『家族』 人が何を意図し、何を目的にして、どういう気持ちでいるかがわかるというのが共感力である。 それはおもに家族生活等複数人のなかで育まれる。 大勢の中で育まれる共感力は直観力にもつながる。 この直観力によれば人との関係で自分を見つめ直すことができるので、自我を収縮させ「気づき」を生む。 娘とは二十数年前に彼女が結婚してから孫にかかわること以外、ほとんど交流はなかった。 孫が生まれてからは人気機関車トイの“トーマスエンジン”をでるたびに全てプレゼントしたことを思い出すくらいである。 また、交通博物館が大宮に移転・新設されたときに早速連れて行ったことがあったくらいだ。 娘には二十年以上、年賀状用に私と孫とのツーショットを年に一回撮影してもらっている。 このたび妻が静岡の亡くなった両親の持ち家に住むことになった件については、娘は具体的内容についてはいっさい知らされてなかったという。 しかし、今までのいきさつを数時間聞いただけでとりあえずエアコンをプレゼントしてくれた。私が一人住まいでエアコンを使っていなかったからだ。 生まれてからこの方の私の生活態度、妻の性格を知りつくしていたからこその状況判断だと思える。 息子にしても、あらゆる生活用具を処分した後、自分の自転車だけを私のために残してくれた。 私が車の免許証を返還していることをも考えたようだ。 この免許証返納にも関連するが、妻が東京にいないので息子が使っていた自転車を私も借用していた。 ある時、交通事故に巻き込まれて、自転車ともども路面に叩きつけられた。 自転車は全壊で私は救急病院行きだった。 息子は新たにに自分用に購入して使っていた自転車を提供してくれたのだった。 娘と息子とは特に家庭の関係がどうすれば良いかについて、話し合っていない。 でも、何も言わなくとも、共感する直観が働いて具体的行動に現れる。 数年に一度くらいしか会わない「いとこ会」のメンバーについても同じことが言える。 年齢が離れていても、直系でなくとも共感する直観は働く。 血縁関係が無い場合でも婚姻等によりネットワークは繋がる。 これらの関係によって引き継がれる生き様は変えられない歴代の記憶としてそれぞれの意識に残って伝承される。 共感によるコミュニケーションネットワークだ。 『親戚』 「いとこ会」は父方の家系によるものだった。 父には9人の兄弟姉妹がいて、おおおじとのいとことの兄弟姉妹関係を合わせるとかなりの人数になった。 しかし、母には姉が一人いるだけだった。 その姉である伯母には子供がいなかった。 女子大をでた後、魚河岸の親方の後妻になった。 そして、漢文・古文の教師をしつつ、観世流能楽師範となった。 不思議なことに私のいとこが観世の家老格能楽師の嫁となったのでその夫婦は「いとこ会」の一員だったが、その夫の弟子でもある伯母はメンバーではなかった。 幼少の頃からその伯母に連れられて、「うたい」の稽古で「牛若」なんぞをやらされた記憶がある。 その後の「いとこ会」では「はとこ」等と謡曲の話にも花が開いた 。どういうわけか、大学生活費用の仕送りは伯母から受けた。 その後、戸籍には私がその伯母の養子になり、その後原籍に戻ったことが記録されていたことに気がついた。 その先祖を祀れるのは私しかいないので、伯母と母が亡くなった後、生地の菩提寺を数ヶ月間捜し回った。 ようやく母方のふるさとのある寺で目当ての墓に巡りあった。 ご住職からの 「お待ちしておりました。」との声。 ご住職の先祖のお墓に共に祀ってもらっていたが、ちょうど分けたいと思っていたところだという。血縁、地縁は時を待って天の知らせを呼ぶものとしか考えられなかった。母方を継ぐのは私しかいないので、とりあえず事情を説明して、同寺内に移してもらった。 母方の親戚は私の後継に尽きることになる。 他方、異母兄の母方の親戚は高名な学者で東京美術学校(芸大)教授に繋がるが私との血縁はない。 でも、父や兄を通じて親戚付き合いはされた。 そして、異母兄の嫁達である義姉達の両親や兄弟等とは常時親しい親戚関係にあった。 その義姉の兄弟の息子とは義姉が嫁に来るずっと前の幼少時から隣に住む遊び仲間だったことはその後知ることになった。その彼とはまた私の母の葬式で再開して、今度は仕事の付き合いをすることになった。そして彼の弟が私の部下と大学の同級生で親友だった。さらに、血縁は薄くとも地縁に繋がる職縁、学友、さらにはそれが一見他人に見える「本当の仲間」となっていく。

