない」取引等を実際の業務に沿うようにさらに具体的に検討を進めると以下のようになる。  まず《直接投資》による場合には  自分の「知恵」を自己の業務拡張または変更のためにすでに《所有している設備等を使用》して生産等するための「知恵」や「カン・コツ」等の人的資源として《直接投資》することにより知的資本を構築する。  たとえば、自家製品“アルミ家庭器物”の製作上の「知恵」を有している家内工業が熟練工員の深絞りプレス、へらしぼり、特殊アルミ熔接の「知恵」を“新規商品”の開発に投与して、すでに有している設備等を用いて、いままでになかった新商品工場としての稼動を可能にすることが考えられる。  このケースではすでにある設備等には格段の資金を要しないし、自分の「知恵」を投資するわけだから設備等にも「知恵」にも「貨幣を介する」必要がない。  したがって、このような場合には規模の大小にかかわらず資金を要しない。  この場合、その投資等で新たに開発した商品が旧商品と比べて売り上げ、利益を向上させたときは《単位あたりの差額分が付加価値判定の基準》となり、純利益相当を《配付した結果をもって事業上の標準》とする。  次に、一方の「知恵」を使って《他方の設備で生産》する事業については《一方が他方に直接投資》することになる。  上述と同様に双方とも《「貨幣を介さない」で直接投資》とすることができる場合である。  たとえば、新商品の「知恵」で勝負したいが設備等の資金がない一方が設備等はあるが「知恵」がない他方を使って生産する場合に双方とも相対する投資を相手方の「知恵」と設備によって充足させ、双方とも直接投資の基準が使える。  いわゆる業務提携の形をとるので当該事業で構築した知的資本投下により得られた成果は双方で分配するのが標準となる。  さらに、一方の「知恵」と他方の《「知恵」を交換》する場合には、比較しあって大きな差がない場合で合意の上でその交換実績を記録して取引等をする場合、それらの取引等の清算はしないこととする(直接取引)。  ただし、その累積において必要が生じたときには過去の実績に応じて差し引き評価する基準に基づく総合的判定方法を標準化する。  そして《間接投資》による場合にはお互いにシェアするケースでは、仲間内での《交換実績記録を集約》して一定の「知恵」の交換基準を策定して標準化する。  この場合は効果判定対象範囲が広いので機能・効果を総合的に考えたうえで処理する。  たとえば、ある工芸品作成上の「知恵」とすでに作成された工芸品とを交換するケースである。  一方は純粋に「知恵」といえるが、他方、工芸品は「モノ」とするか知的固定資産とするか、「知恵」が「モノ」に化体したものか判然としない。  この場合、「モノ」に化体した「知恵」を純粋な「知恵」と「モノ」に《分離》して一方の「知恵」との《価値の差を基準標準化》する。  そして、サブスクリプションは一般的に「定額制の継続課金」による取引をいう。  オフバランスとされる「知恵」の取引等では対象を《レンタル型》として処理する。  たとえばITソフトウェアをクラウド上で期間を決めて交換する方式のサブスクリプションに切り替えてオフバランスとすることができる。  この場合、「定額制」とあるのは《「定価値制」》と置き換える。  すなわち、一定の価値判定で特定した《価値総計分》にいたるまで《継続取引等》ができることとなる。   「知恵」の活用による持続可能な開発のためには仲間内における情報基盤の整備が必要になる。  そのために個人を中心とするオープンなプラットフォームが有効となる。  ここでオープンなプラットフォームとは一般に広く用いられているソフトウェアやデータの相互利用を行うことを想定したプラットフォームのことを言う。  すなわち「知恵」をコミュニティー内で共有してともに価値を創造するプラットフォームである。  さらに誰がどの「知恵」を活用したかを後から検証できるように条件を定めておけばいちいち同意を必要としないこともできる。  ここでは、仲間が分散して管理し、必要に応じて適宜つなげるようにする。  誰でも、アクセスログを残しながら、その目的にかなった使い方が出来るものとする。  パンデミックや経済的パニックが起きれば、同意なしでも特定のミッションを背負った人々にデータの使用を許可できる。  なお、データの個人的コントロールと効用的活用をいかにバランスさせながら連動させるかが課題となる。  いま、所有だけでなく共有の中からも価値を創造することが求められる時代に移行しているので、同意なしでのデータ使用ができるよう相互間で協議を行えるようにする。  ケイパビリティアプローチ、(capability approach:潜在能力アプローチ)とは、厚生経済学の領域においてアマルティア・センにより一九八〇年代に提案されたアプローチである。  潜在能力アプローチの中心となる要素は、その“個人ら”がどの“何”を可能ならしめるかという点である。  ケイパビリティについてはつぎのような説がある。   “「ケイパビリティー」は、個人の力(パワー)と吸引能力(アビリティー)のみを暗示させてしまう単なる「能力(アビリティー)」よりも範囲が広く、行為者性(エージェンシー)を成立させるためのより一般的な人間の潜在的可能性を表す。そして適切な条件、つまり社会的・経済的な結びつきと、基本的・発展的な人間的機能を可能にする手段とが、広くいきわたっていればその可能性ありといえる。  オフバランスとされる「知恵」の取引等で対象を《レンタル型》として処理することにより定価知制サブスクリプションを可能とする根拠となる考え方である。  「知恵」の取引等の基準設定および標準化の考え方の具体化のひとつとしてサブスクリプションが考えられる。  サブスクリプションは料金を支払うことで、製品やサービスを一定期間利用することができる形式のビジネスモデルをいうが、ここでは、製品やサービスではなく「知恵」を利用する場合として任意レンタル型サブスクリプションの応用が考えられる。  一般のサブスクリプションは定額制のサービスで、商品やサービスを必要な時一定額まで利用するという形式による。  従来のサブスクリプションは一定額内までの使用を許可するものだが、ここで提案する任意レンタル型サブスクリプションは『一定価値』までの使用を許可するものである。  資産をレンタルしてサブクリプションにするとバランスシートに掲載されないオフバランスとすることができる。  すなわち、サブスクリプションでは単純なモノ売りをコト売りへと変換することができ、そのコトをさらにトランスフォーメーションにより新しい価値へ変質させることができる。  これを、クラウドサービスで利用可能とすれば資産の圧縮に繋がりROA(総資産利益率)を向上させられる。  特に、「知恵」の取引の場合では決算時だけでなく決済においても「貨幣を介さない」ですることができる。  これを任意レンタルの自動更新型サブクリクションとすると期限を意識することなく満足すべき条件を『一定価値』の総計分まで取引等を可能とすることができる。  したがって、お互いが納得する範囲内で利用しあうことができることとなる。  サブスクリプションでは顧客は商品やサービスを利用すればするほどコストもリスクも減るのが原則である。  そこで、価格競争に陥るのを避けて、顧客に満足してもらえる仕組みとして「定額制」を『定価値制』とすれば満足する結果が得られるはずである。  相手に価格を押しつけるのではなく、提供者と利用者が一緒に価値を作るのだ。  重要なポイントは、単なる定額制ではなく、データを集積し、分析し、新しいサービスにつなげていくことである。  単に販売会社やメーカーの視点で一方的にサービスを提供するのではなく、サービス提供を通じて利用者のデータを蓄積し、利用者視点でデータを分析することで、より利用者が満足できるサービスに近づけていく。  このデータの集積・分析・改善・新サービスの提供をしてこそ真の意味のサブスクリプションといえる。  ここでこれを自動シェアリングシステムに応用すれば、企業と顧客の関係を顧客同士あるいは当事者・ユーザー同士としたとしても同じことがいえるはず。  双方がシェアリングを継続してサブスクリプションを『定価値』で同意できれば満足すべき条件を『定価値』のトータル分までの取引等を可能とすることができる。  任意レンタル型とすれば、差額分の精算で済ませるかさらに異なる条件で継続することもできる。  この場合には仲間内でのアクセスログ体制の明確性が要件となる。  アクセスログは提供者と利用者の行動記録なのでその記録を分析することで相手方のニーズや自分たちのサービスの内容を知ることができる。  このためには「見える化」で「知恵」をもれなく抽出して、   「知恵」は「無形資産」で形がないので顕在化して認識できるように表現し、   オフバランスでバランスシートに載らない「知恵」は別途記載して見える化し、   自分自身ではそれを「知恵」だと意識していないものをカード等で探索して顕在化し、   他人から「知恵」だと認識されている場合を見つけ出すために情報発信すること 等によって拾いだすことを常に行っていることがログ体制の信憑性向上に繋がる。  このようにして提供者と利用者の行動記録を集約して分析することで規定のベースとなるものを構築する。  ここで、家族によって若干の意見交換をした。  私:「今の世界は、どちらかというと、情報化時代、デジタル化時代のネットワーク社会とはいうもののインターネットを基盤とするIoT、クラウド、スーパーコンピューター、量子コンピューター、スマートフォン、人工知能等ハードウエアに依存している。  また、ブロックチェーンのネットシステムに依存する暗号資産もある。  これからは、「物的資本」だけではなく「知的資本」構築を重点とする「社会的資本」、「文化的資本」をも含む人間主体での資本運用・管理への展開が必要だ。」   娘:「より人間の行動や考えを大切にしていかなければならないということか?」   息子:「「社会的資本」、「文化的資本」は大切だが、あまりにも範囲が広すぎるかもしれない。」 私:「だから特に「知的資本」重視のアソシエーションにおける個人、組織、行政、政府がそれぞれのミッションを自覚して全うできる世界を目指す。」   娘:「そうはいっても人間の「知恵」による「ノウハウ」も“モノ”にかかる“コト”から生じている場合が殆どだ。」 私:「“モノ”の“コト”に合うような使い方への「気づき」の「知恵」がいわゆる「ノウハウ」となり、「知的資本」を構成していくのだから、その周辺の「社会的資本」、「文化的資本」さらには「物的資本」合わせて考えていかなければならない。」   息子:「その場合、民事と刑事の双方にわたって考えていくことになるのか?」   孫:「当然両方にかかってくることになるが、今の経済社会では契約問題が多いのでほとんど民事事件については論じられてきたので、ここは刑事事件についても考えてみたい。」   私:「例えば、企業内で知的資本を構成することになるノウハウ等知的無形資産にかかる特別背任事件や営業秘密漏洩事件が生じた場合や企業間で知的財産権侵害事件が発生した場合には刑事事件が発生することになる。」   息子:「その場合は、刑事訴訟の対象になると思うが、普通の事件と違うところが出てくることはあるのか。」  私:「人間同士の関係において動機と証拠を確定しなければならないので、「おとり捜査」が認められる場合がある。」   娘:「「おとり捜査」とは?」   私:「捜査機関又はその依頼を受けた捜査協力者がその身分や意図を相手に隠して犯罪を実行するように働きかけ、相手がこれに応じて犯罪の実行に出たところで検挙するものをいう。  さらにコントロールデリバリーといって捜査機関が犯罪を認知した場合、その場で直ちに押収等をせず、捜査機関の厳重な監視下に置いて、流通等を許容し、追跡することによって、取引に関与した者を発見し、一網打尽に検挙する方法もある。  しかし、コントロールデリバリーはおとり捜査とは異なり、犯意を誘発するなど、捜査機関側から何らかの積極的働きかけがなされるわけではない。」  孫:「経営者がみずからの任務に違背する場合は会社法による特別背任罪に該当し、会社の所有者を裏切る行為として犯人の意図や目的が重視され、刑法にある通常の背任罪より重く処罰される。」  そこで、評価・判定の標準化について今まで検討したことを整理すれば、以下の基準および考え方のようになる。  自己所有設備等へ自己の「知恵」を直接投資する場合は、当該設備等への「知恵」投資単位あたりに生じた増加価値分が付加価値判定基準となる。   これはその「知恵」を実施できる設備等を自己の空き設備等として持っているときで、その設備等は本来の生産等に使用しないものであり、特に売却・譲渡・償却等しないものであればそれを自己の「知恵」実現に貨幣を介することなく使って生ずる価値を増加価値として判断基準とすることができる。  他人所有の設備等を使用して自己の「知恵」を直接投資して生産等する場合は、投資単位あたりに生じた差額分が付加価値判定基準となる。   この場合の取引の要件については他人が当方の「知恵」の使用を条件に当該設備等の使用を許可する場合はその結果生じた成果物は両者共有とすることができる。   すなわち、上記自己設備等使用のときと同様の扱いとなる。  「知恵」を交換する場合は実績記録を集約し、価値の差を分離してそれぞれ基準・標準化する。  私は、人間の「知」から生ずる ノウハウ等知的無形資財産を活かして構築される知的資本の投下によって再生産される次世代への遺産としての「ゆたかな生活」のための「知恵」にについて考える。  そして、その「知恵」としての「ノウハウ」がバランスシート上の資産とならないオフバランスとなりえることの効果およびそれらを創出する主体の範囲、時期、特質等について検討する。  そしてまず、我々が生き続けるためにどの要件をどの順序で優先させてどのように活かさなければならないかを、それぞれが真剣に追及して実践し、その集大成で必要十分な結論を導かなければならないと考える。  まず、個々人自らが属するコミュニティーとともにできることから変えるとともにそれを広げていかなければならない。  政策としての成長率、企業業績としての収益率をもって政権保持、経営評価獲得の目的としていては「ゆたかな生活」など求め得べくもない。  日本の地域経済においては、中小企業、零細企業、町工場、家内工業のなかにはむしろ独自のきわめて特異性のあるノウハウを有する産業が生き続けている。  日本には大開発につながる優れた要素技術としてのノウハウがいっぱい詰まっている個人・零細企業が豊富に存在するにもかかわらず、それらが顕在化されることなく自身の内に眠ってしまい、使われることがないままに忘れ去られてしまうことが多い。  日本には日本人が本来的に持っている極意伝承の精神を生かす方法で要素技術を顕在化するほうが理にかなう。  そして、いくつもの同業小規模経営企業が競い合うことよりもそれらの「知恵」を集めてノウハウを集約して一本化を図ることである。  ノウハウ、すなわち気付きによる「知恵」の活用である。  貸借対照表に資産として載らないノウハウ等知的無形資産のうち「知恵」、特にオフバランスで「貨幣を介さない」取引等については資金繰りの心配なく取引等ができるメリットがある。  金融業界では内輪で資金を回し、民間企業では株式価値最大化のため自己株買いのために資金をまわしていることも多い。  個人や一般家庭庭ではゆたかな生活がもっぱらお金だけだとされていることが多い。  今や、そうではなく、政財界も官民も、自らのミッションを全うすることで「ゆたかな生活」を求めることができることに気づかなければならない。  本来交換の媒体である貨幣をお金によってお金を増やそうとする蓄財の対象にしてしまっていることに気が付かず、当然の商売や金融取引だと思い込んでいることの弊害を改善しなければならない。  このままでは次世代への遺産としての知的資本蓄積はままならない。そのために、「知恵」の「貨幣を介さない」取引について追求する。  そのためには他人を変えるという改革より、自分および仲間同士の当事者による「知恵」の先物取引でも家庭や仲間レベルで改善可能になるように「知恵」を働かせる必要がある。  仲間同士の取引に際して「知恵」の受け渡ししか行われない場合にはオフバランスで「貨幣を介さない」取引となる。  この場合、「知恵」を含んだオンバランス資産ならそのうちのオフバランスを分離した取引等により、将来にわたって「貨幣を介さない」で「知恵」の蓄積を可能とする。   そして、人間の「知恵」から発するオフバランスの「見えない資産」が次世代への遺産として蓄積される。  それが知的資本として構築され、投下されて更なる「知恵」の再生産がされる。  以上、「知恵」を「貨幣を使わない」取引とする『改善』で有効に活用して資金難や後継者難による撤退を回避し、で、格差のない生活を得ることを政管財民共通のミッションとしていかなければならない。  主体としては海外列強、大企業、中小企業、地域、コミュニティの団体等をはじめとして仲間、親族、家族、個人等の全体を対象として考える必要がある。  時期、特質等については歴史上、先達、故人、自然界、フィクション等についても考慮すべきである。  そして、本当の仲間とは何か、自分自身についてはどうなのかへの追究を進める。  さらに、世界に冠たる日本固有の「知恵」が消滅してしまう前に有効に活用して資金難や後継者難による撤退を回避し、「貨幣を使わない」取引とする『改善』で、格差のない「豊かな生活」を得ることを政官民共通のミッションとすべきことを提案する。      その場合、それぞれの「知恵」の価値が明らかに同一のときは問題ないが、それぞれの価値が異なり、しかも一方または双方が複数の場合は容易には価値に交換についての基準が設定できない。   そのときはいままで取引等関係者間のアクセスログを利用することになる。  すべての行動データが1つのIDに紐付けられるということでオンラインとオフラインが融合した体験が提供され、その時々に最適な「知恵」を融通無碍に選べるようになる。  そしてそれらのデータを自己の利益にのみつなげるのではなく、相互の信頼関係を作っていくことで提供価値の増幅が可能となる。  そして、その取引等に関連するデータのうち「知恵」の価値判定に重要な意味を有するものを集約して該当項目ごとに分析し、最も好ましい項目を抽出して基準の核とする。 私:「当事者間の取引で銀行から実際にお金を借り入れる必要がなく、バランスシートに資産と負債が両建てになることもないオフバランス取引がある。」 息子:「でも、その取引が当事者同士のものならよいが、「仲介」を業とすると問題があるのではないか?」 私:「銀行法や弁護士法に抵触しないようにしなかればならない。すなわち「行として」「仲介」を「することのないようにしなければならない。すなわち、反復的にまたは反復の意思をもって仲介事務の取り扱い等をし、それが業務性帯びることのないようにしなければならないということだ。」  私:「そのとおり、「知恵」や「ノウハウ」に気付いたら、常にその「見える化」を図り、資産勘定以外についてもその成り立ちや根拠を記録しておく必要がある。」   娘:「通常の会計処理では勘定科目にならない場合は記録として残さないのが普通だが?」    私:「会計計算での勘定科目ではないものだからこそ自己独自の記録として整理しておき、交渉にあたって先手をとってそれら「知恵」や「ノウハウ」が有する価値を相手に主張して、妥当な評価を得るために役立たせる。」  貸借対照表に資産として載らないノウハウ等知的無形資産のうち「知恵」、特にオフバランスで「貨幣を介さない」取引等については資金繰りの心配なく取引ができるメリットがある。」   息子:「金融業界やそれによって支配される産業界にも問題があると言える。」   私:「金融業界では内輪で資金を回し、民間企業では株式価値最大化のため自己株買いのために資金をまわしていることも多い。  個人や一般家庭ではゆたかな生活がもっぱらお金だけだとされていることが多い。  今や、そうではなく、政財界も官民も、自らのミッションを全うすることで「ゆたかな生活」を求めることができることに気づかなければならない。」   娘:「我々民間でも同じことが言える。」   私:「本来交換の媒体である貨幣をお金によってお金を増やそうとする蓄財の対象にしてしまっていることに気が付かず、当然の商売や金融取引だと思い込んでいることの弊害を改善しなければならない。  このままでは次世代への遺産としての知的資本蓄積はままならない。そのために、「知恵」の「貨幣を介さない」取引について追求する。  そのためには他人を変えるという改革より、自分および仲間同士の当事者による「知恵」の先物取引でも家庭や仲間レベルで改善可能になるように「知恵」を働かせる。」 『経営者の皆様、お金でなくてもよいのに、お金を使っていませんか?』 『貨幣を介さない「ノウハウ活用」で資金難を解消し、持続可能な開発を!』とした。 これが第二の人生の総括だ。 六歳年下の妻は、この十数年、静岡市の実家で自分の両親を介護していた。 このたび、両親から土地・屋敷等の遺産を相続したので、彼女は自分の家財道具一切を東京の現住所から移送した。 一緒になってから五十数年を経てようやく自由の身になったのだ。 東京と静岡を行き来しながら妻と私の間をつないでいた無職の息子も、そちらで仕事に就くこととなった。 娘のひとり息子の孫は今年大学を卒業して社会人となった。 彼らからはどんな財産にも勝る心の宝をもらうことができた。 今までのすべての心残りが取り払われた。息子と孫の新社会人への出発という大きな喜びをもらって、私のプラス人生はスタートした。 今までは、経営者のノウハウを活用して「ゆたかな生活」を求める検討を続けてきた。 しかし、ノウハウは人的資源に基づくものなので、自分自身とその家族に視点を移すこととした。 もう生家に家族はいなく、結婚して新しくつくった家族しかいない。 だから、私の家族は妻と未婚の息子だけだった。 しかしその息子も職に就くので、妻だけが家族だということになる。 妻は自由の身になった。 私も自由の身になったといえる。 そして、それぞれが新たな人生に向かって歩み始める。 今までは「家族」を通じて数々の「知恵」を得ることができた。 これからのプラス人生にかかわる人たちと築くのが私の新しい「家庭」だと言いたい。 その新しい「家庭」での新しい「知恵」を今後の「プラス人生」でどのように活かしていけるかが楽しみである。あらためて第一の人生について振り返って見よう。  「捷三」と命名されたのは父方のおおおじ(大伯父)が軍人であったことによる。  日露戦争における「旅順」および「二百三高地」で乃木希典の苦戦を助けて日本陸軍に勝利をもたらした児玉源太郎の片腕の参謀として、のちに陸軍大将となった大伯父の養家を継いだ祖父によるものだった。  大伯父は朝鮮半島の前で露軍の侵攻を防ぐしかないとする戦略をとった参謀だった。  大挙して攻め込もうとしている露軍から朝鮮半島と日本列島の安全を確保するための選択だった。  また、児玉源太郎は渋沢栄一から日本には日露戦争を戦い抜く財力はないことを諭されて早期終了の戦略をとったといわれる。  吉田松陰が西欧からの侵略を憂いたのも、伊藤博文が日本人の精神的強化のために天皇を重んじたのも日本人の生命財産を守るためだった。  これら貴重な先達の「知恵」の蓄積にもかかわらず、その後の日本国民の採った手段と目的の錯誤による侵略の過ちは由々しきものだった。  最終的にはミッドウェー海戦での大敗の後に日本は敗戦を迎えた。  同胞が陵辱、忙殺されないことを願っての命名でこの世に生を受けたのだからその遺志に沿って自分に負けない人生を送ることことが大切だ。  この心意気を受け継いだ祖父とおおおじの両家では「いとこ会」で「知恵」の学びあいをしている。  この「いとこ会」へは私が中学生になってはじめて「参加してもよいのでは」との呼びかけがあった。  私と異母兄とは十何歳か離れていた。  参加者はその同年代がほとんどだった。  私はその中で十数年のタイムスリップを経験することができた。小学一年のとき屋根から転落し死に損ないの大怪我をし、二日後、突如「百万円よこせ」と叫んで意識が戻ったことは前述した。 遅れてきた子には三途の川をわたりかけても〝転んでもただでは起きない〟精神が培われていたのかも。 十数年遅れて出てきて先に行っている世代にあわせようとする姿だった。 でも、今までそこにいなかったのだから知らなくてもしかたがないと考えることにした。 そして、これからの生き方だけを考える。 遅れて来たからといってまわりに気を遣うことはない。 今までこうだったからこうでなければならないとは考えない。 過去は歴史に問うこととして、自分で築いていけるこれからに注力すべきだ。 変えられないことは別にして、変えたほうが良いと思われることは勇気をもって変えていく。 これが遅れて来た子の取るべき道だ。 大学ではまだ日本ではマイナーだったマーケティングを専攻した。 マーケティングは当時、アメリカからきた流行りの学科だった。 しかし日本での専門書は翻訳マーケティングと揶揄されるレベルのものしかなく、何の新味もなかった。 卒業後の仕事では一貫してエリートコースにはほど遠い特許管理を担当した。 特許管理は技術系一流大学出身者が勤務を命じられるのを泣いていやがったという代物だった。 文科系の仕事ではなかったが、誰もやりたがらないのなら逆にチャンスかと思った。 世の中を変えていく勇気を持つ者の発明を保護できると考えたからだ。 その後、知的財産ばやりの時代がやってきた。 しかし、それも大切だがもっと他にやるべきことがあると考えた。 身の回りにあることで、日本人の生活を豊かにしている「知恵」が生かされていないのではないか?

イオングループ創業者の実姉が弟を日本一の事業者にしようと家訓の一つを「見えざる資産の蓄積をせよ」としていた。 小さな家業から始めた事業での優れた逸話である。 そこで、ノウハウ(知恵)やスキル(技能)の活用で次世代への遺産としての知的資本の構築を目指した。 これが第二の人生における私の目標だった。 植物が花を咲かせて蜜蜂に合図をする。 色々あるが、何らかの会話ができる範囲でしか相互に納得できる判断基準は定められないと考えられる。 仲間同士では目配せやボディーランゲッジでも通ずる。 プラス人生の原点はここにある。 気持ちが通じれば「知恵」は伝わるのだ。 プラス人生は家庭内から始めるのが妥当だと考えた。 生活をともにしている者同士間で「知恵」の交換が頻繁になされるからである。 それよりも、人間はずっと生きていることはできない。 必ず死ぬ。 肉体的には死によって連続性は断たれる。 しかし、生物は肉体的死によって自己は消滅しても遺伝的に更新して繁栄できる。 そうでないと次世代への肉体と精神の特徴が受け継がれない。 特に家族は自分が死んでも遺伝子をもって先代からの肉体的、精神的固有の特徴を次世代へ引き継ぐことができる。 さらに、人間が生きていく本当の意味は全体のためにいかにあるべきか、次世代のために何をなすべきかにある。 たとえ家族が途絶えても、生活を共にする家庭内では相互の「知恵」は共有されそれが継承される。 むしろ結婚等で他人の血が入ることによって新しい「知恵」が加わることも多い。 そして、世代が絶えない限り継続する。 無から有は生じないが、無限に続くことは無限の彼方の過去に発する。結果として存続し続けたものがそのために必要な認識を得たときに全体として他と共生する能力を得ることができる。 したがって、存在し続けようとする意識を持って存在し続けたものが残り、他は消滅する。 コロナウィルスも他の生物と共生し、共生される生物も自らが生き残る体力と知力を維持する。 今まで生きた者は後に続く者を生み出せる。
だから、プラス人生は遺伝子が繋がる家族から始めて家庭内に継続することができる。 そして家庭を構成しうる仲間に広げていくのだ。  私は考えた。 息子や娘と孫が命をつないでくれるから私は生きながらえる。 肉体的には代替わりするとしても、魂は継続し続ける。 娘の家族である孫が社会人になった。 無職だった私の息子が職を持った。 したがって扶養家族ではなくなる。 妻だけが家族のはずだが、もとは他人だ。 生活を共にしていない以上家庭の一員ともいえない。 しかし、息子と娘の母親であるので彼らの肉親であることには間違いない。 私たちはそれぞれ、血族あるいは親族関係にあるといえる。 この関係で生きるための「知恵」が継続しているのだから私の命はとても私一人のものだとはいえない。 また、孤独な生活環境であったとしても、魂は一体として命をつないでいる。 私の父母・兄弟はすでにこの世にはいない。 しかし、「いとこ会」のメンバーとその親族は健在のものも多い。 したがって、限りなく後継者に恵まれているといえる。 親子ほど年の離れたいとこもいるのでその子、さらには孫までも含めると相当数のメンバー規模になる。 直系だけでなく傍系をも含め、父方、母方に展開すると、端から端は見えなくなる。 いずれにしても、血縁、地縁その他何らかの縁をもって連携しているといえる。 この繋がりを考えると私個人としてのプラス人生はとてつもない広がりの原型を持っていることになる。 これに新しい仲間を加えるとその広がりは倍増する。 さらに私は考えた。   人が何を意図し、何を目的にして、どういう気持ちでいるかがわかるというのが共感力である。 それはおもに家族生活等複数人のなかで育まれる。 大勢の中で育まれる共感力は直観力にもつながる。 この直観力によれば人との関係で自分を見つめ直すことができるので、自我を収縮させ「気づき」を生む。 新しい家庭を築いた娘とは二十数年前に彼女が結婚してから孫にかかわること以外、ほとんど交流はなかった。 しかし、孫が生まれてからは人気機関車トイの“トーマスエンジン”をでるたびに全てプレゼントした。 また、交通博物館が大宮に移転・新設されたときに早速連れて行ったことがあったくらいだった。 でも、娘にはこの二十年以上、年賀状用に私と孫とのツーショットを年に一回撮影してもらっている。 このたびの件については、娘は具体的内容についてはいっさい知らされてなかったという。 しかし、今までのいきさつを数時間聞いただけでとりあえずエアコンをプレゼントしてくれた。
生まれてからこの方の私の生活態度、妻の性格を知りつくしていたからこその状況判断だと思える。 息子にしても、あらゆる生活用具を処分した後、自分の自転車だけを私のために残してくれた。 私が車の免許証を返還していることをも考えたようだ。 この免許証返納にも関連するが、妻が東京にいないので息子が使っていた自転車を私も借用していた。 ある時、交通事故に巻き込まれて、自転車ともども路面に叩きつけられた。 自転車は全壊で私は救急病院行きだった。 息子は新たにに自分用に購入して使っていた自転車を提供してくれていたのだった。 娘と息子とは特に家庭の関係がどうすれば良いかについて、話し合っていない。 でも、何も言わなくとも、共感する直観が働いて具体的行動に現れる。 数年に一度くらいしか会わない「いとこ会」のメンバーについても同じことが言える。 年齢が離れていても、直系でなくとも共感する直観は働く。 血縁関係が無い場合でも婚姻等によりネットワークは繋がる。 これらの関係によって引き継がれる生き様は変えられない歴代の記憶としてそれぞれの意識に残って伝承される。 共感によるコミュニケーションネットワークだ。 「いとこ会」は父方の家系によるものだった。 父には9人の兄弟姉妹がいて、おおおじとのいとことの兄弟姉妹関係を合わせるとかなりの人数になった。 しかし、母には姉が一人いるだけだった。 その姉である伯母には子供がいなかった。 女子大をでた後、魚河岸の親方の後妻になった。 そして、漢文・古文の教師をしつつ、観世流能楽師範となった。 不思議なことに私のいとこが観世流の家老格家の能楽師の嫁となったのでその夫婦は「いとこ会」の一員だったが、その夫の弟子でもある伯母はメンバーではなかった。 幼少の頃からその伯母に連れられて、「うたい」の稽古で「牛若」なんぞをやらされた記憶がある。 その後の「いとこ会」では「はとこ」等と謡曲の話にも花が咲いた どういうわけか、大学生活費用の仕送りは伯母から受けた。 その後、戸籍には私がその伯母の養子になり、その後原籍に戻ったことが記録されていたことに気がついた。 その先祖を祀れるのは私しかいないので、伯母と母が亡くなった後、生地の菩提寺を数ヶ月間捜し回った。 ようやく母方のふるさとのある寺で目当ての墓に巡りあった。 ご住職からの 「お待ちしておりました。」との声。 ご住職の先祖のお墓に共に祀ってもらっていたが、ちょうど分けたいと思っていたところだという。 母方を継ぐのは私しかいないので、とりあえず事情を説明して、同寺内に移してもらった。 母方の親戚は私の後継に尽きることになる。 異母兄の母方の親戚は高名な学者で東京美術学校(芸大)教授に繋がるが私との血縁はない。 でも、父や兄を通じて親戚付き合いはされた。 そして、異母兄の嫁達である義姉達の両親や兄弟等とは常時親しい親戚関係にあった。 親戚・姻戚を除くと後は友人・知人になる。 家族、親族、親戚以上に親密な関係にある 友人・知人はおおぜいる。 遺伝的・法的に関係はなくても生活環境の緊密度が高い場合も多い。 ここで、プラスの人生での友人・知人との共感を考える。 血縁がない友人・知人との共感は同時に生きている間柄でのみ可能となる。 家族・親族のように血縁のある血族および姻族は遺伝子の承継による共感ができる。 友人・知人のとの共感は血縁がつながる限りにおいて過去に遡ることができる。 これら共感の仕方は、血縁によって遡れるかどうかによって異なる。 プラスの人生における共感は、この違いをわきまえてする。 血縁とは縦に、それ以外とは横に繋がる「知恵」を共感する。仲間の内でもジェンダーについて考える。 特に男と女については微妙な感触がついて回る。 知人・友人の間では恋愛・結婚等は主として男女間での問題とされる。 家族・親族の間では役割分担についての差別化が問題とされる。 特に、家庭での“主婦か主夫か”などの論争は家事の分担についての問題が多い。 しかしながら、それらの問題についても人間の「知恵」をもってすれば解決できないものはない。 みんな仲間だからだ。 どこまでが仲間なのか? 「知恵」が共有できるまでだ。 正直言ってレズビアンやゲイ、バイセクシャル等については誰もが詳しいわけではない。 今では性自認等についても考えなければならない。 すなわち、“トランスジェンダー”は性自認が出生時に割り当てられた性別とは異なる人のことをいう。“クイア”や“クエスチョニング”は性的指向や性自認が定まっていない人のことをいうとされる。 男、女、それ以外を同時に経験できる人はいない。 しかし、それだからこそ、お互いに今まで知らなかった「知恵」を仕入れることができるのだ。 ただそれぞれが人間として相手を正しく理解し、偏見による誤解を避けることができれば、幸せな気持ちで「ゆたかな生活」を享受できる。 それがプラス人生で求める目標の一つだ。仲間の内でもジェンダーについて考える。 特に男と女については微妙な感触がついて回る。 知人・友人の間では恋愛・結婚等は主として男女間での問題とされる。 家族・親族の間では役割分担についての差別化が問題とされる。 特に、家庭での“主婦か主夫か”などの論争は家事の分担についての問題が多い。 しかしながら、それらの問題についても人間の「知恵」をもってすれば解決できないものはない。 みんな仲間だからだ。
どこまでが仲間なのか? 「知恵」が共有できるまでだ。 正直言ってレズビアンやゲイ、バイセクシャル等については誰もが詳しいわけではない。 今では性自認等についても考えなければならない。 すなわち、“トランスジェンダー”は性自認が出生時に割り当てられた性別とは異なる人のことをいう。“クイア”や“クエスチョニング”は性的指向や性自認が定まっていない人のことをいうとされる。 男、女、それ以外を同時に経験できる人はいない。 しかし、それだからこそ、お互いに今まで知らなかった「知恵」を仕入れることができるのだ。 ただそれぞれが人間として相手を正しく理解し、偏見による誤解を避けることができれば、幸せな気持ちで「ゆたかな生活」を享受できる。 それがプラス人生で求める目標の一つだ。ここで、集まった仲間の間で共有の基礎とされた「知恵」をベースとして活用について妥当な取り決めをする。 娘:「ではその取り決めはどのように設定すべきだろうか。」 息子:「たとえば、次のようにしたらどうだろう。仲間の一方が「知恵」を持っていて他方がその「知恵」を使って活用する場合、両者間で合意が出来た範囲でその「知恵」を使い合えるとする。 すなわち一方が製造方法の「知恵」があり、他方がそれを製造する設備があってそれぞれそれ以上の資金がない場合に双方無償で使いあうことで活用することができるとする。 次に、一方の「知恵」と他方の「知恵」を交互に活用する場合、すでにそれぞれが蓄積している「知恵」を比較しあって合意の上で使いあい、その実績を記録して活用度を確認する。例えば、双方が活用について別々の「知恵」があるがそれ以上の活用資金がない場合に、持ち寄った「知恵」により新たな活用をしてその成果を無償で利用する。その累積において必要が生じたときには過去の実績に応じて差し引き評価すこととする。 娘:「共有等が複数にわたるときなどはどうだろう。」 私:「知恵」を含まないものが混在する場合にも本来の「知恵」との引き算をすることで応用できる。 息子:「当事者および「知恵」が錯綜する場合にも累積において該当する組み合わせを選択して検索および抽出すれば同様に処理できる。仲間同士の取り決めだから相手や状況に合わせて随時変更すれば良い。」 私:「以上は、第二の人生で中小企業等の経営者に提案したのと異なり、「家庭」を含む仲間同士の信頼関係によって実現可能となる。」 “お一人さま”は強いのだ。 その強い者が力を合わせれば怖いものなしだ。

 

アルミニウム時代日本軽金属本社が銀座七丁目にあったころ、理研軽金属に所属しながら日本軽金属特許室兼務となった。  これは日軽金グループのうち三次加工会社統合して新会社を作る計画の一環であった。  すなわち、住宅用サッシ等を扱う建材部門を統合して新会社としようとするものである。  新会社は新日軽(現LIXIL)として人形町に本社を置くこととなった。  そして七社分の建材関連特許等知的財産を一括して管理し、その全てのライセンス交渉等もおこなう部門として新日軽特許課を設置することとなったのである。  従って、理研時代に起こしていた訴訟事件も私が担当することとなった。  新日軽に統合された他の6社では該当するケースはなかったが、理研時代にはまだ権利になっていなくても、審査官の審査をパスし出願公告がされていれば、解除条件付きながら、仮保護の権利が認められ、製造・販売の差し止め請求をすることができたので、警告書を発し、応じない場合には訴訟事件とする旨を迫った。  訴訟は原則として被告が所在する地方裁判所に提訴することになるので、グループ会社に協力してもらえる地裁を選んだ。  また、差し止めは緊急を要するので仮処分申請とした。  かなり長期に亘って争うことが多かったが、ほとんど和解とした。  裁判で勝つことは目的ではなく、有利にライセンスできるようにすることが狙いであったし、他のコンペティターに与える影響の方を重視した結果である。  しかしながら、各地方裁判所へ出張するのはかなりつらい仕事だった。  たとえば、法廷で技術説明を行うためにモックアップ等を作成するのに現地のグループ会社だけに任せるわけにいかないし、裁判上の機密に類するものは東京から運ばなければならなかった。  けれども、少しは役得もあった。  泊まり込みの準備に弁護士等と地方の名物を鑑賞したり、味わったりすることもできた。  北陸の由緒ある旅館の皇室専用の特別室で夜の漁太火を眺めながらの海鮮料理、奈良公園で鹿の群れのなかに佇むに奈良ホテルで皇室御用達のメニューでの会食等、普段では経験できないものであった。  そのほか訴訟事件に絡んで思い出に残ったのは、次の訴訟対象を何処にするか検討しているときに、東京都内でホテルの大火災があったときのことだ。  都心の有名大ホテルで宿泊者に犠牲者が出たときの現地からのテレビ中継で、一人の紳士が勇敢にも高層階部分の窓枠を破り、そのビルの外壁を伝って焼死寸前の危険から逃れたところがテレビで実況報道された。  その紳士は、ちょうど、訴えることについて検討していた会社のエグゼクティブだった。  その勇気ある果敢な行動で、普通ではとてもできないアクロバットに近い回避策を講じた、その強運というか精神力に、この人を相手に戦っても勝ち目はないなと思わせられた。  結論としてその会社を相手にすることは後まわしになった。  その他として、侵害事件として訴えられることもたびたびあった。  特にユニークだったのは、代理人もたてずに個人訴訟で粘られたケースだ。  個人出願の簡単な実用新案権に基づくものだったが、こちらの製品は明らかに権利侵害しないことが明らかだったので一応対抗した。  何度かその旨を説明したが、実施料目当てなのに応じない。  地裁で負けても控訴してくるし、とうとう最高裁に上告してきた。

 

RIKEN時代

 

理化学研究所の仁科博士の諸処の研究は有名だが、アルミの表面処理については宮田先生の発明といわれるアルマイトがある。  アルミニウムは空気に触れると直ちにその表面が酸化してしまい、軽くて丈夫だが腐食し易いのが難点とされていた。  しかし、表面処理として電解液の陽極で電解処理するとルビーのような硬質の酸化皮膜ができることが知られていた。  ところが、その硬質被膜は顕微鏡でも観察しにくいほどの極めて微細な多孔質であるのでその微孔から酸等が侵入し、腐食が進行しアルミニウム自体に穴を穿つことが難点とされていた。  これは電気分解時の電気化学的作用として当然なのだが、用途によっては困りものでもあった。  戦前、アルミニウム製弁当箱に穴が開くので困ったという話がしばしば聞かされた。  というのは、日の丸弁当の梅干しの酸がアルミ被膜の微孔から侵入してそのアルミ弁当箱の日の丸のあたる部分に穴を穿つのが原因だった。  あるとき、理研の研究室で試料の耐久性試験をしていたところ、一部に素晴らしい性能を示すものが見つかった。  それがどういう条件で生成されたものか調べたところ、その試験片は沸騰したお湯の入った容器の中に落とされていたものであることがわかった。  ここで、陽極酸化皮膜の微細孔が高温のお湯の中で生じた圧力により封じられたものと判明した。  これがその後アルマイト工程の「封孔処理」を高温高圧の蒸気缶の中で処理する「蒸缶処理」となった。  このことを、会社内の笑い話として、「昼休み用にやかんにお湯を沸騰させていたところ、誰かがうっかり試験片をそのやかんの中に落としてしまったところ、後で拾い上げてその試験片の性能評価をしてみたら、耐腐食性が抜群だった。」などと語り継がれていた。  こうした由緒ある工場で作られたアルミ家庭日用品の品質は抜群で、リケン富士印として業界トップを走っていた。  しかし、昭和40年以後の建築ブームが来ると、それまで、家庭日用品がメイン商品だった理研軽金属も日本軽金属グループの一員として、住宅用およびビル用のアルミサッシュ等の建築材料にその重点を移すようになっていった。  建築材料となると、サッシュ等の屋外にさらされる製品は厳しい太陽光線の紫外線等や排気ガス等の汚染環境にさらされるため、さらにその表皮に重ねてクリアーな樹脂塗装をして耐候性を満足させるようになっていった。  ところが、ヤマハから出向してきた私の上司は、「アルマイトで封孔処理した上に塗装するより、孔を塞がないまま直接塗装してしまう方が合理的だ」と考えて新しい塗装法発明してしまった。  確かに、アルマイト表面の多孔質を利用して、その孔に染料を侵入させて綺麗な模様をつくる染色法もあるし、電気泳動法でガッチリ孔に塗料を食い込ませて強固な外装をする方法も旧来あるにはあった。  しかしながら、何百万戸の需要がある住宅用サッシや霞が関ビルのような大型ビル用外装材には不向きであった。  そこで、彼が考えたのは、塗料として水溶性熱硬化型アクリル樹脂塗料液にサッシ材をどぶ漬けし、それを熱缶処理することにより、そのアルミ表面の多孔質な孔の中に樹脂が入り込んで、架橋反応によりアルミと樹脂「人材銀行」から「ノウハウ銀行」へ

 

 社会人としての一歩を踏み出したのは駿河湾への暖流が流れ込む温暖都市静岡市だった。  徳川家康が隠居所としただけあって、駿府城址外堀の石垣上、幾重にもそびえたつ大松の彼方に霊峰富士を眺めながら「ゆたかな生活」を醸し出すに十分な土地柄だった。  その静岡市郊外に工場を持つ理研電化工業株式会社が最初の勤め先だった。そのその静岡工場は当時理研の職員であったあの田中角栄が設計したという由緒あるものだった。  あの理化学研究所の静岡工場として、理研の発明として有名なアルミニウムの陽極酸化被膜、アルマイトの技術があった。  アルミニウムは、酸化しやすくその商品はすぐ腐食するという欠点があったが、理研の発明であるアルマイトはアルミニウムの表面を電気分解でルビーに匹敵する硬度を持たせることができるようになって、その使用価値が抜群に増大するというものだった。  しかしながら、そのアルマイト皮膜は多孔質であってその極めて微細な孔から侵蝕されてしまうという欠点があった。  偶然というか、それをうっかり沸騰したお湯の中に落としてしまったところ、その微孔が封じられたという奇跡がおこった。  そして、の梅干しを入れても穴の開かないアルミ弁当箱ができることになったとの逸話がある。   それに日本軽金属とヤマハ(日本楽器)が出資して企業化したものだった。  同社はのちに理研軽金属と名称変更した。  私はそこで特許管理を主に担当し、企画部次長を拝命したが、やがて、銀座七丁目の日本軽金属の特許室勤務となった。  そして、日本軽金属グループのアルミ三次加工会社7社を統合して設立した新会社、新日軽の初代特許課長となった。

その後、有楽町にあった人材銀行(2016年以後はハローワーク飯田橋合同庁舎内「中核人材確保支援センター」等に移行)に登録していたところ、大阪からから新宿の住友ビルに本拠を移して東証上場で新進気鋭のコンピュータソフト会社CSKから引きがあった。  ソフトの特許を強化したいとのことだった。  レーザー技術や機械翻訳の研究開発にやっきとなっていた。  その後、群馬県桐生市に本社工場がある遊技機製造会社の平和から特許担当責任者としての声がかかった。  パチンコメーカーである。  パテントプール解散後の業界特許ライセンス環境正常化の任を課された。  その後、コンテンツ流通体制強化を目的とした新会社平和プラスを立ち上げ、代表取締役社長として事業を遂行した。  50年以上にわたるビジネス経験のほとんどは企業における技術情報管理、特に知的資産管理についてであった。  その大部分において、軽金属、コンピュータソフト、遊技機と三つの異なる分野の一部上場企業で、それらの業務についてそれぞれ新たな時代に必要なレベルの特許等知的財産を知的資産として情報管理するシステムと考え、技術ノウハウ等の技術知識の情報管理を行うことにより、各企業分野に必要な知的資産情報を蓄積するとともに、それらの事業に必要な人材を育成した。  すなわち、アルミニウムというハードウェアそのものの技術、コンピューター・システムというソフトウェアそのものの技術、遊技機というハードとソフトの結合によるサービス提供技術のそれぞれにおいての技術情報の果たす役割を追求し続けた結果としての管理体制を築いた。  日本軽金属とヤマハ(日本楽器)を主な出資者とする理研軽金属工業は理化学研究所における発明実施化部門を母体とする企業で、理化学研究所で発明されたアルマイト技術を日用品家庭器物に使われていたものから発展させて開発した種々のアルミニウム建材等の表面処理技術を国内の各企業と連携して用途を拡大したり、競業各社に提供したりした。  さらに技術供与事業を国際展開し、海外の企業に特許技術を輸出するとともに、当該事業を立ち上げるための技術指導、合弁事業及び委託加工貿易等を行った。  理研軽金属工業のアルミ表面処理技術を核として、日本軽金属等の推進する技術として国内外アルミニウム精錬企業の計画する海外三次加工事業の立ち上げに参加し、当該事業の開設及び運営を推進した。  理化学研究所の当該アルマイト特許以来、その分野で理研軽金属工業の特許体制は特に際立ったものはなかった。  そこで、新たに専任の特許部門を設立し、積極的にあらゆる分野での特許獲得戦略を展開した。  当時、アルミカーテンウオールやアルミサッシ等のアルミニウム建築材料の需要が爆発的に高まり、それ用の成形加工方法や表面処理方法について生産性及び品質向上が求められたので、従来どおりの考え方ではとても工業化に踏み切れないと思われるアイデア、ノウハウ・スキルによる技術についても特許獲得をする方針で特許戦略を展開した。  そして、それらに関して、更に実用化研究開発についての改良特許の獲得を続け、完成した特殊なアルミ二次加工方法と表面処理方法について国の重要技術に指定してもらったり、大新聞の十大発明に選んでもらったり、重要技術研究開発補助金やそれに伴う日本開発銀行の特別融資を受けて開発を推進させた。  また、特長あるアルミサッシの特許に基づき全国的な市場拡大戦略を展開し、市場制覇のため、特許訴訟戦術による拡販に打って出た。  当時の法制では、出願したものが特許庁の審査官の審査をパスして出願公告されると仮保護権が発生して、解除条件付きではあるが、製造販売の差し止め請求をすることができたので、その段階から権利行使の訴訟を前提とする警告をし、応じない会社については差し止め仮処分申請をおこなった。  そして、これをきっかけとして、当該サッシの特許について、業界内でのライセンス交渉による問題解決の基盤を作った。  時代の進展に伴いハードに加えてソフトが重視されるようになった。  そこで次に、ソフトウェアの技術情報管理においてハードとソフトの結合による情報管理としてコンピューターシステム及びコンピューターソフトウェアのノウハウライセンスに伴う知的資産管理に挑戦した。  大型コンピューターのオペレーティングシステムやアプリケーションソフトウェア開発をする当時のシステムエンジニア(SE)はほとんど知的財産権(特に特許権)について関心を持ってはいなかった。  コンピューターソフトウエアーはパブリックドメインとしてソフトウエアーエンジニアがお互いに自由に使いまわしながら発展させていくことを一般的な了解事項としていた。  著作権による保護を厳格に主張する向きもあったが、プログラムの表現しか対象とされず、ソフトウエアー自体のの技術思想についてまでは保護対象とされていないことにもよる。  一方、請負または受託開発されるソフトウェアの成果物は全面的に依託企業側に属するのが当然とされている。  そこで、日本の経済を担う各業種のトップ企業よりシステム開発を受託してコンピュータソフトウェア開発を行う独立系ソフト企業CSK(シーエスケイ:元コンピューターサービス、現SCSK)において、折角その開発に携わる所属SEの有する固有ノウハウを蓄積してそのDBをソフトウェア再利用可能なネットワークとして構築し、ソフトの再生産及び生産性向上に資するようにした。  すなわち、請負契約、委託契約により顧客に成果物(開発ソフト)は帰属するとしても、担当SEは自社に開発報告をすることまでを妨げられているわけではない。  そこで、そのソフトウエアー開発の仕事で使用した自己固有のノウハウ・スキルを端末から要点のみを端的に入力してもらうことにした。  それまでは全国の企業等に散らばる数千人のSEは今まで自社内の他のSEが経験しているノウハウ・スキルがあっても、全くの未経験案件として一から始めなければならなかった。  これはシステム開発企業全体からすれば極めて非効率で、いわゆるソフトウエアの生産性が向上しない一因でもあった。  しかし、社内で他のSEが既に開発の実施している案件を知ることができれば少なくとも顧客との契約に違反しない範囲で同社内の他のSEのノウハウ・スキルを知ることが可能となる。  その結果として、それまでに社内で誰かが経験したシステム開発について、それが似たようなものであれば各人が改めて同僚が既にやった開発事項を繰り返すことなく、それから先の開発だけやればよいことになるので、相当の手間が省けることになる。  そして、そのデータベースから、自分がこれから手掛けようとするシステムに類似の開発を行ったSEの存在を知ることができるので、ノウフーデータベースとしての役割も果たした。  そして、顧客、ユーザーのシステムから離れて、自社SE固有の開発ノウハウ・スキルが次第に収斂して開発ソフトの部品化をしていくことができる。  このようにして、請負または委任契約に違反することなく、ソフト開発の生産性が向上し、品質向上、コストダウンをすることができるので、ソフト会社及びその顧客、ユーザー双方のメリットとなった。  コンピューターシステム開発において、お互いに没交渉の同一会社内に分散してシステム開発しているSEのノウハウ・スキル技術を共有することはソフトウェアの生産性向上及び品質向上にはメリットはるが、開発終了後は他人に対してその技術を秘密状態に置くことが原則としてできないハードウエアと違って、ソフトウエアは意図的に開示しない限り個人又は部内での秘密が維持できるところ、それを自分以外の者のためにわざわざ労力・コストを使って開示するとなると、個人または部門内だけのコスト計算をすれば自部門の開発業務全体としての生産性は落ちることとなる。  したがって、会社全体で得た利益向上分からフィードバック、還元する仕組みがないと行き詰まってしまう。  ハードウエアのように作ってしまったらオープンになるものと違って、ソフトウェアはその個人又は組織の範囲外においては原則として機密が保たれる。  また、ハードと異なり、ソフトは同一のものを複数で使用することが出来る。  従って、自分達のノウハウ技術を使って自分達の生産性・品質向上をするのも、それが他人や他部門に貢献するのも良いが、そのための´労力・コストは自分の部門の生産性・品質を相対的に下落させるとの認識にもとずく誤解を生みやすい。  会社全体としては善かもしれないが、事業部制のもとに利益追求する当時の考え方からすれば悪であると考えることも必ずしも否めなかったからである。  しかし、閉鎖された一経営単位内部でもこれだけの考え方の違いがあるのだから、経営主体が異なると利害が相反するので一見敵対せざるを得ないかのように思われる。  それら経営体は素晴らしい技術・ノウハウを持っていてもそれはその範囲を出ないことに気がつかず、たとえ気づいたとしても敵の知恵をお互いに活用合うことに踏み出せないでいるのではないかと思える。  お互いに疑心暗鬼であるのはいたしかたがない。  したがって、正しい評価基準と運用規定は必須である。  従って、相互評価を原則とするナレッジマネジメントを最大限取り入れてプロジェクトを推進させなければならない。  ハードの世界とソフトの世界を異次元の世界であると認識したとしても、優先度が違うと認識したとしても、ソフトウエアの優位性を絶対視する風潮が上記のような錯覚による誤解を生ぜしめることとなった。  いくらソフトの世界になったといっても、ハードあってのソフトなのだ。  “コンピューター、ソフトがなければただの箱”などといって日本では“iモード”という世界に冠たるべき通信ソフトを開発したにもかかわらず、携帯電話をガラパゴス化してしまっている間にジョブズのアップル社が“iPod”(アイポット)で世界を席巻してしまった。  特定のハードウエアに一定のプログラムを実行させるためのソフトウェアをファームウェアといい、携帯電話等いろいろなパーツおよびマシン本体に用いられている。また“ハードウエアはソフトウェアの陳腐化したもの”とも言う。  ソフトウェアはハードウエアの上で発展し、ハードウエアとともに成長する。  ソフトウェアはハードウエアと一体となってハードウエア化する。  従って、ソフトウェア開発を専門とする技術者が殆どであるにもかかわらず、プリペイドカードやレーザーカード等の用途及び使用方法等、ハード面にも目を向けて知的財産を発掘した。  一方、ハードウエアは開発されると商品化のためには必然的に公開される。  ソフトウェアも商品化の有無を問わず公開されれば法的保護を受けていない限りパブリックドメインとなる。  かって、まだ特許出願に公告による仮保護権があった頃、ある大手都市銀行が特許出願した“金融システム”に関する発明が出願公告された。  あるコンピューター情報誌の取材に答えて、「最近は銀行システムが特許になるかも。」とその特許公報を示したところ、当該専門誌の特集号で「金融システムのコンピューターソフト特許という魔神がやってくる。」との大々的な報道がなされた。  すると、国内金融機関の間では大問題になったらしく、異議申し立てがなされた。  審査官の審査を通過して公告されても、それに対する異議申し立てがなされるとその意義理由に打ち勝たないと特許登録されない。  コンピューターというハードウエアを使って金融システムの特許は成立しても良いはずだったのだが、それ以上頑張らず、特許不成立の結果に甘んじざるをえないこととなってしまった。  このようなソフトウェア開発に関する発明についての誤解を生む基盤は、権利化についての歴史が浅いこともあったが、ソフトウェア開発に関する特許権など許すまじとする風潮があったことも否めない。  しかし、今でこそ驚異とも言えそうなブームとなっているが、先の風潮のなかでエキスパートシステムや機械翻訳システムを先端トップメーカーと競って開発していた情報処理会社があった。  数人で始めた情報処理会社を一代で業界初の一部上場企業とした大川功社長のCSKである。  そこではMITに冠講座を持って人工知能、特に機械翻訳システム開発に知力を絞っていた。 自然言語処理が特許になるかなどはさておいて、正に夢を追う開発であった。  “コンピューターを通じて世界中のだれでもが言葉の垣根を越えて自由に交流できるようにして世界平和に貢献したい、というのが夢だったのだ。  機械翻訳システムは自然法則(コンピューター)を使って技術的課題(自然言語処理技術による翻訳)を解決するのだから、特許の対象にもなりうる。  日夜研究開発に明け暮れる技術者の間で取り交わされる専門用語、ひらめき、アイデア、ノウハウの数々とその膨大なドキュメントに翻弄されながら権利化に勤しんだ。  特許の世界で生き残れるかどうかわからない情報管理と権利化手続きを行いながら、これこそハードウエアの可能性を限りなく追及するソフトウエアの世界であり、目に見えない知的資産がソフトとして実現し、ハードウエアに新しい命を吹き込んでいくさ様を現実の仕事として実感した。  現在、いわゆるスマホ(スマートフォン)でたとえばグーグル検索すれば翻訳もかなりの精度でいとも簡単に可能となっているが、まだまだ本格的に実用化できるまでにははなっておらず、言葉の裏に潜む深遠な意味と駆け引きや思いやり、おしはかり(それこそ忖度)等についても理解できるシステムにしていかなければならない。  今後は純粋に技術的レベルの創作というより、知恵のデータベース(ノウハウDB)の充実が図られなければならない。  ハードウエアとソフトウエアの協働によってサービスが充実していくことにより新たな価値が生まれると考える。  一般にはいわゆる“パチンコ”と称されている遊技機の業界は、メーカーから関連業者まで含めて、一時は市場規模40兆円を誇っていた。  射幸心をあおる遊技でありながら警察等との特殊な関係から、一定の制限はあるものの公営賭博として規定されているものでないにもかかわらず脈脈と生き伸び、隆盛を果たしていた。  それに加え、この業界では特許の取得に非常に熱心な企業が多く、主要各社間で相互に特許実施権を交換するという“パテントプール”を構成していた。  そうすると、他社に実施許諾できる特許を持っていないメーカーは、市場から排除されることとなるので、10数社の寡占で高利益を貪ることができていた。  しかしこれは独占禁止法違反ではないかとの疑いで公正取引委員会による排除勧告の審決がされた(公取委平成9年8月6日勧告審決)。  そこで、業界ではその勧告を受け入れた。  その結果、業界内では各社間で個別に実施権交渉をせざるを得ず、実施許諾許否を含めて複雑で膨大な個別各社間交渉及びそれに伴う数倍の契約締結の繰り返しが必要となった。  特許1件毎の権利解釈と相手の実施技術分析等のほかに微妙な交渉テクニックを要し、険悪な雰囲気のなかでの駆け引きが繰り返されていた。  そこで、まずは遊技機メーカー平和において各社とのライセンス交渉及び契約の強化対策を図った。  そしてなによりも競争他社に増して特許獲得内容の充実を促進した。  交渉を有利にする基本だからだ。  当時パチンコ業界は市場規模に対してメーカーの数が少なくて寡占状態であったうえに非常に短期間に行われる機種変更のたびに旧機種は廃棄され、新機種が販売されることになっていたのでメーカーの利益率は非常に高いものだった。  従って、特許戦略のために使われる経費は他産業では考えられないほど高額だった。  従って競争他社に勝つためにはまず出願をせよというのが至上命令であり、各社スタッフはそれに踊らされていた。  そして、業界内でのアドバンテッジをとった上で、他社に対して牽制ができ、ネゴシエーション上の発言権が生ずるというのが実状であった。  その上で公正取引委員会により解散勧告された遊技機業界のパテントプールをそれに代わるライセンス管理・交渉システムとしての再構築することを企画推進し、競争他社からの反発・抵抗はあったものの結果として業界内での評価基準、運用規定による新体制運営を軌道に乗せた  パチンコ(パチスロを含む)業界では種々のキャラクターをデザインして遊技盤面に彩りある設計を競って行うことにより、ホールやユーザー、プレイヤーの歓心をいかに多く買うことができるかが勝負となっていた。  その競争が切迫してくると、遊技機の性能や遊技性自体もさることながら、いかに大衆に人気のある劇映画・アニメ、テレビ放送、劇画・コミック、歌手・スポーツ選手等のコンテンツ、キャラクターデザインを自社の遊技機上に使用する権利として手に入れるかが経営者の最重要課題となっていた。  そして、遊技機盤面上に使用するたった一つのキャラクターデザインのコンテンツについての権利のライセンス料が10億円とか20億円とか言われるものも現れるようになっていた。  それほど有名ではない段階のキャラクターのコンテンツを自社の遊技機に使用するか自社開発のオリジナルコンテンツを使用するかして自社製品に評価を上げるようにするのが健全だし、経済的にも経営的にも妥当だと思われた。  そこで、自社内で生まれたコンテンツ又は将来の使用のために採用した社外制作コンテンツを育ててそれをハードウエアとソフトウェアの結合である遊技マシン等に結合させてさらに価値あらしめるものに発展させるためにコンテンツ流通ビジネスを企画し、当該事業を開始した。  当初は平和の内部事業として業務を進めたが、社内外の交流を図るには独立会社とした方が都合が良いのでコンテンツ流通会社として平和の百パーセント子会社、「株式会社平和プラス」を設立した。  平和関係会社として新たに設立した株式会社平和プラスでは、ライセンシングにおける評価システムを活用して、コンテンツ発掘・育成・流通事業を行う会社として事業を開始した。  例えば、平和の若手社員が発想したキャラクターで新機種テーマに採用されることがほぼ確定しているオリジナルキャラクターをコンセプトとして、大手出版社と提携して当該キャラクターのコミック化を行い、同社発行のコミック誌で連載を行うなど事業を広範囲に展開することなどをの企画を推進して体制を整えた。  また、当該コンテンツをさらに成長させるためのグッズ等の生産・流通について大手電機メーカーに協力仰いで中国での拠点づくりを推進した。  なお、コンテンツ・ビジネスの地域貢献性についての書籍に以下のような記述がある。  “コンテンツがこれからの日本の先導的な産業に成長していく可能性が高いことから、コンテンツを知的財産と位置づけ、国策として育成していこうという政策が打ち出されている。  知的財産のなかでは、従来「著作権」の保護のために著作権法を改正するとか、通信や放送における各種の規制を撤廃して、コンテンツの流通を高めるという考え方が支配的であったが、ここで初めて「コンテンツ・ビジネス」というとらえかたをして、ビジネスとしてのコンテンツ生産・流通活動そのものを活発にしていくころが日本のためになるとした。” (長谷川文雄他編「コンテンツ・ビジネスが地域を変える」NTT出版株式会社発行P4)  以上の技術情報管理及び知的資産管理からパテントプール、ライセンシング、ナレッジマネージメントに至るまでのノウハウ・スキルの活用の関係する方々とともにした経験をこれからのインタンジブルズ経営に活かしていきたいと思う。  今や世は人工知能の時代、いわばAIブームといってもよいほどである。  囲碁や将棋の世界で斯界の名人が人工知能を搭載したコンピューターに負けたとのニュースが世界を走りまわっている。  しかしながらそれを作ったのは人である。  人間(名人級)の知恵で作り上げたものに人間(名人)が負けるという矛盾だらけの議論を繰り返す前に、その問題を解決する方法を考えることを忘れてはならない。  人工知能の研究開発を進めている先端企業も本来の人間の知恵で作り上げられている現状を見失うと思わぬ落とし穴に落ち込むことになりかねない。  すなわち、我々は次のことに留意し、できれば一度原点に帰って足元を固めなければならない。  個人企業、小規模企業、小規模事務所について等閑視できないことがある。  情報のバンドル化の可能性です。  そこに注目する。  そして、次のようなことを考える。  相当な技術開発活動をしていながらそれに対応すべきほどの知的財産管理部門を有していない小規模企業及び個人レベルで開業している事業者とそれらの代理人の情報を分析・集約し、それぞれの知的資産管理ニーズを満足させる情報を提供するための情報サービス事業を展開する。  資源保有国ではない日本の産業は特許、ノウハウ等の知的財産の蓄積、活用で世界と勝負しなければならない。  しかしながら、現実は大企業と大事務所間で膨大な受発注が行われることを通じて包括的知的財産管理による国際的権利化処理が行われており、小規模企業や個人事務所の入る余地は少ない。  さらに、個人レベルでは対処方法の煩雑さのため大企業等の後塵を拝することにもなる。  また、権利化処理のパワーについては大企業と大事務所の優位性を否定することができないのが実状だ。  しかも、小規模企業や個人は権利化手続きをすることにつき資金的にも要員的にも他の経営資源に優先すべきかどうかの判断に迷うところがあり、代理人としての個人事務所はそうした悩みを有する者の存在を把握していたとしても一業種一社の制約等から対応が難しい状況にある場合がある。  しかし、一方では地道に人的資源を活かしつつ的確に仕事に役立てている人や企業が少なからずあるのを忘れてはならない。  日本の小規模企業には特徴のある技術・技能で世界市場において高いシェアーを誇るものも多い。  ましてや昨今は、新規企業がベンチャーから発してグローバル企業となることも多い。  この風潮を先取りするために、地域に眠る優れた知的資産をバンドルして日本の知的資本を育成・構築でき るチャンスを逃さないようにしなければならない。  そこで、小規模企業と個人レベルの知財専門家間の情報流通を促進することにより、開発した技術やノウハウの蓄積・流通のお手伝いをするとともに、それらのうちの権利化可能案件は最適な専門家が処理できるように配慮し、それら専門家が一業種一社の制約や秘密管理上 の要請から来る同業種からの受任制限を受けることを少なくするようにしなければならないと考える。  そうすることにより、事業者側には適切な特許等知的財産権または営業秘密を含むノウハウが蓄積され、知的財産専門家側では適切な顧客を適量確保できるようになる。  そして、市場制圧しようとするスタンダード、例えば優位企業によるデファクトスタンダードによる事実上の市場支配やパテントプールによる参入排除には対抗できない個人や小規模経営者にも知的資産の蓄積・流通の機会が得られることにより対応できるようにしなければならないと考えます。当然、資格保持者の権益を侵さない範囲内で十分に配慮した事業展開をしなければならない。  本当の仕事  現在、日本経済の今後に期待できる可能性を生み出しているのは個人企業または小規模企業パワーである 。  日本の経済においては、その構造変革により資金豊富な大規模上場企業の開発投資の伸び率は鈍化し、技術開発型の個人企業または小規模企業の活力が期待されるところとなってきた。  しかし、それら企業は特化技術・ノウハウを有しながらその知的財産を保全し、当該 権利を有効に活用するための知的財産管理体制を万全にするまでには至っていない場合があるので、その研究・開 発投資を回収し、さらなる資本を形成する機会を逸失していることがあると言わざるを得ません。  たとえ計画的に組織だった研究・開発を行い、優れた発明・企画に基づく商品・技術・サービス開発は行ってはいるものがあっても、その特許等による権利化手続きやその権利主張手続き等は十分な内部的検討をする余地のないままに専門家に委任することになり、本来の権利化、権利行使及び他の権利への抵触対応ができす、かえって無駄な出費と労力を費やすだけになりがちでありる。   一方、資金・人材の豊富な大規模企業等は、競業者間の猛烈な訴訟合戦が増大するとともに規格主導とパテントプール体制における体系的権利化戦略により開発技術等に比しても過大な特許・スタンダードで新規参入を排除します。そこで、個人や小規模企業はむしろ独占的排他権にこだわらず、それぞれが個別に有するノウハウ・スキルを有効に活用するためにバンドルして相互利用することをもって対抗するべきであると考える。  そのためには、まず自らのノウハウ・スキルを蓄積し、流通させることができるようにしなければならない。  そして、権利化等を職業として受任する代理人業務が多くの専門家集団としてのいわゆる大事務所・著名事務所の知的財産管理業務の寡占となっており、その国際化指向に乗じて海外の同業者との取引き材料を広い範囲で手中にしているのに対して、個人事務所、小規模事務所はそれらの業務をする道を極端に狭くさせられているとも言える。  従って、個人、小規模企業及び個人事務所等はそれぞれのニーズに応えて、既存の権益を侵さず、侵されない範囲で双方を結びつけるために、結束してことに当たらなくてはならないと考える。  また、知的財産権に関する一定の業務が業としてできるのは弁理士または弁護士に限られているが、ともに極めて厳しい試験と研修を経ているにもかかわらず、見合った職を得るのが難しい状況にあるケースも見受けられる。  競争原理によるとはいうものの、折角の貴重な人的資源は有効に活用できるようにしたい。 以上につき、知財管理からコンテンツ流通への道を要約すると 1.理化学研究所のアルマイト発明工場を日本軽金属とヤマハ(日本楽器)の出資を得て企業化した「理研軽金属工業」 とその日本軽金属の系列会社のうち7社のアルミ建材部門を統合して設立された新会社「新日軽」において「理研軽金属工業」の企画部次長から「日本軽金属」特許室兼務「新日軽」初代特許課長として日軽金グループ企業の当該建材関連特許群をインテグ レートし、業界各社との間でアドバンテージを取りながら強力コンペ企業とは合従連衡し、以後の特許ライセンス及び係争を有利に展開する戦略を成功させた(1967年4月~1982年6月)。 2.独立系情報処理会社として日本で初めて上場したばかりの「CSK」(元コンピューターサービス、現SCSK)では知的財産センター部門長 として、システム開発の情報管理を特許に結び付け、ノウハウ管理を含めたソフト・ハードの知的資産化を遂行した。そして、ソフト技術の研究開発及び蓄積のための情報教育センター建設を遂行した(1982年~2000年3月)。ちなみに、CSKではその後、同グループのビジネスの柱として、これまでの情報システム系のアウトソーシングを越えてそれまで内部に抱えてきたコアでない業務やノウハウ銀行

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日本の個人企業や零細中小企業(以下小規模企業という)は世界に冠たる「知恵」、「ノウハウ」(以下「ノウハウ等」という)を持っていながら、その活用ができていないので、内外列強や大企業に市場を奪われ、ますますの資金難と後継者難の苦境に見舞われている。 そのために日本の産業は総合的に本来の力を発揮できないままで苦渋の道を歩んでいる。 この苦境を脱するためには、その小規模企業の有する「ノウハウ等」を集中して活用することが必要である。 そしてそうすることにより、次世代への遺産としての知的資本の構築とその投下によるさらなる「ノウハウ等」の再生産を図り「ゆたかな生活」のための「ゆたかな社会」に貢献することができる。 また、その「ノウハウ等」はお金を使わないでも取引等ができる特長がある。今、人々はお金を使って物を売ったり買ったりしている。
そして、物の売り買いには価値交換媒体として貨幣が使われる。 欲しい物とあげられる物が一致することはめったにないので交換の媒体として貨幣が使われているのである。 しかし、物はない無形財産は何ら形態を有しないので、貨幣のような取引媒体がなくても、観念だけで取引をすることができる。 人間の頭の中にある「ノウハウ等」は時と場所が致しなくても他人と交換することができるからである。 だから、本来「ノウハウ等」の交換等にわざわざお金を使う必要はない。 それなのに、物ではない「ノウハウ等」の無形財産も、物と同じように、すべてお金を払うのが当たり前のようにして取引されてしまっている。 そこで、資金難でお悩みの小規模企業の皆様にお金を使わないで「ノウハウ等」の交換等の取引等をすることを勧める 自分の「ノウハウ等」は特許権等の固定無形資産になっていない限りバランスシートの資産の部に載らないオフバランス知的無形財産で、お金を使わないでそれ自体を直接投資等の取引をすることができるからである。 そうすると、一般の資産はお金を使って取引等をしなければならないのに、オフバランスの「ノウハウ等」はお金を使わないで交換等の取引をすることができるので、その分だけ資金難を解消することができることになる。 以上、「ノウハウ等」の活用で次世代への遺産としての知的資本の構築とその投下によるさらなる「ノウハウ等」再生産ができることおよび自己の「ノウハウ等」の取引等はお金を使わないですることができることにより資金難等解消に役立つことができる。 そして、「ノウハウ等」の活用とそのお金を使わないで取引等ができることの内容を「ノウハウベース」に蓄積し、当事者間で「ノウハウ等」の交換・取引等の必要性があるばあいには、あくまでその取引等は各当事者においてなされることを前提として、「ノウハウエイジェンシー」にその仲介等の機能を持たせることとした。 そして、「ノウハウ銀行」にこれらの機能のすべてを合わせ有するするシステムを持たせることとした。 読者ターゲット 日本の小規模企業(個人企業や零細中小企業)経営者 スタートアップ企業経営者 これから事業を始める予定の者 コンサルタント 事業企画者 学生目次はじめに「ノウハウ等」を活かした人とのつながり共感によるコミュニケーション仲間と共有する「ノウハウ等」の内容共同創作による「ノウハウ等」の共有共同創作の伝承「ノウハウ等」の共創で「ゆたかな生活」仲間による開発の持続可能性共創によるサスティナビリティ「ノウハウ等」の活用活かせる「ノウハウ等」共同創作した「ノウハウ等」の活用「ノウハウ等」情報のコントロール更なる飛躍ノウハウベースの充実ノウハウエイジェンシーによる仲介シェアリングにより個人在庫を不要に定価値制サブスクリプションの導入
ミッション・ポッシブルノウハウ銀行おわりに2.プロフィール(必須)(500~1000文字程度) 静岡高校、高橋経済大学経済学部卒業 理化学研究所のアルマイト発明工場を日本軽金属とヤマハ(日本楽器)の出資で企業化した理研軽金属工業株式会社とその日本軽金属の系列会社のうち7社のアルミニウム建材部門を統合して設立された新会社新日軽において、理研軽金属の企画部次長から日本軽金属特許室兼務、新日軽初代特許課長として、日軽金グループ企業の当該建材関連特許をインテグレート。業界各社との間でアドバンテージを取りながら強力コンペ企業とは合従連衡し、以後の特許ライセンス及び係争を有利に展開する戦略を成功させた。 独立系情報処理会社として日本で初めて上場したばかりの株式会社CSK(現SCSK)で知的財産センター部門長として、システム開発の情報管理を特許に結びつけ、ノウハウ管理を含めたソフト・ハードの知的財産化を遂行。そしてソフト技術の研究開発及び蓄積のための情報教育センター建設を企画・実行した。 遊技機メーカーとして初の一部上場会社の株式会社平和で、公取委の勧告に基づく当業界パテントプール解散後の混乱したライセンス環境のなかで、個別交渉の正常化を委嘱され、業界内の適正なライセンス交渉体制を確立。ライセンス担当部長としてコンテンツを含む知的財産流通体制を構築した。 株式会社平和プラスを設立、同社代表取締役社長として平和グループの有するコンテンツの流通を統括した。莫大な軽費で購入していた超有名作家による有名キャラクターのコンテンツを自社制作のオリジナル作品から育成する方向に切り替えた。 著書「ノウハウライブラリー」(2018年、文芸社)「ノウハウサロンであいましょう」(2019年、幻冬舎)「ノウハウ活かしたレジリエンス」(2021年、文芸社)3.サンプル原稿3本(任意)①はじめに 産業上有用な無形資産であるインタンジブルズのうち人的資産である「ノウハウ等」は「ゆたかな生活」を実現する「ゆたかな社会」を築くために重要だ。 大企業等では、大発明を特許等の知的財産権等で保護して海外列強に対抗している。 しかし、零細・小規模・中小企業では大企業や列強にも勝る「ノウハウ等」を有しながら十分な活用がなされていない。 そこで、彼らの有する「ノウハウ等」の活用で次世代への遺産としての知的資本構築とその投下による新たな価値ある「ノウハウ等」の再生産で「ゆたかな生活」を築くことを提案する。 なかでもバランスシート上の資産にならないオフバランスの「ノウハウ等」はお金を使わないで投資等の取引ができるので、資金難にあえぐ小規模企業でも継続して商品やサービスの開発が可能となり、次世代への遺産としての知的資本を構築することができる。 そうすれば、優れた「ノウハウ等」を持っていながら資金難とそれゆえの後継者難にあえぐ小規模企業が次々と消滅していく事態を解消することができる。 そして、新型コロナウイルスによるパンデミックに対抗しうる力も蓄えることができる。 さらに、個人や仲間の「ノウハウ等」を活かしたエイジェンシー(仲介)によるシェアリング(共有)と「定価値制」を基準とするサブスクリプション(期間利用)によるレジリエンス(回復力)で百年に一度のパンデミックにもサスティナビリティ(持続可能性)を有する定常的「ノウハウ等」の共創について検討する。 また、「貨幣を介さない」取引もできることが資金難に悩む事業者への直接効果、さらにはナッジ(肩押し)効果となってサスティナビリティを向上させることとなる。 このようなことによる「ノウハウ等」のデータベースとしての「ノウハウベース」、「ノウハウエイジェンシー」の仲介機能により「ノウハウ銀行」システムに挑戦する。 「ノウハウ銀行」を上手く機能させるためには、コミュニティにおけるシェアリングシステム、「定額」制ではなく『定価値』制のサブスクリプションにも挑戦する。 しかし、事業者へのナッジ効果といっても、実際には孤立状態で資金難を乗り越えるのはなかなか難しいと思われる。 そこで、仲間同士なら、先物取引に際しても、元本相当の「ノウハウ等」の受け渡ししか行われない場合には何らの資産も形成されないので決済時にもオフバランスとなることから、個人や仲間の「ノウハウ等」を活かした一般の取引において、シェアリングやサブスクリプションでのサスティナビリティあるレジリエンスを発揮できることになると考える。 この場合、“元本相当の「ノウハウ等」の受け渡しか行われない”ということはすなわち、「ノウハウ等」自体を交換媒体とすることだったのだ。 すなわち仲間等との間で「信用」が担保されるので「貨幣を介さない」で取引ができることになる。 これはあくまでも「知恵」を媒体とする場合について端的に言っているのであって、その射程距離は「貨幣を介する」場合にまで及ぶものではない。 それでは「知恵」以外を含む場合ではどうであろうか。 一般にオフバランスではないものを含む場合は、原則として、「貨幣を介する」こととするとする。 しかし、「知恵」以外でもオフバランス部分を分離できる場合には、その部分だけを仲間等との間では「貨幣を介さない」で取引ができることになる。 したがって、その部分を含めて、仲間うちで「貨幣を介さない」での先物等の取引が可能となる。 そして、仲間内での「知恵」をシェアしての「定価値制」を基準とするサブスクリプション(期間利用)により長期にわたりサスティナビリティが可能となり、パンデミックスにもレジリエンス(回復力)を維持することができる。 すなわち「ノウハウ等」を活用するためにその情報を仲間内で共有することが重要な意味を持つ。 そのためには「ノウハウ等」の情報価値をともに創造をする場所が必要となる。 そこで、仲間同士でオープンなプラットフォームを使えるようにする。 自由に使えるが、使用には仲間の同意を必要とする。 ただし、非常事態の場合にはお互いに開示できることとする。 そして、パンデミック等が起きたときは、同意なしでも使用を許可する。 このようにすれば、共有し創作して蓄積した「ノウハウ等」を有効に活用できる。 共同して「ノウハウ等」を提供しあった仲間は各々相応の受益が得られることにする。②第1章の最初の1項目