 『プラスの人生における共感』

 親戚・姻戚を除くと後は友人・知人になる。 家族、親族、親戚以上に親密な関係にある 友人・知人はおおぜいる。 遺伝的・法的に関係はなくても生活環境の緊密度が高い場合も多い。 ここで、新しい人生での友人・知人との共感を考える。 血縁がない友人・知人との共感は同時に生きている間柄でのみ可能となる。 家族・親族のように血縁のある血族および姻族は遺伝子の承継による共感ができる。 友人・知人のとの共感は血縁がつながる限りにおいて過去に遡ることができる。 これら共感の仕方は、血縁によって遡れるかどうかによって異なる。 プラスの人生における共感は、この違いをわきまえてする。 血縁とは縦に、それ以外とは横に繋がる「知恵」を共感する。

 『人間が生きる意味』

 過去と未来が無限に続く限りものごとに始めと終わりはない。 何かが存在し始めて、生命を生み、脳が発生して、意識・知能が生まれそれらが遺伝する。 我々にとってそこに意識・知能が生じたときがはじめで、それがなくなれば終わりだ。 意識・知能の縦と横の繋がりが共感を呼び、そこに「知恵」の共有と人生の共存が生まれる。 人が生きていく意味は個人として全体のためにどのようにあるべきかにある。 そして、他人のため、次世代のために役立つ何かを遺せることに意義がある。 私の足掛け八十年は、家族・親族、友人・知人とともに受け継いだ「知恵」を活かすための準備期間だった。 これからはそれを活かすという方向性は決まったとしてもどう跳ぶかはまだ調整が可能な段階。 また、着地点をどこにするかはこれからの跳び方によって決まる。 さらに、その着地点から次の飛躍にはさらに大きな可能性が秘められている。 八十歳から飛躍して、第一の着地は二十年先か。「メタバース」なんてもう古いと言っているかもしれない。 第二の着地はそれからさらに二十年先か。私は120歳。「今から40年昔にタイムスリップするよ。」なんて言ってるかもしれない。 一年毎、一日毎、今の一分一秒、自己の心身を健全に維持していればそれがどこで終わるかは問題にならない。 ひとつひとつを心の遺産とし、心身ともにこれから広がる次世代の世界に残っていくことで人生の意味を創っていく。 そこに新しい人生が生まれる。 この八十年で家族・親族、友人・知人とともに培った知恵を新しい仲間とともにいかに活かしていくかである。 第二の人生では経営者に向けて「知恵」を活かした「ゆたかな生活」のための知的資本の構築について提案した。 これをこれからのプラス人生では家族・親族、友人・知人とともに培っていく。 家族・親族については今までだけでなく、これから構成していくものをも含める。 友人・知人についてはこれからのものが重要になる。 「知恵」のやりとりの結果を活用するためにその情報を共有する。 そのために個人を中心とするオープンなプラットフォームが有効となる。 すなわち「知恵」を仲間うちで共有して人々を中心にあらゆる情報をオープンに活用してともに価値を創造する。 価値の創造を重視し、誰がどの「知恵」を活用したかを後から検証できるようにしておけばいちいち同意を必要としない。 活用の記録を残しながら、その目的にかなった使い方をすれば、パンデミックや経済的パニックが起きたときは、同意なしでも特定のミッションを背負った人々にデータの使用を許可できるようにする。 同意が必要な案件でも、非常事態の場合には必要な範囲で使える旨の取り決めをしておけば問題は解決する。 さらに、このプラットフォームの利用者相互の紹介により新規利用者を獲得することができる。 既存の利用者にはインセンティブを与えることにすればその効果は抜群に向上する。

 『仲間と「知恵」の仲間の間で共有の基礎とされた「知恵」をベースとして活用について妥当な取り決めをする。 ではその取り決めはどのように設定すべきか。 たとえば、以下のようにする。 仲間の一方が「知恵」を持っていて他方がその「知恵」を使って活用する場合、 両者間で合意が出来た範囲でその「知恵」を使い合えるとする。 すなわち一方が製造方法の「知恵」があり、他方がそれを製造する設備があってそれぞれそれ以上の資金がない場合に双方無償で使いあうことで活用することができる。 次に、一方の「知恵」と他方の「知恵」を交互に活用する場合、、 すでにそれぞれが蓄積している「知恵」を比較しあって合意の上で使いあい、その実績を記録して活用度を確認する。 例えば、双方が活用について別々の「知恵」があるがそれ以上の活用資金がない場合に、持ち寄った「知恵」により新たな活用をしてその成果を無償で利用する。 その累積において必要が生じたときには過去の実績に応じて差し引き評価する。 共有等が複数にわたるときや「知恵」を含まないものが混在する場合にも本来の「知恵」との引き算をすることで応用できる。 当事者および「知恵」が錯綜する場合にも累積において該当する組み合わせを選択して検索および抽出すれば同様に処理できる。 仲間同士の取り決めだから相手や状況に合わせて随時変更すれば良い。 以上は、第二の人生で中小企業等の経営者に提案したのと異なり、「家庭」を含む仲間同士の信頼関係によって実現可能となる。

 『共有する「知恵」の内容』

 1人間は発達した情報処理と記憶の能力を持っている。 個々人にとって情報の意味は相互に連関し、複数の人間によって共有される。 そして、複数の人間によって相互に共有された認識基盤を構成する。 この基盤上の共通認識が個々人の行動を規定し、仲間としてのコミュニティの安定性を保つ。 そして、個人の潜在能力の基盤となる健康で文化的な生活が保障される。 これはアマルティア・センのケイパビリティー(潜在能力)アプローチに適合する。 潜在能力アプローチは仲間としての個人が可能になる点を中心的要素とするものだからである。 社会的、文化的環境の中で作られていくジェンダーへの認識も時代とともに変化する。 「性同一性障害」ならぬトランスジェンダーもジェンダーとして考えなくてはならない。 だから性別に違和感をもつ人々を指すトランスジェンダーもジェンダーに含まれることとなる。 今は男女平等の時代だといっても一部に男は仕事、女は家事”の考え方は残る。 家族、特に女性が担ってきた介護や保育の苦労が新型コロナウィルスによるパンディミックでさらに顕在化している。 国民が自ら選んだ施政者により崩壊させられた民主主義のもとではお上による改革は期待できるものではない。 責任は選挙民である自分自身にある。 誰もやってはくれない。 自分たちで回復のために「知恵」を出し合って出来ることから改善していかねばならない。