「ノウハウ等」を活かした知的資本、およびその投下によって再生産される次世代への遺産としての「ゆたかな生活」のための「知恵」にについて考える。 日本の地域経済においては、中小企業、零細企業、町工場、家内工業のなかにはむしろ独自のきわめて特異性のあるノウハウを有する産業が生き続けている。 日本には大開発につながる優れた要素技術としてのノウハウがいっぱい詰まっている個人・零細企業が豊富に存在するにもかかわらず、それらが顕在化されることなく自身の内に眠ってしまい、使われることがないままに忘れ去られてしまうことが多い。 日本には日本人が本来的に持っている極意伝承の精神を生かす方法で要素技術を顕在化するほうが理にかなう。 そして、いくつもの同業小規模経営企業が競い合うことよりも「ノウハウ等」を集約して一本化を図ることである。 さらに、その「ノウハウ等」がバランスシートの資産とならないオフバランスとなりえることおよびそれらを創出する主体の範囲、時期、特質等について検討する。 我々が生き続けるためにどの要件をどの順序で優先させなければならないかを、それぞれが真剣に追及して実践し、その集大成で必要十分な結論を導かなければならない。 まず、個々人自らがコミュニティーとともにできることから変えるとともにそれを広げていかなければならない。 政策としての成長率、企業業績としての収益率をもって政権保持、経営評価獲得の目的としていては国民は「ゆたかな生活」など求め得べくもない。 貸借対照表に資産として載らないノウハウ等知的無形資産のうち「ノウハウ等」、特にオフバランスで「貨幣を介さない」取引等については資金繰りの心配なく取引ができるメリットがある。 金融業界では内輪で資金を回し、民間企業では株式価値最大化のため自己株買いのために資金をまわしていることも多い。 個人や一般家庭ではゆたかな生活がもっぱらお金だけだとされていることが多い。 今や、そうではなく、政財界も官民も、自らのミッションを全うすることで「ゆたかな生活」を求めることができることに気づかなければならない。 本来交換の媒体である貨幣をお金によってお金を増やそうとする蓄財の対象にしてしまっていることに気が付かず、当然の商売や金融取引だと思い込んでいることの弊害を改善しなければならない。 時期、特質等については歴史上、先達、故人、自然界、フィクション等についても考慮すべきである。 そして、本当の仲間とは何か、自分自身についてはどうなのかへの追究を進める。 さらに、世界に冠たる日本固有の「ノウハウ等」が消滅してしまう前に有効に活用して資金難や後継者難による撤退を回避し、「貨幣を使わない」取引とする『改善』で、格差のない「豊かな生活」を得ることを政官民共通のミッションとする。③その他自信があるもの1項目/①~③各2000文字程度) 私は「ノウハウ銀行」を商標登録しているが、「銀行」と称することについて銀行法上の制約があるので、現在のところあえてその標章の使用を控えてきた。 そして、「ノウハウエイジェンシー」の標章も商標登録してあるが、提案上は「業として」の機能を有しないものとして設定している。 なぜならば、銀行法に抵触するおそれを避けるためと、総務省と経済産業省が実現しようとしている「情報銀行」との関係があるものとされる誤解を避けるためである。 ここで、「情報銀行」とは、個人と個人とのデータ活用に関する契約等につき、個人が自らデータを蓄積、管理し、他者と自由に共有して活用する仕組等のシステムを活用して個人のデータを管理すると共に、個人の指示またはあらかじめ指定した条件に基づき個人に変わり妥当性を判断の上、データを第三者に提供する事業とされている。 たしかに、「情報銀行」と呼べば金融庁が許可を与えた金融業務をおこなう企業であるかのように思われがちだが、個人に変わり妥当性を判断し日本人が古来より育んできた「知恵」を活かすことにより次世代への遺産としての知的資本を構築し、「ゆたかな生活」のための「ゆたかな社会」にしていくための提案をしてきた。  そして、その「知恵」を活かした知的資本、およびその投下によって再生産される次世代への遺産としての「ゆたかな生活」のための「知恵」について考えてきた。 また、その「知恵」がバランスシートの資産とならないオフバランスとなりえることによるさまざまなメリットについても検討した。 我々は生き続けるための要件と優先させるべき順序を真剣に追及してそのための必要十分な結論を導きださなければならない。 まず、自分自身が仲間およびコミュニティーとともにできることから勇気をもって変え、それを広げていかなければならない。
政策としての成長率や企業業績としての収益率ばかりをもって政権維持、経営権獲得の目的としていては「ゆたかな社会」は得られない。 日本の地域経済においては、中小企業、零細企業、町工場、家内工業のなかにはむしろ独自のきわめて特異性のあるノウハウを有する産業が生き続けている。 日本には大開発につながる優れた要素技術としてのノウハウがいっぱい詰まっている個人や零細企業が豊富に存在するにもかかわらず、それらが顕在化されることなく自身の内に眠ってしまい、使われることがないままに忘れ去られてしまうことが多い。 日本では日本人が本来的に持っている極意伝承の精神を生かす方法で要素技術を活かすのが賢明である。 そして、いくつもの同業小規模経営企業が競い合うことよりも「知恵」を集めてノウハウを集約して一本化を図ることが必要である。 すなわち、「気付き」による「知恵」を皆でフル活用することである。 バランスシートに資産として載らない「知恵」、特にオフバランスの場合は「貨幣を介さない」取引等が可能なので、資金繰りの心配なく取引等ができるメリットがある。 しかし、金融業界では内輪で資金を回し、民間企業では株式価値最大化のため自己株買いのために資金をまわしていることも多い。 そして、個人や一般家庭ではゆたかな生活がもっぱらお金だけだとされていることが多い。 今や、そうではなく、政財界も官民も、自らのミッションを全うすることで「ゆたかな生活」を求めることができることに気づかなければならない。 本来交換の媒体である貨幣をお金によってお金を増やそうとする蓄財の対象にしてしまっていることに気が付かず、当然の商売や金融取引だと思い込んでいることの弊害を改善しなければならない。 このままでは次世代への遺産としての知的資本蓄積はままならず、「ゆたかな生活」は実現されない。 そのために、「知恵」を「貨幣を介さない」で取引等することについて検討した。 そして、もう変えることができない他人を変えるという改革より、自分および仲間同士の当事者による「知恵」の「貨幣を介さない」取引で家庭や仲間レベルで改善可能に変えていく「知恵」を働かせるのが肝要である。 仲間同士の取引に際して「知恵」の受け渡ししか行われない場合にはオフバランスで「貨幣を介さない」取引となる。 この場合、「知恵」を含んだオンバランス資産ならそのうちのオフバランスを分離した取引等により、将来にわたって「貨幣を介さない」で「知恵」の蓄積を可能とすることもできる。  そして、人間の「知恵」から発するオフバランスの「見えない資産」が次世代への遺産として蓄積される。 それが知的資本として構築され、投下されて更なる「知恵」の再生産がされる。 これを実現するためには、「知恵」を「貨幣を使わない」取引とする『改善』で有効に活用して資金難や後継者難による撤退を回避し、格差のない生活を得ることを政管財民共通のミッションとしていかなければならない。 主体としては海外列強、大企業、中小企業、地域、コミュニティの団体等をはじめとして仲間、親族、家族、個人等の全体を対象として考える必要がある。 時期、特質等については歴史上、先達、故人、自然界、フィクション等についても考慮すべきである。 そして、本当の仲間とは何か、自分自身についてはどうなのかへの追究を進める。 さらに、世界に冠たる日本固有の「知恵」が消滅してしまう前に有効に活用して資金難や後継者難による撤退を回避し、「貨幣を使わない」取引とする『改善』で、格差のない「豊かな生活」を得ることを政管民共通のミッションとすべきである。ノウハウ信託についてなお、「ノウハウ信託」については、信託された「ノウハウ等」が金銭であること等が前提になる。 「ノウハウ等」は金銭等の財産ではないし、それがオフバランスの場合は資産にもならない。 したがって、「ノウハウ等」の信託は信託法上の信託とは異なることになる。 特にオフバランスの「ノウハウ等」は、たとえ信託したとしても信託法上の「信託」にはあたらない。 政・官・財・民がそれぞれのミッション志向のアプローチををするとともにそれぞれに共通するミッションを持ち、その機能を果たさなければならない。 企業と政府が力を合わせ、公共企業は民間企業と協力して社会の目標を達成しなければならない。 簡単に官民共働といっても本来、社会の主体は民間であり、そのうち最も重要なのは庶民である。 企業には庶民が生活の糧を得るために働き、その企業が財界を構成している。 行政は庶民と彼らが働く企業が構成する民間の機能を全うさせるべき使命を有している。 政府はこれらすべてが合理的に機能するように政治・経済上の奉仕をする責任を国民に対して担っている。 このためには「ゆたかな社会」のためのミッション志向が重要であることは勿論のこと、それは庶民の「ゆたかな生活」が約束されてはじめて達成できるものであると言える。 したがって、政・官・財・民の全てにわたって「ゆたかな生活」が共通ミッションであると言える。 そのためには、政治家といえども官僚といえども、財界人といえども、それらに属するすべての個人が一人の庶民であることを忘れてはならない。 総理大臣といえども、家庭では子育てに奔走する良き父親であり母親であるとともに、家庭においても社会においても「ゆたかな生活」を求める社会人の一人であることに変わりはないのである。 今までの規制緩和に伴って金融化が進み、集団の絆より個人の利益が優先される社会とはなったが、この傾向は決して「ゆたかな社会」に向かうものではなくむしろ「ゆたかな生活」を失う方向ではなかったのではなかろうか。 格好づけた改革を求めること無く、個人としてのそれぞれが庶民であるとの認識のもとで変えられることは目の前の出来ることから勇気をもって挑戦するような日々の改善こその重要性に気づくべきではなかろうか。 当たり前の日々の「気付き」による「知恵」を活かすことこそ次世代への遺産としての知的資本を蓄えることの基本である。 大発明といえどもその実現には日々の生活上の原則的工夫や「気付き」を忘れては何の意味もなくなる。 「マッチ一本火事のもと」を忘れると、チェルノブイリや福島原発の大惨事につながる。 国家的大事業の遂行も、基本コンセプトを忘れた権力志向ではことはならず、立場や地位、さらには出世主義に犯された現場での「マッチ一本」が何たるかを忘れてはすることができない。 普段の生活の「知恵」を忠実に守らない大発明はあり得ないし、その大発明も「マッチ一本大火事のもと」になることを忘れてはまったく意味がない。
そうならないためには民間部門の発明にも公共部門の発明にも庶民の参加がなされなくてはならない。 たとえば、2015年SDGsが採択されるや、市民団体の活動が盛り上がり、多くの人がそれぞれの意見を表明するようになった。 そうして国連はそれらの意見をまとめて報告書をだし、市民参加によって、社会がミッションの目標を自分のこととして捉えるようになった。 このようになれば、閣僚や官僚の任期を越えてミッションは長く生き残れる。 また、脱炭素化問題にしても政府の掛け声だけでは何ともならない。
低炭素社会への移行についても、再生可能エネルギー、脱炭素車等のあらゆる分野での開発が必要となる。 庶民、都市、地域国、世界それぞれのレベルで持つ異なった側面を捉え、どこへ向かうかを論議の中心としていかなければならない。 現実の生活の中で全てに当てはまる課題はそう簡単には見つけ出し得ない。 私は、あらゆる階層・分野での共通ミッションとして誰でもが頭の中に持っている「知恵」、すなわち「ノウハウ」の取引等による庶民に近い層に焦点を充てて日々の生活上の原則的工夫や「気付き」から創成される「知恵」を拾い上げてレベルに応じた活用をすべきとした。 そして、すべての層の中で最も大きく経済的差別化がされている庶民層の救済を図る。 そこで、一つには、対象を当たり前の日々の「気付き」による「知恵」を活かすことに絞り込む。 すなわち、自我を表出するのみの「知識」(ハウツー)ではなく、自己本来及び「仲間」を含む「ミッション」に組み込まれる『知恵』(ノウハウ)を生かして生き残りを図ることが重要である。 今ひとつは、それら「ノウハウ」等の「知恵」が「貨幣を介さない」で取引等が可能であることを生かすことである。 すなわち、対象を「知恵」にしぼり込んで「お金を使わない」取引等によって庶民、零細企業、小規模企業等の資金難を救済することに留意してミッション志向での「ゆたかな生活」を求めることにした。 結局、今後の日本経済を救済するためには、経済のベースを支える中小企業以下に本来有する底力を発揮させるべき段階であることを各階層に属する各人が理解してそれぞれの階層におけるミッションとして生き返りを図ることこそ喫緊の課題である。 そして、目指すべき「ゆたかな社会」は単なる「規模拡大」や「金儲け」によるものではなく、個人にしても企業にしても「仲間とともに」、「コミュニティ一体として」ともに生き残れる『ゆたかな生活』に基づくものである。成長、バブル後日本の凋落については由々しき問題ではあるが、私はその責任を政府・行政や財界等のみに取らせるのではなく、私達が自らを変えることから始めなければならないと考える。 例えば、今回のパンデミックによって思い知らされた物流の基本についは、その基本の間違いを改善していかなければならない。 脱炭素化についても個人個人が自ら本当の問題点に気づかない限り永遠に解決はない。
再生エネルギー急拡大で発電した電気を使い切れなくなっているため、送配電会社が再生可能エネルギーの受け入れを一時停止する「出力制御」を行う動きが増えている。 再生エネルギーによる電気が売れなくなると当該事業者の経営が悪化し、再生エネルギーの普及に支障を生ずるという懸念もある。 我々が生き続けるためにどの要件をどの順序で優先させなければならないかを、それぞれが真剣に追及して実践し、その集大成で必要十分な結論を導かなければならない。 脱炭素化取引については政官や企業社会だけの問題なのではなく、民間人を含むそれぞれの覚悟によらなければ正解は得られない。 まず、個々人自らがコミュニティとともにできることから変えるとともにそれを広げていかなければならない。
政策としての成長率、企業業績としての収益率をもって政権保持、経営評価獲得の目的としていては国民の「ゆたかな生活」など求め得べくもない それよりも、アズ・ナンバーワンとも言われた虚構の幻想再現を夢想して断末魔のあがきを繰り返す愚は避けなければならない。 今、ガレージハウスから始まって、既存の大企業をしのぐいわゆるGAFAMが破竹の勢い世界を席巻している。 しかし、日本ではその国状の閉鎖性から独自の発展形態をとることができず、それらへの追従以上のレベルの戦略をとることはできていない。 ところが、日本の地域経済においては、中小企業、零細企業、町工場、家内工業のなかにはむしろ独自のきわめて特異性のあるノウハウを有する産業が生き続けている。 アメリカの投資家が将来性のある優秀な起業家を求めて躍起となり、起業家は満を持してそれを待つ場合が多いのに比べて、日本の場合はベンチャーキャピタルがベンチャービジネスを探してくれるのを待つ態様が多い。 アメリカでは開発精神に満ちた企業家に対してはパイオニアスピリッツに富む投資家が応ずることにより新規事業が起こってくる。これに対して日本では閉鎖社会のなかで育まれた固有の知恵と技が珍重される気風があり、結果として識者が気付いて拾い上げるという構造になっている。 従って、日本には大開発につながる優れた要素技術としての「知恵」すなわち「ノウハウ」がいっぱい詰まっている個人・零細企業が豊富に存在するにもかかわらず、それらの「知恵」が顕在化されることなくみずからの内に眠ってしまい、使われることがないままに忘れ去られてしまうことが多い。 その結果日本の出資家は折角の出資のチャンスを失うことになる。 日本人にはパイオニアスピリッツに類する精神構造は望むべくもない。それなら、下手なアメリカ追従はやめて、日本人が本来的に持っている極意伝承の精神を生かす方法で要素技術を顕在化するほうが理にかなう。 そして、いくつもの同業小規模経営企業が競い合うことよりも{知恵」を集めてノウハウを集約して一本化を図ることである。 ノウハウ、すなわち気付きによる「知恵」の活用である。 まさに自ら変える人生を歩むことである。 新型コロナウィルスの猛威によるパンデミックを主なる原因として経済状況や生活環境が厳しくなる家庭も増大している。 この対策としてコミュニティ支援が必要と言われる論者も多い。 しかし、福沢諭吉のように地方議会開設提言、為替相場の安定化につながる横浜正金銀行設立等の偉業をなし得る社会事業家はそう滅多に現れるものではない。 われわれは今こそコミュニティ内での「気付き」合い、「知恵」の共創、「ノウハウ」の共有・活用で「仲間の知恵」を拡大させて関連団体や自治体、行政官僚に社会的インパクトを与え、弱者支援の重要性を訴えて行かなくてはならない。 そして自らもお金が無くて解決できないこと、人手が無くて実行できないことに対して、大袈裟な改革ではなく、変えられることだけでも勇気をもって変えてゆく改善をしていくべきである。 たとえば、「貨幣を介しない」で可能な取引を生活の一部からでも良いので実行していくべきである。 すなわち、貸借対照表に資産として載らないノウハウ等知的無形資産のうち「知恵」、特にオフバランスで「貨幣を介さない」取引等については資金繰りの心配なく取引ができるメリットがある。 また、民間には本当の意味での弱者が存在することも事実である。 この場合、社会の構造的歪みによってこれらの人々が救済されないからといって直ちに改革を云々するのは早計である。 無理に直すと問題が大きいことはひとまず受け入れて、変えることができることに勇気をもって挑戦することによる改善を推し進めることだ。 そこで、たとえば、一般家庭や仲間同士での少ない手元資金で取引ができる先物等についての可能性について考えてみる。 先物等でも仲間同士の取引に際して元本相当の「知恵」の受け渡ししか行われない場合にはもともと何らの資産も形成されないので決済時にもオフバランスとなる。 したがって、オフバランスの「知恵」については現在の取引だけではなく将来の取引についても貨幣を介さないで行うことができることになる。 ところで、金融業界では内輪で資金を回し、民間企業では株式価値最大化のため自己株買いのために資金をまわしていることも多い。 個人や一般家庭でもゆたかな生活がもっぱらお金だけだとされていることが多い。 今や、そうではなく、政財界も官民も、自らのミッションを全うすることで「ゆたかな生活」を求めることができることに気づかなければならない。 本来交換の媒体である貨幣をお金によってお金を増やそうとする蓄財の対象にしてしまっていることに気が付かず、当然の商売や金融取引だと思い込んでいることの弊害を改善しなければならない。 このままでは次世代への遺産としての知的資本蓄積はままならない。そこで、「知恵」の「貨幣を介さない」取引について追求する。 そのためには他人を変えるという改革より、自分および仲間同士の当事者による「知恵」の先物取引でも家庭や仲間レベルで改善可能になるように「知恵」を働かせる。 仲間同士の取引に際して「知恵」の受け渡ししか行われない場合にはオフバランスで「貨幣を介さない」取引となる。 この場合、「知恵」を含んだオンバランス資産ならオフバランスの先物取引等で将来にわたって「貨幣を介さない」で「知恵」の蓄積を可能とすることも可能となる。  人間の「知恵」から発するオフバランスの「見えない資産」が次世代への遺産として蓄積される。 それが知的資本として構築され、投下されて更なる「知恵」の再生産がされる。 そして、パンデミック等へのレジリエンスとして常時蓄積され得る。 そして、広く環境・社会・経済の観点からこの世の中を持続可能にしていくサスティナビリティーに貢献する。 さらに、ESGの非財産情報では仲間間での「知恵」取引等の処理結果の応用において社会問題において「豊かな生活」への貢献をすることができる。 社会問題については、高齢者、認知症、介護、団塊世代等についても次世代への遺産としての「知恵」の活用が可能である。そこで私は自ら変える人生について考えた。  家族により生を受け、家庭で育ちながら先達の魂を引継ぎ、自らの人生を築く。 そして、次世代への「知恵」の遺産を残す。 そうなると、もう先達の偉業への評価や次世代への口出しは無用だ。 新たなプラスの人生では自分を変えることによって、生きがいを見つけていかなければならない。 この場合でも先達の偉業や新たな仲間の「知恵」はフルに活用すべきだ。 でも生きがいを見つけるのは自分自身だ。 そのためには他人を変えることはできない。 許されるのは自分を変えることだ。 これからは、せっかくいただいた私のプラス人生を自ら変えることで満喫していきたいと思う。 ところで、私は1942年6月5日、ミッドウェー海戦の日の生まれなのでちょうど満八十歳になる。 今、新型コロナによるパンデミックで世界はたいへんなことになっている。 幸い、先の大戦以後の種々の困難を乗り越えて何とか生き延びて来たが、人生はこれからだと思っている。 ウィルスに感染しないためには何よりもはねのける体力を保持しておくのが大切だ。 毎日の食事と運動で糖尿病を克服した実績があるのでなおさらそう思う。 でも、今でも毎日、ストレッチ、筋トレ、体幹、ダンパー、等の基礎運動と1日3万歩前後のウオーキングを欠かさない。 そして、何よりも大事なことは、恐れずに挑戦する気持ちを持ち続けることだと思っている。 今でも朝一番の電車に乗って仕事場への通勤を続けている。 そして、読書のために都内10数軒の図書館に通い1件あたり20冊前後の専門書を借りたり返却したりするためにリュックに詰めて家との往復を繰り返している。 相当重いが、電車以外はタクシーもバスも利用しないですべて徒歩か自転車だ。 経済的理由もさることながら、もっぱら健康上好ましいからだ。考えるところあって老人パスは一切使っていない。 高齢の登山家が足首に鉄の錘を付けて鍛練しているニュースがあったが、それと同じ効果も狙い目だ。 ただし、気を付けないと猫背障害を助長しがちなので整骨院のアシストを受けながら毎日3回の自主トレーニングに励んでいる。 今までも、膝の皿骨粉砕障害や労災事故で踵から下脚の靭帯切れと内部骨折で歩けなくなったことがあったが、しばらく治療が進んでもなかなか全快しなかった。 そんなときの医者のひと言、
「痛くても無理して歩きなさい。歩けば周辺の筋肉が成長して、障害部分をサポートするので痛さが和らぐ。人の体は常に痛いところをお互いに保護しあってどうやら堪えている。それに自分の体が気づかないだけだ。」 それ以来、その言葉を信じて守っている。 ほとんどの障害はクリアされている。 また、かなり以前のことだが、群馬県の桐生市の社宅に単身赴任していた時、夜中に突然ものすごい耳鳴りと厳しい頭痛を伴って耳が聞こえなくなった。 社宅近くの産業医に飛び込んだが、あいにく外科だった。 でも先生は、 「この病気は原因は不明だが治療法は解っている。」 としてマニュアルを見ながら応急処置をしてくれ、それら数日間の継続治療をしてくれた。 一応回復し、その後東京勤務になったので、上野の町医者に通った。 ベテランの老町医者曰く 「物凄い耳鳴りはしなかったか。人間の耳には本来耳鳴りが備え付いている。それでは聞こえないので脳がそれをシャットアウトしている。それで人は自分には耳鳴りがしないのが当たり前と思っているだけだ。内耳から脳に障害があると当然もともとあった耳鳴りが戻ってきて聴力に障害が生ずる。」 それから1年ほど経って、出張帰りの飛行機から降りたとき、左耳の聞こえが悪くなりなかなか治らなかった。 耳抜きができにくくなることはよくあるのでたいしたことはないと思って、出張後の仕事に忙殺されていた。 1週間以上たってもよくならないので、会社のある六本木ヒルズの耳鼻科に行ったところ、 「突発性難聴で、もう当医院の手にはおえない。医師と設備の整っている病で検査を受けるように。」 と言ってトップレベルの総合病院への紹介状を出してくれた。 そちらの病院の専門医曰く 「再発の突発性難聴であることに気がつかず、直ちに専門医にかからなかったことによる治療遅れで失った聴力は回復不可能だ。」 突発性難聴は内耳疾患なので脳内に障害を生じ、直ちに専門医に手当てしてもらわないと回復できないとは訊いていたが2度目がくるとは思ってもいなかった。 再発でも手当が遅れれば回復できないことに変わりはないとのことだった。 また、紹介を得て検索と診断に通うようになった一流総合病院のドクターは 「うちでは治療はしないのだが、なぜ検査と診断が必要かというと、もう一方の耳が聞こえなくなってはたいへんだから。その場合にはすかさず手術等に回すためだ。」 以上のことから学べることは、 人間の体は常に痛いのだ。 人間の耳には常に耳鳴りがしているのだ。 ただ、脳がそれらをシャットアウトしているので人はいつもは「痛み」や「耳鳴り」が無いのが当然と思っているだけだということだ。 すなわち、なんらかの障害が生じたと思っていることは、本来その障害がある状態が定常であるけれどもある状態を維持するために隠されていたものが状況の変化によって顕在化しただけだ。 それを障害が生じたと言っているだけということもおうおうにしてある。 自然界で生き残っているということはたまたまその環境条件に適合し続けることができているにすぎないということが解る。 また最近のことだが、ある私鉄線駅ホームで次の電車待ちの行列に並んでいたときのことだった。 始発の4両連結でしかない普通電車だったので指定ライン上に大勢の人々が長い列をつくっていた。 電車が到着したので順次乗車を始めた。 ちょうど私が乗れる段になったところで、横から若い女性が割り込んできたので右手を前に出して制止のポーズをとった。 電車内でしばらく睨みつけてきたので無視して目的地の駅で降りたら件の女性も一緒に降りてきて、駅員室に来いという。 言いがかりだと思ったがそのやり取りを知った駅員に従って駅員室に入った。 駅員が警察が来るまでちょっと待ってくれというのでしばらく待っていると、数人の警察官がやって来た。 刑事と名乗る警官が私に 「件の女性は腹をぶたれて痛いと言っているそうだ。妊娠していたら大変なことになる。」 別の警官が
「今、被害者は別の所で被害の実情を申告しているので加害者はちょっと待つように」
私は加害者になってしまっているようだ。 先の刑事は
「もし、その嫌疑がかけられれば、私はあなたに手錠をかけなければならない。」 女性は別の警察官等に囲まれていろいろ事情の聴取を受けているようだったが、私は、晴天の霹靂で、よくある痴漢の虚偽申告のようなものではないか、制止するために右手を前に出したがその腕に相手が接触して、被服にさわったの感触があった事実を説明した。 その間、荷物の検査と身分証のチェックを受けた。  私はリュックを開けて内容を見せた。 刑事と警官たちは、印鑑と除菌剤瓶を除いては法律関係の専門書がいっぱい詰まっているのを見て、驚いた様子だった。 しばらくして刑事が 「もし間違って手錠をかけられるようなことになれば、家族や仕事の関係者にも大変な迷惑をかけることになる。いまの時代はちょっとしたことを理由に欺かれて加害者とされてしまうことが多いので、割り込み乗車程度には干渉しないようにしたほうがよい。」といって、解放してくれた。 私は、理由はともかく多忙な方々に余分な時間と労力を費やさせてしまったことを詫びて予約してあった図書館に向かった。 冤罪については、偽証に基づくものが刑事もの、裁判ものの事例でかなりあるが、一度起訴されてしまうと取り返しがつかないことはよく知られている。 まさに李下に冠を正さずである。 人間世界では一つの正義に従うだけでは済まされず、各々別の正義がぶつかり合い、混乱を生じさせる場合がかなりあるので、その対処についても冷静さを失わないことが肝心との「気付き」を得、「知恵」を得た。 警察官との関係では、かつて次のような経験をした。 自転車で車道の左端を走っていた時、自転車と共に突然空中に放り出され、車道のアスファルトに叩きつけられた。 私は何のことやらわからず、這いずって歩道にたどり着いた。 見ると自転車はぺしゃんこに潰れており、近くにバイクが止まっていた。 何のことやらわからずしばらく呆然としていると通りがかりの人が近づいてきて 「大丈夫ですか?お怪我はありませんか?救急車を呼びましょうか?」と言ってくれたのを聞いて、初めて交通事故にあったらしいことに感づいた。 しばらくすると、パトカーがやってきて、警官からいろいろ質問を受けた。 「通行人の証言によると、バイクの女性が私の自転車をはねたが自分は青信号で進行していたと言っている。あなたは信号が赤に変わるにも関わらす進行していたのではないか。」というので、 「いえ私は青信号で進行していた。」と答えたが、あくまで、警官はたまたま反対側の歩道を歩いていた老人が歩行者用の信号が青点滅していたのを見たという証言から時間との関係を言って私に非があるとする。 警官は私が歩道の信号が赤になるのに渡ったと信じて譲らないそして、 「バイクも前部が傷んでいるので、賠償責任はあなたにある。請求があったら支払え。応じないのならばここで事件にする。」 バイクの前部が傷ついているのなら後ろから自転車に追突したのだし、信号がどうであったかについてはこちらにも十分言い分があったが、これ以上騒ぎを大きくしたくないので、仕方なくその警官の判定に従うことにした。 バイクにはねられて全壊した自転車を乗せてくれるタクシーはないし、警官は自分で片付けろという。 びくとも動かない壊れた自転車を夜間の小一時間ズルズル引きずって何とか自転車屋を探して自腹で処分し、後から出てくる痛さに耐えて電車に乗って帰ったが、警官のアドバイスに従って病院の治療費を事故扱いでなく自費で支払うことになった。 理不尽だと思ったが、大型トラックが行きかう国道の交差する地点であったので、件の警官の 「ここらでトラックにはねられた事故では自転車側はほとんど死亡している。命があっただけでも幸いだ。」との言葉にはまさに命が縮まる思いがした。 事件の瞬間の歩行者用信号と車両用信号の関係は、道路交通法については詳しくなく、しかも実際に経過を見守っていたわけではない通行人の証言でそう判断した警官の処分が妥当であるかどうかはさておいて、事故に遭ったのも、命が助かったのも、これは私自身の問題だと思った。

 

警察との関係では次のような経験もある。 ある金融機関からキャッシングの通知が来た。それによると約三カ月ほど前に何回かに分けて数十万円のキャッシングがなされていた 。 孫の成人祝い用にひそかに貯め込んでいた虎の子だった。 誰かに頼んだことも自分で処理した覚えもないので金融機関に問い合わせてみると、そのとおりに引き出されているとのこと。 記録によると紛失した映画のポイントカードにキャッシング機能がついていたようで、カードを手に入れた者が該当月に可能だった現金を引き出したものだとわかった。  しょっちゅう映画の予約及び発券時ポイント割引に利用するためにシネコン管理会社に勧められて30年近く前から常時携帯していたもので、他の機能があるとは夢に思ったことはなかった。 銀行カードや信販カード紛失の怖さについては痛いほど身に積まされていたが、商店のポイントカードではそこまでの意識はなかった。 警察は 「もし盗難されたカードで他人によりキャッシングされたとしても、物としてのカードの窃盗とATMからの現金の窃盗では対象物が異なるので現金についての被害届は当該金融会社からのものしか受理できない。あなたから申請があったので物としてのカード即ち財布については手配しているが、キャッシング即ち現金についてまでは干渉できない」という。 金融会社は 「本来、当社は当人のカードからのキャッシングについては免責だが、どこのATMでいつ使用されたかについてだけは調べることはできる。しかしそれ以上については警察に干渉することになるのでできない」とする。 結論として、財布を失って他人にキャッシングされた場合、現金の窃盗を受けたのは実際には金銭的損害を被っていない金融会社となる。 損害を被ったのはカードの所有者で自分の預金から現金を引き出された者だが、この場合そのカード所有者は保障されない。 財物についてのみ判断される法のもとではこうなる。 現金とは別財物とされるがカードについては逸失届が出されていて、警察はその行方を捜索してはくれるが、ATMから引き出された現金についてはそれを失なったのは金融機関なのでそちらから捜索依頼がない限り手が出せない。 価値を失ったカード所有者については考慮の外だという状況においては本当の財産、資産を伝承できない。 金融会社からATMの監視カメラの映像を提供して捜査を依頼すれば警察も動かざるを得ないだろうが、3カ月以上も過ぎてしまった状態で多忙な警察に相当な負担をかけさせる多人数の捜査員を使っての長期間の捜査を依頼することはできないだろう。 そもそも金融会社は何の損害も被っていないのでそのようなプラクティスはないとのことで、私からの要求の引き出された3か所のATMを開示するだけでも社内の反対を押し切ってようやく承認が取れたほどだったという。 警察も、もし捜査願いが出されたら対応しなければならないだろうが、該当法を駆使しても問題解決した実績はないので、無駄な税金使用は避けなければならないということだった。 なお、偽造カード、盗難カードの預貯金者の保護については、平成18年施行の法律により、故意・重過失のない個人預貯金者には条件つきで保護がされるようにはなった。 しかし、クレジットカードは不適用なので、事実上保護はされないことになる。 一見、法的には保護されているように見えても、現実には対処不可能なケースは多い。 以上の事例からは世の中は常識で考えられる以上の必然に支配されていることに気付く。 日常、世間の人々が理解していると思われていることは、その底には、普段の生活では気づくことができない真実がとうとうと流れていて、その中のほんの一瞬がいわゆる常識乗レベルの「知」として現出しているに過ぎないということだ。 人の心にある、倫理観念、正義感、生活上の常識等も人間世界では一つの正義に従うだけでは済まされず、各々別の正義がぶつかり合い、混乱を生じさせる場合がかなりあるので、まさに「知恵」の根源に立ち返ることが肝要だ。 まさに自らを変えることである。 自分の良心に従って行動すれば必ず報われるかと言えば必ずしもそうではない。 すべて自己の属するコミュニティを含め自然界で生き残っているということはたまたまその環境条件に適合し続けることができているにすぎないことになるし、人間世界では一つの正義に従うだけでは済まされず、各々別の正義がぶつかり合い、混乱を生じさせる場合がかなりあるので、自己の「知恵」とコミュニティ内で共創する「仲間の知恵」を最大限活かすことが必要となる。私は変えて育てるプラスの人生について次のように考えた。 自分を変えることで新たな世界が見えてくる。 今まではたとえ仲間でもプロやベテランには彼らの守備範囲については聞けなかったことが多かった。 日々扱っている「知識」活用についての手立てを恥を忍んで彼らに話し、違う観点での解決方法への「知恵」を求めることとした。 そこで、単なる「知恵」だけではなく、「金」への「知恵」についても造詣の深い仲間の活用方法へのコンタクトを開始した。 第二の人生ではノウハウ活用で知的資本の構築について追究した。 そして、パンディミッック等からの回復についても考えた。 その場合、特に貸借対照表に載らず「貨幣を介さない」オフバランス取引での改善について提案した。 同じオフバランスでもデリバティブ、すなわち先物やオプション、スワップのような原資産から派生した金融商品の取引への警告もした。 サブプライムローンに端を発したリーマンショックへの恐怖を思い起こしてもらうためである。 その根源は米国で高騰することを前提とした低所得者層向け住宅ローンの証券化に端を発する。 予想外の価格変動で、証券化したローンが返済不可能となったことで金融全体に不況が蔓延したのだった。 たとえば債務を証券化してオフバランスとした場合、確かにその期ではバランスシートには載らない。 しかし、資産・債務隠しの場合には決済時には貸借対照表に掲載されるのでオフバランスではなくなる。 つまりそのレベルのオフバランスは決済時にはオンバランスとなり「貨幣を介する」こととなる。 これらの点にも注意して運用するための「知恵」も共有していかなければならない。 一般家庭における衣食住にも「知恵」を働かさなければならないことは多い。 家庭の経済生活を脅かすことにならないように仲間の「知恵」を活かしていかなければならない。 先物等の取引等が決済時にもオンバランスとならないよう庶民の家計に役立つことを考える。 この分野では金融商品等のデリバティブそのものは家庭とは異なる世界のものではあるが、その根源たる基本的考え方に詳しい証券会社等を退職したベテランの仲間やその友人達の「知恵」も拝借することにした。  そして、私は自分の趣味を見直してみた。 蓼科高原を飛び回った蝶収集は遠い昔のことになったし、学校に行くのも忘れて夢中になった鉄道模型もジオラマともども放置され、忘れ去られた。 アンドレス・セゴビアにあこがれ、すべてのLPアルバムを購入して勉強したが足元に及ばなかったクラシックギターについても、方向転換してフラメンコギターで一世を風靡した故パコ・デ・ルシアを追っかけてみる。 フラメンコにクラシックを加味した特異な天才的奏法に魅力を感じた。 とにかくカッコいい。 これを徹底的に自分流にマスターすることとした。 孫の結婚式に間に合わせるのを第一の目標とする。 息子の仕事成就の祝賀会を第二の目標とする。 次に私は「知恵」の活用をまず、自分で実行することとした。
第二の人生で「知恵」を活用することの仲介とコンサルティングの準備はできた。 しかし、まずは自分で実行しなければならない。 知人の元中小企業経営者、元金融業者、元町工場主を仲間に入れることとした。 一対一、一対多、多対多で仲間の「知恵」の交換会を行った。 仲間のコミュニティーでは「知恵」を活かして持続能な開発の仕組みを作ることを提案・企画した。 これをもとに第4冊目以降の著作にまとめることとした。
自分たちで始め、コミュニティーに広めなけれれば誰もやってくれないことを強調する。 第一の人生で自分を生み育ててくれた方々。 第二の人生で自分と共に戦ってくれた方々。 もうすでにこの世に存在していない方々。 別の世界で自由に生きようとしている方々。 自分はこの方々を自分の都合の良いように変えることはできない。 できるのは自分が変わることだ。 すべては自分の変わり方によって、良くも悪くもなる。 自分のプラスの人生が楽しい結果になるよう方向づける。 そして、「ゆたかな生活」に結び付くよう努力する。 日露戦争時代からの大伯父の精神、 享年106まで健康寿命を維持した父の心いき、 叔母が私だけに母方の家系の靈を守ることを願った真意、 これら真意を理解し、実行につなげてプラス人生の自分を変えていく。 こうした方々の「知恵」を引き継ぎ、仲間と共に新しい「知恵」を活かす。 そして、さらに考えを発展させ末永く「いのち」をつないでいく。 今までは経営者として、そして仲間としての「知恵」の活用について述べてきたが、ここに個人としての自分自身はどうすべきかを考えるに至った。 自分自身であるから他人と共同ではない場合についての「知恵」の活用をどうすべきかである。 時間的にも距離的にも離れた間柄でも、相互に人間的態度を意識することによって、自他を共感的に同一視でき、その「知恵」を共有し、共創することができる。 「裸足の鉄人」アベベやアフガニスタンにおける「灌漑工事」の中村医師の例にもあるように、一見「知恵」の共創にはあたらないように見えるケースでも、時間や距離に関係なく、共感しあう間柄においてはいわゆる「仲間」以上に「本当の仲間」がありえると言うことができる。 当然こうして自らのものとして得られた「知恵」は無償であり、「貨幣を介さない」で取引し、交換することができる。 しかし、それを有償で入手した場合や著作権等知的財産権としてオンバランス資産となっている場合は別である。 したがって、オフバランスの場合はあえてお金を使って取引する必要はなく、オフバランスとはなりえない通常の資産のときはお金で決済すればよいことになる。 自分自身での「知恵」の取引等においてもオフバランスの「知恵」の場合のみお金を使わないで決済でき、通常の場合は普通にお金で決済すればよい第二の人生では「ノウハウ」すなわち「知恵」を中心に、次世代への遺産としての知的資本の構築について提案した。 プラスの人生では個人、家族、家庭、仲間の間では制約されることのない自由な生き方を追求することとした。 そのためにも第二の人生で提案をした内容をプラスの人生での生き方の基盤とする。 私自身の生き方を家族・家庭と仲間の中でどのように反映するかを考える。 もともと母親から生まれたときはひとりであった。 そしてまず父・母との間に家族を構成したのだからそこが社会への原点である。 したがって、そこでの生き方を考えるのが基本となる。 しかし、その関係継続を十分に全うしたならば、その後は自分自身の問題に戻る。 つまり生まれたままのひとりになる。 そして新たな人間関係を作る。 前からの家族・家庭・仲間に加えて、 新しい家族 新しい家庭 新しい友達 新しい仲間

楽しい限りである。 これからのプラスの人生では第二の人生で培った「ノウハウライブラリー」シリーズでの「知恵」も活かす。 それは「変えられないことをうけいれ、変えられることは勇気をもって変えていく」ことの自己での実践である。 他人は変えられないが、自分は変えられるからである。 「知恵」は仲間との間では自由に流通させることができる。
そして、家族・親族、目的を同じくする人々、友人、先祖・先達等は距離と時間を隔てていても「知恵」を交換、伝達、取引、交流、共創、共有することができる。私は「知恵」を秘密裏に創造しようと思うのだ。 「知恵」情報はこのようにしてこそ“監視をせず、かつ、されずに”のコントロールができるのだ。 世の中で秘密な「知恵」を持っているのが自分一人だけならば、それを勝手に公衆に公開されたら話は別だ。 その場合、権利として侵害の問題は残る。 しかし、監視体制のなかでも制約されないで「知恵」を共創できる場合があってしかるべきである。 仲間内でのコントロールはその合意の範囲内ではあってしかるべきである。 ネット社会では意に反して拡散されてしまうことが多いので、人対人で共創すべきである。 そして、仲間内のルールに従って「知恵」情報のコントロールはされるのである。 仲間による「知恵」の共創はお互いに心が通じ合っていなければなし得ない。 そのためには、相互に相手の気持や態度を取り入れることが重要となる。 すなわち「共感」することである。 「共感」するとは、他人の気持や感じ方に自分を同調させることを意味する。 他人の感情や経験を自分自身のこととして考え、感じ、理解し、それと同調したり共有したりすることである。 すなわち、自分の気持によって相手の中に呼び起こされた気持と同じ気持を自分の中にも呼び起こすことである。 他人の気持を理解することは、個人の感情を他人が推測し、主観が別の主観を解釈することとなる。 ここでは曖昧性を避けるために、他人の位置に自分を置くことができるかどうかが重要なポイントとなる。 すなわち、自分にとって不要なものをも他人が必要としているかどうかを理解できるかどうかにかかっている。 「知恵」の共創のためには自我を収縮させ、自分ではなく相手が何を欲しているのかを知らなくてはならないのである。 「本当の仲間」において「共感」無くして「知恵」の共創は無いのである。 そこで共創された「知恵」は仲間の間では共通のコミュニケーション媒体となり、交換媒体となる。 すなわち「知恵」それ自体が「知恵」の交換・取引の媒体となるのである。 したがって、一切「貨幣」を介さない」で投資・交換・取引ができるのである。 「知恵」の共創でなされてた「知恵」においては、その「知恵」の取引等は「貨幣を介さない」ですることができることになるさらに社会的問題がある場合の対処について考える。 「知恵」を共有しようとしている親友村井とは早くそうすべき理由がある。 彼は何年か前に軽い脳卒中の症状が出てしばらく入院治療をした。 その後遺症か、認知症まがいの症状が出没するようになった。 会って話をする限りではさして異常を感じないが、緊張すると時々失念したりするという。 認知症だとすると、古い記憶は残るが、最近のことについての記憶が飛ぶのが特徴らしい。 かつてはすばらしい判断力と臨機応変の対処法で経営者の能力を存分に発揮した男だ。 あまり時を経ると過去の記憶も失ってしまうおそれがある。 そこで、できるだけ早く訊きだしておく必要がある なお、私の社長経歴は雇われの身でのことなので迫力に欠ける。 しかし、多くの大先輩からの「知恵」を授かっていたので内容は充実していた。 それによって彼の迫力ある「知恵」をさらに魅力あるものにすることができる。 彼に以上のことを呼びかけ続けた。 最近、私には家族を継続する上での危機が生じたが、彼にも家庭上由々しき事態が発生していた。 でも彼は 「家がなくなってしまうことも大変だが、まず、それよりも生業を再起させなければ」 そして、 「勘を取り戻すべく旧知との付き合いをはじめた。」 「若いときから無鉄砲だったが、それで普通ではできない事業ができた。」 「最近脳血管の障害の後遺症のためか記憶が定かでないことがときどき生ずる。」 「循環器系、食道壁系、泌尿器系等複数の疾患治療に病院通いが避けられないが、それでも基礎体力維持のための運動は欠かさない。」‘と自ら語った。 体が不自由になりつつあることを自覚しながらも、さらなる生き方について意欲を持っているのがわかった。 日本武術で心身ともに鍛えあげているし、天才的な博才の持ち主だし、バイリンガルでもあるので余力はある。 さらに「やってきた仕事の内容を仲間として共創に役立てることに依存はない。」 「特に、せっかくまとめた仕事をかすめ、盗られたり、不当な差別によって不利益を得たことを思い出すと今でもくやしい。」 「でもそれを乗り越えての成果もあったので、成否併せてこれから上手く皆と分かち合いたい。」とのこと。 仲間とは一般に心を合わせて何かをいっしょにするという間柄をかなりの期間にわたって保っている人またはそういう間柄をいう。 すなわち同じ目的を共有している場合には仲間と言える。 そうすると、先ほどの潜入警察官は組が麻薬を蜜輸入することを防ぐことが目的である場合にはそれにかかわる人々が「仲間」となる。 その密輸入をする組のボスを逮捕することだけを目的とするならば、それにかかわる警察官が仲間となる。 しかし、「知恵」の共創が「ゆたかな生活」のためだとすれば、かかわる警察官と心を合わせて事をなそうする者が「本当の仲間」だということになる。 「カラマーゾフの兄弟」の三人の兄弟や神の子として「兄弟愛」を説く兄弟姉妹は「本当の仲間」といえるだろうか。 対象とする目的によっては仲間の内容が異なってくる。 そうすると、この場合、金銭が絡んだり倫理・宗教的見地が重要な背景をなしたりしているので、対象とする目的によっては仲間の内容が異なってくる。 家族・親族において、現在生活を共にしている場合でも地理的にも時間的にも離れている場合でも共通の遺伝子に基づく「知恵」創成によって「ゆたかな生活」を求めようとする間柄の仲間は「本当の仲間」と言えよう。 共に生活していた仲間の「知恵」でも先祖・先達の「知恵」でも「本当の仲間」との共創によってもたらされた「知恵」だと言える。 この場合の「本当の仲間」とは住民の「ゆたかな生活」を築くために必要とする「知恵」を共創することができる人達をいうこととなる。 いずれにしても、本当の仲間との「知恵」の創成はその法的保護、社会的な必要性、倫理性にかかわらず住民の「ゆたかな生活」に資すれば知的資本構築ができるのである。私は友人関係の仲間との共創についてさらに考えてみた。 学生時代からの友人で、卒業後も同窓会幹事会等を通じて親しい仲の友人がいる。 彼は剣道等の日本武術に長けていた。 学生時代はずっと同じ宿舎の隣り合わせの部屋だった。 毎晩激しい息遣いで空気を斬る木剣の素振りを長時間欠かさない。 お互いに気にしながら1年近く睨みあいが続いていた。 そのうち麻雀等で気があって、その後は今までの永い付き合いだ。 彼は自分で会社を立ち上げて、それなりに拡大していった。 私はサラリーマンを続け、三社目の一部上場会社でその子会社の社長になった。 彼は過剰投資がたたって営業譲渡して撤退した。 私の会社は出資株主の株譲渡で閉鎖した。 友達同士の付き合いなので会社運営の話はしたことがなかった。 ふたりでお互いの「知恵」を開示しあってそれぞれで個人ベースの仕事をやらないか、打ち合わせをおこなった。 「知恵」の共創はできる。 「秘密」の内容は、仲間同士では知らせあわないと共創ができないのでお互いに開示する。 しかし、仲間の数が増えた段階で、それぞれの了解のもとで開示範囲を広げる。 仲間の同意が得られたものは一般に開示する。 仲間以外との情報交流を図り仲間と「知恵」の範囲を広げるためだ。 仲間にもいろいろある。 例えばコミックから映画化されて人気を呼んでいる作品に『土竜の唄(もぐらのうた)』というのがある。 新米警察官が麻薬密輸出入の疑いがある大物やくざのもとに潜入捜査官として侵入させられて、その大幹部と「義兄弟の契り」をかわす場面がある。 これで本当の兄弟以上の関係となるものである。 さらに、「親子盃(おやこさかずき)」は親分子分の血縁関係を特定するための儀式で、この「親子盃」交杯で一家名乗りが許され、親分との絶対服従の関係が出来上がり、組織からの離脱もできなくなる。 これに挑戦し、組トップの麻薬密売を挙げようと警察官でありながら暴力団幹部に成り上がっていく苦悩を描いたフィクションだ。 血の繋がりはないものの実の親子・兄弟以上の擬制した血縁関係を迫られる辛さがある。 違法行為を取り締まるために潜入した先で擬制だとはいうものの実の親子・兄弟以上の制約を受ける組織で一体となって違法行為をするのは合法を旨とする警察の仲間としてなのか違法で凌ぐヤクザの仲間としてなのか、その行為の妥当性に迷うところだと思われる。 この場合、法令の「知識」はベースに置くとしても、目的達成のための「知恵」が優先されなければならないと考えられる。 これ以外にも法的には何の根拠もないものの、厳しい制約を強いられる義理や人情にかかる人間関係は数多くある。 法に守られた関係にある仲間と違法、脱法的関係にある仲間との「知恵」の活用の仕方に違いはあるのだろうか? 果たしてその活用結果に効果の差異はあるのだろうか? 法令遵守については「知識」が多く必要となる。 しかし、違法、脱法への対処にはむしろ「知恵」がより多く使われることとなる。 義理や人情にかかる問題についてはそれぞれの人間関係が複雑に絡むので、一概には決せられない。 そうすると、本当の仲間とは、以上の諸関係にはこだわらず、「ゆたかな生活」を築くために必要とする「知恵」を共創することができる人達をいうと考えられる。 たとえば、潜入捜査官として侵入させられた警察官にとっては、その職務目的である麻薬密輸入組織のボスの逮捕への「知恵」を共創することができるのが本当の仲間だと言うことが出来る。 さらに、潜入捜査官の命を体を張って守った大物やくざの「義兄弟」が両足を吹っ飛ばされて死んだはずだったが、大手術を受け、鉄腕アトムのようなジェット脚をつけて現れる場面がある。 いわゆるサイボーグである。 サイボーグも人工知能(いわゆるAI)も単なるオモチャのレベルからシンギュラリティを云々されるレベルまで色々あるが、単体で知能から「知恵」を活用できるものと人間と共同して「知恵」の共創ができるものとがある。 前者はそれを仲間として考えればよいし、後者はすでに仲間を構成していると考えられる。 ところで、「AI」については、今、あらゆるところでその効用を期待されているわりにはその定義がはっきりしないが、経済産業省がAIデータに関する契約ガイドラインに示したところによれば、 「AI」とは「Artificial Intelligence」の略称であり、日本語では「人工知能」と訳される。もっとも「AI」に確立した定義は存在しないのが現状である。とし、 「AI技術」を「人間の行い得る知的活動をコンピュータソフトウェアに行わせる一連のソフトウェア技術」と定義している。 そして、現在、主に機械学習を利用した AI 技術が実用化段階に入り、多くの企業が AI 技術を利用したソフトウェアの開発・利用に取り組み始めている。 今後、AI 技術が社会に広く普及していくことが想定される。 また、AI 技術によって、利便性・生産性の向上や今までは対応しきれなかった少子高齢化等の社会的・構造的課題への対応が可能になることが期待されている。 しかし、AI 技術を利用したソフトウェアの開発・利用に関して、権利関係をどのように処理すればよいのか、開発・利用に伴って発生し得る責任を誰が負うのかといった法律問題は新しい課題であり、法律が整備されていないため不明確な点も多い。 このような状況においては、当事者間で契約を締結することによって権利関係や責任の分担を定めておくことの必要性が高い。 もっとも、AI 技術の基本技術思想は、データから結論を推論する帰納的なものであり、従来型の演繹的なソフトウェアの基本技術思想と根本的に異なっている。 このような違いから生じる AI 技術を利用したソフトウェアの開発、典型的には学習済みモデルの生成における、従来型のソフトウェア開発と比較した特徴として、学習済みモデルの内容・性能等が契約締結時に不明瞭な場合が多いこと、その内容・性能等が学習用データセットに依存すること、その生成に際して特にノウハウの重要性が高いこと、および各種生成物について更なる再利用の需要が存在すること等が挙げられる。 また、当事者に目を向けると、データが必要となることが多い AI 技術を利用したソフトウェアの開発にあたっては、その開発を依頼する者は、データやノウハウを提供することによって、それらの価値が低下することや情報が流出することを懸念する立場にある一方で、AI 技術を利用したソフトウェアを開発する者は、知的財産がユーザに移転することで自らの事業の自由度が奪われることやノウハウの流出を懸念する立場にある。
しかし、このような AI 技術の特性や、相手方の立場についての理解が広く社会に浸透しているとは言い難い。 その結果、契約交渉において、当事者が自らの権利の確保に固執したり、相手に AI 技術の特性やデータ・ノウハウの価値を無視した、現実的ではない要求をすることによって、契約交渉が難航して契約が不成立となったり、当事者の事業の自由度が過度に制約されイノベーションが妨げられてしまうおそれや、契約締結するにあたって、当事者の労力・時間といったコストが高くなるおそれがある。 このようなことになれば、AI 技術の開発・利用が阻害され、ひいては我が国の産業競争力が失われたり、社会的・構造的課題の解決が困難となるといった結果をもたらしかねない。 の旨説明をしている。 さらに、潜入捜査官とその命を救った大物やくざの「義兄弟」の危機には彼らの乗った船があわや沈没かというときに突如大波がきてそれを救うという場面がある。 真の仲間との「知恵」の共創は人間の運命を支配する自然現象の変化をももたらすとの主張もなされ得る。 人間のサスティナブル(持続可能)な「知恵」の共創は自然界でのレジリエンス(回復力)発動をも彷彿させる。 本当の仲間とは、人生を豊かに幸せに生きるために、自分が窮地に立たされても、他人が窮地に陥ってもお互いに助け合えることができる関係を築けるものである。 これに対し、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』では三人の兄弟が登場し「父殺し」のドラマが展開される。 幼い頃に父親に見放され、成人してからも財産の分け前をうやむやにされていると思い込んでいる長男ドミートリーは、グルーシェニという女性をめぐって父とライバル関係にある。 彼には、父殺しの明確な動機があった。 そして、無神論者の次男イワンと、修道僧の三男アリョーシャの兄弟が、神をめぐって対照的な世界観を持つ者へ分化していく。 さらにカラマーゾフ家の料理人スメルジャコフの出自をめぐっての重要な展開がある。 そして、イワンを通して、父殺しのドラマが展開される。 ちなみに、父殺しは、必然的に神殺し、さらには革命の問題へと展開していくことになる。 この名作では父親殺しと革命にかかるダブルテーマで作者の思想を表象している。 ときの拝金主義等の風潮に対するドストエフスキーの危惧をあらわしたものでもある。 これは現代にも通ずるものである。 そして仲間についてもこのように広大な発想による展開が考えられる場面でもある。  また、キリスト教ではその教義の要素として「兄弟愛」を説く。 人類はすべて神の子として互いに兄弟姉妹であるという発想に基づくものである。 この発想は愛の対象を拡大し、家族や血縁という狭い関係を超えたものとする。 果たして「知恵」の活用で知的資本構築とその投下で再生産する高価値な「知恵」での「ゆたかな生活」のための「本当の仲間」はいるのだろうか。 家族・親族ではどうであろうか? 私の生家の家族には父と後妻の母と腹違いの兄が二人いた。 すでに全員他界した。 そしてわたしは結婚して妻と長女と長男の三人で家庭を作った。 今、長女は結婚して家を出、妻の両親が死亡したので妻と長男は妻の実家に居住している。 もうそれぞれ独立して自分の生活を取り戻している。 したがって、彼らとは家族を越えて仲間の域にある。 私の大伯父井口省吾は児玉源太郎の片腕の参謀であった。 児玉源太郎は司馬遼太郎の「坂の上の雲」にも登場する日露戦争での参謀長として、ロシア軍部がシベリア鉄道の建設で満州支配権を握ってしまうのを防ぐための戦略をとった。 これは児玉が渋沢栄一より日本軍はロシア軍に対して戦争を続ける資力を有しないとのアドバイスを受けて早期に争いを終結するためにとった戦略である。 祖父が後に陸軍大将となった大伯父(井口省吾)の養家となったので我々はその家系を継ぐことになった。 その児玉源太郎は本国に「露国鉄道逓信大臣ヒルコフは満州の兵力を増加の必要上シベリア鉄道を鋭意改築に着手し非常の努力不撓の堅忍をもって目下その輸送力を開戦当時に比し少くも二倍に至らしめた。」旨の報告をした。 そして、児玉源太郎について井口省吾がかかわった一場面は次のようである。 ロシア相手の国運を賭けた戦争となれば、その指導者は作戦計画における知謀だけでなく、国家内外の対局にも通じ、全軍にゆるぎない信頼を受ける人物でなければならない。 それには児玉源太郎しかいない、というのが、政府・陸軍を通じて、衆目の一致した所であった。 しかし問題は、すでに内相・台湾総督である児玉を参謀次長に据えれば、二階級降格することになる。首相の桂ですら、児玉に直接、言い出せないでいた。 児玉源太郎自身も、この亡国の危機には自分が出るしかないと思っていたので、ついに首相官邸に出向いて、自ら参謀次長になると申し出た。 総務部長の井口省吾少将は感激して、この日の日記に「もって天のいまだ我が国を捨てざるを知る」と書いた。 児玉は財界大御所ともいうべき渋沢栄一を訪ねた。 ロシアと戦うのに必要な膨大な戦費を何とか調達せねばならない。 渋沢は「ロシアと戦う金など、日本中の銀行の金庫からかき集めても足りない」とつっぱねていた。 児玉は渋沢に次ぐ財界の有力者である日本郵船社長の近藤廉平に会い、満州の様子を見てきてほしいと頼んだ。 近藤が行ってみて、「満州の大平原はロシア軍の大部隊に覆われている」と報告すると、渋沢は顔色を変えた。 参謀次長として現れた児玉に渋沢は勝つ見込みがあるか、と尋ねた。 「勝つとはいえないが総力をあげ、なんとか優勢に持ち込み、外交によって戦を終わらせるというところか。 作戦を練り、将士が死力を尽くせば、いまなら、なんとかやれる。日本はここで、国運を賭して戦う以外に道はない。」 こう答えながら、児玉の両眼に涙がどっとあふれ出た。 「児玉さん、私も一兵卒として働きます。どんな無理をしても、戦費調達をやりましょう。」と言って渋沢も涙を流した。  実際に、日露交渉の進展がないなか、ロシアは極東に動員令を発して満州に戒厳令を布告し、ハルピンから奉天を通り、旅順・大連に接続する南満州鉄道の完成を急いでいた。補給の重要性を理解していた日本軍は、ロシアが建設中の南満州鉄道が完成する前に戦端を開いたのだった。 ロシア軍の北京、満州での蛮行に対する日本軍の行動は韓国人に信頼を与えていたので、韓国は日本の指揮に従うこととした。 父の伯父で陸軍大将で陸軍大学の校長だった私の大伯父井口省吾は後継者を得るため私の祖父と養子縁組をした。 縁組した両家の孫達は「いとこ会」としてその「知恵」を継承しあっている。 朝鮮半島と日本列島を露軍の侵略から守るための戦略策定上の「智恵」を児玉源太郎の片腕の参謀だったおおおじから受け継いで「いとこ会」の仲 共同創作した「知恵」の活用について私は以下のように考えた。 仲間と共同して創作した「知恵」を「ゆたかな生活」に活かす開発を行うことがなされなければならない。 そして、仲間とともに、次世代遺産としての知的資本を構築し、その投下でさらに高度な「知恵」を再生産することができるとともにそれらをどのように生かすかについて考えてみた。 今回のパンデミック対応として、たとえば行政がクラスターの発生を避けるために営業自粛を指示したことがあった。 そして、その指示に従わないパチンコ店名を公表したところ、むしろその公表が強力な宣伝となって、指示に従わない旨が公表予定された店のみに客が殺到し、問題となったことがあった。 もともとが高い射幸性はあるものの公安維持のため当局の庇護のもとに発展した事業であるので当然に予想される事態ではあった。 その趣旨から、あまり強度の行政措置は、たとえばアメリカにおける禁酒法のもとでアル・カポネによるギャング団が跋扈したようなことになる。 こうした「知恵」の応報は、ここでいう仲間等が後継者への遺産として「ゆたかな生活」のための知的資本を構築に活用する「知恵」とはあきらかに異なる。 また、営業自粛に対する政府の補償や、生活困難に対する給付は確かに緊急時においては仕方がないこととはいうものの、結果として次世代への税金負担の先送りとなる。 それがたとえMMT論に従ったとしても、過剰な公債発行でインフレによる経済破綻も避けられないことになり得る。 また、生活保護にしても、たとえば支援団体と病院等の弱者保護の大義名分によって、すでに支給が必要でなくなっているにもかかわらず、延々と継続されている事実もある。 本人、団体、施設がそれぞれの「知恵」を駆使して、自組織経営優先処理を繰り返し、行政も形式上の手続き処理にしたがって処理する。 この繰り返しで人々の働く意欲をますます喪失させ、また彼ら自身の懈怠によって本来無くすべき“格差”を自ら広げてしまっている。 パンデミック等の危機にもかかわらず回復を遂げるために必要な「知恵」は自らが日々創成して蓄積しておかなければならないものである。 自己の「知恵」をまず仲間に提供し、そして仲間と共創してこそさらに価値ある新しい「知恵」が創成され、共創されて長期にわたって蓄積されることにならなければならない。 蓄積され価値増大されて「ゆたかな生活」に活かされるものは少なからずとも「知恵」の要素を持つ。 これら「ゆたかな生活」に活かされるあらゆるものを常に築いていくことこそすなわち知的資本構築とその投下による新たな価値の再生産につな同で創作した「知恵」はともに生活や仕事に活かせる。 自分の身の回りや家族との共同生活、家族や仲間との催しや家内工業で有効に活用できる。 さらに自分たちの新規事業に活かせば独自の開発ができる。 その結果、仲間以外の他人からも評価され、  仲間の拡大や新たな事業への展開に通ずる。 仲間同士および新たな仲間との「知恵」の蓄積と結合が図れる。 そして、さらに「知恵」の共有創作の高度化が図れる。 その分野での特有な「知恵」の結合、蓄積が可能となる。 それを仲間内で高度化し繰り返し蓄積できる。 仲間以外とも共同創作してさらにグレードアップできる。 仲間とともに、次世代遺産としての知的資本を構築する幅をひろげることができる。 零細・小規模・中小企業では大企業にも勝るノウハウ等知的無形資産としての「知恵」を有しながら十分な活用がなされていない。 そこで、彼らの有する「知恵」の活用で次世代への遺産としての知的資本構築とその投下による新たな価値ある「知恵」の再生産で「ゆたかな生活」を築くことを提案してきた。 そしてさらに、個人や仲間の「知恵」を活かしたエイジェンシー(仲介)によるシェアリング(共有)と「定価値制」を基準とするサブスクリプション(期間利用)によるレジリエンス(回復力)で百年に一度のパンデミックにもサスティナビリティ(持続可能性)を有する定常的「知恵」の共創について検討してきた。 また、「貨幣を介さない」取引もできることが資金難に悩む事業者への直接効果、さらにはナッジ(肩押し)効果となってサスティナビリティを向上させる。 しかし、実際には孤立状態で資金難を乗り越えるのはなかなか難しいと思われる。 そこで、仲間同士なら、先物取引に際しても、元本相当の「知恵」の受け渡ししか行われない場合には何らの資産も形成されないので決済時にもオフバランスとなることから、個人や仲間の「知恵」を活かした一般の取引において、シェアリングやサブスクリプションでのサスティナビリティあるレジリエンスを発揮できることになる。 サブスクリプションは昨今、利用の仕方によっては不利になることがある旨取りざたされているが、「定価」制では限界以上に放置するような場合には法外な付加料金を課せられるのであって、オフバランスの「定価値」制ではもともと「貨幣を介さない」のでそのようなことはない。私は「知恵」の活用についてさらに考える。 大企業等では、大発明を特許等の知的財産権等で保護して海外列強に対抗している。 しかし、零細・小規模・中小企業では大企業や列強にも勝るノウハウ等知的無形資産としての「知恵」を有しながら十分な活用がなされていない。 そこで、彼らの有する「知恵」の活用で次世代への遺産としての知的資本構築とその投下による新たな価値ある「知恵」の再生産で「ゆたかな生活」を築くことを提案してきた。 そしてさらに、個人や仲間の「知恵」を活かしたエイジェンシー(仲介)によるシェアリング(共有)と「定価値制」を基準とするサブスクリプション(期間利用)によるレジリエンス(回復力)で百年に一度のパンデミックにもサスティナビリティ(持続可能性)を有する定常的「知恵」の共創について検討した。 また、「貨幣を介さない」取引もできることが資金難に悩む事業者への直接効果、さらにはナッジ(肩押し)効果となってサスティナビリティを向上させることとなる。 しかし、事業者へのナッジ効果といっても、実際には孤立状態で資金難を乗り越えるのはなかなか難しいと思われる。 そこで、仲間同士なら、先物取引に際しても、元本相当の「知恵」の受け渡ししか行われない場合には何らの資産も形成されないので決済時にもオフバランスとなることから、個人や仲間の「知恵」を活かした一般の取引において、シェアリングやサブスクリプションでのサスティナビリティあるレジリエンスを発揮できることになると考える。 この場合、“元本相当の「知恵」の受け渡しか行われない”ということはすなわち、「知恵」自体を交換媒体とすることだったのだ。 すなわち仲間等との間で「信用」が担保されるので「貨幣を介さない」で取引ができることになる。 これはあくまでも「知恵」を媒体とする場合について端的に言っているのであって、その射程距離は「貨幣を介する」場合にまで及ぶものではない。 それでは「知恵」以外を含む場合ではどうであろうか。 一般にオフバランスではないものを含む場合は、原則として、「貨幣を介する」こととするとする。 しかし、「知恵」以外でもオフバランス部分を分離できる場合には、その部分だけを仲間等との間では「貨幣を介さない」で取引ができることになる。私は新型コロナウィルスによるパンデミックによって監視社会について思い知らされたことがある。 コロナ対策に乗じた政府および国際政治権力による監視追跡、監視強化だ。 国情によって干渉の仕方はさまざまに異なるので適否の評価もさまざまだ。 また、SNS濫用の大衆による相互監視警察もある。 上下左右からのさまざまな誹謗中傷にさらされて不安感増大だ。 ジョージ・オウエルの「1984年」さながらの恐怖社会だ。 そこに書かれた以上の超監視社会だ。 問題は誰が監視しているのかが見えなくなっていることだ。 コロナに限らず、法人も個人もこの恐怖から逃れることはできない。 家族・親族でさえ同様だ。 アダム・スミスの「見えざる手」は「市場」が個人の行動を制約していることも言っている
なぜなら、「分業」による合理性は監視体制によって全うされるといってよいからだ。 この監視体制によって全うされる「分業」の最も顕著なことは「性差」といえる。 男女の差だ。
これは一方だけにとっては「分業」だが、協同の行為によってはじめて新たな生命を宿すことができる。 これは生きとし生けるものに共通する。 そして、ジェンダー問題について誤解と差別を生じさせているのは人間だけだ。 同時にその問題解決に向かって真剣に取り組んでいるのも人間だけだ。 人は他の生物に勝って「知恵」を活かせる能力があるからだ。 かんじんなのは、その能力を阻む要因としてのジェンダー問題を正しく理解することだ。 ダイバーシティやフェミニズムと取り組むことも一法だが、単に男と女の問題にしないことだ。 仲間同士による「知恵」の継続的共創プロセスには監視・中傷はない。 共創する仲間の「知恵」に基づくもので持続可能性を有するものとなる。 そうすると、「知恵」を共創する仲間は監視社会から跳躍することができるといえる。私は仲間による開発の持続可能性についてもさらに考える。 共同による「知恵」の共創が仲間との「ゆたかな生活」開発を持続可能とする。 すなわち共同創作によって共に生きることこそ持続可能な開発の実現に寄与する。 これらのことは通常企業について言うが、ここでは仲間同士における共同活用の持続可能性をいう。 この仲間同士における持続可能性についてもジェネレーション間で意識の違いが見られる。 終戦前後に生まれた世代の受けられる放送はまだラジオだけだった。 菊田一夫のラジオドラマ「鐘の鳴る丘」や「君の名は」等がなつかしい。 雪の降る白黒テレビでの「力道山のプロレス」をみんなで見に行ったことを覚えている。 カラーになったのはずっと後で三種の神器として崇める時代になってからだった。 ネット通信もまだインターネットではなく、パソコン通信利用がせいぜいだった。 いまや仮想現実端末や3Dプリンターを自由に使い回す世代だ。 時代がかわっても「ゆたかな生活」を求める「知恵」に変わりはない。 無人運転自動車の時代も目の前だ。 完全自動運転になれば今の運転免許証はいらなくなるか? 自動操縦技術の発達で「運転」の概念が変わってしまうかも。 人工知能万能になれば、「体」を動かしたりしなくてすむ? そんなことはないとは思うが。 「ゆたかな生活」のための目的と手段をはき違えてはならない。 今まで貸借対照表に資産として載らないノウハウ等知的無形資産のうち「知恵」、特に「貨幣を介さない」取引等について検討してきた。 そこで、一般家庭や仲間同士での少ない手元資金で取引ができる先物等デリバティブ(金融派生商品)についての可能性について考えてみる。 資産・債務を証券化してオフバランスとした場合、確かにその期ではバランスシートには載らない。
しかし、資産・債務隠しの場合には決済時には貸借対照表に掲載されるのでオフバランスではなくなる。 そしてそのレベルのオフバランスは決済時にはオンバランスとなる。
したがって、同じオフバランスでもデリバティブ、先物やオプション、スワップ等の金融商品にかかる場合での取り扱いについては注意を要する旨の警告もした。 米国での低所得者向け住宅ローンの証券化を契機とするリーマンショックによる経済的パニックの例もあるからだ。 資産・債務を証券化してオフバランスとした場合、確かにその期に決済時に当たらない場合にはバランスシートに載らない。 一時的に資産・債務隠しの為にオフバランスとする場合には決済時にはオンバランスとなる。 しかしながら、一般家庭における生活資金難対応にも「知恵」を働かさなければならない。 家庭の経済生活を脅かすことがないように仲間の「知恵」も総動員して新しい「知恵」を共創する。 そこで、先物等の取引が資産・債務隠しではない場合には決済時にもオンバランスとならないように庶民の家計に役立つことを考える。 先物等でも仲間同士の取引に際して元本相当の「知恵」の受け渡ししか行われない場合にはもともと何らの資産も形成されないので決済時にもオフバランスとなる。 本来交換の媒体である貨幣をお金によってお金を増やそうとする蓄財の対象にしてしまっていることに気が付かず、当然の商売や金融取引だと思い込んでいることの弊害をできることから改善するために「知恵」の「貨幣を介さない」取引について提案してきた。 このままでは次世代への遺産としての百年年先に向けての知的資本の蓄積はままならない。 そのためには他人を変えるという改革より、自分および仲間同士の当事者による「知恵」の先物取引でも家庭や仲間レベルで改善可能になるように仲介(エイジェンシー)としての「知恵」を働かせる。 百年に一度のパンデミックにも耐えられるように家庭や仲間レベルでも将来にわたっての「知恵」の蓄積を可能とすることだ。 常にその心がけが実現できれば持続可能な開発のための新しいレジリエンスの展開となる。 通常の「貨幣を介する」取引での先物等デリバティブにおいても「貨幣を介さない」取引が可能となる。 仲間同士の取引に際して元本相当の「知恵」の受け渡ししか行われない場合にはオフバランスで「貨幣を介さない」取引となる。 したがって、家庭や仲間同士では「貨幣を介さない」で「知恵」の先物取引ができることになる。 これを敷衍すれば、通常の仲間同士の取引に際して「貨幣を介する」取引のうちでも元本相当の受け渡ししか行われない場合がある。さらに「知恵」の共創で「ゆたかな生活」について考える。 仲間との共同による「知恵」の創造が共生を実現する。「知恵」は人的交流によって信用を醸成しながら相手の範囲を広げていくことで創成されてきた。 しかし、広域ネットワークの発達した現在、真贋の検証がされないまま伝達され、判断に悪影響を与えつつある。 例えば、SNSによる信頼性の無い情報の広がりがある。 「いいね」の「口コミ点数」によって実態を反映しない世論が形成される。 この点に留意しつつ仲間と情報の範囲を適切に判断しなければならない。 そのためには仲間との信頼関係の維持が重要。 仲間との「ゆたかな生活」を持続可能にするために互いに信用を醸成する。 レジリエンスについてさらに演繹すれば対外的衝撃にも折れることなく立ち直ることのできるしなやかな強さをいうことになる。 パンデミック、異常気象等の生命危機のみならず、リーマンショック等の金銭危機にかかわる経済的パニック事件はいつでも再発する。 そして、高齢化、人口減少、格差拡大など不安材料は尽きることがない。 今回のコロナ禍にあたって以前からデジタル化を進めてきていれば今回のパンデミックによる経済的ショックを吸収し、付加価値を継続的に生み出していくことが期待できたはずだという声もある。 たしかに、デジタル化が進んでいれば当然その取引等においてもより効率的、直接的、同時並行的に情報処理できることになるのかもしれない。 しかし、「知恵」の活用についてはそのような技術的手段による単なる生産性の問題だけに頼ってはいけない。 このような事態に対処するには常に自己や家庭と仲間の自給力を高め「貨幣依存度」を下げていくための新しい「知恵」とその活用も必要となる。  「ゆたかな生活」のための「貨幣を介さない」直接取引が可能になることによるナッジ(肩押し)効果をベースにして「持続可能な開発」へのレジリエンス(回復力)を)を有するというさらにすぐれた仲間の「知恵」がある。 また、「知恵」については多くの場合、お互いに機密だと思っていることがその仲間内ではすでにほとんど周知であることが多く、みんなが知っているにもかかわらず自分だけの機密を維持することよりも、お互いに活用しあうことによってさらにすぐれた「知恵」を再生産することのほうが好ましさらに私は共同創成の伝承について考えてみた。 核家族から”お一人様”になってくると団欒はなく共感もなくなってくる。 家族への依存関係も少なくなる。 そして仲間と連携する責務を感ずるようになる。 そうすると反射的に、仲間との連帯する相互依存関係が生じてくる。 それぞれ手分けして、新たな「知恵」を共同で創成しそれを仲間に伝承していく。 仲間には家族・親族以外の他人を含むからプライバシーには注意しなければならない。 また、男女間においてお互いの差を助長しあうことはやめることが大切。 最も恐ろしいのは差別排除を建前とする仕事を自らだけの生活の糧とすること。 あたかも、慈善事業やボランティアをよそおうよそおうことがあってはならない。 巧まないとしても、それをもって自分に利益を誘導することのないようにしたい。 だから「知恵」を共創した仲間のIDは特定する。 共創する「知恵」についてはお互いの責任を明確にするためだ。 仲間との共同による「知恵」の創造こそが「ゆたかな生活」への持続を可能とする。 「知恵」およびそれを含む資産の取引等の結果を活用するためにその情報を仲間内で共有することが重要な意味を持つ。 そのためには前述したように、個人を中心として「知恵」を仲間内で共有してあらゆる情報をオープンに活用してともに価値を創造するプラットフォームが有効となる。 要するに仲間内で「オープンサイエンス」と「オープンソリューション」の機能を併せ持つので「知恵」の土台とそれに基づく共創の基盤となるもので  私は家庭を築いた後もモーレツ社員の典型として社内外での仕事、国内外への出張で家を空けることが多かった。 単身赴任で家庭を離れてのひとりでの社宅生活も十数年続いた。 その後、妻が親の介護のために実家に常住したのでまた十数年は単身生活だった。 ここでさらに単身生活が続いても今までと生活環境に変わるところはない。 妻と成人した子はそれぞれが独立した人格と個性を持った人間だからである。 そうすると、このような状態での家庭はどうあるべきだろうか。 それぞれが愛をこめて自分の役割を果たしていればそれ以上について負担を感じることはない。 法的・経済的・社会的にそれぞれが果たすべきことがらを認識していなければならないことは言うまでもないが。 それよりも、「知恵」を共有する仲間としてお互いの「ゆたかな生活」を追求しあえばよいことだ。 そして、私は「家族」の生活に余分な干渉をすることなく、家族を含む仲間と共にプラス人生を送らなければならない。 「家族」は過去に継続するこれからの「家庭」で生きるし、仲間はともにこれからを作っていくからである。 大伯父から受け継ぐ仲間を思う心。 尊属からの「知恵」の引き継ぎ。 伯母から懇願されている母方先祖慰霊のことがら。 「家族」は過去を引きずって生きるが、「家庭」は仲間と共にこれからを生きていくものである。 その中に創造されるプラス人生は仲間と共生するものなので、その中で意識に「知恵」が共有される限り存続し続ける。一般に家族が共同で生活する場所を家庭と呼ぶ。 しかし、血が繋がっていなくても仲間を受け入れて共に生活すれば、そこに新規な家庭が生まれる。 どうすれば良い家庭になれるかは家族が幸せになれるかどうかにかかる。 家庭が快適であれば家族も幸せのはずだからである。 プラス人生では仲間と快適な家庭造りを心がければ家族ともども「ゆたかな生活」を得られる。 第二の人生で培った「知恵」の活用法を活かして、家庭に遺産を遺せばそれは家族の財産ともなる。 「知恵」だから資産に計上されないかもしれない。 しかし、知的資本を構成することができる。 その投下で新たな「知恵」が再生産される。お一人さま”に関する著作が話題になったころのこと、その著作者の講演会の招待を受けたので出かけてみた。 会場でのエレベーターでリュックを背負ったごく普通の女性と乗り合わせた。 会場階につくと数人の係員がていねいにも出迎えてくれた、と思ったら、そのリュックの女性に向かって「お待ちしておりました」。 会が始まったらその女性が講師として出てきて、「いつもは女性にしかお話ししないのですが、今回は仕方がないので」とのこと。 旧帝大系トップの大学の先生が“お一人さま”の趣旨を話し始めた。 その時には単なる差別化反対論者の恨み節ではないかと思った。 しかし、数年前彼女が、”タワマンに住んでBMWに乗ってる”ことで炎上した。 較差解消の主張はどうした、ということらしい。 弱き者への素敵な「知恵」を提供し続けてくれたのに。 最近は男の“お一人さま”にまで気を配ってくださっている。 炎上は本来の仕事の一部でしかない成果のあらわれへのやっかみとしか考えられない。 彼女は「知恵」の提供を通じて「ゆたかな生活」の可能性を自ら実証しているのだから。 人は必ず死ぬが、男と女は次なる命を生み、次世代による永遠の「知恵」を継承させる。 役割が異なるのだから存在意義も異なってしかるべき。 かつてから、性差別は、女性を非生産的労働の領域に追いやってきた。 しかし、それも子孫を作る役割が終わった後”お一人様”になってからは男も女も異なるところがない。 両性は共に次世代に向けて伴走して「知恵}を提供するのみだ。 承継し創成した「知恵」を遺せるのは次世代以降に対してだからだ。 だから仲良く共同創成してそれぞれの仲間とともに伝承する楽しみを享受すべきだ。ある。 価値の創造を重視した考え方をとって、誰がどの「知恵」を活用したかを後から検証できるように条件を定めておけばいちいち同意を必要としないとすることもできる。 アクセスログを残しながら、その目的にかなった使い方ができるので、パンデミックや経済的パニックが起きれば、同意なしでも特定のミッションを背負った人々にデータの使用を許可するようにできる。 同意が必要な案件でも非常事態の場合には必要な範囲でお互いに情報開示できる旨の取り決めをしておけば問題は解決する。 それよりも、このプラットフォームの利用者相互の紹介により新規利用者を獲得することもでき、既存利用者にはインセンティブを与えることにすればその効果を抜群に向上させられる。 「知恵」の取引等における処理結果の業績評価上の取り扱いについては以上のとおりだが、当事者間の一定の行為をする権利の意思表示の合致である契約関係についてはその遵守が求められる。 不法行為等があった場合の損害賠償義務が発生することによる取引負担も考慮に入れておかなければならない。 以上は仲間同士といえども相互にわきまえておかなければならないことである。 一方、たとえば共同事業を行うにあたり「知恵」を提供しあった場合に両者は各々相応の受益が得られる。 さらに相手側の「知恵」を学習する受益とともにその「知恵」を開示するコストを負担するとしたとき、双方のレピュテーション(社会的評判)をも考慮して評価することになる。 SDGsとともにESGにより気候変動への対応、自然資源の維持、エネルギー使用量削減等環境問題、人権、安全、健康、人材等の社会問題、コンプライアンス等も考慮していかなければならない。 しかし、ESGでは主として環境問題に目を奪われがちだが「知恵」取引等の処理結果の応用においては社会問題やコンプライアンスに主眼を置いて「豊かな生活」への追求を図るべきだと考える。 これからは、実務に沿ってその具体化を図るとともに、人的資源のおおもとである自分自身のレジリエンスに主眼を移して足元を固める。