 『家庭の意味』

 家庭を築いた後もモーレツ社員の典型として社内外での仕事、国内外への出張で家を空けることが多かった。 単身赴任で家庭を離れてのひとりでの社宅生活も十数年続いた。 その後、妻が親の介護のために実家に常住したのでまた十数年は単身生活だった。 ここでさらに単身生活が続いても今までと生活環境に変わるところはない。 妻と成人した子はそれぞれが独立した人格と個性を持った人間だからである。 そうすると、このような状態での家庭はどうあるべきだろうか。 それぞれが愛をこめて自分の役割を果たしていればそれ以上について負担を感じることはない。 法的・経済的・社会的にそれぞれが果たすべきことがらを認識していなければならないことは言うまでもないが。 それよりも、「知恵」を共有する仲間としてお互いの「ゆたかな生活」を追求しあえばよいことだ。 そして、私は「家族」の生活に余分な干渉をすることなく、家族を含む仲間と共にプラス人生を送らなければならない。 「家族」は過去に継続するこれからの「家庭」で生きるし、仲間はともにこれからを作っていくからである。 私のおおおじから受け継ぐ仲間を思う心。 尊属からの「知恵」の引き継ぎ。 伯母から懇願されている母方先祖慰霊のこ とがら。   「家族」は過去を引きずって生きるが、「家庭」は仲間と共にこれからを生きていくものである。 その中に創造されるプラス人生は仲間と共生するものなので、その中で意識に「知恵」が共有される限り存続し続ける。

 『共同創作による「知恵」の共有』

「知恵」は人の「気付き」によるものだからそれは気づいた人のものである。 共同創作された「知恵」は気づいた人々の共有となる。 「家族」は普段、生活を共にしているから共に気づくことが多い。 そして、その「気付き」はその「家族」のものだとお互いに認識することに抵抗はないと思える。 友人・知人の場合には必ずしもそうはいかない。 しかし友人・知人の間で共通の価値を持っているものはお互いに尊重する義務を感じるはずである。 それぞれは相手にその義務を果たさせる道義的権利を有する。 したがって、友人・知人の場合には必ずしもそう安易に権利・義務の遂行とはいかないようにも思える。 しかしその場合でもその「気付き」はその友人・知人とのものだと認識することに抵抗はないはずである。 だから、友人・知人間の場合にはお互いに責任ある役割を負っていると考える。 家族関係と違って扶養、配偶等の問題が絡まないからである。 「家庭」を仲間に含ませて考えれば、「家族」と日常生活で共同して創作した「知恵」 は仲間との共有となる。

 『家族と家庭』

 一般に家族が共同で生活する場所を家庭と呼ぶ。 しかし、血が繋がっていなくても仲間を受け入れて共に生活すれば、そこに新規な家庭が生まれる。 どうすれば良い家庭になれるかは家族が幸せになれるかどうかにかかる。 家庭が快適であれば家族も幸せのはずだからである。 プラス人生では仲間と快適な家庭造りを心がければ家族ともども「ゆたかな生活」を得られる。 第二の人生で培った「知恵」の活用法を活かして、家庭に遺産を遺せばそれは家族の財産ともなる。 「知恵」だから資産に計上されないかもしれない。 しかし、知的資本を構成することができる。 その投下で新たな「知恵」が再生産される。 人は必ず死ぬが、男と女は次なる命を生み、次世代による永遠の「知恵」を継承させる。 役割が異なるのだから存在意義も異なってしかるべき。 かつてから、性差別は、女性を非生産的労働の領域に追いやってきた。 しかし、それも子孫を作る役割が終わった後”お一人様”になってからは男も女も異なるところがない。 両性は共に次世代に向けて伴走して「知恵}を提供するのみだ。 承継し創成した「知恵」を遺せるのは次世代以降に対してだからだ。 だから仲良く共同創成してそれぞれの仲間とともに伝承する楽しみを享受すべきだ。

 『共同創成の伝承』

 核家族から”お一人様”になってくると団欒はなく共感もなくなってくる。 家族への依存関係も少なくなる。 そして仲間と連携する責務を感ずるようになる。 そうすると反射的に、仲間との連帯する相互依存関係が生じてくる。 それぞれ手分けして、新たな「知恵」を共同で創成しそれを仲間に伝承していく。 仲間には家族・親族以外の他人を含むからプライバシーには注意しなければならない。 また、男女間においてお互いの差を助長しあうことはやめることが大切。 最も恐ろしいのは差別排除を建前とする仕事を自らだけの生活の糧とすること。 あたかも、慈善事業やボランティアをよそおうことがあってはならない。 巧まないとしても、それをもって自分に利益を誘導することのないようにしたい。 だから「知恵」を共創した仲間のIDは特定する。 共創する「知恵」についてはお互いの責任を明確にするためだ。 仲間との共同による「知恵」の創造こそが「ゆたかな生活」への持続を可能とする。  