い。 このためにこのような関係にある「知恵」は「下町のオープンサイエンス」としての価値ある「知恵」による上積みの土台作りに基づいた「下町のオープンソリューション」による新たな共創の展開に結びつけることとができる。 そして新たに価値増大した「知恵」については本当の意味での機密管理に移行していき、これもつぎのステップでは「さらなるオープンサイエンス」としての土台とし、「優れたオープンソリューション」として問題解決のためのレジリエンスを展開していくことができる。 その場合には、その取引のうちのオフバランス部分は、決済時にもオフバランスとすることができることになる。 この場合、「知恵」を含んだオンバランス資産でも先物取引等で将来にわたって「貨幣を介さない」で「知恵」の蓄積を可能とすることも可能となる。 ただし、オンバランス資産の先物取引等では決済時には「貨幣を介する」取引とされるので、事前にオフバランス部分の分離が必要となる。 分離が可能となったオフバランス部分の「知恵」は先物取引等で将来にわたっての「知恵」の蓄積を可能とすることができる。 これによってもさらに新しいレジリエンスの展開とすることができる。  人間の「知恵」から発するオフバランスの「見えない資産」が次世代への遺産として蓄積される。 それが知的資本として構築され、投下されて更なる「知恵」の再生産がされる。 仲間同士の「知恵」の先物取引で将来にわたって「貨幣を介さない」でも「知恵」の蓄積を可能にする。 そして、百年に一度のパンデミック等へのレジリエンスとして常時蓄積され得る。 それがサブスクリプションによるシェアリングにより持続可能な開発による新しいレジリエンスとなる。 「貨幣を介さない」ことによるナッジ効果に後押しされて持続可能性はさらに拡大する。 また、「仲間のオープンサイエンス」、「仲間のオープンソリューション」の土台上での発展的セキュリティー感覚により共創による「知恵」が拡大する。 そして、広く環境・社会・経済の観点からこの世の中を持続可能にしていくサスティナビリティーに貢献する。  社会、病理、法を超越した真摯な生きざまを有することに勝るものはない。 仲間の「知恵」のこのような活用は正に「ゆたかな生活」への王道と言えよう。私は共創によるサスティナビリティについてさらに考える。 共創する仲間とはどのような範囲のものをいうのだろうか? お互いの「知恵」の価値を認め合い、信頼関係にある者同士をいうと考える。 家族の一員と他人との関係で仲間となるようにすれば、その仲間は法的拘束力を受けない。 すなわち、互助会、ボランティア団体等権利能力なき社団とすればよいのである。 任意団体、いわゆる親睦会なので構成員はいっさい個人の責任を負わされない。 一定の要件を満たさない限り訴訟の当事者になり得ないからである。 財産は構成員全員に総有的に、帰属することになる。 自分の「知恵」は会計上資産を構成しない。 よって、総有財産となって構成員個人に帰属しなくても不都合を生じない。 構成員である仲間の全員で活用し、「ゆたかな生活」の糧とすることができる。 しかし、仲間の信頼関係により共有、分割も可能である。 仲間によるサスティナビリティ(持続可能性)、すなわち次世代への「ゆたかな生活」の持続的共創だ。  したがって、その部分を含めて、仲間うちで「貨幣を介さない」での先物等の取引が可能となる。 そして、仲間内での「知恵」をシェアしての「定価値制」を基準とするサブスクリプション(期間利用)により長期にわたりサスティナビリティが可能となり、パンデミックスにもレジリエンス(回復力)を維持することができる。 すなわち「知恵」を活用するためにその情報を仲間内で共有することが重要な意味を持つ。 そのためには「知恵」の情報価値をともに創造をする場所が必要となる。 そこで、仲間同士でオープンなプラットフォームを使えるようにする。 自由に使えるが、使用には仲間の同意を必要とする。 ただし、非常事態の場合にはお互いに開示できることとする。 そして、パンデミック等が起きたときは、同意なしでも使用を許可する。 このようにすれば、共有し創作して蓄積した「知恵」を有効に活用できる。 共同して「知恵」を提供しあった仲間は各々相応の受益が得られることにする。 この場合、“元本相当の「知恵」の受け渡しか行われない”ということはすなわち、「知恵」自体を交換媒体とすることだからと言える。 すなわち仲間等との間で「信用」が担保されるので「貨幣を介さない」で取引ができることになる。 これはあくまでも「知恵」を媒体とする場合について端的に言っているのであって、その射程距離は「貨幣を介する」場合にまで及ぶものではない。 貨幣については古来より多くの説が論じられているが、本質的には「信用」の担保である。 しかし、貨幣に時の価値という果実が金利という名目で付加されると、貨幣自体が商品として取引の対象となり、物物交換の代替媒体とは異なる意味合いを持つものが貨幣と呼ばれるに至った。 そこで、そのような対象ではないオフバランスの「知恵」については「信用」を担保するものとしてそれ自体を貨幣としても良いことにして論じる。 それでは「知恵」以外を含む場合ではどうであろうか。 一般にオフバランスではないものを含む場合は、原則として、「貨幣を介する」こととするとする。 しかし、「知恵」以外でもオフバランス部分を分離できる場合には、その部分だけを仲間等との間では「貨幣を介さない」で取引ができることとして良いことになる。 したがって、その部分を含めて、仲間うちで「貨幣を介さない」での先物等の取引が可能となる。 たとえば自分が創作した美術品等の「知恵」に該当する部分を仲間同士のオークション評価し合い、交換するような場合である。 そして、仲間内での「知恵」をシェアしての「定価値制」を基準とするサブスクリプション(期間利用)により長期にわたりサスティナビリティが可能となり、パンデミックスにもレジリエンス(回復力)を維持することができる。 仲間等のコミュニティ内でお互いに「気付き」を得て成した「知恵」の創成を期間を決めて自由に使い回すことにより「定価格」ではなく「定価値」のサブスクリプションが可能となる。 そうして、相互に使いあうシェアリングによるサブスクリプションも可能となる  私は共同創作した「知恵」の活用についてさらに考える。 仲間と共同して創作した「知恵」を「ゆたかな生活」に活かす開発を行う。 そして、仲間とともに、次世代遺産としての知的資本を構築し、その投下でさらに高度な「知恵」を再生産することができる。  仲間として最も近いのは結婚した娘である。 すでに自分の家庭を築き上げた職業人でもある。 新型コロナウィルスによる感染症伝播が日本でも広がり始めた頃、私は労災上の負傷をした。 仕事上の事故で足首の靭帯切断と脚内部骨折と内出血で全く動けなくなった。 困ったことに十数カ所の図書館から分厚い専門書を数十冊ずつ借りていて、その返却及び再借り入れができない。
娘は、通勤の間、悪天候のなかキャリーバッグを引いて二週間以上かけて処理してくれた。
普段往き来はほとんど無かったが、お互いの仕事ぶりをメール等で連絡しあっていたので、私の足になってくれた。

メールのやりとり

「私、図書館大好き。」

このやりとりで娘と私は本の仲間になった。
とんできてくれて、私が本の山に埋もれて蒸されているのを見るなり、エアコン設置替えの手配をした。
生活環境改善第一との「知恵」が働き、私もそれに気づいたのだった。 私の仕事の効率が向上したことは言うまでもない。仲間との「知恵」の働かせ方は以上のようにして活きたレジリエンスとして「ゆたかな生活」を築いていくために効果をもたらす。 この生活基盤に基づいてコミュニティが構成され、町、村、地域、都市が機能し、地方・中央の行政が成り立っていくのだ。 主権在民は民が国家に対して求める権利を有することをいうが、その前提として自らやるべきことやってからこそ主張できるものである。 自ら動かずして誰も動いてくれない。 他人は変えられない。 変えられるのは自分自身だけだ。 自分でかえられるものを変えてはじめてそれを知ったその他人が自らを変えることにトライしてくれることを期待することができるのだ。 これこそが「知恵」を活かすレジリエンスであり、仲間を通じてシェアされ、サスティナビリティ(持続可能性)が発揮できるのである。 国や地方はその単位で効率的な配分を考えればよいのであってその行政に公平さが要求されるだけである。 お上は何もしてくれないと言っても、お上は何もできないのであって、主権者たる我々の“しもべ”なのだから、正当な主張には耳をかたむけなければならない。 したがって、我々は百年かけても次のパンデミックまでにはレジリエンスの体力を整えておかなければならないのだ。人間は共創を続けている。 これも「本当の仲間」といえる。 そのような関係をもって仲間としての「知恵」の共創は「ゆたかな生活」のための知的資本構築投下による新たな価値の「知恵」再生産という目的を達成するのである。 すなわち、「ゆたかな生活」を目的とするために「知恵」を活かして知的資本を構築し投下して新たな価値ある「知恵」を創成し共創する「本当の仲間」は、それを共有することができる。また、仲間との離別があった場合、自立の基礎をつかむことが必要になる。 そうして以前の経験に立ち戻って、自分の「知恵」を想起し直すことにチャレンジすべきである。 これは立派に「仲間」との共創と同等に評価されるべきものである。 そうすれば、一人で生きることへのセカンドチャンスを生かすことができる。 他人には他人の人生があり、それはそれで自立しており他人の介在する余地はない。 したがって自分は自らそれまでの「知恵」を基盤として新たに自らの道を開いていくべきだ。 1964年、東京オリンピックのマラソ競技で史上初の2連勝を成し遂げた孤高のランナーアベベ・ビキラは「裸足のの哲人」と呼ばれた。しかしながら、彼の後半の人生は決して栄光に富んだものではなかった。 それでも各国の陸上競技者からは、いまも伝説のように語り継がれ、その功績に変わらぬ敬意をいだかれている。 時間的にも距離的にも離れた間柄でも、他人に対して人間的態度をとること、そして他人もまた同じような態度をとっていると意識することによって、自分と他人を共感的に同一視することができる。 そして、共感することにより、その「知恵」を自らのもののようにして共有し、共創することができるのである。 アフガニスタンで医療や人道支援に尽力していた中村哲医師は「医療よりまず水だ」として用水路の建設に挑み、その結果砂漠を緑化して灌漑を実現させ、65万人の健康と生活の維持に貢献した。
故郷の筑後川の「山田堰」で江戸時代の先達の「知恵」に倣ったものだ。 中村医師は惜しくも凶弾によりその尊い命を断たれたが、時と時間を経てもその精神と「知恵」は永遠に引き継がれるものである。 これらは、本当の仲間による新たな「知恵」の創成であり、共創にあたるといえよう。 すなわち、取引等の改善ができることとなる。 そして、「本当の仲間」との「知恵」取引等はお金のことを気にしないですることができ、「ゆたかな生活」ができることになる。 「本当の仲間」がその気になる前提としては、自分自身の中の仲間との改善がなされていなければならない。 自分自身の知恵があってはじめて仲間や先達の知恵を活かすことができる。 すなわち「ゆたかな生活」へ向けての改善により持続可能な開発がされる。 そして、日々の自分自身の強靭なレジリエンス(回復力)で百年に一度の経済的パニックやパンデミックにも、耐える力が蓄えられる。仲間同士「知恵」の取引に際して元本相当の受け渡ししか行われない場合には「貨幣を介さない」オフバランスとなりえる。 私が提案した「仲介」が仲間レベルでの「知恵」の先物買い等でさらに具体性をもって実現可能になるようプラス人生で挑戦することになる。 また、個人や家内事業で資金難、後継者難で悩んでいる方々と仲間になることでその「知恵」を活かして事業を継続することについての取り組みも始めた。 第二の人生での「知恵」の活用法も変えられるところは、プラスの人生で変えてさらに育てていく。 日本の零細小規模企業にこそ誇れる世界に冠たる「知恵」を活かすことからはじめて「仲間」の「本当の知恵」とは何かについて検討を進めた。 そして、家族・親族から先達を含めて時期、地域にかかわらない仲間を考えた。 つまるところ、仲間とは自分あってのものであることに気付いた。 そして、自分自身の知恵があってこそはじめて仲間や先達の知恵を活かすことができることに思い至った。 知恵の輪は自分で解いてこそ「知恵」を活かしたといえる。 「知恵の仲間」からは自分自身の中にこそいることへの「気付き」を得た。 これこそが本当の「知恵の仲間」への原点だと。 そして、政府、行政、財界内の各コミュニティは必ずそれらを構成する個人の「知恵」となんらかのかかわり合いをもって成立し、それぞれを構成する個人の「知恵」は各コミュニティの「知恵」の部分をなすものである。 したがって、個人の「知恵」は決してその個人だけのものではなくその属するコミュニティと共創したものであり、その成果は共有するものとなる。 たとえば、政党、委員会、オープンソリューション、研究会等と個人とのかかわり合いの中でそれぞれのミッションに見合う役割を見つけ出していくことです。 そのためには常に自ら変える人生を探し求めて「気付き」と「知恵」を相互に絡み合わせながら共創し、共有するのだ。 これらの方々の「知恵」がそれぞれの記憶から失われてしまわないうちに保全し、活用して蓄積した知的資本を身内や医師・介護関係を介して循環・還元することにより可能となる。 以上、「知恵」を「貨幣を使わない」取引とする『改善』で有効に活用して資金難や後継者難による撤退を回避し、で、格差のない生活を得ることを政管財民共通のミッションとすることを提案する。 この場合も、ミッションをわきまえるスタートはまず民であり、次に財、管、政とならなければならない。 民は自ら「ゆたかな社会」のために自己の「知恵」の活用による次世代への遺産としての知的資本の構築をするというミッションをわきまえなければならない。 しかも、これを「仲間」とともに「コミュニティ」を構成しながら共創し、共有していかなければならない。 財としての企業等は行きすぎた資本主義の弊害を除去すべく、資本と経営が労働の真価を発揮できるように共働し、その「知恵」を共創し、共有していかなければならない。 管であることに各行政官庁は民・財のミッションが十分発揮できるようにコントロール機能を万全としなければならない。 政はいうまでもなく、民・財・管の僕としてのミッションを果たさなければならない。 そして、改革よりも改善を旨とし、「知恵」の活用、創成、共創、共有を政管財民共通のミッションとてその機能を果たさなければならない。そこで、特に家族信託を使って仲間等との「知恵」の信託取引等をすれば、オフバランスの取引等になるので資金難等を回避出来ることになる。今後、このことについてさらな追及を行う。データを第三者に提供する事業としての情報銀行業務は非金融業務とも考えられる。 また、「情報銀行」との名称を用いないで同様なサービスを提供している事業者もある。 「ノウハウ銀行」も「ノウハウエイジェンシー」も金融業務とは無関係だし、一切お金を扱わないので、基本的には問題がないものと思われる。 したがって、「ノウハウ銀行」たるシステムとして「ノウハウエイジェンシー」として「ノウハウ等」活用のコンサルティング等の経営診断および情報管理を行う。  そこで、「ノウハウ銀行」では「ノウハウベース」、「ノウハウエイジェンシー」に機能を駆使して「ノウハウ等」の「貨幣を介さない」取引についてさらに追求する。 そして、そのためには他人を変えるという改革より、自分および仲間同士の当事者による「ノウハウ等」の先物取引でも家庭や仲間レベルで改善可能になるように「ノウハウ等」を働かせる必要がある。 仲間同士の取引に際して「ノウハウ等」の受け渡ししか行われない場合にはオフバランスで「貨幣を介さない」取引となる。 この場合、「ノウハウ等」を含んだオンバランス資産ならそのうちのオフバランスを分離した取引等により、将来にわたって「貨幣を介さない」で「ノウハウ等」の蓄積を可能とする。 そして、人間の「ノウハウ等」から発するオフバランスの「見えない資産」が次世代への遺産として蓄積される。 それが知的資本として構築され、投下されて更なる「ノウハウ等」の再生産がされる。 以上、「ノウハウ等」を「貨幣を使わない」取引とする『改善』で有効に活用して資金難や後継者難による撤退を回避し、格差のない生活を得ることを政官財民共通のミッションとしていかなければならない。 主体としては海外列強、大企業、中小企業、地域、コミュニティの団体等をはじめとして仲間、親族、家族、個人等の全体を対象として考える必要があるが、それぞれのミッションをポッシブルにするために「ノウハウ銀行」の機能のフル活用が望まれる。非効率な業務をアウトソーシングするビジネス・プロセス・アウトソーシングをインタンジブルアセットへの適切な対応そのものとして採用している。 3.遊技機メーカーとして初の一部上場会社「平和」では、公取委の勧告に基づく当業界パ テントプール解散後の混乱したライセンス環境の中での個別交渉の正常化を委嘱され、業界内の適正な ライセンス交渉体制確立を推進し、ライセンス担当部長としてコンテンツを含む知的資産流通体制を構築した(2000年4月~2006年3月)。 4.平和の100%子会社として「株式会社平和プラス」を設立し、同社代表取締役社長として平和グル ープの有する知的資産の事業化価値の評価を行うとともに広くコンテンツを含む知的資産の運用・活用事業を行った(2006年4月~2008年39月)。 さてこれからは、大まかに、理研時代、日軽金、新日軽時代、人材銀行(ナチュラル・遠赤外線サウナ訪問販売時代)、コンピュータサービス時代、CSK時代、アウトプレースメント時代、平和時代、平和プラス時代、ノウハウライブラリー時代、ノウハウエイジェンシー時代に分けて順次公開させていただく。

が一体化するので、強固な保護表面が形成されるというもののだった。  さらに、もうアルマイトなどはいらない。アルミニウムは非常に酸化し易い金属で、加圧水蒸気にさらされるとベーマイトという極めて薄い皮膜ができる。これと水溶性熱硬化型アクリル樹脂塗料の親和性を利用してアルマイト無しでどぶ漬け塗装が可能だとして実用化してしまった。  これによって、住宅用アルミサッシの表面処理コストが大幅に削減されたことは言うまでもない。  さらに、これまで追いかけてきた一般の塗装法にしても、工場における表面処理工程では電解処理装置の大きさに限界があるので、いっぱんのメッキ処理等と同じく、せいぜい非処理物の完成部品寸法程度がハンドリング規模の限界だった。  しかし、このどぶ漬け塗装では塗装段階での電解処理がないため7メートルもの長尺材を搬送しながら塗装ができることとなった。  しかも、7メートルの長尺材が入る処理槽にどぶ漬けした後はその長尺材をクレーンで縦に吊り上げて搬送する大型装置を設置することとなった。  工場の高さも処理槽の長さも今までのものと比べると想像を絶するものとなったが、この縦づり法は、浸漬塗装で難点とされていた塗料の垂れを防ぐことと、塗装の平滑性を保持することができること最大の貢献をすることとなった。  この長尺材はアルミニウムのインゴットから押し出し機で断面同一形状で金太郎飴のように押し出され、必要な長さに切断されてからそれぞれの加工処理がされる。  サッシ等用に切断された押し出し型材の端材は大量に出るので、これは再溶解され再度押し出し機から押し出して型材として再活用される。  この場合、成分の整ったはざいなら再溶解しないで、そのスクラップ材を前処理して圧縮したものを押し出すとインゴットからのものと同じくアルミ押し出し型材が成形できる。  これを先の浸漬塗装、ベーマイト塗装、長尺材の縦づり塗装と組み合わせてアルミと建材需要に応じて、安く、高品質なものを速く生成する方法を確立した。  以上を企画部次長として特許戦略を取りながら推進した。

今では上告できる案件ではないが、当時は可能だったので応じたが、結論は侵害は認められないとの勝訴判決を得た。  本来訴えられる側の管轄になる地裁に提訴しなければならないのに、原告である自分の住居地の地裁に訴えてきたので、その後移送手続きが必要になったり、さんざん振り回された。  さらに、侵害事件として訴えられたことの原因が特許庁の権利化手続き上の問題であったことがある。  ある建材製品が某社の特許権侵害だとして、製造販売差し止め請求をされた。  その製品に関する特許公報は十分調査の上で商品化したものについてだったので遡って調査を継続していた。  すると、しばらくして、一般の特許出願公報に混じって、訂正公報が特許庁から発行されてきた。  不審に思ってよくよく見ると、「先の公報は誤りなので訂正する」とあり、前にされた出願公告の内容よりずっと広い請求範囲の権利範囲となる訂正公報で、「この訂正した範囲で公告とする」旨記載されている。  出願公告で仮保護権が発生する制度のあったときで、審査官が公告決定するまでは出願人の補正が認められこととなっていた。  しかし、特許庁でどのような手続き処分がされていたかを審査経過の包袋調査をしてみると次のようなことがわかった。  すなわち、審査官が公告決定する直前に出願人から出された出願明細書の補正書が窓口に出されていて、それは公告決定前の補正となるので有効となる。  そこで、特許庁は、特許法の出願公告は公告決定される前に出されていた補正書の内容でなされたことなるとしたのである。  当方は、正規に公告された内容で権利が発生するので、それから外れた範囲のものはその権利は発生しないとして製品設計するところ、突然その公告公報は間違いで新たに出された訂正公報の内容で権利が発生するとされたのである。  これでは特許庁が法律に基づいて発行した公告公報は信じられないこととなる。  実際の権利化過程を詳細に調べると、特許庁内の手続き処分に違法性があるし、そのまま訂正公報の内容で権利が発生したことを認めると、差し止め・損害賠償訴訟は極めて不利なこととなる。  そこで、特許侵害訴訟とは別に行政訴訟を起こすことにした。  そして当時の法制度に従って、行政不服審査法に基づく異議申し立てを特許庁長官に対して行った。  それからは、特許侵害訴訟と行政訴訟が複雑に絡まって進行し、最終的には当事者間の和解が成立したが、行政不服審査法にあった「処分を知った日から60日」に異議申し立てをしなければならないことが本件の場合には実質的に不可能であるにもかかわらず斟酌されなかった恨みが残った。  ちなみに、同法制は改正されて今ではそのような理不尽な処分がされることはないようになった。  ところで、新日軽は2010年、トステムとイナックスの持ち株会社LIXILグループの完全子会社となり、2011年トステムに吸収合併され、LIXILとなったが「新日軽」は商品ブランド名として存続している。

コンテンツ流通時代

株式会社平和プラスはコンテンツの流通を図ることを目的として設立された。 遊技機のうちパチンコ・パチスロは機器のゲーム性もさることながら、特にパチンコはその盤面が広くプレイヤー側に開いているので、描かれるデザインの意匠性がプレイヤーの好みに合っているものの人気が高く、ホールを経営する店側が導入を決める重要な要素となっている。そこでそれらの機種を製作するメーカーとしては、人気の高いコンテンツを備えた機種をできるだけ多く納入できるようにコンテンツの権利者側とライセンス交渉をすることとなる。そうすると、人気の高いコンテンツを求めてそのコンテンツの受諾できるための競争率はしのぎを削ることになり、ライセンス料はますます高騰する。しかし、非常に高い利益率を誇る同業界ではそんなことはお構いなしで次々と人気コンテンツを競って導入し、むしろ、肝心の製造上、営業上の他の用件はよりも重要視されるがごとき様相を呈しつつあった。 平和でもかつて「黄門ちゃま」と銘打ったパチンコ機で大ヒットを飛ばしたことがある。これは水戸黄門を漫画風にしたものを他社から安く許諾を受け、自社風にアレンジしたもので、むしろ自社独自のコンテンツといっても良いものであった。しかし、他社であったような10億円、20億円といったものはなかった。でも、パチンコも今やメディアの一種と言え、良いコンテンツに恵まれれば大量に注文され、しかもホールへの設置期間が長期にわたることになるのでコンテンツのライセンス料など難なく償却できることもある。しかし、博打に近い射倖性ある遊技機だからこそできる償却がされているのであって決して価値の増大が見込める流通とは言えない。従って、折角の「ノウハウ」の活用で「知恵」の再生産をして次世代への遺産としての知的資本を構築できるように事業を進めることとした。

パチンコ・パチスロだけに使用するキャラクター等のコンテンツをコミックや映画の世界から高いライセンス料を払って許諾を受けるのではなく、自ら創作したものを自社の機器に採用するとともに、他のメディアに露出させることでそのコンテンツを流通させ、育成することでその価値を増さしめるともに、その価値の増大したコンテンツを搭載した機器の付加価値をさらに増すような善循環をさせることを企図した。 実際、平和の若手デザイナーが創作したイメージキャラクターを使った次期製品として企画中のプロモーションソフトが紹介されたので、このキャラクターコンテンツにより漫画制作プロモーターおよび漫画作家に原案作成をしてもらい、出版事業での事業計画に載せるべくプロモートした。 このような目論見で、実際に連載漫画化して角川書店の雑誌に連続ものとして掲載を開始した。その漫画は好評のうちに連載を継続した。その人気を上げるために国内のグッズメーカーやアプリメーカー等を物色し続けた。パチンコ・パチスロ時代

空っ風で有名な群馬県桐生市での単身赴任生活が始まった。大学は高崎だったので久しぶりの上州だ。県庁所在地は前橋、高崎は交通の要地、桐生は織物の街だが、当時はパチンコメーカーの街でもあった。桐生の三大メーカーと残りの名古屋10数社とが勢力を二分していた。特に東証一部上場企業は平和とSANKYOで、平和は同業界での最初の上場会社だった。SANKYOは平和の元従業員が独立したものだった。しかし、SANKYOの勢力が増大するに従って業界のシェアを多く握ることになりパテントライセンシングの主導権を握るようなことが多くなることを考慮しなければならくなった。以前は業界10数社でパテントプールを構成していたのであったが、公取委の勧告に従って同プールを解散してからは、業界内のライセンシング環境が乱れたものになっていた。パテントプールに入っていなかった会社との厳しい条件をも含めて一部の有利な立場の会社とのライセンス交渉が進められたので、必ずしも妥当なものとは見られない状況になってしまっていた。平和のライセンス料収支は業界のパイオニアともいえる多数の権利の割には納得するのできないものとなっているというのが会社トップの言い分であった。 その方針を受けて、権利件数と共に権利内容も勘案した最も妥当な条件を全交渉相手との相対的収支バランスを考えながらライセンス交渉を進めたところ、妥当なライセンス料収入に復帰することができた。しかし、業界内では、必ずしも妥当ではないと考えられる条件を強いられているとする会社もいくつかあった。そこで、新たな社長から「新たなルールで業界全社が参加できる新パテントライセンス環境を作ろう」との提案がなされた。  新社長ともども元パテントプール に参加していなかった会社を含めて業界全体を回って趣旨説明と協力を依頼した。業界全体となるとパテントプールの意味が曖昧になるし、各社ともそれぞれの事情もあるので最終的合意には時間を要した。信託方式等新しい方式も含めて各社が納得のいくシステムを模索して全社説明会で説得を続けた。 一方、平和ではトップからの指示で、計画的に特許出願件数の増大を図った。もともと権利件数は業界内で群を抜いていたが、追随する数社が次々と権利件数を増やしてくるので一瞬でも手を抜けなかったからである。パチンコ・パチスロの技術は機械的には公知技術を組み合わせた極めて細かいものが多く、更に高度に電子化した技術部品を結合したものが殆どとなっていたので、一瞬でも早く出願する必要があり、しかも周辺技術を厳重に固めなければ勝てなかったからである。そこで、私はハード面でもソフト面でも応用の利く優秀な弁理士を人を新たな代理人とした。彼らは平和の多数出願戦略には理解を示したが、従来から平和の代理人だった弁理士からはその必要性に疑問を呈する声も聞こえてきた。しかし、特許は経営の手段でこそあれ、目的とはなりえない。従って、出願を依頼された代理人は1件の受任案件の権利化効率、すなわち、成功謝金獲得率が重要なのかもしれないが、企業サイドでは該当商品なりサービスのその特許技術と「知恵」や「ノウハウ」による市場占拠率がさらに重要なのである。従って、ライセンス料の収支はその経費面での貢献度の目安を示すものに過ぎない。最も重要な目的は自己の創作技術の保護であり、知的財産権によることが法的には保証されているに過ぎない。従って、権利保護の方向も単なる特許出願、意匠出願といった知的財産権制度に基づく権利化シーエスケイ時代

コンピュータサービス株式会社はCSK株式会社と社名変更した。  CSKを商標登録したかったのだが、先に「中外製薬株式会社」が登録していたのでしばらくかなわなかった。  しかし、同社が同商標登録を継続しなくなったのでようやく願いがかなったという事情もある。  そして独立系コンピュータソフトウェア開発会社として主に国内主要企業等から請け負ったソフトを独自開発するとともにコンピュータ室の運営管理に係わるあらゆるサービスへの展開を見せた。  したがって、図書室等の書誌情報や諸ドキュメント、各分室からのノウハウ情報、本部で受けた開発情報等がデータベース化されて全国の顧客・ユーザー先に常駐しているSEが閲覧できるようにした。  当初、このレベルの社内ノウハウ登録および開示を「ノウハウ図書館」として各端末から利用できるようにした。  そして、本命は全国の各分室にいる各SEのノウハウ相互利用によるシステム開発生産性向上である。  みんながネットを通じてノウハウを共有しあうだけでそんなに効果があるものかというと必ずしもそうではない。  システムの開発というものはそう簡単に要素技術を結合すればできるというものではないという事例がある。  ある大手のファーストフードチェーンのシステム開発を一手に受けていたプロジェクトが一気に拡大を要請された。  既存のシステムを生かして新規事業を展開するためには今までのシステムを開発したプロジェクトチームのノウハウが必要となる。  DBからの情報も必要だが人の情報がもっと欲しい。  こんなときこそ役にたつのが「ノウハウ図書館」だ。  本の図書館に例えれば、「この本を書いたのは誰でその人の話を聴くにはどうしたらよいか?」を調べるのと同じだ。  これが全く異なるプロジェクトで本件とは直接関係のない「AチームのQさんで、アクセスするにはこのルートがあるよ!」との応えが得られる『ノウフー』システムだ。  実際に、拡張大プロジェクト開発を命じられたが前プロジェクトチームは解散してしまってドキュメントしかないとき、そのユーザーの別プロジェクトに前プロジェクトメンバーがいることがわかって、地獄で仏というか、敵陣に囲まれたジャングルの中で味方の先行部隊に出会えて助かった、というような事例もある。  システム開発に限らず、プロジェクトを遂行するにはその人の「知恵」が第一だと言えるケースだ。  ほかの例を話そう。  納期、コストともにパーフェクトで業績ナンバー1の表彰を受けたあるプロジェクトリーダーがその秘訣の一つとして次のようなことを言っている。  「システム開発に下請け業者を使ったが、その下請けSE達に複写機使用の制限を撤廃したら、スピード、コストともに抜群の向上を見せ、今回の表彰につながった。」  すなわち、「下請けにコピーを自由にさせておくと、私用に使ったりして好ましくないと思って制限していたが、今回、自由に複写機を使って良いことにしたらむしろ好結果につながった。」ということだった。  まさに。「人」の気持ちへのノウハウである。  このように時と場所を違えて自由に交信する技術は、大型コンピュータの時代だったのでNTTの基幹を使う他は当時一般にはようやく普及し始めたパソコン通信位しかなかった。  しかしながら、インターネットが一般化し出したので、それを構内で使う方法が試用できるとして一部専門誌で取り上げられた。  その後ジャーナリズムではイントラネットとして話題にはなったが、まだ実施している例を知らなかったので、専門誌に発表した会社に問い合わせたところ「そんなことができると言っている者が当社にいるのですか?当社内では認知されておりません。」との回答だった。  しかし、私はこれを上手く使えば、構内と構外を結びつけて、CSK内部のデータベースと全国に広がる顧客・ユーザーのコンピュータ室に常駐するCSK・SEとのネットワークに応用できるのではないかと考えた。  そして、当時きってのエンジニアリング専門家であったベテラン部長と東大理系エリートの若手部下を泣き落としてシステム化に結びつけてもらった。  これを運用するとなると、システム上の手当てもさることながら、処理スタッフも考えなければならない。  少なくともあと30人は採用しなければならないと考えた。  社内で承認をとったので記者の取材に応じたら、日本経済新聞に「株式会社CSK知的財産管理部で30人来期増員予定」と載ったので、「何でコンピュータソフトの会社が?」との声が殺到した。  それ程ではなかったが、かなりの強化をしたことは言うまでもない。  でもそれだけ強化して業務を進めると、システム開発の情報を受けても実績登録がないと担当が機械的に督促するという事態も生じてきた。  事業部制をとっていた時なので、各事業部はそれぞれ独自の実績登録をしていた。  そんな時、知財管理部門の担当者から事業部の業績に直接関係ないと思われる業務報告を強いられると、事業部の担当責任者としては面白くない。  また、全国の分室なり、本部に駐在しているシステム開発者は、本来の業務報告以外に余分な作業が強いられていると思うようになる。  各事業部長は、確かに今までは知ることのできなかった他事業部所属SEのノウハウまで得られれば、その分だけ自部門のシステム開発の生産性が上がるので好ましいが、逆にこちらのノウハウも全社に提供することになるので、その効果は相対的に考えなくてはならず、自部門への貢献度は時間と共に減退し、他事業部を利することの方が多くなることを懸念するようになる。  そして各事業部長は、総論賛成、各論反対の気持ちが高まってくる。  事業部制における事業部長評価は事業部自体の成績によるので全社的には都合の良い仕組みでも直ちには受け入れられない、と考える。  意見を求められれば「良いことです」と答えるに違いないが、賛否に一票を投じる段になると、「反対」となるのだ。  これが事業部制をとらない場合であっても事情はそうは変わらない。  組織の部門責任者の本音はどんな体制のもとでも基本的には変わらないので、本音でもそうすべきだと思わせる方法をとることが肝要だ。  スタートしてから何年か経つと、もうすでに一般の事業部間ではそれ程新しいノウハウが交換されるわけではなくなる。  そこで、オーナー企業で自分の出した方針はそう簡単には変えないので、経営陣補強のために引き入れた経営陣のうちで新たな業績をなす意向の強い方々に個別に趣旨の理解をしていただくことにした。  そのような方々は各事業部でも今まで入り切れていない分野に精通していたり、特別な技術を持っていたりするので、さらに専門特化していくのに役にたつ。  また、特定の事業部だけでは処理しきれないとか事業部に分担させないで原子力や人工知能、特殊マシン等専門の技術部門で処理するのが妥当なノウハウは事業部を通さず直接登録してもらえば済む話だということに気付く。  今や、事業部制など気にしないで、そのようなノウハウ情報を提供したり利用する場合の効果あるインセンティブに配慮すれば済むことである。  CSKでも、当時レーザー技術等ハードとソフトを組み合わせサービス技術の開発を始めており、特に医療機器についてのレーザーディスクに遠赤外線サウナ訪問販売時代

理研軽金属という理化学研究所の流れを汲みながら、ヤマハと日本軽金属の出資を得ているところから技術と人脈の絡みも複雑であった。  例えば、ヤマハからエレクトーン技術の日本における先駆者だった技術者が派遣されてきて、理研軽金属に「特許志向」を植えつけるべく、その先導者として私を選んだこと、日本軽金属商品開発の主導者がグループ内の三次加工会社統合のため創設する新日軽の特許部門長を私にしたことは特許体制を整えて市場でのアドバンテージを取ろうとする気負いがあったためだと思われる。  そのためか、既存組織の慣例に著しく反する人事上の特例を私に認めることになり、大いに推奨してくれる向きがあれば、逆に反感を買うケースもあった。  ある現場から本部に上がってきた部長殿からは、「当社には人別帳があることを忘れるな」との忠告を賜った。  ある程度の成果が出る度毎の詮索も尋常ではなかった。  そこで、技術情報管理と知的財産管理の業務に精通しているとの触れ込みで人材銀行に登録した。    しばらく、人脈のしがらみの無い仕事、特に外回りの営業をやってみようと思って「ナチュラル」という健康食品の会社に応募してみたら、採用された。  健康食品とは名ばかりで、実は催眠商法で、顧客は気が付いたら羽毛布団等の高い商品を買わされてしまっているというような商売の会社だということは薄々わかっていた。  ところが何と、旭硝子製造の遠赤外線低温サウナの訪問販売の仕事だった。  真夏の猛暑の中、一軒一軒のドアを叩いての押し売りに近い販売方法だ。  約9ヶ月、真っ黒になって売り歩いた。  追い払われるのは当たり前だが、水をかけられたり、塩を撒かれたり散々だった。  コネを使って何件か成約したが、解約されないうちに再訪問し、組み立て指導という名目で、納品済みにしてしまう手立てが、また、大変だった。  20人ほどの新規販売員が朝礼を一緒にやった後、三々五々それぞれ目指す地域に向けた飛び出していく。  そして夕方の一定の時間になると一応の報告のために帰ってくる。  その報告を聞いていると、それぞれいろいろな工夫のもとに飛び込み営業をやっているように聞こえた。  しかし、実際には、あちこちの喫茶店等で溜りを作って情報交換をしていることが分かった。  そこでの情報を聴いていると、実際に本命のサウナ商品を売っているのはごくわずかで、次の仕事を探していたり、全く別の自分の商売をやっているものがほとんどだった。  みんな海千山千の流れ商売人で、固定給分の収入だけが目当てで、売り上げに対する歩合など目ではないとしている者共の集まりだった。  そんな中でも、ものすごい営業成績をあげている先輩販売員がいたのでそのコツを訪ねたところ、ある宗教へ入ることを勧められたので、この仕事を続けるのはあきらめた。

ついてアメリカのドレクスラー社と提携して、レーザーカードシステムを研究開発していた。  特に患者の診察券を大容量のレーザーカードにして、コンピュータソフト時代

そんなとき、登録していた人材銀行から通知が来て想わぬところから声がかかった。  コンピュータサービスというコンピュータソフトウェアの開発会社だった。  当時、大阪から出てきて新宿の高層ビルに本社を構える二部上場企業だったが、一時株価が1万円を超える勢いだった。  トップ企業や官公庁でコンピュータを導入しても時のエリート職員はコンピュータ室勤務を嫌ってやりたがらない。  本筋のエリートコースから外れてしまうのを恐れたからだ。  そこで、創業者大川功はそんなコンピュータ室のキーパンチだのテープ替えなどや単調なプログラミングなどの仕事を請け負うことから始めて、いわゆるコンピュータサービスを事業化していった。  そして、大阪淀屋橋でたった20人で始めた仕事が数千人のシステムエンジニアを抱える事業にまで発展したのである。  独立系ソフト会社初の東証二部上場企業になり、東証一部に上場替えしてからも順調に発展を続けた。  そこで、大川社長は私に「特許をたのむな」という言い方をしたのである。  要するに、「これからはソフトの時代だからそれの特許等で我々の知的財産をしっかり護ってくれ」ということだと解した。  ソフトは著作権だ、いやソフト特許もある、等いろんな見解があったが、彼からすると「どちらでもいいから兎に角、自分たちのソフトが権利で護られるようにしろ」ということだ。  早速、社内で各人が持っている図書等の書誌情報とデータ化されているコンテンツ情報を供出させて社員全員が活用できるようにしたことは言うまでもなく、各SEが持っている個人的ノウハウ等のソフト部品や仕様を業務報告時に各現場から本社DBに入力する制度を確立した。  初めは社員全員が持っている図書類を洗いざらい供出させ、新宿住友ビルのワンフロア全部を図書室にしてしまうことから始めた。  その後は順次各個人のデスク内にしまい込んでいる各種モジュールや部品ソフトの供出だ。  そして、各企業、官庁のコンピュータ室でソフト開発をしているSEには、受託したソフト開発業務のコンピュータサービス本社への報告時に、顧客への提出成果物自体の権利に抵触することがないようにして、それぞれのSE個人が自分のノウハウ等として使った内容を本社DBに入力させるようにした。  同社が顧客から請け負ったシステム開発の成果は全て顧客の権利であり、開発したSEは一切持ち帰ることができない。  しかし、顧客から要求仕様を開示される前から自分自身のノウハウとして持っていたものはその個人の権利である。  自分の所属する会社に業務報告としてて提出するのにそれらを使うのは当然のことである。  また、それらは、請け負った成果物同様、それを請負開発したSE以外の同僚のSEにも開示されていなかったものである。  この際、それらを社員全体の共有にして活用しようとするものである。

医療サイドの治療経歴や他の治療方法、治療実績治療効果等のデータが呼び込めるようにする目的だった。  今でこそUSBメモリー等で全く異なる解決が得られるようになったが、当時は円盤ディスクと違って回転運動ではない方法でスキャンしなければならないので開発にあたった技術担当者は並々ならない苦労をしたようだった。  また、エキスパートシステム等の探索システムへの要求も深まっていた。  大川社長は、機械翻訳を実用化して世界平和に貢献するという夢をもって、自然言語処理の研究者を迎え入れたり、アメリカMBAに冠講座を設けたりして大変な苦労と投資をしたが、スマホで翻訳の今から見ると、隔世の感がする。  しかし、これらのノウハウは単なる技術情報ということだけではなく、当時の事業部間の軋轢やオーナーの思い入れ等の絡んだ生き残りの「知恵」とされて今後のAIや量子コンピュータについてのアプリケーションシステム上のユーザーニーズに繋がっていくものとなるのである。

だけではなく、漫画や映画のキャラクターや人にまつわる「ノウハウ」等のコンテンツにまつわる権利主張ができる体制作りを目指すことのした。当アウトプレースメント時代

大川社長は2001年に亡くなって、その後は何人か社長が交替したが、私を理解してくれていた生え抜きの社長になったとき、彼からアウトプレースメント行きを打診された。すなわち、再就職支援会社へ行ってくれないか?ということだった。普通半年位の間に再就職先を決めないとそれ以上は費用負担しないのが原則だが、私の場合は事情を勘案して、特に期限を定めないという。 彼曰く、「全事業部長に対してあなたの引き受け手となってくれないかと打診したが、あなたの給与額を負担できる事業部はないということになった。次の口を見つけるためにドイツ系の優秀な就職斡旋会社に行ってくれないか。もし、それができないのならば、定年まで今の年収を保証する条件で退職してくれないか。」 まだまだ仕事は続けたいし、できれば今まで経験したことのない分野に進みたいと思っていたので、アウトプレースメント行きを承諾した。 恵比寿にある立派な会社で、通信機器は使いたい放題で、希望分野に応じてコンサルタントがあてがわれる。私には日本一のミニコンメーカーを退職したエンジニアが担当してくれた。この方は今ではご自身で農園を経営しておられるが、技術はさるもの、実に人間としてできておられて、精神的に落ち込みがちになるところをしっかりと支えてくれた。今でも年賀状のやりとりを続けている。もうミニコンのことを勉強できる機会は殆どないとは思うが、彼から教わった「知恵」は底力となって今でもビジネスに活かせる。 隣のブースから女性の売り込み電話の声が聞こえてくる。外資系のエグゼクティブだったらしく、その博学なこと、2~3カ国を駆使して弁舌さわやかなこと、しばし劣等感にさいなまれた。遠赤外線サウナの訪問販売のときに覚えた電話アポに繋げる飛び込みの荒業やクロージングに引き込むマジックマニュアルを駆使しての自分売り込みも功を奏せず、8ヶ月経っても就職先は決まらなかった。 そんなとき、ある仲間とイベントの打ち合わせをしている最中に携帯電話が鳴った。「平和と申しますが、桐生まで来てくれませんか?」アウトプレースメントとは関係なくネットで応募していたパチンコメーカーからだ。伺っていくつかの質問に答えた。しばらくすると、副社長が会いたいとのこと。副社長はオーナーに請われて実質的社長業をやっているが、業界の特許ライセンス体制を整えたいので協力してくれとのこと。喜んでお引き受けすることにした。これでアウトプレースメントでの用件は終わりとできるので、その旨CSKに報告に行った。すると、有給であったその期間迄を含めた退職金を頂けた。その時の社長と人事責任者とは今でも年賀状のやりとりをしている。

時超人気の漫画「ドラゴンボール」はいくら大枚を積んで鳥山御殿参りをしても絶対に使用の許諾を受けられないというのが当業界の常識だった。そこまでいかなくても、人気番組のキャラクターの使用料は億単位の金額が次から次へと出ていくのが常とされていた。パチンコ・パチスロは一種のメディアとしての機能を持っているのでゲームの面白さもさることながら、ホールは顧客を引きつけるのに魅力あるキャラクター等のコンテンツで店に導入するメーカー機種を選ぶようになっていた。平和はあくまでも先発メーカーとしての若干のヴァリエーションを伴うが、オリジナルコンテンツで勝負してきた歴史があり、その場合も自社独自の機能で人気機種を創作してきた。従って、新機種用のコンテンツは原則として社内のデザイナーが作り、機種との適合性を考慮して採否を決定していた。ところでこのように機種に適合できるかどうかでコンテンツの採否を決定するのみではそのコンテンツの適合性の範囲を狭めてしまうことになる。そこで、そのコンテンツにかかるキャラクター等を出版社と組んで雑誌の連載漫画等に仕立てることを考えた。そのようにしてその漫画等の人気を上昇させて、単行本化、映画化、テレビ番組化、さらにグッズや記念品化させて、単なるパチンコ・パチスロ用コンテンツではなくこれらの人気にあやかるコンテンツになることができるようにすることを前向きに考えることにした。 そのためには、パチンコ・パチスロ開発・設計とは別部隊とする方が合理的なので、別途コンテンツ流通の組織を設定すべき旨提案した。

幸いにも中国共産党の審査はパスした。そして、そのゲームアプリ化を中国で製作するために沖電気と提携した。新規に採用したエンターテイメントおよびプロダクトマネージメントの専門家と中国事情精通者を中国に出張させて事業の推進を図った。

また、パチンコ・パチスロのデザインから発するコンテンツについての「ノウハウ」を活用するのみではなく、ホールからの情報または全く異なる業界からの情報に基づくコンテンツを遊技機等に絡めて流通させても、絡めないで自由なサイクルで流通させても良いこととして業務を企画した。

なお、平和プラスは平和特許部のコンサルティングを有償で実施した。

しかし全額出資会社平和の株式を親交の深かったパチスロメーカーの株式会社オリンピアに譲渡することになったので、そのオーナーの意向で、平和からの出資がすべて引き上げられることになり、残念ながら、株式会社平和プラスは終局を迎えることになった。

なお、平和プラスの代表取締役社長を辞した後も顧問格の特許担当部長としては平和に残り、Topが絡む重要なライセンス交渉、係争事件には同席してサポートした。

タバコ、アルコールをやめて30年間、70歳で運転免許証を返納して10年間は単に健康、安全の問題だけでなく自らするレジリエンス貢献についてもさらに重要な意味を有する。 環境問題を政府や行政の役目にするのではなく、自らを変えることから始めるのである。 街を走る乗用車、公道を走るトラック等は必ずしも社会的に不可欠なものだけとは限られない。 幹線道路、高速道路を数珠繋ぎになって轟音を放ちながら連綿と走るとともに大渋滞でその機能を果たせなくなっている大型トラック群を見ているとどれだけが本当に必要なものなのか疑問となる。 不要にドライブの趣味を満足させるためだけの一人乗り乗用車が殆どだし、無駄にガソリンをばらまく高排気量スポーツカーは安全ばかりでなく環境上不適切である。 公道を倉庫にして連綿と渋滞する大型トラック群はマーケティングの間違った拡大による無計画なサプライチェーン依存の弊害である。 本来弊害を生じていた大量生産主義を合理化して「ゆたかな社会」のために顧客が必要とするものを提供することから発展したマーケッティングとその高収益化の手段としてのサプライチェーンの誤用による弱点がこの新コロナパンデミックで暴露されたに過ぎないことに気が付いている向きは今になってもほとんど見られない。 今回のパンデミックによって思い知らされた物流の基本の基本についての間違いを改善していかなければならない。 脱炭素化も個人個人が自ら本当の問題点に気づかない限り永遠に解決しない。 生物が生き続けるためにどの要件をどの順序で優先させなければならないかを、個人個人が真剣に追及して実践することの集大成が必要最低限の結論を導く。 EV車のバッテリー充電等諸関係のための電力は環境破壊のない風力、地熱、太陽熱、水素発電システムだけですむのか? 脱炭素化取引については政府や大企業社会だけの問題なのではなく、個人個人の覚悟によらなければ正解は得られないのではないか。 他人に解決責任を押し付けることはやめなければならない。 個々人自らが仲間とともにできることから変えるとともにそれを広げていかなければならない。 仲間による「ノウハウ」仲介のシェアリングシステムと「価値」基準のサブスクリプションによる新しい「ノウハウ」のレジリエンスの展開である

 仲間との「知恵」の働かせ方

  今回のパンデミック対応として、たとえば行政がクラスターの発生を避けるために営業自粛を指示したことがあった。 そして、その指示に従わないパチンコ店名を公表したところ、むしろその公表が強力な宣伝となって、指示に従わない店のみに客が殺到し、問題となったことがあった。 もともとが高い射幸性はあるものの公安維持のため当局の庇護のもとに発展した事業であるので当然に予想される事態ではあった。 その趣旨から、あまり強度の行政措置は、たとえばアメリカにおける禁酒法のもとでアル・カポネによるギャング団が跋扈したようなことになる。 こうした「ノウハウ」の応報は、ここでいう仲間等が後継者への遺産として「ゆたかな生活」のための知的資本を構築に活用する「ノウハウ」とはあきらかに異なる。 また、営業自粛に対する政府の補償や、生活困難に対する給付は確かに緊急時においては仕方がないこととはいうものの、結果として次世代への税金負担の先送りとなる。 それがたとえMMT論に従ったとしても、過剰な公債発行でインフレによる経済破綻も避けられないことになり得る。 また、生活保護にしても、たとえば支援団体と病院等の弱者保護の大義名分によって、すでに支給が必要でなくなっているにもかかわらず、延々と継続されている事実もある。 本人、団体、施設がそれぞれの「ノウハウ」を駆使して、自組織経営優先処理を繰り返し、行政も形式上の手続き処理にしたがって処理する。 この繰り返しで人々の働く意欲をますます喪失させ、また彼ら自身の懈怠によって本来無くすべき“格差”を自ら広げてしまっている。 パンデミック等の危機にもかかわらず回復を遂げるために必要な「知恵」は自らが日々創成して蓄積しておかなければならないものである。 自己の「ノウハウ」をまず仲間に提供し、そして仲間と共創してこそさらに価値ある新しい「ノウハウ」が創成され、共創されて長期にわたって蓄積されることにならなければならない。 蓄積され価値増大されて「ゆたかな生活」に活かされるものは少なからずとも「ノウハウ」の要素を持つ。 これら「ゆたかな生活」に活かされるあらゆるものを常に築いていくことこそすなわち知的資本構築とその投下による新たな価値の再生産につながる。 仲間との「ノウハウ」の働かせ方は以上のようにして活きたレジリエンスとして「ゆたかな生活」を築いていくために効果をもたらす。 この生活基盤に基づいてコミュニティが構成され、町、村、地域、都市が機能し、地方・中央の行政が成り立っていくのだ。 主権在民は民が国家に対して求める権利を有することをいうが、その前提として自らやるべきことやってからこそ主張できるものである。 自ら動かずして誰も動いてくれない。 他人は変えられない。 変えられるのは自分自身だけだ。 自分でかえられるものを変えてはじめてそれを知ったその他人が自らを変えることにトライしてくれることを期待することができるのだ。 これこそが「ノウハウ」を活かすレジリエンスであり、仲間を通じてシェアされ、サスティナビリティ(持続可能性)が発揮できるのである。 国や地方はその単位で効率的な配分を考えればよいのであってその行政に公平さが要求されるだけである。 お上は何もしてくれないと言っても、お上は何もできないのであって、主権者たる我々の“しもべ”なのだから、正当な主張には耳をかたむけなければならない。 したがって、我々は百年かけても次のパンデミックまでにはレジリエンスの体力を整えておかなければならないのだ。

 

 本当の仲間 

仲間にもいろいろある。 例えばコミックから映画化されて人気を呼んでいる作品に『土竜の唄(もぐらのうた)』というのがある。 新米警察官が麻薬密輸出入の疑いがある大物やくざのもとに潜入捜査官として侵入させられて、その大幹部と「義兄弟の契り」をかわす場面がある。 これで本当の兄弟以上の関係となるものである。 さらに、「親子盃(おやこさかずき)」は親分子分の血縁関係を特定するための儀式で、この「親子盃」交杯で一家名乗りが許され、親分との絶対服従の関係が出来上がり、組織からの離脱もできなくなる。 これに挑戦し、組トップの麻薬密売を挙げようと警察官でありながら暴力団幹部に成り上がっていく苦悩を描いたフィクションだ。 血の繋がりはないものの実の親子・兄弟以上の擬制した血縁関係を迫られる辛さがある。 違法行為を取り締まるために潜入した先で擬制だとはいうものの実の親子・兄弟以上の制約を受ける組織で一体となって違法行為をするのは合法を旨とする警察の仲間としてなのか違法で凌ぐヤクザの仲間としてなのか、その行為の妥当性に迷うところだと思われる。 この場合、法令の「知識」はベースに置くとしても、目的達成のための「知恵(ノウハウ)」が優先されなければならないと考えられる。 これ以外にも法的には何の根拠もないものの、厳しい制約を強いられる義理や人情にかかる人間関係は数多くある。 法に守られた関係にある仲間と違法、脱法的関係にある仲間との「知恵(ノウハウ)」の活用の仕方に違いはあるのだろうか? 果たしてその活用結果に効果の差異はあるのだろうか? 法令遵守については「知識」が多く必要となる。 しかし、違法、脱法への対処にはむしろ「知恵(ノウハウ)」がより多く使われることとなる。 義理や人情にかかる問題についてはそれぞれの人間関係が複雑に絡むので、一概には決せられない。 そうすると、本当の仲間とは、以上の諸関係にはこだわらず、「ゆたかな生活」を築くために必要とする「知恵(ノウハウ)」を共創することができる人達をいうと考えられる。 たとえば、潜入捜査官として侵入させられた警察官にとっては、その職務目的である麻薬密輸入組織のボスの逮捕への「知恵(ノウハウ)」を共創することができるのが本当の仲間だと言うことが出来る。 さらに、潜入捜査官の命を体を張って守った大物やくざの「義兄弟」が両足を吹っ飛ばされて死んだはずだったが、大手術を受け、鉄腕アトムのようなジェット脚をつけて現れる場面がある。 いわゆるサイボーグである。 この両者が助け合い、くだんの組長を逮捕するに至って、乗っているタイタニックのような巨大船が大爆発を起こして沈没寸前となるが、現れた大波によって航行可能になる場面がある。 サイボーグも人工知能(いわゆるAI)も単なるオモチャのレベルからシンギュラリティを云々されるレベルまで色々あるが、単体で知能から「知恵(ノウハウ)」を活用できるものと人間と共同して「知恵(ノウハウ)」の共創ができるものとがある。 前者はそれを仲間として考えればよいし、後者はすでに仲間を構成していると考えられる。 真の仲間との「知恵」の共創は人間の運命を支配する自然現象をももたらすとの主張もなされ得る。 人間のサスティナブル(持続可能)な「ノウハウ」の共創は自然界でのレジリエンス(回復力)発動をも彷彿させる。 本当の仲間とは、人生を豊かに幸せに生きるために、自分が窮地に立たされても、他人が窮地に陥ってもお互いに助け合えることができる関係を築けるものである。 これに対し、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』では三人の兄弟が登場し「父殺し」のドラマが展開される。 幼い頃に父親に見放され、成人してからも財産の分け前をうやむやにされていると思い込んでいる長男ドミートリーは、グルーシェニという女性をめぐって父とライバル関係にある。 彼には、父殺しの明確な動機があった。 そして、無神論者の次男イワンと、修道僧の三男アリョーシャの兄弟が、神をめぐって対照的な世界観を持つ者へ分化していく。 さらにカラマーゾフ家の料理人スメルジャコフの出自をめぐっての重要な展開がある。 そして、イワンを通して、父殺しのドラマが展開される。 ちなみに、父殺しは、必然的に神殺し、さらには革命の問題へと展開していくことになる。 この名作では父親殺しと革命にかかるダブルテーマで作者の思想を表象している。 ときの拝金主義等の風潮に対するドストエフスキーの危惧をあらわしたものでもある。 これは現代にも通ずるものである。 そして仲間についてもこのように広大な発想による展開が考えられる場面でもある。 また、キリスト教ではその教義の要素として「兄弟愛」を説く。 人類はすべて神の子として互いに兄弟姉妹であるという発想に基づくものである。 この発想は愛の対象を拡大し、家族や血縁という狭い関係を超えたものとする。 果たして「ノウハウ」の活用で知的資本構築とその投下で再生産する高価値な「ノウハウ」での「ゆたかな生活」のための「本当の仲間」はいるのだろうか。

家族・親族ではどうであろうか? 私の家族には父と後妻の母と腹違いの兄が二人いた。 すでに全員他界した。 そしてわたしは妻と長女と長男の三人で家庭を作った。 今、長女は結婚して家を出、妻の両親が死亡したので妻と長男は妻の実家に居住している。 もうそれぞれ独立して自分の生活を取り戻している。 したがって、彼らとは家族を越えて仲間の域にある。 私のおおおじ(大伯父)井口省吾は児玉源太郎の片腕の参謀であった。 児玉源太郎は司馬遼太郎の「坂の上の雲」にも登場する日露戦争での参謀長として、ロシア軍部がシベリア鉄道の建設で満州支配権を握ってしまうのを防ぐための戦略をとった。 これは児玉が渋沢栄一より日本軍はロシア軍に対して戦争を続ける資力を有しないとのアドバイスを受けて早期に争いを終結するためにとった戦略である。 祖父が後に陸軍大将となった大伯父(井口省吾)の養家となったので我々はその家系を継ぐことになった。 その児玉源太郎が本国に送った文章では以下のように述べている。 「(露国)はわが国力と兵力との真価を味わい、その兵力の足らざるを自覚し、にわかに満州の兵力を増加するの必要を感ぜしも、奈何(いかん)せんシベリア鉄道現在のままにては増加をとげたる後の兵力を養うに足らず。 ここにおいて露国逓信大臣ヒルコフは鋭意改築に着手し非常の努力不撓(ふとう)の堅忍をもって目下その輸送力を開戦当時に比し少くも二倍に至らしめたり。」 (週刊東洋経済2021.11.20 日露戦争 知られざる陸戦の勝因 「鉄道利用」で地の利 横手慎二著) なお、児玉源太郎について井口省吾がかかわった一場面について、少し長いが以下に引く。

 ロシア相手の国運を賭けた戦争となれば、その指導者は作戦計画における知謀だけでなく、国家内外の対局にも通じ、全軍にゆるぎない信頼を受ける人物でなければならない。それには児玉源太郎しかいない、というのが、衆目の一致した所であった。 しかし問題は、すでに内相・台湾総督である児玉を参謀次長に据えれば、二階級下の防衛次官に降格するようなものである。首相の桂ですら、児玉に直接、言い出せないでいた。 児玉自身は、この亡国の危機には自分が出るしかないと思っていたので首相官邸に出向いて、自ら参謀次長になると申し出た。児玉が参謀本部に現れたのは、その二日後のことであった。 総務部長の井口省吾少将は感激して、この日の日記に「もって天のいまだ我が国を捨てざるを知る」と書いた。

 児玉は財界大御所ともいうべき渋沢栄一を訪ねた。ロシアと戦うのに必要な膨大な戦費を何とか調達せねばならない。渋沢は「ロシアと戦う金など、日本中の銀行の金庫からかき集めても足りない」とつっぱねていた。 児玉は渋沢に次ぐ財界の有力者である日本郵船社長の近藤廉平に会い、満州の様子を見てきてほしい、としつこく頼んだ。近藤が行ってみて、「満州の大平原はロシア軍の大部隊に覆われている」と報告すると、渋沢は顔色を変え「参謀次長として現れた児玉に渋沢は勝つ見込みがあるか」と尋ねた。 勝つまではいかないが、総力をあげ、なんとか優勢に持ち込み、外交によって戦を終わらせてもらう、というところ。作戦の妙を得、将士が死力を尽くせば、いまなら、なんとかやれる。日本はここで、国運を賭して戦う以外に道はない。 」こう答えた。渋沢は「児玉さん、私も一兵卒として働きます。どんな無理をしても、戦費調達をやりましょう。」 と言った。児玉源太郎は自ら2階級下の参謀次長となってこの国難に向かっていった。

父の伯父で陸軍大将で陸軍大学の校長だった大叔父井口省吾は後継者を得るため私の祖父と養子縁組をした。 縁組した両家の孫達は「いとこ会」としてその「ノウハウ」を継承しあっている。 朝鮮半島と日本列島を露軍の侵略から守るための戦略策定上の「ノウハウ」を児玉源太郎の片腕の参謀だったおおおじから受け継いで「いとこ会」の仲間は共創を続けている。 これも「本当の仲間」といえる。

 

 さらに仲間について

 

 仲間とは一般に心を合わせて何かをいっしょにするという間柄をかなりの期間にわたって保っている人またはそういう間柄をいう。 すなわち同じ目的を共有している場合には仲間と言える。 そうすると、先ほどの潜入警察官は組が麻薬を蜜輸入することを防ぐことが目的である場合にはそれにかかわる人々が「仲間」となる。 その密輸入をする組のボスを逮捕することだけを目的とするならば、それにかかわる警察官が仲間となる。 しかし、「ノウハウ」の共創が「ゆたかな生活」のためだとすれば、かかわる警察官と心を合わせて事をなそうする者が「本当の仲間」だということになる。 「カラマーゾフの兄弟」の三人の兄弟や神の子として「兄弟愛」を説く兄弟姉妹は「本当の仲間」といえるだろうか。 対象とする目的によっては仲間の内容が異なってくる。 そうすると、この場合、金銭が絡んだり倫理・宗教的見地が重要な背景をなしたりしているので、対象とする目的によっては仲間の内容が異なってくる。 家族・親族において、現在生活を共にしている場合でも地理的にも時間的にも離れている場合でも共通の遺伝子に基づく「ノウハウ」創成によって「ゆたかな生活」を求めようとする間柄の仲間は「本当の仲間」と言えよう。 共に生活していた仲間の「ノウハウ」でも先祖・先達の「ノウハウ」でも「本当の仲間」との共創によってもたらされた「ノウハウ」だと言える。 この場合の「本当の仲間」とは住民の「ゆたかな生活」を築くために必要とする「ノウハウ」を共創することができる人達をいうこととなる。 いずれにしても、本当の仲間との「ノウハウ」の創成はその法的保護、社会的な必要性、倫理性にかかわらず住民の「ゆたかな生活」に資すれば知的資本構築ができるのである。 そのような関係をもって仲間としての「ノウハウ」の共創は「ゆたかな生活」のための知的資本構築投下による新たな価値の「ノウハウ」再生産という目的を達成するのである。

 

「ノウハウ」の共創に向けて

  仲間による「ノウハウ」の共創はお互いに心が通じ合っていなければなし得ない。 そのためには、相互に相手の気持や態度を取り入れることが重要となる。 すなわち「共感」することである。 「共感」するとは、他人の気持や感じ方に自分を同調させることを意味する。 他人の感情や経験を自分自身のこととして考え、感じ、理解し、それと同調したり共有したりすることである。 すなわち、自分の気持によって相手の中に呼び起こされた気持と同じ気持を自分の中にも呼び起こすことである。 他人の気持を理解することは、個人の感情を他人が推測し、主観が別の主観を解釈することとなる。 ここでは曖昧性を避けるために、他人の位置に自分を置くことができるかどうかが重要なポイントとなる。 すなわち、自分にとって不要なものをも他人が必要としているかどうかを理解できるかどうかにかかっている。 「ノウハウ」の共創のためには自我を収縮させ、自分ではなく相手が何を欲しているのかを知らなくてはならないのである。 「本当の仲間」において「共感」無くして「ノウハウ」の共創は無いのである。 そこで共創された「ノウハウ」は仲間の間では共通のコミュニケーション媒体となり、交換媒体となる。 すなわち「ノウハウ」それ自体が「ノウハウ」の交換・取引の媒体となるのである。 したがって、一切「貨幣」を介さない」で投資・交換・取引ができるのである。 「ノウハウ」の共創でなされてた「知恵」においては、その「ノウハウ」の取引等は「貨幣を介さない」ですることができることになる

 

 

 本当の仲間による新たな「ノウハウ」の創成

 

「ノウハウ」は仲間との間では自由に流通させることができる。 そして、家族・親族、目的を同じくする人々、友人、先祖・先達等は距離と時間を隔てていても「ノウハウ」を交換、伝達、取引、交流、共創、共有することができる。 すなわち、「ゆたかな生活」を目的とするために「ノウハウ」を活かして知的資本を構築し投下して新たな価値ある「ノウハウ」を創成し共創する「本当の仲間」は、それを共有することができる; また、仲間との離別があった場合、自立の基礎をつかむことが必要になる。 そうして以前の経験に立ち戻って、自分の「ノウハウ」を想起し直すことにチャレンジすべきである。 これは立派に「仲間」との共創と同等に評価されるべきものである。 そうすれば、一人で生きることへのセカンドチャンスを生かすことができる。 他人には他人の人生があり、それはそれで自立しており他人の介在する余地はない。 したがって自分は自らそれまでの「知恵」を基盤として新たに自らの道を開いていくべきだ。 一九六四年、東京オリンピックのマラソ競技で史上初の2連勝を成し遂げた孤高のランナーアベベ・ビキラは「裸足のの哲人」と呼ばれた。 しかしながら、彼の後半の人生は決して栄光に富んだものではなかった。 それでも各国の陸上競技者からは、いまも伝説のように語り継がれ、その功績に変わらぬ敬意をいだかれている。 時間的にも距離的にも離れた間柄でも、他人に対して人間的態度をとること、そして他人もまた同じような態度をとっていると意識することによって、自分と他人を共感的に同一視することができる。 そして、共感することにより、その「ノウハウ」を自らのもののようにして共有し、共創することができるのである。 アフガニスタンで医療や人道支援に尽力していた中村哲医師は「医療よりまず水だ」として用水路の建設に挑み、その結果砂漠を緑化して灌漑を実現させ、65万人の健康と生活の維持に貢献した。 故郷の筑後川の「山田堰」で江戸時代の先達の「ノウハウ」に倣ったものだ。 中村医師は惜しくも凶弾によりその尊い命を断たれたが、時と時間を経てもその精神と「ノウハウ」は永遠に引き継がれるものである。 これらは、本当の仲間による新たな「ノウハウ」の創成であり、共創にあたるといえよう。

 自己責任による「ノウハウ」の活用

経営者として、そして仲間としての「 タバコ、アルコールをやめて30年間、70歳で運転免許証を返納して10年間は単に健康、安全の問題だけでなく自らするレジリエンス貢献についてもさらに重要な意味を有する。 環境問題を政府や行政の役目にするのではなく、自らを変えることから始めるのである。 街を走る乗用車、公道を走るトラック等は必ずしも社会的に不可欠なものだけとは限られない。 幹線道路、高速道路を数珠繋ぎになって轟音を放ちながら連綿と走るとともに大渋滞でその機能を果たせなくなっている大型トラック群を見ているとどれだけが本当に必要なものなのか疑問となる。 不要にドライブの趣味を満足させるためだけの一人乗り乗用車が殆どだし、無駄にガソリンをばらまく高排気量スポーツカーは安全ばかりでなく環境上不適切である。 公道を倉庫にして連綿と渋滞する大型トラック群はマーケティングの間違った拡大による無計画なサプライチェーン依存の弊害である。 本来弊害を生じていた大量生産主義を合理化して「ゆたかな社会」のために顧客が必要とするものを提供することから発展したマーケッティングとその高収益化の手段としてのサプライチェーンの誤用による弱点がこの新コロナパンデミックで暴露されたに過ぎないことに気が付いている向きは今になってもほとんど見られない。 今回のパンデミックによって思い知らされた物流の基本の基本についての間違いを改善していかなければならない。 脱炭素化も個人個人が自ら本当の問題点に気づかない限り永遠に解決しない。 生物が生き続けるためにどの要件をどの順序で優先させなければならないかを、個人個人が真剣に追及して実践することの集大成が必要最低限の結論を導く。 EV車のバッテリー充電等諸関係のための電力は環境破壊のない風力、地熱、太陽熱、水素発電システムだけですむのか? 脱炭素化取引については政府や大企業社会だけの問題なのではなく、個人個人の覚悟によらなければ正解は得られないのではないか。 他人に解決責任を押し付けることはやめなければならない。 個々人自らが仲間とともにできることから変えるとともにそれを広げていかなければならない。 仲間による「ノウハウ」仲介のシェアリングシステムと「価値」基準のサブスクリプションによる新しい「知恵」のレジリエンスの展開である。  

ノウハウ」シェアの「価値」サブスクリプション  大企業等では、大発明を特許等の知的財産権等で保護して海外列強に対抗している。 しかし、零細・小規模・中小企業では大企業や列強にも勝るノウハウ等知的無形資産としての「ノウハウ」を有しながら十分な活用がなされていない。 そこで、彼らの有する「ノウハウ」の活用で次世代への遺産としての知的資本構築とその投下による新たな価値ある「ノウハウ」の再生産で「ゆたかな生活」を築くことを提案してきた。 そしてさらに、個人や仲間の「ノウハウ」を活かしたエイジェンシー(仲介)によるシェアリング(共有)と「定価値制」を基準とするサブスクリプション(期間利用)によるレジリエンス(回復力)で百年に一度のパンデミックにもサスティナビリティ(持続可能性)を有する定常的「ノウハウ」の共創について検討してきた。 また、「貨幣を介さない」取引もできることが資金難に悩む事業者への直接効果、さらにはナッジ(肩押し)効果となってサスティナビリティを向上させる。 しかし、事業者へのナッジ効果といっても、実際には孤立状態で資金難を乗り越えるのはなかなか難しいと思われる。 そこで、仲間同士なら、先物取引に際しても、元本相当の「ノウハウ」の受け渡ししか行われない場合には何らの資産も形成されないので決済時にもオフバランスとなることから、個人や仲間の「知恵」を活かした一般の取引において、シェアリングやサブスクリプションでのサスティナビリティあるレジリエンスを発揮できることになる。 この場合、“元本相当の「ノウハウ」の受け渡しか行われない”ということはすなわち、「ノウハウ」自体を交換媒体とすることだったのだ。 すなわち仲間等との間で「信用」が担保されるので「貨幣を介さない」で取引ができることになる。 これはあくまでも「ノウハウ」を媒体とする場合について端的に言っているのであって、その射程距離は「貨幣を介する」場合にまで及ぶものではない。 それでは「ノウハウ」以外を含む場合ではどうであろうか。 一般にオフバランスではないものを含む場合は、原則として、「貨幣を介する」こととするとする。 しかし、「ノウハウ」以外でもオフバランス部分を分離できる場合には、その部分だけを仲間等との間では「貨幣を介さない」で取引ができることになる。 したがって、その部分を含めて、仲間うちで「貨幣を介さない」での先物等の取引が可能となる。 そして、仲間内での「ノウハウ」をシェアしての「定価値制」を基準とするサブスクリプション(期間利用)により長期にわたりサスティナビリティが可能となり、パンデミックスにもレジリエンス(回復力)を維持することができる。

仲間との「ノウハウ」の働かせ方

 

今回のパンデミック対応として、たとえば行政がクラスターの発生を避けるために営業自粛を指示したことがあった。 そして、その指示に従わないパチンコ店名を公表したところ、むしろその公表が強力な宣伝となって、指示に従わない店のみに客が殺到し、問題となったことがあった。 もともとが高い射幸性はあるものの公安維持のため当局の庇護のもとに発展した事業であるので当然に予想される事態ではあった。 その趣旨から、あまり強度の行政措置は、たとえばアメリカにおける禁酒法のもとでアル・カポネによるギャング団が跋扈したようなことになる。 こうした「ノウハウ」の応報は、ここでいう仲間等が後継者への遺産として「ゆたかな生活」のための知的資本を構築に活用する「ノウハウ」とはあきらかに異なる。 また、営業自粛に対する政府の補償や、生活困難に対する給付は確かに緊急時においては仕方がないこととはいうものの、結果として次世代への税金負担の先送りとなる。 それがたとえMMT論に従ったとしても、過剰な公債発行でインフレによる経済破綻も避けられないことになり得る。 また、生活保護にしても、たとえば支援団体と病院等の弱者保護の大義名分によって、すでに支給が必要でなくなっているにもかかわらず、延々と継続されている事実もある。 本人、団体、施設がそれぞれの「ノウハウ」を駆使して、自組織経営優先処理を繰り返し、行政も形式上の手続き処理にしたがって処理する。 この繰り返しで人々の働く意欲をますます喪失させ、また彼ら自身の懈怠によって本来無くすべき“格差”を自ら広げてしまっている。 パンデミック等の危機にもかかわらず回復を遂げるために必要な「ノウハウ」は自らが日々創成して蓄積しておかなければならないものである。 自己の「ノウハウ」をまず仲間に提供し、そして仲間と共創してこそさらに価値ある新しい「ノウハウ」が創成され、共創されて長期にわたって蓄積されることにならなければならない。 蓄積され価値増大されて「ゆたかな生活」に活かされるものは少なからずとも「ノウハウ」の要素を持つ。 これら「ゆたかな生活」に活かされるあらゆるものを常に築いていくことこそすなわち知的資本構築とその投下による新たな価値の再生産につながる。 仲間との「ノウハウ」の働かせ方は以上のようにして活きたレジリエンスとして「ゆたかな生活」を築いていくために効果をもたらす。 この生活基盤に基づいてコミュニティが構成され、町、村、地域、都市が機能し、地方・中央の行政が成り立っていくのだ。 主権在民は民が国家に対して求める権利を有することをいうが、その前提として自らやるべきことやってからこそ主張できるものである。 自ら動かずして誰も動いてくれない。 他人は変えられない。 変えられるのは自分自身だけだ。 自分でかえられるものを変えてはじめてそれを知ったその他人が自らを変えることにトライしてくれることを期待することができるのだ。 これこそが「知恵」を活かすレジリエンスであり、仲間を通じてシェアされ、サスティナビリティ(持続可能性)が発揮できるのである。 国や地方はその単位で効率的な配分を考えればよいのであってその行政に公平さが要求されるだけである。 お上は何もしてくれないと言っても、お上は何もできないのであって、主権者たる我々の“しもべ”なのだから、正当な主張には耳をかたむけなければならない。 したがって、我々は百年かけても次のパンデミックまでにはレジリエンスの体力を整えておかなければならないのだ。