 『「知恵」の共創で「ゆたかな生活」』_

 仲間との共同による「知恵」の創造が共生を実現する。 「知恵」は人的交流によって信用を醸成しながら相手の範囲を広げていくことで創成されてきた。 しかし、広域ネットワークの発達した現在、真贋の検証がされないまま伝達され、判断に悪影響を与えつつある。 例えば、SNSによる信頼性の無い情報の広がりがある。 「いいね」の「口コミ点数」によって実態を反映しない世論が形成される。 この点に留意しつつ仲間と情報の範囲を適切に判断しなければならない。 そのためには仲間との信頼関係の維持が重要。 仲間との「ゆたかな生活」を持続可能にするために互いに信用を醸成する。

 『仲間による開発の持続可能性』

 共同による「知恵」の共創が仲間との「ゆたかな生活」開発を持続可能とする。 すなわち共同創作によって共に生きることこそ持続可能な開発の実現に寄与する。 一般には企業について言うが、ここでは仲間同士における共同活用の持続可能性をいう。 この仲間同士における持続可能性についてもジェネレーション間で意識の違いが見られる。 私ども終戦前後に生まれた世代の放送はまだラジオだけだった。 菊田一夫のラジオドラマ「鐘の鳴る丘」や「君の名は」等がなつかしい。 雪の降る白黒テレビでの「力道山のプロレス」をみんなで見に行ったことを覚えている。 カラーになったのはずっと後で三種の神器として崇める時代になってからだった。 ネット通信もまだインターネットではなく、パソコン通信利用がせいぜいだった。 いまや仮想現実端末や3Dプリンターを自由に使い回す世代だ。 時代がかわっても「ゆたかな生活」を求める「知恵」に変わりはない。 無人運転自動車の時代も目の前だ。 完全自動運転になれば今の運転免許証はいらなくなるか? 自動操縦技術の発達で「運転」の概念が変わってしまうかも。 人工知能万能になれば、「体」を動かしたりしなくてすむ? そんなことはないとは思うが。 「ゆたかな生活」のための目的と手段をはき違えてはならない。

 『監視社会からの跳躍』

 新型コロナウィルスによるパンデミックによって思い知らされたことがある。 コロナ対策に乗じた政府および国際政治権力による監視追跡、監視強化だ。 国情によって干渉の仕方はさまざまに異なるので適否の評価もさまざま。 また、SNS濫用の大衆による相互監視警察もある。 上下左右からのさまざまな誹謗中傷にさらされて不安感増大。 ジョージ・オウエルの「1984年」さながらの恐怖社会だ。 そこに書かれた以上の超監視社会だ。 問題は誰が監視しているのかが見えなくなっていることだ。 コロナに限らず、法人も個人もこの恐怖から逃れることはできない。 家族・親族でさえ同様だ。 アダム・スミスの「見えざる手」は「市場」が個人の行動を制約していることも言っている。 なぜなら、「分業」による合理性は監視体制によって全うされるといってよいからだ。 この監視体制によって全うされる「分業」の最も顕著なことは「性差」といえる。 男女の差だ。 これは一方だけにとっては「分業」だが、協同の行為によってはじめて新たな生命を宿すことができる。 これは生きとし生けるものに共通する。 しかし、ジェンダー問題について誤解と差別を生じさせているのは人間だけだ。 同時にその問題解決に向かって真剣に取り組んでいるのも人間だけだ。 人は他の生物に勝って「知恵」を活かせる能力があるからだ。 かんじんなのは、その能力を阻む要因としてのジェンダー問題を正しく理解することだ。 ダイバーシティやフェミニズムと取り組むことも一法だが、単に男と女の問題にしないことだ。 仲間同士による「知恵」の継続的共創プロセスには監視・中傷はない。 共創する仲間の「知恵」に基づくもので持続可能性を有するものとなる。 そうすると、「知恵」を共創する仲間は監視社会から跳躍することができるといえる。 社会、病理、法を超越した真摯な生きざまを有することに勝るものはない。 仲間の「知恵」のこのような活用は正に「ゆたかな生活」への王道と言えよう。