 

 

 

当の仲間による新たな「ノウハウ」の創成

「ノウハウ」は仲間との間では自由に流通させることができる。 そして、家族・親族、目的を同じくする人々、友人、先祖・先達等は距離と時間を隔てていても「ノウハウ」を交換、伝達、取引、交流、共創、共有することができる。 すなわち、「ゆたかな生活」を目的とするために「知恵」を活かして知的資本を構築し投下して新たな価値ある「ノウハウ」を創成し共創する「本当の仲間」は、それを共有することができる; また、仲間との離別があった場合、自立の基礎をつかむことが必要になる。 そうして以前の経験に立ち戻って、自分の「ノウハウ」を想起し直すことにチャレンジすべきである。 これは立派に「仲間」との共創と同等に評価されるべきものである。 そうすれば、一人で生きることへのセカンドチャンスを生かすことができる。 他人には他人の人生があり、それはそれで自立しており他人の介在する余地はない。 したがって自分は自らそれまでの「ノウハウ」を基盤として新たに自らの道を開いていくべきだ。 一九六四年、東京オリンピックのマラソ競技で史上初の2連勝を成し遂げた孤高のランナーアベベ・ビキラは「裸足のの哲人」と呼ばれた。 しかしながら、彼の後半の人生は決して栄光に富んだものではなかった。 それでも各国の陸上競技者からは、いまも伝説のように語り継がれ、その功績に変わらぬ敬意をいだかれている。 時間的にも距離的にも離れた間柄でも、他人に対して人間的態度をとること、そして他人もまた同じような態度をとっていると意識することによって、自分と他人を共感的に同一視することができる。 そして、共感することにより、その「ノウハウ」を自らのもののようにして共有し、共創することができるのである。 アフガニスタンで医療や人道支援に尽力していた中村哲医師は「医療よりまず水だ」として用水路の建設に挑み、その結果砂漠を緑化して灌漑を実現させ、65万人の健康と生活の維持に貢献した。 故郷の筑後川の「山田堰」で江戸時代の先達の「ノウハウ」に倣ったものだ。 中村医師は惜しくも凶弾によりその尊い命を断たれたが、時と時間を経てもその精神と「ノウハウ」は永遠に引き継がれるものである。 これらは、本当の仲間による新たな「ノウハウ」の創成であり、共創にあたるといえよう。

自己責任による「ノウハウ」の活用  経営者として、そして仲間としての「ノウハウ」の活用について述べてきたが、ここに個人としての自分自身はどうすべきかを考えるに至った。 自分自身であるから他人と共同ではない場合についての「ノウハウ」の活用をどうすべきかである。 前にも述べたように、時間的にも距離的にも離れた間柄でも、相互に人間的態度を意識することによって、自他を共感的に同一視でき、その「ノウハウ」を共有し、共創することができる。 「裸足の鉄人」アベベやアフガニスタンにおける「灌漑工事」の中村医師の例にもあるように、一見「ノウハウ」の共創にはあたらないように見えるケースでも、時間や距離に関係なく、共感しあう間柄においてはいわゆる「仲間」以上に「本当の仲間」がありえると言うことができる。 当然こうして自らのものとして得られた「ノウハウ」は無償であり、「貨幣を介さない」で取引し、交換することができる。 しかし、それを有償で入手した場合や著作権等知的財産権としてオンバランス資産となっている場合は別である。 したがって、オフバランスの場合はあえてお金を使って取引する必要はなく、オフバランスとはなりえない通常の資産のときはお金で決済すればよいことになる。 自分自身での「知恵」の取引等においてもオフバランスの「ノウハウ」の場合のみお金を使わないで決済でき、通常の場合は普通にお金で決済すればよいことになる。 すなわち、取引等の改善ができることとなる。 そして、「本当の仲間」との「ノウハウ」取引等はお金のことを気にしないですることができ、「ゆたかな生活」ができることになる。 「本当の仲間」がその気になる前提としては、自分自身の中の仲間との改善がなされていなければならない。 自分自身の知恵があってはじめて仲間や先達の知恵を活かすことができる。 すなわち「ゆたかな生活」へ向けての改善により持続可能な開発(サスティナベーション)がされる。 そして、日々の自分自身の強靭なレジリエンス(回復力)で百年に一度の経済的パニックやパンデミックにも、耐える力が蓄えられる。 「ノウハウ」の活用について述べてきたが、ここに個人としての自分自身はどうすべきかを考えるに至った。 自分自身であるから他人と共同ではない場合についての「ノウハウ」の活用をどうすべきかである。 前にも述べたように、時間的にも距離的にも離れた間柄でも、相互に人間的態度を意識することによって、自他を共感的に同一視でき、その「ノウハウ」を共有し、共創することができる。 「裸足の鉄人」アベベやアフガニスタンにおける「灌漑工事」の中村医師の例にもあるように、一見「知恵」の共創にはあたらないように見えるケースでも、時間や距離に関係なく、共感しあう間柄においてはいわゆる「仲間」以上に「本当の仲間」がありえると言うことができる。 当然こうして自らのものとして得られた「ノウハウ」は無償であり、「貨幣を介さない」で取引し、交換することができる。 しかし、それを有償で入手した場合や著作権等知的財産権としてオンバランス資産となっている場合は別である。 したがって、オフバランスの場合はあえてお金を使って取引する必要はなく、オフバランスとはなりえない通常の資産のときはお金で決済すればよいことになる。 自分自身での「ノウハウ」の取引等においてもオフバランスの「ノウハウ」の場合のみお金を使わないで決済でき、通常の場合は普通にお金で決済すればよいことになる。 すなわち、取引等の改善ができることとなる。 そして、「本当の仲間」との「ノウハウ」取引等はお金のことを気にしないですることができ、「ゆたかな生活」ができることになる。 「本当の仲間」がその気になる前提としては、自分自身の中の仲間との改善がなされていなければならない。 自分自身の知恵があってはじめて仲間や先達の知恵を活かすことができる。 すなわち「ゆたかな生活」へ向けての改善により持続可能な開発(サスティナベーション)がされる。 そして、日々の自分自身の強靭なレジリエンス(回復力)で百年に一度の経済的パニックやパンデミックにも、耐える力が蓄えられる。 」仲介のシェアリングシステムと「価値」基準のサブスクリプションによる新しい「ノウハウ」のレジリエンスの展開である。  

ノウハウ」シェアの「価値」サブスクリプション

  大企業等では、大発明を特許等の知的財産権等で保護して海外列強に対抗している。 しかし、零細・小規模・中小企業では大企業や列強にも勝るノウハウ等知的無形資産としての「ノウハウ」を有しながら十分な活用がなされていない。 そこで、彼らの有する「ノウハウ」の活用で次世代への遺産としての知的資本構築とその投下による新たな価値ある「ノウハウ」の再生産で「ゆたかな生活」を築くことを提案してきた。 そしてさらに、個人や仲間の「ノウハウ」を活かしたエイジェンシー(仲介)によるシェアリング(共有)と「定価値制」を基準とするサブスクリプション(期間利用)によるレジリエンス(回復力)で百年に一度のパンデミックにもサスティナビリティ(持続可能性)を有する定常的「ノウハウ」の共創について検討してきた。 また、「貨幣を介さない」取引もできることが資金難に悩む事業者への直接効果、さらにはナッジ(肩押し)効果となってサスティナビリティを向上させる。 しかし、事業者へのナッジ効果といっても、実際には孤立状態で資金難を乗り越えるのはなかなか難しいと思われる。 そこで、仲間同士なら、先物取引に際しても、元本相当の「ノウハウ」の受け渡ししか行われない場合には何らの資産も形成されないので決済時にもオフバランスとなることから、個人や仲間の「ノウハウ」を活かした一般の取引において、シェアリングやサブスクリプションでのサスティナビリティあるレジリエンスを発揮できることになる。 この場合、“元本相当の「ノウハウ」の受け渡しか行われない”ということはすなわち、「ノウハウ」自体を交換媒体とすることだったのだ。 すなわち仲間等との間で「信用」が担保されるので「貨幣を介さない」で取引ができることになる。 これはあくまでも「ノウハウ」を媒体とする場合について端的に言っているのであって、その射程距離は「貨幣を介する」場合にまで及ぶものではない。 それでは「ノウハウ」以外を含む場合ではどうであろうか。 一般にオフバランスではないものを含む場合は、原則として、「貨幣を介する」こととするとする。 しかし、「ノウハウ」以外でもオフバランス部分を分離できる場合には、その部分だけを仲間等との間では「貨幣を介さない」で取引ができることになる。 したがって、その部分を含めて、仲間うちで「貨幣を介さない」での先物等の取引が可能となる。 そして、仲間内での「ノウハウ」をシェアしての「定価値制」を基準とするサブスクリプション(期間利用)により長期にわたりサスティナビリティが可能となり、パンデミックスにもレジリエンス(回復力)を維持することができる。

その密輸入をする組のボスを逮捕することだけを目的とするならば、それにかかわる警察官が仲間となる。 しかし、「ノウハウ」の共創が「ゆたかな生活」のためだとすれば、かかわる警察官と心を合わせて事をなそうする者が「本当の仲間」だということになる。 「カラマーゾフの兄弟」の三人の兄弟や神の子として「兄弟愛」を説く兄弟姉妹は「本当の仲間」といえるだろうか。 対象とする目的によっては仲間の内容が異なってくる。 そうすると、この場合、金銭が絡んだり倫理・宗教的見地が重要な背景をなしたりしているので、対象とする目的によっては仲間の内容が異なってくる。 家族・親族において、現在生活を共にしている場合でも地理的にも時間的にも離れている場合でも共通の遺伝子に基づく「ノウハウ」創成によって「ゆたかな生活」を求めようとする間柄の仲間は「本当の仲間」と言えよう。 共に生活していた仲間の「ノウハウ」でも先祖・先達の「知恵」でも「本当の仲間」との共創によってもたらされた「ノウハウ」だと言える。 この場合の「本当の仲間」とは住民の「ゆたかな生活」を築くために必要とする「ノウハウ」を共創することができる人達をいうこととなる。 いずれにしても、本当の仲間との「ノウハウ」の創成はその法的保護、社会的な必要性、倫理性にかかわらず住民の「ゆたかな生活」に資すれば知的資本構築ができるのである。 そのような関係をもって仲間としての「ノウハウ」の共創は「ゆたかな生活」のための知的資本構築投下による新たな価値の「ノウハウ」再生産という目的を達成するのである 

「ノウハウ」の共創に向けて

  仲間による「ノウハウ」の共創はお互いに心が通じ合っていなければなし得ない。 そのためには、相互に相手の気持や態度を取り入れることが重要となる。 すなわち「共感」することである。 「共感」するとは、他人の気持や感じ方に自分を同調させることを意味する。 他人の感情や経験を自分自身のこととして考え、感じ、理解し、それと同調したり共有したりすることである。 すなわち、自分の気持によって相手の中に呼び起こされた気持と同じ気持を自分の中にも呼び起こすことである。 他人の気持を理解することは、個人の感情を他人が推測し、主観が別の主観を解釈することとなる。 ここでは曖昧性を避けるために、他人の位置に自分を置くことができるかどうかが重要なポイントとなる。 すなわち、自分にとって不要なものをも他人が必要としているかどうかを理解できるかどうかにかかっている。 「ノウハウ」の共創のためには自我を収縮させ、自分ではなく相手が何を欲しているのかを知らなくてはならないのである。 「本当の仲間」において「共感」無くして「ノウハウ」の共創は無いのである。 そこで共創された「ノウハウ」は仲間の間では共通のコミュニケーション媒体となり、交換媒体となる。 すなわち「ノウハウ」それ自体が「ノウハウ」の交換・取引の媒体となるのである。 したがって、一切「貨幣」を介さない」で投資・交換・取引ができるのである。 「ノウハウ」の共創でなされてた「ノウハウ」においては、その「ノウハウ」の取引等は「貨幣を介さない」ですることができることになる

 

 

 本当の仲間による新たな「ノウハウ」の創成  「ノウハウ」は仲間との間では自由に流通させることができる。 そして、家族・親族、目的を同じくする人々、友人、先祖・先達等は距離と時間を隔てていても「ノウハウ」を交換、伝達、取引、交流、共創、共有することができる。 すなわち、「ゆたかな生活」を目的とするために「ノウハウ」を活かして知的資本を構築し投下して新たな価値ある「ノウハウ」を創成し共創する「本当の仲間」は、それを共有することができる; また、仲間との離別があった場合、自立の基礎をつかむことが必要になる。 そうして以前の経験に立ち戻って、自分の「ノウハウ」を想起し直すことにチャレンジすべきである。 これは立派に「仲間」との共創と同等に評価されるべきものである。 そうすれば、一人で生きることへのセカンドチャンスを生かすことができる。 他人には他人の人生があり、それはそれで自立しており他人の介在する余地はない。 したがって自分は自らそれまでの「ノウハウ」を基盤として新たに自らの道を開いていくべきだ。 一九六四年、東京オリンピックのマラソ競技で史上初の2連勝を成し遂げた孤高のランナーアベベ・ビキラは「裸足のの哲人」と呼ばれた。 しかしながら、彼の後半の人生は決して栄光に富んだものではなかった。 それでも各国の陸上競技者からは、いまも伝説のように語り継がれ、その功績に変わらぬ敬意をいだかれている。 時間的にも距離的にも離れた間柄でも、他人に対して人間的態度をとること、そして他人もまた同じような態度をとっていると意識することによって、自分と他人を共感的に同一視することができる。 そして、共感することにより、その「ノウハウ」を自らのもののようにして共有し、共創することができるのである。 アフガニスタンで医療や人道支援に尽力していた中村哲医師は「医療よりまず水だ」として用水路の建設に挑み、その結果砂漠を緑化して灌漑を実現させ、65万人の健康と生活の維持に貢献した。 故郷の筑後川の「山田堰」で江戸時代の先達の「ノウハウ」に倣ったものだ。 中村医師は惜しくも凶弾によりその尊い命を断たれたが、時と時間を経てもその精神と「ノウハウ」は永遠に引き継がれるものである。 これらは、本当の仲間による新たな「ノウハウ」の創成であり、共創にあたるといえよう。   自己責任による「ノウハウ」の活用 「ノウハウライブラリー」CSK時代に主としてSEの「ノウハウ」を自分たちで守るために作った「ノウハウ図書館」を発展させて一般化したものであった。そしてより一般的にいわゆるソフトウエアーだけにかぎらず中小企業等の「ノウハウ」を活かして知的資本の構築を行うこととした。 その本質的目的は海外列強や大企業にもない優れた零細・中小企業の「ノウハウ」の活用で次世代への遺産としての知的資本の構築とその投下による「知恵」の再生産をすることだった。 そして、その累積で資金難と後継者難を解決して「ゆたかな生活」のための持続可能な開発を行うことだった。さらに、以下のような成果をもとに、零細・中小企業に限らず、仲間と共に自分をも変えることを含めて「ゆたかな生活」への道を求めることとした。 それは、最初に、貸借対照表の資産の部には載らないオフバランスである「ノウハウ」の活用については「貨幣を介さない」ことによる資金難救済という目先の利益も期待できることを発見したことだ。 しかし、それよりも「豊かな生活」のための「貨幣を介さない」直接取引が可能になることによるナッジ(肩押し)効果をベースにして「持続可能な開発」へのレジリエンス(回復力)を有するというさらにすぐれた特質があることにも気が付いた。 また、「ノウハウ」については多くの場合、お互いに機密だと思っていることが仲間内ではすでにほとんど周知であることが多い。 そこで、仲間みんなが知っているにもかかわらず自分だけの機密を維持することよりも、お互いに活用しあうことによってさらにすぐれた「ノウハウ」を再生産することができる。 そして新たに価値増大した「ノウハウ」については本当の意味での機密管理に移行していくことを勧める。 そうすれば、次のステップでは「オープンサイエンス」としてさらなる「ノウハウ」の土台(ベース)となる。 すなわち、「オープンソリューション」として優れた問題解決のためのレジリエンス(回復力)を強化していくことができる。 ここでシェアリングエコノミー(共有型経済)の観点で、デジタル化されていてもいなくても、仲間同士の一定範囲内、さらにはそれら相互間で土台の基礎とされた「知恵」の集合をベースとして取引基準の標準化をしていくことができる。 そうすれば、仲間同士の「知恵」の共創においては「モノ」としての実物資産だけではなく人やその経験等の「ノウハウ」にも同時にシェアリングできることになる。 したがって、個人としては何も貯めておく必要がなく、要員を抱えておく必要もなく、運用人材の心配もしないで済む。 仲間がお互いにシェアすることができるためである。 そして、それぞれの仲間は個人の生活と生き方を変えることができる。 さらに、「ノウハウ」の取引等についての仲介役として「ノウハウエイジェンシー」を機能させる。 その対象が「ノウハウ」の場合には貸借対照表に記載されないオフバランスとなる。 そして、預け入れ又は引き出された当事者・ユーザー間での「貨幣を介さない」取引等の仲介をすることとなる。 この取引等の実績記録の累積を基準として「貨幣を介さない」取引等の標準化がされる。 そしてそれ以外は「貨幣を介する」取引等になるので、ごく一般の通常通りの貨幣取引となるだけである。 すなわち、最も基本的には、純粋に「ノウハウ」だけの場合は実績の累積を状況に応じたパターン区分ごとに分離・分別し、必要に応じて圧縮・結束して基準となし、それらを集約して標準化することができる。 それ以外は原則として一般の貨幣取引によるが、そのうち純粋な「ノウハウ」を分離できる形で含む場合には、分離してそれぞれの範疇での扱いにすることができる。 いずれにしても「貨幣を介さない」取引等についてはオフバランスたる「ノウハウ」の部分だけなので、その部分を含む取引等について基準を作り、その他の部分との組み合わせについて標準化することが賢明だと思われる。 「ノウハウ」はその活用による共有の知的資本を構築して「持続可能な開発」により共に豊かな生活を享有する社会を目指すものだから「ノウハウ」を貨幣に代わる価値媒体としてできるだけ資金を要しないこととするためである。 「ノウハウ」の見える化と「貨幣を介さない」取引等 インタンジブルズ(有用な無形資産)の中でも「見えない資産」のうち貸借対照表上の資産ではないオフバランスの「知恵」は「貨幣を介さない」で取引等が可能となる。 その「知恵」の活用による「持続可能な開発」は次世代への遺産としての「人的資本」、すなわち「知的資本」を構築することができる。 ここで「ノウハウ」とは知的資本を構成する人的資本としての「ノウハウ」のことを言う。 そして、「ノウハウ」は知識と経験を活用して「気付き」を得て環境にうまく適応する能力でもある。 この「気付き」による「見えない資産」の可視化レベルに応じた「見える化」により「ノウハウ」の管理と活用の有効性を極めることができる。 「見えない」は一般に「無形」なので視覚にも入らず認識できないことを言う。 しかし、それ以外でも視覚に入っているけれども認識できない場合や内容は認識できるけれども視覚に入ってこない場合等も「見えない」こととなる。 「ノウハウ」の活用のために理解し適用する上で必要となるからである。 「ノウハウ」はそのままでは見えないがバランスシートに記載されれば見えるようになる。 しかし、それがオフバランスの場合は貸借対照表の資産の部に掲載されないのでやはり見えない。 また、自分のものだとわかっていても、それが「ノウハウ」だと気づかない場合、あるいは、視覚には入っているのだろうが認識されていない場合にも自分には見えていないことになる。 これらのことを正確に分析し理解していないと、正しい「見える化」をすることができない。 取引等の対象がオフバランスの「ノウハウ」であれば「貨幣を介さない」で済ませることができる。 しかし、現状の一般取引はオフバランスであってもお金を払って処理することが当たり前となっている。 だから、「ノウハウ」を含むすべての取引等が何の疑念もなく「貨幣を介する」ことになってしまっていることも事実だ。 何度も述べるように、この「ノウハウ」は貸借対照表上の資産勘定にも載らないオフバランスでありうるという特質を持っている。 そこで、資産ではないので「お金を使わないで取引できる」対象を仲間の「ノウハウ」の機能全体およびそれを活用する者の能力までを承継・蓄積の範囲とすることを考えた。 そしてそれらを仲間の相互利用により幅広く流通させることを提案した。 それによって「ノウハウ」のみではなくそれを含む「モノ」にまで活用範囲を広げて利用・取引等をおこなえるようにするエイジェンシーシステムも可能となると考えた。 また、さらにそうすることにより「貨幣を介さない」取引等でおこなえるとする肩押しのナッジ(誘導)効果で「持続可能な開発」を続けられることによる事態の『改善』を提案した。 なぜ「改革」でなくて『改善』かというと、できないことは一応受け入れて、できることから勇気をもって変えていくことをすすめるからだ。 パニックだのパンデミックだのは歴史上繰り返し起こっていてその都度異なった事情によるものだから、「改革」のようにできるかできないかはさておいて、対症療法的に対応をすることはこの場合きわめて不合理だ。 そうではなく「ノウハウ」を活用する『改善』によって「貨幣を介さない」ので無駄な投資をすることなく、できることから実行する道を提案した。 そうすれば、『「貨幣を介さない」ので無駄な投資をすることなく』の『ナッジ(誘導)効果で「持続可能な開発」を可能とする』ことができる。 すなわち、「ノウハウ」の特徴に基づく活用によって次世代への遺産としての知的資本を構築できる。 しかし、現在の高度に成長しきった産業資本主義およびその後の世を支配する金融資本主義の下では全面的な「貨幣を介さない」取引が容易にうけいれられると考えることには無理がある。 そこで、容易には「変えられない」“普通の取引”は今までどおり“貨幣をもって”することとし、バランスシート上の資産ではないオフバランスとしての「ノウハウ」にかかるもののみ「変えられる」こととして「貨幣を介さない」取引に勇気をもって挑戦することを提案した。 今はだれもが預金通貨、帳簿通貨としてのキャッシュレスを含む通貨制度は出来上がってしまっていて「変えることができない」とする先入観にとらわれているのが実情である。 だから無理して変えないで今までどおり「貨幣を介して」普通の取引をすればよいこととし、オフバランスの「ノウハウ」についての取引等は「貨幣を介さない」取引等に変えることができるとすればよいことになるとした。 このように普段からの生活をできる範囲で改善し続けることによって持続可能な知的経済に向けての「豊かな生活」が築ける。   「ノウハウ」の取引基準の設定 取引等について相互間で土台の基礎とされた「ノウハウ」の集合をベースとして取引基準の標準化をしていくことにより妥当な交換基準を設定する。 ではその交換媒体とする「ノウハウ」はどのように設定すべきか。 最もわかりやすいのは直接投資の場合。 一方が「ノウハウ」を有していて他方がその「ノウハウ」を使用して生産できる設備を有している場合、両者間で合意が出来た範囲で当該「ノウハウ」を使って当該設備によって生産するための事業については双方とも「貨幣を介さない」で直接投資とすることができるケース。 次に、一方の「ノウハウ」と他方の「ノウハウ」を交換する場合。 すでにそれぞれが蓄積している「ノウハウ」を比較しあって大きな差がない場合には合意の上でその交換実績を記録して取引等を実施する。 原則としてその取引等の清算はしないこととする。 その累積において必要が生じたときには過去の実績に応じて差し引き評価する。 取引等が複数にわたるときや「ノウハウ」を含まないものが混在する場合にも応用できると考える。 「貨幣による」オンバランスと「貨幣を介さない」オフバランスの場合を明確に区分けして処理することによって可能になる。 当事者および「ノウハウ」が錯綜する場合にも累積において該当する組み合わせを選択して検索および抽出すれば同様に処理できることとなる。

取引基準に基づく「貨幣を介さない」取引等の標準化

前述の取引基準で想定される「貨幣を介さない」取引等の実際の業務に沿うようにさらに具体的に標準化の検討を進めると以下のようになる。

一、《直接投資》による場合

1.自分の「ノウハウ」を自己の業務拡張または変更のためにすでに《所有している設備等を使用》して生産等するための「ノウハウ」や「カン・コツ」等の人的資源として《直接投資》することにより知的資本を構築するケース。 たとえば、自家製品“アルミ家庭器物”の製作上の「ノウハウ」を有している家内工業が熟練工員の深絞りプレス、へらしぼり、特殊アルミ熔接の「ノウハウ」を“新規商品”の開発に投与して、すでに有している設備等を用いて、いままでになかった新商品工場としての稼動を可能にしたケース。 このケースではすでにある設備等には格段の資金を要しないし、自分の「ノウハウ」を投資するわけだから設備等にも「ノウハウ」にも「貨幣を介する」必要がない。 したがって、このような場合には規模の大小にかかわらず資金を要しない。 この場合、その投等で新たに開発した商品が旧商品と比べて売り上げ、利益を向上させたときは《単位あたりの差額分が付加価値判定の基準》となり、純利益相当を《配付した結果をもって事業上の標準》とする。

2.一方の「ノウハウ」を使って《他方の設備で生産》する事業については《一方が他方に直接投資》することになる。 上記1と同様に双方とも《「貨幣を介さない」で直接投資》とすることができるケースである。 たとえば、新商品の「ノウハウ」で勝負したいが設備等の資金がない一方が設備等はあるが「ノウハウ」がない他方を使って生産する場合に双方とも相対する投資を相手方の「ノウハウ」と設備によって充足させ、双方とも直接投資の基準が使えるケースといえる。 いわゆる業務提携の形をとるので当該事業で構築した知的資本投下により得られた成果は双方で分配するのが標準となる。

3一方の「ノウハウ」と他方の《「ノウハウ」を交換》するケースでは、比較しあって大きな差がない場合で合意の上でその交換実績を記録して取引等をする場合、それらの取引等の清算はしないこととする(直接取引)。 ただし、その累積において必要が生じたときには過去の実績に応じて差し引き評価する基準に基づく総合的判定方法を標準化する。

二、《間接投資》による場合1.お互いにシェアするケースでは、仲間内での《交換実績記録を集約》して一定の「ノウハウ」の交換基準を策定して標準化する。 この場合は効果判定対象範囲が広いので機能・効果を総合的に考えたうえで処理する。 たとえば、ある工芸品作成上の「ノウハウ」とすでに作成された工芸品とを交換するケースである。 一方は純粋に「ノウハウ」といえるが、他方、工芸品は「モノ」とするか知的固定資産とするか、「ノウハウ」が「モノ」に化体したものか判然としない。 この場合、「モノ」に化体した「ノウハウ」を純粋な「ノウハウ」と「モノ」に《分離》して一方の「ノウハウ」との《価値の差を基準標準化》する。

2.サブスクリプションは一般的に「定額制の継続課金」による取引をいう。 オフバランスとされる「ノウハウ」の取引等では対象を《レンタル型》として処理する。 たとえばITソフトウェアをクラウド上で期間を決めて交換する方式のサブスクリプションに切り替えてオフバランスとすることができる。 この場合、「定額制」とあるのは《「定価値制」》と置き換える。 すなわち、一定の価値判定で特定した《価値総計分》にいたるまで《継続取引等》ができることとなる。 情報基盤の整備 「知恵」の活用による持続可能な開発のためには仲間内における情報基盤の整備が必要になる。 そのために個人を中心とするオープンなプラットフォームが有効となる。 ここでオープンなプラットフォームとは一般に広く用いられているソフトウェアやデータの相互利用を行うことを想定したプラットフォームのことを言う。 すなわち「ノウハウ」をコミュニティー内で共有してともに価値を創造するプラットフォームである。 さらに誰がどの「ノウハウ」を活用したかを後から検証できるように条件を定めておけばいちいち同意を必要としないこともできる。 ここでは、仲間が分散して管理し、必要に応じて適宜つなげるようにする。 誰でも、アクセスログを残しながら、その目的にかなった使い方が出来るものとする。 パンデミックや経済的パニックが起きれば、同意なしでも特定のミッションを背負った人々にデータの使用を許可できる。 なお、データの個人的コントロールと効用的活用をいかにバランスさせながら連動させるかが課題となる。 いま、所有だけでなく共有の中からも価値を創造することが求められる時代に移行しているので、同意なしでのデータ使用ができるよう相互間で協議を行えるようにする。 ケイパビリティアプローチ、(capability approach:潜在能力アプローチ)とは、厚生経済学の領域においてアマルティア・センにより一九八〇年代に提案されたアプローチである。 潜在能力アプローチの中心となる要素は、その“個人ら”がどの“何”を可能ならしめるかという点である。 ケイパビリティについてはつぎのような説がある。   “「ケイパビリティー」は、個人の力(パワー)と吸引能力(アビリティー)のみを暗示させてしまう単なる「能力(アビリティー)」よりも、容量が大きいのである。ケイパビリティーは行為者性(エージェンシー)を成立させるためのより一般的な人間の潜在的可能性を指し示すが、適切な条件、つまり社会的・経済的な結びつきと、基本的・発展的な人間的機能を可能にする手段とが、広くいきわたっているか否かに依存している。”(「アマルティア・センの思想」ローレンス・ハミルトン著 神島裕子訳 みすず書房 p76~77) オフバランスとされる「ノウハウ」の取引等で対象を《レンタル型》として処理することにより定価知制サブスク8リプションを可能とする根拠となる考え方である。 取引等の基準設定および標準化 「ノウハウ」の取引等の基準設定および標準化の考え方の具体化のひとつとしてサブスクリプションが考えられる。 サブスクリプションは料金を支払うことで、製品やサービスを一定期間利用することができる形式のビジネスモデルをいうが、ここでは、製品やサービスではなく「知恵」を利用する場合として任意レンタル型サブスクリプションの応用が考えられる。 一般のサブスクリプションは定額制のサービスで、商品やサービスを必要な時一定額まで利用するという形式による。 従来のサブスクリプションは一定額内までの使用を許可するものだが、ここで提案する任意レンタル型サブスクリプションは『一定価値』までの使用を許可するものである。 資産をレンタルしてサブクリプションにするとバランスシートに掲載されないオフバランスとすることができる。 すなわち、サブスクリプションでは単純なモノ売りをコト売りへと変換することができ、そのコトをさらにトランスフォーメーションにより新しい価値へ変質させることができる。 特に、「ノウハウ」の取引の場合では決算時だけでなく決済においても「貨幣を介さない」ですることができる。 これを任意レンタルの自動更新型サブクリクションとすると期限を意識することなく満足すべき条件を『一定価値』の総計分まで取引等を可能とすることができる。 したがって、お互いが納得する範囲内で利用しあうことができることとなる。 サブスクリプションでは顧客は商品やサービスを利用すればするほどコストもリスクも減るのが原則である。 そこで、価格競争に陥るのを避けて、顧客に満足してもらえる仕組みとして「定額制」を『定価値制』とすれば満足する結果が得られるはずである。 相手に価格を押しつけるのではなく、提供者と利用者が一緒に価値を作るのだ。 重要なポイントは、単なる定額制ではなく、データを集積し、分析し、新しいサービスにつなげていくことである。 単に販売会社やメーカーの視点で一方的にサービスを提供するのではなく、サービス提供を通じて利用者のデータを蓄積し、利用者視点でデータを分析することで、より利用者が満足できるサービスに近づけていく。 このデータの集積・分析・改善・新サービスの提供をしてこそ真の意味のサブスクリプションといえる。 ここでこれを自動シェアリングシステムに応用すれば、企業と顧客の関係を顧客同士あるいは当事者・ユーザー同士としたとしても同じことがいえるはず。 双方がシェアリングを継続してサブスクリプションを『定価値』で同意できれば満足すべき条件を『定価値』のトータル分までの取引等を可能とすることができる。 任意レンタル型とすれば、差額分の精算で済ませるかさらに異なる条件で継続することもできる。 この場合には仲間内でのアクセスログ体制の明確性が要件となる。 アクセスログは提供者と利用者の行動記録なのでその記録を分析することで相手方のニーズや自分たちのサービスの内容を知ることができる。 このためには「見える化」で「ノウハウ」をもれなく抽出して、

①「ノウハウ」は「無形資産」で形がないので顕在化して認識できるように表現し、

②オフバランスでバランスシートに載らない「ノウハウ」は別途記載して見える化し、

③自分自身ではそれを「ノウハウ」だと意識していないものをカード等で探索して顕在化し、

④他人から「ノウハウ」だと認識されている場合を見つけ出すために情報発信すること

等によって拾いだすことを常に行っていることがログ体制の信憑性向上に繋がる。 このようにして提供者と利用者の行動記録を集約して分析することで規定のベースとなるものを構築する。   評価・判定の基準および標準化 評価・判定の標準化について今まで検討したことを整理すれば、以下の基準および考え方のようになる。

① 自己所有設備等へ自己の「ノウハウ」を直接投資する場合は、当該設備等への「ノウハウ」投資単位あたりに生じた増加価値分が付加価値判定基準となる。 これはその「ノウハウ」を実施できる設備等を自己の空き設備等として持っているときで、その設備等は本来の生産等に使用しないものであり、特に売却・譲渡・償却等しないものであればそれを自己の「ノウハウ」実現に貨幣を介することなく使って生ずる価値を増加価値として判断基準とすることができる。

② 他人所有の設備等を使用して自己の「ノウハウ」を直接投資して生産等する場合は、投資単位あたりに生じた差額分が付加価値判定基準となる。 この場合の取引の要件については他人が当方の「ノウハウ」の使用を条件に当該設備等の使用を許可する場合はその結果生じた成果物は両者共有とすることができる。 すなわち、上記自己設備等使用のときと同様の扱いとなる。

③ 「ノウハウ」を交換する場合は実績記録を集約し、価値の差を分離してそれぞれ基準・標準化する。

その場合、それぞれの「ノウハウ」の価値が明らかに同一のときは問題ないが、それぞれの価値が異なり、しかも一方または双方が複数の場合は容易には価値に交換についての基準が設定できない。 そのときはいままで取引等関係者間のアクセスログを利用することになる。 すべての行動データが1つのIDに紐付けられるということでオンラインとオフラインが融合した体験が提供され、その時々に最適な「ノウハウ」を融通無碍に選べるようになる。 そしてそれらのデータを自己の利益にのみつなげるのではなく、相互の信頼関係を作っていくことで提供価値の増幅が可能となる。 そして、その取引等に関連するデータのうち「ノウハウ」の価値判定に重要な意味を有するものを集約して該当項目ごとに分析し、最も好ましい項目を抽出して基準の核とする。 ‘「貨幣を介さない」取引等の処理 一般に金銭によらない資産の投資の場合、投資からの利益が得られるという事前の期待に照らして事後の成果を把握することができるという「投資のリスクからの解放」に依拠する。 すなわち、金銭以外による投資のときは、事前に投資の利益が期待できるかによって投資後の成果を把握する。 交換によって移転する資産に対するリスクから解放された時には損益を認識し、必ずしもそのリスクから免れていないのであれば損益の認識を繰り延べる処理が行われることになる。 すなわち、金銭での交換による場合には損益を認識し、金銭によらない資産投資は損益の認識を要しない。 しかし、これは金銭によらない資産の場合について一般的に述べているにすぎない。 そこで、オフバランスたる「ノウハウ」が「貨幣を介さない」で取引等が行われた場合にはどのような処理が行われるべきかについて検討する。 オフバランスたる「ノウハウ」は資産ではないのでそのままでは処理の対象にならない。 したがって、オフバランスの「知恵」についてアクセスログから登録さされたデータ等を参照して独自の評価をすることになる。 これは必ずしも利益が期待できるわけではないので損益の認識を繰り延べる評価をすることができることになる。 すなわちオフバランスたる「ノウハウ」の取引等は損益の評価をすることなく処理ができることとなる。 そして、取引等の結果で業績増大すれば自己資本利益率向上に資することができる。 しかし、「貨幣を介する」か否かで全体を2分したオフバランス以外のオンバランス資産は従来どおり資本を構成するので損益を認識できることとなる。 すなわちオフバランスの「ノウハウ」の取引等は損益の評価をすることなく処理できるが、それ以外のオンバランス資産の取引等は従来どおり損益を評価して処理されることとなる。 さらに、取引等の結果は「貨幣を介する」場合の損益だけで処理されることになる。 でも、取引等の結果の業績評価では「ノウハウ」で価値増加した分が付加されることとなる。 したがって、「貨幣を介さない」取引等は会計上資産によるものとしては現れない業績をあげることができることになり、それは一般の処理とは別になされることとなる。 すなわち、会計上の資産ではないとはいうものの、業績上の評価に貢献するものなので、内部的には資産と同等に項目をあげて管理し、取引等の評価対象項目とする。 例えば、取引上対象となる一般資産とともに「ノウハウ」の項目をあげて相手方とM&A契約交渉をする場合に譲渡側は「のれん」の価値を主張することができる効果がある。 この例えのように「ノウハウ」のみの取引交渉のみならず、「ノウハウ」とともに一般資産を含む取引等における契約交渉でも一方または双方が一般資産とともに「ノウハウ」の項目をあげて条件交渉をすることができる。   「ノウハウ」取引等の処理結果の応用 「ノウハウ」およびそれを含む資産の取引等の結果を活用するためにその情報を仲間内で共有することが重要な意味を持つ。 そのためには前述したように、個人を中心として「ノウハウ」を仲間内で共有してあらゆる情報をオープンに活用してともに価値を創造するプラットフォームが有効となる。 要するに仲間内で「オープンサイエンス」と「オープンソリューション」の機能を併せ持つので「ノウハウ」の土台とそれに基づく共創の基盤となるものである。 価値の創造を重視した考え方をとって、誰がどの「ノウハウ」を活用したかを後から検証できるように条件を定めておけばいちいち同意を必要としないとすることもできる。 アクセスログを残しながら、その目的にかなった使い方ができるので、パンデミックや経済的パニックが起きれば、同意なしでも特定のミッションを背負った人々にデータの使用を許可するようにできる。 同意が必要な案件でも非常事態の場合には必要な範囲でお互いに情報開示できる旨の取り決めをしておけば問題は解決する。 それよりも、このプラットフォームの利用者相互の紹介により新規利用者を獲得することもでき、既存利用者にはインセンティブを与えることにすればその効果を抜群に向上させられる。 「ノウハウ」の取引等における処理結果の業績評価上の取り扱いについては以上のとおりだが、当事者間の一定の行為をする権利の意思表示の合致である契約関係についてはその遵守が求められる。 不法行為等があった場合の損害賠償義務が発生することによる取引負担も考慮に入れておかなければならない。 以上は仲間同士といえども相互にわきまえておかなければならないことである。 一方、たとえば共同事業を行うにあたり「ノウハウ」を提供しあった場合に両者は各々相応の受益が得られる。 さらに相手側の「ノウハウ」を学習する受益とともにその「ノウハウ」を開示するコストを負担するとしたとき、双方のレピュテーション(社会的評判)をも考慮して評価することになる。 SDGsとともにESGにより気候変動への対応、自然資源の維持、エネルギー使用量削減等環境問題、人権、安全、健康、人材等の社会問題、コンプライアンス等も考慮していかなければならない。 しかし、ESGでは主として環境問題に目を奪われがちだが「ノウハウ」取引等の処理結果の応用においては社会問題やコンプライアンスに主眼を置いて「豊かな生活」への追求を図るべきだと考える。 これからは、実務に沿ってその具体化を図るとともに、人的資源のおおもとである自分自身のレジリエンスに主眼を移して足元を固める。   自分と仲間レジリエンスについてさらに演繹すれば対外的衝撃にも折れることなく立ち直ることのできるしなやかな強さをいうことになる。 パンデミック、異常気象等の生命危機のみならず、リーマンショック等の金銭危機にかかわる経済的パニック事件はいつでも再発する。 そして、高齢化、人口減少、格差拡大など不安材料は尽きることがない。 今回のコロナ禍にあたって以前からデジタル化を進めてきていれば今回のパンデミックによる経済的ショックを吸収し、付加価値を継続的に生み出していくことが期待できたはずだという声もある。 たしかに、デジタル化が進んでいれば当然その取引等においてもより効率的、直接的、同時並行的に情報処理できることになるのかもしれない。 しかし、「ノウハウ」の活用についてはそのような技術的手段による単なる生産性の問題だけに頼ってはいけない。 このような事態に対処するには常に自己や家庭と仲間の自給力を高め「貨幣依存度」を下げていくための新しい「ノウハウ」とその活用も必要となる。 「ゆたかな生活」のための「貨幣を介さない」直接取引が可能になることによるナッジ(肩押し)効果をベースにして「持続可能な開発」へのレジリエンス(回復力)を)を有するというさらにすぐれた仲間の「ノウハウ」がある。 また、「ノウハウ」については多くの場合、お互いに機密だと思っていることがその仲間内ではすでにほとんど周知であることが多く、みんなが知っているにもかかわらず自分だけの機密を維持することよりも、お互いに活用しあうことによってさらにすぐれた「ノウハウ」を再生産することのほうが好ましい。 このためにこのような関係にある「ノウハウ」は「下町のオープンサイエンス」としての価値ある「ノウハウ」による上積みの土台作りに基づいた「下町のオープンソリューション」による新たな共創の展開に結びつけることとができる。 そして新たに価値増大した「ノウハウ」については本当の意味での機密管理に移行していき、これもつぎのステップでは「さらなるオープンサイエンス」としての土台とし、「優れたオープンソリューション」として問題解決のためのレジリエンスを展開していくことができる。

新しいレジリエンスの展開

 貸借対照表に資産として載らないノウハウ等知的無形資産のうち「ノウハウ」、特に「貨幣を介さない」取引等について述べてきた。 そこで、一般家庭や仲間同士での少ない手元資金で取引ができる先物等デリバティブ(金融派生商品)についての可能性について考えてみる。 資産・債務を証券化してオフバランスとした場合、確かにその期ではバランスシートには載らない。 しかし、資産・債務隠しの場合には決済時には貸借対照表に掲載されるのでオフバランスではなくなる。 そしてそのレベルのオフバランスは決済時にはオンバランスとなる。 したがって、同じオフバランスでもデリバティブ、先物やオプション、スワップ等の金融商品にかかる場合での取り扱いについては注意を要する旨の警告もした。 米国での低所得者向け住宅ローンの証券化を契機とするリーマンショックによる経済的パニックの例もあるからである。 資産・債務を証券化してオフバランスとした場合、確かにその期に決済時に当たらない場合にはバランスシートに載らない。 一時的に資産・債務隠しの為にオフバランスとする場合には決済時にはオンバランスとなる。 しかしながら、一般家庭における生活資金難対応にも「ノウハウ」を働かさなければならない。 家庭の経済生活を脅かすことがないように仲間の「ノウハウ」も総動員して新しい「知恵」を共創する。 そこで、先物等の取引が資産・債務隠しではない場合には決済時にもオンバランスとならないように庶民の家計に役立つことを考える。 先物等でも仲間同士の取引に際して元本相当の「ノウハウ」の受け渡ししか行われない場合にはもともと何らの資産も形成されないので決済時にもオフバランスとなる。 本来交換の媒体である貨幣をお金によってお金を増やそうとする蓄財の対象にしてしまっていることに気が付かず、当然の商売や金融取引だと思い込んでいることの弊害をできることから改善するために「ノウハウ」の「貨幣を介さない」取引について提案してきた。 このままでは次世代への遺産としての100年先に向けての知的資本の蓄積はままならない。 そのためには他人を変えるという改革より、自分および仲間同士の当事者による「ノウハウ」の先物取引でも家庭や仲間レベルで改善可能になるように仲介(エイジェンシー)としての「ノウハウ」を働かせる。 百年に一度のパンデミックにも耐えられるように家庭や仲間レベルでも将来にわたっての「ノウハウ」の蓄積を可能とすることだ。 常にその心がけが実現できれば持続可能な開発のための新しいレジリエンスの展開となる。 通常の「貨幣を介する」取引での先物等デリバティブにおいても「貨幣を介さない」取引が可能となる。 仲間同士の取引に際して元本相当の「ノウハウ」の受け渡ししか行われない場合にはオフバランスで「貨幣を介さない」取引となる。 したがって、家庭や仲間同士では「貨幣を介さない」で「ノウハウ」の先物取引ができることになる。 これを敷衍すれば、通常の仲間同士の取引に際して「貨幣を介する」取引のうちでも元本相当の受け渡ししか行われない場合がる。 その場合には、その取引のうちのオフバランス部分は、決済時にもオフバランスとすることができることになる。 この場合、「ノウハウ」を含んだオンバランス資産でも先物取引等で将来にわたって「貨幣を介さない」で「ノウハウ」の蓄積を可能とすることも可能となる。 ただし、オンバランス資産の先物取引等では決済時には「貨幣を介する」取引とされるので、事前にオフバランス部分の分離が必要となる。 分離が可能となったオフバランス部分の「ノウハウ」は先物取引等で将来にわたっての「ノウハウ」の蓄積を可能とすることができる。 これによってもさらに新しいレジリエンスの展開とすることができる。 人間の「ノウハウ」から発するオフバランスの「見えない資産」が次世代への遺産として蓄積される。 それが知的資本として構築され、投下されて更なる「ノウハウ」の再生産がされる。 仲間同士の「ノウハウ」の先物取引で将来にわたって「貨幣を介さない」でも「ノウハウ」の蓄積を可能にする。 そして、100年に1度のパンデミック等へのレジリエンスとして常時蓄積され得る。 それがサブスクリプションによるシェアリングにより持続可能な開発による新しいレジリエンスとなる。 「貨幣を介さない」ことによるナッジ効果に後押しされて持続可能性はさらに拡大する。 また、「仲間のオープンサイエンス」、「仲間のオープンソリューション」の土台上での発展的セキュリティー感覚により共創による「ノウハウ」が拡コンピュータサービスおよびCSKの社内で「ノウハウ図書館」という社員、特に全国のユーザー各社のコンピュータ室に常駐しているSE(システムエンジニア)のためのオンラインDBサービスの提供をした。それはSEの「ノウハウ」をネットワークDBで共有して、ソフトウェア開発の生産性を向上させようとするものだった。どちらかというと、必要な「ノウハウ」を持っている「人を知る」ノウフー(know who)的なものだった。これを一般社会に応用しようとしたのが「ノウハウライブラリー」である。知的財産に関する仕事を60年ほどやってきた。そのうちこの10年ほどは全く異なる業務につきながら「ノウハウライブラリー」についての活動を進めてきた。「ノウハウライブラリー」の発想は基本的には「ノウハウ図書館」と同じである。いわゆる特許の仕事を長年やってきた実績を買われて、特許などとは殆ど縁のなかったコンピュータソフトの受託開発会社の特許担当として迎え入れられたのである。東大理学部数学科出で某大電気会社からやってきた若手取締役はことあるごとに「我々はみんなで協力しながら作り上げていって一番いいものを共有するのだがなあ!」。極端な言い方でソフトの世界での特許に対する考え方を披露してくれた。一般のSEも技術系としての教養はかなりある人たちが揃っていると思われるのだが、面と向かうと我々には関係ないことだと割り切る。そんな中でも大川社長の意向で独立系ソフト会社では珍しく、ハードウエア専門の技術部が20人以上の規模で設置されていた。この人達は出身母体で嫌という程特許について叩き込まれているのは明らかで、どうやらひと息ついたという感じだった。でも、ここでひと息ついていてはいけないのだ。ソフト会社でハード屋にハード面の開発をさせるのとソフト会社なのに特許屋を雇うのは全く異なる次元の問題だったのだ。ハード屋には現在のソフトを将来のハードにしたいためで、特許屋にはハードでもソフトでも良いから開発したものは顧客にも文句をいわせない自社の権利としたいためだった。これはソフトばやりの時代になると世間では「コンピュータ、ソフトがなければただの箱」と揶揄されたのに対して、大川は「ハードはソフトの陳腐化したもの」といって軽率な思い込みに警告を与えていたことからもわかる。また、SEの個人的な仕事も全部顧客ユーザーのものになってしまうことに対する根本的な対策を講じるためである。その当時はなぜ、レーザーディスクならぬレーザーカードの開発を始めていたのか、なぜ、自動翻訳ならぬ機械翻訳の研究を進めているのか、そして、顧客との契約上の問題がありながら、SE(システムエンジニア)等に三つのWITH(みっつのウィズ)を進めるのか等の真意が不明だった。三つのWITHとは「ともに語りあい、ともに気付きあい、そしてともに行動しよう」で、わかりやすく言えば「一緒に飲め」ということだ。顧客・ユーザーのコンピュータ室に常駐しているSEはそれぞれが単独行動で、顧客・ユーザーから受任した仕事内容については互いに話し合うことがないことからこのような心掛けを勧めていた。要するに、受注成果物は顧客のものでも、自分たちの「知恵」すなわち、「ノウハウ」は自分たちのものだから仕事を請ける前に権利化せよということだ。そのためには、普段から自分の仲間、すなわち、自社または自分が属する部門でのミーティングによって「知恵」すなわ「ノウハウ」の交換をしておき次のプロジェクト開発の生産性向上に役立てなさい。あくまでも事前に私達が自分で創作したものですよ、と言えるように仲間との間での創作のプロセスを記録しておくことだ。 これらのことを集約して「ノウハウ図書館」の原型が出来上がった。すなわち、社内の各人が自分の机の中にしまい込んでいる図書、文献、報告等を全部出させて、社員全員が見られるように資料室に整理して収納し自由に利用できるようにしたこと、顧客から要求仕様を提示される前から創作して自分たちの頭脳に入れてある「知恵」すなわち「ノウハウ」は、顧客に渡す成果物についての会社向け業務報告の一部として、記録しDB化することである。 「ノウハウライブラリー」はこのような考えをシステム化し全国の顧客・ユーザーのコンピューター室に常駐するSEや本社の経営陣およびシステム責任者が利用可能にするために設営された。 考えて見れば、アルミニウム時代にはハード、コンピュータソフト時代にはソフト、パチンコ・パチスロ時代以降にはそれらも合わせたサービスについての「ノウハウ」を追究してきた。アルミニウム時代には技術情報管理と知的財産権管理で「知恵」すなわち「ノウハウ」がたどり着く先をマネジメントした。確かにアルミニウムは金属で、その一次~三次製品およびその製造方法についていては特許等で権利保護の対象としたが、そのソフト面の保護については殆ど議論の外だった。そしてコンピュータソフトは物またはその製造方法には感知しないし、方法の特許を目指して開発ということもほとんどなかった。さらに、パチンコ・パチスロについてはまさに特許万能といったところで、オーナー自身も当初から特許についての関心は深かった。しかし、「ノウハウ」にしても「特許」にしてももともとは「知恵」を根源としていることに変わりはなく、どこの時点でおさえるかによって現れ方が変わってくるだけだ。したがって、「知恵」と同意の「ノウハウ」活用のスキームを主眼とすべきだと考えたわけである。 したがって、ノウハウライブラリー時代とは「ノウハウ図書館」を作成・運用したコンピューターサービス時代およびCSK時代だけではなく、その前後をすべて含めて言うものである。RIKEN時代にはJICST(日本科学技術情報センター)等の外部検索エンジンや特許庁の各検索システム、社内人事情報システムを利用して公知技術情報、他社の権利化状況、実施状況、官庁・銀行の補助・融資情報を収集して技術、開発戦略に活かした。日本軽金属にはボーキサイトからのアルミニウム精錬やアルミ合金およびあらゆるアルミ製品についての技術情報および特許情報が国内外について備えられており、グループ各社や競争会社についても提供を受けることができた。この体制の中で学んだことは、こういった情報については十分とは言えない独立系コンピュータソフト会社であるコンピュータサービスへ行ってから「ノウハウ図書館」を構築するにあたって非常に役にたった。また、浜松にある日本楽器(ヤマハ)の本社では、特許課長から当時の川上源一社長のOKをとるための「ノウハウ」等について多々教えてもらった。そのひとつとして模造紙の巻物作戦がある。いつも月曜日が社長へのプレゼンテーションの日だったので、何枚も巻いた模造紙を持って社長室に上がっていくのが常だった。当時はまだパワーポイント等のツールがなかったので巻紙戦法だった。この内容は今となっても企業秘密なので明かせないが、描き方は太いマジックインクでフルカラー図解にするというもの。私も静岡に帰って月曜日の役員会報告はヤマハ方式でやった。功を奏して次から次へと提案は採用になった。これだけの絵解きを自分で考えながら太いカラーマジックを何種類も使ってさくせいするのは土日いっぱいつかって会社でするしかない。すると、親切な先輩が、「ご苦労さん、メンツが足りなくなったのではいってくれないか?」と半ば強制の麻雀探しです。または、「良い店があるから飲みに行こうよ。」です。断って、土日いっぱいつかって資料作成です。こんなことをやっているうちにヤマハのトップクラスの方がRIKENの特許海外戦略について知りたいとのことで私に説明役が回ってきた。件の模造紙カラー版で説明し終わったら、内容についてのコメントの前に、「貴方はいつヤマハからRIKENに来たのか?」の質問だった。居合わせていたヤマハから来ていた私の上司は「彼はヤマハ内でも滅多に人を褒めないが、今のは最大の賛辞だ。」と言った。私がヤマハの人間だと思ったからだと言う。RIKENの静岡工場に居てニッケイ(日軽)とヤマハの「ノウハウ」を活用できたのは幸いであった。また、ヤマハに関しては、私の上司が川上源一社長に命じられてアメリカのピアノ事情視察に行っての報告で「アメリカではもうピアノより電子ピアノ(エレクトーン)の時代だ」としたところ、「それならお前がエレクトーン部長となれ」ということでピアノのヤマハがエレクトーンに方向転換したということだ。そして、従来からのピアノ技師は別室に祭り上げてまだ市場は続く高級ピアノの高級技術者として厚遇したという。さらには普及品ピアノの調律師の仕事が製造工程にあったものを、すべてオッシログラフを工員が見張る工程に置き換えたりして、AIもない頃にアッと驚く大改革をやってのけたりしている。そして、エレクトーンを普及させるのに、その楽器を売るのではなく、その先生を養成して音楽教室を全国各地に設置し、その教室で上達しそうな子供の親にエレクトーンを買わせるという戦略で大成功している。また、エレクトーンに限らず、音楽祭を主催して、新たなミュージシャンを発掘して憧れのスターに育て、それを目指したファンを増大させることにより、音楽人口自体を増やしていった。ポピュラー音楽の普及と発展を目的に、当時日本では少なかった大規模コンサート「ヤマハポピュラーソングコンテスト」「ジャズIN」などを開催し、多くのミュージシャン、音楽ファンに親しまれてきた合歓の里音楽祭は私にRIKENの特許海外戦略について下問した方の成果だった。TWI(training within industry:企業内現場監督者訓練)を先行してアメリカから導入して実行していたのをRIKENに入ったばかりの私に現場経験10数年以上のベテラン監督者に「仕事の教え方」、「仕事の改善の仕方」、「人の扱い方」の訓練をさせたのもヤマハの指針によるものだった。このように、ヤマハからはRIKEN入社当初から、人に関する「ノウハウ」、技術に関する「ノウハウ」、サービスに関する「ノウハウ」それぞれの活用についての基礎を叩き込まれてきたことになる。 一方、CSKで「ノウハウ図書館」運営後、平和に移ってからも「ノウハウライブラリー」への移行は営々として推進していた。例えばパテントプール解散後のライセンシングにしても、従来からの個別対応交渉に加えて、他業界の情報、パテントプール時代の実施条件、その後の各社との妥結結果、その経緯、決定時期及び順序、各社の予算枠推定、業界全体の実施料予算総額推定等をマトリックス計算できるようにDB化して入力し、交渉時期のその時点毎に随時トップに報告して修正しながら各交渉担当が理解できるようにした。また、「ノウハウ」活用による知的資本の構築からの価値増大「ノウハウ」の再生産の前提となる、その資産価値の評価・運用につき、有名私立大学助教授の会計士が社長として経営する会社と組んで、本格プロジェクト予算に基づく財務計画、および創作コンテンツの制作や取引およびその手続きが行われた時刻やそのコンテンツが存在した日時を証明するシステムを総務省認定会社を通して実施する計画を進めた。しかし、その構想と具体策実施時期の性急さ求められるなか、今までに体験したことのないユニークな仕事だとして頑張ってくれていたが、奇しくも両社長が急病で亡くなってしまうという事態に遭遇した。あまり性急過ぎないことも大切だということを命を張って教えていただいた。両社長に示した考えはその後も、性急過ぎないように着々と「ノウハウライブラリー」に踏襲されており、「ノウハウ銀行」のためには必須の要件となるものとして育成されている。これは、また、コンテンツ流通会社として平和プラスを設立した根拠として、コンテンツがプログラムからデータを除いた知財価値のあるものなのでそれを活かして有利な価値を有する「ノウハウ」を「貨幣を介さない」で取引等ができるオフバランスとして扱えるようにするための伏線だったのである。これらは一見、志半ばにして計画をあきらめざるを得なかったような事態にもとれるかもしれないが、実は着々と目標に向かって歩み続けている過程に過ぎなかったのである。アウトプレースメントでの就活システム、健康食品会社での遠赤外線低温サウナの訪問販売制度についてもあらゆる「ノウハウ」がいっぱいつまっており「ノウハウライブラリー」の構築には実に多くの「知恵」を与えてくれた。大する。 そして、広く環境・社会・経済の観点からこの世の中を持続可能にしていくサスティナビリティーに貢献する。 さらに、ESGの非財産情報では仲間間での「ノウハウ」取引等の処理結果の応用において社会問題やコンプライアンスにおいて「豊かな生活」への貢献をすることができる。 社会問題については、高齢者、認知症、介護、団塊世代等について「ノウハウ」の活用について前著等でも述べた。

ここで、「貨幣を介さない」取引等については、法令等の改正により資産を構成するものとされることがありうること、およびそれが一定の経済効果をもたらすものとして所轄官庁より課税の対象とされることも想定される。しかしそれは、現行の商品化された貨幣制度のもとでは想定内のことであって、しかも、本稿が目的とするところからすると枝葉末節に過ぎない。「貨幣を介さない」取引等の効果は容易には変えることができない現行の商品貨幣制度における弱者への緊急避難的救済措置に過ぎず、「ノウハウ」活用により次世代への遺産として知的資本を構築し、価値増大再生産によって「ゆたかな生活」のための「ゆたかな社会」を目指せる効果のほうが格段に大きいからである。むしろ、その目的とするところが公に認知されることをもって幸とする。

経営者として、そして仲間としての「ノウハウ」の活用について述べてきたが、ここに個人としての自分自身はどうすべきかを考えるに至った。 自分自身であるから他人と共同ではない場合についての「ノウハウ」の活用をどうすべきかである。 前にも述べたように、時間的にも距離的にも離れた間柄でも、相互に人間的態度を意識することによって、自他を共感的に同一視でき、その「ノウハウ」を共有し、共創することができる。 「裸足の鉄人」アベベやアフガニスタンにおける「灌漑工事」の中村医師の例にもあるように、一見「知恵」の共創にはあたらないように見えるケースでも、時間や距離に関係なく、共感しあう間柄においてはいわゆる「仲間」以上に「本当の仲間」がありえると言うことができる。 当然こうして自らのものとして得られた「ノウハウ」は無償であり、「貨幣を介さない」で取引し、交換することができる。 しかし、それを有償で入手した場合や著作権等知的財産権としてオンバランス資産となっている場合は別である。 したがって、オフバランスの場合はあえてお金を使って取引する必要はなく、オフバランスとはなりえない通常の資産のときはお金で決済すればよいことになる。 自分自身での「ノウハウ」の取引等においてもオフバランスの「ノウハウ」の場合のみお金を使わないで決済でき、通常の場合は普通にお金で決済すればよいことになる。 すなわち、取引等の改善ができることとなる。 そして、「本当の仲間」との「ノウハウ」取引等はお金のことを気にしないですることができ、「ゆたかな生活」ができることになる。 「本当の仲間」がその気になる前提としては、自分自身の中の仲間との改善がなされていなければならない。 自分自身の「ノウハウ」があってはじめて仲間や先達の「ノウハウ」を活かすことができる。 すなわち「ゆたかな生活」へ向けての改善により持続可能な開発(サスティナベーション)がされる。 そして、日々の自分自身の強靭なレジリエンス(回復力)で百年に一度の経済的パニックやパンデミックにも、耐える力が蓄えられる。

「ノウハウ銀行」は私の登録商標であるが、「銀行」と称することについて銀行法上の制約があるので、あえてその標章の使用を控えている。「ノウハウエイジェンシー」 の標章も商標登録してあるが、この商標を使用するのは、銀行業務をしない者が銀行を名乗ることにより銀行法に抵触するとみられるのを避けるためと、総務省と経済産業省が実現しようとしている「情報銀行」との関係があるものとされる誤解を避けるためである。 ここで、「情報銀行」とは、個人と個人とのデータ活用に関する契約等につき、個人が自らデータを蓄積、管理し、他者と自由に共有して活用する仕組等のシステムを活用して個人のデータを管理すると共に、個人の指示またはあらかじめ指定した条件に基づき個人に変わり妥当性を判断の上、データを第三者に提供する事業とされている。 たしかに、「情報銀行」と呼べば金融庁が許可を与えた金融業務をおこなう企業であるかのように思われがちだが、個人に変わり妥当性を判断してデータを第三者に提供する事業としての情報銀行業務は非金融業務と考えられる。

ここで、情報銀行が「銀行」である理由について﨑村夏彦氏(情報銀行推進委員会情報銀行認定分科会会長)は「金融市場が銀行が果たす役割を情報において果たすから。銀行と同じように、個人情報を貸し出して、貸し出された企業がそこから得られた知見で大きなビジネスモデルを作ったりしたら、その知財はもちろん貸出を受けた側の企業のものです。でも、融資したお金は返して頂くように、新たな知見を作るという目的のために貸した個人情報は返していただく。」とコメントしている。

「ノウハウエイジェンシー」は金融業務とは無関係だし、一切お金を扱わないので、基本的には法的問題はないものと思われる。 また、「情報銀行」のようにデータ収集を目的とするものでもない。 したがって、「ノウハウエイジェンシー」はその機能を充実させて「ノウハウ」活用のコンサルティング、経営診断および情報管理を行う。すなわち「ノウハウエイジェンシー」が「ノウハウ」を有する当事者の コンサルティング、経営診断および情報管理を行うことによりその「ノウハウ」活用で当事者が知的資本を構築し、その投資からさらなる価値増大した「ノウハウ」を再生産するのをサポートする。「ノウハウベース」は当初の「ノウハウ」および価値増大した「ノウハウ」のデータベースで当事者間の橋渡し役である。そこで、「ノウハウエイジェンシー」については、「ノウハウベース」の機能を駆使して「ノウハウ」の再生産、価値増大および「貨幣を介さない」取引についてさらにその機能を展開する。そして、そのためには、自分および仲間同士の当事者によるオフバランス取引や先物取引でも家庭や仲間レベルでも改善可能になるように「ノウハウエイジェンシー」の機能をさらに焦点を絞って働かせる。 したがって、仲間同士の取引に際して「ノウハウ」の受け渡ししか行われない場合にはオフバランスで「貨幣を介さない」取引となる。 この場合、「ノウハウ」を含んだオンバランス資産ならそのうちのオフバランスを分離した取引等により、将来にわたって「貨幣を介さない」で「ノウハウ」の蓄積を可能とする。 そして、人間の「ノウハウ」から発するオフバランスの「見えない資産」が次世代への遺産として蓄積される。 それが知的資本として構築され、投下されて更なる「ノウハウ等」の再生産がされる。 以上、「ノウハウ」を「貨幣を介さない」すなわち「お金を使わない」取引とする『改善』で有効に活用して資金難や後継者難による撤退を回避し、格差のない生活を得ることを政官財民共通のミッションとしていかなければならない。 主体としては海外列強、大企業、中小企業、地域、コミュニテイの団体等をはじめとして仲間、親族、家族、個人等の全体を対象として考えることがきるが、それぞれのミッションをポッシブルにするために「ノウハウエイジェンシー」の機能のフル活用が望まれる。

家族とともに育ち、先達の魂を引継いで自らの人生を築き、次世代への「ノウハウ」の遺産を残そうとする。 もはや、先達の生き様の是非を云々している暇はない。自分で自分を変えることによって、生きがいを見つけていかなければならない。 この場合でも先達の偉業や新たな仲間の「ノウハウ」はフルに活用すべきだ。 でも生きがいを見つけるのは自分自身だ。 そのためには他人を変えることはできない。 許されるのは自分を変えることだけだ。 これからは、せっかくいただいた私の人生を自ら変えることで満喫していきたいと思う。  今、新型コロナによるパンデミックで世界はたいへんなことになっている。 幸い、先の大戦以後の種々の困難を乗り越えて何とか生き延びて来たが、齢80にして人生はこれからだと思っている。 ウィルスに感染しないためには何よりもはねのける体力を保持しておくのが大切だ。30年かかって、 毎日の食事と運動だけで糖尿病等をすべて克服した実績があるのでなおさらそう思う。 でも、今でも毎日、ストレッチ、筋トレ、体幹、ダンパー、等の基礎運動と1日3万歩前後のウオーキングを欠かさない。 そして、何よりも大切なことは、恐れずに挑戦する気持ちを持ち続けることだと思っている。 生き残るために   今でも朝三時に起きて、一番電車に乗って仕事場への通勤を続けている。 そして、読書のために都内十数軒の図書館に通いそれぞれ二十冊前後の専門書を借りたり返却したりするためにリュックに詰めて家との往復を繰り返している。 相当重いが、電車以外はタクシーもバスも利用しないですべて徒歩か自転車だ。運転免許証も70歳で返納した。 経済的理由もさることながら、もっぱら健康上好ましいからだ。考えるところあって老人パスは一切使っていない。 高齢の登山家が足首に鉄の錘を付けて鍛練しているニュースがあったが、それと同じ効果も狙い目だ。 ただし、気を付けないと猫背障害を助長しがちなので整骨院のアシストを受けながら毎日3回の自主トレーニングに励んでいる。 今までも、膝の皿骨粉砕障害や労災事故で踵から下脚の靭帯切れと内部骨折で歩けなくなったことがあったが、しばらく治療が進んでもなかなか全快しなかった。 そんなときの医者のひと言、 「痛くても無理して歩きなさい。歩けば周辺の筋肉が成長して、障害部分をサポートするので痛さが和らぐ。人の体は常に痛いところをお互いに保護しあってどうやら耐えている。そうすれば自分の体がちょっとくらいの痛くても脳はそれに気づかないふりをしてくれる。」 それ以来、その言葉を信じて守っている。 そして、ほとんどの障害はクリアされている。   また、かなり以前のことだが、群馬県の桐生市の社宅に単身赴任していた時、夜中に突然ものすごい耳鳴りと厳しい頭痛を伴って何も聞こえなくなった。 社宅近くの産業医に飛び込んだが、あいにく外科だった。 でも先生は、 「この病気は原因は不明だが治療法は解っている。」 としてマニュアルを見ながら応急処置をしてくれ、それから数日間点滴の継続治療をしてくれた。 それから1年ほど経って、出張帰りの飛行機から降りたとき、左耳が何か詰まったような感じで聞こえが悪くなり、なかなか治らなかった。 耳抜きができにくくなることはよくあるのでたいしたことはないと思って、出張後の仕事に忙殺されていた。 1週間以上たってもよくならないので、会社本部のあった六本木ヒルズの耳鼻科に行ったところ、 「突発性難聴で、もう当医院の手にはおえない。医師と設備の整っている病院で検査を受けるように。」 と言ってトップレベルの総合病院への紹介状を出してくれた。 そちらの病院の専門医曰く 「再発の突発性難聴であることに気がつかず、直ちに専門医にかからなかったことによる治療遅れで失った聴力は回復不可能だ。」 突発性難聴は内耳疾患なので脳内に障害を生じ、直ちに専門医に手当てしてもらわないと回復できないとは訊いていたが2度目がくるとは思ってもいなかった。 再発でも手当が遅れれば回復できないことに変わりはないとのことだった。桐生の外科医からは聞いていないことだった。 また、紹介を得て検査と診断に通うようになったその一流総合病院のドクターは 「うちでは治療はしないのだが、なぜ検査と診断が必要かというと、もう一方の耳が聞こえなくなってはたいへんだからだ。その場合には直ちに手術に回すためだ。」その後、勤務地が変わったので他の持病の治療を兼ねて上野のかかりつけ医に通った。その道では ベテランの老町医者曰く 「物凄い耳鳴りはしなかったか。人間の耳には本来耳鳴りが備え付いている。それでは聞こえないので脳がそれをシャットアウトしている。それで人は自分には耳鳴りがしないのが当たり前と思っているだけだ。内耳から脳に障害があると当然もともとあった耳鳴りが戻ってきて聴力に障害が生ずる。」 以上のことから学べることは、 人間の体は常に痛いのだ。 人間の耳には常に耳鳴りがしているのだ。 ただ、脳がそれらをシャットアウトしているので人はいつもは「痛み」や「耳鳴り」が無いのが当然と思っているだけだということだ。 すなわち、なんらかの障害が生じたと思っていることは、本来その障害がある状態が定常であるけれどもある状態を維持するために隠されていたものが状況の変化によって顕在化しただけだ。 それを障害が生じたと言っているだけということもおうおうにしてある。 自然界で生き残っているということはたまたまその環境条件に適合し続けることができているにすぎないということが解る。

李下に冠を正さず

また最近のことだが、ある私鉄線駅ホームで次の電車待ちの行列に並んでいたときのことだった。 始発の4両連結でしかない普通電車だったのでホーム上の指定ライン上に大勢の人々が長い列をつくっていた。 電車が到着したので順次乗車を始めた。 ちょうど私が乗れる段になったところで、横から若い女性が割り込んできたので右手を前に出して制止のポーズをとった。 電車内でしばらく睨みつけてきたので無視して目的地の駅で降りたら件の女性も一緒に降りてきて、駅員室に来いという。 言いがかりだと思ったがそのやり取りを知った駅員に従って駅員室に入った。 駅員が警察が来るまでちょっと待ってくれというのでしばらく待っていると、数人の警察官がやって来た。 刑事と名乗る警官が私に 「件の女性は腹をぶたれて痛いと言っているそうだ。妊娠していたら大変なことになる。」 別の警官が 「今、被害者は別の所で被害の実情を申告しているので加害者はちょっと待つように。」 私は加害者になってしまっているようだ。 先の刑事は 「もし、その嫌疑が認められるものであれば、私はあなたに手錠をかけなければならない。」 女性は別の警察官等に囲まれていろいろ事情の聴取を受けているようだったが、私は、晴天の霹靂で、よくある痴漢の虚偽申告のようなものではないか、制止するために右手を前に出したがその腕に相手が接触して、被服にさわった感触があった事実を説明した。 その間、荷物の検査と身分証のチェックを受けた。 私はリュックを開けて内容を見せた。 刑事と警官たちは、印鑑と除菌剤瓶を除いては法律関係の専門書がいっぱい詰まっているのを見て、驚いた様子だった。 しばらくして刑事が 「もし間違って手錠をかけられるようなことになれば、家族や仕事の関係者にも大変な迷惑をかけることになる。いまの時代はちょっとしたことを理由に欺かれて加害者とされてしまうことが多いので、割り込み乗車程度には干渉しないようにしたほうがよい。」 といって、解放してくれた。 私は、理由はともかく多忙な方々に余分な時間と労力を費やさせてしまったことを詫びて予約してあった図書館に向かった。 冤罪については、偽証に基づくものが刑事もの、裁判ものの事例でかなりあるが、一度起訴されてしまうと取り返しがつかないことはよく知られている。 まさに李下に冠を正さずである。 人間世界では一つの正義に従うだけでは済まされず、各々別の正義がぶつかり合い、混乱を生じさせる場合がかなりあるので、その対処についても冷静さを失わないことが肝心との「気付き」を得、「知恵」を得た。

自らを変える人生

警察官との関係では、かつて次のような経験をした。 自転車で車道の左端を走っていた時、自転車と共に突然空中に放り出され、車道のアスファルトに叩きつけられた。 私は何のことやらわからず、這いずって歩道にたどり着いた。 見ると自転車はぺしゃんこに潰れており、近くにバイクが止まっていた。 何のことやらわからずしばらく呆然としていると通りがかりの人が近づいてきて 「大丈夫ですか?お怪我はありませんか?救急車を呼びましょうか?」と言ってくれたのを聞いて、初めて交通事故にあったらしいことに感づいた。 しばらくすると、パトカーがやってきて、警官からいろいろ質問を受けた。 「通行人の証言によると、バイクの女性が私の自転車をはねたが自分は青信号で進行していたと言っている。あなたは信号が赤に変わるにも関わらす進行していたのではないか。」というので、 「いえ私は青信号で進行していた。」と答えたが、あくまで、警官はたまたま反対側の歩道を歩いていた老人が歩行者用の信号が青点滅していたのを見たという証言から時間との関係を言って私に非があるとする。 警官は私が歩道の信号が赤になるのに渡ったと信じて譲らないそして、 「バイクも前部が傷んでいるので、賠償責任はあなたにある。請求があったら支払え。応じないのならばここで事件にする。」 バイクの前部が傷ついているのなら後ろから自転車に追突したのだし、信号がどうであったかについてはこちらにも十分言い分があったが、以前、兄が青信号で歩道を渡った時、警官から信号無視だといって呼び止められたので、青信号だったと主張したところ、調書を取られ、後々長期間呼び出されて罰金を払わされる羽目になったことを聞いていたので、これ以上騒ぎを大きくすることを避けて、仕方なくその警官の言い分に従うことにした。。バイクにはねられて全壊した自転車を乗せてくれるタクシーはないし、警官は自分で片付けろという。 びくとも動かない壊れた自転車を夜間の小一時間ズルズル引きずって何とか自転車屋を探して自腹で処分し、後から出てくる痛さに耐えて電車に乗って帰ったが、警官のアドバイスに従って病院の治療費を事故扱いでなく自費で支払うことになった。 理不尽だと思ったが、大型トラックが行きかう国道の交差する地点であったので、件の警官の 「ここらでトラックにはねられた事故では自転車側はほとんど死亡している。命があっただけでも幸いだ。」との言葉にはまさに命が縮まる思いがした。 事件の瞬間の歩行者用信号と車両用信号の関係は、道路交通法については詳しくなく、しかも実際に経過を見守っていたわけではない通行人の証言でそう判断した警官の処分が妥当であるかどうかはさておいて、事故に遭ったのも、命が助かったのも、これは私自身の問題だと思った。  警察との関係では次のような経験もある。 ある金融機関からキャッシングの通知が来た。それによると約3カ月ほど前に何回かに分けて数十万円のキャッシングがなされていた 。 孫の成人祝い用にひそかに貯め込んでいた虎の子だった。 誰かに頼んだことも自分で処理した覚えもないので金融機関に問い合わせてみると、そのとおりに引き出されているとのこと。 記録によると紛失した映画のポイントカードにキャッシング機能がついていたようで、カードを手に入れた者が該当月に可能だった現金を引き出したものだとわかった。 しょっちゅう映画の予約及び発券時ポイント割引に利用するためにシネコン管理会社に勧められて30年近く前から常時携帯していたもので、途中から他の機能が入ってきていたとは夢にも思わなかった。 銀行カードや信販カード紛失の怖さについては痛いほど身に積まされていたが、映画館のポイントカードではそこまでの意識はなかった。 警察は 「もし盗難されたカードで他人によりキャッシングされたとしても、物としてのカードの窃盗とATMからの現金の窃盗では対象物が異なるので現金についての被害届は当該金融会社からのものしか受理できない。あなたから申請があったので物としてのカード即ち財布については手配しているが、キャッシング即ち現金についてまでは干渉できない」という。 金融会社は 「本来、当社は当人のカードからのキャッシングについては免責だが、どこのATMでいつ使用されたかについてだけは調べることはできる。しかしそれ以上については警察に干渉することになるのでできない」とする。 結論として。カードを失って他人にキャッシングされた場合、現金の窃盗を受けたのは実際には金銭的損害を被っていない金融会社となってしまう。 損害を被ったのはカードの所有者で自分の預金から現金を引き出された私だが、この場合そのカード所有者としての私は保障されない。 財物についてのみ判断される法のもとではこうなる。 現金とは別財物とされるがカードについては逸失届が出されていて、警察はその行方を捜索してはくれるが、ATMから引き出された現金についてはそれを失なったのは金融機関なのでそちらから捜索依頼がない限り手が出せない。 価値を失ったカード所有者については考慮の外だという状況においては本当の財産、資産を伝承できない。 金融会社からATMの監視カメラの映像を提供して捜査を依頼すれば警察も動かざるを得ないだろうが、3カ月以上も過ぎてしまった状態で多忙な警察に相当な負担をかけさせる多人数の捜査員を使っての長期間の捜査を依頼することはできないだろう。 そもそも金融会社は何の損害も被っていないのでそのようなプラクティスはないとのことで、私からの要求の引き出された3か所のATMを開示するだけでも社内の反対を押し切ってようやく承認が取れたほどだったという。 警察も、もし捜査願いが出されたら対応しなければならないだろうが、該当法を駆使しても問題解決した実績はないので、無駄な税金使用は避けなければならないということだった。 なお、偽造カード、盗難カードの預貯金者の保護については、平成18年施行の法律により、故意・重過失のない個人預貯金者には条件つきで保護がされるようにはなった。 しかし、クレジットカードは不適用で、私自身又は私から依頼された第三者が引き出したのではないことを証明することは不可能に近いので、事実上保護はされないことになる。 一見、法的には保護されているように見えても、現実には対処不可能なケースは多い。