 『共創によるサスティナビリティ』

 共創する仲間とはどのような範囲のものをいうのだろうか? お互いの「知恵」の価値を認め合い、信頼関係にある者同士をいう。 家族の一員と他人との関係で仲間となるようにすれば、その仲間は法的拘束力を受けない。 すなわち、互助会、ボランティア団体等権利能力なき社団とすればよいのである。 任意団体、いわゆる親睦会なので構成員はいっさい個人の責任を負わない。 一定の要件を満たさない限り訴訟の当事者になり得ないからである。 財産は構成員全員に総有的に、帰属することになる。 自分の「知恵」は会計上資産を構成しない。 よって、総有財産となって構成員個人に帰属しなくても不都合を生じない。 構成員である仲間の全員で活用し、「ゆたかな生活」の糧とすることができる。 しかし、仲間の信頼関係により共有、分割も可能である。 仲間によるサスティナビリティ(持続可能性)、すなわち次世代への「ゆたかな生活」の持続的共創だ。

 『「知恵」の活用』

 「知恵」を活用するためにその情報を仲間内で共有することが重要な意味を持つ。 そのためには「知恵」の情報価値をともに創造をする場所が必要となる。 そこで、仲間同士でオープンなプラットフォームを使えるようにする。 自由に使えるが、使用には仲間の同意を必要とする。 ただし、非常事態の場合にはお互いに開示できることとする。 そして、パンデミック等が起きたときは、同意なしでも使用を許可する。 このようにすれば、共有し創作して蓄積した「知恵」を有効に活用できる。 共同して「知恵」を提供しあった仲間は各々相応の受益が得られることにする。

   『活かせる「知恵」』

 共同で創作した「知恵」はともに生活や仕事に活かせる。 自分の身の回りや家族との共同生活、家族や仲間との催しや家内工業で有効に活用できる。 さらに自分たちの新規事業に活かせば独自の開発ができる。 その結果、仲間以外の他人からも評価され、  仲間の拡大や新たな事業への展開に通ずる。 仲間同士および新たな仲間との「知恵」の蓄積と結合が図れる。 そして、さらに「知恵」の共有創作の高度化が図れる。 その分野での特有な「知恵」の結合、蓄積が可能となる。 それを仲間内で高度化し繰り返し蓄積できる。 仲間以外とも共同創作してさらにグレードアップできる。 仲間とともに、次世代遺産としての知的資本を構築する幅をひろげることができる。  

 『友人関係の仲間との共創』  

 学生時代からの友人で、卒業後も同窓会幹事会等を通じて親しい仲の友人がいる。 彼は剣道等の日本武術にたけているようだった。 学生時代はずっと同じ宿舎の隣り合わせだった。 毎晩木剣の素振りを長時間欠かさない。 お互いに気にしながら1年近く睨みあいが続いていた。 そのうち麻雀等で気があって、その後今までの付き合いだ。 彼は自分で会社を立ち上げて、それなりに拡大していった。 私はサラリーマンを続け、企画を通して子会社の社長になった。 彼は資金繰りに窮して営業譲渡した。 私の会社は出資株主の株譲渡で閉鎖した。 友達同士の付き合いなので会社運営の話はしたことがなかった。 今、ふたりでお互いの「知恵」を開示しあってそれぞれで個人ベースの仕事をやらないか、打ち合わせをおこなっている。 「知恵」の共創はできる。 「秘密」の内容は、仲間同士では知らせあわないと共創ができないのでお互いに開示する。 しかし、仲間の数が増えた段階で、それぞれの了解のもとで開示範囲を広げる。 仲間の同意が得られたものは一般に開示する。 仲間以外との情報交流を図り仲間と「知恵」の範囲を広げるためだ。