以上の事例からは世の中は常識で考えられる以上の必然に支配されていることに気付く。 日常、世間の人々が理解していると思われていることは、その底には、普段の生活では気づくことができない真実がとうとうと流れていて、その中のほんの一瞬がいわゆる常識レベルの「知」として現出しているに過ぎないということだ。 人の心にある、倫理観念、正義感、生活上の常識等も人間世界では一つの正義に従うだけでは済まされず、各々別の正義がぶつかり合い、混乱を生じさせる場合がかなりあるので、まさに「ノウハウ」の根源に立ち返ることが肝要だ。 まさに自らを変えることである。 自分の良心に従って行動すれば必ず報われるかと言えば必ずしもそうではない。 すべて自己の属するコミュニティを含め自然界で生き残っているということはたまたまその環境条件に適合し続けることができているにすぎないことになるし、人間世界では一つの正義に従うだけでは済まされず、各々別の正義がぶつかり合い、混乱を生じさせる場合がかなりあるので、自己の「ノウハウ」とコミュニティ内で共創する「仲間のノウハウ」を最大限活かすことが必要となる。 そして、政府、行政、財界内の各コミュニティは必ずそれらを構成する個人の「ノウハウ」となんらかのかかわり合いをもって成立し、それぞれを構成する個人の「ノウハウ」は各コミュニティの「ノウハウ」の部分をなすものである。 したがって、個人の「ノウハウ」は決してその個人だけのものではなくその属するコミュニティと共創したものであり、その成果は共有するものとなる。 たとえば、政党、委員会、オープンソリューション、研究会等と個人とのかかわり合いの中でそれぞれのミッションに見合う役割を見つけ出していくことだ。 そのためには常に自ら変える人生を探し求めて「気付き」と「知恵」を相互に絡み合わせながら「ノウハウ」を共創し、共有するようにしなければならない。   政官財民共通のミッション   成長、バブル後日本の凋落については由々しき問題ではあるが、私はその責任を政府・行政や財界等のみに取らせるのではなく、私達が自らを変えることから始めなければならないと考える。 例えば、今回のパンデミックによって思い知らされた物流の基本についは、その基本の間違いを改善していかなければならない。 脱炭素化についても個人個人が自ら本当の問題点に気づかない限り永遠に解決はない。

再生エネルギー急拡大で発電した電気を使い切れなくなっているため、送配電会社が再生可能エネルギーの受け入れを一時停止する「出力制御」を行う動きが増えている。 再生エネルギーによる電気が売れなくなると当該事業者の経営が悪化し、再生エネルギーの普及に支障を生ずるという懸念もある。 我々が生き続けるためにどの要件をどの順序で優先させなければならないかを、それぞれが真剣に追及して実践し、その集大成で必要十分な結論を導かなければならない。 脱炭素化取引については政・官界や企業社会だけの問題なのではなく、民間人を含むそれぞれの覚悟によらなければ正解は得られない。 まず、個々人自らがコミュニティとともにできることから変えるとともにそれを広げていかなければならない。 政策としての成長率、企業業績としての収益率をもって政権保持、経営評価獲得の目的としていては国民の「ゆたかな生活」など求め得べくもない。 それよりも、アズ・ナンバーワンとも言われた虚構の幻想再現を夢想して断末魔のあがきを繰り返す愚は避けなければならない。 今、ガレージハウスから始まって、既存の大企業をしのぐいわゆるGAFAMが破竹の勢い世界を席巻している。 しかし、日本ではその国状の閉鎖性から独自の発展形態をとることができず、それらへの追従以上のレベルの戦略をとることはできていない。 ところが、日本の地域経済においては、中小企業、零細企業、町工場、家内工業のなかにはむしろ独自のきわめて特異性のあるノウハウを有する産業が生き続けている。 アメリカの投資家が将来性のある優秀な起業家を求めて躍起となり、起業家は満を持してそれを待つ場合が多いのに比べて、日本の場合はベンチャーキャピタルがベンチャービジネスを探してくれるのを待つ態様が多い。 アメリカでは開発精神に満ちた企業家に対してはパイオニアスピリッツに富む投資家が応ずることにより新規事業が起こってくる。 これに対して日本では閉鎖社会のなかで育まれた固有の知恵と技が珍重される気風があり、結果として識者が気付いて拾い上げるという構造になっている。 従って、日本には大開発につながる優れた要素技術としての「知恵」すなわち「ノウハウ」がいっぱい詰まっている個人・零細企業が豊富に存在するにもかかわらず、それらの「ノウハウ」が顕在化されることなくみずからの内に眠ってしまい、使われることがないままに忘れ去られてしまうことが多い。 その結果日本の出資家は折角の出資のチャンスを失うことになる。 日本人にはパイオニアスピリッツに類する精神構造は望むべくもない。それなら、下手なアメリカ追従はやめて、日本人が本来的に持っている極意伝承の精神を生かす方法で要素技術を顕在化するほうが理にかなう。 そして、いくつもの同業小規模経営企業が競い合うことよりも{知恵」を集めてノウハウを集約して一本化を図ることである。「 ノウハウ」、すなわち気付きによる「知恵」の活用である。 まさに自ら変える人生を歩むことである。 新型コロナウィルスの猛威によるパンデミックを主なる原因として経済状況や生活環境が厳しくなる家庭も増大している。 この対策としてコミュニティ支援が必要と言われる論者も多い。 しかし、福沢諭吉のように地方議会開設提言、為替相場の安定化につながる横浜正金銀行設立等の偉業をなし得る社会事業家はそう滅多に現れるものではない。 われわれは今こそコミュニティ内での「気付き」合い、「知恵」の共創、「ノウハウ」の共有・活用で「仲間の知恵」を拡大させて関連団体や自治体、行政官僚に社会的インパクトを与え、弱者支援の重要性を訴えて行かなくてはならない。 そして自らもお金が無くて解決できないこと、人手が無くて実行できないことに対して、大袈裟な改革ではなく、変えられることだけでも勇気をもって変えてゆく改善をしていくべきである。 たとえば、「貨幣を介しない」で可能な取引を生活の一部からでも良いので実行していくべきである。 すなわち、貸借対照表に資産として載らないノウハウ等知的無形資産のうち「知恵」、特にオフバランスで「貨幣を介さない」取引等については資金繰りの心配なく取引ができるメリットがある。 また、民間には本当の意味での弱者が存在することも事実である。 この場合、社会の構造的歪みによってこれらの人々が救済されないからといって直ちに改革を云々するのは早計である。 無理に直すと問題が大きいことはひとまず受け入れて、変えることができることに勇気をもって挑戦することによる『改善』を推し進めることだ。 そこで、たとえば、一般家庭や仲間同士での少ない手元資金で取引ができる先物等についての可能性について考えてみる。 先物等でも仲間同士の取引に際して元本相当の「ノウハウ」の受け渡ししか行われない場合にはもともと何らの資産も形成されないので決済時にもオフバランスとなる。 したがって、オフバランスの「ノウハウ」については現在の取引だけではなく将来の取引についても貨幣を介さないで行うことができることになる。 金融業界が内輪で資金を回し、民間企業が株式価値最大化のため自己株買いのために資金をまわしていることを非難するだけでなく、 個人や一般家庭でも「ゆたかな生活」がもっぱらお金だけだとする風潮を反省しなければならない。 今や、政財界も官民も、自らのミッションを全うすることで「ゆたかな生活」を求めることができることに気づかなければならない。 本来交換の媒体である貨幣をお金によってお金を増やそうとする蓄財の対象にしてしまっていることに気が付かず、当然の商売や金融取引だと思い込んでいることの弊害を改善しなければならない。 このままでは次世代への遺産としての知的資本蓄積はままならない。そこで、「ノウハウ」の「貨幣を介さない」取引について追求する。 そのためには他人を変えるという改革より、自分および仲間同士の当事者による「ノウハウ」の先物取引でも家庭や仲間レベルで『改善』可能になるように「ノウハウ」を働かせる。 仲間同士の取引に際して「ノウハウ」の受け渡ししか行われない場合にはオフバランスで「貨幣を介さない」取引となる。 この場合、「ノウハウ」をも含んだオンバランス資産ならオフバランスの先物取引等で将来にわたって「貨幣を介さない」で「ノウハウ」の蓄積を可能とすることも可能となる。 人間の「知恵」から発するオフバランスの「見えない資産」が次世代への遺産として蓄積される。 それが知的資本として構築され、投下されて更なる「ノウハウ」の再生産がされる。 そして、パンデミック等へのレジリエンスとして常時蓄積され得る。 そして、広く環境・社会・経済の観点からこの世の中を持続可能にしていくサスティナビリティーに貢献する。 さらに、ESGの非財産情報では仲間間での「ノウハウ」取引等の処理結果の応用において社会問題において「豊かな生活」への貢献をすることができる。 社会問題については、高齢者、認知症、介護、団塊世代等についても次世代への遺産としての「ノウハウ」の活用が可能である。 これらの方々の「ノウハウ」がそれぞれの記憶から失われてしまわないうちに保全し、活用して蓄積した知的資本を身内や医師・介護関係を介して循環・還元することにより可能となる。 以上、「ノウハウ」を「貨幣を使わない」取引とする『改善』で有効に活用して資金難や後継者難による撤退を回避し、で、格差のない生活を得ることを政官財民共通のミッションとすることを提案する。 この場合も、ミッションをわきまえるスタートはまず民であり、次に財、官、政とならなければならない。 民は自ら「ゆたかな社会」のために自己の「ノウハウ」の活用による次世代への遺産としての知的資本の構築をするというミッションをわきまえなければならない。 しかも、これを「仲間」とともに「コミュニティ」を構成しながら共創し、共有していかなければならない。 財界としての企業等は行きすぎた資本主義の弊害を除去すべく、資本と経営が労働の真価を発揮できるように共働し、その「ノウハウ」を共創し、共有していかなければならない。 官たる各行政官庁は民・財のミッションが十分発揮できるようにコントロール機能を万全としなければならない。 政界はいうまでもなく、民・財・官の僕としてのミッションを果たさなければならない。 そして、改革よりも『改善』を旨とし、「ノウハウ」の活用、創成、共創、共有を政官財民共通のミッションとてその機能を果たさなければならない。

「ノウハウ」を活かして次世代への遺産として知的資本を構築し、その投下でさらなる「ノウハウ」を再生産すること。価値増大再生産され、余剰価値を得た「ノウハウ」を皆で共有して「ゆたかな生活」による「ゆたかな社会」を作ること。そして、資産を構成しないオフバランスの自己の「ノウハウ」は「貨幣を介さない」で取引等ができるので、この部分の「お金を払わない」取引等により資金繰りを改善できるメリットがあること。さらに、そのメリットに肩押し(ナッジ)される心理的効果で中小企業等が頑張れること。さらに、「貨幣を介さない」で取引等ができる効果をもたらす「ノウハウ」を活かすための「ノウハウライブラリー」、「ノウハウサロン」、「ノウハウベース」等を総動員して、「ノウハウエイジェンシー」が構築できること。これを個人で実施するのは難しいが、自分を形づくっているのは他人や仲間またはコミュニティである。「ゆたかな生活」   を求めるそれぞれの志向のアプローチををするとともにそれぞれのコミュニティに共通する役割を持ち、その機能を果たさなければならない。もし個人を含む仲間だけで難しい場合はコミュニティーとしての 企業もコミュニティーとしての政府とが力を合わせ、公共企業は民間企業とコミュニティとして協力して社会の目標を達成しなければならない。 簡単に官民共働といっても本来、社会の主体は民間であり、そのうち最も重要なのは庶民である。 企業では庶民が生活の糧を得るために働き、その企業が財界を構成している。 行政は庶民と彼らが働く企業が構成する民間の機能を全うさせるべき使命を有している。 政府はこれらすべてが合理的に機能するように政治・経済上の奉仕をする責任を国民に対して担っている。 このためには「ゆたかな社会」のための使命の志向が重要であることは勿論のこと、それは庶民の「ゆたかな生活」が約束されてはじめて達成できるものであると言える。 したがって、政・官・財・民の全てにわたって「ゆたかな生活」が共通の使命であると言える。 そのためには、政治家といえども官僚といえども、財界人といえども、それらに属するすべての個人が一人の庶民であることを忘れてはならない。 総理大臣といえども、家庭では子育てに奔走する良き父親であり母親であるとともに、家庭においても社会においても「ゆたかな生活」を求める社会人の一人であることに変わりはないのである。 今までの規制緩和に伴って金融化が進み、集団の絆より個人の利益が優先される社会とはなったが、この傾向は決して「ゆたかな社会」に向かうものではなくむしろ「ゆたかな生活」を失う方向ではなかったのではなかろうか。 格好づけた改革を求めること無く、個人としてのそれぞれが庶民であるとの認識のもとで変えられることは目の前の出来ることから勇気をもって挑戦するような日々の改善こその重要性に気づくべきではなかろうか。 当たり前の日々の「気付き」による「知恵」を活かすことこそ次世代への遺産としての知的資本を蓄えることの基本である。 大発明といえどもその実現には日々の生活上の原則的工夫や「気付き」を忘れては何の意味もなくなる。 「マッチ一本火事のもと」を忘れると、チェルノブイリや福島原発の大惨事につながる。 国家的大事業の遂行も、基本コンセプトを忘れた権力志向ではことはならず、立場や地位、さらには出世主義に犯された現場での「マッチ一本」が何たるかを忘れてはすることができない。 普段の生活の「知恵」を忠実に守らない大発明はあり得ないし、その大発明も「マッチ一本大火事のもと」になることを忘れてはまったく意味がない。 そうならないためには民間部門の発明にも公共部門の発明にも庶民の参加がなされなくてはならない。 たとえば、2015年SDGsが採択されるや、市民団体の活動が盛り上がり、多くの人がそれぞれの意見を表明するようになった。 そうして国連はそれらの意見をまとめて報告書をだし、市民参加によって、社会がミッションの目標を自分のこととして捉えるようになった。 このようになれば、閣僚や官僚の任期を越えた役割も長く生き残れる。 また、脱炭素化問題にしても政府の掛け声だけでは何ともならない。 低炭素社会への移行についても、再生可能エネルギー、脱炭素車等のあらゆる分野での開発が必要となる。 庶民、都市、地域国、世界それぞれのレベルで持つ異なった側面を捉え、どこへ向かうかを論議の中心としていかなければならない。 現実の生活の中で全てに当てはまる課題はそう簡単には見つけ出し得ない。 私は、あらゆる階層・分野での共通の使命として誰でもが頭の中に持っている「知恵」、すなわち「ノウハウ」の取引等による庶民に近い層に焦点を充てて日々の生活上の原則的工夫や「気付き」から創成される「知恵」を拾い上げてレベルに応じた活用をすべきとした。 そして、すべての層の中で最も大きく経済的差別化がされている庶民層の救済を図る。 そこで、一つには、対象を当たり前の日々の「気付き」による「知恵」を活かすことに絞り込む。 すなわち、自我を表出するのみの「知識」(ハウツー)ではなく、自己本来及び「仲間」を含む「コミュニティ」に組み込まれる『知恵』(ノウハウ)を生かして生き残りを図ることが重要である。 今ひとつは、それら「ノウハウ」等の「知恵」が「貨幣を介さない」で取引等が可能であることを生かすことである。 すなわち、対象を「知恵」にしぼり込んで「お金を使わない」取引等によって庶民、零細企業、小規模企業等の資金難を救済することに留意してミッション志向での「ゆたかな生活」を求めることにした。 結局、今後の日本経済を救済するためには、経済のベースを支える中小企業以下に本来有する底力を発揮させるべき段階であることを各階層に属する各人が理解してそれぞれの階層における使命として生き返りを図ることこそ喫緊の課題である。 そして、目指すべき「ゆたかな社会」は単なる「規模拡大」や「金儲け」によるものではなく、個人にしても企業にしても「仲間とともに」、「コミュニティ一体として」ともに生き残れる『ゆたかな生活』に基づくものでなければならない。   格差のない「ゆたかな生活」への政・官・財・民による「ゆたかな社会」を   日本人が古来より育んできた「知恵」を活かすことにより次世代への遺産としての知的資本を構築し、「ゆたかな生活」のための「ゆたかな社会」にしていくための提案をしてきた。 そして、その「知恵」を活かした知的資本、およびその投下によって再生産される次世代への遺産としての「ゆたかな生活」のための「知恵」について考えてきた。 また、その「知恵」がバランスシートの資産とならないオフバランスとなりえることによるさまざまなメリットについても検討した。 我々は生き続けるための要件と優先させるべき順序を真剣に追及してそのための必要十分な結論を導きださなければならない。 まず、変えられることは自分自身が仲間およびコミュニティーとともにできることから勇気をもって変え、それを広げていかなければならない。 政策としての成長率や企業業績としての収益率ばかりをもって政権維持、経営権獲得の目的としていては「ゆたかな社会」は得られない。 日本の地域経済においては、中小企業、零細企業、町工場、家内工業のなかにはむしろ独自のきわめて特異性のあるノウハウを有する産業が生き続けている。 日本には大開発につながる優れた要素技術としてのノウハウがいっぱい詰まっている個人や零細企業が豊富に存在するにもかかわらず、それらが顕在化されることなく自身の内に眠ってしまい、使われることがないままに忘れ去られてしまうことが多い。 日本では日本人が本来的に持っている極意伝承の精神を生かす方法で要素技術を活かすのが賢明である。 そして、いくつもの同業小規模経営企業が競い合うことよりも「知恵」を集めてノウハウを集約して一本化を図ることが必要である。 すなわち、「気付き」による「知恵」を皆でフル活用することである。 バランスシートに資産として載らない「知恵」、特にオフバランスの場合は「貨幣を介さない」取引等が可能なので、資金繰りの心配なく取引等ができるメリットがある。 しかし、金融業界では内輪で資金を回し、民間企業では株式価値最大化のため自己株買いのために資金をまわしていることも多い。 そして、個人や一般家庭ではゆたかな生活がもっぱらお金だけだとされていることが多い。 今や、そうではなく、政財界も官民も、自らのミッションを全うすることで「ゆたかな生活」を求めることができることに気づかなければならない。 本来交換の媒体である貨幣を商品化し、お金によってお金を増やそうとする蓄財の対象にしてしまっていることに気が付かず、それが当然の商売や金融取引だと思い込んでいることの弊害を改善しなければならない。 このままでは次世代への遺産としての知的資本蓄積はままならず、「ゆたかな生活」は実現されない。 そのために、「知恵」を「貨幣を介さない」で取引等することについて検討した。 そして、もう変えることができない他人を変えるという改革より、自分および仲間同士の当事者による「知恵」の「貨幣を介さない」取引で家庭や仲間レベルで改善可能に変えていく「知恵」を働かせるのが肝要である。 仲間同士の取引に際して「知恵」の受け渡ししか行われない場合にはオフバランスで「貨幣を介さない」取引となる。 この場合、「知恵」を含んだオンバランス資産ならそのうちのオフバランスを分離した取引等により、将来にわたって「貨幣を介さない」で「知恵」の蓄積を可能とすることもできる。 そして、人間の「知恵」から発するオフバランスの「見えない資産」が次世代への遺産として蓄積される。 それが知的資本として構築され、投下されて更なる「知恵」の再生産がされる。 これを実現するためには、オンバランスの場合は通常どおり貨幣を介する取引とし、オフバランスの場合は「知恵」を「貨幣を使わない」取引とする『改善』で有効に活用して資金難や後継者難による撤退を回避し、格差のない生活を得ることを政管財民共通のミッションとしていかなければならない。 主体としては海外列強、大企業、中小企業、地域、コミュニティの団体等をはじめとして仲間、親族、家族、個人等の全体を対象として考える必要がある。 時期、特質等については歴史上、先達、故人、自然界、フィクション等についても考慮すべきである。 そして、本当の仲間とは何か、自分自身についてはどうなのかへの追究を進める。 さらに、世界に冠たる日本固有の「知恵」が消滅してしまう前に有効に活用して資金難や後継者難による撤退を回避し、「貨幣を使わない」取引とする『改善』で、格差のない「ゆたかな生活」を得ることを全てのコミュニティの使命とすべきである。そのためには自分たちの「ノウハウライブラリー」とすることによってみんなで「ゆたかな生活」を求めあう仕組みづくりに挑戦するのである。私は、「ゆたかな生活」築くために必要なのはお金だけだとは思わないが、今、最低限の生活をするにはやはりお金が必要なのは間違いない。何となれば、われわれは物々交換でないかぎり、物を手に入れるのにはやはりお金をもって購入するしかないないからだ。銀行はお金を借りたい人とお金を預けたい人の仲介をするとともに信用創造機能と決済機能の役割を担っている。しかし、コミュニティ内でオフバランスの自己の「ノウハウ」をそのお金を使わないで取引等する場合にはそれらの機能を全て担うことはない。なぜならば、ものの交換価値媒体たるお金を扱わないからである。お金自体を商品化して物の交換価値媒体の役割を超えてしまうことなく、オフバランスたる「ノウハウ」自体を価値媒体そのものとすることができるところに特徴があるからである。ここで、相手の「ノウハウ」を必要とする者と自己の「ノウハウ」を提供したい者同士が相互に取引等する場合に仲介をする役割として「ノウハウエイジェンシー」があるが、これは業としてのものではない。「ノウハウベース」と「ノウハウエイジェンシー」によって運用可能にされた「ノウハウ」をどのような事例に適用させることができるか当事者に情報提供し、アドバイスする役割を果たすだけである。

ところで、「ノウハウエイジェンシー」の役割は、「ノウハウ」の活用のために、自分たちだけでなくコミュニティに参加している他のメンバーとの間で交互に必要な「ノウハウ」の貸し借りおよび相互利用ができるようにするものである。そして、「ノウハウエイジェンシー」を構築する目的は、「ノウハウ」を活用して、将来、より豊かな生活を享受できるようにするために、普段からコミュニケーションを保てる間柄だけでなく、共通の目的を持っている者同士との間でノウハウ等を相互利用ができるようにすることである。秘密を原則とする「ノウハウ」を扱う場合、「ノウハウエイジェンシー」は「ノウハウライブラリー」や「ノウハウサロン」を通じて「地域」および「ブロック」等のコミュニティと協議し、同意を得た場合、合意した者同士が相互に開示し合い、協議して妥当な範囲で交換することができるもので、必要なときには、後に相当分の「ノウハウ」の提供を得られることを担保されて、相手の要求する「ノウハウ」を無償で提供することができるようにするものである。 このように、「ノウハウエイジェンシー」は人的資源である「ノウハウ」を限定されたメンバーを超えて活用して豊かな生活の将来を築く事業等に有効に活かそうとするもので、個人情報の収集・分配を効率的にしようとするものとは異なる。

そもそも銀行という言葉はアメリカのNational Bank Actのの「Bank」を「銀行」と翻訳したことによる。この翻訳をするのにあたり、お金を扱う店という意味から「金行」、「銀行」のうちの語呂の良い「銀行」とされた。そして、お金を扱う店としての「銀行」は預金、貸出、為替を三大業務とし、それらに加え、信託、証券、保険など総合的金融サービスを提供する。さらに、「銀行」でない企業が商号中に「銀行」の文字を使うことは、誤認を避けるために、銀行法で禁止されている。そして、「銀行」であるために必要なことは「銀行業」を営むために内閣総理大臣の免許を得なければならないこととされている。その免許を得られなければ「銀行」ではないので商号中に「銀行」という文字を使うことはできず、銀行業の免許を得られたら商号中に「銀行」の文字を使わなければならない。このほかにもいろいろな規定があり、違反すると3年以下の懲役又は/及び3百万円以下の罰金を課せられる(銀行法61条)。

しかしながら、情報銀行のように主体となる特定企業母体が存在せず、実際に情報を扱うのは協賛する「銀行」であり、それらが全体として「情報銀行」として機能することにすれば「銀行法」違反となることはないと解されている。そこで、「ノウハウエイジェンシー」をコミュニティごとに「銀行」と提携させれば、「信用」を担保として、「ノウハウ」を貸し借りする機能をもたらすことができると解する。ただし、オフバランスの「ノウハウ」を「貨幣を介さない」で取引等する場合に「ノウハウ」を交換媒体として適応されるだけなのであえて「銀行」の名称を付する必要はないとも思われる。しかし、「ノウハウ」が「モノ」や「コト」と結合しているとき、「オフバランス」部分を分離できるとき、その部分については「貨幣を介さない」取引等とするが、オンバランス部分は普通の「貨幣を介する」取引等になる。このばあい、オンバランス部分およびそれを含むオフバランス部分の取引等は、通常どおり、お金を使うことになる。したがって、「ノウハウ」のオフバランス部分についても「貨幣を介する」場合ががあることになる。貨幣が商品化している場合を含むので、これについては通常の「銀行取引」になり、銀行法に則らなければならない。しかしながら、オフバランス部分で「貨幣を介さない」場合は商品化される貨幣を必要としないことになる。そこで、銀行法に則る部分と則らない部分を同時に処理できることができるように、コミュニティごとに「銀行」と提携することによってオンバランス部分を含むオフバランスの「ノウハウ」の取引等もできるようにするのが理想的である。ここに「ノウハウエイジェンシー」への新しい挑戦の意義がある。

駿府城址から霊峰富士を仰ぎ見ながら駿河湾の暖流により四季の花鳥風月に恵まれたゆたかな生活環境の恩恵を受ける地、徳川家康が隠居し、慶喜が自転車に乗って過ごした静岡市に理化学研究所の発明実施工場があった。そのアルミニウムの陽極酸化被膜、アルマイトの発明を事業化するために設立された理研電化工業株式会社での特許管理部門立ち上げの仕事を始めとして、その技術情報管理、それから発展する新規技術開発、それを事業化する「知恵」すなわち「ノウハウ」の管理、そのライセンス供与、それによる海外事業立ち上げ、さらには委託加工貿易等への展開をした。そこで、特許等のみならず、モノ以外の情報、工業化・事業化ノウハウ、技術援助ノウハウ、サプライチェーンノウハウの基礎を身につけることができた。高度成長のバブルがはじけ、始末に負えなくなった“モノ”についてのの「ノウハウ」をどう活かすかの時代であった。そして、IBMが大型コンピュータのアンバンドリングでそれまでマシンと一体の値付けとしていたプログラムを別価格としたのを契機として、ハードではなくソフト主導の「ノウハウ」の時代に入った。特に、それまでマシンと一体だったプログラムを単なる“データ”と「ノウハウ」を含む“コンテンツ”に分けて、プログラムの価値をコンテンツが担っているとして、「ノウハウ」の商品化が始まり、そのことによるハードの情報とソフトの情報の両概念を含む「ノウハウ」の時代が始まった。また、大型コンピュータと寝起きをともにしていたSEがイロハからその扱い方を習わなければならなくなったPC(パソコン)がインターネットとつながって、まさにパーソナルな「ノウハウ」こそがすべての出発点となるべき時代となった。これをCSK内では「ノウハウ図書館」として運用した。さらに、遊技機業界でのパテントプール後のライセンシング問題正常化の一環としてコンテンツ流通会社を興したことは、まさにハードだけでもソフトだけでも、またそれらによるサービスだけでもない「コンテンツ」の「ノウハウ」を「個人」が「コミュニティ」と共に享有すべき時代となったからだった。

ここで、「個人」は「仲間」と共にあり、「コミュニティ」も「仲間」により構成されているので、その概念は時間的にも地域的にも大きく捉えて、「気付き」の意図が伝わる範囲ならば先達であろうとインフォーマルな関係であろうと「仲間」と考えられる。家族であろうと、親族、友人、先達、共通の生き甲斐を持つ人々であろうとも共感できるコミュニティを形成できる仲間は「ほんとうの仲間」として「ノウハウ」を享有できるのである。

そこで、一個人の「ノウハウ」から一企業の「ノウハウ図書館」、コミュニティの「ノウハウライブラリー」となり、仲間と共に共創し、「文殊の知恵」で享有する「ノウハウサロン」、「ノウハウベース」の活用により次代への遺産として構築される知的資本投下による価値増大「ノウハウ」の再生産での「ゆたかな生活」を得ることを目的にするに至った。ここで、これらの過程において、バランスシートに自己の資産として掲載されないオフバランスの「ノウハウ」では「貨幣を介さない」取引等が可能なので、その部分についての「お金を使わない」ことによる『改善』で資金難の回避ができ「ゆたかな生活」のための「ゆたかな社会」への道が開ける。そこで、この『改善』では「貨幣を介する」取引等を扱う「銀行」と「貨幣を介さない」取引等を扱う「ノウハウエイジェンシー」等が提携した「ノウハウ銀行」により、合理的で理想的な運用主体が構成できる。しかしながら、そのためには、関係官庁との根回しや提ところで、「情報銀行」がどうなっているか吟味してみると次のとおりだ。内閣総理大臣の免許を得られなければ企業は商号中に「銀行」という文字を使うことはできないはずだ。しかし、主体となる特定企業母体が存在せず、実際に免許を得ている「銀行」が情報を扱うために存在するのであり、それらが全体として「情報銀行」として機能することにすれば「銀行法」(6条2項)違反とならない建前だ。そこで、新たに挑戦する我が「ノウハウライブラリー」(旧ノウハウ図書館)、「ノウハウベース」(ノウハウデータベース、ノウフーベース)、「ノウハウエイジェンシー」(ノウハウ世話人)をコミュニティごとに存在する、認可された「銀行」と提携させれば、「信用」を担保として、「ノウハウ」を貸し借りする「ノウハウ銀行」としての機能をもたらすことができると解する。ただし、オフバランスの「ノウハウ」を「貨幣を介さない」で取引等する場合だけならば「ノウハウ」自体を交換媒体として「ノウハウ」に適応されるだけなのであえて「銀行」の名称を付する必要はないとも思われる。しかし、「ノウハウ」が「オンバランス」部分から「オフバランス」部分を分離できない構成となっているときは「貨幣を介する」取引等になる。このばあい、オンバランス部分およびそれを含むオフバランス部分の取引等は、通常どおり、「お金を使う」ことになる。したがって、「ノウハウ」のオフバランス部分についても「貨幣を介する」場合ががあることになる。これについては通常の「銀行取引」になるので銀行法に則らなければならない。そこで、コミュニティごとに「銀行」と提携することによってオンバランス部分を含むオフバランスの「ノウハウ」の取引等もできるようにする。

ところで、「ノウハウライブラリー」等は本来「ノウハウ」の活用により「ゆたかな生活」のための「知的資本」の構築が目的であり、それがオフバランスたるときの「貨幣を介さない」取引等が可能というさらに合理的特質を有することに着目しているのである。そこで、「ノウハウライブラリー」から「ノウハウエイジェンシー」への新しい取組として「お金を使う」場合も含めて「ノウハウ銀行」で「ノウハウ」を活用する道を開く意義がある。要するに、通常どおり「貨幣を介する」ときは通常の銀行取引等になるだけだ。  すなわち、全てお金を使う取引等にするのではなく、「オフバランス部分」については「お金を使わない」取引等としてできるだけ「商品化したお金」から生ずる資金難からの悩みを『改善』していこうという話である。それでは、「貨幣を介さない」取引等の場合はどうなるかというと、貨幣の概念がないのであるから、交換媒体は価値媒体としての「ノウハウ」そのものとなる。そもそも、お金を扱う店という意味から「銀行」とされたいきさつから言って、お金自体を扱わないのに「銀行」というのはおかしいのではないか?との声が聞こえてくる。それは、「銀行」が金融市場で果たすと同じような役割を「情報銀行」が果たすというのと同じ理由と言える。今や、「銀行」では兌換による交換もないので、いわゆる貨幣としての「金」にも「銀」にも関係なく銀行業務をすることができるからである。

では、ざっくばらんに言って「ノウハウ銀行」の看板はどこがどのように掛ければ良いのだろう。たとえば「情報銀行」の場合について金融庁に問い合わせても、具体的な名称使用のの可否については銀行法6条2項記載のとおりであるとしか回答できないとのこと。ちなみに、「情報銀行」事業の審査・認定を行うのは一般社団法人日本IT団体連盟だが、基本的には認定を受けなくても「情報銀行」業務はでき、信用度が高くない事業会社の信頼を高めるためにある制度だということだ。しかしこれは「情報銀行」に関する見解であって、それ以外に通用することではない。したがって、母体を「ノウハウライブラリー」、「ノウハウサロン」、「ノウハウベース」、「ノウハウエイジェンシー」に参加するコミュニティ毎に明確にし、それらを統括する母体(団体連盟等)を形成する。その母体に属する各コミュニティはオンバランス勘定をも取り扱える金融市場の「銀行」と提携することによって「ノウハウ銀行」の名称を使うことができる。当然、総務省、経済産業省、場合によっては、文部科学省、公正取引委員会、金融庁等との根回しが必要かと思われる。この構想が実現できれば、「ノウハウ」活用で「ゆたかな生活」のために団結する仲間は安心して知的資本の構築に励めるし、「お金を使わない」改善取引等によるサステナブルな開発に邁進できる。

携可能な銀行との合意、参加コミュニティ内での調整に多大の時間と手間がかかることは必定だと思われる。したがって、それまでは、その目的に向かってそれぞれの仲間と共にそれぞれのコミュニティでの「ノウハウエイジェンシー」以下の整備と充実の万全を図れるように全力を尽くして最大限の挑戦を続けることとする。そして、それまででになされるさらなる「ノウハウ」活用により知的資本の構築は益々万全になるので所期の目的を達成するのは充分に可能だと信ずる。

理化学研究所の発明からスタートしてその工業化と事業化とそこで継承した仲間や先達の「知恵」すなわち「ノウハウ」をハードからソフトおよび「サービス」、「コンテンツ」等に展開した。その活用を知的資本の構築に結びつけて「ゆたかな生活」をみんなで享有するためにお金を使うだけが能でない「ノウハウ銀行」に向かう道は遠い。貨幣による商品と商品化した貨幣の流通が混在化するなかで、「お金を使わない」取引等を交通整理貨幣し、勇気をもって区別して取り扱う『改善』が大きな力を発揮する時が来ると信ずる。これからが私の真の勝負の時と心得る。

私は今まで「ノウハウ」活用のために「ノウハウライブラリー」から「ノウハウエイジェンシー」に至るいくつかの提案をしてきた。そして必ずしも広域ネットワークすなわちインターネットに依存するものではない旨主張してきた。「ノウハウ」活用の目的は、あくまでもせっかくの人的資源から発する人間の「知恵」すなわち「ノウハウ」をもって次代への遺産としての知的資本を構築することなので、人と人とのコミュニケーションによることを、原則とすべしとした。手段にこだわってはならないとしたのである。しかしながら、社会的活動に関する事柄では必要最小限の広域ネットの利用はせざるを得ないとした。そして、昨今、コロナパンデミックの影響もあり、在宅でリモート会議によりビジネスが遂行されることなどが多くなった。さらに、インターネットそのものも段階的に高機能化し、今やWeb3のレベルにまで達している。特にNFC(Non-Fungible Token:ノンファンジブル・トークン:非代替性トークン、すなわち唯一性があり、お金に相当する価値があるデータ。)により本人の所有が認められる条件で「ノウハウ」の取引等ができることになりそうなテクノロジーが発展してきたので、もしそれが可能ならば挑戦してみたいと思う。しかし、トークンはブロックチェーン技術を使用して発行した暗号資産の総称のことを言うので、理論的にはブロックチェーンによることを前提にすることになり、コミュニティ内でのアプリケーションを開発する必要もありそうだ。「フェイスブック」が「メタ」と社名変更した現状を勘案すると、他のGAFAの有するインフラ面で負けていることが“メタバース”に全力投球しようとしていることの理由だとすると、いたずらに等閑視することはできないと思う。しかしながら、オフバランス部分での非貨幣性による資金難対応にしても非代替性トークンによる取引可能性にしても「ノウハウ」活用により構成される知的資本を元に「ゆたかな生活」を築くための手段に過ぎないことを忘れることのないようにしなければならないと思う。さらに言えば、「ノウハウ銀行」といえども、そのような呼称にしておけば現状維持と『改善』の趣旨をより親しみやすい形で表現できる可能性を求めているからだけで、決してそのような呼称にこだわるわけではない。「ノウハウ」活用による新たな生活環境の追求

「ノウハウ」活用による新たな生活環境の追求は、「メタバース」環境にしてもリアル世界のオフバランス部分の貨幣対応にしても「ゆたかな生活」に向けての『改善』策についての手段を述べている。そして、ことの本質は知的資本の構築とその投下により余剰価値を有するさらなる「ノウハウ」の再生産をすることによって、次世代への遺産を遺していくことを目的とするものであり、「ノウハウ」の活用による「ゆたかな生活」を求めるものだ。そしてその手段が現実の世界によるものであっても、仮想世界によるものであっても、さらには三次元であろうと四次元であろうと、その選択はその目的にかなうものであればよいことになる。そして、目的達成のために決定した手段あるいは決定しなかった手段について自分自身が責任を持つことが重要となる。すなわちそこにナッジ(肩押し)があろうとスナッジ(不利な肩押し)があろうとその効果についての責任は本人が負うことになる。しかし、自身が責任を負った「ノウハウ」活用による新たな生活環境を追求することについて、その思想・良心を認知する手段に関してはたとえ政府と言えども誰も介入することができないことはもちろんである。  むしろ、高齢者、要介護者等体力が弱まって自由に動き回れなくなった人が快適に行動可能な仮想る空間を得ることができる手段として「メタバース」はうってつけだといえる。それ以外にもあらゆる社会活動、たとえば精神的障害、認知症、依存症等で同症状の仲間が集う自助グループによってお互いの回復を期待する場合でも「メタバース」はZooM等では得られない効果をもたらすと思われる。それ以上に、GAFAM等巨大化したプラットフォーム企業等に牛耳られて何ら対抗手段を持たない世界の旧企業群に何らかの活路を供することにも役立つものと思われる。 メタバースを理解するために役立つ作品として、スティーブン・スピルバーグ監督の「レディープレイヤー」がある。現実世界の荒廃に耐えかねた人類が仮想現実の世界で暮らすようになった世の中が描かれる。みずからの姿をアバターに変え、さまざまな理想を叶えることのできるVR(仮想現実)の世界の創設者の死後3つの謎を解いた者に莫大な財産とその仮想世界を譲るという遺言が発表された。そして全世界を巻き込む争奪戦に17才の少年が挑む。このように荒唐無稽な展開ではないにしても、現実の世界ではなし得ない理不尽への対応を可能とすることはできる。そして、現実の世界と特定の仮想世界だけの閉じられた世界ではなく、さまざまな仮想空間と相互に接続され、行き来できる世界出現が期待できる。ただしメタバース上で世界を作り、自己の所有を主張できるアバターを交換するという環境を作るのなら、所属するコミュニティ内で仲間の信頼を得ている場合を除き、所有者を特定する技術のNFTを付与する必要も出てくる。しかし、オフバランスの「ノウハウ」の場合にはその必要もない。「貨幣を介さない」での取引等が出来るからだ。また、 リアルの世界で同居できない家族もメタバース上では、家庭を再構築することができる。そして、寝起きする居住地では現実の生活のなかで、所有権の主張ができるし、メタバースの世界では、所有権の主張ができないオフバランスの「ノウハウ」等についてはコミュニティーの信頼関係によるかNFTによる所有の主張をすればよいことになる。このように、家庭を失った家族でさえ「メタバース」での家庭を再構築できるのだから、コミュニティー内の社会経済関係でも取引等を再構築できる。さらに、私は、東京にいてリアルな世界のビジネスを展開しながら「メタバース」により、妻と息子のいるあのなつかしい静岡のゆたかな環境世界を満喫できるのです。また、台湾、香港、韓国等のたのしい仲間との「ノウハウ」の交換による知的財産の交流・蓄積もできる。 さらに、四次元の世界では設定の仕方によっては、先達であるおおおじ(大伯父)による日露戦争での本当の大義を知ることができるかもしれない。今のロシアによるウクライナ侵攻と第二次世界大戦での不可侵条約を破って突如北方からの領土侵攻したこととの関係で日本の正義はどうあるべきかの「知恵」を家系を継いだ「いとこ会」の仲間と分かちあえるかもしれない。先達の「知恵」は遺伝子を受け継ぐ仲間で享有できるのだから。日露戦争への参戦のいきさつは、朝鮮半島と日本列島が占領されてしまうのを戦費不足にもかかわらず、今防衛して、早期終結にするしかないという切羽詰まった事情があったからだということを仲間のそれぞれの遺伝子に受け継いで語り継ぎ、「メタバース」世界で共有すれば、さらに仲間の仲間を通じて「知恵の輪」はとめどなく拡がる。日露戦争では乃木軍の二〇三髙地での苦戦のさなか、高崎山に大砲を移転して二〇三髙地を攻略し、そこから旅順港に向け、バルチック艦隊の到着前に港内のロシア艦隊を全滅させた児玉源太郎の右腕だった参謀の大伯父からの「知恵」を眼前の出来事のように受け継いでいる。これがもし、成功していなかったら、どうなっていたことか。日本海海戦での勝利も無かっただろうし、今頃、日本はロシアの属国となっているか、北方領土どころではなく、日本列島全部がロシア領そのものになっていたと思われる。または、日本列島を沈まない軍艦と考えていたアメリカの州の一つまたは属国となっていたとも思われる。現実の日本には沖縄基地等の問題も残っておりそれに近いとも思われるところもあるあlが、しかし、南北朝鮮のようにならなかったことだけでも幸いというべきかもしれない。いずれにしても、東西抗争の核ミサイル基地としての地政学上恰好の軍事目標であることについては今も昔も変わりはない。 60年安保を境にして大衆運動は廃れてきたが、これは明治三十八年秋の日露戦争講和に反対した日比谷暴動以後の情勢とも類似する。今になって日露戦争を暴挙だとするならば、それはそれ以後の第二次世界大戦に至る日本の誤りを他人ごととしてわがこととしない今後の民衆運動の趨勢を暗喩することになる。ロシアのプーチンの言動は確かに異常だが、領土主張についてはかつての日本、今のウクライナ、台湾問題での国民感情を考えればどちらの正義にかたすのが正解だと一概には言えない。日本が占領されて生き残ったものはすべて殺害され凌辱されることのないようにに何倍、何十倍ともいわれる戦力、国力を有する敵国の内政の混乱に乗じた初期なら防戦し、終結できる機会を逃すことのほうが正義に反するといえる。そもそも戦争は無いにこしたことはないが、歴史上無かったことはない。絶対に起きないことはないのだから、死傷者が生ずる前に一日も早い終結を目指すことだ。そして、善し悪しは別にして、平和はその方法でしか得られない。経験や論理から学ぶのではなく、歴史から学ぶことが肝腎なのです。すなわち、先達の「知恵」だ。その「知恵」は三次元はもとより四次元の範囲であろうとも仲間の間で共有することができるq。リアルの世界で可能であるとともに「メタバース」の世界では時を超えて共有可能となる。フェイスブックが社名を「メタ」に変えて、メタバースが一躍話題の中心となった。「メタバース」とはおよそリアルタイムに大規模多数の人が参加してコミュニケーションと経済活動ができるオンラインの三次元仮想空間を指す。「メタバース」は「VR(仮想現実:実質的に現実にいるのと変わらない環境を人工的に作り出す技術)」や「AR(拡張現実)」のことではない。それらはその世界に入る一つのアクセス手段に過ぎない。一方、NFT(Non-Fungible Token:ノンファンジブル・トークン:非代替性トークン、すなわち唯一性があり、お金に相当する価値があるデータ。)により本人の所有が認められる条件で「ノウハウ」の取引等ができることになりそうなテクノロジーが発展してきた。しかし、トークンはブロックチェーン技術を使用して発行した暗号資産の総称のことを言うので、理論的にはブロックチェーンによることを前提にすることになり、コミュニティ内でのアプリケーションを開発する必要もあるかもしれないとも考えられた。しかし「ノウハウ」については、メタバースではNFSもブロックチェーンも必須の要件ではない。すなわち、本人の所有が認められるといっても、NFTは非代替性トークンすなわちデータなので民法上の物件ではなく、所有権が認められるということではない。ところで、本人の所有が認められる条件で「ノウハウ」の取引等ができるということは、物でも知的固定資産たる特許権等でもない「ノウハウ」を、当事者間の信頼と契約で、本人の所有が認められることとして「知恵」すなわち「ノウハウ」の取引等ができるということになる。ましてやオフバランス(貸借対照表上の資産とならない部分)の「ノウハウ」はそれ自体を価値交換媒体として、お互いの信頼関係に基づいて、「貨幣を介さず」に取引等ができるのだから、必ずしも暗号資産の取引要件たるブロックチェーンを必須の要件とすることもないはず。そうすると、「ノウハウ」の取引等は「メタバース」では信頼と同意を得てコミュニティーに集う人が参加してコミュニケーションと経済活動をすることが三次元仮想空間で可能となる。オフバランスの「ノウハウ」では「貨幣を介さない」取引等が可能なので貨幣とも考えられる暗号資産を介することも必要ではなく、暗号資産の取引に必須のブロックチェーンを用いる必要もない。コミュニティー内での信用が維持されるのは当然に必要だから。仮想空間でのことだと言っても、「メタバース」のアイデンティティは自由にデザインするものになり、なりたい自分として人生を送ることが可能になる。複数のアイデンティティを切り替えることで人生を自在にデザインすることもできる。 「メタバース」では価値観の近い人とのコミュニティーがあり、そこでコミュニケーションをとることができる。「メタバース」の求心力は、他の参加者とのコミュニケーションや買い物や何かを創り出したり販売したりといったアクティブな体験となる。さらに、「メタバース」が注目されるようになった背景の一つはグラフィック機能の向上がある。解像度、反応速度の向上だ。  そして、スピルバーグの映画でもおなじみの「アバター」が仮想現実の新たなアイデンティティとして個性を表示する。 1992年にニール・スティーブンスンによって「スノウ・クラッシュ」が発表された。そのなかで近未来のアメリカで政府の代わりをしていてフランチャイズ経営される都市国家群が描かれた。そんななか、主人公は巨大なVR(ヴァーチャル・リアリティー)ネットである想像上の場所「メタバース」に出入りすることになり、事件に巻き込まれる。ゴーグルに描かれた画像とイヤホンに送り込まれた音声によって出現する世界だ。人間の画像は「アバター」と言われるソフトの一部で、この視聴覚体を使ってメタバース内でのコミュニケーションが行われる。メタバース=Metavaerseは超(meta)と宇宙(universe)を組み合わせた造語だといわれる。メタバースと言うとゲームの世界を思い浮かべがちだが、ビジネスや家庭生活にも適応される。1999年の映画「マトリックス」もメタバース的な世界を描いて大ヒットした。また、2022年12月16日に日米同時公開となったジェームズキャメロン監督の「アバター:ウェイ・オブ・ウオーター」では、現実の世界から仮想世界の戦略資源情報探索に派遣された兵士が、仮想空間で派遣元の理不尽な企てで仮想世界の平和が乱されることを知って、派遣元のリアルな軍隊と戦うというメタバースのさらに発展した形でのドラマが展開される。同監督はかつて「タイタニック」および「アバター」で大ヒットを飛ばしたが、今回はメタバースの発展世界でのリアル世界と仮想世界との交流を描いている。メタバースは仮想世界とリアルをつなぎ、プライベートとパブリックな体験をまたぎぐ。メタバースは自分自身が仮想世界の中に入り込み、そのなかに住んでいるという感覚が重要となる。現実の世界での理不尽な人間関係を仮想世界との交流を図ることをメタバースで実現可能とすることができる。

家庭の無い家族にメタバースの家庭を

妻は静岡市で実家の年老いた両親の介護を続けていたが、その両親が相次いで亡くなったのを契機に実家を継いでそちらに引っ越すこととなった。 そうは言っても、こちらは仕事の都合もあるので、東京での生活を続けることにした。 独身の息子も妻と生活を共にすることになったので、私は扶養家族持ちながら、まったく独身同様となった。 家族のためにも稼がねばならないことは以前と同じ。 今は契約社員の仕事を続けながら、60年来続けてやってきた技術情報管理と知的財産管理の経験を生かして執筆活動とコンサルティングを始めている。 今、世の中にあるさまざまな「知恵」すなわち「ノウハウ」を活かしてゆたかな生活ができるようにしたいと思って何冊かの出版もし、ホームページを開いて情報の発信と収集に勤めている。 東京をビジネスの拠点とし、現実世界と仮想現実を共に生かし、静岡の家族とは仮想現実の世界で同時に時と場所を共有する。かつて、介護中の妻は新幹線で行ったり来たりしていたが、両親が共に手を離せない状態になってからのこの十数年は行ったきりになっていた。その間、息子が行ったり来たりして東京と静岡をつないでいた。そして今度はふたりが静岡に行ったきりになったのだから、現実には経済的にも社会的にも非常に不都合な生活が続いていたわけである。それが一挙に解決するのが仮想現実生活の導入である。 家族が別れ別れに生活している場合でも配偶者や親子から癒しを得られれば家庭は復活する。例えば、箱型デバイスで、リアルプロジェクション投影技術によって空間にキャラクターを投影し、その投影されたキャラクターと会話等のコミュニケーションができるGateboxがある。これによれば、実際に日常の生活によって得られるお互いの癒しを仮想現実として得ることができる。このように、現実世界での活動をメタバースに移行させるとともに、別の生き方をメタバースに求めることもできる。すなわち、失った家庭を取り戻しつつ、家族としての仲間、親族としての仲間をはじめとして、あらゆるコミュニティーとのかかわり合いで仕事、遊び、交友、社会活動を現実世界とは別の生き方として経験することができる。したがって、仮想空間においてメタバースによって配偶者や親子から癒しを得られれば、家庭は復活することになる。現実の世界でも距離と時間を隔てていては実現不可能なことはメタバースにおいて実現不可能であっても、癒しを得られることについて実現可能であることについては違いはないこととなる。 以上のことからも、「知恵」すなわち「ノウハウ」についてはメタバースで取引すれば、現実の世界で取引したことになるのである。それ以外の取引については普通にお金を使ってする取引等を現実の世界でするか「メタバース」でするかの違いに過ぎない。むしろ、バランスシート上オフバランスの「ノウハウ」については現実の世界でもお金を使わないで取引等ができるし、同時にオンバランスの場合に必要となる資金不足に対応できる。ところが、メタバース時代においてはNFT(Non-Fungible Token:非代替性トークン=代替できないデジタル資産)の取引等にすれば自らの所有(所有権ではない)を維持したままで処理できるので、わざわざ現実世界と仮想現実とを使い分ける必要もない。ただ現実世界ではお金を使うことになり、仮想現実ではNFTによって暗号資産を使うことになるだけのことである。すなわちオフバランスの「ノウハウ」については現実世界のお金も仮想現実における暗号資産(仮想通貨)も使わなくてもよいことになる。 現実の世界でも、仮想の世界でも、お金も暗号資産も使わないで生活ができるとなると、オフバランスの「ノウハウ」についてはたとえばメタバースの世界に入らなくても経済的にはゆたかな生活は得られることになる。そしてもし、現実の世界では経済的にゆたかな生活が得られないとき、すなわち「貨幣を介する」場合、にはたとえばメタバースの世界でッその可能性を模索してみる。その場合は、NFTによりブロックチェーンによる暗号資産のお世話になることになるかもしれない。オフバランス部分については暗号資産をも介さないことになるので問題ないが、オンバランス部分については、暗号資産を介することになるとすれば、結局「お金(貨幣)」に換算して考えなかればならなくなる。したがって、経済的観点では仮想世界においても現実の世界と同じ観点でゆたかな生活を考えなければならないことになる。翻って思うに、現実の世界でもオフバランス部分について「貨幣を介さない」で取引ができるとしても、決算時において資産勘定の対象にしないで済むだけのことなので、資金繰りの面ではメリットがあるが、財産価値のつじつまはどこかで合わせなければならないのである。そしてまた人の生存に不可欠なな部分については仮想世界では対応できないので、たとえば入浴、睡眠、食事、排泄等の本人の人体に係る費用は現実世界の「お金」が必要になる。経済的観点以外について、仮想世界では「ゆたかな生活」がどの程度得られるであろうか。たとえばメタバースについてはいろいろな定義があってまだ確定的なことは言えないが、一例としてメタ(フェイスブック)社のマーク・ザッカーバーグによれば「デジタル空間で人々と一緒にいることができる仮想環境。見ているだけではなく、その中にいるような感覚になれるインターネットのようなもの」となる。そうすれば、家庭を失った家族が、一緒にいるような感覚になれることはできることになる。それぞれの「知恵」を仮想空間で共有し、共創して享有することができれば、「ノウハウ」の活用も現実の世界だけでなく仮想の世界ででもできることになる。そしてそれは人間の頭脳によって創成された「知恵」であるので、仮想世界であろうと現実世界であろうと、自由に行き来できることになる。ただし、その「ノウハウ」を「メタバース」の仮想空間で非代替なもの、すなわちその所有を唯一なものとして主張したい場合にはNFT新型コロナウイルスによるパンデミックもさることながら、ロシアのウクライナ侵攻問題も併発しており、世界は今までにも例がないパニックに陥っている。 ウクライナは地政学的にみても極めて難しい問題を抱えており、歴史的にも近隣諸国との民族問題にかかる血なまぐさい争いが絶えない。 ウクライナ侵攻ではロシア自体も深刻な影響を受けることになる。 1979年から1989年まで続いたソ連のアフガニスタン侵攻は、ソ連が崩壊する一因となった。 ウクライナ侵攻はロシアにとって第二のアフガニスタンになるとの見方もある。 もともと問題が多かったアフガニスタンにとってもソ連にとっても双方ともにマイナス面が多かった。 しかし、アフガニスタンでの中村医師の快挙を皆で「知恵」の継承として讃え合ったのはつい先だってのことではなかったか。 悲惨な健康状態を救うにはまず「水」が必要だとして日本古来の「知恵」を活かして「灌漑」問題を解決して地域住民の生命を救ったにもかかわらず、近年、現地でのテロ銃弾に斃れたことは記憶に新しい。 地域住民の健康問題をそれだけでなく環境問題、治水対策、政策対応等も合わせて考え、まずやらねばならない施策と考えて、それを自ら実行したのがほかでもない中村医師だったのだ。 各国それぞれに固有の事情と歴史的民族感情をもとにする正義を大義名分としている。 したがって、生き残りのための「知恵」と殺し合いの「暴力」をもってお互いの「正義」を通そうとする。 ロシアとウクライナの関係についても、日本人はとなりの火事だとして他人ごとのようには言っていられない。 そもそも日露戦争のいきさつについても、ロシアが朝鮮半島を攻略して日本列島を領域内に抑え込もうとするのを国力を賭けても防ごうとしたものであることと、第二次世界大戦においてロシアは不可侵条約も何のその、ポツダム受諾という日本の劣勢をみるや、一挙に侵攻を始めたことを忘れてはならない。 日露間には北方領土問題が今に残るし、沖縄には復帰後にもかかわらず米軍基地が蹲踞している。 パンデミックはウイルス等による感染力のみならず国際的政治経済問題、国境を越えてたゆとう民族問題・移民問題等も絡んでパニック障害を拡大させている。 「自分と相手」、「自分と家族」、「自分と仲間」、「自分とコミュニティ」、「自分と地域」、「自分と国家」、「自分と世界」との関係の中であるべき「自己の知恵」に気付き、それぞれがそれをそれぞれのミッションとして活かしていかなければならない。 個人、家族、国境、民族、時代を越えてお互いがそれぞれ気付き合い、「知恵」と「ノウハウ」を活かしあってそれぞれのミッションを分かち合う謙虚さこそが必要なときだ。

南は太平洋から暖流の流れ込む駿河湾に接し、北は南アルプスの山岳地帯に及ぶ静岡市は東に霊峰富士を仰ぎ見、西には遠洋漁船の帰港地である焼津につながる。駿河湾沿いには有名な桜エビの天日干しで浜辺が真っ赤に染まる由比の海岸があり、日光以前の家康の最初の墓のために建立された東照宮のある久能山に登る石段のまわりに真っ赤に実る石垣イチゴの段々畑、その頂上からロープウェイでつながる日本平の展望台の眼下にはあの天女伝説が語りつがれる三保の松原の緑が連なり、向かいの伊豆半島のかなたにそびえる富士を囲んで、まるで北斎の浮世絵そのもののようだ。西の焼津港は遠洋からの漁船が集中的にその大型マグロ漁獲物を陸揚げするところで、その大物をさばくさまは壮観と言える。また、「静岡おでん」が有名なのは「ヤイズの黒はんぺん」があるからで、今でこそコールドチェーンのおかげで東京でもお目にかかれるけれども、昔は静岡の青葉おでん横丁に軒を連ねる屋台ののれんをくぐらなければあやかれなかったものだ。焼津へ行くのにはきな粉で真っ黄色な「安倍川もち(いわゆる“あべかわ”)」でしたづつみを打ってから安倍川を渡り、吐月峰芝屋寺(とげっぽうさいおくじ)で枯山水(かれさんすい)を愛でて、とろろ汁をたしなみ、更に先へ行って夜泣き石で有名な小夜の中山(さよのなかやま)で西行法師の歌碑にあやかりながら月を愛でるのもまた一興。駿府城には徳川家康が隠居し、市内には最後の将軍、徳川慶喜が大政奉還の後、20余年を日本人としては始めて自転車に乗って過ごした屋敷跡が残る。京都の庭師小川治兵衛に作庭させた日本庭園は、四季折々様々な表情を見せ、日ごとに変わる風情がある。その後迎賓館として料亭「浮月楼」となり、創業130年を迎える。東海の名園と謳われた別世界での懐石料理にはそのお品書きに春夏秋冬を更に6つに分けた二十四節気を取り入れ、庭園の移ろいと共に目と舌に季節を感じさせる。家康は人質として郊外の臨済寺に幼少期を過ごしているので静岡は200年以上に亘って徳川家ゆかりの地だったといえる。今では、駿府城の城郭の一部の再建はなされており、二つの濠は外堀、内堀として全周に亘って石垣を残している。駿府城跡の公園には、徳川家康が植樹した「家康手植えの蜜柑」の木がある。紀州から献上されたものといわれる。老大木ながら季節になれば今でも成長したその木には黄色い蜜柑が実る。その蜜柑の木のある駿府城跡に日露戦争の軍備拡張にともない静岡歩兵第二四聯隊が誕生した。駐屯したのは静岡市が陸軍省に献納した駿府城であった。その隊の橘隊長は、軍歌に歌われ軍神として崇敬された「橘中佐」だった。我が家の近くの外堀に白い石造りの頑丈そうな橋が架けられていた。駿府城にしてはそぐわないと思えたが、城は聯隊となったので、その聯隊に凱旋することを念じて「凱旋橋(がいせんばし)」と名づけられていた。戦場からの帰還兵を満載した軍車両や戦車などの重量にも堪えうるように日露戦争での戦勝の祝いの気持を込めて白い石橋としたのだろう。 防空壕の中から見上げる夜空に息をのむような光の豪雨が輝き、降り注いでいた。 街中を焼き払う焼夷弾とも知らず、「きれいだな!」と驚嘆したのが遠く幼心の記憶から蘇る。 母に負われて焼死体の山を越えて逃げ惑うなか、真っ赤に燃えた大講堂、伽藍が次々と焼け落ちるのが脅威の景観として眼底に焼きついている。 「風と共に去りぬ」の弾薬庫炎上シーンでの猛火中のスカーレット・オハラの映像を観るたびに思い起こされる恐怖の悪夢だった。 約80年も昔のことながら、私の脳裡には鮮明に沈着していて消えることがない。

終戦は三歳のときだった。  小学校に入るやいなや、中学生の悪ガキ仲間に入り、終戦後に焼け残った危険な建物の探検遊びをして死にそこなった。 形骸だけが残っていた旧聯隊兵舎の中階が抜けた屋根によじ登って残骸とともに落下したのだ。 ふたりの兄が担架を担ぎ、外堀に架かる凱旋橋を超えて内堀内まで駆けつけてきてくれたが、地面に打ち付けられ、落ちてきた屋根の瓦礫の下敷きとなったことによる外傷もさることながら、医師の見立てでは、脳内出血で命は助からないといわれた。 奇跡的に二日後に「百万円よこせ」と叫んで息を吹き返した。当時、売り出したばかりの美空ひばりが貧乏な家庭に育った娘役 だった映画で、宝くじの1等賞の百万円が当たって、大騒ぎとなる話題があったからだった。小学二年生の時から家の金をくすねて子分を連れ、学校を抜け出して遊園地、デパート等で遊びまわった。 中学に入ると教師が交代しながら生徒をげんこつで殴るのを「百発、二百発・・」と数えながら見ていた。 当時中学ではまだ珍しかったサッカー部に入ったがそのしごきはそれにも増してひどいものだった。 中学生の時からHOゲージの鉄道模型作りに学校へ行くのも忘れて夢中になった。 そして昆虫採集、特に蝶の収集には高校の夏休みに受験勉強もそっちのけで蓼科高原を飛び回ったほど。 高校で入ったマンドリンアンサンブルは学園祭でハワイアンをやって一時廃部とされた。受験校の厳格な教師が前に居並ぶ舞台で腰をふりふりウクレレをかき鳴らせば当然だ。で その後、隠れ蓑としてのマンドリンを看板にして、実際には第二部としてジャズやラテンの軽音楽を演奏した。 一応、マンドリンの第一部ではクラシックの「白鳥の湖」や「真珠取り」もやるが、第二部ではロックやエレキを中心とした。 ポール・アンカ、プレスリー、トリオ・ロス・パンチョスやエレキブームのハシリでもあったベンチャーズなど。 当時のエレキギターはギブソンの輸入物がヤマハでサラリーマンの年収の何倍もしたのでとても高校生には手に負えなかった。ハワイアンギターはあったがいわゆる「エレキ」は無かった。 それでも自分で鉄芯にコイルを巻いて安物の国産スチール弦ギターを「エレキ」に仕立て、手作りの真空管アンプで演奏するほどだった。そして 部員の父親が来日したトリオ・ロス・パンチョスから譲り受けたコンガやボンゴを叩いて得意になっている体たらくだった。しかし、アンドレス・セゴビアの素晴らしい奏法に惹かれて次第にクラシックギターに魅せられるようになり、現在にいたる。 幼少期から自我が目覚めるまでの心身に染み付いた記憶は、繰り返し蘇る。 大学ではマーケティングを専攻し、会計学研究部に籍を置いた。 しかし、マージャン&パチンコ部への出席率のほうが高かったような気がする。また学生運動でデモや乱闘を繰り返し、60年に続く70年安保騒動の嵐を経て、お茶とみかんとわさびでグリーンやオレンジに染まるこの静岡市の郊外にあるアルミニウム製品の製造販売会社で社会人としての一歩を踏み出した。理化学研究所での発明の実験工場をそのアルマイト製品事業化のために理研電化工業株式会社としたものだった。鐘紡静岡工場の隣だった。入社時の建物はあの田中角栄が設計に携わったと言われ、由緒あるものだった。本社は木造2階建てで、玄関前に張り出した車寄せは四本の木柱におごそかに支えられていた。木造の階段と床は歩くごとにギシギシときしむ時代物であった。工場はアルミインゴットを長尺押し出し型材とする押し出し工場、アルミ板に圧延する製板工場、アルミ端材をインゴットに再生する溶解工場、プレス等で製品の原型を造る成形工場、部品等を取り付けて製品に仕上げる組立工場等にかかる建物がそれぞれ別棟とされていた。なかでも数メートルの高さからの高圧力ドローイングプレスで板状のアルミ材がいきなりムギューっと鍋ややかん用の筒になっていくのは見ものだった。また板から筒状にしたものをロクロを回転させながら体重と腰のひねりによってヘラで絞り込み、器物を形作っていくのも見事だったが、当時、アルミの熔接は不可能に近いとされていた ものを、やかんの球面上の開口に湯口を熔接付けするさまはまさに神業であった。その後、このようなロット単位の手作業をベースとした工場を連続工程の立体的マテリアルハンドリングによる合理化をするように工場レイアウトの増強が進められていった。そして、時の建築ブームでサッシ等のアルミ建築材料の需要が増大したので生産体制の大幅変更が求められた。たとえば、「アルミ長尺押し出し型材の浸漬塗装法」、「7メートル長尺アルミサッシ材のタテ吊塗装法」、「大型クレーンと大型電解&塗装の連続装置」等の実施によって国の重要技術認定を受け、同補助金、同特別融資を得て実際に事業化してその操業を進めた。そして、それら技術の国内はもとより海外へのライセンシングを行った。地域分担としては、欧米についてはヤマハからの上司が受け持ち、私は東南アジアを担当した。台湾では台北市のアルミ建材会社に技術援助を行った。オーナー企業だったのでホテルに帰ると、件のオーナー達が待ち構えていて料亭での会食の後は連日のように夜の屋台街に繰り出し、豚や猿の脳味噌、蛇の丸焼き、酔っ払った海老等のごちそう攻めに辟易。明けて、うららかな陽気のなかの故宮(こきゅう)博物館では広大な敷地内の公園で遠足の子供たちが芝生広場で戯れる。展示物は蒋介石が持ち出せた物だけでも一巡するのに四回展示交代しなければならないほどの規模。特に紀元前一七世紀頃の古代中国の王朝殷(イン)の財物の数々が3700年を隔てているとはとても思えない形で展示されていたのには驚いた。今は中国との関係で台湾問題が頭痛のタネだが、当時は平和そのもので、四〇歳代以上の人はほとんど日本語がOKだった。これに対して韓国ではわかっているようなのに同国内では日本語は話さず、日本人との会話はほとんど英語だった。その韓国、大邱(テグ)市に本社工場を有するロッテ財団のオーナー企業がなべ蓋の転写模様意匠権の侵害をしたのでその対応交渉をした。話し合いにより差し止めはしないでライセンスすることにした。そしてさらに委託加工貿易をすることとし、輸入したものを「リケン商品」として拡販することとした。そのために技術指導をし、品質管理のためにインスペクターを派遣した。現場ではドローイングプレス機の上数メートルの高い位置でプレスのための圧力棒を直径2メートルの円形ハンドルに両手両足をかけて回転させて上下動させる人間プレス機等、考えも及ばない技術レベルの格差に苦慮した。戒厳令の夜のホテルでの乱痴気騒ぎやキーセンパーティでのもてなしにも応じた。大邱空港から国内便プロペラ機に搭乗する。米空軍基地と同居なので離陸してもしばらく窓閉鎖で、厳しい戒厳体制。香港での技術援助ミーティングでは、カナダのアルミ精錬会社アルコア社のオーストラリア駐在のマーケティング・マネージャーがオーストラリア訛りでまくしててるので契約交渉では中国人マネージャーに英・英通訳してもらって凌いだ。まっ昼間の香港市中の盛り場で後ろからふたりで羽交い締めされてあっという間に財布を強奪された。ホテルに帰って話したら、「命があってよかったね」とのこと。香港のはなやかな夜を楽しんだのち香港銀行の中国人の瀟洒な邸宅で特別取って置きの酒としてもとスチュワーデスの日本人の奥さんが出してくれたのがサントリーオールドだった。関税の問題で特別高価だとのこと。

CSKではインターネット利用の構内情報通信=イントラネットの走りで全国大企業の電算室派遣のシステムエンジニアを繋ぐノウフーベースを企画した。ソフト会社の知財要因募集30人の新聞報道に世間を驚異の渦に。平和では公取委パチンコ業界パテントプール解除勧告後のライセンシングを推進した。高い利益率による経営陣の蓄積と財産処分問題による名古屋勢の結束に苦労させられた。コンテンツ流通会社の設立・経営をし、 その後も技術情報管理のビジネスを続けている。特に知的財産については静岡、東京、群馬でハード、ソフト、サービスの各分野の企業での知財部(特許部:知的財産権部)を統轄した。扱った知的財産権、特に特許権についてはそれぞれの企業の特性を活かしたライセンシングや訴訟戦略を展開した。そして、その技術を活かした事業展開にも貢献した。今は東京の中心地(渋谷、新宿、池袋、赤坂、青山、六本木等)で契約社員としてジプシーのように各拠点を渡り歩いて喧騒の中で余裕の無い仕事をやっているので、かつての静岡や東南アジアのゆとりあるゆたかな生活環境が懐かしい。 しかし、このメタバース(仮想現実:実質的に現実にいるのと変わらない環境を人工的に作り出す技術)の時代、三次元、四次元の世界もいいが、新幹線で1時間足らずの静岡と東京、今につながる30~60年前の世界にもすてがたい魅力がある。それらを居ながらにして過去、現在、未来の仲間と共有したい。 さらに「仲間」と言えばこのような話もある。 一九六四年、東京オリンピックのマラソ競技で史上初の2連勝を成し遂げた孤高のランナー アベベ・ビキラは「裸足の哲人」と呼ばれた。 しかしながら、彼の後半の人生は決して栄光に富んだものではなかった。 それでも各国の陸上競技者からは、いまも伝説のように語り継がれ、その功績に変わらぬ敬意をいだかれている。 時間的にも距離的にも離れた間柄でも、他人に対して人間的態度をとること、そして他人もまた同じような態度をとっていると意識することによって、自分と他人を共感的に同一視することができる。 そして、共感することにより、その「知恵」を自らのもののようにして共有し、共創することができるのである。 アフガニスタンで医療や人道支援に尽力していた中村哲医師は「医療よりまず水だ」として用水路の建設に挑み、その結果砂漠を緑化して灌漑を実現させ、65万人の健康と生活の維持に貢献した。 故郷の筑後川の「山田堰」で江戸時代の先達の「知恵」に倣ったものだ。 中村医師は惜しくも凶弾によりその尊い命を断たれたが、時と時間を経てもその精神と「知恵」は永遠に引き継がれるものである。 これらは、本当の仲間による新たな「知恵」の創成であり、共創にあたるといえよう。

家族ではどうであろうか? わたしは妻と長女と長男の三人で家庭を作った。 長女は結婚して家庭を作り、妻は両親が死亡したので長男と共に実家に居住している。 もうそれぞれ独立して自分の生活を取り戻している。 したがって、彼らとは家族を越えて仲間の域にある。 ところで、妻と息子が実家に引き上げた後、娘が来たので状況を説明した。 「家族が離れて生活することは今までと変わりはないので、生活費は毎月振り込んでいるよ。」 「今までどおり東京で仕事を探し続ければ家族の生活費も稼ぐことができるからな。」 五時間もあれこれ話し合った後 娘 「それにしてもこの部屋は暑いね。」 私 「クーラーは十年以上前から動かないんだ。」 娘 「死んじゃうよ。」 その後娘からメールが届いた。 「しばらくしたら電気屋が取り替え工事に行くから準備しといて。」 十年以上たまりにたまって天井に届くまで積もっていた本の山を数日かかって取り除いた。 ようやく工事に間に合った。 新品のエアコンからの冷風に震えながら熱中症にもならずどうやら生きながらえた。 ところでそのすぐ後での地震で私の居住地では震度五強の激しい揺れに襲われた。3.11の東北地震のときは、天井まで積み上げていた書籍の雪崩に埋もれて、生きた心地がしなかったが、 今回は娘がセットしてくれたエアコン工事のため片付けてあったのでその被害は避けられた。 後日様子を見に来てくれた。 自宅ではテレビが壊れたとのこと。 その時ショートメールで安否を尋ねてくれていたが、あたふたしていて気がつかなかったので返事もしてなかった。 そこで自宅の状態や仕事の都合にもかかわらずわざわざ来てくれたのだ。 もう、自分の家庭を築き、社会的に責任ある職業人であるのにその心遣いに感謝だった。 改めて人のつながりのありがたさをつくづく感じた。 また、新コロナウィルスによるパンデミックが始まった頃、わたしが労災事故で足を怪我してしばらく動きが取れないときがあった。 膨大な数の専門書を区内の数カ所の図書館から借りていてその返却等の処理に窮していた。 天候の悪い時期でもあったが、娘が仕事や家庭の事情があるにもかかわらず、数十冊の分厚い図書を二週間にわたって運搬処理してくれた。 そして一言、「図書館大好き」。 それ以来、彼女とは本の仲間になった。

ここで「新たな知恵」および「仲間との享有」の意味を明らかにしなければならない。 「知恵」は必ずしも個人だけのものではなく、他人との関係で成り立つものである。 たとえば、かつてモーレツサラリーマンだった頃の社会における自分の仕事とそれにともなう家庭生活を振り返ってみる。 自分は家族を養うために自分のことは一切犠牲にして朝から晩まで仕事をしていたつもりだった。 しかし、あらゆる知恵を総動員して収入に見合う成果をあげているつもりでも、それ以外のことは家族に担ってもらっていたのだ。私自身が 単身赴任した場合でも、実家の両親を介護する都合で妻が不在の状態が続いた場合でもそれは同じことだった。 ましてや、お一人様になってみてはじめてつくづく今までの家族のありがたさに気付く。 会社における仕事についても、上司や部下および関係者の知恵がなければなにひとつ成就しない。 そして、出来上がった成果についても自分だけによるといえるものは何一つない。 執筆活動ならひとりでできるかといえばそうでもない。 ひとりでは一冊の出版もできないのである。 膨大な図書資料や情報提供者、編集者、制作者等のお世話にならなければならない。 そして他人の「知恵」がはいったものは共有が原則となるのである。 ところが、仲間と共有するのは「知恵」による成果であって、必ずしも「知恵」そのものはその限りではない。 自分の「知恵」と他人の「知恵」は相互の関係で成立しているが、それぞれの「知恵」はその関係を持ったそれぞれのものである。 したがって、共有の成果を離れればそれぞれ独自に他との関係を持ってまた新たな「知恵」を構成しうる。 新たな仲間とはさらに新たな「知恵」の享有をすることができるのである。 そしてその結果としての新たな成果を共有し、それぞれはさらに新たな「知恵」を享有し得る。 この関係において、それぞれの「知恵」による成果を共有しあったそれぞれの「知恵」を持った者同士が「知恵の仲間」である。 「仲間との享有」は「知恵の仲間」で共有する「知恵」の享有を意味する。     「知恵の仲間の輪」は「知恵の仲間」の作る「知恵の輪」である。 したがって、本来それぞれ固有のものであるはずの「知恵」を仲間で共有することになるので、その基盤としての「知恵」の土台を確立することができる。 「知恵の仲間の輪の土台」とは「仲間の輪」の「知恵」を次代の仲間に遺す「遺産」(レガシー)の輪の意味である。 本来、「知恵」を有する者の共働による成果はその当事者の共有となったはずだった。 、そうすると、「知恵の仲間の輪の土台」には「みんなの知恵」による「みんなの遺産」を遺すことができる。 そして、この場合、必要な「知恵」を有する者が必要な「知恵」を出し合って必要な成果を出し合い、必要とする者に提供できることになる。 つまり、仲間の知恵の共有のデータベースに基づく仲間による「知恵」の共創が自由に可能となるということである。 仲間として利用すべきものはその情報を仲間に開示し、活用すべきものは活用しあって新たな共創をし、共同の成果を得ることである。 当然「本当の仲間」の内においては、さらに融通無碍にお互いの「知恵」を活用しあうことができるようになる。 前述のように、本当の仲間とは、諸関係にはこだわらず、「ゆたかな生活」を築くために必要とする「知恵」を共創することができる人達をいう。 その人達は自己の知恵が仲間の中の誰かの知恵との関係を意識してその「知恵」を認識しているはずである。 逆に自己の「知恵」は相手の「知恵」との関係で認識されているはずである。 これらが複数者間で複数の「知恵」の交錯として認識されあって新たな「知恵」が共創されると、その仲間で共有されることになる。 このように、本当の仲間との関係で共創される「知恵の輪」で構成される「新たな知恵」を基盤とする土台を構築していくのである。 この土台の上にさらなる「知恵」が折り重なっていくことにより、自己または仲間同士で抱えている問題解決の「知恵」となる。 この「知恵」がやがて新たな発見に繋がるアイデアとなり、その「気付き」による「ノウハウ」から技術的思想および新規性、進歩性のある発明等となる。 すなわち、世に言う特許等知的財産権は結果として知的無形資産たる無形固定資産を生じさせることも可能となる。 そして、それらは資産としての権利帰属が問題となる。 しかし、ここではその前の段階である「ノウハウ」たる「気付き」を生ずる「知恵」の活かしかたについて検討しているのである。 自分の「知恵」は自分だけのものによるのではないことについて縷々述べてきたが、その実態はどのようなものであるかについてさらに検討する。 簡単に言うと、相手の「知恵」を知ればそれを認識したと同時に自分の「知恵」の一部になっているということである。 逆にその自分の「知恵」を相手が知ればそれを認識したと同時にそれは相手の「知恵」の一部になっているということにもなる。 しかし、自分に何の知恵も無いのに相手の「知恵」を自分のものとしてしまうことは単なる剽窃であって自分の知恵は何もないことになる。 これを複数者間で考えても同じことがいえる。 即ち、独自の「知恵」がある者の間でのみ通用する話である。 しかしながら、自分に何の知恵も無い場合に他人の「知恵」を拝借してしまうことは本当に単なる剽窃だけだといって良いものであろうか。 ある他人の「知恵」が誰にも援用されていない場合に自分がそれから気づいて新たな「知恵」を発想した場合はどうだろうか。 その場合はその他人の「知恵」を援用したことを明らかにした上で自己の「知恵」としていくことも可能だと考える。 これらの「知恵」を認識する方法として会話による言語や通信等による文章等、直接その意味を伝達するものだけのものであろうか。 場合によってはいま流行りの“忖度”による場合もあろう。 字義どおりには真実ではないけれども、より単純な 別の概念を当てはめることで難しい概念を理解できるようにする修辞法、すなわち“メタファー”による場合も考えられる。 たとえば、複雑な人間関係を単純化して“出る杭は打たれる”で済ましてしまうようなケースである。 また、“目配せ”、“ウインク”、“しなだれ”、“ハグハグ”さらに日本人にはあまり普遍的ではないが“キッス”等の身体的表現による場合もあろう。 これらがネット上の映像等、たとえば“ユーチューブ〟での仕方や多次元映像等により五感を通じて認識される場合もある。 ただし、ネット上の通信がSNS等の不特定多数者間による場合には注意を要する。 仲間の間でセキュリティーを信頼関係の保てる状態にしておくことが必要となる。 すなわち、この状態で個人の「知恵」を本当のものとする場合の仲間は「本当の仲間」であることが必須の要件となる。 そして、世の中に自分ひとりしかいない状況下での「知恵」を考えてみると、“剽窃”はないものの、“忖度”も“メタファー”も“身体的表現”もなく、何の新たな「気付き」も得られない状態が継続することもありえるが、環境条件の取り込みによる価値の増大は得られる。たとえば瞑想による“悟り”である。 また、時間の経過はどうであろうか。 多くの経験に基づいて形成された「歴史」ならば少なくとも今にとどまらずによりゆたかな「知恵」を得られるのではないだろうか。 ビスマルクの言葉に「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というのがある。 成功にしても失敗にしても、確固たる事実には争いがないということだと考えれば、信頼の意味が明確になると考える。 同じことをやっていても十年もたてばその人の歴史ができるといわれる。 個人の中で時代環境と共に「知恵」の要件が異なってくるということか。 ましてや、仲間との関係で、時間と共に事実が固定されていくことが本来の歴史だと言える。 これが一見、他人の「知恵」の構築過程のように見えるが、実は個人の「知恵」の構築そのものなのだ。

人間の「知」すなわち「知恵」=「気付き」:「ノウハウ」(技術情報や商売のコツ)活用

さらに今、これらの経験を活かして、人間の「知恵」すなわち「ノウハウ」活用により知的資本を構築、投下してさらに優れた「ノウハウ」を再生産し、次世代への遺産として「ゆたかな生活」のための「ゆたかな社会」を築くことを目標とした「ノウハウライブラリー」を運営している。この仕事はまだ軌道に乗ったとは言えないが、新たな生き方を全うするためにも是非とも今までの経験の蓄積を土台として、変えられないことは定着させ、変えられることは勇気をもって変えたいく。ここで「ノウハウ」とは 人間の「知」すなわち「知恵」としての技術情報や商売情報への「気付き」のことを言う。「ノウハウライブラリー」は「ノウハウ」すなわち、「知恵」を人間の「知」のアーカイブとして蓄積し、育成した上で活用するためのライブラリーである。そして「ノウハウサロン」で「知」の有効性を探索するとともに「ノウハウベース」で検索可能とし、「ノウハウエイジェンシー」で当事者間の仲介を図るものである。ただし、「ノウハウ」等の取引を業として仲介するのではなく、コンサルタントとして当事者が「ノウハウベース」、「ノウハウエイジェンシー」を利用して取引等することをサポートすることによって当事者間の交流を促進するのである。しかし、「ノウハウ」の活用によるメリットは多々あるとしても、「ノウハウ」と一体となった他の資産および「ノウハウ」以外の財産をも一括して扱うとなるとさらに“ひと工夫”が必要となる。バランスシートに載らないオフバランスの「ノウハウ」については「貨幣を介さない」取引等が可能なため「ノウハウエイジェンシー」のコンサルティングによるメリットが享受できるが、それが「貨幣を介する」ものを含むときは一般のお金を使う取引等になるので「ノウハウエイジェンシー」の役割から外れることになる。その場合現実の世界では「リアルな“お金”を使わない」ようには変えられないことになるが、仮想空間、たとえば、メタバース世界ではNFTでブロックチェーンにより暗号資産としての取引等とすることで問題解決することが出来る。必要ならば、暗号資産を現金に変えれば良いことj「ノウハウ」活用により「ゆたかな生活」を求めて「ノウハウライブラリー」をはじめとして「ノウハウエイジェンシー」に至るいくつかの提案をし、これからの挑戦のひとつとして「ノウハウ銀行」を挙げた。これまでの経験のなかで特にCSK故大川社長の「新規事業には心して臨まなければならない。我々ソフト屋はハードについては原則としてやらないくらいの心構えでなければならない。」との言葉が記憶に残る。そうは言っても「レーザーカード」や「機関翻訳」に挑戦したではなかったか。しかしそれらはシステム開発の一環としてのメディア探索であって本質は適切なアプリケーションソフトを求めていたに過ぎなかった。ところがCSKの子会社だったセガエンタープライズのドリームキャストについてはハード開発の遅れが商戦上の大失敗につながった。来るべき高速通信の時代に備え、通信モデムを内蔵し、対戦ゲームや多人数参加型のロールプレイングゲーム等まだ他社が出していないコンセプトを先駆けて実現することを狙いとしていた。しかしながら、ゲームの心臓部といえる半導体チップの開発が大幅に遅れて製造が間に合わなくなって、肝心の商戦に乗り遅れてしまった。このことによってセガ自体および大川両社会長本人と親会社CSKに莫大な損害を与えたあげくのはてに生産打ち切りとなってしまった。これは、ハードウエアの心臓部分の開発のボトルネック管理に甘さがあったからだった。ホンダで副社長だった入交昭一郎天才エンジニアをセガ社長に迎えてもこのような結果だった。大開発には大プロジェクトの各リソースに対するタスクの分解とボトルネックの見極めが必要であったが、ソフトのプロでも、いやだからこそ、ハードの押さえどころが違ったと思わざるをえない。ここで「ノウハウ銀行」に向かって挑戦するにあたって高機能化してWeb3のレベルにまで達しているインターネットにおいて、本人の所有が認められる条件で「ノウハウ」の取引等が可能なテクノロジーが発展してきたといっても、充分な準備もなしにいたずらに挑戦してそれを可能ならしめようすることがいかに危険かという「知恵」を授かったはずであるので、そのような安易な態度は戒められるべきであると心得る。あくまで人的資源による「ノウハウ」活用により知的資本を構築することが目的なのだから、手段としてのテクノロジーに目がくらんで溺れてしまうことのないように充分に注意したい。である。その場合には“資金難”解決の対策とは無関係となる。それよりも、メタバースではアイデンティティを有するアバターがリアルの世界の自分とはまったく姿を変えて仮想空間で活躍することによって現実世界ではなし得なかったことも出来てしまうという効果が生まれる。現実世界では経済問題や政治問題以外でも社会問題で解決困難なことが山積している。たとえば、リアルの世界の依存症対応の自助グループで参加者は匿名を原則としての現実の自分たちの世界とは別のアノニマス(匿名)世界を作って依存体質改善を図っている。これは精神科医も認めるものである。病理学的には快復方法が解明されがたいが、自助グループでは実際の社会とは全く無関係な仲間との会話の中で「気付き」あって回復の道を歩むことができる。また、高齢者、認知症、身体の不自由な方等のリハビリでもメタバースにより効果をあげられる。現実世界での精神的苦痛が仮想世界での精神的愉悦に置きかわり、リアルの世界では失われていた機能が仮想空間で回復することになるのである。 現在、それぞれの事情と生き方を尊重しあって私は家族とは別れて一人生活をしている。そして、私は私と家族のために、たとえ別れ別れになったとしても、家族との関係は今までと違った方法で維持する。肉体的には現実の世界では別れ別れになっていても、精神的には生活を共にすることが出来る。さらに高度な展開をして欲張ったことが出来るとすれば、この現実の世界とメタバース等の仮想の世界を並行して味わえる。そして両方の仲間と両方の成果をともに享有出来る。

のお世話になることも必要となる。しかし、前述のように、コミュニティー内での信頼関係が保たれる範囲についてはその限りではない。NFT関連の「メタバース」には「サンドボックス」等があり、外部のマーケットプレイス上でユーザー同士が相互に取引できる。また、「ノウハウ」等による創作からさらなる創作がなされる場合等の使用許諾や二次創作の管理はNFTですることができる。さらに有体物にNFTを付与することで有体物の取引がメタバース内の所有証明可能なNFT取引と連動させることもできる。そうするとオフバランスの「ノウハウ」ではないオンバランス資産を併せてメタバース世界での取引が出来ることにもなり、現実世界と仮想空間を往き来しながらオンバランス勘定とオフバランス部分の一方及び両方を選択的に取引等することもできる。「ゆたかな生活」を目指して資金難解を考慮した経済的取引等も社会活動機能の有効性を考慮した取引等も自由にできることになり、利便性が高まる

すなわち、仲間が遺伝子を共通とする者を含んでいる場合にはその者を介してその伝承された「知恵」が伝達され得るからだ。そして、その仲間を含むコミュニティ間では「メタバース」世界での「知恵」享有が可能となる。そうすれば、日本が日露戦争に参戦せざるを得なかった歴史上の事実を仲間の遺伝子を通じてコミュニティ内で享有することができ、プーチンのいいぐさは別としても、ロシア国民が総体としてどうしていたいのかを感得できるはずだ。また、歴史的観点からウクライナ国民の総意としては実際にはどう考えているのかも察知できるはずです。ロシアおよびウクライナの民族問題と絡む領地問題は実際に住み続けてきた人々でなければわからない複雑かつ解決困難なもののはずだからだ。とても他国民が云々できるものではない。そこでたとえば「メタバース」を通じて三次元および四次元的仮想世界での実情探索と問題解決の糸口を模索するとともにリアル世界でも国際的友好関係を築く手だてとしたいと考える。そのときには日本の北方領土問題についても各国からの解決への方策を伺ってみると同時に沖縄が日本に復帰しているのにもかかわらず米軍基地問題がいまだに未解決であることについても広く意見を伺うこととすることができる。北朝鮮問題解決についても世界の共通認識を確認したいものだ。かつての日本にしても、ドイツにしても、ましてや昨今のロシアや中国等にしても、言論統制のもとで時の独裁政権により国民が正義を見失う状態がその国民の生命・財産を失わしめる原動力になっていることを「メタバース」によってお互いに気付き会うことが出来ていくことが喫緊の課題だ。

『家族』 人が何を意図し、何を目的にして、どういう気持ちでいるかがわかるというのが共感力である。 それはおもに家族生活等複数人のなかで育まれる。 大勢の中で育まれる共感力は直観力にもつながる。 この直観力によれば人との関係で自分を見つめ直すことができるので、自我を収縮させ「気づき」を生む。 娘とは二十数年前に彼女が結婚してから孫にかかわること以外、ほとんど交流はなかった。 孫が生まれてからは人気機関車トイの“トーマスエンジン”をでるたびに全てプレゼントしたことを思い出すくらいである。 また、交通博物館が大宮に移転・新設されたときに早速連れて行ったことがあったくらいだ。 娘には二十年以上、年賀状用に私と孫とのツーショットを年に一回撮影してもらっている。 このたび妻が静岡の亡くなった両親の持ち家に住むことになった件については、娘は具体的内容についてはいっさい知らされてなかったという。 しかし、今までのいきさつを数時間聞いただけでとりあえずエアコンをプレゼントしてくれた。私が一人住まいでエアコンを使っていなかったからだ。 生まれてからこの方の私の生活態度、妻の性格を知りつくしていたからこその状況判断だと思える。 息子にしても、あらゆる生活用具を処分した後、自分の自転車だけを私のために残してくれた。 私が車の免許証を返還していることをも考えたようだ。 この免許証返納にも関連するが、妻が東京にいないので息子が使っていた自転車を私も借用していた。 ある時、交通事故に巻き込まれて、自転車ともども路面に叩きつけられた。 自転車は全壊で私は救急病院行きだった。 息子は新たにに自分用に購入して使っていた自転車を提供してくれたのだった。 娘と息子とは特に家庭の関係がどうすれば良いかについて、話し合っていない。 でも、何も言わなくとも、共感する直観が働いて具体的行動に現れる。 数年に一度くらいしか会わない「いとこ会」のメンバーについても同じことが言える。 年齢が離れていても、直系でなくとも共感する直観は働く。 血縁関係が無い場合でも婚姻等によりネットワークは繋がる。 これらの関係によって引き継がれる生き様は変えられない歴代の記憶としてそれぞれの意識に残って伝承される。 共感によるコミュニケーションネットワークだ。 『親戚』 「いとこ会」は父方の家系によるものだった。 父には9人の兄弟姉妹がいて、おおおじとのいとことの兄弟姉妹関係を合わせるとかなりの人数になった。 しかし、母には姉が一人いるだけだった。 その姉である伯母には子供がいなかった。 女子大をでた後、魚河岸の親方の後妻になった。 そして、漢文・古文の教師をしつつ、観世流能楽師範となった。 不思議なことに私のいとこが観世の家老格能楽師の嫁となったのでその夫婦は「いとこ会」の一員だったが、その夫の弟子でもある伯母はメンバーではなかった。 幼少の頃からその伯母に連れられて、「うたい」の稽古で「牛若」なんぞをやらされた記憶がある。 その後の「いとこ会」では「はとこ」等と謡曲の話にも花が開いた 。どういうわけか、大学生活費用の仕送りは伯母から受けた。 その後、戸籍には私がその伯母の養子になり、その後原籍に戻ったことが記録されていたことに気がついた。 その先祖を祀れるのは私しかいないので、伯母と母が亡くなった後、生地の菩提寺を数ヶ月間捜し回った。 ようやく母方のふるさとのある寺で目当ての墓に巡りあった。 ご住職からの 「お待ちしておりました。」との声。 ご住職の先祖のお墓に共に祀ってもらっていたが、ちょうど分けたいと思っていたところだという。血縁、地縁は時を待って天の知らせを呼ぶものとしか考えられなかった。母方を継ぐのは私しかいないので、とりあえず事情を説明して、同寺内に移してもらった。 母方の親戚は私の後継に尽きることになる。 他方、異母兄の母方の親戚は高名な学者で東京美術学校(芸大)教授に繋がるが私との血縁はない。 でも、父や兄を通じて親戚付き合いはされた。 そして、異母兄の嫁達である義姉達の両親や兄弟等とは常時親しい親戚関係にあった。 その義姉の兄弟の息子とは義姉が嫁に来るずっと前の幼少時から隣に住む遊び仲間だったことはその後知ることになった。その彼とはまた私の母の葬式で再開して、今度は仕事の付き合いをすることになった。そして彼の弟が私の部下と大学の同級生で親友だった。さらに、血縁は薄くとも地縁に繋がる職縁、学友、さらにはそれが一見他人に見える「本当の仲間」となっていく。

『プラスの人生における共感』

親戚・姻戚を除くと後は友人・知人になる。 家族、親族、親戚以上に親密な関係にある 友人・知人はおおぜいる。 遺伝的・法的に関係はなくても生活環境の緊密度が高い場合も多い。 ここで、新しい人生での友人・知人との共感を考える。 血縁がない友人・知人との共感は同時に生きている間柄でのみ可能となる。 家族・親族のように血縁のある血族および姻族は遺伝子の承継による共感ができる。 友人・知人のとの共感は血縁がつながる限りにおいて過去に遡ることができる。 これら共感の仕方は、血縁によって遡れるかどうかによって異なる。 プラスの人生における共感は、この違いをわきまえてする。 血縁とは縦に、それ以外とは横に繋がる「知恵」を共感する。

『人間が生きる意味』

過去と未来が無限に続く限りものごとに始めと終わりはない。 何かが存在し始めて、生命を生み、脳が発生して、意識・知能が生まれそれらが遺伝する。 我々にとってそこに意識・知能が生じたときがはじめで、それがなくなれば終わりだ。 意識・知能の縦と横の繋がりが共感を呼び、そこに「知恵」の共有と人生の共存が生まれる。 人が生きていく意味は個人として全体のためにどのようにあるべきかにある。 そして、他人のため、次世代のために役立つ何かを遺せることに意義がある。 私の足掛け八十年は、家族・親族、友人・知人とともに受け継いだ「知恵」を活かすための準備期間だった。 これからはそれを活かすという方向性は決まったとしてもどう跳ぶかはまだ調整が可能な段階。 また、着地点をどこにするかはこれからの跳び方によって決まる。 さらに、その着地点から次の飛躍にはさらに大きな可能性が秘められている。 八十歳から飛躍して、第一の着地は二十年先か。「メタバース」なんてもう古いと言っているかもしれない。 第二の着地はそれからさらに二十年先か。私は120歳。「今から40年昔にタイムスリップするよ。」なんて言ってるかもしれない。 一年毎、一日毎、今の一分一秒、自己の心身を健全に維持していればそれがどこで終わるかは問題にならない。 ひとつひとつを心の遺産とし、心身ともにこれから広がる次世代の世界に残っていくことで人生の意味を創っていく。 そこに新しい人生が生まれる。 この八十年で家族・親族、友人・知人とともに培った知恵を新しい仲間とともにいかに活かしていくかである。 第二の人生では経営者に向けて「知恵」を活かした「ゆたかな生活」のための知的資本の構築について提案した。 これをこれからのプラス人生では家族・親族、友人・知人とともに培っていく。 家族・親族については今までだけでなく、これから構成していくものをも含める。 友人・知人についてはこれからのものが重要になる。 「知恵」のやりとりの結果を活用するためにその情報を共有する。 そのために個人を中心とするオープンなプラットフォームが有効となる。 すなわち「知恵」を仲間うちで共有して人々を中心にあらゆる情報をオープンに活用してともに価値を創造する。 価値の創造を重視し、誰がどの「知恵」を活用したかを後から検証できるようにしておけばいちいち同意を必要としない。 活用の記録を残しながら、その目的にかなった使い方をすれば、パンデミックや経済的パニックが起きたときは、同意なしでも特定のミッションを背負った人々にデータの使用を許可できるようにする。 同意が必要な案件でも、非常事態の場合には必要な範囲で使える旨の取り決めをしておけば問題は解決する。 さらに、このプラットフォームの利用者相互の紹介により新規利用者を獲得することができる。 既存の利用者にはインセンティブを与えることにすればその効果は抜群に向上する。

『仲間と「知恵」の仲間の間で共有の基礎とされた「知恵」をベースとして活用について妥当な取り決めをする。 ではその取り決めはどのように設定すべきか。 たとえば、以下のようにする。 仲間の一方が「知恵」を持っていて他方がその「知恵」を使って活用する場合、 両者間で合意が出来た範囲でその「知恵」を使い合えるとする。 すなわち一方が製造方法の「知恵」があり、他方がそれを製造する設備があってそれぞれそれ以上の資金がない場合に双方無償で使いあうことで活用することができる。 次に、一方の「知恵」と他方の「知恵」を交互に活用する場合、、 すでにそれぞれが蓄積している「知恵」を比較しあって合意の上で使いあい、その実績を記録して活用度を確認する。 例えば、双方が活用について別々の「知恵」があるがそれ以上の活用資金がない場合に、持ち寄った「知恵」により新たな活用をしてその成果を無償で利用する。 その累積において必要が生じたときには過去の実績に応じて差し引き評価する。 共有等が複数にわたるときや「知恵」を含まないものが混在する場合にも本来の「知恵」との引き算をすることで応用できる。 当事者および「知恵」が錯綜する場合にも累積において該当する組み合わせを選択して検索および抽出すれば同様に処理できる。 仲間同士の取り決めだから相手や状況に合わせて随時変更すれば良い。 以上は、第二の人生で中小企業等の経営者に提案したのと異なり、「家庭」を含む仲間同士の信頼関係によって実現可能となる。

『共有する「知恵」の内容』

1人間は発達した情報処理と記憶の能力を持っている。 個々人にとって情報の意味は相互に連関し、複数の人間によって共有される。 そして、複数の人間によって相互に共有された認識基盤を構成する。 この基盤上の共通認識が個々人の行動を規定し、仲間としてのコミュニティの安定性を保つ。 そして、個人の潜在能力の基盤となる健康で文化的な生活が保障される。 これはアマルティア・センのケイパビリティー(潜在能力)アプローチに適合する。 潜在能力アプローチは仲間としての個人が可能になる点を中心的要素とするものだからである。 社会的、文化的環境の中で作られていくジェンダーへの認識も時代とともに変化する。 「性同一性障害」ならぬトランスジェンダーもジェンダーとして考えなくてはならない。 だから性別に違和感をもつ人々を指すトランスジェンダーもジェンダーに含まれることとなる。 今は男女平等の時代だといっても一部に男は仕事、女は家事”の考え方は残る。 家族、特に女性が担ってきた介護や保育の苦労が新型コロナウィルスによるパンディミックでさらに顕在化している。 国民が自ら選んだ施政者により崩壊させられた民主主義のもとではお上による改革は期待できるものではない。 責任は選挙民である自分自身にある。 誰もやってはくれない。 自分たちで回復のために「知恵」を出し合って出来ることから改善していかねばならない。

『家庭の意味』

家庭を築いた後もモーレツ社員の典型として社内外での仕事、国内外への出張で家を空けることが多かった。 単身赴任で家庭を離れてのひとりでの社宅生活も十数年続いた。 その後、妻が親の介護のために実家に常住したのでまた十数年は単身生活だった。 ここでさらに単身生活が続いても今までと生活環境に変わるところはない。 妻と成人した子はそれぞれが独立した人格と個性を持った人間だからである。 そうすると、このような状態での家庭はどうあるべきだろうか。 それぞれが愛をこめて自分の役割を果たしていればそれ以上について負担を感じることはない。 法的・経済的・社会的にそれぞれが果たすべきことがらを認識していなければならないことは言うまでもないが。 それよりも、「知恵」を共有する仲間としてお互いの「ゆたかな生活」を追求しあえばよいことだ。 そして、私は「家族」の生活に余分な干渉をすることなく、家族を含む仲間と共にプラス人生を送らなければならない。 「家族」は過去に継続するこれからの「家庭」で生きるし、仲間はともにこれからを作っていくからである。 私のおおおじから受け継ぐ仲間を思う心。 尊属からの「知恵」の引き継ぎ。 伯母から懇願されている母方先祖慰霊のこ とがら。   「家族」は過去を引きずって生きるが、「家庭」は仲間と共にこれからを生きていくものである。 その中に創造されるプラス人生は仲間と共生するものなので、その中で意識に「知恵」が共有される限り存続し続ける。

『共同創作による「知恵」の共有』

「知恵」は人の「気付き」によるものだからそれは気づいた人のものである。 共同創作された「知恵」は気づいた人々の共有となる。 「家族」は普段、生活を共にしているから共に気づくことが多い。 そして、その「気付き」はその「家族」のものだとお互いに認識することに抵抗はないと思える。 友人・知人の場合には必ずしもそうはいかない。 しかし友人・知人の間で共通の価値を持っているものはお互いに尊重する義務を感じるはずである。 それぞれは相手にその義務を果たさせる道義的権利を有する。 したがって、友人・知人の場合には必ずしもそう安易に権利・義務の遂行とはいかないようにも思える。 しかしその場合でもその「気付き」はその友人・知人とのものだと認識することに抵抗はないはずである。 だから、友人・知人間の場合にはお互いに責任ある役割を負っていると考える。 家族関係と違って扶養、配偶等の問題が絡まないからである。 「家庭」を仲間に含ませて考えれば、「家族」と日常生活で共同して創作した「知恵」 は仲間との共有となる。

『家族と家庭』

一般に家族が共同で生活する場所を家庭と呼ぶ。 しかし、血が繋がっていなくても仲間を受け入れて共に生活すれば、そこに新規な家庭が生まれる。 どうすれば良い家庭になれるかは家族が幸せになれるかどうかにかかる。 家庭が快適であれば家族も幸せのはずだからである。 プラス人生では仲間と快適な家庭造りを心がければ家族ともども「ゆたかな生活」を得られる。 第二の人生で培った「知恵」の活用法を活かして、家庭に遺産を遺せばそれは家族の財産ともなる。 「知恵」だから資産に計上されないかもしれない。 しかし、知的資本を構成することができる。 その投下で新たな「知恵」が再生産される。 人は必ず死ぬが、男と女は次なる命を生み、次世代による永遠の「知恵」を継承させる。 役割が異なるのだから存在意義も異なってしかるべき。 かつてから、性差別は、女性を非生産的労働の領域に追いやってきた。 しかし、それも子孫を作る役割が終わった後”お一人様”になってからは男も女も異なるところがない。 両性は共に次世代に向けて伴走して「知恵}を提供するのみだ。 承継し創成した「知恵」を遺せるのは次世代以降に対してだからだ。 だから仲良く共同創成してそれぞれの仲間とともに伝承する楽しみを享受すべきだ。

『共同創成の伝承』

核家族から”お一人様”になってくると団欒はなく共感もなくなってくる。 家族への依存関係も少なくなる。 そして仲間と連携する責務を感ずるようになる。 そうすると反射的に、仲間との連帯する相互依存関係が生じてくる。 それぞれ手分けして、新たな「知恵」を共同で創成しそれを仲間に伝承していく。 仲間には家族・親族以外の他人を含むからプライバシーには注意しなければならない。 また、男女間においてお互いの差を助長しあうことはやめることが大切。 最も恐ろしいのは差別排除を建前とする仕事を自らだけの生活の糧とすること。 あたかも、慈善事業やボランティアをよそおうことがあってはならない。 巧まないとしても、それをもって自分に利益を誘導することのないようにしたい。 だから「知恵」を共創した仲間のIDは特定する。 共創する「知恵」についてはお互いの責任を明確にするためだ。 仲間との共同による「知恵」の創造こそが「ゆたかな生活」への持続を可能とする。

『「知恵」の共創で「ゆたかな生活」』_

仲間との共同による「知恵」の創造が共生を実現する。 「知恵」は人的交流によって信用を醸成しながら相手の範囲を広げていくことで創成されてきた。 しかし、広域ネットワークの発達した現在、真贋の検証がされないまま伝達され、判断に悪影響を与えつつある。 例えば、SNSによる信頼性の無い情報の広がりがある。 「いいね」の「口コミ点数」によって実態を反映しない世論が形成される。 この点に留意しつつ仲間と情報の範囲を適切に判断しなければならない。 そのためには仲間との信頼関係の維持が重要。 仲間との「ゆたかな生活」を持続可能にするために互いに信用を醸成する。

『仲間による開発の持続可能性』

共同による「知恵」の共創が仲間との「ゆたかな生活」開発を持続可能とする。 すなわち共同創作によって共に生きることこそ持続可能な開発の実現に寄与する。 一般には企業について言うが、ここでは仲間同士における共同活用の持続可能性をいう。 この仲間同士における持続可能性についてもジェネレーション間で意識の違いが見られる。 私ども終戦前後に生まれた世代の放送はまだラジオだけだった。 菊田一夫のラジオドラマ「鐘の鳴る丘」や「君の名は」等がなつかしい。 雪の降る白黒テレビでの「力道山のプロレス」をみんなで見に行ったことを覚えている。 カラーになったのはずっと後で三種の神器として崇める時代になってからだった。 ネット通信もまだインターネットではなく、パソコン通信利用がせいぜいだった。 いまや仮想現実端末や3Dプリンターを自由に使い回す世代だ。 時代がかわっても「ゆたかな生活」を求める「知恵」に変わりはない。 無人運転自動車の時代も目の前だ。 完全自動運転になれば今の運転免許証はいらなくなるか? 自動操縦技術の発達で「運転」の概念が変わってしまうかも。 人工知能万能になれば、「体」を動かしたりしなくてすむ? そんなことはないとは思うが。 「ゆたかな生活」のための目的と手段をはき違えてはならない。

『監視社会からの跳躍』

新型コロナウィルスによるパンデミックによって思い知らされたことがある。 コロナ対策に乗じた政府および国際政治権力による監視追跡、監視強化だ。 国情によって干渉の仕方はさまざまに異なるので適否の評価もさまざま。 また、SNS濫用の大衆による相互監視警察もある。 上下左右からのさまざまな誹謗中傷にさらされて不安感増大。 ジョージ・オウエルの「1984年」さながらの恐怖社会だ。 そこに書かれた以上の超監視社会だ。 問題は誰が監視しているのかが見えなくなっていることだ。 コロナに限らず、法人も個人もこの恐怖から逃れることはできない。 家族・親族でさえ同様だ。 アダム・スミスの「見えざる手」は「市場」が個人の行動を制約していることも言っている。 なぜなら、「分業」による合理性は監視体制によって全うされるといってよいからだ。 この監視体制によって全うされる「分業」の最も顕著なことは「性差」といえる。 男女の差だ。 これは一方だけにとっては「分業」だが、協同の行為によってはじめて新たな生命を宿すことができる。 これは生きとし生けるものに共通する。 しかし、ジェンダー問題について誤解と差別を生じさせているのは人間だけだ。 同時にその問題解決に向かって真剣に取り組んでいるのも人間だけだ。 人は他の生物に勝って「知恵」を活かせる能力があるからだ。 かんじんなのは、その能力を阻む要因としてのジェンダー問題を正しく理解することだ。 ダイバーシティやフェミニズムと取り組むことも一法だが、単に男と女の問題にしないことだ。 仲間同士による「知恵」の継続的共創プロセスには監視・中傷はない。 共創する仲間の「知恵」に基づくもので持続可能性を有するものとなる。 そうすると、「知恵」を共創する仲間は監視社会から跳躍することができるといえる。 社会、病理、法を超越した真摯な生きざまを有することに勝るものはない。 仲間の「知恵」のこのような活用は正に「ゆたかな生活」への王道と言えよう。

『共創によるサスティナビリティ』

共創する仲間とはどのような範囲のものをいうのだろうか? お互いの「知恵」の価値を認め合い、信頼関係にある者同士をいう。 家族の一員と他人との関係で仲間となるようにすれば、その仲間は法的拘束力を受けない。 すなわち、互助会、ボランティア団体等権利能力なき社団とすればよいのである。 任意団体、いわゆる親睦会なので構成員はいっさい個人の責任を負わない。 一定の要件を満たさない限り訴訟の当事者になり得ないからである。 財産は構成員全員に総有的に、帰属することになる。 自分の「知恵」は会計上資産を構成しない。 よって、総有財産となって構成員個人に帰属しなくても不都合を生じない。 構成員である仲間の全員で活用し、「ゆたかな生活」の糧とすることができる。 しかし、仲間の信頼関係により共有、分割も可能である。 仲間によるサスティナビリティ(持続可能性)、すなわち次世代への「ゆたかな生活」の持続的共創だ。

『「知恵」の活用』

「知恵」を活用するためにその情報を仲間内で共有することが重要な意味を持つ。 そのためには「知恵」の情報価値をともに創造をする場所が必要となる。 そこで、仲間同士でオープンなプラットフォームを使えるようにする。 自由に使えるが、使用には仲間の同意を必要とする。 ただし、非常事態の場合にはお互いに開示できることとする。 そして、パンデミック等が起きたときは、同意なしでも使用を許可する。 このようにすれば、共有し創作して蓄積した「知恵」を有効に活用できる。 共同して「知恵」を提供しあった仲間は各々相応の受益が得られることにする。

『活かせる「知恵」』

共同で創作した「知恵」はともに生活や仕事に活かせる。 自分の身の回りや家族との共同生活、家族や仲間との催しや家内工業で有効に活用できる。 さらに自分たちの新規事業に活かせば独自の開発ができる。 その結果、仲間以外の他人からも評価され、  仲間の拡大や新たな事業への展開に通ずる。 仲間同士および新たな仲間との「知恵」の蓄積と結合が図れる。 そして、さらに「知恵」の共有創作の高度化が図れる。 その分野での特有な「知恵」の結合、蓄積が可能となる。 それを仲間内で高度化し繰り返し蓄積できる。 仲間以外とも共同創作してさらにグレードアップできる。 仲間とともに、次世代遺産としての知的資本を構築する幅をひろげることができる。

『友人関係の仲間との共創』

学生時代からの友人で、卒業後も同窓会幹事会等を通じて親しい仲の友人がいる。 彼は剣道等の日本武術にたけているようだった。 学生時代はずっと同じ宿舎の隣り合わせだった。 毎晩木剣の素振りを長時間欠かさない。 お互いに気にしながら1年近く睨みあいが続いていた。 そのうち麻雀等で気があって、その後今までの付き合いだ。 彼は自分で会社を立ち上げて、それなりに拡大していった。 私はサラリーマンを続け、企画を通して子会社の社長になった。 彼は資金繰りに窮して営業譲渡した。 私の会社は出資株主の株譲渡で閉鎖した。 友達同士の付き合いなので会社運営の話はしたことがなかった。 今、ふたりでお互いの「知恵」を開示しあってそれぞれで個人ベースの仕事をやらないか、打ち合わせをおこなっている。 「知恵」の共創はできる。 「秘密」の内容は、仲間同士では知らせあわないと共創ができないのでお互いに開示する。 しかし、仲間の数が増えた段階で、それぞれの了解のもとで開示範囲を広げる。 仲間の同意が得られたものは一般に開示する。 仲間以外との情報交流を図り仲間と「知恵」の範囲を広げるためだ。

『社会的問題がある場合の対処』

「知恵」を共有しようとしているその友人とは早くそうすべき理由がある。 彼は何年か前に軽い脳卒中の症状が出てしばらく入院治療をした。 その後遺症か、認知症まがいの症状が出没するようになった。 会って話をする限りではさして異常を感じないが、緊張すると時々失念したりするという。 認知症だとすると、古い記憶は残るが、最近のことについての記憶が飛ぶのが特徴らしい。 かつてはすばらしい判断力と臨機応変の対処法で経営者の能力を存分に発揮した男だ。 あまり時を経ると過去の記憶も失ってしまうおそれがある。 そこで、できるだけ早く訊きだしておく必要がある。 なお、私の社長経歴は雇われの身でのことなので迫力に欠ける。 しかし、多くの大先輩からの「知恵」を授かっていたので内容は充実していた。 それによって彼の迫力ある「知恵」をさらに魅力あるものにすることができる。 彼に以上のことを呼びかけ続けた。 最近、私には家族を継続する上での危機が生じたが、彼にも家庭上由々しき事態が発生していた。 でも彼は 「家がなくなってしまうことも大変だが、まず、それよりも生業を再起させなければ」 そして、 「勘を取り戻すべく旧知との付き合いをはじめた。」 「若いときから無鉄砲だったが、それで普通ではできない事業ができた。」 「最近脳血管の障害の後遺症のためか記憶が定かでないことがときどき生ずる。」 「循環器系、食道壁系、泌尿器系等複数の疾患治療に病院通いが避けられないが、それでも基礎体力維持のための運動は欠かさない。」‘ と自ら語った。 体が不自由になりつつあることを自覚しながらも、さらなる生き方について意欲を持っているのがわかった。 日本武術で心身ともに鍛えあげているし、天才的な博才の持ち主だし、バイリンガルでもあるので余力はある。 さらに 「やってきた仕事の内容を仲間として共創に役立てることに依存はない。」 「特に、せっかくまとめた仕事をかすめ、盗られたり、不当な差別によって不利益を得たことを思い出すと今でもくやしい。」 「でもそれを乗り越えての成果もあったので、成否併せてこれから上手く皆と分かち合いたい。」 とのこと。

『「知恵」情報のコントロール』

ここで自己の「知恵」情報を自分で望むようにコントロールできるかどうかである。 プライバシーの権利は自己情報のコントロール権としてとらえることもできる。 秘密にするも、公開するも本人の自由である。 しかし、「知恵」の情報は秘密にしていたらそれ以上に発展しない。 力を合わせて「知恵」をさらに魅力あるものにするのには、仲間同士では開示を原則としなければならない。 原則開示で例外秘密である。 全員が知らないことが秘密であり、仲間の誰かが知っているのは秘密ではない。 それは共有して共創の基にしなければならない。 誰も知らないから価値がある。 それはみんなで尊重してこそ誰もが新たな「知恵」を秘密裏に創造しようと思うのだ。 「知恵」情報はこのようにしてこそ“監視をせず、かつ、されずに”のコントロールができるのだ。 世の中で秘密な「知恵」を持っているのが自分一人だけならば、それを勝手に公衆に公開されたら話は別だ。 その場合、権利として侵害の問題は残る。 しかし、監視体制のなかでも制約されないで「知恵」を共創できる場合があってしかるべきである。 仲間内でのコントロールはその合意の範囲内ではあってしかるべきである。 ネット社会では意に反して拡散されてしまうことが多いので、人対人で共創すべきである。 そして、仲間内のルールに従って「知恵」情報のコントロールはされるのである。

『更なる飛躍』

第二の人生では「ノウハウ」を中心に次世代への遺産としての知的資本の構築について提案した。 このプラスの人生では個人、家族、家庭、仲間の間では制約されることのない自由な生き方を追求することとした。 そのためにも第二の人生で提案をした内容をプラスの人生での生き方の基盤とする。 私自身の生き方を家族・家庭と仲間の中でどのように反映するかを考える。 もともと母親から生まれたときはひとりであった。 そしてまず父・母との間に家族を構成したのだからそこが社会への原点である。 したがって、そこでの生き方を考えるのが基本となる。 しかし、その関係継続を十分に全うしたならば、その後は自分自身の問題に戻る。 つまり生まれたままのひとりになるのであ る。 そして新たな人間関係を作るのである。 前からの家族・家庭・仲間に加えて、 新しい家族 新しい家庭。 新しい友達。 新しい仲間。 楽しい限りである。 これからのプラスの人生では第二の人生で 培った「ノウハウライブラリー」シリーズでの「知恵」も活かす。 それは「変えられないことをうけいれ、変えられることは勇気をもって変えていく」ことの自己での実践である。 他人は変えられないが、自分は変えられるからである。

『変えて育てるプラスの人生』

自分を変えることで新たな世界が見えてくる。 今まではたとえ仲間でもその範疇でのプロやベテランには聞けなかったことが多い。 日々扱っている手立てを恥を忍んでそれらの仲間に話して違う観点での解決方法への「知恵」を求めることとした。 そこで、単なる「知恵」ではなく、「金」への「知恵」についても造詣の深い他の仲間へのコンタクトを開始した。 第二の人生ではノウハウ活用で知的資本の構築について提案した。 そして、パンディミッックからの回復について言及した。 その場合に貸借対照表に載らず「貨幣を介さない」オフバランス取引での改善についても提案した。 同じオフバランスでもデリバティブ、先物やオプション、スワップのような原資産から派生した金融商品の取引への警告もした。 サブプライムローンに端を発したリーマンショックへの恐怖を思い起こしてもらうためである。 根源は米国で高騰することを前提とした低所得者層向け住宅ローンの証券化に端を発する。 予想外の価格変動で、証券化したローンが返済不可能となったことで金融全体に不況が蔓延したのだった。 たとえば債務を証券化してオフバランスとした場合、確かにその期ではバランスシートには載らない。 しかし、資産・債務隠しの場合には決済時には貸借対照表に掲載されるのでオフバランスではなくなる。 つまりそのレベルのオフバランスは決済時にはオンバランスとなり「貨幣を介する」こととなる。 これらの点にも注意して運用するための「知恵」も共有していかなければならない。 一般家庭における衣食住にも「知恵」を働かさなければならないことは多い。 家庭の経済生活を脅かすことにならないように仲間の「知恵」を活かしていかなければならない。 先物等の取引が決済時にもオンバランスとならないよう庶民の家計に役立つことを考える。 この分野では証券会社等を退職したベテランの仲間やその友人達の「知恵」も拝借することにした。 仲間同士「知恵」の取引に際して元本相当の受け渡ししか行われない場合には「貨幣を介さない」オフバランスとなりえる。 私が第二の人生で提案した「仲介」が仲間レベルでの「知恵」の先物買い等でさらに具体性をもって実現可能になるようプラス人生で挑戦する。 また、個人や家内事業で資金難、後継者難で悩んでいる方々と仲間になることでその「知恵」を活かして事業を継続することについての取り組みも始めた。 第二の人生での「知恵」の活用法も変えられるところは、プラスの人生で変えてさらに育てていく。

サブスクリプション

「知恵」の取引等の基準設定および標準化の考え方の具体化のひとつとしてサブスクリプションが考えられる。 サブスクリプションは料金を支払うことで、製品やサービスを一定期間利用することができる形式のビジネスモデルをいうが、ここでは、製品やサービスではなく「知恵」を利用する場合として任意レンタル型サブスクリプションの応用が考えられる。 一般のサブスクリプションは定額制のサービスで、商品やサービスを必要な時一定額まで利用するという形式による。 従来のサブスクリプションは一定額内までの使用を許可するものだが、ここで提案する任意レンタル型サブスクリプションは『一定価値』までの使用を許可するものである。 資産をレンタルしてサブクリプションにするとバランスシートに掲載されないオフバランスとすることができる。 一般に資産をレンタルするとバランスシートのから外れて資産でなくなるからである。すなわち、サブスクリプションでは単純なモノ売りをコト売りへと変換することができ、そのコトをさらにトランスフォーメーションにより新しい価値へ変質させることができる。 これを、クラウドサービスで利用可能とすれば資産の圧縮に繋がりROA(総資産利益率)を向上させられる。一般に会計上、資産勘定からレンタル等にして資産を隠しても決済時には資産勘定に戻ってしまう。しかし、 特に、「知恵」の取引の場合では決算時だけでなく決済においても「貨幣を介さない」ですることができる。オフバランスだからである。 これを任意レンタルの自動更新型サブクリクションとすると期限を意識することなく満足すべき条件を『一定価値』の総計分まで取引等を可能とすることができる。 したがって、お互いが納得する範囲内で利用しあうことができることとなる。 サブスクリプションでは顧客は商品やサービスを利用すればするほどコストもリスクも減るのが原則である。 そこで、価格競争に陥るのを避けて、顧客に満足してもらえる仕組みとして「定額制」を『定価値制』とすれば満足する結果が得られるはずである。 相手に価格を押しつけるのではなく、提供者と利用者が一緒に価値を作るのだ。たとえば、提供者の「ノウハウ」と利用者のその「ノウハウ」を使える有休設備がある目的商品を必要数製造する場合等である。その事業計画を満足することを定価値とすればよいのである。重要なポイントは、単なる定額制ではなく、データを集積し、分析し、新しいサービスにつなげていくことである。 単に販売会社やメーカーの視点で一方的にサービスを提供するのではなく、サービス提供を通じて利用者のデータを蓄積し、利用者視点でデータを分析することで、より利用者が満足できるサービスに近づけていく。 このデータの集積・分析・改善・新サービスの提供をしてこそ真の意味のサブスクリプションといえる。 ここでこれを自動シェアリングシステムに応用すれば、企業と顧客の関係を顧客同士あるいは当事者・ユーザー同士としたとしても同じことがいえるはず。 双方がシェアリングを継続してサブスクリプションを『定価値』で同意できれば満足すべき条件を『定価値』のトータル分までの取引等を可能とすることができる。 任意レンタル型とすれば、差額分の精算で済ませるかさらに異なる条件で継続することもできる。 この場合には仲間内でのアクセスログ体制の明確性が要件となる。 アクセスログは提供者と利用者の行動記録なのでその記録を分析することで相手方のニーズや自分たちのサービスの内容を知ることができる。 このためには「見える化」で「知恵」をもれなく抽出して、 ①「知恵」は「無形資産」で形がないので顕在化して認識できるように表現し、 ②オフバランスでバランスシートに載らない「知恵」は別途記載して見える化し、 ③自分自身ではそれを「知恵」だと意識していないものを探索して顕在化し、 ④他人から「知恵」だと認識されている場合を見つけ出すために情報発信すること 等によって拾いだすことを常に行っていることがログ体制の信憑性向上に繋がる。 このようにして提供者と利用者の行動記録を集約して分析することで規定のベースとなるものを構築する。 評価・判定の基準 評価・判定の標準化について今まで検討したことを整理すれば、以下の基準および考え方のようになる。 ① 自己所有設備等へ自己の「知恵」を直接投資する場合は、当該設備等への「知恵」投資単位あたりに生じた増加価値分が付加価値判定基準となる。 これはその「知恵」を実施できる設備等を自己の空き設備等として持っているときで、その設備等は本来の生産等に使用しないものであり、特に売却・譲渡・償却等しないものであればそれを自己の「知恵」実現に貨幣を介することなく使って生ずる価値を増加価値として判断基準とすることができる。 ② 他人所有の設備等を使用して自己の「知恵」を直接投資して生産等する場合は、投資単位あたりに生じた差額分が付加価値判定基準となる。 この場合の取引の要件については他人が当方の「知恵」の使用を条件に当該設備等の使用を許可する場合はその結果生じた成果物は両者共有とすることができる。 すなわち、上記自己設備等使用のときと同様の扱いとなる。 ③ 「知恵」を交換する場合は実績記録を集約し、価値の差を分離してそれぞれ基準・標準化する。 その場合、それぞれの「知恵」の価値が明らかに同一のときは問題ないが、それぞれの価値が異なり、しかも一方または双方が複数の場合は容易には価値の交換についての基準が設定できない。 そのときはいままで取引等関係者間のアクセスログを利用することになる。 すべての行動データが1つのIDに紐付けられるということでオンバランスとオフバランスが融合した体験が提供され、その時々に最適な「知恵」を融通無碍に選べるようになる。 そしてそれらのデータを自己の利益にのみつなげるのではなく、相互の信頼関係を作っていくことで提供価値の増幅が可能となる。 そして、その取引等に関連するデータのうち「知恵」の価値判定に重要な意味を有するものを集約して該当項目ごとに分析し、最も好ましい項目を抽出して基準の核とする。

「貨幣を介さない取引」の処理 評価・判定の標準化について今まで検討したことを整理すれば、以下の基準および考え方のようになる。

① 自己所有設備等へ自己の「知恵」を直接投資する場合は、当該設備等への「知恵」投資単位あたりに生じた増加価値分が付加価値判定基準となる。 これはその「知恵」を実施できる設備等を自己の空き設備等として持っているときで、その設備等は本来の生産等に使用しないものであり、特に売却・譲渡・償却等しないものであればそれを自己の「知恵」実現に貨幣を介することなく使って生ずる価値を増加価値として判断基準とすることができる。

② 他人所有の設備等を使用して自己の「知恵」を直接投資して生産等する場合は、投資単位あたりに生じた差額分が付加価値判定基準となる。 この場合の取引の要件については他人が当方の「知恵」の使用を条件に当該設備等の使用を許可する場合はその結果生じた成果物は両者共有とすることができる。 すなわち、上記自己設備等使用のときと同様の扱いとなる。

③ 「知恵」を交換する場合は実績記録を集約し、価値の差を分離してそれぞれ基準・標準化する。 その場合、それぞれの「知恵」の価値が明らかに同一のときは問題ないが、それぞれの価値が異なり、しかも一方または双方が複数の場合は容易には価値に交換についての基準が設定できない。 そのときはいままで取引等関係者間のアクセスログを利用することになる。 すべての行動データが1つのIDに紐付けられるということでオンバランスとオフバランスが融合した体験が提供され、その時々に最適な「知恵」を融通無碍に選べるようになる。 そしてそれらのデータを自己の利益にのみつなげるのではなく、相互の信頼関係を作っていくことで提供価値の増幅が可能となる。 そして、その取引等に関連するデータのうち「知恵」の価値判定に重要な意味を有するものを集約して該当項目ごとに分析し、最も好ましい項目を抽出して基準の核とする。

その応用 評価・判定の標準化について今まで検討したことを整理すれば、以下の基準および考え方のようになる。

① 自己所有設備等へ自己の「知恵」を直接投資する場合は、当該設備等への「知恵」投資単位あたりに生じた増加価値分が付加価値判定基準となる。 これはその「知恵」を実施できる設備等を自己の空き設備等として持っているときで、その設備等は本来の生産等に使用しないものであり、特に売却・譲渡・償却等しないものであればそれを自己の「知恵」実現に貨幣を介することなく使って生ずる価値を増加価値として判断基準とすることができる。

② 他人所有の設備等を使用して自己の「知恵」を直接投資して生産等する場合は、投資単位あたりに生じた差額分が付加価値判定基準となる。 この場合の取引の要件については他人が当方の「知恵」の使用を条件に当該設備等の使用を許可する場合はその結果生じた成果物は両者共有とすることができる。 すなわち、上記自己設備等使用のときと同様の扱いとなる。

③ 「知恵」を交換する場合は実績記録を集約し、価値の差を分離してそれぞれ基準・標準化する。 その場合、それぞれの「知恵」の価値が明らかに同一のときは問題ないが、それぞれの価値が異なり、しかも一方または双方が複数の場合は容易には価値に交換についての基準が設定できない。 そのときはいままで取引等関係者間のアクセスログを利用することになる。 すべての行動データが1つのIDに紐付けられるということでオンバランスとオフバランスが融合した体験が提供され、その時々に最適な「知恵」を融通無碍に選べるようになる。 そしてそれらのデータを自己の利益にのみつなげるのではなく、相互の信頼関係を作っていくことで提供価値の増幅が可能となる。 そして、その取引等に関連するデータのうち「知恵」の価値判定に重要な意味を有するものを集約して該当項目ごとに分析し、最も好ましい項目を抽出して基準の核とする。

自分と仲間のレジリエンス

レジリエンスについてさらに演繹すれば対外的衝撃にも折れることなく立ち直ることのできるしなやかな強さをいうことになる。 パンデミック、異常気象等の生命危機のみならず、リーマンショック等の金銭危機にかかわる経済的パニック事件はいつでも再発する。 そして、高齢化、人口減少、格差拡大など不安材料は尽きることがない。 今回のコロナ禍にあたって以前からデジタル化を進めてきていれば今回のパンデミックによる経済的ショックを吸収し、付加価値を継続的に生み出していくことが期待できたはずだという声もある。 たしかに、デジタル化が進んでいれば当然その取引等においてもより効率的、直接的、同時並行的に情報処理できることになるのかもしれない。 しかし、「知恵」の活用についてはそのような技術的手段による単なる生産性の問題だけに頼ってはいけない。 このような事態に対処するには常に自己や家庭と仲間の自給力を高め「貨幣依存度」を下げていくための新しい「知恵」とその活用も必要となる。 「ゆたかな生活」のための「貨幣を介さない」直接取引が可能になることによるナッジ(肩押し)効果をベースにして「持続可能な開発」へのレジリエンス(回復力)を)を有するというさらにすぐれた仲間の「知恵」がある。 また、「知恵」については多くの場合、お互いに機密だと思っていることがその仲間内ではすでにほとんど周知であることが多く、みんなが知っているにもかかわらず自分だけの機密を維持することよりも、お互いに活用しあうことによってさらにすぐれた「知恵」を再生産することのほうが好ましい。 このためにこのような関係にある「知恵」は「下町のオープンサイエンス」としての価値ある「知恵」による上積みの土台作りに基づいた「下町のオープンソリューション」による新たな共創の展開に結びつけることとができる。 そして新たに価値増大した「知恵」については本当の意味での機密管理に移行していき、これもつぎのステップでは「さらなるオープンサイエンス」としての土台とし、「優れたオープンソリューション」として問題解決のためのレジリエンスを展開していくことができる。   新しいレジリエンスの展開 貸借対照表に資産として載らないノウハウ等知的無形資産のうち「知恵」、特に「貨幣を介さない」取引等について述べてきた。 そこで、一般家庭や仲間同士での少ない手元資金で取引ができる先物等デリバティブ(金融派生商品)についての可能性について考えてみる。 資産・債務を証券化してオフバランスとした場合、確かにその期ではバランスシートには載らない。 しかし、資産・債務隠しの場合には決済時には貸借対照表に掲載されるのでオフバランスではなくなる。 そしてそのレベルのオフバランスは決済時にはオンバランスとなる。 したがって、同じオフバランスでもデリバティブ、先物やオプション、スワップ等の金融商品にかかる場合での取り扱いについては注意を要する旨の警告もした。 米国での低所得者向け住宅ローンの証券化を契機とするリーマンショックによる経済的パニックの例もあるからである。 資産・債務を証券化してオフバランスとした場合、確かにその期に決済時に当たらない場合にはバランスシートに載らない。 一時的に資産・債務隠しの為にオフバランスとする場合には決済時にはオンバランスとなる。 しかしながら、一般家庭における生活資金難対応にも「知恵」を働かさなければならない。 家庭の経済生活を脅かすことがないように仲間の「知恵」も総動員して新しい「知恵」を共創する。 そこで、先物等の取引が資産・債務隠しではない場合には決済時にもオンバランスとならないように庶民の家計に役立つことを考える。 先物等でも仲間同士の取引に際して元本相当の「知恵」の受け渡ししか行われない場合にはもともと何らの資産も形成されないので決済時にもオフバランスとなる。 本来交換の媒体である貨幣をお金によってお金を増やそうとする蓄財の対象にしてしまっていることに気が付かず、当然の商売や金融取引だと思い込んでいることの弊害をできることから改善するために「知恵」の「貨幣を介さない」取引について提案してきた。 このままでは次世代への遺産としての100年先に向けての知的資本の蓄積はままならない。 そのためには他人を変えるという改革より、自分および仲間同士の当事者による「知恵」の先物取引でも家庭や仲間レベルで改善可能になるように仲介(エイジェンシー)としての「知恵」を働かせる。 百年に一度のパンデミックにも耐えられるように家庭や仲間レベルでも将来にわたっての「知恵」の蓄積を可能とすることだ。 常にその心がけが実現できれば持続可能な開発のための新しいレジリエンスの展開となる。 通常の「貨幣を介する」取引での先物等デリバティブにおいても「貨幣を介さない」取引が可能となる。 仲間同士の取引に際して元本相当の「知恵」の受け渡ししか行われない場合にはオフバランスで「貨幣を介さない」取引となる。 したがって、家庭や仲間同士では「貨幣を介さない」で「知恵」の先物取引ができることになる。 これを敷衍すれば、通常の仲間同士の取引に際して「貨幣を介する」取引のうちでも元本相当の受け渡ししか行われない場合がる。 その場合には、その取引のうちのオフバランス部分は、決済時にもオフバランスとすることができることになる。 この場合、「知恵」を含んだオンバランス資産でも先物取引等で将来にわたって「貨幣を介さない」で「知恵」の蓄積を可能とすることも可能となる。 ただし、オンバランス資産の先物取引等では決済時には「貨幣を介する」取引とされるので、事前にオフバランス部分の分離が必要となる。 分離が可能となったオフバランス部分の「知恵」は先物取引等で将来にわたっての「知恵」の蓄積を可能とすることができる。 これによってもさらに新しいレジリエンスの展開とすることができる。 人間の「知恵」から発するオフバランスの「見えない資産」が次世代への遺産として蓄積される。 それが知的資本として構築され、投下されて更なる「知恵」の再生産がされる。 仲間同士の「知恵」の先物取引で将来にわたって「貨幣を介さない」でも「知恵」の蓄積を可能にする。 そして、100年に1度のパンデミック等へのレジリエンスとして常時蓄積され得る。 それがサブスクリプションによるシェアリングにより持続可能な開発による新しいレジリエンスとなる。 「貨幣を介さない」ことによるナッジ効果に後押しされて持続可能性はさらに拡大する。 また、「仲間のオープンサイエンス」、「仲間のオープンソリューション」の土台上での発展的セキュリティー感覚により共創による「知恵」が拡大する。 そして、広く環境・社会・経済の観点からこの世の中を持続可能にしていくサスティナビリティーに貢献する。 さらに、ESGの非財産情報では仲間間での「知恵」取引等の処理結果の応用において社会問題やコンプライアンスにおいて「豊かな生活」への貢献をすることができる。 「知恵」シェアの「価値」サブスクリプション 大企業等では、大発明を特許等の知的財産権等で保護して海外列強に対抗している。 しかし、零細・小規模・中小企業では大企業や列強にも勝るノウハウ等知的無形資産としての「知恵」を有しながら十分な活用がなされていない。 そこで、彼らの有する「知恵」の活用で次世代への遺産としての知的資本構築とその投下による新たな価値ある「知恵」の再生産で「ゆたかな生活」を築くことを提案してきた。 そしてさらに、個人や仲間の「知恵」を活かしたエイジェンシー(仲介)によるシェアリング(共有)と「定価値制」を基準とするサブスクリプション(期間利用)によるレジリエンス(回復力)で百年に一度のパンデミックにもサスティナビリティ(持続可能性)を有する定常的「知恵」の共創について検討してきた。 また、「貨幣を介さない」取引もできることが資金難に悩む事業者への直接効果、さらにはナッジ(肩押し)効果となってサスティナビリティを向上させる。 しかし、事業者へのナッジ効果といっても、実際には孤立状態で資金難を乗り越えるのはなかなか難しいと思われる。 そこで、仲間同士なら、先物取引に際しても、元本相当の「知恵」の受け渡ししか行われない場合には何らの資産も形成されないので決済時にもオフバランスとなることから、個人や仲間の「知恵」を活かした一般の取引において、シェアリングやサブスクリプションでのサスティナビリティあるレジリエンスを発揮できることになる。 この場合、“元本相当の「知恵」の受け渡しか行われない”ということはすなわち、「知恵」自体を交換媒体とすることだったのだ。 すなわち仲間等との間で「信用」が担保されるので「貨幣を介さない」で取引ができることになる。 これはあくまでも「知恵」を媒体とする場合について端的に言っているのであって、その射程距離は「貨幣を介する」場合にまで及ぶものではない。 それでは「知恵」以外を含む場合ではどうであろうか。 一般にオフバランスではないものを含む場合は、原則として、「貨幣を介する」こととするとする。 しかし、「知恵」以外でもオフバランス部分を分離できる場合には、その部分だけを仲間等との間では「貨幣を介さない」で取引ができることになる。 したがって、その部分を含めて、仲間うちで「貨幣を介さない」での先物等の取引が可能となる。 そして、仲間内での「知恵」をシェアしての「定価値制」を基準とするサブスクリプション(期間利用)により長期にわたりサスティナビリティが可能となり、パンデミックスにもレジリエンス(回復力)を維持することができる。