 『社会的問題がある場合の対処』

 「知恵」を共有しようとしているその友人とは早くそうすべき理由がある。 彼は何年か前に軽い脳卒中の症状が出てしばらく入院治療をした。 その後遺症か、認知症まがいの症状が出没するようになった。 会って話をする限りではさして異常を感じないが、緊張すると時々失念したりするという。 認知症だとすると、古い記憶は残るが、最近のことについての記憶が飛ぶのが特徴らしい。 かつてはすばらしい判断力と臨機応変の対処法で経営者の能力を存分に発揮した男だ。 あまり時を経ると過去の記憶も失ってしまうおそれがある。 そこで、できるだけ早く訊きだしておく必要がある。 なお、私の社長経歴は雇われの身でのことなので迫力に欠ける。 しかし、多くの大先輩からの「知恵」を授かっていたので内容は充実していた。 それによって彼の迫力ある「知恵」をさらに魅力あるものにすることができる。 彼に以上のことを呼びかけ続けた。 最近、私には家族を継続する上での危機が生じたが、彼にも家庭上由々しき事態が発生していた。 でも彼は 「家がなくなってしまうことも大変だが、まず、それよりも生業を再起させなければ」 そして、 「勘を取り戻すべく旧知との付き合いをはじめた。」 「若いときから無鉄砲だったが、それで普通ではできない事業ができた。」 「最近脳血管の障害の後遺症のためか記憶が定かでないことがときどき生ずる。」 「循環器系、食道壁系、泌尿器系等複数の疾患治療に病院通いが避けられないが、それでも基礎体力維持のための運動は欠かさない。」‘ と自ら語った。 体が不自由になりつつあることを自覚しながらも、さらなる生き方について意欲を持っているのがわかった。 日本武術で心身ともに鍛えあげているし、天才的な博才の持ち主だし、バイリンガルでもあるので余力はある。 さらに 「やってきた仕事の内容を仲間として共創に役立てることに依存はない。」 「特に、せっかくまとめた仕事をかすめ、盗られたり、不当な差別によって不利益を得たことを思い出すと今でもくやしい。」 「でもそれを乗り越えての成果もあったので、成否併せてこれから上手く皆と分かち合いたい。」 とのこと。

 『「知恵」情報のコントロール』

 ここで自己の「知恵」情報を自分で望むようにコントロールできるかどうかである。 プライバシーの権利は自己情報のコントロール権としてとらえることもできる。 秘密にするも、公開するも本人の自由である。 しかし、「知恵」の情報は秘密にしていたらそれ以上に発展しない。 力を合わせて「知恵」をさらに魅力あるものにするのには、仲間同士では開示を原則としなければならない。 原則開示で例外秘密である。 全員が知らないことが秘密であり、仲間の誰かが知っているのは秘密ではない。 それは共有して共創の基にしなければならない。 誰も知らないから価値がある。 それはみんなで尊重してこそ誰もが新たな「知恵」を秘密裏に創造しようと思うのだ。 「知恵」情報はこのようにしてこそ“監視をせず、かつ、されずに”のコントロールができるのだ。 世の中で秘密な「知恵」を持っているのが自分一人だけならば、それを勝手に公衆に公開されたら話は別だ。 その場合、権利として侵害の問題は残る。 しかし、監視体制のなかでも制約されないで「知恵」を共創できる場合があってしかるべきである。 仲間内でのコントロールはその合意の範囲内ではあってしかるべきである。 ネット社会では意に反して拡散されてしまうことが多いので、人対人で共創すべきである。 そして、仲間内のルールに従って「知恵」情報のコントロールはされるのである。