新型コロナウイルスによるパンデミックもさることながら、ロシアのウクライナ侵攻問題も併発しており、世界は今までにも例がないパニックに陥っています。  ウクライナは地政学的にみても極めて難しい問題を抱えており、歴史的にも近隣諸国との民族問題にかかる血なまぐさい争いが絶えません。  ウクライナ侵攻ではロシア自体も深刻な影響を受けることになります。  1979年から1989年まで続いたソ連のアフガニスタン侵攻は、ソ連が崩壊する一因となりました。  ウクライナ侵攻はロシアにとって第二のアフガニスタンになるとの見方もあります。  もともと問題が多かったアフガニスタンにとってもソ連にとっても双方ともにマイナス面が多かったのです。  しかし、アフガニスタンでの中村医師の快挙を皆で「知恵」の継承として讃え合ったのはつい先だってではなかったでしょうか。  悲惨な健康状態を救うにはまず「水」だとして日本古来の「知恵」を活かして「灌漑」問題を解決して地域住民の生命を救ったにもかかわらず、近年、現地でのテロ銃弾に斃れたのです。  地域住民の健康問題を、それだけでなく環境問題、治水対策、政策対応等も合わせて考え、まずやらねばならない施策と考えて、それを自ら実行したのがほかでもない中村医師だったのです。  各国それぞれに固有の事情と歴史的民族感情をもとにする正義を大義名分としています。  したがって、生き残りのための「知恵」と殺し合いの「暴力」をもってお互いの「正義」を通そうとします。  ロシアとの関係についても、日本人はとなりの火事だとして他人ごとのようには言っていられません。  そもそも日露戦争のいきさつについても、ロシアが朝鮮半島を攻略して日本列島を領域内に抑え込もうとするのを国力を賭けても防ごうとしたものであることと、第二次世界大戦においてロシアは不可侵条約も何のその、ポツダム受諾という日本の劣勢をみるや、一挙に侵攻を始めたことを忘れてはなりません。  日露間には北方領土問題が今に残るし、沖縄には復帰後にもかかわらず米軍基地が蹲踞しています。  パンデミックはウイルス等による感染力のみならず国際的政治経済問題、国境を越えてたゆとう民族問題・移民問題等も絡んでパニック障害を拡大させています。  「自分と相手」、「自分と家族」、「自分と仲間」、「自分とコミュニティ」、「自分と地域」、「自分と国家」、「自分と世界」との関係の中であるべき「自己の知恵」に気付き、それぞれがそれをそれぞれのミッションとして活かしていかなければなりません。  個人、家族、国境、民族、時代を越えてお互いがそれぞれ気付き合い、「知恵」と「ノウハウ」を活かしあってそれぞれのミッションを分かち合う謙虚さこそが必要なときです。  私は岸田國士の名作「暖流」がそのテーマとして風雪の海上に一脈の暖流を探ろうとすることにゆかりを求める舞台となった志摩病院の別荘のある鎌倉山から大島、富士山、伊豆半島、箱根連山が遠望できる温暖の地、駿河湾沿いの静岡に生まれました。  徳川家康が隠居所に選んだ駿府城址の外堀石垣上に重なり合う見越しの松上に屹立する富士を生家前から毎日眺めて育ちました。  家康が人質として過ごした臨済寺が郊外にあり、日光に移される前の墓地である久能山東照宮も今ではケーブルカーで往き来できる景勝日本平からすぐ近くです。  その山腹には季節とともにお茶畑の緑やみかんの木にしなうオレンジ色とともに真っ赤に輝く石垣イチゴの色合いが充ち満ちています。  山頂の展望テラスからは富士山の大パノラマを展開する駿河湾の手前の眼下に天女伝説で有名な三保の松原を傍観することができます。  清水次郎長の任侠話も今では政令指定都市としての静岡市清水区でお茶の香りとともに語り継がれています。  あべかわ餅をいただいて安倍川を越え、丸子のとろろ汁を味わって、吐月峰芝屋寺から名月を愛でることもできます。  そんな静岡もBー29の空襲に脅かされました。  市の中心住宅地にある生家の庭には防空壕が作ってありましたが、そこにいては危ないので郊外に避難しました。  臨済寺の近く、旧制静岡高校(現静岡大学)の運動場に掘られた蛸壺のような防空壕の穴底から見上げる夜空に息をのむような光の豪雨が輝き、降り注いでいたのを覚えています。  この夜間焼夷弾攻撃は米国陸軍航空軍のカーティス・ルメイ将軍が日本軍の残虐行為9に対抗して結果的に無差別攻撃を正当化するものになってしまったものでした。  街中を破壊し焼き払う焼夷弾とも知らず、「きれいだな!」と驚嘆したのが遠く幼心の記憶から蘇ります。  母に負われて焼死体や瓦礫の山を越えて逃げ惑うなか、真っ赤に燃えた大講堂、伽藍が次々と焼け落ちるのが脅威の景観として脳裏焼きついています。  「風と共に去りぬ」の弾薬庫炎上シーンでの猛火中のスカーレット・オハラの映像を観るたびに思い起こされる恐怖の悪夢でした。  約80年も昔のことながら、私の脳裡には鮮明に沈着していて消えることがありません。  終戦は三歳のときでした。  小学校に入るやいなや、中学生の悪ガキ仲間に入り、終戦後に焼け残った危険な建物の探検遊びをして死にそこないました。  家康公お手植えのみかんの木がだだっ広い駿府城址内にぽつねんと残り、そのそばに形骸だけになっていた旧陸軍歩兵34連隊の橘連隊長が率いた静岡聯隊の旧兵舎がその遊び場でした。  その中階が抜けた屋根によじ登って残骸とともに落下したのです。  地面に打ち付けられ、一緒に落ちた屋根の瓦礫の下敷きとなったことによる外傷もさることながら、医師の見立てでは、脳内出血で命は助からないといわれました。  奇跡的に二日後に「百万円よこせ」と叫んで息を吹き返しました。  美空ひばりが演ずる貧乏な少女に宝くじの1等賞(今で言えば前後賞なしで1億円)が当たって大騒ぎが起こる映画が上映されていた頃でした。  幼少期から自我が目覚めるまでの心身に染み付いた記憶は、繰り返し蘇ります。  入学した小学校の校庭内にはまだ厳かに御真影を祀った社が残っていました。  その小学二年生の時から家の金をくすねて子分を連れ、学校を抜け出して遊園地、デパート等で遊びまわりました。  小学校も中学校も駿府城址内にあり、それぞれ「城内小学校」、「城内中学校」と称されました。  中でも中学校は焼け残った兵舎をそのまま転用したもので、殺風景極まりないものでした。  そのガタピシの校舎のちゃんと閉まらない窓から教師が交代しながら生徒をげんこつで殴るのを「百発、二百発・・」と数えながら眺めていました。  社会科の授業ではもうマルクス主義以外の社会はないと説いている教師達でした。  サッカー部は当時中学ではまだ珍しかったのですが、静岡だからこそ入れたものの、そのしごきはそれにも増してひどいものでした。  中学生の時からHOゲージの鉄道模型作りに学校へ行くのも忘れて夢中になりました。80分の1の縮小図面からの手作りに寝るのを忘れておじさん達と競いあいました。  そして、中学から高校にかけては、昆虫採集、特に蝶の収集には高校の夏休みに受験勉強もそっちのけで蓼科高原を飛び回ったほどでした。    高校で入ったマンドリンアンサンブルは学園祭でハワイアンをやって一時廃部とされました。  腰をふりふりウクレレかき鳴らせば当然です。  その後、隠れ蓑としてのマンドリン演奏を看板にして、実際には第二部として軽音楽を演奏しました。  一応、マンドリンの第一部ではクラシックもやりますが、始めてしまえばこっちのもんだとばかりに第二部ではラテンやロックを中心としました。  ロックンロールのハシリ、ポール・アンカ、プレスリー、トリオ・ロス・パンチョスやエレキブームの契機ともなったベンチャーズなど。  当時のエレキギターはギブソンの輸入物がヤマハでサラリーマンの年収の何倍もしたのでとても高校生には手が出せませんでした。  それでも自分でコイルを巻いて安物の国産スチール弦のサイドギターをエレキギターに仕立て、手作りの真空管アンプで演奏するほどだった。  部に備え付けのコントラバス、サイドギター、ビブラフォンはもとよりボンゴ、コンガ、ハワイアンギター、マラカス等手に入るものは集めて編曲・演奏するので受験勉強で疲れている仲間からは大受けだった。  特に、部員の一人の父親がトリオ・ロス・パンチョスから譲り受けたコンガを提供してくれたのでそれ使って演奏できたのは感激だった。  でも、ロックンロールからロカビリーの時代以後は、何でもロックにしてしまう多様化の流れに押されて軽音楽から遠ざかり、次第にクラシックギターに魅せられるようになった。  大学ではウエスタンバンドの先輩がすでに顔を利かせていたせいもありました。  その後はクラシックギターの演奏を楽しんでいます。    経済学部では当時流行りの経営学を選んでマーケティングを専攻し、サッカー部にも軽音楽クラブにも属さず、会計学研究部に籍を置きました。  これからは今までの経営戦略には無いものを極めたいと思ったからです。  卒業後は理化学研究所の発明実施工場を企業化した軽金属メーカーに就職しました。  日本軽金属とヤマハが出資していますが、大臣経験者の代議士がオーナーの会社だったので、選挙活動、研究開発、知的財産管理、経営企画が混在する仕事でした。  特許管理、技術情報管理の強化を強力に進めたところ、日本軽金属の二次加工会社7社を統合した新会社の知財管理を任されました。  銀座七丁目、日本軽金属本社特許室に所属し、新会社は人形町であった。  その後、知財管理、情報管理を経営の重点課題とするコンピュータソフト会社、遊技機会社で知的財産管理部門を統括した。  60年の安保闘争等を経て社会に出るまでが私の第一の人生。その後の第二の人生では、徹夜勤務、接待、海外出張、単身赴任等が続いた。  五十年以上にわたる私のビジネス経験のほとんどは、企業での技術情報管理、なかでも特化して従事してきたのが知的財産の管理に携わることだった。  軽金属、コンピュータソフト、遊技機と、まったく業種の異なる企業が私の主たる職場だった。  分野は違ってもそれらの業務で創り出される特許などの知的財産の地位を確立し、会社の知的財産権を守り、戦略的にマネジメントすることが私の仕事だった。   当初はまだ〝知的財産権〟という言葉すら認知されていない時代だったが、私は技術ノウハウや専門知識など、無形の情報を有益な資産として蓄積することに加え、それに伴う人材育成を手掛けた。  三分野の異業種で一貫して、知的財産権部門のスペシャリストとして働くということは、具体的には次のようなこと意味するものだった。  軽金属の企業では、アルミニウムというハードウェアそのものを扱う技術。  コンピュータソフトの企業では、コンピュータシステムというソフトウェアそのものを扱う技術。  遊技機の企業では、ハードとソフトの融合による新たなサービスを扱う技術。  私の仕事は、それらの技術にノウハウ(知恵)やスキル(技能)までを総括して、かたちと価値のある知的財産を形成し、コンテンツという新たな枠組みで、経営の中枢を担う役割をもたらすことだった。  そういう意味では、技術情報管理にとどまらない、画期的で革新的な取り組みだった。  と同時に、困難を極めつつも、非常にやりがいのある仕事だった。  そういった時代を経て、今では知的財産は企業価値や経営戦略を見定めるうえで、必要不可欠な資質として脚光を浴びている。  私は、これまで構築してきたビジネスキャリアを活かし、経営者や技術者の方々、そして社会のため、なんらかの貢献ができればという願いから、「ノウハウライブラリー」という知的資産の蓄積と流通を目的とした、新しい情報交換の場を作ろう、という考えに至った。  私が働いた最初の企業の理研軽金属工業株式会社は理化学研究所で発明されたアルマイト(陽極酸化処理)技術を応用開発し、アルミニウム建材の表面処理など、数々の高度な技術を国内企業や競合各社と連携して事業を拡大した。  当時、アルマイト処理を施したアルミニウム製品は、多くの日用品や器物に用いられ、1929年に理研が特許を取得して世を席巻した大ヒット技術だった。  その後、理研軽金属工業は圧倒的な技術ノウハウをもって、提供事業を国際的に拡大した。  海外の企業に特許技術を輸出するとともに、当該事業を立ち上げるための技術指導、合弁事業、委託加工貿易などを積極的に展開した。  理研軽金属工業のアルミ表面処理ノウハウを核としながら、日本軽金属の技術力も兼ね備える強みを活かし、海外における三次加工事業に参加した。  そこで私は、当該事業の開設と運営を担った。  理化学研究所が保有するアルマイト以降の理研軽金属工業の特許体制には際立った存在感がなかった。  私は積極的にあらゆる分野での特許獲得戦略を展開するために新たに専任の特許部門を担当した。  その頃、アルミカーテンウォールやアルミサッシといったアルミニウム建材の需要が爆発的に高まっていた。  さらなるニーズに応えるため、成形加工方法や表面処理方法の生産力と品質向上が求められたのは当然の流れだった。  企業として積極的に攻勢を図るために私はここぞとばかりに独自の特許戦略を展開した。  既存の手法ではとても工業化に乗り出せないアイデアやノウハウ、スキルの特許を取得し、さらなる競争力を備えるべく、技術を保全する必要があったからであり、同様に、実用化研究開発の改良特許も獲得しつづけた。  完成した特殊なアルミ二次加工方法と、表面処理方法については、前述のように、国の重要技術に指定されたとともに、大手新聞が主催する十大発明に選定され、国から重要技術研究開発補助金を得た。  その技術については、財務省所轄の日本政策投資銀行の前身である、日本開発銀行の特別融資を受け、いっそうの開発と特許戦略を推進させることに成功した。  また、アルミニウム家庭器物についてもそのデザインの斬新さを誇っていたが、海外から意匠権を侵害するものが輸入され、国内市場で販売されたので、直ちに差し止めることをせずに、その会社を海外拠点として製造させ、理研ブランドを守ることとする等の戦略も展開した。    一方で、秀逸なアルミサッシの特許に基づいて、全国的な市場拡大戦略を展開した。  そして、マーケットを完全制覇するため、特許訴訟戦術による拡販に打って出た。  なぜなら当時の法制では、出願が特許庁の審査を通過して公告されれば、仮保護権が発生したので競合他社の製造販売を差し止め請求できことになっていたからだ。  初動で権利行使の訴訟を前提とする警告をし、応じない会社には差し止め仮処分申請をした。  こうした強化策が、事業を成功に導いた。  当該サッシの特許に関しては、業界内でのライセンス交渉による問題解決の基盤を構築することができた。  アルミニウムといういわばハードウェアの世界で、技術力やノウハウやスキルを知的財産権の仮保護権という武器に置き換えて、経営戦略のフレームワークに取り入れたのは業界では初めてのことだった。  前述のように、アルミニウムの表面処理加工およびアルミサッシの製造方法では今までに無い技術を開発したがさらに、特殊機能を有する住宅用アルミサッシについて競争各社には模倣できない形で全国展開を行い、それらの技術についての国内外ライセンス事業を展開した。  高度成長期へと時代が進展するに伴い、ハードにくわえてソフトが重視されるようになった。  ビジネスシーンにおける時勢の変化を、私は鋭利に感じ取った。  そこで着目したのがコンピュータの世界だった。  それもハードウェア主体ではなく、当時ではまだ珍しいソフトウェアという概念も含めて、ハードとソフトの融合による、コンピュータシステムとソフトウェアの知的財産管理に強い興味を抱いた。  一般家庭にパソコンが普及する以前だった。  大型コンピュータのオペレーティングシステムや、アプリケーションソフトを開発する当時のシステムエンジニア(SE)は、知的財産権、とりわけ特許権については無関心だった。  コンピュータのソフトウェアはSE同士で共有しながら自在に利用することが、暗黙の了解でまかり通っていた。  一部のメーカーでは、著作権による保護を厳格に主張する向きもあったが、あくまでプログラム表現に限定されていた。  ソフトウェア自体の技術思想は、法的見地では保護対象外だった。  その一方で、請負あるいは受託開発されるソフトウェアの成果物の権利は、委託企業側に属するのが当然とされた。   私が目をつけたのは、まさにそのピンポイントだった。  三十年前になるが、五十歳のとき、糖尿病と診断され、厳しく減量を申し付けられた。  医師曰く、  「重症のメタボリックで生きているのが不思議。」  「このままでいると、命がなくなる前に、合併症で失明する。」  「そして、足を失い、手も失う。」  「まるでダルマのようになって、自分では死ぬこともできない生き地獄が待っている。」  「とにかく食事制限をしなさい。」  その他肝臓、腎臓、血圧等八つの死にいたる病の症状が告知されていた。  ご飯を仏前に供える量程度に減らし、ストレッチ、筋トレ、体幹・体側強化、ウオーキング等を毎日の続け、約1年で体重を20キロ以上減らした。この運動は今でも続けている。   また、浴びるようだったアルコールと一日百本のタバコを一切やめた。  それから30年、めでたく第二の人生を全うし、今、プラスの人生を迎えることができた。  第二の人生の前半は仕事中毒、後半は健康そのものだからできた仕事人生だ。  若くて頑丈な体に仕事を詰め込み、詰め込んだ体の健康維持を図り、健康な体で人生を運ぶ。  ここまで来ると心身は一体となって自らを作りながら先達の精神を受け継ぎつつ次世代に伝承される魂を宿す。  そして、仲間とともに「文殊の知恵」による次世代への遺産、知的資本構築への道を模索し、提案する。  先達からの伝承と仲間との共創による新たな人生を創成する。  新たなプラスの人生では自分を変えることによって、生きがいを見つけていかなければならない。  でも生きがいを見つけるのは自分自身だ。  許されるのは自分を変えることだ。  第一の人生で、「知恵」の基礎習得をした。  第二の人生では「知恵」の活用で次世代への遺産としての「知的資本」の構築をするための提案をし  ここで「知的資本」とは知的財産を生み出すことにつながる個々人の持つ「知恵」のことを言う。  知的資本の構築は中小企業等の「知恵」を活かして行うこととした。  その本質は列強や大企業にもない優れた零細・中小企業の「知恵」の活用で次世代への遺産としての知的資本の構築とその投下による「知恵」の再生産をすることだった。  そして、その累積で資金難と後継者難を解決して「ゆたかな生活」のための持続可能な開発を行うことだった。  そして今、第二の人生で得られた以下のような成果をもとに自分を変える仲間と共に自分を変える「プラスの人生」をスタートした。    ところで、貸借対照表の資産の部には載らないオフバランスである「知恵」の活用については「貨幣を介さない」ことによる資金難救済という目先の利益も期待できる。  しかし、それよりも「豊かな生活」のための「貨幣を介さない」直接取引が可能になることによるナッジ(肩押し)効果をベースにして「持続可能な開発」へのレジリエンス(回復力)を有するというさらにすぐれた特質がある。  また、「知恵」については多くの場合、お互いに機密だと思っていることが仲間内ではすでにほとんど周知であることが多い。  仲間みんなが知っているにもかかわらず自分だけの機密を維持することよりも、お互いに活用しあうことによってさらにすぐれた「知恵」を再生産することができる。  そして新たに価値増大した「知恵」については本当の意味での機密管理に移行していくことを勧める。  そうすれば、次のステップでは「オープンサイエンス」としてさらなる「知恵」の土台(ベース)となる。  すなわち、「オープンソリューション」として優れた問題解決のためのレジリエンス(回復力)を強化していくことができる。  ここでシェアリングエコノミー(共有型経済)の観点で、デジタル化されていてもいなくても、仲間同士の一定範囲内、さらにはそれら相互間で土台の基礎とされた「知恵」の集合をベースとして取引基準の標準化をしていくことができる。  そうすれば、仲間同士の「知恵」の共創においては「モノ」としての実物資産だけではなく人やその経験等の「知恵」にも同時にシェアリングできることになる。  したがって、個人としては何も貯めておく必要がなく、要員を抱えておく必要もなく、運用人材の心配もしないで済む。  仲間がお互いにシェアすることができるためである。  そして、それぞれの仲間は個人の生活と生き方を変えることができる。   さらに、「知恵」の取引等についての仲介役として「ノウハウエイジェンシー」を機能させる。  その対象が「知恵」の場合には貸借対照表に記載されないオフバランスとなる。  そして、預け入れ又は引き出された当事者・ユーザー間での「貨幣を介さない」取引等の仲介をすることとなる。  この取引等の実績記録の累積を基準として「貨幣を介さない」取引等の標準化がされる。  そしてそれ以外は「貨幣を介する」取引等になるので、ごく一般の通常通りの貨幣取引となるだけである。  すなわち、最も基本的には、純粋に「知恵」だけの場合は実績の累積を状況に応じたパターン区分ごとに分離・分別し、必要に応じて圧縮・結束して基準となし、それらを集約して標準化することができる。  それ以外は原則として一般の貨幣取引によるが、そのうち純粋な「知恵」を分離できる形で含む場合には、分離してそれぞれの範疇での扱いにすることができる。  いずれにしても「貨幣を介さない」取引等についてはオフバランスたる「知恵」の部分だけなので、その部分を含む取引等について基準を作り、その他の部分との組み合わせについて標準化することが賢明だと思われる。  「知恵」はその活用による共有の知的資本を構築して「持続可能な開発」により共に豊かな生活を享有する社会を目指すものだから「知恵」を貨幣に代わる価値媒体としてできるだけ資金を要しないこととするためである。    ただし、シェアリングにしてもエイジェンシーにしても、この「知恵」に関しては、創作者間の取引等の場合を言っている。  そして、その取引等の対象を自ら創作したノウハウ等無形知的財産であってバランスシートの資産の部に載らないオフバランスであることを前提としている。  したがって、当事者間の「資産」取引等を「業として」仲介等することが無い限り法令違反となることはない。  なお、シェアリングエコノミーには既存の法令が予定していないビジネススキームが出現することもある。  「知恵」(ノウハウ)のシェアリングだからといって他から有償で購入した場合には会計上資産として処理されるので、その点を間違わないようにしなければならない。  インタンジブルズ(有用な無形資産)の中でも「見えない資産」のうち貸借対照表上の資産ではないオフバランスの「知恵」は「貨幣を介さない」で取引等が可能となる。  その「知恵」の活用による「持続可能な開発」は次世代への遺産としての「人的資本」、すなわち「知的資本」を構築することができる。  ここで「知恵」とは知的資本を構成する人的資本としての「ノウハウ」のことを言う。  そして、「知恵」は知識と経験を活用して「気付き」を得て環境にうまく適応する能力でもある。  この「気付き」による「見えない資産」の可視化レベルに応じた「見える化」により「知恵」の管理と活用の有効性を極めることができる。  「見えない」は一般に「無形」なので視覚にも入らず認識できないことを言う。  しかし、それ以外でも視覚に入っているけれども認識できない場合や内容は認識できるけれども視覚に入ってこない場合等も「見えない」こととなる。  「知恵」の活用のために理解し適用する上で必要となるからである。  「知恵」はそのままでは見えないがバランスシートに記載されれば見えるようになる。  しかし、それがオフバランスの場合は貸借対照表の資産の部に掲載されないのでやはり見えない。  また、自分のものだとわかっていても、それが「知恵」だと気づかない場合、あるいは、視覚には入っているのだろうが認識されていない場合にも自分には見えていないことになる。  これらのことを正確に分析し理解していないと、正しい「見える化」をすることができない。  取引等の対象がオフバランスの「知恵」であれば「貨幣を介さない」で済ませることができる。  しかし、現状の一般取引はオフバランスであってもお金を払って処理することが当たり前となっている。  だから、「知恵」を含むすべての取引等が何の疑念もなく「貨幣を介する」ことになってしまっていることも事実だ。  そこで、この「知恵」はオフバランスで資産ではないので、「お金を使わないで取引できる」対象を仲間の「知恵」の機能全体およびそれを活用する者の能力までを承継・蓄積の範囲とすることを考えた。  そしてそれらを仲間の相互利用により幅広く流通させることを提案した。  それによって「知恵」のみではなくそれを含む「モノ」にまで活用範囲を広げて当事者間の利用・取引等をおこなえるようにするエイジェンシーシステムも可能となると考えた。  また、さらにそうすることにより「貨幣を介さない」取引等がおこなえるとする肩押しのナッジ(誘導)効果で「持続可能な開発」を続けられることによる事態の『改善』を提案した。  なぜ「改革」でなくて『改善』かというと、できないことは一応受け入れて、できることから勇気をもって変えていくことをすすめるからだ。  パニックだのパンデミックだのは歴史上繰り返し起こっていてその都度異なった事情によるものだから、「改革」のようにできるかできないかはさておいて、対症療法的に対応をすることはこの場合きわめて不合理だ。  そうではなく「知恵」を活用する『改善』によって「貨幣を介さない」で無駄な投資をすることなく、できることから実行する道を提案した。  そうすれば、『「貨幣を介さない」で無駄な投資をすることなく』の『ナッジ(誘導)効果で「持続可能な開発」を可能とする』ことができる。  すなわち、「知恵」の特徴に基づく活用によって次世代への遺産としての知的資本を構築できる。  しかし、現在の高度に成長しきった産業資本主義およびその後の世を支配する金融資本主義の下では全面的な「貨幣を介さない」取引が容易にうけいれられると考えることには無理がある。  そこで、容易には「変えられない」“普通の取引”は今までどおり“貨幣をもって”することとし、バランスシート上の資産ではないオフバランスとしての「知恵」にかかるもののみ「変えられる」こととして「貨幣を介さない」取引に勇気をもって挑戦することとする。  今はだれもが預金通貨、帳簿通貨としてのキャッシュレスを含む通貨制度は出来上がってしまっていて「変えることができない」とする先入観にとらわれているのが実情である。  だから無理して変えないで今までどおり「貨幣を介して」普通の取引をすればよいこととし、オフバランスの「知恵」についての取引等は「貨幣を介さない」取引等に変えることができるとすればよいことになるとする。  このように普段からの生活をできる範囲で改善し続けることによって持続可能な知的経済に向けての「豊かな生活」が築ける。  次に、取引等について相互間で土台の基礎とされた「知恵」の集合をベースとして取引基準の標準化をしていくことにより妥当な交換基準を設定する。  ではその交換媒体とする「知恵」はどのように設定すべきか。  最もわかりやすいのは直接投資の場合。  一方が「知恵」をもっていて他方がその「知恵」を使用して生産できる設備を有している場合、両者間で合意が出来た範囲で当該「知恵」を使って当該設備によって生産するための事業については双方とも「貨幣を介さない」で直接投資とすることができる。  次に、一方の「知恵」と他方の「知恵」を交換する場合、すでにそれぞれが蓄積している「知恵」を比較しあって大きな差がない場合には合意の上でその交換実績を記録して取引等を実施する。  原則としてその取引等の清算はしないこととする。  その累積において必要が生じたときには過去の実績に応じて差し引き評価する。  取引等が複数にわたるときや「知恵」を含まないものが混雑する場合にも応用できると考える。  「貨幣による」オンバランスと「貨幣を介さない」オフバランスの場合を明確に区分けして処理することによって可能になる。  当事者および「知恵」が錯綜する場合にも累積において該当する組み合わせを選択して検索および抽出すれば同様に処理できることとなる。  今までのところで検討した取引基準で想定される「貨幣を介さない」取引等を実際の業務に沿うようにさらに具体的に検討を進めると以下のようになる。  まず《直接投資》による場合には  自分の「知恵」を自己の業務拡張または変更のためにすでに《所有している設備等を使用》して生産等するための「知恵」や「カン・コツ」等の人的資源として《直接投資》することにより知的資本を構築する。  たとえば、自家製品“アルミ家庭器物”の製作上の「知恵」を有している家内工業が熟練工員の深絞りプレス、へらしぼり、特殊アルミ熔接の「知恵」を“新規商品”の開発に投与して、すでに有している設備等を用いて、いままでになかった新商品工場としての稼動を可能にすることが考えられる。  このケースではすでにある設備等には格段の資金を要しないし、自分の「知恵」を投資するわけだから設備等にも「知恵」にも「貨幣を介する」必要がない。  したがって、このような場合には規模の大小にかかわらず資金を要しない。  この場合、その投資等で新たに開発した商品が旧商品と比べて売り上げ、利益を向上させたときは《単位あたりの差額分が付加価値判定の基準》となり、純利益相当を《配付した結果をもって事業上の標準》とする。  次に、一方の「知恵」を使って《他方の設備で生産》する事業については《一方が他方に直接投資》することになる。  上述と同様に双方とも《「貨幣を介さない」で直接投資》とすることができる場合である。  たとえば、新商品の「知恵」で勝負したいが設備等の資金がない一方が設備等はあるが「知恵」がない他方を使って生産する場合に双方とも相対する投資を相手方の「知恵」と設備によって充足させ、双方とも直接投資の基準が使える。  いわゆる業務提携の形をとるので当該事業で構築した知的資本投下により得られた成果は双方で分配するのが標準となる。  さらに、一方の「知恵」と他方の《「知恵」を交換》する場合には、比較しあって大きな差がない場合で合意の上でその交換実績を記録して取引等をする場合、それらの取引等の清算はしないこととする(直接取引)。  ただし、その累積において必要が生じたときには過去の実績に応じて差し引き評価する基準に基づく総合的判定方法を標準化する。  そして《間接投資》による場合にはお互いにシェアするケースでは、仲間内での《交換実績記録を集約》して一定の「知恵」の交換基準を策定して標準化する。  この場合は効果判定対象範囲が広いので機能・効果を総合的に考えたうえで処理する。  たとえば、ある工芸品作成上の「知恵」とすでに作成された工芸品とを交換するケースである。  一方は純粋に「知恵」といえるが、他方、工芸品は「モノ」とするか知的固定資産とするか、「知恵」が「モノ」に化体したものか判然としない。  この場合、「モノ」に化体した「知恵」を純粋な「知恵」と「モノ」に《分離》して一方の「知恵」との《価値の差を基準標準化》する。  そして、サブスクリプションは一般的に「定額制の継続課金」による取引をいう。  オフバランスとされる「知恵」の取引等では対象を《レンタル型》として処理する。  たとえばITソフトウェアをクラウド上で期間を決めて交換する方式のサブスクリプションに切り替えてオフバランスとすることができる。  この場合、「定額制」とあるのは《「定価値制」》と置き換える。  すなわち、一定の価値判定で特定した《価値総計分》にいたるまで《継続取引等》ができることとなる。   「知恵」の活用による持続可能な開発のためには仲間内における情報基盤の整備が必要になる。  そのために個人を中心とするオープンなプラットフォームが有効となる。  ここでオープンなプラットフォームとは一般に広く用いられているソフトウェアやデータの相互利用を行うことを想定したプラットフォームのことを言う。  すなわち「知恵」をコミュニティー内で共有してともに価値を創造するプラットフォームである。  さらに誰がどの「知恵」を活用したかを後から検証できるように条件を定めておけばいちいち同意を必要としないこともできる。  ここでは、仲間が分散して管理し、必要に応じて適宜つなげるようにする。  誰でも、アクセスログを残しながら、その目的にかなった使い方が出来るものとする。  パンデミックや経済的パニックが起きれば、同意なしでも特定のミッションを背負った人々にデータの使用を許可できる。  なお、データの個人的コントロールと効用的活用をいかにバランスさせながら連動させるかが課題となる。  いま、所有だけでなく共有の中からも価値を創造することが求められる時代に移行しているので、同意なしでのデータ使用ができるよう相互間で協議を行えるようにする。  ケイパビリティアプローチ、(capability approach:潜在能力アプローチ)とは、厚生経済学の領域においてアマルティア・センにより一九八〇年代に提案されたアプローチである。  潜在能力アプローチの中心となる要素は、その“個人ら”がどの“何”を可能ならしめるかという点である。  ケイパビリティについてはつぎのような説がある。   “「ケイパビリティー」は、個人の力(パワー)と吸引能力(アビリティー)のみを暗示させてしまう単なる「能力(アビリティー)」よりも範囲が広く、行為者性(エージェンシー)を成立させるためのより一般的な人間の潜在的可能性を表す。そして適切な条件、つまり社会的・経済的な結びつきと、基本的・発展的な人間的機能を可能にする手段とが、広くいきわたっていればその可能性ありといえる。  オフバランスとされる「知恵」の取引等で対象を《レンタル型》として処理することにより定価知制サブスクリプションを可能とする根拠となる考え方である。  「知恵」の取引等の基準設定および標準化の考え方の具体化のひとつとしてサブスクリプションが考えられる。  サブスクリプションは料金を支払うことで、製品やサービスを一定期間利用することができる形式のビジネスモデルをいうが、ここでは、製品やサービスではなく「知恵」を利用する場合として任意レンタル型サブスクリプションの応用が考えられる。  一般のサブスクリプションは定額制のサービスで、商品やサービスを必要な時一定額まで利用するという形式による。  従来のサブスクリプションは一定額内までの使用を許可するものだが、ここで提案する任意レンタル型サブスクリプションは『一定価値』までの使用を許可するものである。  資産をレンタルしてサブクリプションにするとバランスシートに掲載されないオフバランスとすることができる。  すなわち、サブスクリプションでは単純なモノ売りをコト売りへと変換することができ、そのコトをさらにトランスフォーメーションにより新しい価値へ変質させることができる。  これを、クラウドサービスで利用可能とすれば資産の圧縮に繋がりROA(総資産利益率)を向上させられる。  特に、「知恵」の取引の場合では決算時だけでなく決済においても「貨幣を介さない」ですることができる。  これを任意レンタルの自動更新型サブクリクションとすると期限を意識することなく満足すべき条件を『一定価値』の総計分まで取引等を可能とすることができる。  したがって、お互いが納得する範囲内で利用しあうことができることとなる。  サブスクリプションでは顧客は商品やサービスを利用すればするほどコストもリスクも減るのが原則である。  そこで、価格競争に陥るのを避けて、顧客に満足してもらえる仕組みとして「定額制」を『定価値制』とすれば満足する結果が得られるはずである。  相手に価格を押しつけるのではなく、提供者と利用者が一緒に価値を作るのだ。  重要なポイントは、単なる定額制ではなく、データを集積し、分析し、新しいサービスにつなげていくことである。  単に販売会社やメーカーの視点で一方的にサービスを提供するのではなく、サービス提供を通じて利用者のデータを蓄積し、利用者視点でデータを分析することで、より利用者が満足できるサービスに近づけていく。  このデータの集積・分析・改善・新サービスの提供をしてこそ真の意味のサブスクリプションといえる。  ここでこれを自動シェアリングシステムに応用すれば、企業と顧客の関係を顧客同士あるいは当事者・ユーザー同士としたとしても同じことがいえるはず。  双方がシェアリングを継続してサブスクリプションを『定価値』で同意できれば満足すべき条件を『定価値』のトータル分までの取引等を可能とすることができる。  任意レンタル型とすれば、差額分の精算で済ませるかさらに異なる条件で継続することもできる。  この場合には仲間内でのアクセスログ体制の明確性が要件となる。  アクセスログは提供者と利用者の行動記録なのでその記録を分析することで相手方のニーズや自分たちのサービスの内容を知ることができる。  このためには「見える化」で「知恵」をもれなく抽出して、   「知恵」は「無形資産」で形がないので顕在化して認識できるように表現し、   オフバランスでバランスシートに載らない「知恵」は別途記載して見える化し、   自分自身ではそれを「知恵」だと意識していないものをカード等で探索して顕在化し、   他人から「知恵」だと認識されている場合を見つけ出すために情報発信すること 等によって拾いだすことを常に行っていることがログ体制の信憑性向上に繋がる。  このようにして提供者と利用者の行動記録を集約して分析することで規定のベースとなるものを構築する。  ここで、家族によって若干の意見交換をした。  私:「今の世界は、どちらかというと、情報化時代、デジタル化時代のネットワーク社会とはいうもののインターネットを基盤とするIoT、クラウド、スーパーコンピューター、量子コンピューター、スマートフォン、人工知能等ハードウエアに依存している。  また、ブロックチェーンのネットシステムに依存する暗号資産もある。  これからは、「物的資本」だけではなく「知的資本」構築を重点とする「社会的資本」、「文化的資本」をも含む人間主体での資本運用・管理への展開が必要だ。」  娘:「より人間の行動や考えを大切にしていかなければならないということか?」  息子:「「社会的資本」、「文化的資本」は大切だが、あまりにも範囲が広すぎるかもしれない。」  私:「だから特に「知的資本」重視のアソシエーションにおける個人、組織、行政、政府がそれぞれのミッションを自覚して全うできる世界を目指す。」  娘:「そうはいっても人間の「知恵」による「ノウハウ」も“モノ”にかかる“コト”から生じている場合が殆どだ。」  私:「“モノ”の“コト”に合うような使い方への「気づき」の「知恵」がいわゆる「ノウハウ」となり、「知的資本」を構成していくのだから、その周辺の「社会的資本」、「文化的資本」さらには「物的資本」合わせて考えていかなければならない。」  息子:「その場合、民事と刑事の双方にわたって考えていくことになるのか?」  孫:「当然両方にかかってくることになるが、今の経済社会では契約問題が多いのでほとんど民事事件については論じられてきたので、ここは刑事事件についても考えてみたい。」  私:「例えば、企業内で知的資本を構成することになるノウハウ等知的無形資産にかかる特別背任事件や営業秘密漏洩事件が生じた場合や企業間で知的財産権侵害事件が発生した場合には刑事事件が発生することになる。」  息子:「その場合は、刑事訴訟の対象になると思うが、普通の事件と違うところが出てくることはあるのか。」  私:「人間同士の関係において動機と証拠を確定しなければならないので、「おとり捜査」が認められる場合がある。」  娘:「「おとり捜査」とは?」  私:「捜査機関又はその依頼を受けた捜査協力者がその身分や意図を相手に隠して犯罪を実行するように働きかけ、相手がこれに応じて犯罪の実行に出たところで検挙するものをいう。  さらにコントロールデリバリーといって捜査機関が犯罪を認知した場合、その場で直ちに押収等をせず、捜査機関の厳重な監視下に置いて、流通等を許容し、追跡することによって、取引に関与した者を発見し、一網打尽に検挙する方法もある。  しかし、コントロールデリバリーはおとり捜査とは異なり、犯意を誘発するなど、捜査機関側から何らかの積極的働きかけがなされるわけではない。」  孫:「経営者がみずからの任務に違背する場合は会社法による特別背任罪に該当し、会社の所有者を裏切る行為として犯人の意図や目的が重視され、刑法にある通常の背任罪より重く処罰される。」  そこで、評価・判定の標準化について今まで検討したことを整理すれば、以下の基準および考え方のようになる。  自己所有設備等へ自己の「知恵」を直接投資する場合は、当該設備等への「知恵」投資単位あたりに生じた増加価値分が付加価値判定基準となる。  これはその「知恵」を実施できる設備等を自己の空き設備等として持っているときで、その設備等は本来の生産等に使用しないものであり、特に売却・譲渡・償却等しないものであればそれを自己の「知恵」実現に貨幣を介することなく使って生ずる価値を増加価値として判断基準とすることができる。  他人所有の設備等を使用して自己の「知恵」を直接投資して生産等する場合は、投資単位あたりに生じた差額分が付加価値判定基準となる。  この場合の取引の要件については他人が当方の「知恵」の使用を条件に当該設備等の使用を許可する場合はその結果生じた成果物は両者共有とすることができる。  すなわち、上記自己設備等使用のときと同様の扱いとなる。  「知恵」を交換する場合は実績記録を集約し、価値の差を分離してそれぞれ基準・標準化する。  その場合、それぞれの「知恵」の価値が明らかに同一のときは問題ないが、それぞれの価値が異なり、しかも一方または双方が複数の場合は容易には価値に交換についての基準が設定できない。  そのときはいままで取引等関係者間のアクセスログを利用することになる。  すべての行動データが1つのIDに紐付けられるということでオンラインとオフラインが融合した体験が提供され、その時々に最適な「知恵」を融通無碍に選べるようになる。  そしてそれらのデータを自己の利益にのみつなげるのではなく、相互の信頼関係を作っていくことで提供価値の増幅が可能となる。  そして、その取引等に関連するデータのうち「知恵」の価値判定に重要な意味を有するものを集約して該当項目ごとに分析し、最も好ましい項目を抽出して基準の核とする。

 

「家庭」ならぬ「家族」との検討

知的資本への家族の見解

私:「今の世界は、どちらかというと、情報化時代、デジタル化時代のネットワーク社会とはいうもののインターネットを基盤とするIoT、クラウド、スーパーコンピューター、量子コンピュータ、スマートフォン、人工知能等ハードウエアに依存している。 また、ブロックチェーンのネットシステムに依存する暗号資産もある。 これからは、「物的資本」だけではなく「知的資本」構築を重点とする「社会的資本」、「文化的資本」をも含む人間主体での資本運用・管理への展開が必要だ。」

娘:「より人間の行動や考えを大切にしていかなければならないということか?」

息子:「社会的資本」、「文化的資本」は大切だが、あまりにも範囲が広すぎるかもしれない。」

私:「だから特に「知的資本」重視のアソシエーションにおける個人、組織、行政、政府がそれぞれのミッションを自覚して全うできる世界を目指すべきだ。」

娘:「そうはいっても人間の「知恵」による「ノウハウ」も“モノ”にかかる“コト”から生じている場合が殆どだ。」

私:「“モノ”の“コト”に合うような使い方への「気づき」の「知恵」がいわゆる「ノウハウ」となり、「知的資本」を構成していくのだから、その周辺の「社会的資本」、「文化的資本」さらには「物的資本」合わせて考えていかなければならない。」

息子:「その場合、民事と刑事の双方にわたって考えていくことになるのか」

孫:「当然両方にかかってくることになる。しかし、今の経済社会では契約問題が多いのでほとんど民事事件については論じられてきたので、ここは刑事事件についても考えてみたい。」

私:「例えば、企業内で知的資本を構成することになるノウハウ等知的無形資産にかかる特別背任事件や営業秘密漏洩事件が生じた場合や企業間で知的財産権侵害事件が発生した場合には刑事事件が発生することになる。」

息子:「その場合は、刑事訴訟の対象になると思うが、普通の事件と違うところが出てくることはあるのか。」

私:「人間同士の関係において動機と証拠を確定しなければならないので、「おとり捜査」が認められる場合がある。」

娘:「「おとり捜査」とは?」

私:「捜査機関又はその依頼を受けた捜査協力者がその身分や意図を相手に隠して犯罪を実行するように働きかけ、相手がこれに応じて犯罪の実行に出たところで検挙するものをいう。 さらにコントロールデリバリーといって捜査機関が犯罪を認知した場合、その場で直ちに押収等をせず、捜査機関の厳重な監視下に置いて、流通等を許容し、追跡することによって、取引に関与した者を発見し、一網打尽に検挙する方法もある。 しかし、コントロールデリバリーはおとり捜査とは異なり、犯意を誘発するなど、捜査機関側から何らかの積極的働きかけがなされるわけではない。」

息子:「経営者がみずからの任務に違背する場合は会社法による特別背任罪に該当し、会社の所有者を裏切る行為として犯人の意図や目的が重視され、刑法にある通常の背任罪より重く処罰されるはずだ。」

評価・判定の標準化

若干ややこしくなったのでここで私は以上についてまとめることにした。

評価・判定の標準化について今まで検討したことを整理すれば、以下の基準および考え方のようになる。

自己所有設備等へ自己の「知恵」を直接投資する場合は、当該設備等への「知恵」投資単位あたりに生じた増加価値分が付加価値判定基準となる。 これはその「知恵」を実施できる設備等を自己の空き設備等として持っているときで、その設備等は本来の生産等に使用しないものであり、特に売却・譲渡・償却等しないものであればそれを自己の「知恵」実現に貨幣を介することなく使って生ずる価値を増加価値として判断基準とすることができる。 他人所有の設備等を使用して自己の「知恵」を直接投資して生産等する場合は、投資単位あたりに生じた差額分が付加価値判定基準となる。 この場合の取引の要件については他人が当方の「知恵」の使用を条件に当該設備等の使用を許可する場合はその結果生じた成果物は両者共有とすることができる。 すなわち、自己設備等使用のときと同様の扱いとなる。 「知恵」を交換する場合は実績記録を集約し、価値の差を分離してそれぞれ基準・標準化する。 その場合、それぞれの「知恵」の価値が明らかに同一のときは問題ないが、それぞれの価値が異なり、しかも一方または双方が複数の場合は容易には価値に交換についての基準が設定できない。 そのときはいままで取引等関係者間のアクセスログを利用することになる。 すべての行動データが1つのIDに紐付けられるということでオンバランスとオフラバランスが融合した体験が提供され、その時々に最適な「知恵」を融通無碍に選べるようになる。 そしてそれらのデータを自己の利益にのみつなげるのではなく、相互の信頼関係を作っていくことで提供価値の増幅が可能となる。 そして、その取引等に関連するデータのうち「知恵」の価値判定に重要な意味を有するものを集約して該当項目ごとに分析し、最も好ましい項目を抽出して基準の核とする。 知的資本と金融の関係 日常の生活のなかで今最もたいせつな事柄とされているのは何かについて考えてみる。 当然、衣食住及びそれらにかかる生活必需品は重要なものとして欠くことはできないが、個人においても企業においてもそれらの「物」についての「情報」はそれ以上に必要不可欠とされるようになった。 工場での大量生産においていかに売れるものを作るかのマネジリアル・マーケティングから、いかに上手く流通させるかのサプライチェーン・マネージメントまで「物」を制するのは「情報」だ。 さらにその情報を使用しても、個人も企業も各自個別に対応していたのでは勝ち残れないとの自覚のもとに他企業との共働によるオープンソリューションで乗り切ろうとしている。 今まで企業は垂直に統合され、それぞれの企業間はほとんど物的結合で成り立っていたが、今日、各企業においては、その仕入れ先や顧客との結び付きが目に見えない精神的結合として実在し、そして、機能するようになってきた。 また、これからの産業界では、物的資産としての物やサービス自体の価値の提供とともに、それにも増して精神的価値としての知的無形資産を提供することの重要性が高まってきている。 そこでさらに、これら知的財産権としても保護されない無形の知的財産をも含む無形資産の法的、経済的位置づけを行い、産業財としての知的財産構成による知的資本を蓄積するために、創作的に知的資産を構成してコンテンツの流通を図り、新たな富としての経済的価値体系を創造することにより未来への遺産を構築することを考える。 知的財産権と言われる特許権・著作権等及びそれらの権利にいたらないノウハウ等の知的財産からなる資産を総称し一般的にて知的資産と言っている。 これらの資産により資本を構成した場合、知的資本という。 知的資本には人的資本をも含む。 すなわち、ノウハウ・スキル等の人的資産に基づく投資によって構成される人的資本は知的資本として資本金に組み入れることがでる。 金銭的余裕のない小規模経営者でも当該経営に必要な技術についてのノウハウ・スキル等を用いて投資を行い資本とすることができる。 今や、伝統的な無形資産のほかに、知的資産、人的資産・情報資産・組織資産といった企業価値の創造に大きな貢献を果たす無形資産の存在が無視できなくなった。 インタンジブルズとは、財の生産やサービスの提供に貢献する非物質的資産であり、それを利用する個人又は企業に対して将来の経済的便益を生み出すと期待される無形資産のことを言う。 「ノウハウ・スキル」はもとより、「のれん」や「ブランド」もインタンジブルズに含まれる。 近年では企業存続、事業継承の有効な手段としてのM&Aに伴うインタンジブルズの評価も重要な企業価値評価項目の一つとされている。 単に売上高や利益率を判断材料にするだけでなく、いかにクリエイティブな発想で仕事をしてきたか、そして未来に向けて発展する要素がどれくらいあるかに目が向けられる。 M&Aを通じて獲得されたインタンジブルズを企業価値に結びつけるにあたり、理念、ビジョンの浸透、ビジネスモデルや戦略、経営目標、経営計画達成に係る実行力が重要な役割を果たす。 企業の買収において、支払った金額と買収先の純資産の差額を“のれん代”としているのが見受けられる。 この場合の買収では、ブランド力や技術力など目に見えないものも考慮して、残存資産額の 合計を上回る値段で買うこととなる。 即ち、各企業が持つブランド、ノウハウ、顧客との関係、従業員の能力等の無形財産を評価するのである。 つまり、買収金額から買収される企業の純資産をマイナスしたものをのれん代とする。 無形固定資産は企業の長い期間の地道な活動の積み上げによって作られる。 従って、のれん代を支払う意義は、買取側の無形固定資産を作るための時間を買うことにもなる。 物的資産や知的資産への膨大な投資ができない小規模企業においても、インタンジブルズという無形資産を有効に活用することによる新たな戦略展開が可能となる。 そのために、人々の知恵としてのノウハウ等のインタンジブルズを含むコンテンツを蓄積・流通させるためのインタンジブルアセットアーカイブをベースとした「ノウハウライブラリー」を企画・展開した。 デジタルアーカイブ時代にいたってもなおハイブリッドに展開する知を保存し、利用に供することを使命とするためには、図書館の活動もテクノロジー環境の変容とともに再定義されなければならない。 尚、ライブラリーとして開かれた情報交換の場とするとともにパブリックドメインとなりえないものについてはクリエイティブコモンズの考え方も導入する余地がある。 こういったあらゆる手段を視野に入れて、ノウハウ・スキル等コンテンツの蓄積・流通を通してインタンジブルズを生かした知的資産を構成し、知的資本の構築をしていくことを目的とするためにはその媒体として「ノウハウライブラリー」を介在させることを提案している。 「ノウハウライブラリー」では、こういったあらゆる手段を視野に入れて、ノウハウ・スキル等コンテンツの蓄積・流通を通してインタンジブルズを生かした有用な知的財産を構成し、知的資本の構築をしていく。 今やAIブームといってもよいほどであり、囲碁や将棋の世界で名人が人工知能を搭載したコンピュータに負けたとのニュースが世界を走りまわっている。 しかしながらそれを作ったのは人であり、人間の知恵で作り上げたものに人間が負けるという矛盾だらけの議論を繰り返す前に、その問題を解決する方法を考えることを忘れてはならない。 人工知能の研究開発を進めている先端企業も本来の人間の「知恵」で作り上げられている現状を見失うと思わぬ落とし穴に落ち込むことになりかねない。 すなわち、我々は次のことに留意し、できれば一度原点に帰って足元を固めなければならない。 個人企業、小規模企業、小規模事務所について等閑視できないこととして情報のバンドル化の可能性がある。 相当な技術開発活動をしていながらそれに対応すべきほどの知的財産管理部門を有していない小規模企業及び個人レベルで開業している事業者とそれらの代理人の情報を集約し、それぞれの知的資産管理ニーズを満足させる情報を提供するための情報サービス事業を展開することを考える。 資源保有国ではない日本の産業は特許、ノウハウ等の知的財産の蓄積、活用で世界と勝負しなければならない。 しかしながら、現実は大企業と大事務所間で膨大な受発注が行われることを通じて包括的知的財産管理による国際的権利化処理が行われており、小規模企業や個人事務所の入る余地は少ない。 さらに、個人レベルでは対処方法の煩雑さのため大企業等の後塵を拝することにもなる。 また、権利化処理のパワーについては大企業と大事務所の優位性を否定することができないのが実状である。 しかも、小規模企業や個人は権利化手続きをすることにつき資金的にも要員的にも他の経営資源に優先すべきかどうかの判断に迷うところがあり、代理人としての個人事務所はそうした悩みを有する者の存在を把握していたとしても一業種一社の制約から対応が難しい状況にある。 しかし、人的資源を地道に的確に仕事に役立てている人や企業を忘れてはならない。 日本の小規模企業には特徴のある技術・技能で世界市場において高いシェアーを誇るものも多い。 ましてや昨今は、新規企業がベンチャーから発してグローバル企業となることも多い。 この風潮を先取りするために、地域に眠る優れた知的資産をバンドルして日本の知的資本を育成・構築できるチャンスを逃さないようにしなければならない。 そこで、小規模企業と個人レベルの知財専門家間の情報流通を促進することにより、開発した技術やノウハウの蓄積・流通の仲立ちをするとともに、それらのうちの権利化可能案件を「ノウハウライブラリー」で開示し、それら専門家が同業種からの受任制限を受けることを少なくするようにしなければならないと考える。 そうすることにより、事業者側には適切な特許等知的財産権または営業秘密を含むノウハウが蓄積され、知的財産専門家側では適切な顧客を適量確保できるようになる。 そして、市場制圧しようとするスタンダード、例えば優位企業によるデファクトスタンダードによる事実上の市場支配やパテントプールによる参入排除には対抗できない個人や小規模経営者にも知的資産の蓄積・流通の機会が得られることにより対応できるようにしなければならないと考える。

次に、金融問題についても家族と話し合ってみた。

孫:「知的資本を考えるにあたって、金融との関係をどうするかも重要問題だと言えるのではないだろうか。」

娘:「実体のある財産や取引、金融的な価値や損益と連動した指標の全部もしくは一部に支払いが連動した経済的収益・損失をもたらす金融的な取引や金融商品にデリバティブ(金融派生商品)がある。典型的には先物、オプション、スワップがある。」

息子:「また、金融サービス仲介制度は、一つの登録で銀行・証券・保険のすべてのサービスの仲介ができる制度で、利用者保護を図るものだ。」

私:「さらに預託法、正確には「特定商品等の預託等取引契約に関する法律」が成立し、消費者に対し貴金属や宝石やゴルフ会員権などの施設利用権等販売し、その商品等をひきわたすことなく、代わりに預かり証等を交付し、その商品運用することで購入した際の金額以上の利益を得ることができるとして特定商品等を購入させることに関する預託取引が広く制約されることとなった。」

娘:「また、デリバティブについても注意しなければならない。」

私:「実態のある財産や取引、金融的な価値や損益と連動した指標の全部もしくは一部に支払いが連動した経済的な収益・損益をもたらす金融的な取引や金融商品をデリバティブという。」

娘:「取引と金融商品の違いは?」

私:「取引は当事者同士の相対の契約によるものをいい、金融商品は当事者の一方である金融機関等により高度に定型化されているものをいう。」

娘:「デリバティブのうち特筆できる点は?」

私:「当事者間の取引で銀行から実際にお金を借り入れる必要がなく、バランスシートに資産と負債が両建てになることもないオフバランス取引がある。」

無形資産の担保

孫: 「無形資産が担保となるという動きがあるが。」

娘:「土地や工場などの不動産だけでなく、無形資産を含めた事業全体を担保として、企業が銀行から借り入れできるように法制化される動きがあるようだ。」

息子: 「確かに二年ぐらい前から新聞等で、それまで銀行では原則として知的財産権等の無形資産は銀行借り受けの担保にならないとされていたのを変更して積極的に担保化可能にしていく動きについて報道があった。」

私: 「法務省が担保法の見直しに向けて金融庁も含めて2021年に議論を公開したものだ。 無形資産を含めた事業全体に対する事業成長担保権を検討するという内容だ。有形資産に乏 しくとも将来性があれば事業全体に対する担保権を設定できようにするとのことだった。」

息子: 「無形資産に含まれる無形財産のうちのオフバラン部分が資産勘定にならないことに よる貨幣を介さないで取引等が可能なことと関係はあるのか?」

私: 「2020年頃からうわさにはあったが、このたび政府が新法制定を目指す方針を固めたと 一部新聞による報道があったことは事実だ。 銀行が評価できるものであれば無形資産も担保の対象になるということで、国家経済、金融 政策の一環として、中小企業の資金難に対する融資の幅を広げようとするもので、銀行の融資戦略や国の税制と関係してくるものだから、基本的に観点は異なり直接的に影響はないものと考える。」、 貨幣を介さない取引 そこで、オフバランスたる「知恵」が「貨幣を介さない」で取引等が行われた場合にはどのような処理が行われるべきかについて検討する。 オフバランスたる「知恵」は資産ではないのでそのままでは処理の対象にならない。 したがって、オフバランスの「知恵」についてアクセスログから登録さされたデータ等を参照して独自の評価をすることになる。 これは必ずしも利益が期待できるわけではないので損益の認識を繰り延べる評価をすることができることになる。 すなわちオフバランスたる「知恵」の取引等は損益の評価をすることなく処理ができることとなる。 そして、取引等の結果で業績増大すれば自己資本利益率向上に資することができる。 しかし、「貨幣を介する」か否かで全体を2分したオフバランス以外のオンバランス資産は従来どおり資産を構成するので損益を認識できることとなる。 すなわちオフバランスの「知恵」の取引等は損益の評価をすることなく処理できるが、それ以外のオンバランス資産の取引等は従来どおり損益を評価して処理されることとなる。 さらに、取引等の結果は「貨幣を介する」場合の損益だけで処理されることになる。 でも、取引等の結果の業績評価では「知恵」で価値増加した分が付加されることとなる。 したがって、「貨幣を介さない」取引等は会計上資産によるものとしては現れない業績をあげることができることになり、それは一般の処理とは別になされることとなる。 すなわち、会計上の資産ではないとはいうものの、業績上の評価に貢献するものなので、内部的には資産と同等に項目をあげて管理し、取引等の評価対象項目とする。 例えば、取引上対象となる一般資産とともに「知恵」の項目をあげて相手方とM&A契約交渉をする場合に譲渡側は「のれん」の価値を主張することができる効果がある。 この例えのように「知恵」のみの取引交渉のみならず、「知恵」とともに一般資産を含む取引等における契約交渉でも一方または双方が一般資産とともに「知恵」の項目をあげて条件交渉をすることができる 金融商品等

次に金融商品(デリバティブ)等について皆で検討した。

息子:「金融商品のなかでデリバティブと言われる金融派生商品は資産を圧縮して貸借対照表上資産隠しができると言われているが?」 私:「その場合、確かにバランスシート上で資産とならず、オフバランスとなることがある。しかし、期間計算上そうなるだけで、決算時には資産勘定となってオンバランスとなる。 それよりも、知的資本を検討するにあたってノウハウ等知的無形財産で貸借対照表の資産に計上されない部分がある。 知的資本を構成する要因として人の「気付き」による「知恵」でいわゆる「ノウハウ」の中でバランスシート上オフバランスとされる部分である。」

息子:「その場合の効用は?」

私:「そのときには、自分の「知恵」や「ノウハウ」を交換・取引するには貨幣を介さないですることができる。」

孫:「無制限にか?」

私:「あくまでオフバランスとされるのは財務諸表上の資産勘定として計上されることがない場合に限られる。 「知恵」や「ノウハウ」を自分で創作した場合、会計上の貨幣価値を算定できないから資産として計上しないのであって、第三者からそれを有償で購入したときには当然、その価格で資産計上され、オンバランス勘定となる。」

孫:「どうしてそうなるのか?」

私:「自分で創作した場合、資産としての評価を確定できないし、勘定として不安定だからだ。」

娘:「先物取引等デリバティブの場合はオフバランスとなるので、貨幣を介さないで取引等ができるのではないか?」

私:「先ほども触れたように、期間計算上そうなるだけで、決算時には資産勘定となってオンバランスとなるので原則として資産として貨幣を介して取引等される対象となる。 ただし、仲間同士の取引に際して「ノウハウ」・「知恵」の受け渡ししか行われない場合には先物取引等デリバティブの場合でもオフバランスで「貨幣を介さない」取引が可能となる。この場合、「ノウハウ」・「知恵」を含んだオンバランス資産ならオフバランスの先物取引等で将来にわたって「貨幣を介さない」で「知恵」の蓄積を可能とする。」

孫:「「貨幣を介さない」とは「お金を使わない」ということか?」

私:「そうだ。すなわち「金銭を支払うことなく」交換や取引や投資ができるということだ。」

娘:「貨幣というと今では硬貨のことだと思っているが?」 私:「それは紙幣との区別をするためにそう言っているだけで、趣旨からいうとどちらも通貨ということだ。」

息子:「今、われわれはカードマネーを使うことも多くなっているが?」

私:「実際にはカード等を使って預金から支払っているだけで、ネット取引についても同じことが言える。 したがって、預金通貨や帳簿通貨を使って取引等をしても貨幣を介していることになる。」

息子:「ビットコイン等暗号資産(仮想通貨)での取引等についも「貨幣を介して」と言えるのか?」

私:「ビットコイン等暗号資産(仮想通貨)は電子データのみでやりとりされる通貨であり、法定通貨のように国家による強制通用力(金銭債務の弁済手段として用いられる法的効力)を持たたないので必ずしも貨幣と言い得ない点はあるが、高額な電気代を使ってマイニング(暗号資産の発掘)をしているので産業を構成する手段で生成されており、当事者間の取引等においては「貨幣を介して」と言える。 しかし、ビットコインは実物資産による価値の裏付けを欠く電子データにすぎないことも事実で、単なるバブルだと考えている人も少なくない。」

先物取引

次に先物取引について議論した。

私:「先物取引とはある商品を数カ月先のある時期に受け渡しすることを条件とする売買契約を締結し、その時期が来る前に転売や買戻しをすることにより、実際には商品の受け渡しをしないでその間の値動きの差金決済により損益を出して終わらせる取引をいう。」

孫:「その取引で一般に問題とされていることは何か?」

息子:「投機性・危険性を隠蔽して委託証拠金交付させる行為、実際には取引をせず自身が相手方となって売買を成立させるいわゆる呑み行為、預かった金を様々な手口で自分のものにする客殺し商法などがある。

娘:「でも、「貨幣を介しない取引」では問題にならないのではないか。」

私:「商品先物取引法では悪質な取引仲介業者等が先物取引の知識が不十分な主婦や高齢者等の消費者を勧誘し、委託証拠金を等の名目で金銭を巻き上げるのを防ぐことをも目的とする。したがって、個人間や仲間の間での貨幣を介さないで先物取引で仲介業者が入らない場合には問題にならない。」

さらにシェアリングについて

私: 「「ノウハウ」等の「知恵」のシェアについてはどうだろう。」

孫: 「「知恵」は貨幣を介さない取引の対象になるとのことだが。」

娘:「オフバランスならば資産とならないから、お金による取引でなくてもよいことになる。

息子: 「でも、その取引が当事者同士のものならよいが、「仲介」を業とすると問題があるのではないか?」

私: 「銀行法や弁護士法等に抵触しないようにしなければならない。すなわち「行として」「仲介を「することのないようにしなければならない。すなわち、反復的にまたは反復の意思をもって仲介事務の取り扱い等をし、それが業務性帯びることのないようにしなければならないということだ。」

貨幣を介さないで取引ができるメリット

息子: 「貨幣を介さないで取引ができるということにはどのような根拠があるのだろう?」

私: 「一般に金銭によらない投資の場合、その投資に対応したメリットについての事前の期待に照らして事後のメリットを把握することができるという期待を持てるかどうかを根拠とする。 すなわち、金銭以外による投資のときは、事前に投資の利益が期待できることがある場合には投資後の成果を把握できるということだ。 交換によって移転する資産に対するリスクから解放された時には損益を認識し、必ずしもそのリスクから免れていないのであれば損益の認識をしない処理を選べることになる。 すなわち、金銭での交換による場合には損益を認識し、金銭によらない資産投資は損益の認識を要しないでよいことになる。 しかし、金銭によらない資産の場合については一般的に述べているにすぎない。 そこで、オフバランスたる「知恵」が「貨幣を介さない」で取引等が行われた場合にはどのような処理が行われるべきかについて検討することにしよう。 オフバランスたる「知恵」は資産ではないのでそのままでは処理の対象にならない。 したがって、オフバランスの「知恵」についてアクセスログから登録さされたデータ等を参照して独自の評価をすることになる。 これは必ずしも利益が期待できるわけではないので損益の認識を繰り延べる評価をすることができることになる。 すなわちオフバランスたる「知恵」の取引等は損益の評価をすることなく処理ができることとなる。 そして、取引等の結果で業績増大すれば自己資本利益率向上に資することができる。」

息子:「オフバランスの場合はだいたいわかったが、それ以外についてはどういうことになるのだろうか?」

私:「「貨幣を介する」か否かで全体を2分したオフバランス以外のオンバランス資産は従来どおり資産を構成するので損益を認識できることとなる。 すなわちオフバランスの「知恵」の取引等は損益の評価をすることなく処理できるが、それ以外のオンバランス資産の取引等は従来どおり損益を評価して処理されることとなる。 さらに、取引等の結果は「貨幣を介する」場合の損益だけで処理されることになる。 でも、取引等の結果の業績評価では「知恵」で価値増加した分が付加されることとなる。 したがって、「貨幣を介さない」取引等は会計上資産によるものとしては現れない業績をあげることができることになり、それは一般の処理とは別になされることとなる。 すなわち、会計上の資産ではないとはいうものの、業績上の評価に貢献するものなので、内部的には資産と同等に項目をあげて管理し、取引等の評価対象項目とする。」

娘:「具体的には?」

私:「例えば、前にも言ったが、取引上対象となる一般資産とともに「知恵」の項目をあげて相手方とM&A契約交渉をする場合に譲渡側は「のれん」となるべき「価値」を主張することができる効果がある。 また、「知恵」の取引交渉のみならず、「知恵」とともに一般資産を含む取引等における契約交渉でも一方または双方が一般資産とともに「知恵」の項目をあげて条件交渉をすることができる。」

孫:「そのような効果をあげるためには相当な配慮がなされてなければならないと思うが。」

私:「そのとおり、「知恵」や「ノウハウ」に気付いたら、常にその「見える化」を図り、資産勘定以外についてもその成り立ちや根拠を記録しておく必要がある。」

娘:「通常の会計処理では勘定科目にならない場合は記録として残さないのが普通だが?」

私:「会計計算での勘定科目ではないものだからこそ自己独自の記録として整理しておき、交渉にあたって先手をとってそれら「知恵」や「ノウハウ」が有する価値を相手に主張して、妥当な評価を得るために役立たせる。」

経済的メリット

息子: 「貨幣を介さないで取引ができることのその他のメリットは?」

私: 「資金繰りに窮している中小企業等への直接的効果があるとともに、そのような企業主が事業を継続するために「お金を使わないでもできる方法があるならここで諦めることはないな」と思わせる心理的後押しをして、本当は撤退しようとしている事業者に奮起一発「ゆたかな生活」推進に貢献させることだ。」

娘: 「そこまでいくにはそう簡単にではなく、かなりの工夫が必要だと思うが?」

私: 「そのとおり。日本の中小企業等が古来から有する世界のどの企業より優れた「ノウハウ等」を持っているので、それを活用することによって、持続可能な開発ができ、大企業や海外列の強にも対抗できる態勢を組むことができることを知らしめることだ。」

息子:「そして、次世代への遺産としての知的資本というさらに大きな財産を手中にすることができる。」

孫: 「それこそ「ゆたかな生活」への王道だと言える。」

私: 「日本には大開発につながる優れた要素技術としてのノウハウを持っている個人・零細企業が豊富に存在するにもかかわらず、それらが使われることなく自身の内にしまい込まれてしまい、使われることがないままに忘れ去られてしまう。 そして残念なことに、それらに気付いた列強に先を越されてしまうことが多い。 日本人によるiモードがiPodに活用され、その後iPad、スマートフォンとして世界的大ブームにつながったことを忘れてはならない。 日本にはアメリカ人のように開拓精神に富んだ起業家が少ない。 だから、下手にアメリカに追従するのをやめて、本来的に持っている極意伝承の精神を生かして日本特有なノウハウを活かしていくべきだ。 そして、いくつもの同業企業が競い合って潰しあうことをやめて使える「{知恵」を集めてノウハウの一本化を図ることが大切だ。 各企業がお互いに「気付き」あうことによる「知恵」の活用により、皆のノウハウを活かしあうことである。 バランスシート上資産とならない自己のノウハウ等知的無形資産のうち「知恵」、特にオフバランスで「貨幣を介さない」取引等についてはお金を使わないで取引ができるメリットがある。」

息子:「金融業界やそれによって支配される産業界にも問題があると言えるのでは?」

私:「金融業界では内輪で資金を回し、民間企業では株式価値最大化のため自己株買いのために資金をまわして為にする取引をしていることも多い。 個人や一般家庭でももっぱらお金だけが「ゆたかな生活」の全てだと考えられていることが多い。 今や、そうではなく、各界が自らのミッションを全うすることで「ゆたかな生活」を求めることができることに気づかなければならない。」

娘:「我々民間でも同じことが言える。」

私:「本来交換の媒体である貨幣を商品化し、お金によってお金を増やそうとして蓄財の対象にしてしまっていることは何ら「ゆたかな生活」役に立たないことに早く気付かなければならない。 このままでは次世代への遺産としての知的資本蓄積はままならない。そのために、「知恵」の「貨幣を介さない」取引について追求する。 そのためには他人を変えるという改革より、自分および仲間同士の当事者による「知恵」の先物取引でも家庭や仲間レベルで改善可能になるように「知恵」を働かせる。」

血族と親族

私は考えた。 息子や娘と孫が命をつないでくれるから私は生きながらえる。 肉体的には代替わりするとしても、魂は継続し続ける。 娘の家族である孫が社会人になった。 無職だった私の息子が職を持った。 したがって扶養家族ではなくなる。 妻だけが家族のはずだが、もとは他人だ。 生活を共にしていない以上家庭の一員ともいえない。 しかし、息子と娘の母親であるので彼らの肉親であることには間違いない。 私たちはそれぞれ、血族あるいは親族関係にあるといえる。 この関係で生きるための「知恵」が継続しているのだから私の命はとても私一人のものだとはいえない。 また、孤独な生活環境であったとしても、魂は一体として命をつないでいる。 私の父母・兄弟はすでにこの世にはいない。 しかし、「いとこ会」のメンバーとその親族は健在のものも多い。 したがって、限りなく後継者に恵まれているといえる。 親子ほど年の離れたいとこもいるのでその子、さらにはその孫までをも含めると相当数のメンバーになる。 直系だけでなく傍系をも含め、父方、母方に展開すると、端から端は見えなくなる。 いずれにしても、血縁、地縁その他何らかの縁をもって連携しているといえる。 この繋がりを考えると私個人としてのプラス人生はとてつもない広がりの原型を持っていることになる。 これに新しい仲間を加えるとその広がりは倍増する。 共感によるコミュニケーション さらに私は考えた。 人が何を意図し、何を目的にして、どういう気持ちでいるかがわかるというのが共感力である。 それはおもに家族生活等複数人のなかで育まれる。 大勢の中で育まれる共感力は直観力にもつながる。 この直観力によれば人との関係で自分を見つめ直すことができるので、自我を収縮させ「気付き」を生む。 新しい家庭を築いた娘とは二十数年前に彼女が結婚してから孫にかかわること以外、ほとんど交流はなかった。 しかし、孫が生まれてからは人気機関車トイの“トーマスエンジン”の新モデルがでるたびに全てプレゼントした。 また、交通博物館が大宮に移転・新設されたときに早速連れて行ったことがあったくらいだった。 でも、娘にはこの二十年以上、年賀状用に私と孫とのツーショットを年に一回撮影してもらっている。 このたびの妻の件については、娘は彼女から具体的内容についてはいっさい知らされてなかったという。 しかし、今までのいきさつを私から短時間聞いただけでとりあえずエアコンをプレゼントしてくれた。 生まれてからこの方の私の生活態度、妻の性格を知りつくしていたからこその状況判断だと思える。 息子にしても、あらゆる生活用具を処分した後、自分の自転車だけを私のために残してくれた。 私が車の免許証を返してしまっていることをも考えたようだ。 この免許証返納にも関連するが、妻が東京にいないので息子が使っていた妻の自転車を私も借用していた。 ある時、交通事故に巻き込まれて、自転車ともども路面に叩きつけられた。 自転車は全壊で私は救急病院行きだった。 息子は新たにに自分用に購入して使っていた自転車を提供してくれたのだった。 娘と息子とは特に家庭の関係がどうすれば良いかについて、話し合っていない。 でも、何も言わなくとも、共感する直観が働いて具体的行動に現れる。 数年に一度くらいしか会わない「いとこ会」のメンバーについても同じことが言える。 年齢が離れていても、直系でなくとも共感する直観は働く。 血縁関係が無い場合でも婚姻等によりネットワークは繋がる。 これらの関係によって引き継がれる生き様は変えられない歴代の記憶としてそれぞれの意識に残って伝承される。 共感によるコミュニケーションネットワークだ。 親戚 「いとこ会」は父方の家系によるものだった。 父には9人の兄弟姉妹がいて、大伯父のいとことの兄弟姉妹関係を合わせるとかなりの人数になった。 しかし、母には姉が一人いるだけだった。 その姉である伯母には子供がいなかった。 女子大をでた後、魚河岸の親方の後妻になった。 そして、漢文・古文の教師をしつつ、観世流能楽師範となった。 不思議なことに私のいとこが観世流の家老格家の能楽師の嫁となったのでその夫婦は「いとこ会」の一員だったが、その夫の弟子でもある伯母はメンバーではなかった。 幼少の頃からその伯母に連れられて、「うたい」の稽古で「牛若」なんぞをやらされた記憶がある。 その後の「いとこ会」では「はとこ」等と謡曲の話にも花が咲いた どういうわけか、大学生活費用の仕送りは伯母から受けた。 その後、戸籍には私がその伯母の養子になり、その後原籍に戻ったことが記録されていたことに気がついた。 その先祖を祀れるのは私しかいないので、伯母と母が亡くなった後、生地の菩提寺を数ヶ月間捜し回った。 ようやく母方のふるさとのある寺で目当ての墓に巡りあった。 ご住職からの 「お待ちしておりました。」との声。 ご住職の先祖のお墓に共に祀ってもらっていたが、ちょうど分けたいと思っていたところだという。 母方を継ぐのは私しかいないので、とりあえず事情を説明して、同寺内に移してもらった。 母方の親戚は私の後継に尽きることになる。 異母兄の母方の親戚は高名な学者で東京美術学校(芸大)教授だったが私との血縁はない。 でも、父や兄を通じて親戚付き合いはされた。 そして、異母兄の嫁達である義姉達の両親や兄弟等とは常時親しい親戚関係にあった。 プラス人生における共感 親戚・姻戚を除くと後は友人・知人になる。 家族、親族、親戚以上に親密な関係にある友人・知人はおおぜいる。 遺伝的・法的に関係はなくても生活環境の緊密度が高い場合も多い。 ここで、プラスの人生での友人・知人との共感を考える。 血縁がない友人・知人との共感は同時に生きている間柄でのみ可能となる。 家族・親族のように血縁のある血族および姻族は遺伝子の承継による共感ができる。 友人・知人のとの共感は血縁がつながる限りにおいて過去に遡ることができる。 これら共感の仕方は、血縁によって遡れるかどうかによって異なる。 プラスの人生における共感は、この違いをわきまえてする。 血縁とは縦に、それ以外とは横に繋がる「知恵」を共感する。 人間が生きる意味 さらに私は考える。 過去と未来が無限に続く限りものごとに始めと終わりはない。 何かが存在し始めて、生命を生み、脳が発生して、意識・知能が生まれそれらが遺伝する。 我々にとってそこに意識・知能が生じたときがはじめで、それがなくなれば終わりだ。 意識・知能の縦と横の繋がりが共感を呼び、そこに「知恵」の共有と人生の共存が生まれる。 人が生きていく意味は個人として全体のためにどのようにあるべきかにある。 そして、他人のため、次世代のために役立つ何かを遺せることに意義がある。 私の八十年は、家族・親族、友人・知人とともに受け継いだ「知恵」を活かすための準備期間だった。 これからはそれを活かすという方向性は決まったとしてもどう跳ぶかはまだ調整が可能な段階。 また、着地点をどこにするかはこれからの跳び方によって決まる。 さらに、その着地点から次の飛躍にはさらに大きな可能性が秘められている。 八十歳から飛躍して、第一の着地は二十年先か。 第二の着地はそれからさらに二十年先か。 一年毎、一日毎、今の一分一秒、自己の心身を健全に維持していればそれがどこで終わるかは問題にならない。 ひとつひとつを心の遺産とし、心身ともにこれから広がる次世代の世界に残っていくことで人生の意味を創っていく。 そこに新しいプラス人生が生まれる。 この八十年で家族・親族、友人・知人とともに培った知恵を新しい仲間とともにいかに活かしていくかである。 第二の人生では経営者に向けて「知恵」を活かした「ゆたかな生活」のための知的資本の構築について提案した。 これをこれからのプラス人生では家族・親族、友人・知人とともに培っていく。 家族・親族については今までだけでなく、これから構成していくものをも含める。 友人・知人についてはこれからのものが重要になる。 「知恵」のやりとりの結果を活用するためにその情報を共有する。 そのために個人を中心とするオープンなプラットフォームが有効となる。 すなわち「知恵」を仲間うちで共有して人々を中心にあらゆる情報をオープンに活用してともに価値を創造する。 価値の創造を重視し、誰がどの「知恵」を活用したかを後から検証できるようにしておけばいちいち同意を必要としない。 活用の記録を残しながら、その目的にかなった使い方をすれば、パンデミックや経済的パニックが起きたときは、同意なしでも特定のミッションを背負った人々にデータの使用を許可できるようにする。 同意が必要な案件でも、非常事態の場合には必要な範囲で使える旨の取り決めをしておけば問題は解決する。 さらに、このプラットフォームの利用者相互の紹介により新規利用者を獲得することができる。 既存の利用者にはインセンティブを与えることにすればその効果は抜群に向上する。 仲間と「知恵」の共有 ここで、集まった仲間の間で共有の基礎とされた「知恵」をベースとして活用について妥当な取り決めをする。

娘:「ではその取り決めはどのように設定すべきだろうか。」

息子:「たとえば、次のようにしたらどうだろう。仲間の一方が「知恵」を持っていて他方がその「知恵」を使って活用する場合、両者間で合意が出来た範囲でその「知恵」を使い合えるとする。 すなわち一方が製造方法の「知恵」があり、他方がそれを製造する設備があってそれぞれそれ以上の資金がない場合に双方無償で使いあうことで活用することができるとする。 次に、一方の「知恵」と他方の「知恵」を交互に活用する場合、すでにそれぞれが蓄積している「知恵」を比較しあって合意の上で使いあい、その実績を記録して活用度を確認する。例えば、双方が活用について別々の「知恵」があるがそれ以上の活用資金がない場合に、持ち寄った「知恵」により新たな活用をしてその成果を無償で利用する。その累積において必要が生じたときには過去の実績に応じて差し引き評価すこととする。

娘:「共有等が複数にわたるときなどはどうだろう。」

私:「知恵」を含まないものが混在する場合にも本来の「知恵」との引き算をすることで応用できる。

息子:「当事者および「知恵」が錯綜する場合にも累積において該当する組み合わせを選択して検索および抽出すれば同様に処理できる。仲間同士の取り決めだから相手や状況に合わせて随時変更すれば良い。」

私:「以上は、第二の人生で中小企業等の経営者に提案したのと異なり、「家庭」を含む仲間同士の信頼関係によって実現可能となる。」

共有する「知恵」の内容

ここで、私は共有する「知恵」の内容について熟考してみる。 人間は発達した情報処理と記憶の能力を持っている。 個々人にとって情報の意味は相互に連関し、複数の人間によって共有される。 そして、複数の人間によって相互に共有された認識基盤を構成する。 この基盤上の共通認識が個々人の行動を規定し、仲間としてのコミュニティの安定性を保つ。 そして、個人の潜在能力の基盤となる健康で文化的な生活が保障される。 これはアマルティア・センのケイパビリティー(潜在能力)アプローチに適合する。 潜在能力アプローチは仲間としての個人が可能になる点を中心的要素とするものだからである。 社会的、文化的環境の中で作られていくジェンダーへの認識も時代とともに変化する。 「性同一性障害」ならぬトランスジェンダーもジェンダーとして考えなくてはならない。 だから性別に違和感をもつ人々を指すトランスジェンダーもジェンダーに含まれることとなる。 今は男女平等の時代だといっても一部に“男は仕事、女は家事”の考え方は残る。 家族、特に女性が担ってきた介護や保育の苦労が新型コロナウィルスによるパンディミックでさらに顕在化している。 国民が自ら選んだ為政者により崩壊させられた民主主義のもとではお上による改革は期待できるものではない。 責任は選挙民である自分自身にある。 誰もやってはくれない。 自分たちで回復のために「知恵」を出し合って出来ることから改善していかねばならない。 他人を変えることはできない。 まず自らを変えることだ。 自らを変えることができる仲間が力を合わせればできることだ。 ジェンダーについての偏見を捨て、そこに潜んでいる問題に気づくときである。 “お一人さま”ではじめるからその仲間がことをなせるのだ。 “お一人さま”は強いのだ。 その強い者が力を合わせれば怖いものなしだ。 家庭の意味 私は家庭を築いた後もモーレツ社員の典型として社内外での仕事、国内外への出張で家を空けることが多かった。 単身赴任で家庭を離れてのひとりでの社宅生活も十数年続いた。 その後、妻が親の介護のために実家に常住したのでまた十数年は単身生活だった。 ここでさらに単身生活が続いても今までと生活環境に変わるところはない。 妻と成人した子はそれぞれが独立した人格と個性を持った人間だからである。 そうすると、このような状態での家庭はどうあるべきだろうか。 それぞれが愛をこめて自分の役割を果たしていればそれ以上について負担を感じることはない。 法的・経済的・社会的にそれぞれが果たすべきことがらを認識していなければならないことは言うまでもないが。 それよりも、「知恵」を共有する仲間としてお互いの「ゆたかな生活」を追求しあえばよいことだ。 そして、私は「家族」の生活に余分な干渉をすることなく、家族を含む仲間と共にプラス人生を送らなければならない。 「家族」は過去に継続するこれからの「家庭」で生きるし、仲間はともにこれからを作っていくからである。 大伯父から受け継ぐ仲間を思う心。 尊属からの「知恵」の引き継ぎ。 伯母から懇願されている母方先祖慰霊のことがら。 「家族」は過去を引きずって生きるが、「家庭」は仲間と共にこれからを生きていくものである。 その中に創造されるプラス人生は仲間と共生するものなので、その中で意識に「知恵」が共有される限り存続し続ける。今まで企業は垂直に統合され、それぞれの企業間はほとんど物的結合で成り立っていたが、今日、各企業においては、その仕入れ先や顧客との結び付きが目に見えない精神的結合として実在し、そして、機能するようになってきた。 また、これからの産業界では、物的資産としての物やサービス自体の価値の提供とともに、それにも増して精神的価値としての知的無形資産を提供することの重要性が高まってきている。 そこでさらに、これら知的財産権としても保護されない無形の知的財産をも含む無形資産の法的、経済的位置づけを行い、産業財としての知的財産構成による知的資本を蓄積するために、創作的に知的資産を構成してコンテンツの流通を図り、新たな富としての経済的価値体系を創造することにより未来への遺産を構築することを考える。

新型コロナとやらが世界中で暴れまわり、次から次へと波が押し寄せてきて先が見えない。感染が広がらないようにするにはできるだけ外に出ないことだというので、どうしても家にこもっていることが多くなる。そうすると運動不足になりがちになり、体重の増加が気になってくる。その対策として、食事では多めの野菜を先にし、魚、肉の後に少量の糖質をとることとしている。いつもやっているストレッチ、筋トレ、体幹、ダンパー、スクワット、等は多めにすることにしているが、あまり外に出ないので、最も大切なウオーキングが不足気味となる。できるだけ食事量を減らすようにはしてるが、読書、執筆にはどうして軽くをつまみながらとなるので、もとの木阿弥になってしまう。どうしても前かがみの姿勢での仕事が多くなるので猫背になり、それを修正するための体操回数も増える一方となる。でも、音楽を聴きながらの執筆や読書は楽しい限りで、永久にこの時間が続いてくれないかと願うほどだ。しかし動画を見ながらの作業は思うに任せないのでなるべくその時間は減らすように心がけてはいるが、参考になるものもあるのでその時間が多くなってしまう。ところでパンディミックについては、2020年7月、未曾有のパンディミック真っ最中にロックダウン中のロサンゼルスで、大規模な撮影機材が使えないので、iPhone、GoPro、監視用カメラを多用して撮影された映画「ソングバードSONGUBIRD)」が公開され(日本では2022年10月7日公開)、現地米国で賛否両論の話題作品となっている。世界的パンデミックによって当たり前に思えた日常が一変し、新作映画の公開や撮影も次々と 延期・中断されたようだ。実際にロックダウンされていたロサンゼルスで撮影を敢行した戦慄のスリラー大作だ。2025年、新型コロナウイルスはさらに強力なウイルスに変異し、致死率56%、全世界の死者数は1億1000万人を超えたとの想定。その猛威によって、人々は厳格な感染対策ルールの厳守を余儀なくされ、感染者は「Qゾーン」と呼ばれる隔離キャンプに強制収容されています。数少ない“免疫者”である主人公の運び屋ニコは、感染が疑われた恋人サラを救うため、闇市場で売買されているという免疫パスのダミーを手に入れようと、陰謀渦巻く社会の暗部に足を踏み入れるというストーリーだ。アメリカでは予告編が解禁された時点で「不安をあおられる」という声もあがった本作は、公開されるや、すぐに大論争が勃発した問題作。2020年初頭に始まったコロナ禍も当時は誰もここまで長期化するとは予想していなかったはず。主人公の青年ニコは免疫者なので、自由に活動できる反面、他人との接触は厳禁。そんな彼には、ロックダウン下で知り合った恋人サラとは顔を合わせることも触れ合うこともできない。いわばコロナ禍における「ロミオとジュリエット」という要素も加わっており、現在の恐怖を過去のフィクションと将来に想定される恐怖をリアルと仮想世界を見事に結合させている。また、2022年12月16日に日米同時公開となったジェームズキャメロン監督の「アバター:ウェイ・オブ・ウオーター」では、現実の世界から仮想世界の戦略資源情報探索に派遣された兵士が、仮想空間で派遣元の理不尽な企てで仮想世界の平和が乱されることを知って、派遣元のリアルな軍隊と戦うというメタバースのさらに発展した形でのドラマが展開されている。同監督はかつて「タイタニック」および「アバター」で大ヒットを飛ばしたが、今回はメタバースの発展形態でのリアル世界と仮想世界との交流を描いている。メタバースは仮想世界とリアル世界をつなぎ、プライベートとパブリックな体験をまたぎ、自分自身が仮想世界の中に入り込み、そのなかに住んでいるという感覚が重要となる。 メタバースといえば、1992年にニール・スティーブンスンによって「スノウ・クラッシュ」が発表された。その中で近未来のアメリカで政府の代わりをしていてフランチャイズ経営される都市国家群が描かれ‘た。そんななか、主人公は巨大なVR(ヴァーチャル・リアリティー)ネットである想像上の場所「メタバース」に出入りすることになり、事件に巻き込まれる。ゴーグルに表出された画像とイヤホンに送り込まれた音声によって出現する世界だ。人間の画像は「アバター」と言われるソフトの一部で、この視聴覚体を使ってメタバース内でのコミュニケーションが行われる。メタバース=Metavaerseは超(meta)と宇宙(universe)を組み合わせた造語だということ。メタバースと言うとゲームの世界を思い浮かべがちだが、ビジネスや家庭生活にも適応される。1999年の映画「マトリックス」もメタバース的な世界を描いて大ヒットした。現実の世界での理不尽な人間関係を仮想世界との交流を図ることをメタバースで実現可能とすることができる。最近メタバースの参考になるようなものが多くなっているので、さらにその世界をさらに迫力あるシステムで実際に経験したくなる。これがゴーグルを使うケースが多くなると、それにはまり込んでしまわないかと心配だ。でも時代の進展に従い、仮想世界で過ごす時間が多くなることを考えると、その方法に早く慣れておかなくてはとも思う。眼鏡型とかコンタクトレンズ型が開発されて早く一般使用に耐えるようになってくれることを願うばかりだ。しかしながら、仮想現実においては必ずしもゴーグル等によらなければならない問題ばかりではなく、疑似的にその実感を得られる場合もあり得る。特に経済的問題解決に関することについてはメタバースでアバターによらなくてもよいこともあり得る。知的無形財産、特に人間の頭脳により生ずる「知恵」すなわち「ノウハウ」については視覚、聴覚、触覚等の五感によらなくても認識できることがある1。 さらにバランスシートに載らないオフバランスの「ノウハウ」については、資産としての取引ではなく「貨幣を介さない」で取引等ができるので必ずしも経済的問題解決を必要としない。リアル世界でもお金を使うことなく取引等ができる場合があるからだ。すなわち、お金を従来どおり使うことによって取引等をする場合には、リアル世界では通常どおりリアル世界でのお金による取引等とするか、仮想世界でNFTとブロックチェーンにかかるメタバースでの取引でおこなえる。この場合には仮想と現実の間を行き来しながら、すなわちメタバースとリアルの両方を使って問題解決をすることができる。そして、バランスシートでオフバランスの「ノウハウ」の場合にはリアル世界では資産勘定に掲載されないので敢えて取引等が必要ないことになる。この場合には敢えてメタバース世界で取引等をすることも必要ないこととなる。つまり、仮想世界でもオフバランス「ノウハウ」の取引等については、暗号資産を介することもできるし、介さないですることもできることになるからだ。これはオフバランスの「ノウハウ」取引等について「貨幣を介さない」で、すなわち「お金を使わない」でも可能なことにより資金難に対応できることで事業の継続をあきらめかけていることに対するナッジ(肩押し)効果を利用して、経営者や後継者にやる気を起こさせて中小企業等の知的資本の構築を促進させる効果があることに変わりはない。  したがって、リアル世界では不満足なので仮想世界を設定して、たとえばメタバースで自分の世界を改革しようとしても、オフバランスの「ノウハウ」取引等については「貨幣を介さない」で、すなわち「お金を使わない」で取引等が可能となっても、自身の肉体的あるいは生理的現象については改変不可能なので絶対的改革はすることができないことになる。すなわち、生活環境については自分の望むものに変更できるので、たとえば経済的問題解決については新しい世界を展開できるだけとなる。しかしながら、リアル世界での改善点として挙げているオフバランスの「ノウハウ」を「貨幣を介さない」で取引等ができることは同時に仮想世界でも同様の改善点となりますが、それ以外については、リアル世界では「ノウハウ」取引等にしか通用しなかった点を仮想世界、たとえばメタバース、では可能となる範囲を広げることができる場合もあると考えられる。仮想世界ではリアル世界での法律がそのまま適用されることはないからだ。すなわち、メタバースにはいろいろな長所があるので、リアル世界では得られない生活を求めることができるようにもなると思われる。スマホでも5Gの運用ができるようになったので、リアルタイムで他人と同じ体験を共有することができるからだ。。また、リアル世界では同一空間に入れる人数には限界があるが、メタバース世界ではその限界を外すことができる可能性が大。そして、映画「マトリックス」や「レディ・プレイヤー1」であったような仮想空間への没入はそう遠いことではないと思われる1。メタバースが完全に生活の一部となったときには日常生活も変化すると思われます。技術が進めば、触覚等の五感が再現されてリアル以上の快適空間が実現するかも知れません。今でも、新型コロナのパンディミックの影響もあり、就職活動も入社式も新人研修から社内会議にいたってもオンラインツールで行っている世代ではそういった環境が当然のように感じられるようになっています。今の若い世代は、もう新聞は読まないし、テレビも見ないでネット上の映像に浸って広範囲で自由なな情報収集をし、生活の非効率な部分を解消するとともに可処分時間を確保して余裕のある「ゆたかな生活」を求めています。卑近な例では、小学館等がメタバース空間「S-PACE(スペース)」を開発したことが挙げられます。これはPCやスマホから気軽にアクセスできるWebGL形式を採用し、操作性をよくするため、モデルの最適化、データの軽量化を追求している。そしてβ版では、バーチャル空間に広がる青空、一部の建物、ユーザーアバター、、試験コンテンツを実装している。今後、空間内を複数人で同時に体験できる「同時接続機能」、「決済機能」、「コミュニケーション機能」なども実装していく予定だという。また、NTTドコモはポストスマホの一環として「XR World」というメタバースコンテンツをリリースしている。より没入感があり、よりファッション性があり、より高い水準を満たすデバイスの追求だ。コンタクトレンズやメガネ型のデバイスが普及したときそこから得られる情報はパーソナライズすることが可能になる。 我々は無意識にお金に絶対的価値観を有していて、それをものさしに人間の価値や幸福感を測っている。誰もが総体的に一つの価値基準に沿って生きている。メタバースは一元的な価値観を壊すことができる。我々現代人はお金に絶対的価値を置いていて、その前提のもとに世界ができているのです。本来動物が所有していた感覚を研ぎ澄まして食料を見分けて採取する能力がなくしている。それを本源的に自分でできるようになればお金などいらないこととなる。現実に我々はあらゆるモノやコトについてその価値をお金で計り、そのお金で交換、取引、投資、購入、販売等の経済的行為を行っている。それが便利だから。しかしながら、その能力を蓄積活用することによって次世代への遺産を構成する人間の「知恵」、すなわち「ノウハウ」については必ずしもお金を使ってそうしなくてもよいはず。人間の脳がどうすべきか「気付き」、「知恵」としてその価値を生み出す「ノウハウ」についてはそうではないはだなど。その「ノウハウ」は言語で表現しても、映像で示しても、その他の五感のうちのどの感覚に基づいても本来お金で取引等しなければならないわけではない。現実の世界でお金(預金通貨、帳簿通貨、いわゆるキャッシュレス、場合によっては暗号資産をも含む)で取引等された資産については貸借対照表の資産の部に記載されることになっている。そうではない、すなわちバランスシートの資産の部に載らない「ノウハウ」はオフバランスとしてお金を使わないで取引等ができる。資産ではないからだ。先に述べた動物的感覚で食料を見分けて採取することを本源的に自分ですることなど思いもよらないとしても、自分の脳の「気付き」による「ノウハウ」については今も昔もお金で取引等が必須の要件ではなかったはず。ここまで来るとリアルの世界でも仮想世界でもできるほうでやれるようにすれば良いことになる。最もわかりやすく言えば、純粋に人間の脳が「気付き」により発する「知恵」すなわち「ノウハウ」は、たとえばモノの取引等を物々交換で行うのと同じように、「ノウハウ」そのものを交換等するのに何の交換媒体を要しない。したがって、この場合にはリアル世界での取引等だけでも経済的問題解決をすることができる。また、資産であるモノやコトは物々交換によらない限り、お金または暗号資産を交換媒体として取引等をしなければならない。この場合にはリアル世界では現状を変更できないので仮想世界で問題解決を図らなければならない。さらにオンバランス資産とオフバランス部分が混在しているときには、オフバランス部分を明確に分離できる場合に限ってそのオフバランス部分だけをお金を使わない取引等の範疇に含めることができる。このように今さら暗号資産を含めて全てを「貨幣を介さない」取引等にすることにはリアル世界であろうとも仮想世界であろうとも相当な無理があって「ゆたかな生活」を却って阻害することになる。それよりもオフバランスの「ノウハウ」だけでもお金を使わない取引等とすることからリアル世界で始めて、順次仮想世界での取引等にも広げていくのが懸命と思われる。いずれにしても、リアル世界と仮想世界の双方をフル活用してできるだけお金を使わない「ゆたかな生活」への改善を進めるべきだ。メタバースの本質的価値は現実世界で不可能なものを作れることだ。メタバース上で他者との共同創作を次世代の若者が活かしていく時代がすぐそこにある。リアルの世界の実生活をベースにして、メタバース世界で求める新たな世界を構築していくことによって人間の本当の「知恵」をフル活用することができ、次世代への遺産としての知的資本の蓄積ができる。現実の世界は人間の肉体をベースにして出来上がっているのに対して、メタバースの世界は人間の脳から発する「知恵」をベースにした精神的構造によるもの。 ここで、「知恵」をベースにした「ノウハウ」について、その活用による知的資本への家族の見解を聴いてみる。

私:「今の世界は、どちらかというと、情報化時代、デジタル化時代のネットワーク社会とはいうもののインターネットを基盤とするIoT、クラウド、スーパーコンピューター、量子コンピュータ、スマートフォン、人工知能等ハードウエアに依存しています。 また、ブロックチェーンのネットシステムに依存する暗号資産もあります。 これからは、「物的資本」だけではなく「知的資本」構築を重点とする「社会的資本」、「文化的資本」をも含む人間主体での資本運用・管理への展開が必要となります。」

娘:「より人間の行動や考えを大切にしていかなければならないということですか?」

息子:「「社会的資本」、「文化的資本」は大切ですが、あまりにも範囲が広すぎるかもしれませんね。」

私:「だから特に「知的資本」重視のアソシエーションにおける個人、組織、行政、政府がそれぞれのミッションを自覚して全うできる世界を目指すべきです。」

娘:「そうはいっても人間の「知恵」による「ノウハウ」も“モノ”にかかる“コト”から生じている場合が殆どだだと思いますが。」

私:「“モノ”の“コト”に合うような使い方への「気づき」の「知恵」がいわゆる「ノウハウ」となり、「知的資本」を構成していくのだから、その周辺の「社会的資本」、「文化的資本」さらには「物的資本」を合わせて考えていかなければなりません。」

息子:「その場合、民事と刑事の双方にわたって考えていくことになりますか?」

孫:「当然両方にかかってくることになります。しかし、今の経済社会では契約問題が多く、ほとんど民事事件については論じられてきたので、ここは刑事事件についても考えてみたいと思います。」

私:「例えば、企業内で知的資本を構成することになるノウハウ等知的無形資産にかかる特別背任事件や営業秘密漏洩事件が生じた場合や企業間で知的財産権侵害事件が発生した場合には民事とともに刑事事件が発生することになります。」

息子:「その場合は、刑事訴訟の対象になると思うが、普通の事件と違うところが出てくることはありますか。」

私:「人間同士の関係において動機と証拠を確定しなければならないので、「おとり捜査」が認められる場合があります。」

娘:「「おとり捜査」とは?」

私:「捜査機関又はその依頼を受けた捜査協力者がその身分や意図を相手に隠して犯罪を実行するように働きかけ、相手がこれに応じて犯罪の実行に出たところで検挙するものを言います。 さらにコントロールデリバリーといって捜査機関が犯罪を認知した場合、その場で直ちに押収等をせず、捜査機関の厳重な監視下に置いて、流通等を許容し、追跡することによって、取引に関与した者を発見し、一網打尽に検挙する方法もあります。 しかし、コントロールデリバリーはおとり捜査とは異なり、犯意を誘発するなど、捜査機関側から何らかの積極的働きかけがなされるわけではありません。」

息子:「経営者がみずからの任務に違背する場合は会社法による特別背任罪に該当し、会社の所有者を裏切る行為として犯人の意図や目的が重視され、刑法にある通常の背任罪より重く処罰されるはずです。

私:「次に評価・判定の標準化について今まで検討したことを整理すれば、次の基準および考え方のようになります。

自己所有設備等へ自己の「知恵」を直接投資する場合は、当該設備等への「知恵」投資単位あたりに生じた増加価値分が付加価値判定基準となります。 これはその「知恵」を実施できる設備等を自己の空き設備等として持っているときで、その設備等は本来の生産等に使用しないものであり、特に売却・譲渡・償却等しないものであればそれを自己の「知恵」実現に貨幣を介することなく使って生ずる価値を増加価値として判断基準とすることができます。 他人所有の設備等を使用して自己の「知恵」を直接投資して生産等する場合は、投資単位あたりに生じた差額分が付加価値判定基準となります。 この場合の取引の要件については他人が当方の「知恵」の使用を条件に当該設備等の使用を許可する場合はその結果生じた成果物は両者共有とすることができます。 すなわち、自己設備等使用のときと同様の扱いとなります。 「知恵」を交換する場合は実績記録を集約し、価値の差を分離してそれぞれ基準・標準化します。 その場合、それぞれの「知恵」の価値が明らかに同一のときは問題ありませんが、それぞれの価値が異なり、しかも一方または双方が複数の場合には容易には交換についての価値基準が設定できません。 そのときはいままで取引等関係者間のアクセスログを利用することになります。すべての行動データが1つのIDに紐付けられるということでオンバランスとオフラバランスが融合した体験が提供され、その時々に最適な「知恵」を融通無碍に選べるようになります。 そしてそれらのデータを自己の利益にのみにつなげるのではなく、相互の信頼関係を作っていくことで提供価値の増幅が可能となります。 そして、その取引等に関連するデータのうち「知恵」の価値判定に重要な意味を有するものを集約して該当項目ごとに分析し、最も好ましい項目を抽出して基準の核とします。」

私:「次に知的資本と金融の関係については次のようになります。

日常の生活のなかで今最も大切な事柄とされているのは何かについて考えてみます。 当然、衣食住及びそれらにかかる生活必需品は重要なものとして欠くことはできませんが、個人においても企業においてもそれらの「物」についての「情報」はそれ以上に必要不可欠とされるようになりました。 工場での大量生産においていかに売れるものを作るかのマネジリアル・マーケティングから、いかに上手く流通させるかのサプライチェーン・マネージメントまで「物」を制するのは「情報」です。 さらにその情報を使用しても、個人も企業も各自個別に対応していたのでは勝ち残れないとの自覚のもとに他企業との共働によるオープンソリューションで乗り切ろうとしています。

知的財産権と言われる特許権・著作権等及びそれらの権利に至らないノウハウ等の知的財産からなる資産を総称し一般的にて知的財産と言っています。 これらの財産により資本を構成した場合、知的資本という。 知的資本には人的資本をも含みます。 すなわち、ノウハウ・スキル等の人的財産に基づく投資によって構成される人的資産は知的資本として資本金に組み入れることができます。 金銭的余裕のない小規模経営者でも当該経営に必要な技術についてのノウハウ・スキル等を用いて投資を行い資本とすることができます。 今や、伝統的な無形資産のほかに、知的資産、人的資産・情報資産・組織資産といった企業価値の創造に大きな貢献を果たす無形資産の存在が無視できなくなりました。「ノウハウ・スキル」はもとより「のれん」や「ブランド」もインタンジブルズに含まれます。 近年では企業存続、事業継承の有効な手段としてのM&Aに伴うインタンジブルズの評価も重要な企業価値評価項目の一つとされています。 単に売上高や利益率を判断材料にするだけでなく、いかにクリエイティブな発想で仕事をしてきたか、そして未来に向けて発展する要素がどれくらいあるかに目が向けられますw。 M&Aを通じて獲得されたインタンジブルズを企業価値に結びつけるにあたり、理念、ビジョンの浸透、ビジネスモデルや戦略、経営目標、経営計画達成に係る実行力が重要な役割を果たします。 企業の買収において、支払った金額と買収先の純資産の差額を“のれん代”としているのが見受けられます。 この場合の買収では、ブランド力や技術力など目に見えないものも考慮して、残存資産額の 合計を上回る値段で買うこととなります。 即ち、各企業が持つブランド、ノウハウ、顧客との関係、従業員の能力等の無形財産を評価するのです。 つまり、買収金額から買収される企業の純資産をマイナスしたものをのれん代とします。 無形固定資産は企業の長い期間の地道な活動の積み上げによって作られます。 従って、のれん代を支払う意義は、買取側の無形固定資産を作るための時間を買うことにもなります。 物的資産や知的資産への膨大な投資ができない小規模企業においても、インタンジブルズという無形資産を有効に活用することによる新たな戦略展開が可能となります。 そのために、人々の知恵としてのノウハウ等のインタンジブルズを含むコンテンツを蓄積・流通させるためのインタンジブルアセットアーカイブをベースとした「ノウハウライブラリー」を企画・展開しました。 デジタルアーカイブ時代にいたってもなおハイブリッドに展開する知を保存し、利用に供することを使命とするためには、図書館の活動もテクノロジー環境の変容とともに再定義されなければなりません。尚、ライブラリーとして開かれた情報交換の場とするとともにパブリックドメインとなりえないものについてはクリエイティブコモンズ(作者の意志を反映し、適切にコンテンツが流通する仕組み) の考え方も導入する余地があります。 こういったあらゆる手段を視野に入れて、ノウハウ・スキル等コンテンツの蓄積・流通を通してインタンジブルズを生かした知的資産を構成し、知的資本の構築をしていくことを目的とするためにはその媒体として「ノウハウライブラリー」を介在させることを提案しています。 「ノウハウライブラリー」では、こういったあらゆる手段を視野に入れて、ノウハウ・スキル等コンテンツの蓄積・流通を通してインタンジブルズを生かした有用な知的財産を構成し、知的資本の構築をしていきます。」

今やAIブームといってもよいほどであり、囲碁や将棋の世界で名人が人工知能を搭載したコンピュータに負けたとのニュースが世界を走りまわっています。 しかしながらそれを作ったのは人であり、人間の知恵で作り上げたものに人間が負けるという矛盾だらけの議論を繰り返す前に、その問題を解決する方法を考えることを忘れてはならいと思います。 人工知能の研究開発を進めている先端企業も、AIシステムであろうとAI生成物であろうとも、本来の人間の「知恵」で作り上げられている現状を見失うと思わぬ落とし穴に落ち込むことになりかねません。ましてや、AIの知的財産権についても特許制度や著作権制度が本来制定された趣旨と意義を忘れないようにしなければなりません。必要な制度だから法が制定されたのであり、実態の変遷に従って対応する法改正が行われるのです。法に対応して実態を変えるのでは本末転倒だと思います。

また、我々は次のことにも留意し、できれば一度原点に帰って足元を固めなければなりません。

個人企業、小規模企業、小規模事務所について等閑視できないこととして情報のバンドル化の要請があります。 相当な技術開発活動をしていながらそれに対応すべきほどの知的財産管理部門を有していない小規模企業及び個人レベルで開業している事業者とそれらの代理人の情報を集約し、それぞれの知的財産管理ニーズを満足させる情報を提供するための情報サービス事業を展開することを考えます。 資源保有国ではない日本の産業は特許、ノウハウ等の知的財産(知的財産権だけではない)の蓄積、活用で世界と勝負しなければならない。 しかしながら、現実は大企業と大事務所間で膨大な受発注が行われることを通じて包括的知的財産権管理による国際的権利化処理が行われており、小規模企業や個人特許事務所の入る余地はありません。国際間の核抑止力のような戦略論議が繰り返されている。 さらに、個人レベルでは対処方法の煩雑さのため大企業等の後塵を拝することにもなる。 また、権利化処理のパワーについては大企業と大事務所の優位性を否定することができないのが実状です。 しかも、小規模企業や個人は権利化手続きをすることにつき資金的にも要員的にも他の経営資源に優先すべきかどうかの判断に迷うところがあり、代理人としての個人特許事務所はそうした悩みを有する者の存在を把握していたとしても一業種一社の制約から対応が難しい状況にあります。ましてや、権利化されない知的財産の処理についても不正競争防止法による営業秘密 の管理も充分とは言えないレベルです。しかし、人的資源を地道に的確に仕事に役立てている人や企業を忘れてはなりません。 日本の小規模企業には特徴のある技術・技能で世界市場において高いシェアーを誇るものも少なくありません。 ましてや昨今は、新規企業がベンチャーから発して、たとえばGAFAMのような、グローバル企業となることあります。 この風潮を先取りするために、地域に眠る優れた知的財産をバンドルして日本の知的資本を育成・構築できるチャンスを逃さないようにしなければなりません。 そこで、小規模企業と個人レベルの知財専門家間の情報流通を促進することにより、開発した技術やノウハウの蓄積・流通の仲立ちをするとともに、それらのうちの権利化可能案件を「ノウハウライブラリー」で開示し、それら専門家が同業種からの受任制限を受けることを少なくするようにしなければならないと考えます。 そうすることによって、事業者側には適切な特許等知的財産権または営業秘密を含むノウハウが蓄積され、知的財産専門家側では適切な顧客を適量確保できるようになります。 そして、市場制圧しようとするスタンダード、例えば優位企業によるデファクトスタンダードによる事実上の市場支配やパテントプールによる参入排除には対抗できない個人や小規模経営者にも知的資産の蓄積・流通の機会が得られることにより対応できるようにしなければならないと考えます。

次に、金融問題についても家族と話し合ってみました。 孫:「知的資本を考えるにあたって、金融との関係をどうするかも重要問題だと言えるのではないでしょうか。」 娘:「実体のある財産や取引、金融的な価値や損益と連動した指標の全部もしくは一部に支払いが連動した経済的収益・損失をもたらす金融的な取引や金融商品にデリバティブ(金融派生商品)があります。典型的には先物、オプション、スワップがあります。」 息子:「また、金融サービス仲介制度は、一つの登録で銀行・証券・保険のすべてのサービスの仲介ができる制度で、利用者保護を図るものです。」 私:「さらに預託法、正確には「特定商品等の預託等取引契約に関する法律」が成立し、消費者に対し貴金属や宝石やゴルフ会員権などの施設利用権等販売し、その商品等をひきわたすことなく、代わりに預かり証等を交付し、その商品運用することで購入した際の金額以上の利益を得ることができるとして特定商品等を購入させることに関する預託取引が広く制約されることとなりました。」 娘:「また、デリバティブについても注意しなければなりません。」 私:「実態のある財産や取引、金融的な価値や損益と連動した指標の全部もしくは一部に支払いが連動した経済的な収益・損益をもたらす金融的な取引や金融商品をデリバティブといいます。」 娘:「取引と金融商品の違いは?」 私:「取引は当事者同士の相対の契約によるものをいい、金融商品は当事者の一方である金融機関等により高度に定型化されているものを言います。」 娘:「デリバティブのうち特筆できる点は?」 私:「当事者間の取引で銀行から実際にお金を借り入れる必要がなく、バランスシートに資産と負債が両建てになることもないオフバランス取引があります。」 次に無形資産の担保 について話し合いました。 孫: 「無形資産が担保となるという動きがありますが。」 娘:「土地や工場などの不動産だけでなく、無形資産を含めた事業全体を担保として、企業が銀行から借り入れできるように法制化される動きがあるようです。」 息子: 「確かに二年ぐらい前から新聞等で、それまで銀行では原則として知的財産権等の無形資産は銀行借り受けの担保にならないとされていたのを変更して積極的に担保化可能にしていく動きについて報道がありました。」 私: 「法務省が担保法の見直しに向けて金融庁も含めて2021年に議論を公開したものです。 無形資産を含めた事業全体に対する事業成長担保権を検討するという内容です。有形資産に乏 しくとも将来性があれば事業全体に対する担保権を設定できようにするとのことでした。」 息子: 「無形資産に含まれる無形財産のうちのオフバラン部分が資産勘定にならないことに よる貨幣を介さないで取引等が可能なことと関係はあるのですか?」 私: 「2020年頃からうわさにはありましたが、このたび政府が新法制定を目指す方針を固めたと 一部新聞による報道があったことは事実です。 銀行が評価できるものであれば無形資産も担保の対象になるということで、国家経済、金融 政策の一環として、中小企業の資金難に対する融資の幅を広げようとするもので、銀行の融資戦略や国の税制と関係してくるものだから、基本的に観点は異なり直接的に影響はないものと考えます。」 さらに 貨幣を介さない取引について、オフバランスたる「知恵」が「貨幣を介さない」で取引等が行われた場合にはどのような処理が行われるべきかについて検討しました。 私:「オフバランスたる「知恵」は資産ではないのでそのままでは処理の対象になりません。 したがって、オフバランスの「知恵」についてアクセスログから登録さされたデータ等を参照して独自の評価をすることになります。 これは必ずしも利益が期待できるわけではないので損益の認識を繰り延べる評価をすることができることになります。 すなわちオフバランスたる「知恵」の取引等は損益の評価をすることなく処理ができることとなります。 そして、取引等の結果で業績増大すれば自己資本利益率向上に資することができます。 しかし、「貨幣を介する」か否かで全体を2分したオフバランス以外のオンバランス資産は従来どおり資産を構成するので損益を認識できることとなります。 すなわちオフバランスの「知恵」の取引等は損益の評価をすることなく処理できますが、それ以外のオンバランス資産の取引等は従来どおり損益を評価して処理されることとなります。 さらに、取引等の結果は「貨幣を介する」場合の損益だけで処理されることになります。 でも、取引等の結果の業績評価では「知恵」で価値増加した分が付加されることとなります。 したがって、「貨幣を介さない」取引等は会計上資産によるものとしては現れない業績をあげることができることになり、それは一般の処理とは別になされることとなります。 すなわち、会計上の資産ではないとはいうものの、業績上の評価に貢献するものなので、内部的には資産と同等に項目をあげて管理し、取引等の評価対象項目とします。 例えば、取引上対象となる一般資産とともに「知恵」の項目をあげて相手方とM&A契約交渉をする場合に譲渡側は「のれん」の価値を主張することができる効果があります。 この例えのように「知恵」のみの取引交渉のみならず、「知恵」とともに一般資産を含む取引等における契約交渉でも一方または双方が一般資産とともに「知恵」の項目をあげて条件交渉をすることができます 。 次に金融商品(デリバティブ)等について皆で検討しました。 息子:「金融商品のなかでデリバティブと言われる金融派生商品は資産を圧縮して貸借対照表上資産隠しができると言われていますが?」 私:「その場合、確かにバランスシート上で資産とならず、オフバランスとなることがあります。しかし、期間計算上そうなるだけで、決算時には資産勘定となってオンバランスとなります。 それよりも、知的資本を検討するにあたってノウハウ等知的無形財産で貸借対照表の資産に計上されない部分があります。 知的資本を構成する要因として人の「気付き」による「知恵」でいわゆる「ノウハウ」の中でバランスシート上オフバランスとされる部分です。」 息子:「その場合の効用は?」 私:「そのときには、自分の「知恵」や「ノウハウ」を交換・取引するには貨幣を介さないですることができます。」 孫:「無制限にですか?」 私:「あくまでオフバランスとされるのは財務諸表上の資産勘定として計上されることがない場合に限られます。 「知恵」や「ノウハウ」を自分で創作した場合、会計上の貨幣価値を算定できないから資産として計上しないのであって、第三者からそれを有償で購入したときには当然、その価格で資産計上され、オンバランス勘定となります。」 孫:「どうしてそうなるのですか?」 私:「自分で創作した場合、資産としての評価を確定できないし、勘定として不安定だからです。」 娘:「先物取引等デリバティブの場合はオフバランスとなるので、貨幣を介さないで取引等ができるのではないのですか?」 私:「先ほども触れたように、期間計算上そうなるだけで、決算時には資産勘定となってオンバランスとなるので原則として資産として貨幣を介して取引等される対象となります。 ただし、仲間同士の取引に際して「ノウハウ」・「知恵」の受け渡ししか行われない場合には先物取引等デリバティブの場合でもオフバランスで「貨幣を介さない」取引が可能となります。この場合、「ノウハウ」・「知恵」を含んだオンバランス資産ならオフバランスの先物取引等で将来にわたって「貨幣を介さない」で「知恵」の蓄積を可能とします。」 孫:「「貨幣を介さない」とは「お金を使わない」ということですか?」 私:「そうだ。すなわち「金銭を支払うことなく」交換や取引や投資ができるということです。」 娘:「貨幣というと今では硬貨のことだと思っていますが?」 私:「それは紙幣との区別をするためにそう言っているだけで、趣旨からいうとどちらも通貨ということです。」 息子:「今、われわれはカードマネーを使うことも多くなっていますが?」 私:「実際にはカード等を使って預金から支払っているだけで、ネット取引についても同じことが言えます。 したがって、預金通貨や帳簿通貨を使って取引等をしても貨幣を介していることになります。」 息子:「ビットコイン等暗号資産(仮想通貨)での取引等についも「貨幣を介して」と言えるのですか?」 私:「ビットコイン等暗号資産(仮想通貨)は電子データのみでやりとりされる通貨であり、法定通貨のように国家による強制通用力(金銭債務の弁済手段として用いられる法的効力)を持たたないので必ずしも貨幣と言い得ない点はありますが、高額な電気代を使ってマイニング(暗号資産の発掘)をしているので産業を構成する手段で生成されており、当事者間の取引等においては「貨幣を介して」と言えます。 しかし、ビットコインは実物資産による価値の裏付けを欠く電子データにすぎないことも事実で、単なるバブルだと考えている人も少なくありません。」 次に先物取引について議論しました。 私:「先物取引とはある商品を数カ月先のある時期に受け渡しすることを条件とする売買契約を締結し、その時期が来る前に転売や買戻しをすることにより、実際には商品の受け渡しをしないでその間の値動きの差金決済により損益を出して終わらせる取引をいいます。」 孫:「その取引で一般に問題とされていることは何ですか?」 息子:「投機性・危険性を隠蔽して委託証拠金交付させる行為、実際には取引をせず自身が相手方となって売買を成立させるいわゆる呑み行為、預かった金を様々な手口で自分のものにする客殺し商法などがあります。 娘:「でも、「貨幣を介しない取引」では問題にならないのではないのではないでしょうか。」 私:「商品先物取引法では悪質な取引仲介業者等が先物取引の知識が不十分な主婦や高齢者等の消費者を勧誘し、委託証拠金を等の名目で金銭を巻き上げるのを防ぐことをも目的とします。したがって、個人間や仲間の間での貨幣を介さないで先物取引で仲介業者が入らない場合には問題になりません。」 さらにシェアリングについて話し合いました 私: 「「ノウハウ」等の「知恵」のシェアについてはどうでしょう。」 孫: 「「知恵」は貨幣を介さない取引の対象になるとのことですが。」 娘:「オフバランスならば資産とならないから、お金による取引でなくてもよいことになります。 息子: 「でも、その取引が当事者同士のものならよいでしょうが、「仲介」を業とすると問題があるのではないですか?」 私: 「銀行法や弁護士法等に抵触しないようにしなければなりません。すなわち「行として」「仲介を「することのないようにしなければなりません。すなわち、反復的にまたは反復の意思をもって仲介事務の取り扱い等をし、それが業務性帯びることのないようにしなければならないということです。」 さらに貨幣を介さないで取引ができるメリットについて 息子: 「貨幣を介さないで取引ができるということにはどのような根拠があるのでしょうか?」 私: 「一般に金銭によらない投資の場合、その投資に対応したメリットについての事前の期待に照らして事後のメリットを把握することができるという期待を持てるかどうかを根拠とします。 すなわち、金銭以外による投資のときは、事前に投資の利益が期待できることがある場合には投資後の成果を把握できるということです。 交換によって移転する資産に対するリスクから解放された時には損益を認識し、必ずしもそのリスクから免れていないのであれば損益の認識をしない処理を選べることになります。 すなわち、金銭での交換による場合には損益を認識し、金銭によらない資産投資は損益の認識を要しないでよいことになります。 しかし、金銭によらない資産の場合については一般的に述べているにすぎません。 そこで、オフバランスたる「知恵」が「貨幣を介さない」で取引等が行われた場合にはどのような処理が行われるべきかについて検討することにしましょう。 オフバランスたる「知恵」は資産ではないのでそのままでは処理の対象になりません。 したがって、オフバランスの「知恵」についてアクセスログから登録さされたデータ等を参照して独自の評価をすることになりますw。 これは必ずしも利益が期待できるわけではないので損益の認識を繰り延べる評価をすることができることになります。 すなわちオフバランスたる「知恵」の取引等は損益の評価をすることなく処理ができることとなります。 そして、取引等の結果で業績増大すれば自己資本利益率向上に資することができます。」 息子:「オフバランスの場合はだいたいわかりましたが、それ以外についてはどういうことになるのでしょうか?」 私:「「貨幣を介する」か否かで全体を2分したオフバランス以外のオンバランス資産は従来どおり資産を構成するので損益を認識できることとなります。 すなわちオフバランスの「知恵」の取引等は損益の評価をすることなく処理できますが、それ以外のオンバランス資産の取引等は従来どおり損益を評価して処理されることとなります。 さらに、取引等の結果は「貨幣を介する」場合の損益だけで処理されることになります。 でも、取引等の結果の業績評価では「知恵」で価値増加した分が付加されることとなります。 したがって、「貨幣を介さない」取引等は会計上資産によるものとしては現れない業績をあげることができることになり、それは一般の処理とは別になされることとなります。 すなわち、会計上の資産ではないとはいうものの、業績上の評価に貢献するものなので、内部的には資産と同等に項目をあげて管理し、取引等の評価対象項目とします。」 娘:「具体的には?」 私:「例えば、前にも言ったが、取引上対象となる一般資産とともに「知恵」の項目をあげて相手方とM&A契約交渉をする場合に譲渡側は「のれん」となるべき「価値」を主張することができる効果があります。 また、「知恵」の取引交渉のみならず、「知恵」とともに一般資産を含む取引等における契約交渉でも一方または双方が一般資産とともに「知恵」の項目をあげて条件交渉をすることができます。」 孫:「そのような効果をあげるためには相当な配慮がなされてなければならないと思いますが。」 私:「そのとおり、「知恵」や「ノウハウ」に気付いたら、常にその「見える化」を図り、資産勘定以外についてもその成り立ちや根拠を記録しておく必要があります。」 娘:「通常の会計処理では勘定科目にならない場合は記録として残さないのが普通ですが?」 私:「会計計算での勘定科目ではないものだからこそ自己独自の記録として整理しておき、交渉にあたって先手をとってそれら「知恵」や「ノウハウ」が有する価値を相手に主張して、妥当な評価を得るために役立たせるのです。」 経済的メリットについても話し合いました。 息子: 「貨幣を介さないで取引ができることのその他のメリットは?」 私: 「資金繰りに窮している中小企業等への直接的効果があるとともに、そのような企業主が事業を継続するために「お金を使わないでもできる方法があるならここで諦めることはないな」と思わせる心理的後押しをして、本当は撤退しようとしている事業者に奮起一発「ゆたかな生活」推進に貢献させることです。」 娘: 「そこまでいくにはそう簡単にではなく、かなりの工夫が必要だと思いますが?」 私: 「そのとおり。日本の中小企業等が古来から有する世界のどの企業より優れた「ノウハウ等」を持っているので、それを活用することによって、持続可能な開発ができ、大企業や海外列の強にも対抗できる態勢を組むことができることを知らしめることです。」 息子:「そして、次世代への遺産としての知的資本というさらに大きな財産を手中にすることができます。」 孫: 「それこそ「ゆたかな生活」への王道だと言えますs。」 私: 「日本には大開発につながる優れた要素技術としてのノウハウを持っている個人・零細企業が豊富に存在するにもかかわらず、それらが使われることなく自身の内にしまい込まれてしまい、使われることがないままに忘れ去られてしまいます。 そして残念なことに、それらに気付いた列強に先を越されてしまうことが多いのです。 日本人によるiモードがiPodに活用され、その後iPad、スマートフォンとして世界的大ブームにつながったことを忘れてはならない。 日本にはアメリカ人のように開拓精神に富んだ起業家が少ないのです。 だから、下手にアメリカに追従するのをやめて、本来的に持っている極意伝承の精神を生かして日本特有なノウハウを活かしていくべきです。 そして、いくつもの同業企業が競い合って潰しあうことをやめて使える「知恵」を集めてノウハウの一本化を図ることが大切です。 各企業がお互いに「気付き」あうことによる「知恵」の活用により、皆のノウハウを活かしあうことです。 バランスシート上資産とならない自己のノウハウ等知的無形資産のうち「知恵」、特にオフバランスで「貨幣を介さない」取引等についてはお金を使わないで取引ができるメリットがあります。」 息子:「金融業界やそれによって支配される産業界にも問題があると言えるのでは?」 私:「金融業界では内輪で資金を回し、民間企業では株式価値最大化のため自己株買いのために資金をまわして為にする取引をしていることも多い。 個人や一般家庭でももっぱらお金だけが「ゆたかな生活」の全てだと考えられていることが多い。 今や、そうではなく、各界が自らのミッションを全うすることで「ゆたかな生活」を求めることができることに気づかなければならない。」 娘:「我々民間でも同じことが言える。」 私:「本来交換の媒体である貨幣を商品化し、お金によってお金を増やそうとして蓄財の対象にしてしまっていることは何ら「ゆたかな生活」役に立たないことに早く気付かなければならない。 このままでは次世代への遺産としての知的資本蓄積はままならない。そのために、「知恵」の「貨幣を介さない」取引について追求する。 そのためには他人を変えるという改革より、自分および仲間同士の当事者による「知恵」の先物取引でも家庭や仲間レベルで改善可能になるように「知恵」を働かせる。」   私: 「知恵」のやりとりの結果を活用するためにその情報を共有する。 そのために個人を中心とするオープンなプラットフォームが有効となる。 すなわち「知恵」を仲間うちで共有して人々を中心にあらゆる情報をオープンに活用してともに価値を創造する。 価値の創造を重視し、誰がどの「知恵」を活用したかを後から検証できるようにしておけばいちいち同意を必要としない。 活用の記録を残しながら、その目的にかなった使い方をすれば、パンデミックや経済的パニックが起きたときは、同意なしでも特定のミッションを背負った人々にデータの使用を許可できるようにする。 同意が必要な案件でも、非常事態の場合には必要な範囲で使える旨の取り決めをしておけば問題は解決する。 さらに、このプラットフォームの利用者相互の紹介により新規利用者を獲得することができる。 既存の利用者にはインセンティブを与えることにすればその効果は抜群に向上する。 仲間と「知恵」の共有 ここで、集まった仲間の間で共有の基礎とされた「知恵」をベースとして活用について妥当な取り決めをする。 娘:「ではその取り決めはどのように設定すべきでしょうか。」 息子:「たとえば、次のようにしたらどうでしょう。仲間の一方が「知恵」を持っていて他方がその「知恵」を使って活用する場合、両者間で合意が出来た範囲でその「知恵」を使い合えるとします。 すなわち一方が製造方法の「知恵」があり、他方がそれを製造する設備があってそれぞれそれ以上の資金がない場合に双方無償で使いあうことで活用することができるとします。 次に、一方の「知恵」と他方の「知恵」を交互に活用する場合、すでにそれぞれが蓄積している「知恵」を比較しあって合意の上で使いあい、その実績を記録して活用度を確認します。例えば、双方が活用について別々の「知恵」があるがそれ以上の活用資金がない場合に、持ち寄った「知恵」により新たな活用をしてその成果を無償で利用する。その累積において必要が生じたときには過去の実績に応じて差し引き評価すこととします。 娘:「共有等が複数にわたるときなどはどうでしょう。」 私:「知恵」を含まないものが混在する場合にも本来の「知恵」との引き算をすることで応用できます。 息子:「当事者および「知恵」が錯綜する場合にも累積において該当する組み合わせを選択して検索および抽出すれば同様に処理できます。仲間同士の取り決めだから相手や状況に合わせて随時変更すれば良いのです。」 私:「以上は、第二の人生で中小企業等の経営者に提案したのと異なり、「家庭」を含む仲間同士の信頼関係によって実現可能となります。」

サイバースペースにおいて、メタバースの「誰もが現実世界と同等のコミュニケーションや経済活動を行うことのできるオンライン上のバーチャル空間」ではリアル世界での自分とは姿や声を変えて想うがままに行動することが出来、本当にこうありたいと思う自分になることが出来るとも言われている。しかしながら、サイバースペースでは所有権が認められるわけではない。所有権は人が物を排他的に支配する権利だからであり、物は有体物でなければならない。また、所有権がなくとも自己のためにする意思をもって物を所持することによって得られる占有権もそれが物でない限り主張できない。ただ、自己のためにする意思をもって財産権を行使する場合には準占有権の主張ができるとされているだけ。したがってサイバースペースでは「所有権」、「占有権」の主張を安易にすることは避けなければならない。すなわち仮想空間上の「物」の解釈を勝手に変えることにより、リアル世界の法解釈を変えることはことは避けなければならない。しかし「準専有」の解釈次第では、仮想空間上の財産権を保護できるかもしれないとも考えられる。そうはいってもリアル世界の法制で認められる占有訴権を仮想空間上の財産権に適用できるとなるかどうかは慎重に考えなければならない。仮想空間上の裁判所とリアル世界の裁判所の判断基準に矛盾を生じることがあるかはいまだ不明。このことからも、リアル世界でも仮想空間でも会計上バランスシートの資産に該当しない「知恵」すなわち「ノウハウ」を上手く活用することを今後の課題としていきたいと考える。私がそのような仕組みを開設しようとするにいたったのはどうしてかということを少し具体的に述べてみようと思う。とりあえず参加される方々の便利のためにホームページを開き、利用される方々の勝手のために、「ノウハウライブラリー」

、「ノウハウサロンであいましょう」、「ノウハウ活かしてレジリエンス」という3冊の出版をした。その「ノウハウライブラリーおよび「ノウハウ」の基礎となる具体的体験についてはかなり多岐にわたるので、順を追って説明する。 まず、今から50年以上前、最初に務めた会社で聞かされたのがアルマイト(アルミニウムの表面処理被膜)の発明について何とも言えない奇妙な感覚を得たことに端を発する。理化学研究所で研究者が腐蝕されやすいアルミニウム製品の表面を強化するための表面処理としての陽極酸化皮膜の性能テストをしていたとき、どうしたことか、ある特定の試験材料だけが、高度な耐腐食性を得たことに気がついたことから話は始まりまる。当時、表面処理したアルミニウムは表面が硬い皮膜に覆われているので日用品家庭器物に使われるようになっていたが、一つ難点があった。耐腐食性に劣るということだった。例えばアルミニウム製の弁当箱で日の丸弁当(ごはんと梅干し)を作って持っていくと、穴があいてしまうことが問題となっていた。日の丸弁当の梅干の酸に犯されてしまうからだった。アルミニウム陽極酸化皮膜には電気分解による陽極酸化処理時にÅ(オングストローム:1mmの 1000 万分の1)単位の微細な穴が明き、

多孔性となっていたのでそこから侵食されてしまっていた。ところがその問題があった陽極酸化処理済みの材料がひよっとしたことで熱湯にしばらく浸かっていたようで、それだけが抜群の耐腐食性を示した。多孔性の被膜が熱湯に浸かることで多孔性被膜の微細な開口部を高熱蒸気圧力で塞ぐ、いわゆる封口処理がなされていた。その後、工業化の段階では、熱湯に漬けるのではなく、高温高圧蒸気缶に入れて行う蒸缶処理でその封口処理行うようになった。このように思いもつかなかった偶然から、大発明というより実際の生活環境を変えていくようなノウハウが育っていくことがあるのを理化学研究所の実験工場を企業化した会社の工場実験室の現場で実際に目の当たりに見ているような感覚で聞かされた。そしてこのようなアルミ材が多くの基幹分野で使用されるようになるとさらに電気泳動塗装法等による塗装も施された高級品が出回るようになった。電解皮膜の上に電気泳動で塗装するというものだ。非常に手間とコストのかかる方式だったので、アルマイト発明工場であった私の所属企業ではもっと合理的な方法はないかと考えた。当時はアルミサッシ等の建材が主力商品となっていたので、材料は長尺のものが多く、特にアルミサッシでは押し出し型材といってインゴットを特定形状の金型スリットを通して高圧力で押しだし、金太郎飴のようにどこで切っても同じ形状の断面となる長尺材を切断し、表面処理後組み立て加工する方式が主流でした。その部材は処理槽のなかで加工するので、材料はすだれのように横吊り方式によって処理されていました。そこで一つには、何も電気泳動など使わなくとも水溶性塗料にどぶ漬けする方式でも後で炉中で熱硬化させれば陽極酸化も電気泳動も必要ないのではないか。複雑断面形状の長尺材を横吊りにすると塗料の垂れや溜まりがでるのを防げない。そこでなんとアルミ長尺材の縦吊浸漬塗装法を考え出してしまった。すなわち、サッシ等に組み立てる前の7メートル以上のアルミ長尺材を熱硬化型水溶性塗料に縦吊りどぶ漬けして加熱する塗装法を工業化した。そして、さらにアルマイト工程を省略してしまいまった。でアルミ表面にベーマイトという酸化皮膜が形成され、塗料樹樹脂との架橋により強固な被膜が一発で仕上がり、しかも垂れも溜まりも無い断面複雑形状の美麗な長尺建材ができあがるという画期的なものになった。アルマイト(陽極酸化処理)を施したうえにさらに塗装をするということをしなくても水溶性塗料の熱処理段階ではすでに薄いけれども非常に安定したアルミ酸化皮膜(ベーマイト)ができており熱硬化樹脂との”架橋反応で塗料と密着する性質を利用した・。この方式は、ある塗料会社と共同して開発したもので、アルミニウム建材屋と塗料屋がそれぞれのノウハウを出し合って通常の業務の中で作り上げたものでこのノウハウによる方法は国内外の同業を含む多くの会社にライセンス供与された。その結果、自社及び業界の生産性向上に寄与するだけでなく、塗料会社は塗料が売れる、我が社にはライセンス料が入るということになった。このように理化学研究所での決してアカデミックではないが日常のちょっとした変化を見逃さない発見や金属屋、機械屋、化学屋とともに各現場の人びとのスキルとノウハウの結合が生んだ賜物だった。 この会社はアルミサッシのメーカーでもあったたのでいろいろなバリュエーションの商品を考えてはいた。特に防寒対策用に性能のよい二重サッシが要望されているとこだった。しかし、ビル用ならいざしらず、住宅用では窓開口の前後方向にそれだけの収納巾がとりにくく各社苦慮していた。あるとき、北陸のお客さんがおもしろいものを考えたとのニュースが入った。伺ってみると大雪により二階から出入りしなければならなくなるような雪国には“雪囲い”といって雪が窓の上までいっても困らないように窓枠の外に雪をその部分だけ避けるように囲いの枠を組むのだそうで、その役割をするサッシを考えたとのこと。内容はサッシの下枠、上枠を窓の敷居、鴨居の外側に出して取り付け、ちょうど“雪囲い”を出窓のようなサッシで構成する形のものでした。当初は“雪囲いサッシ”などと呼んでいたが、普通のサッシの外側に付けられるので“外付けサッシ”と呼ばれるようになり、雪国でなくても便利な二重サッシの構成部分として重宝がられた。しかしながらわれわれはさらに新しい発想を得た。普通のサッシは窓壁の内側に付けられるのだがこの外付けサッシは窓壁の外側に出ていて開口部の左右に広げて取り付けられるのでサッ枠の内側に収められる引き違い式窓障子部分が左右の縦柱でストップさせられず、窓開口部分を全開にすることができる。すなわち左右の引き違い障子が左右の壁の外側のサッシ枠内に収まってしまって窓開口部には残らないことになる。これがいわゆる“リケンの『全開サッシ』”として今はなき柳家小さん師匠によるテレビコマーシャルで全国的に有名になったもだ。普通のサッシは引き違い障子の一方が開口部を塞ぐのに、全開サッシは障子は全部壁の外に収まってしまって開口部全部が外気とツーカーとなってすがすがしい外気を窓開口部全体から取り入れられるものとなった。このように北陸の普通の方が防寒対策用に雪国特有の慣習的ノウハウに基づいて思いついたアイデアがむしろ温暖地方でも便利なサッシとして全国的に著名となった商品への展開を見せたことはこのノウハウライブラリー構想への原点となったといえる。しかし、それよりもこの全開サッシのもととなった外付けサッシは業界各社が競って商品化することとなり、当社が差し止め仮処分申請をすることなったことも忘れられない思い出となった。 技術ノウハウ及び経営ノウハウの結合とそれを敷衍する考え方 アルミ建材の前から伝統的に作っていたのは、“なべ、やかん”のたぐいの日用品家庭器物だった。当時、なべややかんは誰が作ってもほとんど同じ格好になるものでした。それでもメーカーとしてはデザイン室に東京芸大の先生を迎えて全体の形状の新規性を追究したが、売れるのはごく普通の形のものでしたので、一般需要者用としては、そのなべややかんの蓋のデザインで特長を出すので精一杯でした。そんなとき我が社の製品の蓋につけた柄のデザインにそっくりな商品が市場に出ていることに気がつきました。警告を発したらすぐ責任者が飛んできて、 「実は韓国から輸入しています。わが社はその輸入販売をやめますから貴社が引き継いでくれませんかか?」 とのことでした。 意匠権の効力にも限界があり特に本件のようにアルミニウム製蓋の表面に転写方式で模様を付して製造するデザインのケースでどこまで権利主張できるか問題のあるところです。模様が本体を形成するときに一体的につけられるものなら権利範囲に含まれるとするのに問題はありませんが、そうでない場合は必ずしも権利範囲に属するといえない場合があるからです。権利主張に問題は無いとしても係争となったら膨大な費用と時間を浪費することになるので、双方に得はないことは明らかです。マーケティング調査をしたところ品質に問題はあるもののコストは非常に安いことがわかりました。品質さえ維持できれば意地を張って差し止めて自社生産だけをするよりも生産販売ルートを確立しているその製品を自社商品としてさらなる拡販に利用した方が有利だと判断されました。 そこで、「意匠権侵害についてはとやかく言いませんので、とにかく当社の製品として満足することができるものを作ってくれるませんか?」 ということで決着をつけました。 そして、その韓国企業に技術指導をし、その企業にインスペクターを常駐派遣して当社が輸入販売することにより自分の工場で作るものにプラスすることにしました。これは、知的財産権侵害に対する権利行使の問題やライセンス問題を越えて知的資産をいかに効果的に活用するかの経営ノウハウにかかる知恵の問題とも言えましょう。しかしながら、こういう場合にも注意しておかなければならない問題がある。 「工場に増産の余力があるのに外注生産するとはなにごとぞ」、 という組合問題が発生したことです。このような経営戦略をとる場合にも労使間の事前協議が重要なことを学ぶことができる。 経営ノウハウについては独立系コンピュータソフトウェア開発会社で培った素敵な知恵がノウハウライブラリーの原点にある。業務用コンピュータ導入期には、大企業や官庁でエリートコースに乗っている者ほどコンピュータ室に配属されることを恐れた。一見カッコ良さそうでも実は今までのキャリアがなんの役にも立たない肉体労働を含む単純作業が多く、エリートコースから外れることとなることを意味していたからだ。アメリカで時代の潮流を読んだ当社の創業社長は、むしろそこに目を付けて学卒ではないコンピュータソフトウェア要員を送り込んだ。その後の経営哲学によるカリスマ経営は多くの方の知るところだったが、社員にいつも言っていたことを今さらのように思い出す。そそれは 「ピンチをチャンスに」 というものだった。それに含まれるノウハウは数多くあるが中でもマネジメントに対する 「クレームには飛んでいけ」 というのがあった。 「お客様は怒っているときこそ本音を語る。それを聞き逃さずすぐさま実行しろ。」 というわけです。また、それらを実行するために「三つのWith」というのがありました。 「共に語り、ともに考え、共に行動しよう。」 というのだった。「お互いの知恵とノウハウを共有してそれを実現しよう。」ということだ。 ソフトウェアとハードウェアでのサービスに関しては、遊技機メーカーにおけるパチンコに関する経験がある。 まだ小学校に上がる前だったが、自宅の近所のお店の遊戯機に10円いれて玉をはじいていたら鉄の玉がグルグル回った後でたくさんの玉がジャラジャラ出てきた。そのたくさんの玉と交換に係の人が10箱以上の森永ミルクキャラメルをくれたので、母親のところに持って行ったら 「すぐ返してきなさい」 と言われた記憶がある。 幼少のころ遊戯機に投入した10円玉が森永ミルクキャラメル10箱以上に化けたことで驚いたでもおわかりのように、最初にパチンコ機と言えるものに接したころには、コリントゲームという木製の遊戯版を平らに置いて木製の棒でこれまた木製の玉かガラス玉かを突いて盤上の穴に入れるものしかなかった。パチンコ機はこれを縦置きの鉄製の箱に入れて遊技できるようにし、穴に入ったら5個、10個、15個等の懸賞玉が出る仕組にしたもので、その球の打ち出しは1個ずつ自分で玉を入れ、ばね式発射ハンドルで一個づつ打ち出すものだった。その後ブームになりいろいろな機械が出たが、機械の裏には係の人がいて、球の補給・機械の操作等を行っているものだった。それが電気式になり、連発式になり、電子式になり、カード式になり、さらにコンピュータゲーム式になり、機械はコンピューターそのものだし、店のコントロール機械はコンピュータネットで制御され、AI化されるという進化を辿った。 全く形態の違うハードを扱う軽金属メーカーとソフトを扱うコンピュータの情報処理会社での経験を積んだ後、まさかそのパチンコメーカーで知的財産管理の仕事を続け、その子会社としてコンテンツの流通会社を設立してその代表取締役としてノウハウライブラリー創設の原点となろうことを誰が想像できたといえましょう。。 やかんやなべ等のアルミ家庭日用品器物の表面処理がアルミサッシ等のアルミニウム建材の表面処理加工技術の元となり、その加工技術で横型処理が縦型に発展したこと、その水平横方向に製作されたアルミニウム長尺押出型剤を縦吊自動制御するコンピュータシステム、それらのシステム開発をしている個人としてのシステムエンジニアの開発ノウハウの統合利用、そこから、自然言語処理応用の人工知能による機械翻訳システムの開発と木から鉄、鉄からアルミニウム、機械加工からコンピュータ生業、ネットワーク通信利用、人工知能による制御に至る発展過程のすべてを、今のパチンコ機をはじめとした遊技機は内に秘めて、遊技場で人々の娯楽サービスの提供の具となっております。外から見ると単なるギャンブル性の高いハードとしか認識できませんが、人々の生活をより豊かにするためのサービス産業で提供される、ごく一般の人々のノウハウの集積なのです。しかしその遊びのサービスを実現するためのパチンコ機はコンピューター技術と画像技術とゲームソフトのアプリケーション技術の塊りで、まさに遊びのための遊びを実現するためには手段を選ばないというレベルに高度化されていました。コリントゲームに端を発するように、パチンコを含む遊技機の世界では子供向け遊びのための道具は、機械の内部構造がコンピュータそのものになってしまい、それらを用いたサービス産業においては人工知能を含む高度なソフトウェア技術が駆使されている。そこにはアルミ材もふんだんに用いられているし、成型加工の技術も高度に用いられていたが、それらは理化学研究所のアルマイトの発明以外はこれといって著名な学者や研究機関によるものではない。また、理化学研究所での陽極酸化皮膜の耐腐食性向上についても偶然の発見ともいえるものだった。こういった分野を越えてノウハウが結合し、時代を超えて伝承された結果として今のまさにコンピュータシステムそのものとして遊技場でのサービスを提供している。そのユーザーは遊技機のプレーヤーだ。今、日本でもカジノを合法化する動きが着々と進んでいる。依存症の問題もあるが、パチンコ産業が一時は40兆円という経済効果を生んだことを考えれば日本経済の今後を考えるという観点からも等閑視することはできない。しかし、いたずらに技術開発競争につっぱしり過ぎて方向を見失わないようにしなければならない。‘諸外国での事例に基づくサービスノウハウの共有こそが単なるモノやソフトを越えて‘無形知的資産たるインタンジブルズの次代への承継が期待されるものだと考える。 いわば、コリントゲーム(木製の平板上に玉を転がして入賞数を競う遊戯機)にヒントを得て作られた遊戯器械が射幸性の強いことによりギャンブル機となり、ネットワークでコントロールされ人工知能による仮想現実を含むいわばメディア機能を得るに至って人心を支配することとなった。そして、その遊戯サービスを提供するホールは依存症を含むギャンブル好きな人たちでむせかえるばかりだ。手段を目的と違えると疎外される。しかし、“遊び”は手段が目的と一致します。ですからサービス産業、特に遊戯産業でのノウハウの融合・発展には注意を要します。基幹産業の余力として発達した遊戯産業だから、さらなる人的資源に基づく遊びを手段とするとともに目的としたサービスである海外カジノ産業の先達の失敗を含む知恵とノウハウが役に立つと考えます。すなわち、ノウハウは分野を越え国境を越えて融合することができるのである。なんとならば、遊技機の世界では、生活に密着したハードウェアがソフトによって新たな生命を吹き込まれさらに新たなハードウェアとして、際限なく、次なる展開を見せることを如実に示してくれた。このように、ごく一般的事項の連鎖が次々と新しいソフトを生みそれがハードウェアに新しい命を与えて全く姿を変えたハードウェアの化け物に成長する。コリントゲームがAI制御のパチンコ機になり、ネットワークで出玉制御されたホールはギャンブル好き及び依存症の人たちでの驚異の世界が展開する。一方、なべ・やかんの表面処理からアルマイトの改善を経てアルミサッシ等の建材の用に供された技術は人の衣食住にかかる目的を持っているのでその技術開発のみを目的とすると疎外される。従って、その技術開発は衣食住、特に住の目的のための手段であり、その目的に沿った開発のみが正当な結果を得ることにより成果を得られる。 遊びは手段としてのノウハウでも足りるががそうでないものは目的に合致する手段としてのノウハウでなければならないのです。 従って、一見、横のものを縦にする発想でアイデアの展開がなされたことで同じように好結果が得られるように思われる一方では本来の目的以上の展開を見せて驚異の世界を生み出し、一方ではかなりの発展はしているものの一般人の生活及び経済の域を出ない一見ありきたりにみえる世界しか生み出さない。。どちらが良いというわけではない。サービスの内容によってその発展の仕方が大きく違ってくることも経験から学べます。したがって、シンギュラリティにより人を超えることができるように思えるAIといえども、固有の人を介する秘伝といえども、今度は、それぞれの良さを取り入れるとともに、取り入れてはいけない点を学ぶ姿勢が重要になってくると思う。「ノウハウライブラリー」では、自分の属する分野では知りえない成功と失敗の歴史を学ぶ場でもありたい。 「ノウハウライブラリー」の役割 以上私の経験のうちのいくつかをあえて披露させてもらったのは、貴重な経験をお持ちの皆様が単なる日常の思いつきだとお思いの工夫が数々の経験の中でどのように役に立ったかをお互いに披露しあうことで、「私だったらこうする」と言いたくなることがあるのではないかと思うからだ。「私はこうした」、「私はこうしたい」を含めて、企業内、組織内の閉じられた環境内では展開えしないノウハウを相互利用、統合利用する機会と場の提供ができればと思いう。 「ノウハウライブラリー」で扱う内容について ノウハウライブラリーでは知的無形資産について取り扱うが、知的財産権についての司法・行政手続きや当該権利化や係争事件には業としては関与しない。国家資格を有する弁理士、弁護士等が職業として扱うものだからだ。あくまで既に権利化されているもの、権利化しないかでないアイデア・ノウハウを蓄積し、流通させることを目的とします。従って、確立した権利や仮保護の段階にある権利を権利情報として扱うことはある。この場合は、他の情報と共にノウハウ情報の一部分として扱う。 ところで、無形資産として地域資源がある。これは地域の無形の強みを抽出して地域資源として活用しようとするものだ。人の知力をもって創作するものではないので必ずしもノウハウライブラリーでノウハウ・スキルとして取り扱うべきものではないかもしれないが、地域社会の個人又は企業経営にとって価値を生ぜしめうる無形の資産として何らかのかかわりが生まれる可能性があるので、一応の対応はしたい。 さらに、それ自体は無形資産とは言えないかもしれないが、排出権取引がある。排出権を各国間、または企業間で取引するもだ。地球温暖化の原因とされる温室効果ガスの排出量を抑えるため、二酸化炭素排出量の削減の達成状況に応じて、余剰分や不足分を取引できる制度のことだ。この取引はビジネスとしても成り立つ。そして、この取引システムにより企業・政府双方に経済効果・環境効果が生まれる。このシステムをモデルとして地域にまたがる留保権が取引の対象になれば、何らかの貸し借りを財産の交換対象と見る地域社会の個人又は企業経営にとって今後無関心ではいられないものとなり得る。 なお、排出権取引について以下のような報道がある。 “世界最大の温室効果ガスの排出国・中国が…全国統一の「排出権取引」制度を始めると発表した。…電力関連だけとはいえ、…日本の排出量の2倍以上に相当する量だ。制度が始まれば、低効率な古い設備を使い続ける企業は、排出量が割り当て分を超過する一方、高効率の設備に更新すれば割り当て分を下回り、余剰分を売ることができる。…今後、対象業種が徐々に拡大していくことは間違いない。排出量取引のような市場メカニズムを使って、水の使用量や大気汚染物質の排出を削減することも検討されている。中国に進出する日本企業も早めの対策が必要だ。…取引制度の国際的な連携が進んだ場合、制度を導入する国々が、導入していない国からの輸入に関税を課すことも現実味を帯びてくる。…危機感を持って導入を検討すべき時期に来ている。”(読売新聞 2018年1月15日朝刊) そして、これはマイナスの無形資産ともいえそうですが、ゼロデイ(Zero Day)と呼ばれる情報共有状態があります。コンピュータソフトウェアのセキュリティホールが発見されたときにに、攻撃ノウハウの情報共有がされ、コンピュータウイルスを開発するプログラムやネットワーク経由で攻撃を行うソフトがインターネットを介して流通します。 ゼロディについての著作「ZERO DAY」には“「ゼロディ」が生んだ、新しい死の商人”として次のような記載があります。 “ソフトウェアのセキュリティ上の欠陥で、一般に知られていないものをゼロディ脆弱性と呼ぶ。これを利用したサイバー攻撃は防げないため、「ゼロディ」はサイバー兵器として高額で闇取引されるようになった。元NASA職員で現在IT企業に勤めるチャーリー・ミラーは2007年にゼロディ市場についてまとめてリポートを発表した。そこで彼は当時、ゼロディ脆弱性が5000ドル~25万ドルほどで売買されていると書いている。そして実際に自身が発見した脆弱性を、政府機関(具体名伏せている)に五万ドルほどで販売した経緯も説明した。ただ彼は、その購入者がそのゼロディ情報を「良いことに使ったのか、悪いことに使ったのかは知らない」とし、「彼らは知的財産を購入したのだから、購入したものをどうにでも使うことができる」と答えている。 ” (山田敏弘著「ゼロディ米中露サイバー戦争が世界を破壊する」株式会社文藝春秋発行P194~200) 攻撃ノウハウの情報共有がプラスに転じる可能性もあります。ノウハウライブラリーでは、情勢に応じて対応します。 自然法則を利用した技術的思想の創作である発明は特許法等で保護されるのが原則でありますが社会性、倫理性等の観点から保護されない場合があります。その一つとして人の治療法等医療に関するものがあります。しかし、特許法等では保護されなくても社会的にはなくてはならないものであります。そこで、日野原重明医師等が実践し、著作もしている文献では以下のように述べています。 “「社会的共通資本としての医療を考える」としてヒポクラテスの教えが「人間の生命は短い。しかし、その短い生命を救おうとする医術は永遠の生命をもって、過去から現在、そして未来につづく」とするものとし、医術が永遠の生命を持ちうるのは、1人ひとりの医師が師の教えを守り、ヒポクラテスの誓いに忠実に、医師として、また人間としての生きざまを全うし、医術を次の世代に伝える高貴な営為に全力を尽くしているからである。社会的共通資本は、1つの国ないし特定の地域が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することことを可能とするような自然環境や社会的装置である。社会的共通資本の管理、運営は決して市場基準、あるいは官僚的基準によって決められるべきものではなく、あくまでも、すべての市民の人間的尊厳を守り、魂の自立を保ち、市民的自由が最大限に確保できるような、ゆたかな社会を形成するという視点に立って行われる。”(「社会的共通資本としての医療」:宇沢弘文他編、財団法人東京大学出版会 p27,21) 以上により、人間に対する医療行為は、社会的共通資本としての医療の観点から、優れた医学教育、制度等の実績を次代に継承すべき知的資産として取り上げ、医療荒廃を避けるための人類共通の知的資本となるべきものとして検討の対象とし、積極的に取り組んでいきたいと考えます。

普段の実際生活で、なんらかの「知恵」が浮かんだときその‘仲間たちの「知恵」またはそれから生ずる「ノウハウ」をどうするかの取り扱いについて質問を受けたら、私は次のように答えることにしている。

 

「事業をやっているとき、またはこれから新規に事業を始めようと思っているときに何かのアイデアを思いついてそれを事業化したいと思ったとき、それを世の中に公開しても他人に真似されないようにしたいのでしょうか?」

「 公開しないで秘密に管理したいのでしょうか? それとも、特定の人たちだけで共有したいのでしょうか?」自分だけで使いたいのでしょうか?それとも誰かに使ってもらいたいのでしょうか?」「権利を買ってもらいたいのでしょうか?有償で許諾したいのでしょうか?」状況によって色々な場合が考えられますが、まず、自分のアイデアで何をどうしたいのかを考えましょう。」 「それが技術的思想に係るものの場合、特許等として権利を確定させることができるものでしょうか? それとも営業秘密として保護可能でしょうか? 秘密保持契約は万全ですか?」との質問に対しては、  「ライセンス契約の条件等について検討しなければなりません。 スタンダード、ビッグデータ、パテント等のデ・ファクトや権威や法等のみに頼るのではなく、自分のものは自分で守ることから始めましょう。」 すなわち、 「一定の要件を備えるものは特許出願等により権利化されれば、一定期間排他的にその発明の実施等を独占的にすることができます。しかし、出願しても権利確定できなければただ公開してしまうことよって自分の秘密を一般に無償で教えただけになって、それを剽窃した他人の実施等を排除することはできません。」 「しかしながら、一切の公開を避けて秘密に管理すれば、独占はできませんが他人にその公開情報による実施等をされることは避けることができます。有形資産は秘密に管理することが難しいけれども、無形資産は秘密裏の管理に適していると言えます。」 「 しかし、もしあなたがそのアイデアをだれかに知られたくないので、特許出願して公開されるのを避けるために、特許出願することなく秘密状態でその事業をおこなっていたとしましょう。だれかがそのアイデアを含む発明の特許出願をしてその特許権が成立してしまう場合も無いとは限りません。あなたのアイデアがその特許発明の技術的範囲に含まれることになる場合、そのアイデアの事業としての実施は特許権侵害となってしまいます。」 「これではその特許発明の出願前から同じ内容の発明を実施していた人が不利となるので、一定の条件でその事業者が実施することができるようにする制度があります。「先使用権」制度です。先使用権が認められる為には、ごく大まかに言っても、①その他人の特許出願がされた時にはあなたがその特許発明について実施の事業をしていること、②日本国内でのその他人の特許発明の出願内容を知らないで自らの発明事業をしていること、等について証明できなければなりません。考えてみればあたりまえのことであるのにかかわらずかなりややこしいことではありますが、ごくわかりやすく言ってしまえば、例えば公証人役場で確定日付を付してもらっておくことによりその事業実施の証明とするなどということになります。もともと先の出願に絶対的優位性を付与する特許制度のもとでの例外ですから、かなり厳格な手続きを要求されるのはしかたがないことではありますが、利用価値は高いと思います。そして、法の認める制度でもありますので、今や、大企業もこの先使用を証明する体制を整えていて、該当するときはあえて特許出願をしないでも良いとするようにしているようです。関係団体の支援等もありますし、特許庁でも「先使用権」についての制度理解を促進させるために小冊子を発行し、以下のように述べています。 “他社によって取得された特許権の権利行使から自社の事業全体を守るために先使用権制度の活用の重要性も高まっています”(先使用権~あなたの国内事業を守る~特許庁)」 「 特許を出願しないでも事業化しなければならない場合、または特許出願はしたとしても事業化したところの想定外の範囲で他人の権利に抵触してしまう場合にどうするのか?ノウハウライブラリーではこのことについても情報交換したいと考えています。 企業が最優先に取り組むべきグローバルな戦略課題の一つに経営理念を実現する取組として一般に社会貢献といわれるCSR(Coperates Social Responsibility)があります。CSRは企業の社会的責任であり、その能力は“見えざる資産”としてのインタンジブルズです。見えざる資産としての倫理的配慮の能力および社会や環境に対する配慮の能力が評価を呼び、その企業の価値を高からしむるのです。そして、CSRの経済的効果を貨幣的標準によって“見える化”することにより評価可能となります。」 見えざる資産については一般的に以下のように説明しています。 「見えざる資産とは、技術ノウハウの蓄積、ブランドや企業への信頼、細かな業務をきっちりと実行できる仕組やシステム、生き生きとした組織風土など、企業が持っている目に見えない資源のことであります。見えざる資産は見える人には見えますが、見えない人には見えません。したがってその経営資源としての扱いは極めて難しいものです。  知的財産権等として権利化する場合、自ら手続きするかそれとも代理人等に委ねるか?自分だけで秘密に管理するか?誰かとともに秘密に管理するか。まだ具体的にどのような商品・サービスを事業化するかが定まっていない場合には直ちには決めかねるところであります。自分のアイデアが自分に見えていないからであります。そこで、できるだけ早期に自分だけに“見える化”すればよいのです。「見える化」するには、表現することが必要となります。そしてその価値を定めるために一定の評価を得られる一定の市場に出すことです。機密保持については十分な配慮が必要であるのは言うまでもありません。そして、例えば他人のタンジブルズ又はインタンジブルズとの交換交渉を行うことです。そして、それを他人にも見えるようにする部分とそうしない部分とに峻別するのです。いわゆる営業秘密と知的財産とインタンジブルズの混合による無形知的資産として管理できるのであります。しっかりした観察眼と判断力による見えざる資産と戦略のダイナミズムは企業業績への貢献をすることができます。 」 「なお、特許等の産業財産権として確立した権利を維持することはその管理にかなりの費用等の資源を要するとともに、訴訟等で独占状態を維持しようとすると膨大な労力と経費がかかり、例え勝訴したとしても割に合わないことが多いことにも留意すべきです。それだけに本当の特許等の効力が大きいことの証左ではありますが、その使い方を間違えないようにしたいと考えます。」   「デザインを考えたらどうしたらよいでしょう?」という質問を受けたら私は次のように回答することにしている。 「商品等のデザインはその製品設計そのものとしての意味から単にその物の外形を表す意匠としての意味までの広い概念を有しますが、はたしてどのような商品あるいはサービスの用に使うのか? それらの全体かあるいはその部分か? 完成品か部品か? これらはいずれにしても、物の構造、外形ないし装飾についての表現です。 また、物語の主人公など登場する主体等の性質・性格を示すキャラクターの表示か? キャラクター商品自体か? トレードマーク・トレードネームを表示するものか? これらは人または物の性格の表示またはそのネーミングの表示をするものです。 単なる意匠としてのデザインか? 技術の内容か、それとも型や形状か? 意匠権か? 著作権か? 商標権か?どれとも特定できない場合があります。物品の形状としてならば意匠権で、その物品の構造・型の技術思想ならば実用新案権で、その設計思想ならば特許権で、表現としてならば著作権で、商品等の標章としてならば商標権で保護可能ですが必ずしもそれらだけでは万全ではありません。例えば、キャラクター自体は著作権の保護範囲ではありませんし、外から見えない内部構造は意匠権の保護範囲外であります。 また形態の模倣は不正競争防止法により排除対象となりうることにも留意すべきです。 デザインは公開してしまったらその後の保護は極めて難しいことに気をつけなければなりません。また、デザインに限らず新しいことを思いついたら、以上のことを考えて、状況に応じた自分なりの対処方法を考えるくせをつけることも大事ではないでしょうか。」 ところで、無形資産として地域資源があります。これは地域の無形の強みを抽出して地域資源として活用しようとするものです。人の知力をもって創作するものではありませんので必ずしもノウハウ・スキルとして取り扱うべきものではないかもしれませんが、地域社会の個人又は企業経営にとって価値を生ぜしめうる無形の資産として何らかのかかわりが生まれる可能性がありますので、一応の対応はしたいと思います。 さらに、それ自体は無形資産の取引とは言えないかもしれませんが、「排出権取引」があります。排出権を各国間、または企業間で取引するものです。地球温暖化の原因とされる温室効果ガスの排出量を抑えるため、二酸化炭素排出量の削減の達成状況に応じて、余剰分や不足分を取引できる制度のことです。この取引はビジネスとしても成り立ちます。そして、この取引システムにより企業・政府双方に経済効果・環境効果が生まれます。このシステムをモデルとして地域にまたがる留保権が取引の対象になれば、何らかの貸し借りを財産の交換対象と見る地域社会の個人又は企業経営にとって今後無関心ではいられないものとなり得ます。 低効率な古い設備を使い続ける企業は、排出量が割り当て分を超過する一方、高効率の設備に更新すれば割り当て分を下回り、余剰分を売ることができる制度です。排出量取引のような市場メカニズムを使って、水の使用量や大気汚染物質の排出を削減することもできます。取引制度の国際的な連携が進んだ場合、制度を導入する国々が、導入していない国からの輸入に関税を課すこともできるようになります。危機感を持って導入を検討すべきです。 そして、これはマイナスの無形資産ともいえそうですが、ゼロデイ(Zero Day)と呼ばれる情報共有状態があります。コンピュータソフトウェアのセキュリティホールが発見されたときにに、攻撃ノウハウの情報共有がされ、コンピュータウイルスを開発するプログラムやネットワーク経由で攻撃を行うソフトがインターネットを介して流通する。 ゼロディについての著作「ZERO DAY」には“「ゼロディ」が生んだ、新しい死の商人”として次のような記載がある。 “ソフトウェアのセキュリティ上の欠陥で、一般に知られていないものをゼロディ脆弱性と呼ぶ。これを利用したサイバー攻撃は防げないため、「ゼロディ」はサイバー兵器として高額で闇取引されるようになりました。元NASA職員で現在IT企業に勤めるチャーリー・ミラーは2007年にゼロディ市場についてまとめてリポートを発表した。そこで彼は当時、ゼロディ脆弱性が5000ドル~25万ドルほどで売買されていると書いている。そして実際に自身が発見した脆弱性を、政府機関(具体名伏せている)に五万ドルほどで販売した経緯も説明した。ただ彼は、その購入者がそのゼロディ情報を「良いことに使ったのか、悪いことに使ったのかは知らない」とし、「彼らは知的財産を購入したのだから、購入したものをどうにでも使うことができる」と答えている。 ” (山田敏弘著「ゼロディ米中露サイバー戦争が世界を破壊する」株式会社文藝春秋発行P194~200) 自然法則を利用した技術的思想の創作である発明は特許法等で保護されるのが原則だが社会性、倫理性等の観点から保護されない場合がある。その一つとして人の治療法等医療に関するものがある。しかし、特許法等では保護されなくても社会的にはなくてはならないものである。そこで、日野原重明医師等が実践し、著作もしている文献では以下のように述べている。 “「社会的共通資本としての医療を考える」としてヒポクラテスの教えが「人間の生命は短い。しかし、その短い生命を救おうとする医術は永遠の生命をもって、過去から現在、そして未来につづく」とするものとし、医術が永遠の生命を持ちうるのは、一

人ひとりの医師が師の教えを守り、ヒポクラテスの誓いに忠実に、医師として、また人間としての生きざまを全うし、医術を次の世代に伝える高貴な営為に全力を尽くしているからである。社会的共通資本は、1つの国ないし特定の地域が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することことを可能とするような自然環境や社会的装置である。社会的共通資本の管理、運営は決して市場基準、あるいは官僚的基準によって決められるべきものではなく、あくまでも、すべての市民の人間的尊厳を守り、魂の自立を保ち、市民的自由が最大限に確保できるような、ゆたかな社会を形成するという視点に立って行われる。”(「社会的共通資本としての医療」:宇沢弘文他編、財団法人東京大学出版会 p27,21) 以上により、人間に対する医療行為は、社会的共通資本としての医療の観点から、優れた医学教育、制度等の実績を次代に継承すべき知的資産として取り上げ、医療荒廃を避けるための人類共通の知的資本となるべきものとして検討の対象とし、積極的に取り組んでいきたいと考える。

フェイスブックが社名を「メタ」に変えて、メタバースが一躍話題の中心となった。「メタバース」とはおよそリアルタイムに大規模多数の人が参加してコミュニケーションと経済活動ができるオンラインの三次元仮想空間を指す。「メタバース」は「VR(仮想現実:実質的に現実にいるのと変わらない環境を人工的に作り出す技術)」や「AR(拡張現実)」のことではない。それらはその世界に入る一つのアクセス手段に過ぎない。一方、NFT(Non-Fungible Token:ノンファンジブル・トークン:非代替性トークン、すなわち唯一性があり、お金に相当する価値があるデータ。)により本人の所有が認められる条件で「ノウハウ」の取引等ができることになりそうなテクノロジーが発展してきた。しかし、トークンはブロックチェーン技術を使用して発行した暗号資産の総称のことを言うので、理論的にはブロックチェーンによることを前提にすることになり、コミュニティ内でのアプリケーションを開発する必要もあるかもしれないとも考えられた。しかし「ノウハウ」については、メタバースではNFSもブロックチェーンも必須の要件ではない。すなわち、本人の所有が認められるといっても、NFTは非代替性トークンすなわちデータなので民法上の物件ではなく、所有権が認められるということではない。ところで、本人の所有が認められる条件で「ノウハウ」の取引等ができるということは、物でも知的固定資産たる特許権等でもない「ノウハウ」を、当事者間の信頼と契約で、本人の所有が認められることとして「知恵」すなわち「ノウハウ」の取引等ができるということになる。ましてやオフバランス(貸借対照表上の資産とならない部分)の「ノウハウ」はそれ自体を価値交換媒体として、お互いの信頼関係に基づいて、「貨幣を介さず」に取引等ができるのだから、必ずしも暗号資産の取引要件たるブロックチェーンを必須の要件とすることもないはずだ。そうすると、「ノウハウ」の取引等は「メタバース」では信頼と同意を得てコミュニティーに集う人が参加してコミュニケーションと経済活動をすることが三次元仮想空間で可能となる。オフバランスの「ノウハウ」では「貨幣を介さない」取引等が可能なので貨幣とも考えられる暗号資産を介することも必要ではなく、暗号資産の取引に必須のブロックチェーンを用いる必要もない。コミュニティー内での信用が維持されるのは当然に必要だからだ。仮想空間でのことだと言っても、「メタバース」のアイデンティティは自由にデザインするものになり、なりたい自分として人生を送ることが可能になる。複数のアイデンティティを切り替えることで人生を自在にデザインすることもできる。 「メタバース」では価値観の近い人とのコミュニティーがあり、そこでコミュニケーションをとることができる。「メタバース」の求心力は、他の参加者とのコミュニケーションや買い物や何かを創り出したり販売したりといったアクティブな体験となる。さらに、「メタバース」が注目されるようになった背景の一つはグラフィック機能の向上がある。解像度、反応速度の向だ。  そして、スピルバーグの映画でもおなじみの「アバター」が仮想現実の新たなアイデンティティとして個性を表示するため。 1992年にニール・スティーブンスンによって「スノウ・クラッシュ」が発表された。そのなかで近未来のアメリカで政府の代わりをしていてフランチャイズ経営される都市国家群が描かれた。そんななか、主人公は巨大なVR(ヴァーチャル・リアリティー)ネットである想像上の場所「メタバース」に出入りすることになり、事件に巻き込まれる。ゴーグルに描かれた画像とイヤホンに送り込まれた音声によって出現する世界だ。人間の画像は「アバター」と言われるソフトの一部で、この視聴覚体を使ってメタバース内でのコミュニケーションが行われる。メタバース=Metavaerseは超(meta)と宇宙(universe)を組み合わせた造語だといわれる。メタバースと言うとゲームの世界を思い浮かべがちだが、ビジネスや家庭生活にも適応される。1999年の映画「マトリックス」もメタバース的な世界を描いて大ヒットした。また、2022年12月16日に日米同時公開となったジェームズキャメロン監督の「アバター:ウェイ・オブ・ウオーター」では、現実の世界から仮想世界の戦略資源情報探索に派遣された兵士が、仮想空間で派遣元の理不尽な企てで仮想世界の平和が乱されることを知って、派遣元のリアルな軍隊と戦うというメタバースのさらに発展した形でのドラマが展開される。同監督はかつて「タイタニック」および「アバター」で大ヒットを飛ばしたが、今回はメタバースの発展世界でのリアル世界と仮想世界との交流を描いています。メタバースは仮想世界とリアルをつなぎ、プライベートとパブリックな体験をまたぎます。メタバースは自分自身が仮想世界の中に入り込み、そのなかに住んでいるという感覚が重要となる。現実の世界での理不尽な人間関係を仮想世界との交流を図ることをメタバースで実現可能とすることができる。

家庭の無い家族にメタバースの家庭を

 

リアルの世界を仮想世界との乗り合いでゆたかな生活による理想の世界に。

 

妻は静岡市で実家の年老いた両親の介護を続けていたが、その両親が相次いで亡くなったのを契機に実家を継いでそちらに引っ越すこととなった。 そうは言っても、こちらは仕事の都合もあるので、東京での生活を続けることにした。 独身の息子も妻と生活を共にすることになったので、私は扶養家族持ちながら、まったく独身同様となった。 家族のためにも稼がねばならないことは以前と同じだ。 今は契約社員の仕事を続けながら、60年来続けてやってきたノウハウ等知的無形資産管理と技術情報管理の経験を生かして執筆活動とコンサルティングを始めている`。 今、世の中にあるさまざまな「知恵」すなわち「ノウハウ」を活かしてゆたかな生活ができるようにしたいと思って何冊かの出版もし、ホームページを開いて情報の発信と収集に勤めている。 東京をビジネスの拠点とし、現実世界と仮想現実を共に生かし、静岡の家族とは仮想現実の世界で同時に時と場所を共有する。かつて、介護中の妻は新幹線で行ったり来たりしていたが、両親が共に手を離せない状態になってからのこの十数年は行ったきりになっていた。その間、息子が行ったり来たりして東京と静岡をつないでいた。そして今度はふたりが静岡に行ったきりになったのだから、現実には経済的にも社会的にも非常に不都合な生活が続いていたわけである。それを一挙に解決するのが仮想現実生活の導入だ。 家族が別れ別れに生活している場合でも配偶者や親子から癒しを得られれば家庭は復活する。例えば、箱型デバイスで、リアルプロジェクション投影技術によって空間にキャラクターを投影し、その投影されたキャラクターと会話等のコミュニケーションができるGateboxがある。これによれば、実際に日常の生活によって得られるお互いの癒しを仮想現実として得ることができる。このように、現実世界での活動をメタバースに移行させるとともに、別の生き方をメタバースに求めることもできる。すなわち、失った家庭を取り戻しつつ、家族としての仲間、親族としての仲間をはじめとして、あらゆるコミュニティーとのかかわり合いで仕事、遊び、交友、社会活動を現実世界とは別の生き方として経験することができる。したがって、仮想空間においてメタバースによって配偶者や親子から癒しを得られれば、家庭は復活することになる。現実の世界でも距離と時間を隔てていては実現不可能なことはメタバースにおいて実現不可能であっても、癒しを得られることについて実現可能であることについては違いはないこととなる。 以上のことからも、「知恵」すなわち「ノウハウ」についてはメタバースで取引すれば、現実の世界で取引したことになる。それ以外の取引については普通にお金を使ってする取引等を現実の世界でするか「メタバース」でするかの違いに過ぎない。むしろ、バランスシート上オフバランスの「ノウハウ」については現実の世界でもお金を使わないで取引等ができるし、同時にオンバランスの場合に必要となる資金不足に対応できる。ところが、メタバース世界においてはNFT(Non-Fungible Token:非代替性トークン=代替できないデジタル資産)の取引等にすれば自らの所有(所有権ではありません)を維持したままで処理できるので、わざわざ現実世界と仮想現実とを使い分ける必要もない。ただ現実世界ではお金を使うことになり、仮想現実ではNFTによって暗号資産を使うことになるだけのことだ。すなわちオフバランスの「ノウハウ」については現実世界のお金も暗号資産(仮想通貨)も使わなくてもよいことになる。 現実の世界でも、仮想の世界でも、お金も暗号資産も使わないで生活ができるとなると、オフバランスの「ノウハウ」についてはたとえばメタバースの世界に入らなくても経済的には「たかな生活」への支えは得られることになる。そしてもし、現実の世界では経済的にゆたかな生活が得られないとき、すなわち「貨幣を介する」場合、にはたとえばメタバースの世界でその可能性を模索してみる。その場合は、NFTによりブロックチェーンによる暗号資産のお世話になることになるかもしれない。オフバランス部分については暗号資産をも介さないことになるので問題ないのだが、オンバランス部分については、暗号資産を介することになるとすれば、結局「お金(貨幣)」に換算して考えなかればならなくなる。したがって、経済的観点では仮想世界においても現実の世界と同じ観点で「ゆたかな生活」を考えなければならないことになる。翻って思うに、現実の世界でもオフバランス部分について「貨幣を介さない」で取引ができるとしても、決算時において資産勘定の対象にしないで済むだけのことなので、資金繰りの面ではメリットがあるが、財産価値のつじつまはどこかで合わせなければならない。そしてまた人の生存に不可欠な部分については仮想世界では対応できないので、たとえば入浴、睡眠、食事、排泄等の本人の人体に係る費用は現実世界の「お金」が必要になる。経済的観点以外について、仮想世界では「ゆたかな生活」がどの程度得られるだろうか。たとえばメタバースについてはいろいろな定義があってまだ確定的なことは言えないが、一例としてメタ(フェイスブック)社のマーク・ザッカーバーグによれば「デジタル空間で人々と一緒にいることができる仮想環境ということだ。見ているだけではなく、その中にいるような感覚になれるインターネットのようなもの」となる。そうすれば、家庭を失った家族が、一緒にいるような感覚になれることはできることになる。それぞれの「知恵」を仮想空間で共有し、共創して享有することができれば、「ノウハウ」の活用も現実の世界だけでなく仮想の世界ででもできることになる。そしてそれは人間の頭脳によって創成された「知恵」であるので、仮想世界であろうと現実世界であろうと、自由に行き来できることになる。ただし、その「ノウハウ」を「メタバース」の仮想空間で非代替なもの、すなわちその所有を唯一なものとして主張したい場合にはNFTのお世話になることも必要とならない。しかし、前述のように、コミュニティー内での信頼関係が保たれる範囲についてはその限りではありませ。NFT関連の「メタバース」には「サンドボックス」等があり、外部のマーケットプレイス上でユーザー同士が相互に取引できる。また、「ノウハウ」等による創作からさらなる創作がなされる場合等の使用許諾や二次創作の管理はNFTですることができる。さらに有体物にNFTを付与することで有体物の取引がメタバース内の所有証明可能なNFT取引と連動させることもできる。そうするとオフバランスの「ノウハウ」ではないオンバランス資産を併せてメタバース世界での取引が出来ることにもなり、現実世界と仮想空間を往き来しながらオンバランス勘定とオフバランス部分の一方及び両方を選択的に取引等することもできる。「ゆたかな生活」を目指して資金難解決を考慮した経済的取引等も社会活動機能の有効性を考慮した取引等も自由にできるのである。