 『更なる飛躍』

 第二の人生では「ノウハウ」を中心に次世代への遺産としての知的資本の構築について提案した。 このプラスの人生では個人、家族、家庭、仲間の間では制約されることのない自由な生き方を追求することとした。 そのためにも第二の人生で提案をした内容をプラスの人生での生き方の基盤とする。 私自身の生き方を家族・家庭と仲間の中でどのように反映するかを考える。 もともと母親から生まれたときはひとりであった。 そしてまず父・母との間に家族を構成したのだからそこが社会への原点である。 したがって、そこでの生き方を考えるのが基本となる。 しかし、その関係継続を十分に全うしたならば、その後は自分自身の問題に戻る。 つまり生まれたままのひとりになるのであ る。 そして新たな人間関係を作るのである。 前からの家族・家庭・仲間に加えて、 新しい家族 新しい家庭。 新しい友達。 新しい仲間。 楽しい限りである。 これからのプラスの人生では第二の人生で 培った「ノウハウライブラリー」シリーズでの「知恵」も活かす。 それは「変えられないことをうけいれ、変えられることは勇気をもって変えていく」ことの自己での実践である。 他人は変えられないが、自分は変えられるからである。

 『変えて育てるプラスの人生』

 自分を変えることで新たな世界が見えてくる。 今まではたとえ仲間でもその範疇でのプロやベテランには聞けなかったことが多い。 日々扱っている手立てを恥を忍んでそれらの仲間に話して違う観点での解決方法への「知恵」を求めることとした。 そこで、単なる「知恵」ではなく、「金」への「知恵」についても造詣の深い他の仲間へのコンタクトを開始した。 第二の人生ではノウハウ活用で知的資本の構築について提案した。 そして、パンディミッックからの回復について言及した。 その場合に貸借対照表に載らず「貨幣を介さない」オフバランス取引での改善についても提案した。 同じオフバランスでもデリバティブ、先物やオプション、スワップのような原資産から派生した金融商品の取引への警告もした。 サブプライムローンに端を発したリーマンショックへの恐怖を思い起こしてもらうためである。 根源は米国で高騰することを前提とした低所得者層向け住宅ローンの証券化に端を発する。 予想外の価格変動で、証券化したローンが返済不可能となったことで金融全体に不況が蔓延したのだった。 たとえば債務を証券化してオフバランスとした場合、確かにその期ではバランスシートには載らない。 しかし、資産・債務隠しの場合には決済時には貸借対照表に掲載されるのでオフバランスではなくなる。 つまりそのレベルのオフバランスは決済時にはオンバランスとなり「貨幣を介する」こととなる。 これらの点にも注意して運用するための「知恵」も共有していかなければならない。 一般家庭における衣食住にも「知恵」を働かさなければならないことは多い。 家庭の経済生活を脅かすことにならないように仲間の「知恵」を活かしていかなければならない。 先物等の取引が決済時にもオンバランスとならないよう庶民の家計に役立つことを考える。 この分野では証券会社等を退職したベテランの仲間やその友人達の「知恵」も拝借することにした。 仲間同士「知恵」の取引に際して元本相当の受け渡ししか行われない場合には「貨幣を介さない」オフバランスとなりえる。 私が第二の人生で提案した「仲介」が仲間レベルでの「知恵」の先物買い等でさらに具体性をもって実現可能になるようプラス人生で挑戦する。 また、個人や家内事業で資金難、後継者難で悩んでいる方々と仲間になることでその「知恵」を活かして事業を継続することについての取り組みも始めた。 第二の人生での「知恵」の活用法も変えられるところは、プラスの人生で変えてさらに育てていく。